はてなキーワード: ブーメランとは
ブーメラン顔に突き刺さってるぞ 笑
昨今のマスコミ批判において、頻繁に取沙汰される問題の一つに「報道しない自由」がある。
この語は「報道の自由」に引っかけた単語であるが、要するに「メディアは自分たちの主義・主張にとって都合の悪いことは報道しない」というものである。最近の例では、加計学園の獣医学部新設をめぐる一連の報道の中で、マスメディアは前川前文部科学省事務次官の国会発言ばかり取り上げ、加戸前愛媛県知事の発言はごく短い時間しか取り上げないか、あるいは存在すらしなかったかのように無視したことが問題視された。「放送法順守を求める視聴者の会」がテレビ報道の在り方について新聞に意見広告を出した他、主に右派系のネットメディアでも頻繁に取り上げられていた。同様の批判は安保法制や共謀罪に関する報道でも行われた他、日常の事象においても「犯罪報道において犯人が報道関係者だったら追及が甘い」など、「報道しない自由」の事例は枚挙に暇がない。
この問題に対しては「マスメディアは自分たちの都合の悪いことを隠蔽せずに報道しろ」という旨の批判がなされることがあるが、私はそれは不可能だと思う。何故なら、媒体を問わず、偏向しないメディアなど存在しないからである。
ある事象において報道がなされる際、メディアが割ける報道資源には限りがある。テレビであれば一つの番組の中で数十秒~数十分。特番を組んだとしてもせいぜい2時間程度だろう。新聞であれば紙面の数%~全面、マックスでも広告欄を除いた全ページである。イラク戦争開戦の際に、新聞がほぼ紙面の全てをイラク戦争に割いていたのは、非常に印象的であった。
一方で、報道の元となる一次ソースは、膨大な量となる。行政機関が発行する資料では、少ない物でもA4で1枚、多い物なら数百枚にものぼる。これらの内容を、テレビや新聞で一字一句逃さず報道するのは不可能であろう。ネットであれば可能かもしれないが、そんなに大量の情報に全て目を通す人はそう多くはない。これが事件報道になれば、事件の経緯、加害者の背景、被害者の背景、関係者の証言、その他諸々…「事件に関わる全ての情報」を挙げていけば、際限が無くなってしまう。
そもそも全ての人が一次ソースを参照するのであれば、報道など不要である。一次ソースをかいつまんで分かりやすく説明したり、内容を解説して理解しやすくすることが、報道に求められることであろう。それがいわゆる「編集」と呼ばれる作業である。
そして、編集の過程において、どう頑張っても排除される情報というのは生じるものである。その事象にあまり関係のない情報、専門的過ぎたり限定的過ぎたりするために掲載しない方が理解しやすくなる情報などは、むしろ省いた方が視聴しやすくなる。また、編者の意見に会わない情報は、意識的か無意識的かに関わらず、省かれてしまうこともあるだろう。すなわち、一次ソースをそのまま掲載しない限り、テレビだろうが新聞だろうがネットだろうが偏向は必ず生じるものなのである。掲示板の書き込みを編集した「まとめサイト」などはその典型例で、記事の主旨とは異なる書込みは省かれるし、管理人の主義主張に反する書き込みも、もしかしたら排除されているかもしれない。いくらメディアが「公平公正」を標榜していたとしても、それを100%成し遂げることは、到底不可能なのである。
だから私は「報道しない自由」自体は全てのメディアが持っているものだと思うし、それ自体を批判することは的外れであると考えている。その批判は容易にブーメランになり得るからである。テレビにおいては放送法第4条を根拠に公平性を求められるケースもあるが、放送法自体問題が山積みの法律であるため、早急な改正が必要と言える(テレビ局の人間が「倫理規範だからセーフ!」とか言ってる時点で機能してない)。
では、マスメディアの持つ本当の問題点とは何か。当たり前すぎて今更語るまでもないことかもしれないが、今一度整理したみたい。
ネットとの比較という意味で、最も顕著なのはこの点だろう。テレビ、新聞などの既存メディアは、発信者と受信者が固定されており、受信者が発信者に対して同じ立場で発言することができない。テレビは総務省の許可が無ければそもそも放送できないし、新聞なら発行すること自体は誰でも可能かもしれないが、一般人が大手メディアと同じ量の情報を発信するのは、現実的ではない。
一方でネット上は、基本的に誰でも平等に発言することができる。もちろん、発言の影響力は立場によって異なるが、例えばツイッター上で批判されたら同じくツイッター上で反論することも可能だし、ブログの意見に対して別のブログを自分で立ち上げて反論することも可能である。グーグルなどのポータルサイトやSNSの運営会社が強い影響力を持つことは否めないが、利用者はそれらのサービスが気に入らなければ、容易に他のサービスに切り替えられる。また、例えば国が法律によってネット上の情報発信を規制したとしても、法の及ばない海外のサーバーを利用することだってできる。ネット上には絶対的な情報発信の強者は存在しないのだ。
これは利用者にとって、単一方向メディアにはない大きな利点である。今までは情報発信はマスメディアが独占していたが、現在では個人が自由に発信者になれるのである。その一方で憶測や捏造に基づいた情報を発信すれば、簡単に批判を受けてしまうというリスクも負っている。これまで独占的な情報発信者としてその恩恵を最大限に受けて来た既存メディアにとっては、到底受け入れがたいことだろう。だが残念ながら、どんなに望んでも時代が遡ることはない。
いわゆる「記者クラブ」に関しての問題点である。マスメディアの記者のほとんどは業界団体で作る「記者クラブ」という組織に属している。記者クラブには、行政組織や大企業の記者会見に優先して参加でき、クラブに属さないフリーランスの記者などはそもそも会見に参加すらできないことが多い。すなわち、日本ではマスメディアによって、ジャーナリストに対する言論弾圧が行われているのである。
また、記者クラブの中で、異なる報道機関の記者同士が取材した内容を互いに確認し合っているという問題も指摘されている。取材メモの内容を他の記者と「答え合わせ」し、内容に漏れや間違いがないかを確認しているという。これは関係者が著書などにおいて発言した内容であるため、事実か否かを確認する術を私は落ち合わせていないが、もし事実であるとすれば、報道機関としていかがなものかと思う。扱うのが情報だという点を除けば、他業種における「談合」と何ら変わりない。
記者クラブの存在を別にするとしても、報道内容が画一的であるという点は批判されるべきだろう。特にテレビ報道においてその傾向は顕著で、芸能人のスキャンダル、政治問題、相撲界の不祥事、どの事象においても、全てのチャンネルにおいて、まるでコピー&ペーストのように同じ論調でしか報じていない。ワイドショーだけならまだしも、ニュースにおいても同様である。そして、同業他社であるマスコミ各社の不祥事については、どの報道機関も一斉に口を閉ざすのである。これではマスコミ同士の相互チェックは全く機能せず、業界全体が腐敗してしまう。
さらに、冒頭に挙げた前川氏にまつわる報道では、読売新聞が「前川氏が未成年が働いている出会い系バーに出入りしていた」ことを報じ、他のマスメディアから一斉に批判がなされた。全く意味不明である。読売新聞は報道の自由に基づいて報じただけであるし、元文科省の役人が、任期中に児童買春を行っていた疑いがあるのだとすれば、報道すべき大問題であろう。マスメディア各社の中で前川氏に関する報道姿勢について合意がなされており、それを読売が「抜け駆け」したことに対して怒っているのであろうことは、想像に難くない。前川氏自身は(苦しい言い訳をしながらも)出会い系バーに出入りしたいたこと自体は認めており、読売の報道内容は事実であった。事実を報道したことに対して批判をするのであれば、日本のマスメディア各社は報道機関として終わっているとしか言いようがない。
もはや誰がありがたがっているかよくわからない年中行事の一つとして、自由国民社という一出版社が数人の選考委員会を集めて勝手に決めている「新語・流行語大賞」というものがある。最近では野球業界以外では全く流行っていない言葉や、日本に対するヘイトスピーチに当たる言葉を流行語として選び、物議を醸している同賞だが、先日発表された2017年の流行語のトップテンの中に「フェイクニュース」という言葉が選ばれた。その定義は、新語・流行語大賞のホームページを引用すれば、「ネット上でいかにもニュース然として流布される嘘やでっち上げ。」だそうだ。
このように、マスメディアがネット批判を行う際の常套手段として、「ネット上には嘘や質の低い情報が多く含まれている」という主張がある。「それに対して新聞やテレビは、社内で十分に内容を確認・検証しているから、正しい情報である」と言いたい訳であるが、ちゃんちゃらおかしいとしか言いようがない。
ネット上の情報に嘘が多いというのは事実であるし、そんなことは普段ネットを利用している人であれば十分承知の上である。一部の情報弱者が、良く調べもせずにその情報を鵜呑みにしたり、タイトルだけ見て記事の内容を読まずに早合点したりして、騙されている訳である。ネットを使っていれば関連する情報をその場ですぐに参照することは容易だし、先述した通り間違った内容であれば他者が指摘することも容易である。
対して新聞やテレビは、偏向や捏造があっても、個人が指摘して正すことはできない。サンゴ・グリコ・アジトや、椿事件、慰安婦問題などは、捏造が明るみに出たため、謝罪、訂正した例であるが、間違いを指摘されても訂正・謝罪していない例もいくらでも存在する。そもそも先に挙げた「フェイクニュース」という単語自体、元々トランプ大統領が言い出した言葉で、「テレビなどの既存メディアの捏造」を指す言葉であるが、マスメディアはこれを「ネット発の捏造・誤報」という意味に「捏造」しようとしているのである。
近年、「若者のテレビ・新聞離れ」を憂う声がメディアから上がっているが、若者に原因があるのではなく、自分たちに原因があることを理解しているのだろうか。メディアにとっての商品は「情報」である。その商品の品質が低ければ、顧客が離れるのは当たり前だ。提供する料理がマズい店は、客足が遠のくのと同じである。これまでは情報そのものが大手メディアにより独占されていたが、現在はネットの出現によってその独占状態も瓦解してしまった。既存メディアがいくら「ネット情報は玉石混淆だ!」と叫んでも、石しか扱っていない既存メディアは一笑に付されて終わりである。
徒然と書き殴ってしまったが、ひとまずここまでにしたい。他にも、視聴者が直接の顧客ではないこととか、テレビ局が国民の資源である電波を独占していることとか、新聞社が企業買収から守られていることとか、メディア自体が権力化していることとか、いろいろと問題はあるが、ともかく「既存メディアがネットよりも優れている」というのはまやかしでしかない。「ネットの情報ばかりでは偏る」という意見もあるが、それはテレビや新聞でも同じことである。メディアの媒体問わず、一つの報道だけを鵜呑みにせずに、様々な情報を加味して判断すべきなのだ。要は個人のメディアリテラシーの問題でしかないのである。
また、単一のメディアの情報だけを信じてしまう人の特徴として、「自分で判断することを放棄している」という点が挙げられる。そういう人ほど誤報・捏造報道があった時に、「騙された!」と叫ぶのである。もちろん、捏造したり、ちゃんと確認をせずに報道したりするメディアは悪であり、糾弾されなければならない。しかし本来は、何が事実で何が嘘かは、情報の受け手個人個人が、自分の責任において判断しなければならない。それができない人間が「情報弱者」と呼ばれるのである。
メディアはその媒体を問わずに「報道しない自由」を有している。だからこそ受け手は偏向・誤報・捏造に踊らされないように、一人一人がメディアリテラシーを身に着けることが重要なのではないだろうか。
外国人が日本社会の民度の高さを称賛し、そして日本人の少数派がそれを受け入れた一方で、多数派がそのような現実を後悔する声があった。とある左翼思想家は、"日本人の右派の満足した社会意識"を、市民社会に合意を受入れるよう要請した事で糾弾した。ある大学生は、左派系SNSに "我々は、道徳的な社会観の象徴である安倍政権、現代版のファシズム風潮を変えなければならない"と、激昂して述べた。通常は自公政権を支持しているいくつかの若者や高齢者ですら、道徳的社会に対しては不満だと感じると述べた。ネット上での批判は日々加熱している。
ヒステリックな道徳社会への反応は、日本がどのように非寛容社会を形成し続けているかを示している。あらゆる種類の政治家および空論家達は、単に自らの課題を推進するため、長きに渡って道徳感情を煽ってきた。彼らは、過去から今日まで続いているのこの強迫観念が日本国を停滞させている事を、気にかけるようには見えない。
第二次世界大戦敗戦後のアメリカの保護国化のもと日本は先進国になったが、中高年世代の多くは、1990年代以降の急速な非寛容社会化を体験している。日本が古くから抱える被差別階層などのような内部の実体が、通常、社会の病いの原因だと非難されてきた。しかし、障碍者および在日外国人への感情は、より複雑だ;しかし、彼らとの友好感情はほとんど全員に共有され、社会の物語とされている:日本社会の栄光は、自由な価値観とは反する道徳思想に妨害された。
日本に蔓延する暴走する道徳感情は、社会がきちんと回らない原因になっている(例えばモリ・カケ騒動や不倫なんかがそう)。特定の日本権力主義者たちが、確立された普遍的事実に疑問を呈し、大衆を触発する一方で、彼らから見ての敵はより重要な問題を無視するための、便利な弁解を提供している。
道徳感情はまた、教育や文化の問題を凌駕している。1990年代~2010年代前半の長期不況からの増大する経済改革への要望にも拘わらず、日本は、今日までに経済成長への道を選択できなかった。
未成年あるいは高齢化する貧困や公共インフラの破綻など、その他の国内問題は、脇に追いやられている。政権および野党は、歴史問題などへの政府の懸念を "解決する"と申し出る事で、政府が本当に意味した事について口論している。
アメリカの保護国下による72年間の成長一辺倒の日本社会の影にある犠牲者達は、彼らの主張を押し続けなければならず、そして日本社会とその保護者たるアメリカはより良く謝罪をしてみるべきだ。システムの見直しと検証必要であるという、十分な証拠が有る。しかし、無数の問題のために悪人(と決め付けた人たち)を非難してきた政治階級下の数十年の後、道徳感情は独自の生命を持ってしまっている。日本は、昂ぶった感情を持続的に保持している。その構成員達は、その他全てを犠牲にしようともそうするように見えるが、絶えずこれらの感情に応えようとする。その全ての嫉妬のブーメランが日本社会を傷つけている。
はあちゅうさんが、岸勇希氏から「電通」でセクハラやパワハラを受けた
この件が話題になるにつれ、はあちゅうさんが過去にTweetした
「童貞いじりの件」(彼女Twitterでの言葉を採用し、この言葉を使うが、わざわざ逆撫でする言い方をしなくても良いのにとは思う)
これはどうなっているんだ、これもセクハラではないのか、と批難の声があがっている。
感情に流されない識者は、岸勇希氏からのセクハラやパワハラと、「童貞いじりの件」は別箇に議論されるべきであって、
今回の彼女の告発は、相対化されるものではないとコメントしている。
まったくその通りだと思う。
はあちゅうさんが、「私は電通の考え方に染まったのから『童貞いじりの件』をTwitterに書いた」といえば味方できるのに、というのも、この二つの件を混同している典型に思える。
一番問題なのは、「理想の被害者ではないと声をあげてはならない」と、被害を被っている側、被害者の相談を受ける人が内面化することだろう。
しかし、この二つのことを一緒くたにしてブーメランだとか、語る資格はないと語る人がいる。なぜか。
「童貞いじりの件」という言葉は、女性から男性へのセクハラ、同じセクハラという言葉の定義に抱括されてしまうからだ。
Wikipediaのセクシャルハラスメントのページ(いろいろ見て回ったがWikipediaがわかりやすかった)を参照する。
セクハラは、対価型セクハラと環境型セクハラに分類できるそうだ。
今回のはあちゅうさんが「#metoo」のハッシュタグで告白したものは、対価型セクハラに分類される。
一方、はあちゅうさんの「童貞いじりの件」は、分類するならば、環境型セクハラに分類されるっぽい。
(あくまで私の私見である。きっとこのように綺麗に分類できるものではないし、セクハラにあたるのかもわからない。私は専門家ではないので、専門家に詳しい解説を願いたい)
どうも、この対価型セクハラと環境型セクハラをセクハラという大きな言葉で括っていることが
要はセクハラと言ってもいろいろなモノがあり、そのひとつひとつの拾い上げて検証する必要があるのではないだろうか。
対価型セクハラと環境型セクハラという分類も、大雑把な分類だがこの性質はまったく違う。さらにその中でも発信される場所などに対しての考慮も必要だろう。
対価型セクハラは、権力を持つものが、セクハラもしくはパワハラをその権力を笠に行うので、セクハラ・パワハラ被害を訴えにくい。
対価型セクハラは、声をあげ辛く、議論の俎上にも載せにくい。なぜなら声を上げるだけで不利益を被る蓋然性が高く。匿名で訴えたとしても、信憑性にかけると判断される可能性もある。
一方の環境型セクハラも職場や学校など限定された環境であれば、声をあげるのは難しい。
しかし「童貞いじりの件」は、インターネット上の発信であり、批判の声を発信者に届け、議論の俎上に載せることは容易である。
そもそもはあちゅうさんが、童貞に対して(語りかたが不愉快だから)何も語る資格を持たないというのも、冷静に考えれば妙な話であり、
さらに言えば、はあちゅうさんの今回批難されているTwitterの「童貞いじりの件」は、概念としての童貞を語っており、誰か個人を晒し上げているわけでもない。
そもそもセクハラなのか、これは環境型セクハラに分類しちゃって良いのだろうか(専門家の意見求む)。どうもビミョー臭い。
本人が堂々と公言している童貞、ヤリマンをコミュニケーションネタとしていじることや下ネタとセクハラは違うと思うんですけどねー。明るく楽しく笑えるものが自粛になるのは嫌だなー...。
と、いうはぁちゅうさんのコメントは、童貞をタブー視することこそが問題なんじゃね?と彼女なりの考えがあっての発言にも思える。
彼女の言い回しに対して違和感がないわけではないが、言わんとすることはわかる。
すべての、セクハラという言葉で定義できるものをシステマティックに片付ける社会は嫌だけど、許せないことはある。これは矛盾しない。
私はセクハラやパラハラの専門家ではないので、発言を控えるべきだとも思った。
しかし、かつて酷いパワーハラスメントにあい「言ったとて、どうにもならない」と言い出せず、悔しくて、惨めな思いを味わったこともあり、
今回の#metooの動きで声にならなかった言葉が可視化されて、今後「私だけじゃない、これは怒っていい奴だ」と声をあげやすくなるのは、
とても素晴らしいことだと感じ、考えを述べた。
それに頼るだけでは、戦いに幅がなくなると考えていた。
俺が新たなるステップに移行するためには、別の何かが必要だと思っていた。
そんなとき、俺は道中の村で運良く曰くつきの武具を見つける。
なぜ見つけたかは説明しにくいが、「武具が俺に使えと囁いた」としか表現しようがない。
或いは、このイベントも神とやらの予定表に書かれていたものだったのかもしれない。
何はともあれ、俺は『とにかくすごいってことだけは伝わる設定の武具』を手に入れた。
今でもお世話になっている装備だな。
エンチャントとかが絶妙な配合バランスになっていて、上手く扱えば一方的なバトル展開が予想される。
その上手い扱い方は、俺の生まれ持った才能と現世で培われた教養を持ってすればヒラメく。
これで鬼に金棒。
ここでいう『鬼』とは俺のことで、『金棒』はこの武具のことだ。
俺だけにしか価値が分からない特別な代物だが、イミテーションなら君たちの世界でも最寄のトイ・アザースでそれぞれ売っているぜ。
この日はこれだけでも印象深いが、他にも色んなことがあった。
後に仲間となる、エルフ族のウロナと邂逅。
実質ライバル的な存在となる因縁の相手であり、四天王の一人でもあるイノウの登場。
イノウ「ガン・バルカンは子供の玩具じゃない。大人ですら安易に使えない先進的な業物だということを忘れるな。それを気軽に使える俺は、つまりヤバい奴であるということだ」
その他にも第1話で俺が生活していた町が焼き討ちにあったり、リ・イチの国が魔族との戦争の香りを漂わせたり、あとウロナの村も焼き討ちにあったり、てんやわんや。
俺のジャストコーズによって何とか被害を最小限に食い止めることができたものの、四天王に対する言い表せない嫌悪感は日々増すばかりの第3話だった。
第4話では、仲間の一人であるイセカが登場する。
四天王の一人によって故郷が焼き討ちにあった、悲しい過去を持つ男だ。
イセカ「我が持つチョウナ・ブーメランは両親の形見。そして、奴らを倒す大義名分だ!」
この時に、今のパーティが完成したのだが、お世辞にも良い関係ではなかった。
その時点での俺たちは、利害が一致しているに過ぎなかったからだ。
彼らは頼りになる実力者だが、頼りにしなければいけないほど俺は切羽詰っていなかった。
むしろ、俺が頼りにされることのほうが多かった気もする。
正直なところ、仲間がいなくても俺なら何とかなっていただろう。
だからこそ有事の際には信頼ができたし、絆を深めることだけに注力できた。
5話では俺がリ・イチを助けて信頼を得て。
6話では俺がイセカを助けて信頼を得た。
こうして徐々にではあるが、俺たちのパーティは本当の意味で完成に近づいていったのだ。
婚活ってどうやるの?
とりあえずペアーズは入れてあるんだけど、よく『ペアーズとか出会いアプリに登録する男は遊び目的の人が多くてろくなのがいない』っていうじゃないですか。ていうか言われるんですよ、友達に。けど結局自分も30手前になってもパートナーが見つからないようなつまりは同じ穴のムジナだし…ってことで開き直ってペアーズを楽しんでみた。
一年くらい続けて、実際何人か会った。好きになれるような相手はいなかった。
マッチングアプリはステータスが可視化されてるから街コンとかに比べて効率がいい思ってたけど、足元ばかり見てしまって気持ちが入っていかなかった。
ひたすら自分の最寄駅の話や仕事の話など浅い話しかできずに、話してて楽しい人もおらず、回転寿司みたいに自己紹介するだけの時間が苦痛に思えてきた。なんかいいなと思って連絡先交換しても、相手の顔も思い出せないような状態。
街コンで友達になった女の子に誘われて合コンにも行った。ただの飲み会好きの男が来るばかりで、わたしがやった婚活の中では合コンが一番無駄な時間だった。
残るは結婚相談所なんだけど、結構金がかかる。どこの結婚相談所も予算はおおよそ5万から10万だ。
偏見だけど、こんなに金出して結婚したがるような男性ってまともな人いるのかな…と思ってしまう。それに関しては私にもブーメラン刺さるけど、結婚願望のある女性の比率に比べたら男性で結婚願望ある人なんて全然少ないと思うんですよ。いやもう全然いないんじゃないかと思う。メンタリストDaiGoの連載でも言ってたよ。男性は『セックスしたいタイプ』と『恋愛したいタイプ』しかいないって。https://cakes.mu/posts/18704
多分、ごくわずかな『結婚したいタイプ』で更に仕事で出会いがなくて出会い系アプリで出会えない(もしくは出会い系を信用してない人)が高い金出して登録してるのかな…どんな層がやるんだよ…
でももうあと一年で30になってしまう。結婚相談所に縋るしかないのか…。普通に出会って相手を気になって距離を詰めて少しずつ相手を知って恋愛して結婚するなんて、無理なのかもしれない。
前は他のユーザーページからブックマークしてるURLかタイトルを検索できてたよね?
これで矛盾するブコメやブーメランブコメを見つけてニヤニヤするのが好きだったんだけど
俺の楽しみを奪うな
配慮は他者にするもの。増田が大丈夫かは問題じゃないし、何故みんながお前と同等の鈍感さを獲得せにゃならんのだっつう話でもある - houjiTのコメント / はてなブックマーク
ブーメランすぎてワロタ。その逆のことを頻繁にやってる連中いるよね?じゃあ逆におれがそうやってもいいよね?という話なんだが?
つまり一般的な倫理として述べてるわけではなくただの個人の感想なので無視してボコボコにしてもセーフってこと?それならOK
俺の側を一般社会では違法である全裸に例えてる時点で説得力皆無ですよ
増田が気にせずにいられるその不快感は、配慮のある現社会でのものよ。無配慮OKになった時、増田がセーフだと感じる基準以下の不快感であるとは限らない - aLaのコメント / はてなブックマーク
それってただのレッテル貼りじゃん
たいていのことは気にならないけど、配慮しろと言われることは気になるのかな。 - ROYGBのコメント / はてなブックマーク
自分にとってコストデカイ方を一般的倫理みたいに持ち込むのはただの屑だよね?
どうとでも言えるスティグマづけに必死なクズ、会話に一切進展をもたらさない時点でモヒカン族未満なのでは?
ボルトが100m9秒台で走れるんだからお前も9秒台で走れるはずだよなって言うようなもんだぜそれは - wwolfのコメント / はてなブックマーク
「オレたちにとって都合のいいコスト配分におまえも合わせろ」俺「それっておかしくない?」「自分にあわせろとかおまえはわがままだな!無茶を言うな!」
ブコメ欄までの流れをまとめると、こういうことになるね。
頑丈(鈍感)な人を基準にしていたら潰れる人がいっぱいでるからでは。その大概のことをいくつか挙げて欲しい。 - LethalDoseのコメント / はてなブックマーク
は?馬鹿なの?それっておまえに都合のいいコスト配分に持ち込んでるだけだろ。
多数派をいいことに自分たちに都合よく持ち込んでる強者はどっちなんだか笑