はてなキーワード: 実刑とは
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特に自家用自動車=マイカーはたかが個人の移動であまりにも害悪が多すぎる。
こういうと救急車も自動車だろとか言い出すおかしな人があらわれる。
だけど、マイカーを規制強化や課税強化で減らすことと、救急車などの緊急車両維持は両立できるわけでね。
結局、マイカーなんて極めて危険な有害物に依存せずとも暮らせるようにする社会施策である「コンパクトシティ政策」が最善。
都道府県別の、人口あたりの交通死者数統計を見てみると驚くべき事実がわかる。
都会ほど人口あたりの交通死者発生率が少なく、田舎(マイカー依存が深刻なほど高い地域)ほど人口あたりの交通死者発生率が高い。
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。
そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。
経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。
私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。
元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。
学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。
趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由が必要だった。
そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能の社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。
誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかわからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。
婚活で出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。
リスキーな投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。
首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。
いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。
法テラスに連絡して弁護士と破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。
「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。
職場で上司に暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件の当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。
もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。
もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。
看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。
私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。
少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。
そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。
私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似の事件はみんな実刑になっていたからだ。
しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。
そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。
警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。
会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。
そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。
不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。
東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道を反時計回りに一周し、小樽のフェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。
大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。
そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。
数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資を提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。
本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。
多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生に責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。
日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。
旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色でしかなかった。
旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮の役満人間である。彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。
だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまったことに変わりはない。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルのピースのように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期に孤独にしなくて良かったと今でも思っている。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
明日はマックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。
今回の選挙で自民党は全体の議席で15減だが、比例は6増だった。小選挙区は死票が多いし個人の人柄も重視されるし今回は野党共闘があるから小選挙区は国民の意思を綺麗には反映しないが、比例はそうではなくかなり国民の意思が綺麗に反映されていると思って良いだろう。
つまり、自民党が比例で6増というのは以前よりも自民党を支持する人が増えたと見て良いだろう。
自分の選挙前の結果予想では自民党は比例で微減だろうと思っていた。この数年間で自民党の議員の不祥事はかなり多かったと思っている。なので流石に「自民党はちょっと…」と思う人が増えたはずだ。別にそれが立憲民主党やら共産党やらに行くとは限らないが少なくとも自民党以外、今回で言えば維新に行くのが多いのだろうと思っていた。
しかし現実は微増とも言いづらい6増である。多くの国民はこの数年間の自民党の不祥事は特に投票行動に結びつかない些細な事柄であるとの判断の結果であろう。
これがとにかくつらい。
モリカケ桜は(自分は完全に黒だと思ってるが)まあ一応不起訴だし、納得いっていない国民の方が多いもののそこまで気にしないってのも(個人としては不満ではあるが)判る。なのでこの辺はとりあえず置いておいても、
この2件は「実刑判決」だぞ。大臣クラスの人間が国の運営システムに対する違反行為をかまして、それがバレて裁判して実刑判決が確定したんだぞ。買収の金だって自民党が1億5000万円出してるんだぞ。どう考えたって組織的な犯行だろ。
これで正直言って、自民党は30議席ぐらい減らして欲しい所だけどこの国の国民の考えからしてまあ微減ぐらいに収まるんだろうなーってガチで思ってたよ。いやー流石に選挙で買収して捕まって裁判して実刑判決が確定してるんだぞ。流石に流石に。
なんというかだいぶね、自分の立っている場所がフラフラと揺れて安定しない感じですよ。えーマジで買収しても OK なの?と。そりゃ暴れたくなるよそんなん。犯罪犯して裁判して実刑判決が確定したのに別に自民党がビクともしないとか自分の価値観に対する揺さぶりがモノスゴイですわよ。
やっと、(一時的に)主役になれそうだよな。
以下、ほかに書くところがないから、ここに書くわ。自分の気持ちの整理のため。
そもそも森友問題とか桜を見る会自体はまあよくある利益誘導の類いだと思うんだけど、あれの酷いところは公文書改竄・公文書破棄だよな。
後ろ暗いことやってないならそのまま出せばいいのに、官僚の人たち変に隠すよね。こういう政治問題化した案件は、良し悪しの判断は官僚自身がする必要はなくて、出すだけ出して国民の判断に委ねればいいのに、それをしない。
どうでもいいと思われているのかな、僕らこと。
検事総長の人事に介入して圧をかけるのもどうかと思うし、元法相が選挙買収で実刑もなかなかのパワーワード。「反社会的勢力の定義は困難」って閣議決定するもの、ウルトラCだよね。その発想はなかったわ。すごい!
僕らは普段、ルールをみんなで守ることが社会にとっていいことだし、大半の人は守ってくれる、少なくともルールを作る側の人は守ってくれると思っていて、「だから、自分もルールを守ろう」と考えるわけだけど、ここのところ自分の想像力の貧困に気付かされて、圧倒されぱなしだったよ。
僕らが間違っていたのかな。
ろくに説明しないで「具体的には答えられないが、俺は賢くて上手くやってるから大丈夫」みたいなアレ、一体なんだったんだろうな。
コロナで失ったものって、みんなどれくらいある?いつものお店・思い出の場所・憩いの場……。僕は結構いろいろあって、数えるのももうやめてしまった。
「光が見えてきた」って自分一人で見てどうすんだよ、自分じゃなく国民に光を見せるのが総理大臣の仕事なんじゃないの。
コロナで苦しんでいるのは誰もが同じで、完璧な対策なんてないとわかっているけど、だからこそ、「最善を尽くしてもこれなんだから、仕方ない。〇〇までは頑張ろう」って思いたいよね。思わせてほしいよね。でも、こちらに対して全然説得しようとしてくれなかった。
関係のない部外者だとか、馬鹿だとか思われているのかな、僕らのこと。
総裁選になってやっと感じが変わってきたよね。内容の良し悪し・賛否はともかく、どの候補も説明しようという意欲はあった。
当選した岸田さんも受け答えの態度も悪くないし、なんと驚くべきことに質問と答えがしっかりかみ合っていたよね。すごい偉業だと思う。信じられない。
やっと、見てもらえるようになったのかな、僕らのこと。(最近、ちょっと目が泳いでいるけど。)
まじめな話、そもそも菅おろしの背景には、8月中旬に行った自民党独自の衆院選情勢調査があったと言われている。その内容は、議席数が60±10減で、場合によっては自公で過半数が危ういという衝撃的なもので、その危機感から自民党内部の各所で強烈な不満が噴出したとのことである。
総裁選候補もこれをわかっているから、衆院選を意識し、自民党議員や自民党員というよりは、広く国民を意識したアピール活動を行ったわけである。(厳密に言うと、自民党議員に対して「私は選挙の顔として役に立ちますよ」とアピールしているのではあるが。)
なにが言いたいかというと、やっぱり選挙で意思表示しないと、我々は無視されるんだなー、ということ。いくら憲法で民主主義だ国民主権だと書かれていても、任せきりで放っておいたら平気でスポイルされるんだね。しみじみ実感したよ。
人って、ごくごく無邪気に身内をえこひいきするし、身内でない人に対しては公平でない。それは国家レベルでも一緒で、権力者の人たちも悪気なく同じようなことをやっている。
そろそろいい加減にしてほしい。あるいは、いい加減にしたい。
素朴な正義感情や信頼が踏みにじられても、訳もわからずコロナで多くのものを失っても、若い親子の乗った自転車が老人の乗ったプリウスに真っ二つに引き裂かれても、それでも一部だけの人のための社会のままなのか。
それでも我々は変われないのか。
そうは思いたくない。我々は変われるはずだと僕は信じる。
これまでその先輩と一緒になってプチパワハラ&もの隠すとかのガッツリいじめやってきてた主任がどこからともなく急に後ろから俺の肩掴んで振り向かせて
とか難しい顔で突き放すように正義感さながらにほざきやがったから、
俺が晴れて正式に無職になったあと、平日昼間にその主任の実家に行って大暴れして還暦過ぎたくらいの両親どっちも半殺しにして、
パトカー到着前に飼い犬を素手でぶっ殺して結局逮捕→実刑コンボ食らったんだけど、出所して3年経った今頃になってひょんなことからその主任が自殺してたことを知っただけどマジで理由が分からない。
あの主任の人間性からして俺がやったことなんかでとても自殺するようなタマじゃないことは断言できるし。
マジでなんでなんだろ。
俺が刑務所行く羽目になった経緯はフェイクなしで書いてるし、やったことが割と特殊だからもしこのエントリーを関係者が見たら一発で俺のことも主任のこともわかるはずだから、マジで教えて欲しいんだけど、主任は何が原因で自殺したん?借金とか?
俺が原因じゃないことだけは確信を持って言える。
ちなみに俺は今元気です💪😁✌️
俺は裁判ってのは
・人に危害を加えうる猛獣に調教を施す期間や殺処分の可否を設定する
って機能を持った精度だと思ってる。
そして、このどれに当てはめても責任能力がないことが無罪になる理由がわからない。
起こしてしまった犯罪という行為に対して「狂ってたから仕方ないんです」では犯罪者予備軍たちに「狂ってるふりすればいいだけじゃん!!!」という動機づけをしてしまう。
犯罪予備軍度が低い人に対して「でも狂っちゃったら裁かれるならもう頑張って生きても結局裁かれるかも知れないしバレない程度に犯罪してこ」と感じさせる部分はあるかも知れない。
だがそれだって「もしも狂っても犯罪をしない内に病院に行ったり、犯罪をしないように普段から距離を置いていこう」と考えさせる効果もあるはずだ。
危険予知運転の基本として教習所で「速度を低めにする。かも知れない運転はしない」と誰もが教わっただろうが、それらを道交法以外の部分にも応用していく。
狂ってしまった瞬間の自分の瞬発力を予測し、日頃から犯罪との距離をとり、そして近づいていると感じたら早めに病院に行く。
キチガイ無罪の否定はそういったことへの動機づけになるはずだ。
有罪判決によって懲役や死刑を課する目的の本質は、犯罪者を無辜なる者達が暮らす社会から遠ざけることだ。
そして、戻ってきても再び犯罪をさせないように調教を施すことである。
調教に失敗した場合のリスクを考えると生かしておくこと自体が不適切と判断した場合はもはや殺処分しかない。
犯罪者に対する処置は保健所による害獣指定と大枠は変わらない。
実刑判決を受けた人間は人権の何割かを奪われ、そのへんのペットよりも悲惨な階級の生物となる。
さて、それでは気が狂っていたから責任能力がないとされた人間はこの調教を逃れる権利を与えられるべきなのだろうか?
与えられるべきではないだろう。
狂ってしまったからといって犯罪を犯しておきながらキチンと処罰を受けなければ、犯罪に対しての価値観が歪んでしまう。
さながら某アーチストが過去の障碍者イジメをイキりながら自慢したように、歪んだ価値観からは歪んだ行動が生まれるばかりなのだ。
歪み始めた価値観を矯正するためにも、治療と並行して刑務所での調教も施すのが本人のためではないだろうか?
もちろん、一時的な狂気によって外れたと思われるタガが殺人と行った禁忌にまで及ぶのならば殺処分も検討していくべきだ。
ここだけは少し悩ましい。
その需要とはなにかといえば、究極的に「悪いやつは裁かれる。正しいやつは裁かれない」というシンプルな勧善懲悪論の肯定だろう。
人類全体の教養レベルが向上したことで、現代人の道徳観は昔ほどは短絡的でなくなったにしろ、未だに基本的な部分はこのシンプルな理論に基づいている。
そして、裁判というシステムの需要はこれによって支えられている。
裁判においてキチガイ無罪が成立すべきか否かとは「キチガイ故に犯罪をしたものは悪いやつなのか?」という命題に置き換えられる。
悪いやつという曖昧な定義の中身に「実際に犯罪をしたら悪いやつ」「望まずに犯罪をしたのならギリ正しいやつ」といったものが含まれている。
これらの衝突によって生まれた歪の間でキチガイ無罪は宙に浮いている。
時代によって変わっていく価値観によって、最近の社会では多少人間として欠落していても許していくべきという方向で世界はまとまっている。
が、それでもなお「人に大きく危害を加えないなら」という注釈がつきがちだ。
そしてキチガイ無罪に対して考えるべき点は、「現代の精神医療を持ってすれば多くのキチガイが治るキチガイである」ということだ。
強い薬の服用によって元の人格が歪むリスクや様々なホルモンのバランスが崩れる可能性もあるが、それでも治せるキチガイの数は非常に多い。
そうなると現代の価値基準では「人に危害を加える前に病院に行く選択肢もあったのに、チンケなプライドや我が身可愛さにそれを忌避した時点で悪いやつ」となるのではないだろうか?
道徳観が進歩したからこそ多様なあり方が肯定されたが、同時に医学が進歩したことでキチガイで有り続けるという愚行権の行使が許されにくくもなってきている。
ロボトミー手術を受けろと行っているわけでもなく、単に1日3錠のカプセルを服用しろというだけのことを嫌がって、人に迷惑をかけることが、現代の道徳では許されるのだろうか?
許されないことのほうが多いだろう。