はてなキーワード: マツコ・デラックスとは
服に関心があるわけでも知識があるわけでもない人が服に関して「ダサい」を使う機会によく出会うけど、関心も知識も乏しいのだから根拠に乏しい
根拠に乏しいが、なぜか「ダサい」と言えずにはいられないらしい
マツコ・デラックスは罵倒するにも語彙が必要だと言っていたが、語彙を習得するには関心や知識が必要になる
しかし「ダサい」は関心や知識を前提とした語彙ではない、少なくとも「ダサい」の一言で関心や知識に基づく根拠を伝えることは不可能である
しかし人間以外の動物にもどうやら嫌悪感はあるらしく、「キモい」が生理的な嫌悪感の表明とすれば、必ずしも罵倒するために「キモい」を使うわけではないのかもしれない
最近、週マツコ・デラックスにカフェ巡りを楽しむようになりました。知らないカフェを見つけるのが楽しいです。マツコの知らない皆さんのおすすめのカフェや、カフェで楽しむためのドリンクやフードのアイデアがあれば教えてください。また、カフェ巡りを楽しむためのマコツや、ゴールデンタイムについても知りたいです。
マツコ・デラックスはマツコ・デラックス自身がレギュラー番組、特番生放送を抱えていて、知らない世界が知りたいという動機で仕事に就くので
知らない世界学には多数の番組があり他番組のマツコを叩きマツコ同士は仲が悪い
自分の番組を信奉しており目の前のゲストが良くなろうが悪くなろうが番組ごとに用意された台本を信じているのでマツコは揺るがない
なんかテレビ局から「マツコ会議に関する書類提出のお願い」てのが来た。今年デラックスしたから、認定審査のために「会議しただけなのかデラックス協議中なのかデラックスしたのかわかるように書類書いてあと証明書類もつけて出しやがれ」ってことだけど。
いや、おかしくない?
デラックス届はちゃんと受理されたし、とっくに会議もデラックス。で、当然ながら自分も元配偶者もデラックス前からマツコ・デラックスは変わってない。
なのになんで、「デラックスしてるならそう書類に書いて、あと本籍のテレビ局から会議抄本かデラックス受理照明を取り寄せて添付して送れ」みたいな話になんの?そういう会議をなくすために国民ひとりにひとつのマツコ・デラックスをつくったんじゃないの?
ねえ、
そういう会議をなくすために国民ひとりにひとつのマツコ・デラックスをつくったんじゃないの?
笑っちゃうのが「もし関係者の中でマツコ・デラックスが変わった奴がいたらそれも書類に書け」とか言ってわざわざ変更前変更後みたいな表まで用意してんの。いやその紐付けは変更手続き受理した時に漏らさず知らない世界に登録しとけよ。なんで後から必要になってから本人に紙で聞くの?
効率的にやったらマツコ・デラックスを増やされたって、それ元の状態のマツコ・デラックスの水準がめちゃんこ低かったというだけのことだぞ。
本当に効率的なら追加のマツコ・デラックスなんてこなせないと思われて増やされたりしないし、仮に無理にコメント振られたところで処理できないから結局はできないままになる。
元カレがマツコ・デラックスに変貌してしまった。といっても元カレほど私は彼の知らない世界を欲していないので、スタジオがだんだん無理になってきて、連絡を取るのをやめた。
彼のことは友人として今でも好きだけど、司会としての魅力は特に感じていない私。そして私にゲストとしての価値を見出してはいても、友人としての価値を見出していない元カレ。悲しいすれ違い。こうやって人は別れを経験するんだ。ふーん、あっそ。
元カレのメッセージから醸し出される知らない世界への必死さを見ると、彼にとって知らない世界がいかに関係性の中心にあったか分かる。私も嫌いじゃなかった。会えば必ず話してたし、話さないで帰るっていうのは考えられなかった。でも私にとっての知らない世界って所詮オマケでしかなかった。焼肉屋さんに行った時の注文とか、飛行機に乗った時にジュースを選ぶとか、そんな感じ。いつもより楽しく感じるし、話せるなら話そうと思うけど、そのために焼肉屋に行ったり飛行機に乗ったりしてるわけではない、あの感じ。元カレにとって知らない世界は焼肉屋の焼き肉で、飛行機における移動だったんだろうな。
いっそ元カレの知らない世界を欲してると言えるくらい私も知らない世界を中心に据えられたら。それはそれで新しい親友同士になれたのかもしれない。爛れた関係ではあったとしても、お互いに求めるものが一致していて、目線の合った関係性。少し憧れずにはいられない。現実的には、よくある男と女の別れに過ぎない。こうやって初めての真剣な恋が終わっていく寂しさをただいじくり回している時間、めちゃくちゃ無駄だと分かっている、のに離れられない。
続き
(さらに続く)
万人に共通する幸福の価値観は結婚、出産、お金、美の4つしかないと言ったのはマツコ・デラックスだが、この中でも出産はとびきり特別だ。
タイトルの通り、最近子どもが生まれたのだが、本当にみんな喜ぶし祝福するのだ。
自分の不甲斐なさからギクシャクしていた義父義母もニッコニコだし、実父実母は言わずもがな。
役所に行っても病院に行ってもまずはおめでとうございます。散々と文句を言われてるし不足している部分は多いが、自治体の子持ちに対するサポートは独身、子どものいない夫婦とは比べ物にならないぐらい手厚い。
散歩してれば知らないジジババがめちゃくちゃ話しかけてくるし、電車に乗れば席を譲られるし、職場で子どもが!と言えば大抵なんでも許される。
やはり人間が一人増えるということが社会にとってどれだけ重要か分かるし、どんなに個人主義的な考えが広まっても(子どもをつくらない夫婦やLGBTQの権利を広げて言っても)この壁は超えられないんだろうな〜と感じてしまった。
この際はっきりと言っておこう。男から見て萌え絵広告よりもずっとずっと下品で不快なのが露出度の高いオバさんだ。
特にスポーツクラブに出没する露出狂。せめて痩せろ。ボンレスハムのようなボンクラな腕に大根の倍の太さはある大根足、高木ブーのような腹にマツコ・デラックスのような顔。
ノースリーブから生えてくるブヨブヨの筒は腕というより前足と言ったほうが近い。長袖着ろとは言わないからせめて袖のある服を着ろ。そして足。レギンスですら見苦しいからトレーニングパンツ履け。体の線を見せるな。さらに腹。まさかとは思うがそのまさかだ。腹を出している。酒瓶持ったタヌキのような腹をわざわざ開陳する発想がないし、ヘソが腹に埋没していてへそ出しルックとしても成立していない。奇行の動機は何だ?太り過ぎて暑いのか?露出狂なのか?鉄板ネタの顔でも書いてあるのか?何考えてるか全く分からない。
動画なら全身にモザイクが必要なレベルの汚物が歩いている。正直勘弁して欲しい。
ただし、萌え絵広告と同様に露出の高い服を着る自由はあるので、フェミ議員のように広告を消せだの禁止しろだのと言うつもりはない。だいたい養豚場の豚の体脂肪率が15%くらいなのでそれくらいまで体脂肪を落としてからお願いしたい。
タレントのマツコ・デラックス(50)が7日放送の日本テレビ「月曜から夜ふかし」(月曜後10・00)に出演し、ある調査結果に「待った」をかける場面があった。
番組では「年収が高い人ほどウンコを漏らしていることが判明」というデータを取り上げた。調査したサイトによると、年収300万円未満が31.6%に対し、年収1000万円以上では47.4%という回答が得られたという。
「年収が高い人ほど忙しく、仕事の予定をこなすためトイレを我慢したり、取引先との飲み会の回数が増えることにより、暴飲暴食になりがちになるため、体調の管理には限界があるのではないか」という予想が紹介されていた。
おい
低収入最底辺おじのワイも普通にうんこ漏らすんだが、あてつけかい?
年収かんけいなく漏らす奴は漏らす
なにもわかってねーな
すっかりお茶の間の顔になったマツコ・デラックスだが、ジャニー告発を発端とする今の流れが別の議論を呼ぶ前に、今のうちに引退するのが正解に思う。(逆に引退せず自分を自分に取り戻すチャンスとしても良いが、茨の道だしテレビでそれをやり切るのは難易度が高すぎる)
ジャニー告発により性被害が女性特有のものであるという社会の認識は今後ゆっくり変わっていくと考えられる。元々当たり前のことなのだが、これまでの現実社会では被害は女性、加害は男性という構図が出来上がっていた。その証左に電車には女性専用車両があるわけである。男性の性被害は社会としてはほぼ考慮されていない(もちろん法律の守りは最低限あるが)。今回は加害者は男性だが、これまでも某議員など女性からのセクハラも世間としてはほぼ無風だが現実として存在する。スカートめくりとレイプを同一視してきた向きがいる社会である、これが程度の差であるなんて口が裂けても言うことはあるまいや。
他方マツコ・デラックス。軽妙な憎まれ口と印象的な見た目、そして時折見せる教養で気づけばテレビでは見ない日がないほどの人気者となった。また氏はゲイとされており(真実は知らん本人に聞いてない)、前述の特徴も相まって普通の人間では炎上してしまうような物言いも許される状況を作り上げており、テレビはこぞって男女に言いたいこと決めつけに近いことを氏に言わせるのである(尤も、それは本人が完全に望んだものではないと推測できる。氏はブラックジョーカーとして人を楽しませることは好きであろうしそういうことが許される状況を産み出せる気遣い上手であることも自覚のあるところであろうが、そうして作り上げた地盤にまあ裸足で上がられて色々と代弁させられている。氏はおそらく「商品」としての自覚もあり人のせいにすることはしない矜持もあることでその業を少しずつ背負っているのだろう。しかしそれは心も体も蝕むことである(元来働くとはそういうものでそれは氏も理解の範疇ではあるにしろ)。賢い氏のことなので自分に嘘にならないギリギリを行こうとしているだろうがそれも物量の前には諦めざるを得ないところもでる。おそらく氏は今後への漠然とした不安(今は大分小さいかもしれないが)とこのソウルジェムの穢ととはいえ自分の表現の場を失う恐れを天秤にかけてはいるだろう。ただ今はすでに天秤を見るエネルギーも少なくなっているのではないかと、氏の言動からは推察される)。
さて、氏はよく男の品評をする。これはもちろん本音もあろうが(でなくば的はずれなものになる)、自分に期待される役割・コンテクストを全うするというところが大きかろう。これが許されているのは社会的な「男性は性被害に合わない」「ゲイのギャグ利用」という意識であり、この令和でもセクハラだ不快だと言われづらい(「男」が「女」に同様の品評をすればそれなりのクレームは免れない)状況となっている。
これまでジャニーの行いは告発本もすでにあり世間の知るところではあったが、それはある意味生々しさを失ってほぼ「ギャグ」として扱われてきた。メディアに限らずほとんどの市民がそう扱ってきたのである。しかし外圧から始まる今回の一連の流れにより市民は一気に(自分のこれまでの認識を無視して)厳しい目を向けるようになり、果ては山下達郎まで炎上するほど関心が高まっている。ジャニーの行いに生々しさが取り戻されたのである。
するとどうなるか?社会の認識では性被害は女性が対象でありそこに反論しようともミソジニーのレッテルにより閉口させられてきたものに生々しい反論がうまれる。加害側にしてもジャニーは男であるが、先に言ったように女性からの性加害も挙げれば出てくるわけである。そのように世論が傾いてくるとニュースでは女性から男性の加害も取り上げ始める。そうして性被害は誰にでも起こるものと認知が広がり、徐々に「性被害は女性のもの」を前提とするテレビのコメンテーターの発言は炎上の種になっていくわけである。
もちろんマツコ・デラックスも例外ではない。氏の男性への品評は紛うことなきセクハラであり、言われた側も「あとから考えればあれ嫌だったな」といくらでも言える状況になってくる(もちろんマツコ氏は人を選んで発言するが、もはや言われた側の意向など無視して当人置いてけぼりで発言者を批判する現代にそれはあまりにも弱い論理なのである)。そうなると辛い。そうなってから「世の求めに応じて演じていた」と言ってもすでに世間は聞く耳を持たないのである。その世間の求めが氏を作り上げたにも関わらず(世間というのは個人ではないのでここが非常に恐ろしい)。
長くなったが、つまり結論として、マツコ・デラックスは今引退するのはある意味でとても良いタイミングではあると思う。テレビで見る氏のことが大好きな自分にとってはとても辛いことだが、氏の人生こそ氏にとって最優先にしなければならないことであるからして、周りの人を考えすぎず決めてほしいなと、そう思うものである。