はてなキーワード: 漠然とは
俺の妹は診断貰ってるADHDで、多動や癇癪、空気の読めない行動が昔から強くあり定期的に通院してた。きっと昔は服薬もしてたと思う。多動は大人になると少しずつ落ち着いてくることが多いので今は薬なしで県外の大学に通っている。
俺が小さいうちに離婚した俺の父さんも、今思えばあの数々の不可解な行動は発達原因だったかもしれないなぁと考えている。随分会ってないから確信はもてないけど…あと祖父母もなんだか怪しい。変人というか、共感性にかけるというか。
俺自身は健常。でも障害はグラデーションって最近言うじゃん?俺も昔から周りから天然だと言われることが多くて、自分でもおっちょこちょいだなーと思うことが多い。もしかしたら発達の八の字くらいは入ってるのかもしれない。(診断済みの人と比べたら本当に失礼なレベルだとは思うが…)
そんな俺にも理解ある彼女ちゃんがいるのだが、子供の話になった時、俺は漠然と(別に欲しいかと言われるとそうでも無いけど、彼女が望めばまあ順当に1人2人くらいは子供を持つのだろうか?)と考えていた。
だが、「言いにくいけど結婚前にしとくべき大事な事だから言うね。妹さんに発達があって、お父さんやおじいちゃんまで怪しいんだよね?俺くんも少し抜けてる所あるし、はっきりいって遺伝の可能性が高いと思う。こういうのって子供に遺伝する確率が高いから、ごめんけど子供を持つ気は無い」とキッパリ言われてしまった。
最初から子供に執着は無いし子供を持たない選択自体には異論なしなのだが、少しだけ心に引っかかっていることがある。
優生保護法が廃止されてたぶん数十年(なのかな?)、現代社会は確実に差別を減らそう、相互理解しよう、SDGs万歳って感じに話が進んでいるし、ジェンダー平等なんて言葉は毎日色んな媒体で聞くようになってきた。
だけど現実として障害持ちの子供は誰も欲しがらないし、染色体異常が分かれば90%以上はおろされるし、発達家系(それに限らず色々な病気の家系)は子供を作ることを拒否される…
それってやっぱり人々の心の根っこの部分には絶対に変えられない優生思想が根付いてるってことなのか?
でも現実問題障害の子供を育てるって大変だ。間近で見てたからわかる。本当に俺も苦労することが沢山あったし、親はそれ以上に色んな苦労があったんだろうな。
それに遺伝する病気だと分かっていたのに子供を作って、本当に発達障害を持って生まれてきたら子供が1番の被害者かもな。子供は一生苦労するから。
だからやっぱ障害家系は子供を作るべきでは無いのか?これ以上負の連鎖を続けないためにも。
「公的空間だから性的な広告ダメ!」とか、「公的機関の広告だからダメ!」とかは、確かに雑すぎると思うんだよね。
論点は、
・その広告自体と媒体と公開される空間との関係で作られるメッセージが、
「不快なものを公共空間から排除しろ」が公共性をめぐる議論として不適切であることは言うまでもないし、そもそもいくら駅構内における広告といってもほとんどの駅利用者は一瞥するかしないかして通り過ぎてしまうものだろう。
それでも、社会がいわゆる「公共性」の高い場所や媒体における広告について配慮すべきは一点、「未成年を性的に扱うことに対してどのようなメッセージを発しているか」だけだと思う。
園城寺怜にしても宇崎花にしても問題が全くないと言い切る度胸はないんだけど、彼女らが未成年である/成年であるという設定は広告を見るほとんどの人は共有していない情報であるし、そもそも体型や顔立ちによる幼い/成熟した印象は実際の年齢と一致しない。
そうすると、あからさまに中高生の記号をもったキャラをして「どうぞ性的に扱って下さい」というメッセージを明示した(例えば制服を着て性的に誘惑しているなどの)広告って、決して多くないと思うんですよね。
その意味で、個人的には月曜のたわわはその記号と表題の文言からしてかなりグレーゾーンではあったけど、それでもせいぜいはグレーですよね、という印象だった。
7月の末に新型コロナウイルスに感染し、そのときの症状自体は数日で治ったんだけど軽め?の後遺症っぽい症状が数ヶ月続いて、それだけでもめちゃくちゃ辛かった、もっと辛い人もいるんだろうと思うけど、自分くらいの後遺症のレベルでも割と仕事や生活に支障があって困ったという話。当方20代後半、関東で一人暮らし、ホワイトカラーの会社員。
ざっくり時系列
という感じで、ざっくり2ヶ月くらいは後遺症っぽい症状のせいでかなり厳しい状態で、これが一生続いたら辛すぎる……と思っていたんだけど、なんとか元の状態にかなり近づくことができている……ように感じる。環境要因とか運みたいなのはとても大きかった感じもしていて、職場やマネージャーにもかなり恵まれていたと思う。これは感謝してもしきれないくらい。
仕事の話しか書いてないけど、仕事で調子悪かった時期は休日もあまり身動きができず、家にいたところで頭も回らないので何もできなくて、公私ともに2ヶ月くらいは無駄にしたというかドブに捨てたというか、そんな感覚が強い。無駄にしたのが2ヶ月くらいで済んだのは幸せなのではないかという感じもする。
これが本当にコロナの後遺症だったとして、症状の強さや期間はかなりばらつきが大きくて、かつどういう要因でそれが決まるのかもまだあまり判明していないという印象もあり、とにかく俺の場合はこうだったぜという話しかできないんだけど、8月の自分になんかアドバイスできるとするなら、マネージャーやまわりの人にとっとと相談しようということに尽きると思う。一方で、抑うつ的な気分になっているときにそういう判断ができたら苦労しなさそうでもある。辛さがピークだったころはもうかなり耐え難くて、貯金と失業保険で食いつなぐとしたらどれくらい持ちそうかみたいなことを考えて、普段だったらスプレッドシート上で皮算用をするようなところ、それをやる気にすらならず寝ていたという感じだった。自分は一人暮らしなので寝ているだけで済んだけど、これで小さい子供がいたりするとどうなるのかとかはちょっと想像がつかない。
コロナの後遺症は、コロナを発症してすぐの人にされているような積極的な支援はまだあまりメジャーではなくて、だいたいどの自治体も最初に診察をしてくれるクリニックの一覧を提供しているとか、相談窓口があるとかという感じだと認識している。結局そういう公的な支援や医療には頼らずじまいで今になってしまったけど、自分の場合は症状そのもので困った以上に、症状・体調によって引き起こされている事態や、それによる不安に強く引きづられて冷静な判断ができなくなっていたのかなと思う。症状が出ていることが根本原因だろうということは明らかなのでそうなるのは今思えば不思議な気はする。
もし職場とか身の回りにこういう状況になっていそうな人がいたら、願わくばサポートしてあげてほしいと思うんだけど、君コロナ後遺症でしょ手伝うよみたいな感じでやりとりされたりすると余計凹みそうな気もするし、なんかこういうのはどうしたらいいんですかね……。まあ体調どう、みたいなところから話していったらいいんだろうか。はてな匿名ダイアリーってサイトでこういうエントリを読んでね……、みたいな話をしてもらえると良さそうな気もする。よろしくお願いします。
兄弟が3人いるので借りないと進学が出来なかったし、高卒で働く勇気もなかった。
申し込みのとき借りられる上限まで制度を使えと父が勧めてきたのもあって、言われるままに借りた。
成績は悪くない方だったので第一種と第二種併用で借りることができた。
第一種が250万
第二種が600万
担保がない学生にこれだけのお金を貸してくれる制度はすごいと思った。
必要な分を使って、余りは一括で繰り上げ返済すればいいと思っていた。
無利子の第一種は猶予制度を使ってあとまわしにして有利子の第二種から返そう。
それくらいの漠然とした想定で計850万+第二種の利子を返済することを受け入れた。
本当にバカだった。
大学1年の半ばに父との関係が悪化し、同居に耐えられなくなって一人暮らしをはじめた。
自分が借りている奨学金を兄の学費にも使っていたということを知ってもめたのも一つの要因だった。
バイトをしながら暮らしたが生活費のすべてを自分で賄うことは出来なかった。
結局卒業までじりじりと奨学金を目減りさせながら暮らすことになる。
でも一人暮らしは天国だった。実家にいたころよりよほど楽だった。
自分の家庭環境が周囲より悪いのかもしれないと気づいたのは一人暮らしをしてからだった。
実家では風呂とトイレしか鍵のかかるプライベート空間が無かったし、家族の分の洗濯や炊事をこなさないと父に怒鳴られていた。
それ以外にも機嫌を損ねると大きな声を出す人だったので怒鳴り声で目を覚ますこともしばしばだった。
ちなみに兄弟は部活が忙しいという理由で家事をしていなかった。
このころ搾取子という単語を知った。しばらく精神が不安定になるくらい落ち込んだ。
あのまま実家に居たらメンタルを病んでた可能性もあるし、一人暮らしできたのはまだましだったかな。
卒業まで単位を落としたことはなかった(留年=学費が無くて退学 になるから当然だけど)
人並に勉強して、バイトをして、サークルに所属したりして、大学の友人が恋人になって、そういった生活の傍らで奨学金を借り続けていた。
奨学金があったから何とか大学を卒業できた。結局使いきっていた。
就活はうまく行かなかった。
何度もいろんな企業の面接に足を運んだがことごとく落とされた。
恋人と同棲を始めて家賃をワリカンにし、何とか生活費を抑えたけどとても奨学金の返済はできなかった。
兄に使った分の奨学金は兄が就職したら返すという話だったが、今の兄は働けない状態で引きこもっているので自分で全額返すしかない。
返済猶予届を出して糊口をしのぐ日々が続いた。
とりあえず3年、という言葉を鵜吞みにして働いていた。
未経験でも採用してくれたIT開発。研修を受けてからすぐ現場出向になった。
月の返済額は第一種と二種合わせて3万6千円。
時々預金不足で引き落としに失敗して翌月は倍額になった。
少しでも稼げるお金を増やしたい。
そんな生活で今30歳になる。
返済は続いている。
収入に穴をあけられないから転職も相当上手くやらないと無理だ。
学生からずっと付き合っている恋人とは結婚の話も出ているが、こんな借金を抱えた自分が結婚して良いのか踏ん切りがつかない。
かといって10年付き合った相手と別れる決断も出来ない。自分はずるくて卑怯な人間だ。
もし結婚しても自分の学費も払いきれてない状態で子どもは考えられないだろう。
子どもの教育費も貯められていないのにどうするんだ。同じ思いはさせたくない。
破産も考えたが破産後に結婚も子どもも無理ではないか??という気持ちがぬぐえない。
奨学金を借りて大学に行かなければ今の恋人とも会えなかった。ちゃんと返したい。
借りた金も返せないなんて最悪すぎる。
成績が良かったり単位を落とさなかった程度のことで自分を真面目な人間だと思ってたけど、将来のことも考えられず金を借りたただのバカでしかない。
返済しなくていい手段はまだある。
このままだらだら返済を続けて結婚も出来ず子どもも持てず40過ぎて返済が終わったとして自分に何が残るんだろうな。
私は大きな寺の近くで生まれたので、漠然と寺で結婚式を挙げることをイメージしていた。
「親族で南無阿弥陀仏を10回唱える」結婚式は少し異様に感じるかもしれないが、今ある人生だけでなく次の輪廻でも巡り合うことを誓う念仏であり、魂が続く限り一緒にいたいという祈りはとても尊いものと思っていた。
とはいえ結婚相手となった妻はミッション系の中高を卒業していることもあり、漠然とした私の考えを押し付ける理由もなかったので、キリスト教式の結婚式を挙げる運びとなった。
いざ式場を探すといわゆる荘厳な雰囲気の結婚式場は妻からすると紛い物感がすごいということで、結局レストランウェディングになって、とてもカジュアルに式を執り行うことになった。
そんな中で行われる誓いの言葉にどれだけ意味があるのかと考えていたが、いざ誓いの言葉を口にすると思ったよりも自分にとって大きいことだった。
比較的に正直に生きてきた人生だったので、学生時代に先生からの頼まれごとでも友人との約束でも、不確かなことに単純なYesと答えることはしてこなかった。
そんな自分が、定番の「病める時も〜」と言う神父の言葉に「誓います」と答えるのは、結婚式であっても若干躊躇してしまうくらいで、それを宣言したことは、とても大きな決意をしたな、と言う気持ちだった。
どれだけ疲れていても、少なくとも家族の前では、強く、優しくしているつもり。
ただ、妻にとっては誓いの言葉はもう忘れ去っているようで、一時の感情で左右される言動は指摘しても決して直らない。
「誓い」って言うのは普通はそこまで大したものじゃないのかな。
仕事を早めに終わらせて子供を迎えに行って夕飯を作ってお風呂に入れて子供を寝かしつけて、妻としばらくゆっくりして一緒にベッドに入って、妻が寝たらベッドを出て仕事の続きをして、朝は妻より早く起きて朝食を作って妻を見送って子供の準備をして保育園に連れていって。
最近はてなブックマークで話題沸騰の「コミットメントなしのセックス」。
しかし、この「コミットメントなしのセックス」とはなんなのだろうか。
日本のビジネスシーンに目を転じてみると「コミット(メント)する」は「(漠然と)気合を入れる」くらいのニュアンスで用いられている。
つまり、コミットしないセックスとは気の抜けたセックスを指すということか。
そんなセックス好きなやつおるんだろうか。
みんななるべくなら元気よくセックスしたいと考えているんじゃないだろうか。
コミットメントなしのセックスに興奮をおぼえるフェチも存在するのかもしれない。
でもそういうひとがいたとして、自ら能動的にコミットメントなしのセックスを探し求めるのはコミットメントなしのセックスにコミットしていることになる。矛盾している。
となれば、コミットメントなしのセックスフェチのひとは真にコミットメントなしのセックスをするために凪のような心をもって気合の入らないセックスを待っているわけで、その忍耐心たるや尊敬に値する。そもそも彼らはコミットメントしていないのに行為の最中も性器を勃てたり濡らしたりしているわけだ。これはこれでもう何かの技術なのではないか。
最後の時が来るといちど真っ暗になる。
そのあとすぐに光に包まれる。
驚くかもしれないが驚かないで。
すぐに目が慣れるから。
自分がなんとか横になれるかな?と感じるギリギリのスペースの部屋にいることに気づく。
壁は真っ白で扉はない。
閉じ込められている。
ちょっとパニックになって壁ににじり寄るため足を動かすと地面がそれに合わせて動くことになる。
歩くと移動するんじゃなくて床が動く。
そしてそれがとても自然なんだ。
まるで今までの世界で歩いていたのと同じように歩けるし走れる。走れば風を感じる空気の流れを感じる、
走り疲れて座りたくなればイスが現れる。
イスという漠然としたイメージじゃなくていつも座っていたPCデスクの椅子を思い浮かべればその椅子の座り心地となる。
わかるね?
そこが世界だったんだ。
ああそうか。と思うと本当の終わりになる。
レオーッス
技能の研鑽と考えると、何をしたらいいって気持ちにもなりますが
まぁ作業しやすくしたり、少しでも作業時間を短くしたり、作業の質を上げたり様々ですね。
仕事になると作業の質を下げないように、作業時間をオーバーしないように、作業場がゴチャゴチャしないように調節しながら更にレベルを上げていかなければならないからこれまたしんどい話です。
まぁそれがプロだから〜仕事だから〜って言われちゃったら、そうかもとは思うのですけど。
だから仕事ってのめり込むのに抵抗がないことをやっていけばいいんだと思いますよ。
スタスタと抵抗なく作業してスパスパと仕事を終えて帰っていく感じで、その分だったら作業の質が下がるようなことも少ないでしょうし。
ということで本日は【快適な作業環境よいか】でいきたいと思います。
努力適正と気骨がないから人生つまらない。コツコツ努力できて気骨がある人にとっては現代社会って相当楽しいと思うよ。情報も体験談もいくらでも転がってるし、やりたいことできて、なりたいものにもなれる。そりゃ「億万長者になる」とか「沢山の女からモテまくる」みたいな漠然としたものは難しいだろうけど、目的とか目標を具体的に立てて筋道を探って計画を立てて(ここまでは誰でも可能)、あとはその計画に沿って努力すれば(これが激ムズ)大体のことはできる。
巨大プラットフォームによって無料娯楽と目先の快楽が溢れてるこんな時代でも努力できる人にとっては現代社会は天国だろ。
でもそれができない人間には地獄。フリックのために指動かしてスクリーン眺めてたら1日が終わる。ほら今日も何も出来ずに終わった。
CDTV出演にあたって、キンプリ上げトラジャ下げをめちゃくちゃ見て、めちゃくちゃ気分悪くなった。
トラジャ担には申し訳ないけど、って言いながらキンプリの方が海外で通用するとか歌上手いとか華があるとかめちゃくちゃ下げるじゃん。
申し訳ないけどっていうのは、何言っても許される免罪符じゃない。せめてティアラしか見てない鍵でやって。
キンプリって他のグループを下げなきゃ魅力が語れないようなグループなんですかね。
なにわ男子とトラジャが仲良く写真撮ってインスタのストーリーに上げてたことすら「今それはすべきじゃないって分からないの?事務所無能?」みたいなこと言ってるのも見たけど、あまりに自分本位、キンプリファーストでしか物事を考えていなくて失笑しちゃった。
一緒のタイミングで出演してほしくなかったとか言う人もたくさんいるけど、逆に「ようやくデビュー掴んで曲を出して凱旋という大事なタイミングで発表してほしくなかった」って言われたら反論したくなりません?本人たちが決めたタイミングじゃない!って。それはそのまま貴方にも浴びせられる言葉です。
歌唱順とかも同じ話。
傷ついて悲しくて絶望感を味わってしまうのはわかる。納得できないのもわかる。
でも、他を攻撃するのは違うわ。事務所を離れる子たちにも残る子たちにも良い結果を産まない。
いじめた方は忘れるけど、いじめられた方は一生忘れないっていうでしょ。
私の周り、未だにLDHから距離をとり続けるテニミュのオタクとか、INIとBE:FIRSTの戦いに変に巻き込まれてそっち系ボーイズグループ全部嫌い!ってなったV6のオタクとかいる。
何があったか知らん人は各々ググってくれ。
まあさ、嫌だなと感じた行為をしたのは全体の一部だけど。でも受け取る方は関係ないよね?した側の事情を汲み取ってやる優しさをみせる必要なんてないし。
今回の脱退発表により一部の心無いティアラが振りまいてきた言動で、元メンバー含めてキンプリのこととティアラのこと一生嫌いで恨み続ける人、永遠に避け続ける人、一握りかもしれないけど絶対でてくるよ。
別に良い、私たちがたくさん応援するから、みんなに好きになってもらわなくて構わないっていうかもだけどさ。
その応援してる人は、世界っていう広い層を視野に入れていた人たちなんじゃないのかね。
未来のファンの芽を摘むファン、それって本当にキンプリの目指す未来に必要ファンですか?
ちょっと冷静になって考えて欲しい。思ったことを主張するのは良いです。陰謀論だのSOSだのなんだの好きにしてくれ。
陰謀論に巻き込んでるけど本人意思が濃厚っぽいV6とか嵐とかのファンは結構怒ってるの見るよ。
それで今回のCDTVについての言い様。
きっと事務所の看板を背負って10年後には国民的と呼ばれるような立ち位置を気づいてるかもなあって漠然と思ってたグループだったから私も驚いたし、全体的にもファンに対して同情や心配の声が多かったよ。最初は。
でも今はファン層の雰囲気に驚いて、距離を取ったり、嘲笑してる人まで出てきてるよ。
ザックリ言うと「フーリエ級数変換をしたときに基本波となる成分」がいわゆる『音程』と呼ばれているものでいいんだよな?
まあぶっちゃけこんなのあっていても間違っていても俺にはもう関係がないんだが。
なんつうか「クオリア的色盲」とでも言いたくなるような状態なんだよな。
色盲の人間が「赤」を本質的に理解は出来ないが、「みんなが赤いと呼びそうな色」は漠然と知っていし「こっちの方が赤いと皆が言いそう」までは分かる気がする状態というか。
つまり、漠然と「高い」「低い」は分かるんだが、それがどう「音程が取れている」に繋がるのかが分からない。
そもそも声質の違う人間同士が「ハモっている」と言われる状態もよく分からん。
科学的に「2つの波形を比べたとき、基本波が揃っている状態」になるのであろうことは理解できる。
でもそれを耳が認識できないんだな。
多分みんなの耳は「おっ、一番強い成分だけが強くなってて基本波だけがデカく聞こえるから音響工学的に理想的な音に近づいとるやん」ってのを感覚として理解しているんだと思う。
俺もそれを解析装置にぶっこんだ画像とか見せられると「なるほど~~~~完璧っすね~~~」ってのは分かる。
だが耳では理解できん。
音痴はカラオケで採点モード使って音ゲーっぽい譜面見ながら歌えと言われても、そもそもその譜面通りに自分が音をだす方法がわからない。
初音ミクの動画で楽譜見せられても「うーん。この楽譜でどうやってこの声が出ているのか分からん。つーか俺もしかして高い低いとかも分からないのかも」となってくる。
まあマジで俺は「音の雰囲気づくりとしての付属成分が大きすぎると、どれが基本波の成分なのかを分解しきれなくなる」という問題が起きているように感じる。
人間という楽器の持つ癖の強さに対して俺の耳が全く追いついてないんだろうな。
一時期「色分析能力テスト」って名前で実質的に「モニター性能テスト」になってるゲームが流行ったことあったよな?
あれを皆が最新プラズマディスプレイ+PS5でやってる横で俺だけがゲームボーイカラーレベルでやってる状態なんだわ。
超超大雑把には分からなくはないんだが、ちょっと複雑になるともう完全に無理になる。
それを想像で補っても結局は答に辿り着けるかが毎回の運勝負で、そうなるとまともに歌を歌ったりは不可能に近い。
どうすりゃいいんだろうな。
で?
どうやんの?