はてなキーワード: 大家族とは
私個人としてはさ、反対でも賛成でもないんだけどさ。
困った時の対応とか壊れた時の修理とかみんなでしてるのを恩恵ないものを現金で戻す仕組みだと、必要時に全額実費になるよ。
公共事業やら公共サービスやらを減らして、必要ならば支給されたお金ためて使うときに使うか、使わずに済んだ人は現金として使ってOKって話なんだよ。
人が多い所だとゴミ処理やトイレ、道路の整備や治安や電灯、ベンチ、公園なんかの整備にお金がかかるだろうね。それか無法地帯。
ゴミ箱がないから商売やめるかみんなで支給されたお金から共益費捻出するかになるよね。
田舎で人がぜんぜんいないところとか使わずに済むとか私有地がやたらひろいとかだと公共事業や税金で投資する分が全部返ってきて自由につかえるかも。
問題があるとすれば、全部貯金にしないと公的なサービスでまかなってたものが無くなる不便になる、だろうけど失ってみないとわからんよね。やってもいいのでは。
公共事業が小さくなるから入札とか公共事業で仕事とってたところがなくなるね。小さい所とか起業したてのところとか。
大手で老舗にだけ仕事がいって、お金もちだけ公共投資して、都市部の周辺はスラムになって、田舎に金持ちが済む構図になるかも。
それだけだとそんな今とかわんないかな。今お金が少ない人は我慢さえすればお金がもらえる、我慢の分が現金化できる体系になるね。
税金で仕事するのが減るから、今現在ではなにが減るかわからないけど減った分の仕事や消耗品は民間企業から各個人が現金で買うことになるね。
いまでもNPO活動と称してホームレスなどの支援の活動をしてる団体の闇ってあるけど、知らないよね。あんまり話題にのぼってないしマジで闇なので。
ホームレスしてた人がなぜかアパートに住んでるのとか見かけたら話きいてみたらいいよ。支援のお金かすめとるサービスとか人間を家畜以下に扱ってるの今でも実際あるからね。
それ系も一番手っ取り早くまとまったお金が入る商売として成長するよね。それを取り締まったりするための組織とか費用とかは、そうすべきと思った人からの現金になるから本当に必要なものは淘汰されそう。
そのうえで悪とか闇があったとしたら、必要なものなんだとおもうし気になるね。見てみたい。
かつての日本は公共事業を大きな規模でやって全国に仕事ができて全国で平均的な都市整備ができてたけど、これ各自が必要だとおもったら各自の現金でやってねってことになる。
そんな集団行動とか都市単位での計画とか、周辺地域とか国全体としての計画とか行動とか、出来るものなのかなっていまの日本の緊急事態対応とかみてると疑問だよね。
資本主義にのっとってほんものの資本主義ってものが現実になったところもみてみたいからどっちでもいいと思うよ。実現してもしなくても。
ただ、これからの社会を担っていく人にはどっちにしても高負荷でもうしわけない。こちらはもうどっちになっても延長戦みたいなものだから政治とか制度とかも物見遊山なのでもうしわけない。
実現すると全体的には空きスペースも整備していた余力を、稼働スペースに移すことで稼働率あげることになるかとおもうから、稼働中で率のいいものはさらによくなると思う。
低いものは淘汰されるし新規に行動するのには莫大な資金が必要になるとおもう、つまり発展は大規模資本のある人にかぎられる、大規模資本がないとなにも始まらないので平民と富豪は血族的に交わらなくなるかも。
お金持ちだけがお金をあつめて、お金持ちの下につく人だけがその恩恵をうける構図にはなると思うけど、もちろん逆転もできるし永劫に貧民だという絶望も絶対ではないので。
たとえばの話みんながどれだけ努力をしてもロスチャイルド家に名を連ねることはないよね。
でもロスチャイルド家に入るのは絶対に可能性がゼロなのか無理なのかと言われたら、以外とそうでもない可能性があるよね。
超絶美人になって嫁として入るか、希代の天才として事業を成したら婿として入れるとか。
これ経済の基本である人間の数で簡単に出るよね数字的には。100万人のファンがいる美人だと100万分の1の確率でもあるし100万の倍率がある価値ともいえる。
ビジネスで100万人の顧客があれば一人の個人からみて100万倍の収益があげれる。ユーチューバーとかいるよね。
素質があるなら伸ばせるところまで伸ばしたら、その性能の限界まではトップに近づけると思うよ。
ただ貧困にあってはそんな偶然ほんとに奇跡だよね。じゃあ望みはないかといわれたらあるから大丈夫。
一人ずつの持ち分がすくないから、じゃあどうするかって、上のそれ、100倍にするなら100人あつまればいいんだよね。
組織化したり大家族化したり、独占禁止法に抵触しない程度に談合したり、そう、人数あつまればできないことはないんだよ。
お金って人間の時間を数値化したものだと単純に考えたら、人数が増えたらそれだけ増える、闇のところでも書いたけど人間飼ってたらそれだけでもその分お金もらえちゃうんだよね。
反社会的な組織とか、どうみてもまともに仕事とかできない人を集めて、まともに仕事してる人より利益をえているか不思議だよね。
ただ人間の数があるだけでも強みになるってとこかも。
具体的にいうと一人の時間も二人になれば倍になるよね。二人で仕事をすれば一人の倍できる。その上で仕事って何って話だけど、サラリーマンだって一日ずっと仕事してるわけじゃない。
一日9時間なり10時間なり仕事してるとしたら、それ以外時間や仕事中でも仕事と関係ない時間を割いてしまってる。
書類を渡すのに待ってる時間とか、移動のちょっとした空き時間とか、先方の連絡待ちの時間とか、食事やごみ捨てや清掃なんかも。
その仕事にもならないから無料の時間で自分でやってる事を、それだけをするので一人につき10分や20分といった時間を仕事に割り当てる人がいたらどうなるか。
そんなもので生活はしていけないかもしれないけど、それを統合してひとまとまりにするとまとまったお金になる。そういうことだね。
でも他人とのコミュニケーションとか面倒だし、パーソナルスペースで自由になれる時間も欲しいし、なにより集団って悪いイメージって文化がしっかり醸成されてるから難しいとは思うけどね。
地域や仕事でよりしっかり集まっていかないと、個々に分散すると一人になったところからやられていく、そんな感じ。
大企業が大儲けしてさらに豊かになって、土壌も整えてさらに豊かになる、って憎いひどいって思うかもしれないけど、同じことだよね。集まってるだけ。
最初にだれかに声をかけて、二人になり、四人になり、八人になり、と大きくなってシェアを競り勝ち大きくなっただけ。みんなも最初からこれをやれば同じく大きくなるって話。
いまどきの風潮をすてて昭和初期から中期のむかしながらの生活みたいなコミュニティやコミュニケーションがその効率はよかった代表格の成功例みたいなものだから、できないことはないと思うよ。今なら。
でも一人がいい、指図されたくない、自分のアタマで考えたい、自由に好きなものを選びたい、そんな事が人としての幸福って感じにすっかり染まってるよね。
その幸福を得るために垂れ流してるコストは、二人になれば2倍になるのだから一人でいることはすでに等倍のコスト、10人で組織されたチームで生きる10分の一しか得られていない、30なら、ってとこ。
自分の公共福祉で使わなかった分が現金として支給されたとして、それを使ったら万が一の時の備蓄がないままだよね。使わないなら得してたけど使うとなったら大損。
そのリスクも使わないパートナーと使う自分で組み合わせればコストは半分に、組織化していけばもっと小さくできるし、使わないときの得はもっと大きくできる。
一人で100万人の従業員の100万倍の資本の会社に勝つには、いまの100万倍の成果をあげる努力をしないといけないけど、だから無理だって思っちゃうかもしれないけど。
そこであきらめるから貧困から脱せないのかもしれないけど、100万倍の能力を身に着ける方法をどうやったらいいかなんて考えなくても、できれば100万人の、そこまでいかなくても自分の一人から数えて何倍かの人数を集め、集まり集団で団体で行動をしたり計画をしたり、持ち寄ったりするといいんだよ。
ユーチューバーのフォロワーの数も、人数としていえば1フォロワーが人間でいうところの0.3人くらいかもしれないけど、やっぱり万とかいくとそれなりに大きいでしょ。
資本主義で民主主義な長所はそういうところだから、活かしていきたい人はがんばってほしい。
まあそういうのをするために自治体って集まりができて、政府ってのができて、国だったんだけどね。ここにきてあらためて解体っていうかたちの現金支給で還元ってのも、ありといえばありなのかも。
お金がないなら、減らしていくんじゃなくて、あつまってこ。そういうとこ気が付いていきたいよね。
大家族の母親が一番小さい子供をきょうだいたちが世話をしてくれて楽だなんて発言してて
テレビ番組だと下の子の世話をしているきょうだいの様子が実際に見れるため
上の子達が本当に下のきょうだいのことをかわいがってて世話をしているのがわかる
でも、ネットのインタビューや、親の話だけ聞いてる場合は上の子達の様子がわからないため、上の子達が自分の意志で下の子のきょうだいの世話をしているかはわからない
親っていうのは子供の支配者で、親に媚を売るため、親に嫌われないために下の子の世話をすすんでやっている上の子達だっているかもしれない。
親が脅迫のように「下の子の世話をしろ」と言っているのかもしれない。
まぁ、上の子達が大人になったときに、母親の毒母だったのかどうかわかるんだろう。子供のときはどうしても人生のコントロールを親にされてしまう。
子供たちが大人になり、自分の子供時代を振り返って、初めて自分の親がまともだったのか、毒親だったのかわかる。父親の多産DVではなく母親の意志でたくさんきょうだいを産んだなら、下の子の世話で上の子達を苦しめた母親は毒母だし、
上の子達も下の子達にもしっかり愛情を注いで全員まともに育て上げたのなら母親は聖母となる。
親の目というのはいい加減なもので、子供が親の手伝いを好きでやってると思ってるけど実際はいやいや手伝いをやっていたなんてことはよくある。
女児が母親の再婚相手に性的虐待をされて、母親は「女児が再婚相手の父親のことが好きだったから性的虐待をされていることをなかなか言えなかったんだ」なんて言ってるケースがあったが、もちろんそんなわけがなく母親が自分の落度で自分の娘が性的虐待を受けたと認めて自分のメンタルを傷つくことを無意識に避けての発言だろう。
人間っていうのは自己保身のためにいくらでも目を曇らせることができる。
これ、「子育てに理解のない社会」として叩かれるのが一般的だけど
子育てに入る前の学生時代、ベビーカーを邪魔だと思い、鳴き声に黙れと感じた人が、結婚して子供産むと「社会は無理解だ」と憤り
子育てが終わって、おじちゃんおばちゃんになると、またぞろ「無理解な社会」の仲間入りをする
そうでないなら、こんな問題とっくの昔になくなってる
んで、意識高い系の人らが、「日本社会をウエメセで批判」するのに、使い勝手がいいから、大声で批判されるが
実際には、邪魔だと思ったり、煩いと感じるのが普通だから、大声の批判があるだけ
核家族化で云々だの個人主義が云々だの言われるが、大家族の昭和からあった問題だ
それとな、親類や地域社会を切断して、相互扶助なんて捨て去って個人主義に走った人らが
自分が困ったときに唐突に(自分を棚上げして)「社会の無理解」に憤るのはよくあることだが
それでも自分が楽しようと思った人らは「子育てシェア」という都合のいい関係を構築する
無理解?
業務用って製品化して売って利益がでるロングラン商品ってことだよ
でかいとか手間の簡略化されたとかそんなやつ
一商品当たり10円の利益ができるたこやきを焼くのに10セット分じゃ利益とは言えないでしょう なので100セット分とか
もちろん製造設備とかある業務をしてるところ向けという事で下処理してないとか客に出すためには内容を仕分ける必要があるものとか
ふつうは業務をしているところって原価をできるだけ下げるために卸から買うのだけど安定した繋がりが必要だし卸側も供給量があるのでだれとでも商売できない
たこ焼き屋さんが毎日たこ焼き焼くためには卸が品切れされても困るよね
近所で喫茶店やってる人がメニューにホットケーキを出したいとかなった時に「ホットケーキ製造販売業」するに金銭コスト的にたえうる材料をうるのが「業務用」
もちろん家庭用をつかってメニューにいれてるところもあると思うし卸とつながりがあれば定期購入をしてレギュラーメニューを作ってるところもある
大家族でこれ外食にしたほうがよくねってレベルの消費をするのなら業務用を買ってきて業務的に調理をしたら「実家が飲食業」レベルでお得にはなるだろう
実際業務スーパーに仕入れにいける範囲の飲食業は仕入れにつかってたりするよ
ただ業務スーパー側も大規模施設の提供みたく余りが出た分を処理したいので食べ放題店とかバイキング店とかみたいに一般客が入れるようにしてる
あとついでに業務で飲食してるなら卸から買うべきだろって思うだろうけど卸をつかうのも大変
卸側もメーカーから買い入れて自社の資金内で売ってるので量も限界があるし、購入量を安定させる契約をしてるのであまったら買わないとか少ないから多くしてとか効かない
一定量を定期的に購入する契約をして値段を下げているから卸に繋がる販売先もどこでもいいとはならない
なので卸からあぶれたら商売できないのかといえば、業務何々というところから買って商売したりする
安定した卸先以上で大量仕入れをしているところはあまりがでるから、あまった分を一般客に売ってる
業務用と激安スーパーの違いは「業務用」にできるか つまり業務をつづけるのには買い続ける必要があるよね
パソコンの業務用とかも同じで「その商品の替えがいつまであるか」ということ
激安スーパーは現金仕入れで都度交渉の毎に仕入れてきて売るので来週、来月には売切れたらもう入荷はないとかになったりする
仕入れが尽きたら休業するのかということだね
パソコンの業務用も「パーツの製造期間が5年、10年あります」という保証で動かし続けることができるというのが売りで安いわけではない
子供の数が増えることが少子化対策で、子供の数が増えないことは少子化対策ではない。
お前のような数字について考えたくない数学嫌いのお母さんが考えるのとは違って、福祉は少子化対策ではないし、貧困対策は少子化対策ではないし、教育も少子化対策ではない。
究極、国民の全員がバカで、テレビの大家族一家の父母みたいな考え方のやつが増えたら、少子化対策は完了するんだよ。
ていうか、少子化が起きてなかった状況はそれ。
少子化対策についての政策がお出しされたときに「政府はバカ! もっと福祉に金をはらえ!」的なトンチンカンなことを言わなければいい。
この文章はTwitter上の久我雅大氏 @4wk2wk0 のツイート
https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329951527230816258
夫婦別姓に反対の方、
反対のその理由を教えて下さい。
https://twitter.com/StudioBiSHOP/status/1329967345914114048
に対する再反応
https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329980375389544448
(ブログ、noteその他長文を書ける場所を他に持っていないので、ここをお借りします。)
御用とお急ぎでない方はお付き合いを。
まず前提として、
「組織だって統制と互助の行き届いた集団と、バラバラの個人主義者の集まりが集団戦をやったら、前者がほぼ間違いなく勝つ」
という考えがあります。
野球のように正面から戦う場合だけでなく、企業の生存競争とか、一族郎党とかの生き残りでも同じです。
オオカミと同じように、人間も集団で狩りをして生存競争をする生物なんです。
これは婚姻関係を肉親関係ととらえて、血族の規模を拡張して生存能力を高めようとする考え方です。
今でも伝統的な結婚式では「〇〇家 □□家 結婚式」と表題がかかげられます。
べつに天皇家や(安倍元首相の)岸一族や鳩山一族に限りません。
ちょっとした旧家では今でも結婚を機に両家の交流をつなぎ、コネや情報を融通しあって血族の存続をはかる営みが普通に行われています。
縁戚の子供を預かって面倒を見たり、分家の秀才の進学費用を融通したりと、大家族にはそれなりの長所があるんです。
自分の実家でも、妻方の姪が進学した時に下宿代わりに長く居候をしていた時期がありました。
年の近い叔父が自分の就職相談に乗ってくれたこともありました。
もちろん、大家族のもとで不遇をかこった人の存在は否定しません。
ですが、その人たちのルサンチマン(うらみ)の声と、家族制解体の声ばかりが最近は強すぎます。
「人間関係のしがらみや支配はうっとうしい、だから婚姻は両性の合意だけで成立としよう」
というのは魅力的です。
最新の人権思想とポリティカル・コレクトネスにも相性がいいので普及しやすいのは分かります。
ですがね。
そうやってトレンドに乗りやすい人たちがバリバリと旧来の家制度を解体していく、そのいっぽうで、名家、旧家(いわゆる上級国民)はコッソリと血縁集団の枠組みを維持して、自分たちの資産(カネ、コネ、権力、総合して生存能力)を温存・成長させて行くように自分には見えます。
本来なら、カネとコネと社会を渡る知恵、総じて資本と呼びますが、そういう資本に恵まれない人たちこそ、血縁と閨閥で団結しなければならないはずなんです。
自分には、夫婦別姓というのは、そこに象徴的なクサビを入れる行為に見えます。
とおっしゃるかもしれませんが、それでは嫁入り先、あるいは婿入り先の親族との互助関係についてはどうですか?
一段、薄くなったような感じがしませんか?
ですが、目先の自由さにとらわれてバラバラの弱い個人として生存を余儀なくされたら、資本に恵まれない人はますます悪条件で生きていくことになってしまいます。
目先の自由につられたワナ、については、自分のような古い人間には苦い経験があります。
(目撃経験ですが)
「組織に縛られる生き方なんてダサいぜ!」という主張が雑誌や映画に載りまくって、少なからずの(流行に乗せられやすい)人たちが正社員登用の努力をしないで、時間配分もワークスタイルも自由なアルバイトの掛け持ちを選択しました。
いっぽう、そこそこ良いレベルの四年制大学にいた自分の周囲は、そんなブームには目もくれず就職活動に没頭して大手から中堅レベルの企業に「所属」していきました。
結果はあきらか。いまでは非正規雇用の中高年たちが大問題になっています。
社会運動家たちや最近のネット世代は「新しい時代は自由人の連帯が大事」といって、血縁によらない互助組織やサロンを模索する人もいますが、自分は疑っています。
理由としては、
ここはやはり、大家族制のように最初は子供として所属して、長じて貢献を果たし、やがては家父長制の長または重鎮として判断をふるう。という育成システムのある「家制度」の方が、長い歴史の陶冶を受けている分だけ、一日の長があると自分は考えます。
というわけで、
「夫婦別姓の容認」というのは、ささいな制度の変更に見えて、その方向性の先には
VS
の二極分化が待っているように見えるのです。
……こんな感じです。
いかがでしょう?
日曜午後6時半から30分の8チャンネル、フジテレビとそれをはじめとした関西テレビなどの系列局は確かに民放とはいえ、国の政策によって法的に保護された極めて公共性の高いそのような貴重な放送資源を、後進や若い世代に明け渡すことなく平然と占有し居座り続け、これからの日本を成長に導くこととは明らかに無縁であると今更わかりきっているはずの昭和の大家族の価値観を、あろうことか昭和とほぼ同じテンションで国民に押し付け、当の国民もそんなこと実際は夢でも実現できるわけでもないと頭でも心でも既にわかっているのに、にもかかわらずこれが永遠の模範であるとして無意識下にまで刷り込まれ、実際はそれどころではなく結婚や安定した労働環境、ましてや明日の収入すら覚束ない人間も相当数いるというのに、これが古きよき日本正しい日本とでも納得した風な顔をしてヘラヘラして、本当はふざけるなと怒ればいいのにこういうときだけ腑抜けになっちまいやがって惰性でそんなのをありがたがって見つづけてるから日本がますますダメになって、もはやお隣の韓国や台湾にも経済的にも民主主義の成熟度でも追いつかれ、一部の富める者以外にとってはますます貧しい国になっているってことがまだわからないのだろうか。
本当に、まだわからないのだろうか。