はてなキーワード: 混沌とは
立てた3本の指はW、丸を作る指はP。
ネットの片隅で語られたでっち上げは、悪ノリによって拡散され、いつしか真実となる。
そのサインは、白人至上主義への支持を表明するシンボルとなった。
ある高校では、卒業アルバムにOKサインで写る写真が含まれていることが問題となり、アルバムを作り直した。
あるテーマパークでは、着ぐるみ姿でOKサインをしたことで、演者は解雇された。
競合企業や対立陣営に差別主義者のレッテルを貼りたい企業や政治家。
幾多の人々の思惑によって、「配慮を要する象徴・単語の一覧表」は、肥え太っていった。
3600ページのPDFが公表された頃はまだ良い方で、やがて、誰にもそのリストの全貌を把握することはできなくなった。
マッシュルームカットは公然わいせつと白人至上主義の象徴となり、
「白」「黒」「黄色」は単語自体が人種差別主義者の象徴となった。
街やネットからロゴは消え、色彩も消え、話せる単語も制限されていく中、人々はどこかおかしいと感じていたが、声を上げると差別主義者だと糾弾された。
差別判定・糾弾機関は、軍産複合体を経て、超巨大な国際機関と化しており、人類の誰もが、多かれ少なかれ利害関係を持っていた。
もはや、「反差別」の推進と拡大は誰にも止められなかった。
やがて、事態は、印欧語族に属する言語全てが、差別主義者の象徴とされるに至る。
反発する「差別主義者」と「反差別主義者」との間で核戦争が起き、人類は滅亡した。
増田の言うことには一点だけ同意で、要するにこの槇野さんも一人の「ジョーカー」なんだよな。
実際、「病気で怪物フェイスにもなったし悲惨な介護の現場も知ってるしアーサーより全然不幸だぜ私。まあブログで承認欲求満たせてるけどな」っていうカミングアウト、ジョーカーまでもうあと一押しじゃん。ブログかSNS失ったら、もう全然ジョーカーになるでしょこの人。
「誰もがアーサーのやったことに勝手な意味づけをして、アーサーを置き去りにしてピエロフェイスで暴れ回る。でもってアーサーはそれを幸せな顔で見つめてる。」これって、あの映画の末尾に描かれる状況だよね。で、誰もがあの映画を見て勝手に解釈して暴れ回ってる。映画をネタにしながら、実際の映画を置き去りに、自分の不満だけ見つめて文句を言い回る。でもこれって全てあの映画の想定内の出来事なんだと思うんだよ。誰もが自分の不幸という棒を手にして、アーサーの姿を借りて、目に付いた社会の片隅を殴り飛ばしまくる混沌の状況……あの映画が描いていたのはそういう世界だよね。いや、これまったく今の私たちの眼の前の現実そのものやん?
もちろんさ、槇野さんの感想は的外れなんだよ。だけど槇野さんには槇野さんの「ジョーカー要素」があるわけで、槇野さんは勝手なアーサー像を想像して勝手に暴れ回るという行為によって見事に「ジョーカー」が名作であることを証明してるわけ。今のこの世界って要はゴッサムシティだよね、っていうあの映画のメッセージを体現してるわけ。
それは、あの映画が半世紀以上も前の映画の要素……つまり「母一人子一人、清く貧しく正しく夢を追う青年が、世間の荒波に揉まれながら、隣人や理解者に支えられ、偶然のきっかけで表舞台に立ち、(その過程で憧れの世界との血縁もあきらかになり)、華やかなデビューを飾って無事成功する」というおとぎ話のようなサクセスストーリーの要素を完全に踏襲しつつ、それを100%裏返してみせるという手法を取っていることによっても明らかなんだよ。あの映画に「誰も悪人がいない」という指摘は槇野さんの言うとおりで、つまり、ほんの少し状況が違えば、実はこういう馬鹿みたいな「サクセスストーリー」も実は決して夢物語では無いはずのだ。なのに、結果として生まれたのはジョーカー……だとすると、悪いのは特定の誰かなのではなく、あの街であり時代であり私たち全てだとしか言いようがない。「ジョーカー」が描いているのは、特定の人間ではなく、特定の人間を生み出す「状況」や「時代」「世界」そのものなんだと私は感じる。この町では、ほんの一押しでみんながジョーカーになってしまうのだ。だから、バットマンの戦いは絶望そのものなんだよ。
というわけで、これ以上〈槇野=アーサー〉を叩かなくていいんじゃないかな、っていう。なんか普通にジョーカー化しそうな方だしさ。まあそういうこと分かった上で、かつ「いいから、もうジョーカー誕生させよ?」っていう流れで叩いているならもうどうしようもないんだけどもさ。
また記録を忘れるところだった。日付が変わる前に今日の分を書いておく。
ベンチプレス 50-40-30 kg 15回、10回ずつの2セット
クランチ 30回を2セット
消費: 525 kcal
ついに見終わった。最終話の展開についてはちょっと色々難癖付けたいんだけど、それはそれとしていいアニメだった。特に室町時代っていう混沌の時代設定の中で生きる人々、妖、武士たち、そしてそれらがあっけなく死んでいく儚さがよかった。
Q.断食中って水飲むの?
A.普通に飲みます。あと食事制限も本来の形と比べるとかなりゆるくやってて、GI値だけは気を付けつつ後は何となくふわっと。特別やってることは週3の断食オンリーと言ってもいい。
とりあえず原則的な話としては歴史が義務教育に入ってるのは将来国民国家の主権者の一員になるため。
歴史を全く知らずに政治的な判断(投票とか)はできないし、同じ国の国民としての意識涵養が無いと近代以前のアジアやアフリカの一部の国みたいに国の命運を私利私欲でズタズタにしたり※派閥争いですぐに殺し合ったりするから。いわば主権者が共同で国に責任持つための仕掛け。仕掛けの善し悪しは別にして。
次に、理科だってフロギストンが間違いだったり、個体発生が系統発生を繰り返すとかが消えたり研究の進展で「正しい科学知識」は結構変わる。さらに歴史は人間がその時代に合わせて作ったものだから、余計変わりやすい。
人間社会の経験の総体という意味での歴史は今まで生きてきた無数の人々の無限の相互作用の積み重ねだから、そんなもの簡単に整理してこれが正しい歴史ですなんて言えるわけがない。なので整理された歴史っていうのは、混沌の中から「重要なもの」をその時代の価値観から選び出し整理して(解釈して)作られた、人類の経験のジャングルの中で道に迷わないための見取り図でしかないわけで(年号とかは見取り図の記号みたいなもん)。
それでも見取り図がなければ、人類の経験を認識することもみんなで語り共有することもできない。言葉がなければ人と会話もできないけれど、言葉は時代によってどんどん変わってしまう。だからといって言葉なんて曖昧なものを覚えても仕方ないとはならないみたいなもの。
学級会したがるタイプの女オタの思い詰め方は、自分が正しいことをしてないと許されないし、他人も許されるべきでない……みたいな不安と強迫観念に常に脅かされてるようにみえるわ。
もっとマナー違反も悪いことも迷惑行為もヘラヘラ適当にやったらいいのに。
ま、これ言ったら男オタが女オタをいじめたせいで、叩かれないように行儀良くしなきゃいけないと思うようになったんだ、とか返されそうだけど。
男は女オタクみたいに大規模ジャンルではあんまり学級会やらんよ。
真面目に語り合っても得るものが少ないし、結局強制力がなくて好き勝手行動することになるとわかってるし、その無頓着で自由で混沌としてる方が好ましいから。
自治厨が決めたルールやマナーに従う義務はないわけで、足抜けして黙々と活動してれば最初は叩かれてもいずれ味方はできる(能力とメンタルの強さがなければ潰れて消えるがそれも世の摂理)。
あ、ただし男も、狭くて閉鎖的なコミュニティでは、真剣十~四十代しゃべり場してるぞ。
5ch発祥の各種ゲーム制作コミュニティとか、東方幻想板の棘符とか……したらば辺りが根拠地のコミュニティの愚痴スレや議論スレは大体そうなりがち。
昔は東方ジャンルにとってSTGは聖域だからZUN以外は二次創作STGを作るべきではない、特に有料作品は許すまじ……みたいな謎ルールをマジで保とうとしてた。
SFやTRPGも、今は間口が広がったから緩くなったが昔はいっつも学級会してたな。
コミュニティが狭ければ議論厨自治厨が勝手に決めた作法も広めやすいし、ルールが気に食わんからってよそに脱出しづらいからかな。
ネトゲ辺りも規模によっては学級会してると思うよ、俺は詳しくないけど。
くだらなくなって来た。
ストリートでは負け知らずの喧嘩屋としてやってきたのに、いきなり総合格闘技に放り出された感じ。
俺は弱いものの味方だった。
俺は「俺らが正義、俺らは強い、俺らが普通」って言うやつにNOを突きつけたかった。
本当の平和はそういった暴力による圧政ではなく、認め合い、高め合い、そう、「愛」だと思った。
ただ、きのこたけのこ戦争はルールのないストリートファイトだったから、「愛」だけでどうにかできない。
たけのこ派は言う「きのこも見た目がクソでなーんにもひねりがない所に目をつぶれば美味しいよね。」
きのこ派は言う「たけのこの里も美味しいよね。クソの中では。」
認め合うように促されたスレでも貶しあった。
勝利もない、敗北もない、ルールもない、失格も正攻法もデータも、なにもない。あるのは混沌だった。
だから俺は何も考えず、戦いに身を投じた。
ただ、踊りたかった。眠れない夜に、何か叫び出したい気持ちをすべてきのこたけのこ戦争に捧げた。
でも、公式がすり寄ってきた。
公式がすり寄ってきた事により、
俺はその秩序の中で踊った。
だが、秩序の中での踊りの結果に、称賛や罵詈雑言があった。そんなもの要らなかった。
気がついたら、くだらなくなっていた。
くだらなくなってきたので、きのこの味方をしていたが、たけのこの里を食べた。
うまかった。
やはりきのこの山に人気がないのは単純にたけのこの里のほうが食べていて楽しいからだと思った。
なるべくしてなった不人気。
分かり合いとか認め合いじゃない。
たけのこの里にはそれがあった。
何か事件や事故が起きるたびに、ネットではマスコミの横暴さや酷さが鬼の首を取ったように取り上げられ拡散される。
被害者への対応や現場での振る舞いなど、確かに、もう少し控えろよと思う事はある。
しかし、マスコミに対するここ最近の総叩き、マスコミ相手には何やってもいいんだという風潮も冷静にならないとやばいと思う。
マスコミをマスゴミと呼び排除したその先にあるのはなんなんだ。
左か右か極端な方向からしか物事を捉えられないネットメディア。
それらだけが生き残った先に、まともな情報が見つけられると思う?
テレビ局や新聞社が持っている組織力や資金力というのは権力云々ではなくて、時間をかけて取材をするのに必要なお金や人の多さでもある。
ちょっとした事件事故を取材するのにどれだけのお金と労力がかかるだろうか。
もちろん、個人であれば組織に縛られない自由な取材、発言が出来ることは大きいだろう。
しかし、大手が発信する情報の責任は、個人による発信の責任の比ではないから、相当の正確さが求められる。
それから、テレビや新聞で報道をやりたい、ドキュメンタリーをやりたいと、その道に足を踏み入れた現場の人達は、少なからずジャーナリズム精神をもっているわけで、それは要するにお前らと似たようにどちらかと言えばリベラルな人達が大多数なんだよ。
それを忘れてはいけないと思う。
他社との競争で取材が過熱してしまうのは、構造上、仕方がない部分もある。
そこについてはメディア同士で取材のルールを厳しく作り直した方がいいと思うし、
結局は個人の問題もあるから、本当に救いようもないクズも業界には沢山いるだろう。
だからといってテレビいらない。ネットで十分とかアピールをしてどうなる?
それは個人の自由だけど、テレビ見ない事をシンプルでスタイリッシュな生き方みたいな感覚で公言する人多いけど、なんなんだろ。
よくメディアを揶揄する画像として出てくる、シルエットの画像あるけど、
世の中少し混沌やグレー位の方が面白かったと最近つくづく思う。
特にインターネットは綺麗事を言って、何でも規制しようとする様な人間が増えてから余計につまらなくなった。
ただPC以外にもスマホ等でいつも気軽に接続できる様になり、相対的に使用する人口が増えたから仕方がない部分もあると思うけども。
でも青少年や子供、女性の人権等の弱者の権利、動物愛護、環境保護、はたまた著作権、理由なんて様々だけど、そいつらその権利での当事者ではない、そこに中間にいるその権利を利用しようとする様な連中が、綺麗事を言い、それらの権利を振って、他者を殴る為に使う道具にしている事が最近は特に増えたなと感じる。
建前ではその様な綺麗事を言いつつ、本音はそいつらが嫌いなものを潰す為に利用していたり、思想の押し付けの為に使ったり、金儲けの為に不要なものを潰したいと言う思惑で使ったりするのが、透けて見える点も更に嫌気が指す部分だよ。
少し前から言われているポリコレ棒と言うものもこれの一種だろうな。
そしてそんな連中が大抵綺麗事を言って、言葉狩りすら平然とするのは何時もの事だしな。
それで連中が大暴れして、その分野で利用されていたものが余計に使いにくく、不自由になる。
結果衰退を招く。
ある意味これが昔たらこが言っていたコンテンツの一生って奴なのかも知れない。
まあ、昔は昔でJASRACがMIDI狩りとかしていたから、ある意味ではこう思うのも昔はよかった症候群なのかもしれないが。
ただそれでも余りにも一部の団体やカルトが最近特に大暴れしているのをみて、すっかり今では平等とか権利とか言う言葉が胡散臭く感じられ、大嫌いになってきているよ。
あれらの団体が何かを規制しようと行動をする際はそいつらの思想自体が右も左も関係なく、ほぼ同じ様な手法で行ってくるから更に嫌になるね。
ただ俺がイライラするってだけで不快な思いさせても悪いから本人には伝えないし、そういう得もいえぬ混沌とした理不尽なイライラを吐き出すのがここだと思ってたんだけどなんでそんな言われ方をしなきゃいけないのかがわからん。
貰ったメールの人がどうかは知らないけど少なくとも友人の一人はスマホのフリック入力の途中にわざわざ,とか.を英字モードに切り替えてから入力してたな。
学会が指定してるって聞いて気になったからググったらこんなの見つけたからよかったら見てくれ、使いたがる理由などについては納得した(https://togetter.com/li/420594)。
ちょっと頭冷やしたらもしかしたらスペースが足りないことで文章にメリハリを感じられないからなのかもしれない、と感じた。
ただやっぱり語源とかも知らない、論文もまだ書いたことなさそうな大学一年のバイト希望の子がお断りメールで理系感出すためにカンマピリオド使ってるかもしれないって考えたら今でも無性に腹立つな。
【プロローグ】
授業おわりのチャイムで目が覚めた私は日直の「起立」の声にあくびをしながら立ち上がった
なにやら視線を感じてふと横を見ると隣の席の吉野は引きつった顔で、後ろの渡辺はニヤニヤしながら私の下半身を見つめていた
しまった、所謂朝立ちという現象を見られてしまった私は「礼、着席!」という日直の声に体を従えていた
「元木くん、やらしい夢でも見てたの〜?」着席した私に渡辺が問いかける
あわあわしながら隣の吉野を見ると顔を真っ赤にして俯いている
「あー、よしのっち恥ずかしがってるじゃん。セクハラだよ〜それ」
「う、うるさい!なんでお前はそんなに冷静なんだよ!」
吉野はまだ俯いて机に置かれたノートを読むフリをしているが、その焦点は左右に揺れ定まらない
「ごめん、吉野。おれまだクセが抜けなくて…」
沈黙。未だ上を向く下半身に心で叱責の言葉を浴びせながら返事を待つ私
ゆっくりと吉野の顔が正面の黒板を向き少しづつ弧を描き私の方を向く
「元木くん、みみみ、見せて!」
【過去1】
高校受験ではなるべく家に近い高校を、という単純明解な理由で選んだ南高校
廊下のロッカーにはタバコやアダルトな本が蔓延し休み時間の度にトレードがなされ、教師の摘発に逃げる生徒とケツ持ちの助けを求める者の悲鳴が響く混沌とした空間がそこにはあった
授業の大半は開始早々に夢の中である。授業終わりの起立の号令に夢うつつのクラスメイトも目を覚まして立ち上がる
そしてテントと化したお互いの下半身を笑い合う日常がそこにはあった
テントの大きさに自信のあった私は半ば下半身を突き出す格好で礼をしていたものだ
そんなある日のことである。親の離婚を機に私と妹は転校することになる
新しい学校は共学で転校初日に空いてる席に着き、隣になったのが吉野と渡辺だった
【そして現在】
男子校時代の習慣が抜けずに起こった事故であった 。渡辺が言う