はてなキーワード: 大家族とは
フィリピンとかでは働いて家計を支えるのは女性の役割で、男性は働かずにフラフラしてても大して非難されることもないらしい。
「女性は出産で働けない、働きながら育児ができない」というのも、東南アジアでは大家族で住んでることが多いから他の家族を頼るだけなんじゃないだろうか。
結局のところ、日本の女性が男性に収入を期待するのは「そういう文化の社会だから」でしかない。そうじゃない文化の社会も実際成り立っているんだから。
昨日とある増田に書き込んだところ、他の増田に「セックスのことばっかり考えてるんじゃないの?」とコメントいただいた。
よく、高度経済成長以降に近代の家族制度が変容したことが語られる。
1961年の農業基本法の趣旨の一つは、大家族による人数をかけた従来の農業経営に機械化のメスを入れるものだった。
こうして農村部を中心に最後まで残っていた江戸時代以来の大きな家族というものが解体され、教科書で習うような核家族化が進む。
はてなでよく家族形態や婚姻形態の変化や現状の課題が俎上となるけど、その淵源の一つにこの法律を位置付けられる。
私はよく、こうした大家族から各家族への変化を「サザエさんのような家」から「クレヨンしんちゃんのような家」への変容と紹介する。
何と無くイメージできると思うが、一つ世帯に三世代が住みさらには「オジオバ」「オイメイ」が同居する形態は、近年かなり少なくなったと思う。
サザエさんの時代はまだこれが一般にイメージしやすかったのだろう。
クレヨンしんちゃんの時代になると、みさえは熊本、ヒロシは秋田からやってきて埼玉で家族を作る。
郊外に住宅が広がって平成狸合戦ぽんぽこみたいになる世代。ニュータウンの時代。
オマセなカツオくんや多感な年頃のワカメちゃんに、サザエさんやマスオさんはどう対処するのか。こればっかり考えている。
こうしたとき、波平さんやフネさんがいるってことはとっても重要だ。
きっと波平やフネは、それぞれの立場で子供達に姉のしていることを時に上手く見せないようにしたり、時が来たらしっかり教えたりとかしていたのではないか。
少なくとも、大家族の形態ではそうした機会を持ちやすいのではないかと考えている。
一方、クレヨンしんちゃんの家庭ではなかなかこういうことは難しい。
初期クレヨンしんちゃんで、みさえとひろしが夕食の時に今晩セックスしたいかどうか子供にバレないように特定のサイン・符丁を出して確認し合う場面がある。
しんちゃんがこれに気づいて乱入してきてギャグになるのだが、非常に象徴的なシーンと思う。時代は変容していることがここからはわかる。
核家族では、子供への教育や性生活といったものが、夫婦に集中して責任としてのしかかるのだ。
もちろん家父長主義的な家族形態に戻るべきという主張をしたいわけではない。
大家族のデメリットを克服しようとして現代がある(とナイーブかもしれないが信じたい)。
ただ、平成狸合戦ぽんぽこに一抹の寂しさを見るように、個人的にはここにはかつてへの憧憬がある。だからサザエさんとマスオさんのセックスばかり考えてしまう。
今を生きる現代人として、現代にとってより良い、より楽しい、よりポジティブな、より効率的な、より費用対効果のある家庭像あるいは地域社会像というものを常に思索しながら、自分も家族と日々を過ごしていきたい。
きほんひとりが同情枠というか、ザ・ノンフィクションとか大家族ものの不幸さをみて楽しみたい層の需要をうまく取り込んだのに対して、妻子なし派遣で売り出したやっちゃんねるがバズって浮かれて撃沈したのってほんとヘタクソだったな
田舎にはまともな家が無い。特に、自治体が「空き家バンク」に登録するような家は。
テレビに出てくるような風格ある古民家は家主が手放さないか、すでに誰かが手を付けており、残っているのは単なる安普請の「中古民家」だけだ。
戦後から昭和40年代にかけて作られたそのような家は、貧弱な設計と建材によって断熱性も気密性も低く、夏は暑く冬は寒い。
外壁は一様に茶色いトタン板で、屋根は青いトタン板。大家族での生活がまだあった時代のため、間取りは二間続きの十畳間など、不必要に広いものが多い。
またトイレも問題だ。下水道の無い集落では汲み取り式が標準で、ほんのちょっと改修してあっても簡易水洗式。どちらも外に突き出した臭い抜き煙突(臭突)でそれと分かる。
きちんと合併浄化槽にリフォームしたような家もあるが、そのような家は家主かその縁者が住んでおり、そもそも空き家にはならない。
さらに都会では引っ越しの際、家財道具はすべて運び出し、空っぽの状態で明け渡すのが常識だが、田舎はそうではない。空き家の場合、なぜそこが空き家になったのかといえば、
息子や娘が次々に就職や結婚で家を出て行き、最後に残った高齢者が介護施設に入所したからだ。こうした場合、高齢者は「いつか戻る家」をわざわざ片付けようとはしない。
息子や娘もそう考える。そうこうしているうちに高齢者は施設で死ぬ。空き家となった家には高齢者の家財道具がすべて残ったままだ。年に一回来るか来ないかの息子や娘も、
手間と金のかかる家財の処理を先送りにし続ける。家そのものを解体するにはもっと金がかかるし、更地にすれば固定資産税が上がる。
ただ放置することが合理的な選択となり、中古民家は補修もされず、しだいにおんぼろ中古民家となる。
そんな無価値な住宅を、都会から来るアホな移住希望者に当てがって賃料をとり、あわよくば売却しようというのが「空き家バンク」。
臭いや水分のある生ゴミをまとめて市のゴミ袋に入れるとき、洗面所やリビングなど、各部屋に設置しているゴミ箱の袋、取れた野菜や果物のお裾分けの際の袋、全部レジ袋でまかなっています。その他、細々としたことに、レジ袋は必要です。
他の方が言っているように、コンビニでちょっとした食品を買って、食べたらそのまま入れて捨てられる、というのもよくやっていました。
レジ袋を海に捨てる方が問題なのであって、末端の末端、山間の一軒家に住んでいる主婦には、レジ袋有料化は青天の霹靂でした。あれよあれよと決まり、周りの主婦の方々からも不平不満が絶えません。
今はまだ、ストックしていたレジ袋でどうにかなっていますが、これから先どうやっていったら良いのかわかりません。子供からは、「100円均一でまとまったレジ袋を買えば良い」と言われますが、そうするのと、毎回の買い物ごとにレジ袋を買った方が良いのか、悩んでいます。
買えば良いじゃないか、と言う方もいらっしゃると思います。感情的な回答になってしまうのですが、今まで無料でいただいていたものを購入して、それを消費するゴミ袋にする。その一連の流れに、まだ私はもやもやと悩んでしまっているのです。吝嗇だと思われるかもしれませんが、大家族で、尋常でない量のゴミが出ます。
余談ですが、しまむらは環境に優しいレジ袋を無料で配布しているので、とても助かっています。ありがとうございます。
(返答)
すみません、大家族の認識が間違ってました。6人家族です。生ゴミのやつは使っていません。JAの麻袋?麻袋を使うのですか?うちの田舎では全く流通していません。認識不足ですみません。
チキンを使うカレーがあまり評価されていないようだったので、チキンを使うカレーの作り方を書いておく、チキンを使うカレーと言えばスパイスカレー(インドカレー)だ、
スパイスカレーは悪い意味で過大評価されている、つまりは、スパイスを混ぜ合わせるせいで面倒くさカレーと思われているのだ、これはいけない、スパイスカレーの利点は本来、調理がごく簡単なところにある、カレーは日々の料理だ、簡単なほうがいい、俺がスパイスカレーを作るのは非常に楽だからだ、
わりと凝っているインドカレーには、前もってホールスパイスを炒める工程だとか、肉をヨーグルトにつけておけだとかめんどくさい工程が沢山あるが、面倒くさい工程を出来るだけ省いて、出来るだけ少ない準備と手間で作る方法を書く、
《材料》
・たまねぎ 2個くらい
・鶏むね肉か鶏もも肉 食べたい分だけ
軽量という行為はめんどくさいので、できるだけ適当に書く、チューブじゃないほうが美味しいとかムラサキタマネギを使えだとか色々意見はあると思うが、慣れれば好きにアレンジすればいい、
・クミン
・塩
・サラダ油
一応スパイスカレーの名目なので、基本的なスパイスは面倒くさいと思うけど書く、恐れなくても、普通のスーパーや百均に置いてあるスパイスだ、
不満があれば、別にこのスパイスじゃなくていい、クミンさえあればなんとなくそれっぽくなるし出来合いのカレー粉を入れたっていい、
《作り方》
①タマネギを炒める
③スパイスと塩を加える
④肉を加えて炒める
⑤水を入れる
⑥少しだけグツグツさせたら完成
非常に簡単に書いた、これだけでスパイスカレーは完成する、簡単なものだ、みんなも是非作ってみてほしい、
ただ、これだけでは少しわからないと言う人もいるかもしれないので、この下にもう少しだけ細かくかいた作り方も併記する、併記して細かくしてしまった分のお詫びとして、手抜きの仕方も書くので許してほしい、もうわかったという人は、これでできるので作ってみてほしい、
✳︎
作り方(細かい版)
※(注意)フライパンで作る
(ポイント)
素早く、早くスパイスカレーを作るに当たって1番大事なポイントは、発想の転換だ、つまり、スパイスカレーというのは煮込み料理ではなく、炒め料理なのだ、
お前が大家族でもない限り、鍋でカレーを作ろうとするのはやめろ、フライパンで充分だ、その方が色々とはやく、手軽で済む、
①タマネギを細かくきざんでおく、肉を食べやすい大きさに切っておく
(ポイント)
タマネギを刻む、今回の料理の中で、1番つらく、めんどくさい工程だ、これが唯一の面倒くさポイントなので、ここくらいは乗り切ってくれ、
それすらも面倒くさいやつは、しょうがない、フードプロセッサーをポチれば、これすらも一瞬で終わる、Amazonで3000円ほどで買えるし料理への心理的コストが大幅に下がるので良い、
(ポイント)
温めてから油はひくものらしいが、めんどくさいなら気にしなくていい、油の量は多いかも?と思うくらいでいい、スパイスカレーというのはそういうものだし、この油が調理時間を短くしてくれる、それから火は強火にしろ、
③たまねぎを炒める
(ポイント)
よく言われる飴色になるまで炒めるという工程だが、心配しなくていい、強めに熱せられた多めの油はたまねぎたちをすぐにジュージュー言わせる、
こげそうで心配になるが、最初の20秒弱くらいは待って問題はない、少し待ったら、こげないようにヘラでだらだらかきまぜていく、
全体に軽く塩をふると、塩たちはたまねぎの水分をはやめに飛ばしてくれる、するべきだ、
もう一点ポイントだ、水分が飛んだなと思ったら、ほんの少量の水をさす、するとジュージュー良い音を立ててたまねぎたちが良い塩梅になってくる、
炒める→水を飛ばす→差水をする→水を飛ばす
この工程を2度ほどすると、ほんの数分もしないうちに、たまねぎが飴色になってくる、
(ポイント)
にんにくもしょうがも、チューブの腹を思い切り押して出たくらいを使えばいい、焦がさないように注意、
その後にトマト缶、出来るだけヘラで身をつぶそう、大丈夫だ、かき混ぜている過程でやれば苦にはならない、
水分を飛ばしたたまねぎにトマトの水分が出されてしまうので、飛ぶくらいまでやる、わりとすぐだ、ここまでずっと強火のままだ、(手を休めたいときだけ弱火にすればいい)、
③クミン、ターメリック、コリアンダー、チリペッパー、塩を加えて炒める
(ポイント)
順番も、量もあまり気にしなくて大丈夫だ、ただ、スパイスを使うときは焦げやすいので、火を弱めてもいいかもしれない、
容器のままで、なんとなくふりかけていい香りだな、と思うくらいでやめればいい、あとから調整できないこともないし、スパイスは足しすぎてもひどい味にはならない、辛味の素はチリペッパーなので、辛いのが苦手な奴はそれだけ注意しろ、
塩は、多いかも?と思うくらいより更にもう少し多めにかけろ、それくらいが適量だ、まぁこれも、足りなければあとで足せばいい、
④肉を入れて混ぜ合わせる
(ポイント)
肉を入れたら、タマネギを入れて混ぜ合わせていたままの要領で、混ぜ合わせていく、肉に軽く焼き目がつくくらいがベスト、
⑤水を少し入れて煮立てる
(ポイント)
水を少し入れる、炒めた食材の半分ちょっと浸かるくらいだと思う、3.4食分で、だいたい100ccくらいだろう、
大事なことはこの水は煮立てさせるということだ、強火にして、グツグツ言わせろ、沸騰するのは水の仕事だ、わりとすぐ仕事を果たしてくれる、お前の仕事は、食材をこげないように、なんとなく混ぜておくことくらいだ、
⑥水を加える
(ポイント)
この時加える水の量は、簡単だ、お前が完成する時に想像するカレーの量か、それよりほんの、ほんの少しだけ多めにいれればいい、
今度はグツグツ音がしてきたら、沸騰させる必要はない、弱火にしよう、
⑦味見をする
(ポイント)
こんなの本来は工程でもなんでもない、だが、スピード特化で料理を作るやつほど、この工程をサボる傾向にある、
テキトーな分量とテキトーな工程でカレーを作っているやつの明暗を分けるのは、味見だ、味見ですべてが決まると言っても過言ではない、
いまお前の目の前にあるカレーのようなものは、実は、カレーであってカレーではない、味見をしてみてわかったと思うが、まだ味が落ち着いていないはずだ、あるいは、失敗してしまったと思うかもしれない、
大丈夫だ、スパイスカレーが適当でも作れる理由は、実はここで調整ができるという点にある、
味が足りなければ、塩を足そう、スパイスではない、スパイスカレーの味は塩にある、さっきの工程で俺は塩を多めにと言ったが、最初はびびって少なめにするのはよくあることだ、塩を足せ、
逆に味が濃ければ、水を足せ、良かったな、4食分と思ったカレーが、5食分になったぞ、お前は明日のことを恐れて、おかわりを我慢する必要がなくなった、
もし、塩を足しても、味が足りない、もしくは水を足しすぎて量が増えすぎてしまったというやつには、ウルトラCがある、水を飛ばせ、
火を弱めずに、そのままグツグツ言わせて、水を飛ばせばいい、さっきやった工程と一緒だ、なにも損なわれない、安心しろ、
最後に、なんとなく、カレーっぽさが足りないと思ったらスパイスを足せ、辛さが足りない場合はチリペッパーを、スパイスカレーの香りが足りないと思ったらコリアンダーを、カレー本体のカレー味が足りないと思ったらクミンを、それかなんとなくターメリックを足せばいい、簡単なことだ、やりすぎても問題はない、
⑧少しだけ煮込む(待つ)
(ポイント)
炒め料理とは言ったが、少しは煮込む、といっても5分〜10分でいい、暇なやつはもう少し煮込んだっていい、人それぞれでかまわない、皿やテーブルの準備をしたり、まな板などを洗っていればすぐ経ってしまう時間だ、
味見の工程があったが、当たり前だが、カレーをグツグツさせているときは味が安定しない、あそこでどうしたって正解に辿り着けず絶望しても、煮込んでみたら全然うまいということはよくある、味が落ち着いたな、と思ったら火を止めよう、
また、これは完全な余談だが、ここで生クリームとバターを少し加えればバターチキンカレーになる、なんだか満足できないやつはそれにすればいい、簡単な話だ、
⑨完成
(ポイント)
高校生。
母方の祖父母と家族とでなかなかの大家族、家族に不満がある訳でもないし困っていることは何らない。
流石に高校生の遊びに出せる程のお金は家にはないので、自分の買い物は全てアルバイトで稼いだお金を使っている。
両親も不仲ではないし、兄弟と私が仲が悪いわけでもない。
平均的な平和な家庭だと思っている。
でも早く家を出たい。
一人でいるのがただひたすらに楽なのだ。
青春と呼ばれる恋愛も人並み以上に経験してきたと自分では思う。
人間関係。
出会いがあれば別れもある、なんてよく聞くし、勿論そのとおりなのだけれど。
他者と関わらなければ生活なんてままならないだろうけど、出来る事なら最低限のもの以外は関係を持ちたくない。
自分でもよく分かっていないけれど、恐らく、やりたいことも将来成し遂げたいことも夢もない自分に自信がないからだと思う。
大人はよく「夢は努力すればいつか叶う」だとか「夢は持ち続けよう」とか、そんなことを言うけれど、そもそもの話、夢というものがどういうものでどうしたら見つけられるか、といった説明がされていない。
よく分からない自分が怖くて、それでも他人を頼れば助言はくれるのだろうけれど、自分は他人を信用しきれなくて、信頼しきれなくて。
そんな自分が嫌で仕方がない。
ともかく、一人になりたい。
順番が逆だろ。
大家族じゃなくなったから、広い家が必要とされなくなっただけ。
それに田舎でも核家族は普通にいた(兄弟が多いのに親と同居できるのはそのうちの一人だけで残りは核家族になるからな、
産む子供の数も、国の方針が「産めよ増やせよ」「子供は労働力」から
「子供は2人が標準、人口爆発怖いから産児制限しろ」「児童労働は禁止」に変わった影響が大きい。
日本人は昔からお上のいう事には従う。今でもコロナで罰則なくても自粛するくらいだし。
教育についても、高学歴の女性が差別される事なく職に就けて結婚も出来る世の中になったから、娘に高等教育を与える親が増えたんだよ。
医師は昔から(それこそ戦前から)数少ない女性でも就ける高度な専門職の一つだったよ。
女を受け入れる大学がほぼ無かった時代から女子医学専門学校が存在したくらいだ。
でも昔は女医も差別されていた。男医より能力がないとみなされていた。
医者ですらそうなんだから、それ以外の職業に就いている女は尚更。
そもそも「いいとこのお嬢さんは箱入りで学校を出たらすぐ結婚するのが当たり前。外に出て働くのは卑しい女」って認識。
そういう時代に、あえて娘に教育与えて働かせようとする親は少ないのは当たり前。
(娘が働かなくても食っていけるし、見合いでいいとこの男と結婚出来る層だからね)
娘の方も親に逆らって進学できる時代じゃないし、そもそも女が入れる高等教育機関なんて殆どなかった。
でもそういう時代じゃなくなり、かつての女子専門学校が女子大となり、女が大学に普通に行けるようになり、
むしろ学歴が結婚の箔付けとなるようになれば娘に高等教育を与える親が増えてくる。
最初は女子大の文学部や家政学部行かせて就職はさせずに卒後すぐ見合い結婚、なんて層が多くても
そのうちもっと実学系の共学大に行く女も、働く女も増えてくる。
それはウーマンリブやらの影響だったりするんだろう。
昔からいた、ろくな教育を受けられないまま食う為に仕方なく低賃金の肉体労働をするような下流の女だけではなく
高等教育を受けて知的職業に就く上流の女が増えれば「働く女=卑しい」という認識もなくなるし、上流だけではなく中流でも高等教育を与える親が増えてくる。
そうやって知的職業に就く女が増えればそれが当たり前となる。企業側も腰掛扱いするだけではなくちゃんと活用しようと考える所も増えてくる。