はてなキーワード: 七五三とは
我が家では基本【3日以上住所のないものは即メルカリ】という方向性のもと、ものをメルカリなどに出しています。
メルカリに5日出しても売れなかったらヤフオクかラクマに出し、それでも1か月くらい売れなかったらブックオフに持っていく、そんなかんじです。
また私や夫の実家で使わないもの、義父や義母が「親戚から形見分けをしてもらったけど結局使わないな~、でも捨てるものなんだしな」というものも入ってます。金目的というよりいらないものを欲しい人にあげる感覚です。
2019年の支出を振り返る時期になってきたので、ちょっと早いけど計算してみたら、
ヤフオク...59834円
メルカリ...60775円
ラクマ...19882円
と約14万円でした。
中には送料込みの売り上げもあるので、厳密に14万円もうかったとは言えないけど、
でもゴミになるはずだったものが12万円くらいにはなってる計算です。
メルカリはシステム変更につき5月以降のしか履歴が残ってないので、ほんとはもっと売れてる気がする。
売れたもの
・旅行ガイドのムック本(るるぶ福岡、ことりっぷ熊野古道、みたいなやつ) だいたい定価の6割
・ユニクロのウール100のセーター (だいたい1枚1000円くらい)
・福袋の外袋
・何かのお礼でもらったようかんとかクッキーとかの高級お菓子(包装紙のまま)
・ファミリーセールの招待状
・全国チェーンのお寿司の金券
・株主優待
・雑誌のふろく
・テレビを買い替えたときに回収してもらいそびれた前のテレビのリモコン
・大漁旗
・祖母がぼけ防止に作っていた大量の手製鞠。ぼけちゃったけど。
郵便局で売ってるグリーティング切手がかわいいので今所有している切手を使いきったら買おう。グフフフと思っていたけれども
そもそも私そんなに手紙を書かない人間だったわ。前買ったグリーティング切手も一枚のシート使いきるのに数ヶ月かかってたわ。しかも最後の方ゆうパックで消費したw
グリーティング切手って10枚セットだから、基本的に84円の手紙を10通出さないと消費できないよ。
我が家では年賀状出さないし、懸賞も積極的にはしないから、ハガキのための63円切手もそんなに使わないし
文通を趣味にするつもりもないし、たくさん切手を買っても使いきれねえや!
郵便切手って金券であって、消費するためにあるのであって、ずーっと眺めるために存在するものじゃないと思う。だからコレクション目的で切手シート買いたくない。
手紙は書くの好きだからときどき書く。でも、頻繁には書かない。自分の好きなペースで書きたいから文通はやりたくない。
グリーティング切手、季節モノが可愛いんだけどこんな私なんでなるべく季節感がなくてオールシーズン使えるものを買わねば。
とりあえず、子供のイベント(七五三とか運動会とか)がある度に義両親に手紙なりハガキなり出そうかと思っています。子供の写真を載っけて…
あと夫の祖父母とも郵便物で交流したいから、そっちにもお便りを出したいんだけどどうかな。初ひ孫の写真喜んでくれるかな…
子供のお宮参りやお食い初めのことで嫁と義母が揉めるのはあるあるだそうですが
娘と母でも揉めそう…
実母の性格は私とは相容れない性質なもんで、揉める揉める。母親みたいな人間とは付き合いたくない。でも、私の実の母は1人しかいなくて。血の繋がりがあるからブチッと絶縁というのも難しい。世間体もあるし。
妊娠する前に風疹の予防接種をしたのに、妊娠後、抗体が十分についてないことが発覚したので戌の日のイベントはやらないことにしたのに実母は私に向かって「戌の日やらなかった…」と言ってくる。何度も風疹のことを説明したにも関わらず。理由があってできなかったんだからしょうがないじゃん。
母親は今時「帝王切開は甘え」って堂々と言うような人間だしほんと無理。帝王切開する人も好きで帝王切開してるわけじゃないし胎児にへその緒が巻き付いて帝王切開せざるを得ない人もいるし、帝王切開の人は手術後大変なんだよとか色々説明したけれども、うちの母親のことなのでしばらくたったらまた「帝王切開は甘え」って言ってきそうな気がするよ。
古い価値観にとらわれた人なんでもう手におえない。Amazonで買い物もできないようなアナログ馬鹿が何を言ってるんだか。
七五三だのお宮参りだの偉そうに語ってるわりには毒親で私にとって母親は反面教師です。子供のときから色々トラウマ植え付けられたよ。ぜったいに母親みたいになりたくない。
母は専業主婦だった。
自営業の父と、父方の祖父母。田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。
私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。
母はいつもおやつを手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。
父はというと昭和的思考の典型的な父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。
祖父母は子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。
我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。
私が生まれて初めて焼肉店で焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。
だから母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分の実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。
母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母のアジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。
学校の友達がレストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。
母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。
古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。
そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所は他所、家は家。というスタンスだ。
だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。
母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。
母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。
今思えば、母が自分の趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。
高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。
仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。
話していて、ハッと気づいた。
母の世界は、こんなに狭かったのか。と。
私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母を理由に首を縦に振る事はなかった。
帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。
私は何も言えなかった。
母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。
家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。
私は結構なオタクなので、昔から買い集めたゲームやマンガ、小説がたくさんある。
母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。
あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。
もちろん、趣味のゲームや漫画、アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。
母とは真逆の人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分の趣味も人生も楽しみたい。
両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。
母は専業主婦だった。
自営業の父と、父方の祖父母。田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。
私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。
母はいつもおやつを手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。
父はというと昭和的思考の典型的な父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。
祖父母は子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。
我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。
私が生まれて初めて焼肉店で焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。
だから母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分の実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。
母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母のアジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。
学校の友達がレストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。
母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。
古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。
そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所は他所、家は家。というスタンスだ。
だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。
母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。
母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。
今思えば、母が自分の趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。
高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。
仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。
話していて、ハッと気づいた。
母の世界は、こんなに狭かったのか。と。
私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母を理由に首を縦に振る事はなかった。
帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。
私は何も言えなかった。
母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。
家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。
私は結構なオタクなので、昔から買い集めたゲームやマンガ、小説がたくさんある。
母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。
あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。
もちろん、趣味のゲームや漫画、アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。
母とは真逆の人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分の趣味も人生も楽しみたい。
両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。
30代になり2人目、3人目を産み育てる友人もいること
自分もいつか歳をとって当たり前にできると思ったことは30を過ぎてもできていない
うちは籍は入れていないが一つ屋根の下を同世帯と見るならば世帯年収は1200〜1300万ほどある
それでも結婚式を挙げて子どもを産んで育ててというお金が足りないのでは無いかと不安に思う
かと言って辞めたりパートにすると一気に辛くなるよねという話をよくする
また保育園に入れられなかったらどうなる?親は新幹線で数時間の距離にいて頼れないし…などなど
周りもきっとそういう不安はあるにはあるんだろうけど普通に子育てしてるように見える
どうやったら思いきれるのか?割り切れるのか?