はてなキーワード: 三鷹とは
総武線で新宿を出て三鷹方面に向かうとき、中野で停車する時間が無駄に長い。誰も乗り降りすることはないのに列車はドアを開けたまま停まっている。この時間がほんとうに長い。停車時間は2分とアナウンスが入るが、この2分はぜったいに2分じゃないと感じる。中野から2駅あとの阿佐ヶ谷で降りる自分にはこれがいつも軽いストレスだった。
中野でこれから2時間停車と車内放送が聞こえたときには、聞き間違いだろうと思った。先週までは(たぶん)2分後に列車はきちんと走り出していた。だが乗客はどんどん列車を降りていき、車内には自分だけになった。東日本国有鉄道の業績が疫病のせいで傾いていると新聞に載っていた。そのしわ寄せが来るとしたら中野のような所なのだろう。しかたがないから降りたが、中野でなにかをするあてがあるわけでもない。
中野は阿佐ヶ谷に比べると殺伐としているので、本当に用事があるときでないと降りない。改札には人が立って切符に鋏を入れていて、SUICAは使えない。さんざん並んで一時降車証明書をもらって駅を出ると、乾いた小便の臭いが鼻を突く。駅の軒下には浮浪児がたむろして寝転がったり莨(たばこ)を呑んだり、片足の傷痍軍人がアコーディオンで天然の美をプカプカ弾いたりしている。
駅前に広がる街があきらかに茶色い。泥のなかに崩れかかったバラックがごたごたと並んで店を出して、どこの盗品かわからないようなベルトや万年筆、シケモクをほぐして干したものを売っている。食べ物といえばすいとんやじゃんぎ丼のようなものを出す屋台しかなく、労務者が地べたにしゃがみ込んで丼を掻き込んでいる。疥癬で背中がボロボロになった野良犬が物欲しそうにそれを見ている。
中野で途中下車する乗客をあてこんだ商売も出始めていた。ピンク色の法被に黒のスラックス姿の男が、新しめのバラックの前に立っている。そばを通ると、「発車までお遊びどうですか」と声をかけてきた。傍らの看板には毛筆で『列車ヲ待チナガラ花ビラ大回轉 一時間五千圓ポツキリ』とある。いくら時間があっても密室で接待を受けていたら疫病にかかるかもしれない。とても無理だなと思いながら通り過ぎると、サラリーマン風の男二人が店に入っていった。
最近都内で増えている屋外の娯楽がパブリックハンギングだ。中野駅前の広場にも櫓ができて、周りに人が集まっている。場所にもよるが1000円くらい払うと、櫓の上に設置した処刑台に人を吊ったり、自分が吊られたりすることができる。目隠しをした相手の首に縄をかけるか、自分がそうされるかを選べる。吊られた人はすぐに下のトランポリンに落下して大きく飛び跳ねる。野次馬は拍手したりしなかったりする。他愛ないといえば他愛ない遊びだが、最近なぜか流行っていた。世相のせいだろうか。
そんなに刺激を求めているわけではないが、スマートボールはこの前やったばかりなので、結局自分はうずら園で時間をつぶすことにした。入場料を払って囲いの中に入ると、うずらがたくさんいて地面を歩き回ったり、藁の上に休んでいたりする。その辺を探すと卵が見つかることがある。これは持って帰ってよいことになっている。うずらの攻撃を避けながら制限時間内に卵を探すだけの地味な遊びだが、自分はこれがけっこう好きだった。
駅から徒歩5分ほどのところにある中野のうずら園は、それなりの規模だった。囲いの中には植え込みがたくさんあって、2、30羽はいるうずらが好き勝手にやっていた。真ん中には丸いテーブルと椅子があり、ポットからお湯を注いでハーブティーを飲めるようになっていた。
ミントティーを飲みながらうずらを眺めていると、植え込みの中に先客がいることに気づいた。グレーのスーツにスカート姿の、髪の長い女性らしい人がしゃがみ込んで、両手で顔を覆ったまま動かない。
囲いのゲートが開いてまた一人やってきた。背の高いおじいさんで、白髪交じりの長い髪は何年前に洗ったのか不明なほど汚れていて、フエルトのように固まっていた。染みだらけの黒いベンチコードにピンストライプのスラックスをはいていて、左右の靴が違った。おじいさんは恍惚とした満面の笑みで、腕を上げてゆっくりとしたリズムの手拍子を打ちながらこちらに近づいてくる。手拍子は歌にあわせていることが、近づくにつれてわかる。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、あっ、おあいおああんあああお、ああいああんあああーお、ああいおあんあああっあ、あいおー。これはあれだ。植え込みにうずくまったままの女は動かない。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、自分は手拍子だけでつきあおうと思ったら、あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、電車の発車時刻はおあいおああんあああお、ああいああんあああーお、ああいおあんあああっあ、ああいおあんあああっあ、あいおー
どの道路もめちゃくちゃ渋滞してるのデフォ。下手すりゃ高速道路も。
電車で都心に出るまで激混み当たり前でしかもノロい。新宿までの出やすさを誇るケースが多いけど、東京駅品川駅あたりに出るのには絶望的に時間かかるオチが大半。
都下といえど東京なのに娯楽が異様にしょぼい。海遠いし。武蔵小杉とか溝の口に負けてる街ばかり。充実してるのはラーメン屋くらいか。
これなのに地価だけはいっちょまえにほとんどの神奈川千葉より別格に高いの凄いよな。どこに需要あるんだ。港北ニュータウンとか川崎の圧勝じゃねえか。
調布、府中、国分寺、国立、小金井、三鷹、武蔵野、狛江、お前らのことだよ。
人のこと田舎者呼ばわりするのは3代続けて東京住んでからにしなね、おのぼりさん?
好奇心で不動産価格調べてたら三多摩の値付けが明らかにゴミだと思ったので。
一部の地域では学校再開したそうだが、これは「未発症者を含め、感染者は把握できている」と想定できるから可能なことである。この想定が間違いだったら再び封鎖することにならざるを得ない。
逆に東京や札幌の場合は「未発症の感染者もまだいる可能性は低くない」し、現に「新たに見つかる感染者が毎日数十名出ていて、一定割合は感染経路が不明である」。神奈川、大阪、兵庫などの「2週間前はまだ感染拡大が続いていた」府県も現時点で安心はできない。
そして、どうやら「感染者のうち8割以上は他に感染させていないと推定されている」し、おそらくは「三密が全部揃った条件以外ではそこまで感染はしない」と推定されている。満員電車はそれほど人が会話しないから『密接』は満たさず、結果として東京でも満員電車利用者が多い三鷹・武蔵野・立川・府中あたりの感染者は少ない。町田・八王子は多いがこれは初期にクラスターとなった相模原市の病院やその周辺からの余波であろう。
では、三密を避けて学校を…再開できるかというと難しい要素は主に2つある
1.一部の教科の授業
グループワークやアクティブ・ラーニングは当面避けて、古典的なチョーク&トークでの授業が可能な教科については児童・生徒も教員もマスクをして(マスク入手事情は最近になって改善されているから何とかなるだろう)、教壇と児童生徒席の間にビニールシートを垂れ下げれば授業はできるかもしれない。
ただし、五教科でも英語や(特に小学校の)国語はやはりチョーク&トークだけでは授業として不十分で、一定割合は児童・生徒に発言させる必要があるから難しい。
五教科以外ならば体育(体育館は無理だろうし、校庭には物理的に限りがある。あと更衣室が三密になることを防ぐことが難しい)、家庭科などどうしても難しい教科はやはり存在する。
それらの教科を避けて時間割を組み直し、感染が収まるのを待ってからそれらの教科を集中的に行うのは教員が物理的に足りるかという問題も発生する。
2.スクールバス
そもそも学校はグラウンドなどの用地確保のために中心市街からやや離れた場所にあることが多く、特に多摩地区の学校は「最寄り駅からバス」が主な通学手段となっている学校も多い。
そして、「満員電車は感染源になりづらいと推測される、なぜならば互いが密接に会話しないから」と先に書いた。だが、スクールバス(学校保有のものに限らず、時間帯限定でバス会社が運行しているものも含む)はそうはいかない。
バスの中というのは当然密閉空間だし、どうしてもコストダウンのために満員に近い状態になっているバスは多いから密集状態である。そして、満員電車と異なり同じスクールバスに乗っている同じ学校の児童・生徒というのは知り合いに会う率も高く、結果として密接に会話してしまうこともある。「会話するな」と言って聞いてくれるような子どもたちばかりならば苦労しない。
ある大学生と一部の人の「中流階級」という言葉の定義の違いからその大学生のTwitterが小さく炎上している。
その学生は東大学部入学式の祝辞と今年の入試の現代文の文章を引用し、自分が恵まれていたことを振り返っている。
その際、自分の生まれが東京の中流階級であったという発言をし、その後の恵まれていた環境が多くの人の中流階級の定義から逸脱するようなものであったため、炎上している。
その後学生は自分の定義として社会学者の定義を引用し、批判の一部を反論を述べず晒しあげ、同調する人にのみリプライをした。
また、リプライの表示設定をよりプライベートなものにするという提案のリプライに賛同している。
以下ではこの件について意見を述べる。当該学生を攻撃する意図は全くない。むしろ私がハラスメントを受けているようにすら感じている。
=====
祝辞と現代文で扱われた文章のメッセージについて、今回の話に関係する範囲については、次のように捉えている。
祝辞、努力したら報われるという思考は恵まれた環境で育ったからこそ与えられる。それを忘れるな
入試の文章、現代では教育を媒介として格差が再生産されるが、その仕組みは一見平等に見える
当該学生は自分が恵まれていることに自覚的であることは重要であると解釈して、その旨を説明していると私は捉えているが、
多くの批判は学生が自信を表現した「中流階級」という言葉の定義の差から生まれているようであった。
言葉の定義の差なので当該学生のツイートになんら誤りはないが、学生が世間知らずとして批判されている。
祝辞や入試で扱われた文章から多くの人が連想すると考えられる、一部のインテリの自分の努力への自信や他者への誇示(努力マウンティングと呼ぶことにしている)の原因として、
世間知らず(自分の社会階層での位置を知らない)が強い要因であることは間違いないと考えられる。
学生の「中流階級」の定義の引用元については、おそらく20年以上前の社会階層を元に定義されていて、
現在の社会改装で「中流階級」を定義し直せば世論を反映するような、全く異なるものになるであろう。
ここ20〜30年程度の中流階級の喪失などはインテリなら一度は耳にしたことがあるだろうし、それを想起すればそういった使い方はしないだろうが、学生は知らなかったのであろうか。
学生が後からツイートで定義を付け足す様子は強引に見えるし、本来なら世間一般の定義を用いるべきであろう。
もし私が祝辞や入試問題の背景、さらに当該学生の意思を正しく捉えられているなら、
当該学生はまさしく祝辞や入試問題の背景にあるような世間知らずのインテリなのかもしれない。
また、中流階級の喪失がインテリの「世間知らず」をさらに加速させるのは明らかで、この不適切な定義の使用も皮肉なものであるように自分には感じられる。
「現代の著名な社会学者」という、内容ではなく発言者の権威で自分の主張の裏付けをとるような引用の紹介も、一応理系であった自分には不適切に感じられる。また、自分は学生より無知であるのは強く痛感しているため、むしろ小馬鹿にされている印象も受けた。
批判のツイートを、(裕福な家庭に生まれ、ゆがんだ社会構造の下で集められた税金で提供される高度な教育を受けた人間が当然義務を有すると考えられる)
理論的な反論をなしに、感嘆詞のみで引用リツートしているのも、意地悪さを感じてしまい、憤りと悲しさを覚える。
加えて、不愉快な批判リプライを表示しない設定を勧められ、その実施を宣言している。議論を放棄しているようだ。
こういった態度が、インテリへの不信感を生み、民主主義における反知性的な政治家の台頭を助長しているのではないか。
自分はこの20年ほどで先進国、特に日本やアメリカでは富裕層と貧困層の分断が進んでいて、それが人類の次なる悲劇に繋がるのではという悲観論を持っている。
そのためインテリによるこの分断を促進するような発言を強く嫌っている。
また学生の炎上に対して、学生を励ますようなツイートも見られ、それらの多くは学生の元々の認知の差について言及せず、嫉妬は放置しろなどといった態度も見られる。
自分の判断する限りそれらのツイート主も、分断の上側に属しているようだ。
このような分断を感じさせるやりとりを以前にも見た記憶がある。東京大学ミスコンテスト(東京大学でこのような催しが未だに行われているのは理解しがたい。ブサイク・ブスで東京大学に勉強をしに来ている学生の気持ちを考えて欲しい。テニスサークルの男女差別より遥かに重要性が高いと思う)の候補の学生があまりのハイスペックに炎上した(のだったと記憶している)際に、多くの東大生が、嫉妬は気にすんなよとリプライしていた。
また、学生はこういったツイートをすることで自分が努力をしていないと考えらえるのは嫌と感じるとしている。
私が例の入試の現代文の文章を読んだ限りでは、努力の因子も環境から与えられるため、努力やその能力は他人に対して優劣をつけるものではないと解釈できる。
ただ、私が文章を読んで思ったのは、負の環境も努力に正に働きかけ、しかしその中での努力は精神的に相当な苦痛を与えるであろうから、その苦痛の中での努力に対しては同情的な賞賛を送ることができるかもしれないということだ。
もちろん私はアメリカの素晴らしい大学院に合格していないし、勉強も全くしてこなかったため、私の推測は間違っているだろうし、推測も論理構成も正しくても、私は誤っているだろう。
なお、学生に対して、嫉妬は気にせず頑張れよなどとリプライを送っている人々に対しては、
私の考える範囲では、インテリに限り、どうして批判が殺到しているのかを理解していない場合は愚かだし、理解している場合は指摘するべきだ。
一応自分もこういった人たちと同じような大学を卒業しているが、こういった発言をインターネットで衆目の前で行う人間と同じ大学卒としてラベリングされるのは非常に苦痛だ。
なお、私は中流と下流の間くらいの家庭(過小評価している可能性は多分にある)で育ち、貸与・給付奨学金を利用しながら大学に通った。
経済的な理由で、家族の泊まりの旅行が5年に1回程度しかない家庭だ(海外旅行は20年で1度だけあった)。
進学実績のある高校に入学した時も、裕福な家庭出身の学生の多さに驚いたが、東京大学に入学した時の驚きはそれ以上であった。
裕福な家庭出身で、仕送りを沢山もらって一人暮らしをしていたり、お小遣いをもらいながら実家から通っている学生が多くいるように見えた。
彼らと同じように青春を謳歌しようとしたが(当時の自分はサークル活動や恋愛へのコミットに強迫観念を抱いていた)、家事やアルバイトの手間が多く、勉強がおろそかになった(文章から滲み出る頭の悪さからご理解いただけるだろう)。
理系だったので学年が上がるにつれ忙しくなり、しかしついぞ一度も集中して勉強することはなかった。
牢獄とも呼ばれる三鷹(場所が悪く通学時間が長い)にある大学の寮で、裕福な学生に対する嫉妬や自分の惨めさを日々感じていた。
都内の一等地に住む学生から、前年度に親が休職していたため、授業料免除の収入基準をクリアすることができた、と聞いた時には本当に気分が沈んだ。
就職活動においても、裕福で勉強に集中し、高い能力を身につけた学生に幾度となく遭遇し、格差を実感し、嫉妬と悲しみを覚えた。
貧しさが原因で、留年したり、退学したり、失踪したりする学生を何人か見た。例えば貧しい地方出身の学生が、家事やアルバイトをこなし、貸与・給付の奨学金を適切に申請し、その上で勉強に集中するのは、私には非常に難しいことに思える。
炎上した学生は違ったようだが、私にとって東京大学はまさしく教育を媒介として格差が再生産されていることを強く教えてくれる場所だった。
GDPが世界3位の資本主義国家の、最も優れた大学である東京大学は、当然教育を媒介とした格差について詳しく調査し、国内外に発表する義務があると思う。
私が知らないだけで、学生にアンケートをとって学生の家庭の親の年収や資産を調査したものなどが公表されているのだろう(道義的に公表しないはずがない)(追記:公表されていました(https://anond.hatelabo.jp/20200304112604]))。
多様性を謳い女子学生の増加に日々努めている東京大学は、私が知らないだけで貧困な家庭で育った学生の増加にも日々努めているのだろう。
(本件とは関係ないが、現役の東大生が東大における女子学生の少なさと貧困について考える にて女子学生の少なさと貧困が語られている。私の推測では、東京大学では学生の家庭の経済状況の分布が性別でかなり異なっている。私より貧しい家庭出身で、在学中苦しんでいた男子学生を私は何人も挙げられるが、女子学生については1人も思いつかないのだ。(追記あり))
一部のコメントへの返信
美醜以外の要素でも争っていると思いますが、賢さは争っていないように見えます。
でも格差が再生産された結果大学に入れずキモくて金のないオッサンになってしまった人は自己責任であると決めつけ叩いてもいいんですよねわかります
そういう自己責任論を否定する理論が、祝辞や現代文では展開されていると捉えています。
ID:IthacaChasmaって奴は鶏並みのバカなのかな? この増田はこいつみたいな奴に対する批判に読めたけど。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4682255784618895810/comment/IthacaChasma
元記事を読みましたが、大学入試が才能と努力量の掛け算の下で公平であること、また格差を生み出す元であるより良い教育を得るため頑張る価値があることは間違いではないと思います。
しかし入試で求められる才能(努力できる才能も含め)、努力できる環境の全人口への配分は明らかに不平等になっています。
東大生の親の資産を調査したものがあるかどうかは分かりませんが、世帯収入については学生生活実態調査で調査されているのでリンクを貼ります。議論の参考になればと思います。
ご教示いただきありがとうございます。こちらの資料(学生生活実態調査(2018年))
の39〜42ページに出身地や世帯収入、家計支持者の収入が、男女別も併せて記載されていますね。
このようなデータがあることを知らずに上のような言及をしてしまったのは間違っていました。
東京大学は入学した学生の貧富の調査・公表を私の価値観の範囲では正しく行なっています。
世帯収入と出身地について、2007〜2008の間に特異的な変化があるものの(リーマンショックの影響でしょうか)、基本的にはより裕福な学生、首都圏に住んでいる学生が増えているようですね。
特にその傾向は女子で顕著であるようです。そういった傾向を反映してか、東大が以前に女子学生向けの住まい支援の施策として新たに「月額家賃の一部を補助(月額30,000円)」を実施していました。
当時の私としては、その傾向を理解できてはいたのですが、それはすなわち男子学生の方が在学中に貧しい生活を送っていることを意味しているため、非常に悲しい気持ちになりました。
努力のできる才能を持ち、努力のできる環境で育ったような特に恵まれた人間には、勉強をする義務があると考えています。そういった人間の不勉強については反射的に批判してしまうのですが、もしかしたらその態度は間違っているのかもしれません。
結構引っ越したので、東京の中央線から下の左側は色々乗りましたが、大江戸線が一番酷い。
車内混雑してる時にドア付近の人が降りる人の為に道を開けることが少ないのを筆頭に、優先席でも妊婦や小さな子連れや怪我人(松葉杖ついてる人)に席を譲ることもほとんどない。
自分が骨折してギプスつけてた時も1度も譲られたことがない。(乗り換えた別路線では即譲ってもらった)
たまに譲ってる人を見たときは外国人旅行客だったりする。(中国人が多い)
今は仕方なく大江戸線沿線に住んでるが、引っ越したらもう2度と住みたくない。
ここらへんは席譲ってもらえる確率が鷹かった。
まー、総武線の三鷹ー新宿は席譲ってもらえなくても普通に座れるしな
とりあえず「大江戸線はマジで酷い」ということだけは広めていきたい。
一応、自分自身は大江戸線で(別路線でも)妊婦や怪我人に席譲ってます。
だいたい1ヶ月に2,3回の頻度ですが。
この分だと事前に予約してコンビニでチケット買わないとジブリ入れないの知ってるかどうか不安。
羽田からか東京駅からかも分からんので助言しようがないが、どっちかだとすると
・羽田→モノレールで湾岸見ながら日の出→船で東京湾見ながら両国→江戸東京博物館行ってタクってツカイツリー→おもしろ半分に大江戸線で御徒町行って上野散策→バスで神田行ってJRで三鷹
とか、
・東京→地下鉄で銀座→地下鉄で浅草→東武でスカイツリー→後は時間次第で羽田ルート参照
とかって案はある。
調べ過ぎるとそれだけで疲れて頭回らなくなるからこれだけは注意しとくが、三鷹からの終電は18時くらい。三鷹をナメない方がいい。
ジブリの森が陽を遮るから17時過ぎたら真っ暗だし、猪も鹿も猿も出る。
玉川上水沿いには木霊が増えてるから太宰の霊と一緒に入水自殺を促してくるし、東京方面から来るのとは違って管理区域だから出るのに手続きがいる。
新聞検索しても出てこないが、去年は乙事主の子供にヤラれて13人が祟り神になった。