私は大きな寺の近くで生まれたので、漠然と寺で結婚式を挙げることをイメージしていた。
「親族で南無阿弥陀仏を10回唱える」結婚式は少し異様に感じるかもしれないが、今ある人生だけでなく次の輪廻でも巡り合うことを誓う念仏であり、魂が続く限り一緒にいたいという祈りはとても尊いものと思っていた。
とはいえ結婚相手となった妻はミッション系の中高を卒業していることもあり、漠然とした私の考えを押し付ける理由もなかったので、キリスト教式の結婚式を挙げる運びとなった。
いざ式場を探すといわゆる荘厳な雰囲気の結婚式場は妻からすると紛い物感がすごいということで、結局レストランウェディングになって、とてもカジュアルに式を執り行うことになった。
そんな中で行われる誓いの言葉にどれだけ意味があるのかと考えていたが、いざ誓いの言葉を口にすると思ったよりも自分にとって大きいことだった。
比較的に正直に生きてきた人生だったので、学生時代に先生からの頼まれごとでも友人との約束でも、不確かなことに単純なYesと答えることはしてこなかった。
そんな自分が、定番の「病める時も〜」と言う神父の言葉に「誓います」と答えるのは、結婚式であっても若干躊躇してしまうくらいで、それを宣言したことは、とても大きな決意をしたな、と言う気持ちだった。
どれだけ疲れていても、少なくとも家族の前では、強く、優しくしているつもり。
ただ、妻にとっては誓いの言葉はもう忘れ去っているようで、一時の感情で左右される言動は指摘しても決して直らない。
「誓い」って言うのは普通はそこまで大したものじゃないのかな。
仕事を早めに終わらせて子供を迎えに行って夕飯を作ってお風呂に入れて子供を寝かしつけて、妻としばらくゆっくりして一緒にベッドに入って、妻が寝たらベッドを出て仕事の続きをして、朝は妻より早く起きて朝食を作って妻を見送って子供の準備をして保育園に連れていって。
ハズレ嫁だね… 潰れない程度に頑張ってね
誓ったから愛し続けるのか? 愛を誓ったとき、将来の自分を拘束するつもりで誓ったのか? 「宣誓」というのは、そういうものではないだろ。 元増田が誓いを重視するなら、やるべ...