はてなキーワード: 悪党とは
界隈に、例のあの人、などとささやかれる人がいる。例のあの人。名前を言ってはいけないあの人。「ヴォルデモート卿」である。おお、おそろしい。
卿……我が君がいかなお方であらせられるかについては、改めて言葉にするまでもないことでしょうが、僭越ながら私めの口からご紹介申し上げますと、あの『ハリー・ポッター』の登場人物なのでございます。
あのハリー・ポッターにお辞儀を強要する悪い魔法使い、といったほうが通りはよいだろうか。
お辞儀をするのだ、ポッター! ダンブルドアめはおまえに決闘の作法を教えなかったのか、ポッター!
とはいえ、ただ礼儀作法にうるさいだけの小悪党ではない。物語の始まりから終わりまで(というか終盤こそ)、登場人物のほとんどから名前を呼ぶことさえ恐れられた、史上最悪のエゴサの鬼なのだ。
(最終巻の我が君は御身をあえて「ヴォルデモート卿」と呼びふらす者が過激派抵抗勢力であることを逆手に取られ、「ヴォルデモート卿」発言に反応する魔法を国中にお施しになり、結果として見事に数々の危険分子があぶり出された)
ヴォルデモート卿というのは、まあ、そういう側面のある人物である。ちゃんとしたことは君の目で確かめろ! 『ハリー・ポッター』を含む『ウィザーディング・ワールド』はいまだに掘り下げの絶えない楽しい作品だよ! 『ハリー・ポッター』から『ファンタスティック・ビースト』に入ることをおすすめしてはおく(個人の感想です)。
ええと、そして本題の……意外なことに思われるかもしれないが、本題は『ハリー・ポッター』の話ではない……界隈の「例のあの人」の件だが。
諸事情のもとで、名前を出すことがはばかられている。この呼び名には確実に、エゴサさえされたくない(関わり合いになることを避けたい)という忌避感が強く働いている。あるいは、単に名指しで言及することを控えようという良心が働いたのかもしれない。
例のあの人について言及することは、例のあの人をぼこぼこに殴ることにおよそ近しい。
このヴォルデモート卿が例のあの人になるまでには、相当の事件があったという。私が界隈に足を踏み入れてからも、相当の事件を起こしている。少なくない人間が、例のあの人のために傷ついてきた。先人の言うには、対話による解決は、もはや不可能である。正直なところ、私も同意見だ。だが、界隈は存亡の危機に瀕している。
例のあの人の存在は、新規参入者や布教行為にこそよく刺さった。単純に畏縮もしてしまうし。故もあるし。
新規参入者が減った。布教行為が難しくなった。そのうえ、界隈からいなくなる人まで出ている。衰退の一途である。どうにかしなければならない。だが、そうして穏便のうちに手を尽くそうとした結果、例のあの人にはちっとも通用しない手段ばかりが残された。
対話が通用しない。などと名指しで言及することは、それだけで人格攻撃のようだ。「例のあの人」の通り名もそうだが、ひとり又はごく少数の実在の人間を、それを遥かに上回る多数で、たびたびたこなぐりにしている。これでは、もはやネットリンチだとも思う。一方で、例のあの人が先制だった、という(おそらくの)事実も同居している。
界隈の仲間が傷ついた。またあの人かとささやけば、またあの人だと別の誰かがささやいた。確かめに行ったら、本当にまたあの人が、またあんなことをして、また仲間を傷つけていた。
やりすぎだと、あの人の「攻撃」に対して思った。
でも、あの人の「行為」に対して、一定の理解を示せる気もする。傲慢な話、どうして「あんなこと」をするのかが、わかるような気がする。
仮に何らかの策が功を奏したとしたら、では次は、誰が「例のあの人」になるのだろう。
私の順番が回ってくるのは、いつになるだろう。やりすぎだと、いつまで感じていられるだろう。私はしないけれどと、いつまで言っていられるだろう。今でさえ私がしてはいないということを、どうやって証明できるだろう。
居心地の悪さを、近ごろ、ふとしたときに覚えて、首を横に振る。
スターウォーズ:パパが大悪党だったので緑色のじいちゃんに剣を習ってバッサリ切り落としました。
プレデター:作戦行動中に襲われて仲間が全員死んだけど、倒した。
ランボー:山に引きこもってたけど、大佐が出てこいって言うから出てきた。
ランボー/最後の戦場:軍事政権と戦ってみた(YouTuber感)。
ブレードランナー:レプリカント殺してたけど俺がそうだった件。このレプリカントがすごい!選出。
ブレードランナー 2049:俺が息子だと思ってたけど息子じゃなかった。パパは娘に出会えてよかったね。
スタンド・バイ・ミー:死体探しに行って時折気まぐれに不良に拳銃を突きつけて帰ってきた。
グーニーズ:宝物を探してたら族の仲間と仲良くなって宝も見つかってバンザイ。
オール・ユー・ニード・イズ・キル:なんか繰り返してるうちに攻略法覚えたから楽勝。
ポリスストーリー/レジェンド:この中に犯人がいる、とかやってたら、いた。
カーマ・スートラ:アホの王子が狂乱にふけってると他国に攻め込まれて滅亡。
キッド:俺おとなになったらこうなんのかい。と駄々をこねてどうにかする話。
時計じかけのオレンジ:不良が迷惑を掛けるはなし。
マトリックス:脳内麻薬できぼじいいーーーしてたけど、叩き起こされたので戦う。
オーシャンズ11:潜入しようと思ったので潜入した。
奴隷が買われて酷い事されると思ったら甘やかされたとか、テンプレ悪党だと思ったら善行が趣味だったとかそういう系。
世界が全部自分の敵って感じがして、でも上手い具合に論破してやったら拍手喝采で負けを認めてくれるといつも信じてる。
実際には、子供の頃に良心や教師相手に癇癪を起こして見せれば周囲があれこれと配慮してくれただけの思い出を自分の手によって権利を勝ち得た成功体験として深く刻んでしまってるだけ、ってことに気づけてはいる。
でも頭に血が上るとついついやってしまうんだな、不機嫌アピールによって周りを自分に従わせようとする赤ん坊帰りみたいなことを。
それもこれも俺の前頭葉辺りが生まれつきアルツハイマー症の老人並みに貧弱で、自制心というものを生み出す機能がまともに備わっていないせいなんだと思う。
言い訳を言ってるんじゃなくて、むしろ逆で、私は無能で、はっきり言えば生まれついての悪党だと自白している。
大坂なおみも多分同じなんだと思う。
一応今の医学では病気や障害ということになってるが、単に社会が許容する定型発達の枠が狭いだけの代物だ。
一番上の皮を虫がちょっとかじっただけのキャベツを歩留まりとして畑の肥料としてトラクターで埋め直してしまうような。
社会が持っている豊かさの総量が低いがゆえの余裕の無さというものが、非定型発達の絶対数を見かけよりも増やしてしまっているというただそれだけ。
なんて言うには自分たちの人格が極めて粗暴で傍迷惑で、はっきり言えば人権が全人類に備わっているから生き延びているだけで時代が時代なら迷惑防止条例違反感覚で打首にされてたのかもとは思う。
だが違うんだ聞いて欲しい。
そういう人間でも普通に生きなきゃいけないっていう時代の要望が厳しすぎるんだ。
おとぎ話の隊が一律の26cmの靴を配って、23cmだろうが29cmだろうが靴を足に合わせろと言い張るような、そんな余裕の無さからくるえげつなさばかりが社会を構成するブロックとして積み上がりすぎている。
大坂なおみみたいにキレるスポーマンがいてもよくて、それについて私達がスポーツマンは聖人だから税金で援助してやってるのになんて言い方をすべきじゃない。
それを言ったら、多くの人は単なる凡人のくせにIQがマジで200とかあるような天才が発明してくれた色々なものを享受して社会を行きているわけで、それもある意味では身の程知らずの援助を受け続けているってものだ。
これは何も大坂なおみが多様性の象徴になるべきという話ではなくて、単なるスポーツ選手に戻るべきって話でもなくて、誰がどういう風であるべきか押し付けたり一度誰かが演じたキャラクターの再演ばかりを求めたりしててもしょうもないってことだ。
人間は他人に対して興味があるけど興味がないから、他人のキャラクターについて単純で分かりやすくて理解するのに使う脳のメモリが少しでも少ないことを求める。
悪人は純粋に悪人で死刑が妥当であってほしいし、親愛なる友人はどこまでも自分に都合がいいが本人はそれを喜んでやっていて欲しいと思っている。
話がこんがらがっているが、こんだけこんがらがれば俺がアスペということは嫌でも信じてもらえると思うし、俺もこんな形で信じてもらえるんだろうなと確信しかないことに嫌気が差す人生だ。
大坂なおみはもしかしたらアスペとはまた違うのかも知れないが、そうであってもきっと普通の人より前頭葉が生み出す我慢強さが脆弱か、脳の他の部位が生み出す衝動性の強さに対して凡人レベルでしかないんだと思う。
早く走るF1カーにはそれ相応のコーナーリング性能やシャーシの耐久性が必要で、そうでないなら自分の加速力を自分がコントロール化に置くことが出来なくなるように。
一流スポーツ選手のテストステロンやアドレナリンの分泌量が常人とは全く別の生物種レベルであることは想像に難くない。
だがそれに相応しいだけの制動力を脳組織が身につけることまでが出来るかというと微妙なんじゃないだろうか。
つまり大坂なおみはものすごく興奮しやすいけど、それを御するだけの自制心がないんだ。
これは悪口とかじゃなくて、そういうデザインの肉体を持って生まれただけなんだ。
そう私はこれがいいたかった。
脳筋だの瞬間湯沸かし器だの言われてしまう人間は、人格が劣悪で生来神仏の視線を意識したり他人を慮ったりしてこなかったから怒りっぽいのではなく、身体がDNAレベルでそういう風にデザインされてしまっているだけなんだ。
それがもちろん赤の他人からすれば単に迷惑なだけで、ナチス的に言えば10秒後にガス室域が決定して10日後には死体の処分も終わっているような人間のクズという扱いなのだとしてもだ。
大坂なおみが何をしたいのか理解できないなんて安易にあれこれ言うべきじゃない。
単にカッとしたというだけだろうし、そして単にカッとしたというだけのことを他人があーだこーだ言っていいのはそれで人が傷ついたときだけだ。
補足するが、大坂なおみの発言によって私は傷ついたとあなたが主張するなら、それはあなたを傷つけているのはあなた自身の中にあるプライドの高さだったり自分に対する誤魔化しの繰り返しで起きた歪だ。
相手の中にある後ろめたさを内側から爆発させることで、相手の中から出た毒によって自家中毒を起こし、それによって生ずる不快感を取り除くための代償行為として誰かに忖度してみたくさせようとすることが、アスペにはよくある。
アスペ的な人間がカっとすることで他人をコントロールする時にこれはよく使われる手だ。
だがこれには弱点があって、本当に良心の呵責がない人間には効かないし、トリガーの起こし方が的外れすぎると完全に意味不明で終わる。
多くの場合はお互いに非がある状況で、自分の非をことさらに認めることで相手も相手から非があることを主張しないと人道にもとるかのよう雰囲気を醸し出していくことでそれは行われる。
もしそれが綺麗に刺さってしまったのなら、それはつまり自分が後ろめたさを持っているということだ。
この自家中毒攻撃の最悪なところは、それを爆発させられたことに対してアスペを恨むと結局はその毒がどんどん自分に回るということだ。
やるべきことは落ち着いて自分の中にある毒を解毒するような方向に動くことで、焦って反撃をするほどに自分の精神も社会的立場も苦しくなるようにそれは作られている。
大坂なおみのブチギレアクションによって傷ついたと思うのなら、距離を取れるならとにかく距離を取ることが最適だ。
アスペの一人としてハッキリ言うが、こういったことをする場合はやった側の作戦目標の一つに距離を取る方針を同意させるというものがある。
とにかく距離を取りたいんだ。
それはある意味では大坂なおみの作戦勝ちとなるのだが、こんな手を使った時点ですでに負けのようなものなので、そのまま勝たせてやればいい。
形としては1-1のイーブンになるが、引き分けなら別に何のデメリットもない。
もしも引き分けにデメリットがあると感じるのなら、それはあなたが自分が特別で誰に対しても勝利しなければいけないと誇大妄想に陥っているか、自分以外の人間を矮小化しすぎているだけで、あなたもまた心の病気、生まれつき脳の構造が定型発達に失敗した悲しい現代人なのだ。
やりたくともできないでつまんない人生歩まされるようにデザインされた日本社会で
「そのつまんない生活さえ満足に営めない」癖に、何でもありなら何とかなるとか妄想強化してありもしない確信に変わっちゃってるのよ、弱者男性って
そのつまんない生活がどれだけ安全で尊いもので、先人の血と屍の上になりたっているのかも理解しようとせずにな
勉強も努力も自分のしたいこと見つけることも今の今まで何もせずに、ぽっとでの思い付きと悲痛な叫びだけで自分の言う乾いた叫びな願いがとやらが世間に受け入れられてもらえると思ってるのがマジで笑うわ
やれるかどうかは置いといても、そんなつまんない社会と吐き捨てるなら、それ以外の道を選ぶルートも自由も一応あるんだから、そこまでウジウジ言うならそれやれよと
税金で賄われた福祉と社会で賄ったインフラを享受して自堕落な生活してるくせに、いもしない美少女を独り占めする悪党や
何でもありなら金や女や権力簒奪できると思うなら今すぐ森へ行って丸木弓でも木槍でも作って一人で戦う覚悟決めろよ。普通だったらそうするんだよ
努力もせず周りに対しての感謝や謙譲もせずにありもしない空想と現実の区別つかなくなって他害的精神障害者になってるなんて思い上がりもいいところだわ
「上の言いなり」なら何やらかしても許されるんですかって。
悪党を叩くために小悪党を持ち上げるのは時代劇の中だけにしておいてくださいよって。
そもそもあの件だって、騒ぎにならずに被害者側が泣き寝入りしてたら、あの学生だって何も問題だなんて思やしなかったでしょう。
よくやったと褒めてもらいレギュラーにも戻れて、卒業すればいいとこに就職もできて、もう人生万々歳。
たまたまああやって騒動になっちゃったものだから、にわかに「いや俺も被害者なんです」みたいなポーズを始めただけ。
冷や飯食わされたのならそれこそそんなクソな部活なんか辞める選択肢だってあったのに、相手ケガさせてでもレギュラーの座にしがみつくことを選んだのは、他でもない自分自身ですよ?
こういうの確かセカンドタックルとか言うんでしたっけ? 知りませんけど。
もちろん、一番悪いのが悪行を命令する側なのは確かで、逆らいづらい事情があったであろうことも別に否定はしません。
しかし、だからってやらかした奴の評価をマイナスからゼロに、しまいにゃしれっとプラスにまで持っていこうとするふてえ仕草は、当事者であろうと野次馬であろうといただけない。
「沈黙は加担」とか抜かすんならさあ、実際ドツいた奴の一体何が加担じゃないっていうんだよ。
だいたい「学生さんがカワイソウ」って言うなら、その前にパワハラのせいで辞めちゃって、しかも話題にもしてくれない学生たちの方がよほどカワイソウだろうが。
でもその時は気に食わないものを殴るのに都合がよかったものだから、責任を問うどころか「勇気ある学生だ!」とか賞賛する動きまであって、みんなして日大叩きの神輿に祭り上げちゃったわけ。
当時そういう流れに突っ込んでも、まともに耳貸してくれなかったけどな!
もうおわかりですよね?
自分の思い通りに使えるから、下っ端のアスリートを勝手に免責しようとする。
自分の思い通りに使えないから、下っ端のアスリートも連帯責任とばかりに叩く。
本当にこれだけ!
最初に言っておくが、これは随分前の話だ。
大型トラックを運転していると、とある大物悪徳政治家を見かけた。
彼はまさにこの日本という国を滅茶苦茶にした張本人として、ネットでも何度も「なぜ暗殺されない?」と不思議がられていた男だ。
ハンドルを切って突っ込んでやればその男が殺せることを、私は尻の下から薄っすらと這い寄るようなエンジンの力強い鼓動の余波から感じ取っていた。
『どうする?殺すか?この国のために、俺のクソみたいな人生を使いきってしまうのも悪くないんじゃないのか?』
幸か不幸か彼の回りにいるガードマンたちは生身ばかりで、車が突然割り込んできて止められる心配もなく、その男の回りにはガードマン達しかいなかった。
『高度なトロッコ問題だ……!現代の法治国家にて暗殺なぞ……!!!しかし、「もうここまできたら殺すしかない!!!」はずの悪党どもが、実際には殺されることなく回っている社会の法なぞを律儀に守っているから、悪党がかえってのさばるだけなのだ……!!!』
必死に巡らせた思考の速度も、一瞬のすれ違いの間に答えを出すには間に合わず、私が運転するトラックはそのチャンスをあとにしてドンドン先へ進んでしまった。
『引き返すか……?!せいぜい死ぬのは俺とガードマンを入れても5人かそこら……しかしああいった悪党が今後も「どうせ殺されない。裁かれない。市民はビビってなにもしない」と調子づけば間接的に死ぬ人間の数はどれほどになるのだ……???』
人間は大型車の運転を何年も続けていると、ハンドルを握っている間は簡単なことでは冷や汗をかかなくなる。
本能と理性がお互いに冷静であること義務付けあわせるかのような機能が身体の中に作り出されるのだ。
それなのに、あの時に垂れ続けた冷や汗の量たるや……。
これ以上思考を運転以外の物に持っていくのは危険だと感じた私は、ついさっき見た光景を必死に忘れることにした。
それからも、その悪党が裏で糸を引いていると思われる事象により日本が滅茶苦茶にされたというニュースは何度も私の耳に入った。
もしも……あの時私が日本中の政治屋に「国民をなめるな!ころすぞ!」と圧をかけていれば……救えた命があったのではないか……。
その思いがこの1年ずっと脳の中を這い回っている。
いい加減疲れた。
(他国でも自己犠牲を賛美する風潮はあるが、露骨に特攻を命令するのは貴重な兵士というリソースの無駄使いであり、普通はありえない
今の日本の政治家も悪党としては小物感が漂いすぎてて、こすいというかケチというか
WWIIもそうだけど、上層部は小悪党なのに強い言葉(コロナに勝った証とか)を言うだけで、結局は全部現場に丸投げでしかない
現場に丸投げというなら米国のベトナム戦争もそうだったわけだけど、流石に特攻を命令したり賛美したりはしない
(ベトナム戦争は北軍のゲリラ戦術が勝因ではなく、実際は中ソが米国への核攻撃を匂わせたため、米国は核による脅迫という外交で負けたのである
特攻が嫌で徴兵から逃げた息子を親が捕まえたり、特攻するために出兵する息子を親もご近所も万歳三唱したり、
GHQに支配されても、やっぱり日本人の本質は変わってないんだと今回のコロナでも思ったよ
国難というか、困ったことが起こると先に精神論に持ち込んでしまう
日本人以外に頑張る系の自己啓発は基本的に「ダルい」という反応しか得られれないと思う
(そうすると従業員やチームメンバーがついてこなくなるため、上層部は妥協案や合理化を考える
良くも悪くも基本的に真面目、
だから、上の人間にその真面目さを体よく利用されやすいのだと思う
付け加えるなら、ズルをしてでも敵国に勝つ、ズルをしてでも勝って支配する、領土を奪うという「欲」がない
キリスト教だってプロテスタントは「合理的禁欲」という考え方が根本にあるため、
お金を無駄使い散財しない→いざというときのために貯蓄する→資本主義
という流れがあったが、しかしあくまで「合理的」禁欲であり、仏教のような無欲を良いものとは考えていない
そもそも、無欲になりたい、という欲で座禅や修行をしているというトートロジーがある(一休宗純
うろ覚えだが、アニメのコードギアスでもシュナイゼルには「欲」がなかった
欲や執着心がないことがかえってルルーシュに負ける敗因になってしまった
自己啓発などで欲や執着を捨てようというネタもよく散見されるが、これはバランスの問題であって、
欲や執着が自分を苦しめるなら量を減らすべきだが、欲や執着がなければなんの成功にもたどり着かない
老後になったらオレオレ詐欺で無一文になっても構わない、なんてことはない、
それでは明日から生きていけないわけで、死ぬまでお金や何かに人間は執着するべきなのである
そう考えてみると、この国はコードギアスのシュナイゼル側に似ているとも思える
欲や執着心が足りないのに、「美しく」勝利しようとする
これが自分には良くないように思う
「美しい国」だの「国家の品格」だの言い出した時点で、アベはシュナイゼルにどこか似ているように思う
持論だが、まず「美しく勝とう」などと考えてはならない
大切なのは「みっともない形でもまずは目標を達成する」ことである
ダクトテープによるプロトタイピングとか、まずはみっともなくても完成させる、目的を達成することである
この段階から「軍神」がどうのとか、戦場に美的感覚を持ち込みすぎてはならない
勝利よりも何よりも、まずは目的を細分化し、その1つ1つをみっともないながらも達成していくことである
そして、そこから今度はそのみっともないものをブラッシュアップしていくことである
私は格闘ゲームをやったことがほとんどないのだが、人間がコンボを入力するのはバカげている、
キー操作を記録して一発のキー入力で技が発動できないか、みたいなことを考えるのである
WWIIの日本は、根性でみっともない形で達成しても、それを合理化、単純化しようとしない傾向があるように思える
また、そういった合理化や単純化を悪としたり、そういうのは美しくない、みたいな余計な美観が介入しているように思える
ズルをしてでも勝たなければならない
軍神がどうの、天皇がどうの、そういう美観を戦場に持ち込んではならない
そういう意味で、仮想敵国である中国はやはり良くやっているように思わざるをえない
ホリエモンだったか、自著の自己啓発本で「真似される奴になれ」とか偉そうに書いているらしいが、
真似をするというのは一位の背中にピタリと追随してスリップストリームを利用して走る二位のようなものである
そんな二位がゴール手前で一位を押し倒して一位になってしまうものである
たしかに「真似される奴」はオリジナルであり、ブレイクスルーを作り出すものであり、偉大な存在である
しかし、ホリエモンは起業家としてビジネスの歴史をそれなりに知っているはずではないのか?
ビジネスの世界で意外と最後に勝利するのは二番手だったりすることが多いのである
シュナイゼルについてうろ覚えなのでググってみたが、この文を書いていて、ついアベ氏と似ていると書いてしまったが、
goldhead氏だったか、安倍晋三氏がテレビで演説しているのを観て、
なんて空っぽで空虚な人なんだろう、みたいに思ったようなことをブログだかに書いていたと思うのだけど、
それは自分も同感であって、
安倍晋三氏=シュナイゼルと考えると意外と彼という人物を理解できる気がしてきた
まず、生まれながらにしてすべてが揃っているため「欲」がない、執着がない、
そして、「周囲が望むことを喋り、実行するだけ」の、
ある意味、気味が悪いぐらいよくできた長男みたいな人物だということだと思う
それが見える人には見えるのだけど、見えない人には見えない
なぜなら、安倍晋三氏が空虚に見えない人にとって、そういった一部の大衆が望むようなことを声高に喋るからである
自分のフラストレーションを代弁してもらっているような気分になるから、彼が空虚に見えない
しかし、その崇め奉っている彼は単なる「鏡」でしかないのである
端的に言うなら、二世だから出自が恵まれすぎている、生まれてこの方金銭関係などで大した苦労もない、
それが人間性に反映されて「欲」がない、
しかし、悪い意味で「いい子ちゃん」だから、周囲の望んだことを喋る、
そうやって有権者中の有力者の気持ちを代弁することで味方を増やす、勢力を付けるという戦法だったように思う
そう考えてみると、私はマシュマロ・テストというのがやはり解せないのである
今はルルーシュにくれてやるとしよう、みたいな台詞がうろ覚えだがあった気がする
もちろん、戦争であれ何であれ、意図的に負けてやる、忍耐みたいな姿勢も大事であることは理解できる
しかし、マシュマロ・テストというのはあれも極論めいた話であって、場合によるのである
では、目の前のマシュマロを誰よりも先に奪わなければ死ぬとしたらどうだろうか?