はてなキーワード: 七五三とは
予備校で働いているんだけどさ、医学部の面接で、女子生徒だけ「女性としてのワーク・ライフ・バランスをどうとりますか?」という内容のことを聞かれることがまあまああるわけよ。女性差別じゃん。あとは男女問わず「家庭と医師としての仕事、どちらを優先しますか?」って。ちなみに模範解答は当然、公僕としての医師像を述べ私もそうなりたいと言うってやつである。医学部入りたいから問題視する声はあまり上がらない。
うちの予備校は大手だから、大学の先生を講演会なんかで呼ぶんだけどさ、そういうときにやっぱり面接の話とかして探りを入れるわけよ。まーー探るまでもなく「家庭とか犠牲にして国のため人のため働け。何千万とかかってるんやぞ。僕は息子の参観日も運動会も七五三も全部行ってないでもやりがいがある云々」と言う内容のことをぶっ★ちゃける人が多いけどね。
そりゃね、国は一人あたりに税金何千万かけて医者育てて、高齢社会に医療で貢献してもらわねーとダメだから、子供生まれたんで時短しまーすじゃねえよ馬鹿野郎、馬車馬のように働けやってのが現場の本音でもあるんでしょうけどね。でも医師だって公僕である前に労働者なのにさ。子供の七五三も運動会も参観日も誕生日も全部仕事のせいで顔出せないような働き方って絶対おかしいと思うし、そういう風潮を肯定する入試というのも俺は大問題だと思うんだよ
そう思うようになったのは松松が加入してからだ。
今まで幾度となくメンバーの人数が変遷してきたが増員は初めてだった。それに戸惑ったファンもいれば、歓迎したファンもいた。
トラジャを青山劇場時代から知ってる人の気持ちはわからない。私は2016年出の新規だからだ。ただそんな新規でもむしろトラジャ担じゃなくても、トラジャがかなり(言い方が悪いかもしれないが)老舗グループだと言うことは知れ渡っているであろう。そんなグループが、増員をするなんてのは多分誰も夢にも思わなかったことだ。
だって、トラジャは仲田、川島、森田、七五三掛、吉澤、宮近、中村、阿部、梶山の9人で始まって、そこから(ここ数年で突然)減ってしまったけれどそれでもなんとか原型を留めていた気がする。
松松もずっと、本当にずっと松松だった。一時期離れさせられそうになったこともあったけれど、俺たちはシンメだという強い信念のもとここまでこれたんだと思う。無所属として色んな子たちと紙面を飾ってきたけど松松のカラーはぶれてなかった。
お互いがお互い、独立していたが故の違和感だと思う。まだ入って数ヶ月だし違和感があるのは仕方の無いことだ。納得のいかないファンがいるのも当たり前。
私は納得がいかない。
この選択が間違っているとは思ってない。トラジャのためにも松松のためにもこの選択はきっと素敵な未来を導いてくれると信じて疑わない。私は自担を信じている。
だけど納得はいかないのだ。何故納得いかないのか、理由は自分でもよくわからないけれど、多分自分の思い通りの未来じゃなかったからだね。
だから私はアニメの2期を見ている気分でゆるくオタクをすることにした。今のトラジャは第2期なのだ。第1期はきっと、2017年の8月に最終回を迎えた。それでいいのだ。
長女が七五三を終えた途端に髪をバッサリと切りたいと言い出した。お友達で七五三が終わった子達が皆「七五三終わったから切った」と言ってボブカットにしてくるからだ。
その子達のお母さん達はやはり「七五三が終わったから髪バッサリ切ってやった!これで毎日の手入れが楽になる~」などと皆同じ事を言う。
もう七五三終わったら髪を切らなければならない決まりでもあるかの様だ。
私としては、ボブは乾かし易いけど寝癖ついたら直すの面倒だし、頻繁に美容院でカットして貰わないとモサモサになっちゃってそれはそれで大変な気がする。
ま、ボブだろうがボウズだろうが長女の超絶ラブリーキュートさは変わらないので別に好きなだけ切れば良いんじゃね?っていう気もするけれど。
だが、長女は三つ編みおさげにするのが好きなので、あんまり短くしちゃうと三つ編み出来なくなるんだけど良い?って一応聞いてみたら、それは嫌っていうんで、結局6センチくらいカットしただけに留めた。元がスーパーロングなのであまりかわった気がしない。
この季節になると七五三のことを毎年思い出してしまって苦しい。
私は満年齢でも数えでも7歳の時に七五三をやらず、4歳下の弟の5歳の七五三に合わせて満8歳で七五三のお参りをした。
当時からおかしいと思ってて茶化すように「私は八五三だね!」とか言ってたけど、普通はそんなことしないらしいことが分かった。
考えてみればそうだと思う。
七五三において年齢は大事な要素だ。この歳にお参りとかお祓いするのにもちゃんと意味がある。
なぜ8歳だったのか。
↓
↓
姉の七五三なんか遅らせたって構わない
っていう論法だったんだろうな。
クリスマス→大晦日(年越しそば)→正月(おせち・お雑煮)→節分(恵方巻)→バレンタイン(チョコレート)
3月の行事といえば、ひな祭りにちらし寿司、ホワイトデーにマシュマロ、というくらいか。
4月なら、たとえば花見の季節には桜飯だとか、そういう工夫が今後は求められてくるだろう。
フランスではエイプリルフールに魚の形をしたパイを食べるらしい。
花祭りもきっかけがあれば定着するかもしれない。要チェックだ。
5月に入ればこどもの日(ちまき・柏餅)があるけど、母の日にも何か行事食が欲しいよな。
6月には、最近だと夏越ごはんというのがある。もっと推してほしいね。
近年ではうなぎに対する反発が強いから、次なる行事食が求められるところ。
今後はこの期間をどれだけ盛り上げるかが勝負となるだろう。
近年はハロウィンが定着しつつあり穴が埋まった感がある。
なんだろう、例えが思いつかないのだけど、だいたいは男同士、あるいは職場内での会話なんかが多いと思うのだけど、”お、ロレックス買ったの?すごいじゃん!!!ただね~、うちの嫁はそうゆうの成金ぽいとかいって嫌いでさ~、無理だわ~”とか、”へ~、今度の七五三のお祝いであの店使うんだ、知ってるよ~、結構人気あるよね~、でも、うちの嫁が言うには味は濃いし、店員は不細工で下流な感じらしいよ”などなど、おもに相手の価値観や選択を遠回しにdisる場面で言う奴、いるよね?!
誰も”お前の嫁”の意見など聞いてないのに、ある時は上品でハイセンスな俺の嫁、またある時は上品ぶった今時の奥様連中とは一線を画すナチュラルな俺の嫁、そしてまたある時は、子供や家庭のために奮闘しちょっと機嫌が悪いけど俺に甘えると笑顔を取り戻すかわいい嫁、てな感じで、全方位に無敵にアピールして、そしてその(一部は本当の?)価値観を披露して仲間内でのマウンティングにいそしむ奴、お前だよ!気持ち悪いよ、むかつくんだよ、まったく。
かと思えば、最近では“不倫ないわ~”て言っておきながら、男同士でモテ論議などしだすと、セフレだったら若くてビッチなギャルがいいとか言い出すし。鏡をよく見て物言えよハゲ。
なんだろう、例えが思いつかないのだけど、だいたいは男同士、あるいは職場内での会話なんかが多いと思うのだけど、”お、ロレックス買ったの?すごいじゃん!!!ただね~、うちの嫁はそうゆうの成金ぽいとかいって嫌いでさ~、無理だわ~”とか、”へ~、今度の七五三のお祝いであの店使うんだ、知ってるよ~、結構人気あるよね~、でも、うちの嫁が言うには味は濃いし、店員は不細工で下流な感じらしいよ”などなど、おもに相手の価値観や選択を遠回しにdisる場面で言う奴、いるよね?!
誰も”お前の嫁”の意見など聞いてないのに、ある時は上品でハイセンスな俺の嫁、またある時は上品ぶった今時の奥様連中とは一線を画すナチュラルな俺の嫁、そしてまたある時は、子供や家庭のために奮闘しちょっと機嫌が悪いけど俺に甘えると笑顔を取り戻すかわいい嫁、てな感じで、全方位に無敵にアピールして、そしてその(一部は本当の?)価値観を披露して仲間内でのマウンティングにいそしむ奴、お前だよ!気持ち悪いよ、むかつくんだよ、まったく。
かと思えば、最近では“不倫ないわ~”て言っておきながら、男同士でモテ論議などしだすと、セフレだったら若くてビッチなギャルがいいとか言い出すし。鏡をよく見て物言えよハゲ。
それは子供が死なずに1年2年と生きることみたいに、奇跡だと思える時がある。
昔は、交際1周年とか、なんなら半年とか、記念日とか、よくわからないなって思ってたけど、今は違う。あれは生存を祝う感覚なんだね。七五三とかと同じ感覚。
人間だって、下手すりゃ人間として生まれてくる前にものすごい数が死ぬし、人間として生まれてきても、最初の数年で死んでしまう数はものすごく多い。人間の命ですらそうなんだから、人間同士の関係性だって、維持するのって、やっぱり、それができることって、すごいことだと思う。
「あなたとわたしという関係が、お互いの意思と合意のもとで、関係を継続し続け、晴れて半年を迎えました」みたいな、そういうお祝いの感覚。よく死ななかったなあ、よく消えなかったなあという感動。焚き火の火が消えずに持ちこたえたような喜び。
そんなふうに記録更新をしていく上で、マイルストーンとしてなんらかの貴金属や貴石を用意するのは、さすがにコストがかかるとは思うけれど、それでも、関係の継続を祝ってなんだかお祝いしたい気持ちになるのは、今ならわかる。
そして、あれは半年ごととか、毎年祝うものじゃなくて、だんだんと祝う感覚を伸ばしていくものなのかなとも思ったりした。半年、一年、二年、三年、五年、十年、二十年と。
昨年、父が定年退職した。
父は40年以上ずっと運送会社で働いていた。趣味も車で、休みの日は必ずドライヴ。テレビも見ない、本も読まない、ネットもやらない。昔はよく料理をしてたけど、今はぜんぜんしてない。
学生時代は映画監督になりたかったらしい。だからだろうか、私が小さいころはよくカメラを持ち歩いていろんなものを撮影しまくっていた。8ミリ? ハンディカム? くわしいことはわからない。とにかくビデオカメラで何でも撮ってた。旅行、運動会、七五三etc
でもいつしかそれもやめてしまった。それからは車一筋。ドライヴだけが人生って感じだった。
私は父が心配だった。そんなんじゃボケちゃうよ。それにいくら車が好きだからって、もうなるべく運転は控えて欲しい。年なんだから。
父はひとりで暮らしている。母は私が2才の時に癌で亡くなった。それからずっと父娘で暮らしてきたが、私は3年前に26で結婚して家を出た。
私は父にノートパソコンをプレゼントした。父が車以外のことで時間を潰せるようになればいいなと思って。オンラインの将棋なんかを勧めてみた。それが半年前。
で、驚くべきことが起きた。父がパソコンで動画編集にはまってしまったのだ。
元映画青年の血が騒いだのだろうか。父は短期間に相当な知識と技術を身に付けていた。
『スポーツカー ベスト10』なんていう2分ぐらいの動画を作ったりしてる。ランキング形式で車の映像が流れるのだ。
その車の映像、どうやって手に入れた!? BGMもついてるし、解説のテロップも入ってる。文字がボヨーンと飛び出したりして。すげー。
いやー、よかった。これで老後の趣味ができたねー。
なんて、安心してたのも束の間。
なんと父は私の小さい頃の映像も編集し始めたのだ! ねえ、その古いテープ達、どうやってパソコンに取り込んだの?変換とかできちゃうもんなの?とんでもない機材とか買ってない?大丈夫?散財してない?
その手の知識が全くない私はとにかく心配で心配で。こんなことは簡単に出来ると父は言うのだけれど。本当だろうか?
そんな父から、先日、DVDを渡された。なんとそれ、私の思い出ムービーだっつうじゃないですか。いやあ、さすがに身構えた。
で、観たんですが、これがかなりぶっとんでまして。。よく言えば前衛的。はっきりいうと、めちゃくちゃ。
映像はいきなりビデオレター風に始まる。どこかの山の登山口にひとりで立つ父。カメラの前でぎこちなく笑いながら手を振ってる。テロップが出る。
なぜ高尾山!? どういう意図があるの?しかもこれ、三脚立てて一人で撮ったの!? 松居一代スタイル!?
父が私に呼びかける。
そうだっけ!? ごめん、覚えてない。。あ、でもなんか、すごく小さい頃、山の中でゴンドラに揺られたような記憶が、あるような無いような、、あれが高尾山?
そこでなぜかBGM。
永ちゃん!?なぜそのチョイス!?明るい山並みとぜんぜん合ってないよ。。完全に夜景向きの曲じゃん、、、
映像が変わり、実際に私が緑の中を歩いてる場面が流れる。すごくちっちゃい。たぶん幼稚園のころだ。何だかぐずっている。カメラの奥から父の腕がにゅっとのびて、私を抱き上げたところでフェードアウト。
これは良かった。なんと幼稚園から小学校5年までの私の徒競走の映像がちょっとずつ繋いであるのだ。(ちなみに6年の時は休んだ)
走りながら成長してゆく私。たまにスローになったりして。かっこいいじゃん!BGMが爆風スランプじゃ無ければさらに良かった。次から音楽担当は私にやらせて。
そっかー、父は毎年、私が走るところを必ず撮ってくれてたんだね。
そのあとも、七五三、海水浴、さくらんぼ狩り、学芸会、お誕生日会と、まあ懐かしい映像が次々と。知恵熱が出そう。
さて、問題はここからですよ。再びカメラの前に現在の父が登場。
なんと私が小2の時に書いた手紙をカメラの前で読み上げやがった!
完全に松居一代じゃん! 暴露ノート的なやつじゃん!もしかしてオマージュ!?影響受けたの!?
しかも手紙の文章をテロップに起こして、ピアノのBGMなんかつけちゃって、映画のエンドロールみたいにして晒すという、、、まさに鬼畜の所業。。
おたんじょうびおめでとう
パパのオムライスが好きです
たくさんケーキをたべてね
食べ物の話だけかい! しかもこれ、テロップにする意味ある!?
手紙、ずっと持ってたんだね。
夏になり、もうすぐ8月になろうとしている。多くの商業施設が沢山の来場客を見込み、また期待に胸を膨らませるのはゲーム業界も同じである。携帯端末の普及により、顧客(となりうる人たち)が増加し、今まででは考えられないスピードで新たなゲームたちが生まれ、その速度と同じくらい飽きが生まれ、開発企業、ゲーマー共に「新しい」ゲームを求めている。
ここに寄稿するのは初めてだが、この状況は書くべきだろう。いいや、書かなくてはならない。DMMについて。
「擬人化された女の子たちと戦うゲームは?」と、聞かれれば、まず最初に思いつくのは「艦隊これくしょん」であろう。2015年にサービスが開始されたこのゲーム、旧帝国海軍艦船を擬人化し、その彼女たちと一緒に自身は「提督」として、海に乗り出し戦うものである。サービス開始後物凄い勢いで人気が上がり、現在では多くのプラットフォーム、媒体を通して発展した結果となった。特に戦艦や軍事に興味がなく、なんとなく始めたと言う人も、その可愛さやゲーム性から、軍事や歴史が好きになったと言う人たちも多い。
擬人化を通してその先にあるものをプレイヤーに見せた功績は、高く評価するべきだろう。
しかしこれと同時に、DMM含め多くの開発側は知ってしまった。擬人化の力を。
では今、彼らが次に女の子にしようとしているもの、それは何だろうか。神社である。
神社と言えば日本には馴染み深く、その神々の歴史は建国まで遡る。初詣や七五三も神道のイベントであり、仏教と共に日本人の生活に根付いている。
そんな神社神道をターゲットにした"例の"ゲームサービス発表は、今年3月に行われた。
「社(やしろ)にほへと」と称されたそのゲーム、ゲームの内容としては、日本中の神社の建物(この建物であると言う点が重要。)を女の子にして、よくわからないものたちと戦う、と言う設定だ。
筆者も公表がされたその日に、事前登録を済ませ、正式サービス開始を楽しみにしていたが、正直そのとき思った感想が「そう来たか。」である。
艦これの前例の様に、上手く行けばもっと多くの人たちに神道に興味を持って貰える、今回は実際に存在している場所なので、ファンたちが聖地巡礼として実際に多くの神社を参拝してくれるかも知れない。そう個人的には期待していた。他の事前登録者たちも、今までにない宗教を対象にしたゲームである事に様々思いつつ、運営の次の出方を待っていた。
しかし、私たちは突然、何の説明もなく、運営に待ったをかけれる事になった。
事前登録を済ませた待機者たちには、「事前登録おみくじ」が引けるようになっており、それぞれには初期メンバーの女の子が割り振られており、一日一回ランダムで大吉から凶までのおみくじが引けた。最初暫くはまだ安定して引けていたが、4月25日から、今まで行われていたおみくじが全てストップする。
Twitter公式アカウントによると、「不具合」が、発生したようである。筆者はそのような企業システムに詳しくないので、勿論最初は「ああ、いろいろスタートアップっで忙しくなって、改善の為に一度止めたのだな。」と、思った。プレイヤーも始まったばかりの企画のそのような自体の発生には慣れているので、特に大きく騒ぐ事なく復旧を待っていた。しかし、不思議、いつまで経っても治らない。そろそろプレイヤーも不安になってくる。
この当たりで、匿名掲示板等である噂がささやかれ始める。それは、「神社側の許可を取っていなかった。」と言うものである。
有り得ない。そんな馬鹿な。そうかも知れない。様々な意見が飛び交う中、公式からは何の追加情報もない。そして、筆者も思うようになった。本当にそうかも知れない、と。
最初の匿名掲示板の、このゲームのスレッドが立ってから、今現在までも書き込みは続いている。はっきり言って事実だと断言できる答えはない。しかしながら、運営は何かを隠している…。大型アップデートのサプライズにしては不自然過ぎる。
無許可説浮上については、全くの事実と証明する事はできないので、その疑念があくまでも仮説として話を進めていく。
もし企業側、開発が、本当に神社本庁及び初期メンバー対象の神社に何の許可、趣旨の伝達、商業的利用の許可を取っていなかったとしたら、これは大変な事である。将来的に初期に約束した通り正式サービスに移行できなかったとしても、その神社をキャラクタとして使うのだから、ひと言あって当然だ。事前登録した人たちも、そのゲームの将来性に期待して柱の一本になったのだから、開発続行が危うくなりそうな事態が起これば、Twitterなり公式サイトなりで事情を説明するのが当たり前である。新着ゲーム一覧から消したりYouTubeの公式PVを非公開にしたり、そう言うみみっちい事は素早くやったのに、するべき事はしない。それでいてTwitterアカウントは残したままと言う謎である。
擬人化の手法は、受け手に取ってはとてもわかりやすい。なにせ自分と同じ人間のひとりになるのだから、会話もできるし、感情移入もし易い。又、擬人化の対象も限定しない。石ころもできるし、車からビル、太陽系外惑星もできる。しかしながら、ひとつ絵を書いて名前をつければ、「かわいい。」の原理の前にもう何も考えなくて良い。そして、今回のこの事件は、森羅万象美少女化主義の事故だと考える。事態の進展は全くわからないが、最早ここまできて正式サービス開始したら、間違いなくDMMは神の民間企業である。彼らの前に吸収されない物事はない。
ポンと結論を書く終わり方にはできなかったが、皆様には筆者と共に、事の成り行きを見ていて欲しい。行き止まりまで行かないと、自分が袋小路を進んでいた事すらわからない場合もあるから。
自分は子がつくが娘には子をつけなかった。
ということはまあ60年もしたらいわゆるひとつのババアになる予定。
それ以前に40もなったら子供(私の孫)(が生まれるかは未定だが)から婚約者を紹介されて、え、この人が姑さん。。とか思われる場面もあろう。
でもババアになったときにちょっと呼べない名前が最近多いなとおもう。
姫だの香だの美がついてたり。
実際そういう名前の人を見ると地味好みではいられないからとちょっと無理してる感じの人もいる。
(叶姉妹くらいまでいけば、ゴージャスでよろしいとおもいますが)
そもそも生まれたてでは容姿なんてみんな赤ん坊としかいいようのない顔だから判定不能。
同級生の伊藤蘭ちゃん、〇坂大輔くん、みんな名前に負けずにすごくがんばってたけど、
時代によって偶然の場合ならまわりもあんまり気づかなかったり、気付いてもセンスが良すぎただけ、時代に先駆けすぎたとなるが、
有名になった人の名前をもらって名前負けさせるような強い名前つける親の気持ちは私にはわからない。
同世代の親子に完全にプゲラされちゃうような名前、子供にとってはどうなの。
で、〇美とか〇姫とか〇香も自分にとってはその手のイメージの固定力(言霊?)があるので使いたくなかった。
ババアになろうがなにしようが、強く知恵を持って生きてほしいなー。
とおもってつけた、美も香も姫も入ってない女の子でも男の子でも使える名前。
5歳の七五三とこいのぼりと五月人形のDMが来たくらいしか弊害はなかったとおもう。
成人式とかも袴の通知がくるんだろうな。親が黙って捨てるだけです。
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あとまあ、長い目でみると
子がつく名前が歴史的には結構めずらしくて皇族だの藤原一族のころの定子とかから出てて昭和の一過性のはやりであったという話もある・・
教会で結婚式を挙げ、子供の七五三には神社で祈祷をしてもらい、多分死んだらお寺でお経を読まれるであろう、ある意味典型的な日本人だ。
今日、とある宗教団体の若者達と話をする機会があった。彼らの身分は学生で、あと何年かすれば社会に旅立って行く子達だ。
彼らに会いに行ったのは仕事の付き合いで、正直気乗りするものではなかった。私の仕事について講義をし、簡単なディスカッションを行うといった内容だ。
仕事柄、こういった講義の依頼は大学や専門学校などから年に何度か受けているのだが、今日の講義・ディスカッションを受けた学生の質は、非常に高かった。そして私が感じた率直な思いは、「こういった形で出逢わなければうちの会社に欲しいところだ」というものだった。
彼らの団体に対する依頼を受けた事で、彼らは私をその宗教に理解のある人、つまり味方であると捉えている。私に対しては自分の信仰をさらけ出してもいいのだと信頼をしている。しかし申し訳無いが、私は別にその宗教に対する理解者では無いのだ。ただ信仰を持っている人達だという理由で避けたり差別すべきで無いという精一杯の倫理観で引き受けたにすぎない。
結果今、私はひとり思い悩んでいる。
素直で、熱意を持って私の話に耳を傾けてくれる優秀な彼らを心から信頼し、受け入れる事が出来ない自分に。
頭のすみに「得体の知れないもの」という一抹の不安が引っかかり続けている自分について。
私の会社にはクリスチャンがいる。しかし私を含め誰一人、その事で不安になるものは居ない。よく行くカレー屋のインド人(ネパール人かも知れない)はヒンズー教人かも知れないが、だからどうしたといった感じだ。優秀なプログラマであればヒンズー教人のインド人を雇う事に躊躇はしないだろうし、親戚の婆ちゃんが頻繁にお寺にお参りに行く事を微笑ましくさえ感じている。
しかしこれが新興宗教となると気持ちが一変する。私の中の警告アラームが鳴り出し、倫理観で抑えようにも抑えきれずにいる。そしてこれは私だけの感覚で無いと確信さえしている。
仮に今日会った彼らの事を社員に説明し、将来彼らを雇うと言ったら反対する者が一定数いるだろう。反対を押し切って入社させれば、「退職します」と言いだす者も出てくるかもしれない。
この差は何なのだ。なぜ受け入れられる信仰と、受け入れられない信仰が、無宗教である私の中に既に形成されているのだろうか。
そんな事を考え続けいるのだが一向に答えが出ない。