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はてなキーワード: ヤンキーとは

2020-08-08

高校生吉沢亮

吉沢亮高校生の頃の写真を見るとヤンキーみたいなんだけど、いまみたいな髪型にしてちゃんとしていたら、なかなかの美少年だったんだろうなあ。

anond:20200808031854

言うほど珍しいか

死にたてほやほやの老母と記念撮影してるおっさんとかおるで

ヤンキー事故で亡くなった子と仲間がみんなで写真撮ってるのも見た

2020-08-07

anond:20200806212618

世の中には階層がある。

高度に洗練されたオタクによるものと、野蛮で意識の低いヤンキーによるものと、普通は見た目で区別できる。

だがネットでは一見しただけでは区別がつかず、外見ではいくらでも高等に見せかけてイキれるので、察知能力が求められる。

ライブ配信者やWebサービスを選ぶにしても、ゲームアニメを一つ選ぶにしてもそうだ。

「これはどんな層の人たちによって作られてるものかな」と推し量れないと、そこへ分け入って行ったとき、面食らうことになる。

偏差値50

半分より下は 地元ヤンキーなせかいで、たのし庶民ぐらい

半分より上は インテリ層で

底辺なんだなぁって感じる

ひとりじめマイヒーロー

原作マイヒーローのみ既読。元作品ボーイフレンド未読。

BLなら何でも良い期が来たので、ヤンキー受けを求め原作を読んだとき特にさらスルーしていたアニメアマプラで視聴。現在3話

キャラデザ作画悪くないか原作の絵も特段上手いわけじゃないが…まあ好みの問題なのかな。受けが絶望的に可愛くない。超高校級。あとみんな肌と影の塗りが淀んでいる気がする。

そして思い出した。当時はBLアニメやそれっぽいのならとりあえず見てたのに完全スルーした一番大きな理由、攻め二人が個人的に受け派の声優だったからだ。特に立花

表題はマイヒーローだけどまだボーイフレンド組くっついてないとこからやるんだな。地味に知りたかったので良いんだけどあくまでメインはヒーロー組じゃないのか…クラスメイトとかこんなに出てきた記憶ない。そもそも読んだの4年とか前かも。

ボーイズがラブすることにあまり抵抗のない優しい世界いいね、見てて安心できますね。攻め受け両者が悩んでるの好きだけど軽く見たいときはこのくらい片方が積極的な方が楽。支倉ってこんなやつだったんだね。ボーイフレンドの二人ずっとイチャイチャしてるイメージだったから意外。かわいい系の受けが「攻めーー!💢」するBLの方がやっぱり人気なんだろうか。セカロマとかまさにだよねー。でも近年アニメ同級生ギヴン囀るとかで、可愛い系はラブステか純ロマ3期とかに遡る気がする。

主題歌攻めが歌うのびびった。でもまえぬの声好きだから嬉しい。これからマイヒーローの二人の話が増えると良いな。やっぱヤンキー受けのが好きだし。

2020-08-04

勧誘

中学生の頃はバスケ部だった。
25年くらい前のことで、ちょうどスラムダンク流行っていた。とはいえ週刊誌を読む習慣がなくスラムダンクは読んでいなかった僕は流行りに乗って入部したわけではない。単純に自営業だった家にバスケゴールが設置されていたのと、兄もバスケ部だったため馴染みが深かったのだ。
兄とone-on-oneをやったことはない。仲が悪いわけでもなかったが、クラスで背の順に並ぶと一番前だった自分は体格差関係で歯がたたないことが分かりきっていた。幼い頃の4〜5年の差は絶大だ。一人でずっとシュート練習をしてた思い出しか無い。

一人バスケには慣れていた。

大学を出て東京中小企業就職して、僕は一人暮らしを始めた。
ある日、なんとなく立ち寄ったスポーツ用品店でカゴ売されたゴムバスケボールを見かけ、懐かしさを覚えて買った。
調べてみると自転車圏内公園バスケゴールが設置されていることが分かった。それからは晴れた週末には出かけて行って一人でシュート練習をする日が続いた。「練習」などと書いたが、それはおこがましいかもしれない。ただ、運動不足解消も兼ねてテキトウに打っていただけだ。

大人になっても一人だった。

そんなある日、声を掛けてくる人がいた。
それまでも声を掛けられたことはあった。小学生集団に声を掛けられ5対5で無双したこともあったし、ヤンキーっぽい人とone-on-oneもやった。が、それらの人たちは同年代とは言えなかった。
その人も運動不足解消のためにといったゆるい理由バスケをやっていると言い、気が合いそうに思えた。(高校に入ってから一気読みした)スラムダンクの話で盛り上がったりもした。
その会話の中で「来週末にでも良かったら遊びに行きませんか?」と誘われた。
いつも一人で時間つぶしにも似た週末を過ごしている僕には予定など無い。即、了承した。「こうやって人と人は繋がっていくのかねえ?」などとウキウキしていたくらいだ。

来週末、待ち合わせ場所へ行くと、何故か1020くらいは上そうな年配の人が一緒にいた。
この人もバスケするの?と訝しんだが口に出すことはしなかった。
とりあえず、喫茶店に入ることとなりテキトウな会話をした。最近の天気とかニュースとかの話だったと思う。

「で、ですね。」と話題の切り替えが行われ、「座禅って組んだことあります最近、私、けっこうやっていて――」「そうしたら、いろいろと上手くいくことが多くなったんですよー。」「神様って信じます?――――。」

新興宗教勧誘だった。

寝耳に水だった。
「出ます。」とレシートを持って席を立ち、会計をして店を出た。二人は後を付いてきた。このまま付いてこられても困ると思い、近くの広場お断りの話をすることにした。

「一人の自分に話しかけてくれたのは純粋に嬉しかったが、こういう誘いは要らない。踏みにじられた思いだ」「貴方が何を信じようが勝手だが、僕を巻き込まないでくれ」「神様は居ると思う。が、自分が信じてる神様物理法則を作っただけだ」人格否定にはならないように気を使ったが、余計な話もしてしまった。

二人はもう付いてこなかった。
帰路についた僕は、初めて一人で居酒屋に入った。後から思い返せば怪しい点がたくさんあったなと自分の迂闊さを後悔しながら飲んだ。

あれから7年ほど経つ。公園に行かなくなったし、バスケボール下駄箱の中で眠ったままだ。

anond:20200804112832

想定にマジレスしてもアレだけど。

東京私立大学奨学金で進学したため、これから数百万円を返済していかなければならない

早慶ならともかく、実家コネ金もない想定ならこの時点で詰みの確率80%。

情弱コントロールできそうだから変なのに目をつけられる。お局でもヤンキー先輩でもマルチでも新興宗教でも。

ニッコマあたりでも一般入試で受かる学力があったのなら、地元駅弁ならなんとかなっただろうに。

いか就職がないっていっても地元ではエリートの端くれとして扱われる。

からでも遅くないか教職公務員税理士を目指すべし、となる。

男女問わずプランBを想定してないと何か一つ想定外のことが起こるとリカバリーが困難、というのが教訓。

2020-08-03

俺の姉は強かった。

俺は5人家族、3兄弟末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。

対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。

我が家学歴コンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃からいい大学に出て、良い会社就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃からの子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去トラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。

転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビ放送されていたスラムダンク兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元バスケチームに入りたいと両親に相談をした。

父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃん大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。

それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。

からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。

やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所引越し、1ヶ月に1度程度会関係になった。

母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。

次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキ駄菓子屋自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。

店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。

中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校サボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。

俺が高校生になった頃。よく姉が仕事休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。

姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプ居酒屋ランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。

「ねえ、姉ちゃんってレズなん?」

姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。

話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。

そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋バイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。

その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。

そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲から偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。

社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。

半年後、姉は彼氏同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。

姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。

思っていたのに。

2年後姉はボロボロ状態で帰って来た。

髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。

「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」

だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」

嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。

彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後からである事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。

「お前みたいな厨二病メンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。

俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」

俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。

俺は5人家族、3兄弟末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。

対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。

2020-08-02

anond:20200802151654

入れ墨ヤンキー集団の時は店員経由でも文句など言わないんだから

単なる差別だろ

爺や病人の時だけ罵倒する卑怯

ささやか迷惑行為針小棒大に語るか無ければでっちあげて弱者罵倒する

anond:20200706225819

なろう以外の貴族描写もだいたいそんな感じじゃない?

異世界転生ならアーサー王宮廷ヤンキー

架空歴史ものならゲームオブスローン

日本だとカムイ伝をはじめとした白土三平作品

いずれも例に挙げられたのと同格(またはそれ以下)の下衆君主毎日馬上槍試合トーナメント開いているぞ

それでも体制破綻しないのはそもそも自由』という概念人類史の終盤で生まれたまったく新しい概念からなのだろう

2020-08-01

夢食いヤンキーバブル世代って

具体的に何を指してんだろう…

夢食いってなんだ…

2020-07-31

美少女は何を掛け算してもマイナスにならない

美少女×ギャンブラー=最強

美少女×ヤンキー=最強

美少女×ニート=最強


何を掛け算してもマイナスにならない

すなわち美少女=0であると言える。


Q.E.D.

2020-07-28

anond:20200728161907

中学ときに一度あったよ

大半の女子スカートの下に何かはいパンツ見えないようにしてたけど

部活動も体育の授業も一切やらないヤンキーっぽい女子の一部はパンツのままだった

体育館の集まり女子体育座りしてて、横に座ってた子のしパンがモロに見えてたんで思わずガン見してたらすぐに気づかれたんだけど

こっち見てニコっと笑ってそのままの姿勢で数秒ほどパンツ見せてくれたことがあった 今となっては良い思い出だわ

2020-07-27

ブコメくださいを漢字にしたらどうなる?

ヤンキーよろしくみたいな

2020-07-26

anond:20200726202007

自信を持って挙げたいのは

DQN

この語句は初期にはカタカナ書きで「ドキュン」と書かれた

重要なのは2ちゃんねるができる以前の1998年から使われている点(!!)

あと、2ch由来のネットスラングはほぼ発言者不明だが

2ch前夜にできたこ語句はめずらしく発言者がわかっている

マミー石田と名乗る「自称高学歴高収入エリートである

2000年前後に成立した2ch由来のネットスラングの多くは現在では廃れたが

ガイシュツ、すくつ、ぬるぽオマエモナー等々)

DQNという語句は今も細々と使われる機会がある

カタナナ書きのドキュンと変化系の「ドキュソ」は見なくなった)

この語句が広まった背景には

スマホネット対応携帯電話もなかった時期

初期のネット利用者が高額なパソコン所持者に限られ

その中核は理系高学歴者だった点が少なから関係している

その後ネットユーザーの枠が広がって以降も

平成日本ネットは従来であれば教室カーストで目立てなかった

インドア派のギーク的な者(オタク)がリードしてきたので

不良、ヤンキー系、粗野な体育会系は多くの場合目の仇にされ

そうした人々を侮蔑的に呼ぶ言葉はずっと変わらず需要があった

それがDQNって言葉が生きのびた理由だと思う

以上のような点から平成代表するネットスラングだと思うよ

(一時はネット外でも使う人がちょくちょく現れてた)

2020-07-25

増田ブログ文体のなんとなくの特徴

2020-07-24

[]anond:20200724121748

就職氷河期世代対象とした県職員採用試験ニュース見て

私も対象世代だけども、その映像を見て愕然

試験官はみんなワイシャツオフィスカジュアルなのに

受験者のほとんどが普段着

女性場合その辺のスーパーに買い物に行く格好だし

男性Tシャツばっかり。

派手な蛍光カラーロゴ入りのTシャツを着た人もいた。

就職活動中、「平服でお越し下さい」と言われて

さんざん迷ってシンプルな白いブラウスと黒のスカートを着て

参加したら

スーツも着てこないのか

と言われて、ビックリ

周りは確かにみんなスーツ

面接の案内を何度見ても平服でって書いてあったのに!

あれ以来、たとえ短期バイト面接であっても、

スーツまたはきちんと見える格好で行くようにしている。

相手がたとえTシャツ姿であったとしても、誠意を見せたいと思うのと

あの時の苦い経験があるから

これは私だけの常識かもしれないけど、県職員なんて

どう考えてもスーツ着てるでしょ。

なのに平服でってって言われて、そんな普段着でよく行ってたなと

思ってしまった。

同じ就職氷河期経験した人たちだよね?

ほんとひどいけど、だから生き残れなかったんじゃないと思ってしまった。

私もあの時にさんざん振り回されたし、ここまでもものすごく嫌な思い

いっぱいしてきた。

からこそ服装とか喋り方とか、育ちとか学歴とか関係なく

自分次第でどうにかなる事でマイナスをつけられる様な事は

絶対に避けるようにしてる。

私も決して裕福な家庭に生まれてないし、生きるのに精一杯で

清潔な服をきたり、ましてやマナーなんて習える環境じゃなかった。

服のアイロンのかけ方も、傘のたたみ方も友達に教わったし、

マナー学校や本で習った。

時々、育ちが良い良さそうって言わわれるけど、家族が聞いたら笑うから

時代が悪くあったと言えばそうだけど、

この10数年何やってたのかな、とニュース画像の人たちを見て

すごく思ってしまった。

TOEIC試験会場でだってもっとみんなきれいめな格好してたよ?

カジュアルな服を否定しないけど、やっぱり服ってその人が出るし

同じTシャツでも白Tとか、黒のデニムにするとかあったんじゃないかな。

こう言っちゃなんだけど、ヤンキーっぽいっていうか。

すさんだ生活ぶりがうかがえるというか。

それを折角のチャンスに着てくるのはどうかと思った。

毒舌大変失礼しました。

就職氷河期世代対象とした県職員採用試験ニュース見て

私も対象世代だけども、その映像を見て愕然


試験官はみんなワイシャツオフィスカジュアルなのに

受験者のほとんどが普段着

女性場合その辺のスーパーに買い物に行く格好だし

男性Tシャツばっかり。

派手な蛍光カラーロゴ入りのTシャツを着た人もいた。


就職活動中、「平服でお越し下さい」と言われて

さんざん迷ってシンプルな白いブラウスと黒のスカートを着て

参加したら


スーツも着てこないのか


と言われて、ビックリ

周りは確かにみんなスーツ

面接の案内を何度見ても平服でって書いてあったのに!

あれ以来、たとえ短期バイト面接であっても、

スーツまたはきちんと見える格好で行くようにしている。

相手がたとえTシャツ姿であったとしても、誠意を見せたいと思うのと

あの時の苦い経験があるから

これは私だけの常識かもしれないけど、県職員なんて

どう考えてもスーツ着てるでしょ。

なのに平服でってって言われて、そんな普段着でよく行ってたなと

思ってしまった。

同じ就職氷河期経験した人たちだよね?

ほんとひどいけど、だから生き残れなかったんじゃないと思ってしまった。

私もあの時にさんざん振り回されたし、ここまでもものすごく嫌な思い

いっぱいしてきた。

からこそ服装とか喋り方とか、育ちとか学歴とか関係なく

自分次第でどうにかなる事でマイナスをつけられる様な事は

絶対に避けるようにしてる。

私も決して裕福な家庭に生まれてないし、生きるのに精一杯で

清潔な服をきたり、ましてやマナーなんて習える環境じゃなかった。

服のアイロンのかけ方も、傘のたたみ方も友達に教わったし、

マナー学校や本で習った。

時々、育ちが良い良さそうって言わわれるけど、家族が聞いたら笑うから

時代が悪くあったと言えばそうだけど、

この10数年何やってたのかな、とニュース画像の人たちを見て

すごく思ってしまった。

TOEIC試験会場でだってもっとみんなきれいめな格好してたよ?

カジュアルな服を否定しないけど、やっぱり服ってその人が出るし

同じTシャツでも白Tとか、黒のデニムにするとかあったんじゃないかな。

こう言っちゃなんだけど、ヤンキーっぽいっていうか。

すさんだ生活ぶりがうかがえるというか。

それを折角のチャンスに着てくるのはどうかと思った。

毒舌大変失礼しました。

anond:20200724110222

伝説ヤマンバGAL “あぢゃ”、銀座の夜の蝶に変身「日傘をさして歩いてます

 

1か月半、公園野宿

小学校とき安室ブームが始まったんですよ。中学では『egg』に憧れた。地元横浜ヤンキー色が強かったけど、

 渋谷経由で高校に通うことになって憧れのギャルデビュー負けず嫌いが高じて、どんどん派手になりましたね」

 気づけば、ヤマンバギャルと呼ばれるように。

 

「ちょうどそのころ、友達と何人かでセンター街暮らしていたんです。正確にいうと、宮下公園で寝て、

 起きたらセンター街に行って(日焼けサロンで肌を)焼く、みたいな」

 

 1か月半の間、友達とローテーションを組んで見張りを立て、公園野宿ホームレス男性からおでんを分けてもらったことも。

 

「完全に無収入だけど、肌は焼きたいから日サロのチラシを100枚配って20分焼かせてもらう。

 お風呂がわりに公園蛇口で陰部とワキを洗う。ガッツリ生活してましたね(笑)

  

 そんな集団テレビ業界の目にとまり、街頭インタビューにたびたび登場。ギャラとして渡されたハンバーガーを仲間と食べた。

 が、ある日、「帰るか!」と突然の解散。自宅に帰ると、ヤマンバ度が増したあぢゃに気づかぬ祖母が「ハロー」と挨拶してきたという。

 

 雑誌Popteen』に登場したのは、そんなころだ。

 

https://www.jprime.jp/articles/-/14783 

https://ameblo.jp/aja-blog/

anond:20200724095857

現世で生きてる人間には見えない形で生き残るんだよ

ビルの陰に隠れていたずらしにくるヤンキーとかを脅かしたりして死後を過ごす

anond:20200723225953

いや、SMAPとかTOKIOとか男から見てもカッコイイと思うけどね。

特にSMAPなんかはまあまあのヤンキー民度が低そうな男から好かれそう。俺も好き。

俺はよく知らんけどカトゥーンとかエグザイルとかもそんな感じじゃないか

しろ平成ジャンプみたいなのの方が異端では。

2020-07-21

anond:20200721093944

いや、許容なんかされてないと思う。

しろ、昔の方が注意しやすかったんだと思う。今は昔と比べて子供に甘くなっている。

学校教育でも昔は先生って結構怖い存在だったんだよ。

今はモンスターペアレントなんて当たり前になってるし。

でも、昔が良かったとは言えないけどな。体罰なんてクソだしヤンキー多いし

2020-07-19

anond:20200719031405

24年組とその後続世代を中心に

1970~80年代中ごろの少女漫画面白いのは必然

なぜかというと「少年漫画でできないことができる」一種解放区だったか

現在でこそマニアック漫画専門誌は多い

が、当時は漫画自体の数が今より少なく

メジャー出版社少年漫画青年漫画とかの建前上の枠に束縛されていた

当時の男の子向けと言ったら

不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、が王道

SFファンタジー不条理雑学衒学ギャグなんて

「どこに需要があるの?」みたいな扱い

しかぁし!

少女漫画は外見上だけ美男美女が出てくれば何でも許された

いい例が魔夜峰央とかだろうな。『パタリロ!から美少年を取ってみろ

国際謀略スパイアクションホラー落語に……どこが少女漫画やねん

当然、少年漫画だったらますますもって編集者相手してくれない

あと

萩尾望都竹宮恵子が切り開いた初期やおい(「BL」じゃないぞ)ブーム

大いなる追い風となった

少女漫画といいつつ男キャラばかりの話でもOK

美少年が出てくれば舞台中世でも19世紀でも可

主要登場人物金髪碧眼の外国人ばかりでも可むしろ大歓迎

(当時の少年漫画でこれはなかなか受け入れられにくい)

そんなわけで吉田秋生BANANA FISHみたいな怪作も成立した

1980年代当時の少年漫画ヤンキー臭いスケールの小さな不良バトルばかりの中

本物のピストル振り回して政財界の大物の大人と戦う少年の話の方が

よっぽど面白いだろ!! などと思った男子は俺だけではないはずだ(偏見

ドラクエが売れて「ヒロイックファンタジー」なるジャンル

小学生でも知ってるメジャー存在となったのはやっと1980年代後半

その数年前から和田慎二は地味ぃにピグマリオを描いていた

これも当時の少年漫画誌だったら許されなかったよな…

元増田の話とは随分ずれてしまって申し訳ない

とにかく、かつて今ほど漫画雑誌が多様化してなかった時代には

少女漫画ニッチ実験場だった時代があったんだ(遠い目

うるせえよ老害年寄り

追記1】

「『やおい』ではない」「『少年愛』では?」「『JUNE』では?」

すまん、少なくとも1970年代1980年代中期「BL」という語句

まだ聞かなかったから、とりあえずこの語句表現した

追記2】

少年漫画誌、青年漫画誌でも実験的なSFやらファンタジーやら作品はあった」

たとえば70年代末期~80年代初頭の少年ジャンプが

諸星大二郎星野之宣などのような異才も取りあげた点は評価せねばならん

が、寺沢武一みたいな例外別にすれば安定した長期連載は少なかった印象

追記3】

「お前が言ってるのは『花とゆめ』とか一部の少女漫画誌の話だろ」

かに当時も大多数の少女漫画普通中高生男女の恋愛物だったと思う

が、俺はそーいうのに興味なかった

(↑典型的な、非日常的な作品ばかり好む社会性のないオタ)

追記4】

1990年代末~2000年代初頭のエロゲと同じだ」

その通り! 今にして思えば、虚淵やら奈須やらその他を輩出した

当時のエロゲ業界こそ、団塊ジュニア世代オタククリエイターにとっての

(1970末~80年代初頭のような)古き良きボーナスステージだったんや

追記5】

――以上全部年寄り臭い、すごく年寄り臭い

すまん(50歳)

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