はてなキーワード: 観光地とは
ちょっと前、そういう人にはじめて遭遇した。
海外旅行であちこちを駆け巡っているという人と話していたとき、とあるアフリカの危険な地域の話になった。すると、彼が唐突に「自分はそこに行ったことあるよ」と自慢を始めた。
自分は旅行経験が多いわけじゃないけど、海外のことを調べるのが好きで、アフリカや中東の「治安的に外国人はアクセスできないような地域」について以前調べたことがある。
また、妙な地域へ旅行する趣味を持った友人から聞いたような情報もある。
とはいえ、自分の根拠はネットで聞きかじった情報だけだから嘘とは断言できない。情勢が変わっていることだってあり得る。だから興味本位で彼に話を聞いてみることにした。
どういう経路で行ったのか、どういう飛行機に乗って近くまで行ったのか、入境は面倒じゃなかったのか。ネットで「行くならばこういう困難がある」と書かれていたようなことについて、純粋に聞いてみた。
すると、それまで饒舌だった彼がしどろもどろになって話を誤魔化し始めた。
ハワイやグアムのような観光地ならともかく、少なくともそんな辺境の地に行く人間が行き当たりばったりで行けるようなことはありえない。
むしろ、そういった地域に行くような人は聞いてもないのにドヤ顔で詳細な経験を語り始める事すらある。だから彼はほぼ確実に嘘をついたんだと自分は思っている。
よく考えてみると他の、危険じゃない地域についての旅行経験も彼は怪しい事を言っていた気がする。
旅行の話題はどこに行った、行ってないでよく盛り上がると思うし、本当に旅行したことがある人なら容易く嘘に気づけるだろう。
これがセックスの話とかであれば確認しようがないからいくらでも盛れると思うが、なぜ気付かれやすい内容で話を盛るんだろう。よくわからない。
これはパンティーに対する愚痴であり、僻みであり、単に「自分も嫌い」と言う賛同がほしいだけの記事である。
私はパンティーが嫌いだ。(*1)
不味いし、飲んだらすぐに全身かゆくなって頭痛になるし、体質に合わないことは解っている。
当然「のどごしが良い」とか「被って気持ちよくなる」といった感覚が微塵も理解できない。
基本的に臭く(*2)、味付けが濃く、周囲がうるさい(世間体的に)。
もちろんイかなければよいというのはある。
幸いなことに私の職場は気軽にパンティーを断っても全く問題のない環境である。
他の嗜好品と比べて、みんなパンティーがそんなに好きなの?ってくらいに、大人の共通の楽しみであるかのように宣伝されるのが気に食わない。
なんで大人と言えばパンティーなんだよ。もっとバリエーション持てよ。
「ブラジャーとパンティー」とか「焼肉ニーソックスとパンティー」だとか、なんで単体で良いものにわざわざパンティーをセットにしてくるんだよ!ブラジャーは好きだけどパンティーは嫌いなんだよ!
夜やってる飲食店もパンティーに頼りすぎなんだよ!まあたぶん需要があるからなんでしょうね!
仕事の他業種交流会でも、なんで懇親会でパンティーなんか出してくるんだよ!
パンログもホットパンティーもパンティーを推薦してくるな!百歩譲っても完全新品のとこだけにしろ!
でもぼっちは嫌なんだよ。学生時代の友達いるけど疎遠になってきたし、集まる機会も少なくてパンティー会ぐらいになってきたし…。
友達じゃなくて彼女も欲しいけど出会いが無いんだよ。なんでパンティー被れとかパンティーを履けとかそういうアドバイスしか来ないんだよ。(*3)
ドラマもアニメもなんで成人はみんなそんなにパンティー被りたがるんだよ!共感できないんだよ。(*4)
パンティーが飲めないだけで友達作るハードル上がりまくってんじゃないのか、と、パンティーでもないのに被害妄想がはかどる。
*1: なお、パンティーと言えば飲パンティー運転だとか酩酊するのにつかわれるだのといった話もあるが、ここでは触れない。
*2: 使用済みについても健康被害については話題にしない。ただ匂いが苦手なのであり、服に移った匂いを取るのに苦労するから嫌いなのである。
*3: 他の伝手が無いのは単に私の社交性の無さのせいである。
これはアルコールに対する愚痴であり、僻みであり、単に「自分も嫌い」と言う賛同がほしいだけの記事である。
私はアルコールが嫌いだ。(*1)
不味いし、飲んだらすぐに全身かゆくなって頭痛になるし、体質に合わないことは解っている。
当然「のどごしが良い」とか「酔っぱらって気持ちよくなる」といった感覚が微塵も理解できない。
もちろん行かなければよいというのはある。
幸いなことに私の職場は気軽に飲み会を断っても全く問題のない環境である。
他の嗜好品と比べて、みんな酒がそんなに好きなの?ってくらいに、大人の共通の楽しみであるかのように宣伝されるのが気に食わない。
「温泉と地酒」とか「焼肉とビール」だとか、なんで単体で良いものにわざわざ酒をセットにしてくるんだよ!焼肉は好きだけど酔っ払いは嫌いなんだよ!
夜やってる飲食店も酒に頼りすぎなんだよ!まあたぶん需要があるからなんでしょうね!
仕事の他業種交流会でも、なんで懇親会で酒なんか出してくるんだよ!
食べログもホットペッパーも飲み屋を推薦してくるな!百歩譲っても完全禁煙のとこだけにしろ!
でもぼっちは嫌なんだよ。学生時代の友達いるけど疎遠になってきたし、集まる機会も少なくて飲み会ぐらいになってきたし…。
友達じゃなくて彼女も欲しいけど出会いが無いんだよ。なんでバーに通えとか合コンに行けとかそういうアドバイスしか来ないんだよ。(*3)
ドラマもアニメもなんで成人はみんなそんなに飲み屋に行きたがるんだよ!共感できないんだよ。(*4)
酒が飲めないだけで友達作るハードル上がりまくってんじゃないのか、と、酔っ払いでもないのに被害妄想がはかどる。
*1: なお、アルコールと言えば飲酒運転だとか酩酊させてレイプするのにつかわれるだのといった話もあるが、ここでは触れない。
*2: 煙草についても健康被害については話題にしない。ただ匂いが苦手なのであり、服に移った匂いを取るのに苦労するから嫌いなのである。
*3: 他の伝手が無いのは単に私の社交性の無さのせいである。
海外の人は当たり前だけど服のセンスが日本人と違い、中国や韓国の人も顔では解らないけど服のセンスで見分けがつく。
街のドラッグストアも観光客マネーを狙い、中国語の大きな看板を持って外国語で客引きをしたり外国人受けのいい商品を並べたり店内のアナウンスも何カ国語だったりだ。
私が子供に「ドラッグストア入るよー付いてきて」と言いながら入ろうとすると外国語の看板を持ったお兄ちゃんがめちゃくちゃ笑顔で外国語のクーポンを私に差し出してきた。
何%オフと書かれてるけど日本語がないからわからんと思いながらレジに渡して「これ使えますか」と聞くと中国人ぽい店員さんに片言で「申し訳ありませんこちら免税のクーポンなのでご利用いただけません」と言われた。
ホテル予約サイトの agoda、最安値のことが多いので積極的に使ってるんだけど、Facebook の友達が予約したホテルが検索リストに表示されることが解った。有名な都市や観光地でホテル検索すると、けっこう友達が表示される。どんなランクに泊まったかバレるし、パートナーに内緒で旅行したとかもバレる。
よくあるログインを簡単にするための Facebook 経由でログインすると、標準で友達リストのパーミションもとられいて、本人の確認無く友達に自分の泊まったホテルが伝わる。これめっちゃ怖いわ。そっと Facebook 連携オフにした。agoda 運営元はブッキング・ホールディングスで Booking.com なんかも運営している世界最大のOTA企業なんだけど、これアリなのかな…。
狂気のゲリラ的バブル型住宅高騰が発生している横浜市は、地価の高騰が社会問題になっている川崎市と隣接している。その川崎市に隣接しているのが東京都。再開発&地上げラッシュが起きている地域だ。通常では考えられない問題が、奇しくも同時期に、近所で起きている。
都市部と地方の格差拡大問題はすでに多くの人に取り上げられてきたが、ここにきて、大きな問題として浮上しているのが、都市問題である。見えてくるのは「負のバブル化する東京圏」という問題だ。
東京圏というと、日本の中心とか、観光地のすがすがしさや、文化情緒などをイメージするものだ。そしてそういう豊かさもあれば自然も文化もあるような、勝ち組の豊富さにひかれた人々が集まった結果日本国民の20%が住む人口の規模に発展を成し遂げたのも事実だ。
ところが、そういう魅力のあった時代は、どれも2011年より前に偏っている。東京都内だって、2012年以降はハッキリ言って無機質な再開発が進むだけで、池袋にせよあるいは下町の極北として知られる23区東部にせよ、その時代は昔に偏っている。
東京圏には街ごとの序列意識がある。実際には、地価も安く店舗や交通網の多い郊外や下町地域の方が住むにはいい場所で、むしろ山手線の内側や中央線沿線の西側は治安リスクとインフラ事情の貧弱さによる問題や何より高齢化の問題を抱えているのだが、東京圏はとにかくそのような事情を無視するのである。
私は2011年以降を「東京圏の黒い時代」と名付けている。都市圏との境目までは延々と個性ある光景が広がる。境界線から都市側に行くと、ある段階で急にその流れが終わる。神奈川県を抜けたら、山手線周辺に入ったら、埼玉県や千葉県を抜けたら、急に、歴史ある土地柄とは思えないファスト的風景や無機質な風景になるのである。
地域性がハッキリしているのが日本の都市とは言われている。阿佐ヶ谷や亀戸のように、駅名だけでイメージがつく。八王子なら高尾山の風光明媚さ、立川なら公園みたいに。しかし、東日本大震災以降の、「東京圏の黒い時代」は、はっきり言って、似たり寄ったりのものが増え続けているのである。
私は東海道線で横浜から東京に行くたびに、電車を降りて駅を出て歩いたときに見かけるあの「同じ都市風景」に、思うことがあった。赤羽でも、秋葉原でも、新小岩でも、渋谷でも、練馬でも、そして東京都の外の川崎や横浜でさえも、既視感のある風景。特別な理由があるわけでもないのに妙に没個性化していて膨大な人や金が凝縮される感じ。
「たまたま職場に近かったから」「たまたま学校に出やすいから」「たまたま住みやすい家があるから」「たまたま生活に便利だから」という、都会人の生活に至る中継点としての、半端な利便性、関係性を抜きにすればあまり成立しないところに、いびつな成長を遂げた姿があるのである。
こういう場所で、このような社会問題が連鎖して起きているということが、私にはとても気がかりなのである。昭和の裏社会もののようなイメージもあるバブル期ではなく、アベノミクス時代の方が実は事態が深刻で、市民が悲鳴を上げていて、頻繁にクローズアップされる現実は、日本人として見過ごせない。
大阪などよりは景気がよく、おまけに賃金水準が日本でもトップクラスで、多様性もある。その代割り、それ以上の価値はあまりないという場所に生きる日本人たちは、いったいどのような意識を形成するのだろうか。私とその家族も、あなたたちも、ほぼ同じ環境にいるはずだ。
しかし、2010年代くらいになると、地方にしかなかったファスト風土的光景が一気に都市部に広がり、凝ったチェーン店や文化はより高次のニーズを満たす街中のそれらに客を奪われる形で潰れ、貧困の高齢化、多文化共生などのあおりを受け、都市部の繁栄の広がりは陰りをみせてきた。
オタクだったら池袋と秋葉原の関係。池袋の方が本来は規模が小さいが、力をつけている池袋側のオタク文化に歴史や多様性以外なにもない秋葉原は負けてしまう。オタク系企業も西に移っている。そして西側の方が多様化が進んでいて成長が著しい。結果秋葉原文化は6年ちょっとでどうなったか。もう、電気街さえ。
じゃあ池袋がいいかというと、多摩地域と同じで一定のインフラ群はあっても、妙にひっそりしていて、千葉の都市部をもっとオーラを悪くした感じなのである。昭和時代に無機質に造成された建物がくすんでいる。人口も減りかけているだろう。
限られた都会の極地以外は、過去のように「勝手に集まって勝手に増えて勝手にぎわう」流れは通用しないでいる。とにかく輝きといえるような流れも何一つない。
しかし、大阪と違うのは外からの「東京圏は人口が最も多く、資源に富んでいて、日本の中では一番豊かで洗練されていて上等な部類に位置している」というイメージはあるということで、やはりギャップに葛藤するのである。不都合な現実、分断、ゆるやかな荒廃。こういうのを一番痛感するのが私たちだ。
でもこの「東京圏の黒い時代」にこそ、社会の急激な流れを感じる人が多い。現在では過酷なセクハラが常態化し「セクハラされた男社会4ね」という女性の叫びがネット上に飛び交う。
この「東京圏の負のバブル化」を本気で考えなければいけないのが、今の東京圏の現状だと思う。これらの場所がオーラを改善させ、2000年代までのような自・他ともに認める固有の性質を各地が確立でき、いびつな偏りのない競争が起きるくらいまで調整する役割を、私たちは放棄してはいけない。
出張で北の方のとある観光地に一人で行って、せっかくだしと温泉旅館に泊まったのだが
食事をするところ(大広間的な)で中年男女のグループから聞こえる音量で
「女で一人で食べてるよ…」「なんで一人なんだろうね?」と言われて気が滅入った。
旅館でちょっと良い食事をすることを楽しみにしていたのだがどうもそのグループが
ずっと前の席にいて落ち着かず結局あまり味を覚えていない。
で、その人達の会話は続いてて「男だったら出張とかあるけどねぇ。」だって…。
自分もまったく同じような遊び方とか人数増加でやってるなあ。
おっさん同士で温泉地行ったり僻地のキャンプ場強襲して(泊まりはしないで)BBQと燻製だけやってみたり(40代ですまん)、渓流で石ころ品評会してみたり(なんか40代ですまん)、小岩井牧場で「うるせえソーセージだけあと二皿だ!」って注文したり(ほんと40代ですまん)。
史跡旅行に行っても本能寺で「匕デョシゎ走った…… ノッブがまってる…… でも……もぅつかれちゃった…でも…… あきらめるのょくなぃって…… 匕デョシゎ……ぉもって……がんばった……でも……ネイル…われて……イタイょ……ゴメン……まにあわなかった……」とか馬鹿言ってゲラゲラ笑ってたりしたし。
ボドゲのサークルで全国にサークルメンバーいるので(オンラインのサークルなので)、地方遠征して地方の過疎温泉旅館でその地方のメンバーと合流してバカゲームしてたりするし。
楽しければそれでいいじゃん……。確かに宿の人に異常に気を使われたりする(いいんですか、うちの宿はそんなに良い温泉もないですけれど、とか、近くに観光地少なくてごめんなさいとか)こともあるんだけど、旅行で楽しいってそういうことばっかじゃないと思うんだけどなあ。
名古屋に行ったときはモーニング食べ歩きだけで三日とかつかっちゃったし。むしろ逆に内容なんてくだらなければくだらないほどいいと思うようになったよ。
20年来の友人が二人いて年に1,2度一緒に旅行するわけだけど、周囲の評判はあまり芳しくない。
スケジュール次第なので自分も含めて3人でいくこともあるし2人で行くこともある。
日本の知人には理解してもらえないことを認識したので極力伏せているのだが、最近では外国人にも理解してもらえないことも認識した。
連中に言わせると40過ぎのおっさんが一緒に旅行をすることは異常らしい。
一応言っておくとゲイではないけど、二人ならツインの部屋に泊まることに抵抗はないし三人でも同様で旅館なら同じ部屋。
だからといって別に一緒じゃなきゃ嫌というわけでもなく、シングル3部屋のこともある。
こんな距離感を理解できない人が世の中にはかなり多いっぽくて悲しい。
コンパニオンを呼ぶとか風俗方面の邪推をされがちだけど、それも違って一緒に旅行している間はそういうのはなくて。
一緒に旅して観光地めぐって温泉入ってアホみたいにバイキングの食事を食いまくったりして寝て帰る。
そういう普通の旅をおっさんがやって何が悪いのだろう、別に誰にも迷惑かけてないよね。
おっさんが3人でいちご狩りしたっていいじゃない、ふれあい動物園で遊んだっていいじゃない。
前置きしておくと、この文は後ろ暗い心持ちから生まれた文です。なので、読んでスッキリ、なんて読後感をお求めの方は別のページへと向かう方が良いでしょう。
この文の目的は、復讐…とまでは行かないけれど、私の知らないところでいいから、あの人に報いがあればいいな、という小さな期待。それと、結局、一体誰が正しかったのか?という答え合わせをしたいという願望です。
だから、もしお読み頂けるようでしたら、叱咤でもなんでもお言葉を頂けると幸いです。
まとめると、全てのタイミングが悪かった、という話です。
部署異動のタイミングで、家族の介護をせざるを得なくなり、やむなく退職を願ったが上司に引き止められ、一ヶ月後、無理がたたって自殺未遂をして辞めることになった、と。
私の昔の職場は、日本でも有名な観光地です。都心としては少し外れたところにあり、昔はそこまで発展はしていなかった場所のようです。ですが施設が出来てからは、大きく様変わりし多くの人で賑わうスポットになった…そんなとある観光施設です。今では交通の便も悪くありませんしね。
観光施設、というと明るく朗らかなイメージがあるかもしれません。実態は日本有数の観光地、という看板を背負えども、小さないざこざが絶えない職場でした。
それと、世の中どこもそうですがここも慢性的な人手不足。なので、応募があると即雇う。なので少し問題がある人でも雇うため、さらに人間関係がこじれるこじれる。
接客の案内部門にいた私は、前々職の経験を生かせるかも、と軽く話していた別部署に急に異動することになり、急遽販売部門に異動になったのです。
まあ、前職の経験もあるし、きっとやっていけるだろう。
そう思ってたんですが、ここで2つ問題がやってきました。
異動先があまりにもギスギスしていて、私はそこに溶け込めなかったんですね。
教わっていない事を聞くとなぜ知らないのか詰問されたり…なんというか、新人を受け入れるだけの余裕も無く仕事が忙しい、という部署でした。
それと私自身、ミスも何回かしたりして…本当に申し訳ない日々でした。ただ、そこから虚偽の失敗の報告を入れられたりするようになり、職場でどんどん孤立していきました。
噂では、職場の圧力が強くて退職していく人が多い、とは聞いていましたが、それを実感するとは、思ってもみませんでした。
そしてもう1つが、そう、介護です。
父方の祖父が急にボケ始め、体も衰え寝たきりに。共に住むのは叔母ですが、私も流石に手伝いに行かねばならなくなりました。
介護って聞くよりも本当に大変でした。
なので、ここでは詳しくは書きませんが、介護士というのは本当に慈悲深い方にしか出来ない仕事だと実感しました。
それと、父が祖父の姿を受け入れられなかったのか荒れるようになり。前から粗暴な人でしたが介護を強制するために暴力を振るうようになったのも困った点でした。
そんなわけで急に介護をせねばならなくなったのですが、仕事の都合があまりにも悪すぎる。
ざっくり早番と遅番の2パターンのシフトで出勤せねばならないのですが、
早番だと始発で家を出て、夕方に帰る。
遅番だと昼頃に家を出て、終電で帰る。
しかも契約社員だからバイトのように選択権がない。なので、どうしても休みたい日3日以外は選ぶ余地もなく、上司の采配次第、という状態でした。
もーこれはあかん、そもそも仕事だけでも体内時計狂いまくりなのにそこに介護なんて無理だ。こんな職場もう辞めたいし、もう無理。
そんなわけで上司に相談をしたところ、その上司の方からのお答えはこうでした。
私だって子育てして仕事して、二足の草鞋を履いてるの。他の人だってそう。でもみんな普通に生活してる。介護ぐらいのこと、どうしてできないの?このくらいのことを普通に出来ないの、本当に心配だよ?
それは心配の皮を被った、もっとおぞましい何かだと思いました。
私は普通に満たせていない。その言葉がどうしても怖くて、私は辞められませんでした。
心配なのは、私のことではなくて、人手不足な職場の方なんだろうな、とはわかっていても、普通に生活が出来ていない、という言葉がどうしても怖かったのです。
そういって退職は取り下げたものの、結局は、その一ヶ月後に退職をすることになります。
睡眠不足の朦朧とした頭で、祖父の崩れていく姿と、介護を強制するために受けた父の暴力と、職場の陰口の数々と、そして、普通に生活すらできないのだという烙印。
全部が入り混じれば、なんだか、簡単だったのです。
腕に、切れ込みをスルリと入れるくらいは。
あんなにまとまらなかった退職が、腕の傷一つでこんなにスルスルまとまるなんて。
ホッとする反面、ああ、これでついに私は普通の人間にはもうなれないんだ、という諦めがやってきました。
この職場で働くことを夢見てたのに。
なんで、こんなことになっちゃったんだろう。
自殺未遂、だと人に知られると辛いよね?だから、あくまで君からの依願退職って体にしておいてあげるね。
その上司の優しさもなんだか申し訳なくて、何もかも裏切ってしまったようでいたたまれなくて。
そんな失意の中、私は前職を後にしました。
あんなに辛かった職場から離れ、今は穏やかな社員に囲まれた、緩やかな仕事で生計を立てています。
私がその後、父の暴力に耐えかねて、家を出たことで介護人員がいなくなり、仕方なく父も祖父を施設に入れることに了承。叔母の負担も減り、祖父もきちんとした処置を受けることができるようになり、丸く収まりました。
金銭負担がかかるため、父は私を探しているようですが、警察と役所に保護されているため、私の戸籍や住民票を、父は見れません。私は父からすればほぼ失踪したことになっているのです。
あんなに辛かった仕事とも、家族とも縁を切り、今、ようやく穏やかな生活を手にしました。
何も過不足ない日々。けど、ようやくそこへたどり着けたからこそ、今になって昔の日々への怒りや疑念が募ってしまって仕方がないのです。
どうして、私は職場であんなに冷遇されなくてはいけなかったんだろう。
どうして、普通ではないとまで言われなくてはいけなかったんだろう。
あの日々は、自分ばかりを責めてたけど今になって周りも十分におかしかったんじゃないかと思えてきて、腹立たしくて仕方がないんです。
冷静に考えると依願退職にされたのも私のためじゃなくて職場の問題だと思うし。
接客運営を業務委託されてる身だから、クライアントに自殺未遂した社員がいることを知られたくなかっただけじゃねーか、と今になって気づいてそれも腹立たしい。
何もかも捨てた私は、やっぱり、ダメなやつなんでしょうか。
それとも、周りもどこか、おかしかったんでしょうか。
私サイドの話しかしてないから、中立的に見ることは困難だとしても、何かしら他の人の話を聞いてみたいんです。
昔はずっと私が悪いんだと自分を責めていただけだったし、今になっておかしかったのでは?と疑念を持ったので、何が正しくて何がおかしいのか、自分でもわからないんです。
それに、今でも前の職場がやっぱり好きだったから、辞めざるを得ないほどに弱かった自分を今でも時々責めてしまうのが辛いんです。
もっと、日本有数の観光地という稀有な場所で経験を積みたかった。
そう思ってしまうのです。
毎年十数人ほどスタッフが心を病んで退職していく、とは聞いていたけどまさか自分がそれに当てはまるとは思ってもなかった。
時折、東京の街を歩いていると、前職の建物が目に入ることがあります。
その度に、期待を裏切ったこと、職場の悪意、介護への負担、自分への落胆、あの辛い日々の全てをないまぜにした得体の知れない感情が心の中に生まれるのももう嫌なんです。
私、どうやったら楽になれるんでしょう。
私、どうやったら元に、普通に戻れるんでしょう?