はてなキーワード: キュビズムとは
外見はキュビズムに囚われてるけどな
お前の周りキュビズムみたいな顔の奴がいるのな
本当。アトピーを治せ、とかやれるならやってるクソボケアホバイスや、整形しろ、みたいなゴミバイスが具体的なアドバイスと言うのならば。
半分本当。半数以上の人が、このあたりをやってないと「清潔感がない」という評価になる。嘘部分は、各種やっても出ないやつは本当に出ない。アトピー跡の残る私なんか人の10倍は肌荒れ気にしてても清潔感がない。くるくる系の天パも清潔感がない扱いされやすい。顔が良い人は無精髭でも清潔感がある評価されがち。
具体的な定義はない。各々が好き勝手に「清潔感」って呼んでる評価軸がある。各々の持ってる評価軸の共通点が「清潔」に近いところにあるから「清潔感」と呼ばれているだけ。よく「清潔感が無いは生理的に無理の言い換え」と言われるが、ほぼそのとおり。「清潔感がない人は生理的に無理」と言ったことがある人は、生理的に嫌だから生理的に嫌というトートロジーを言っているにすぎないと自覚したほうが良い。自分が感じた生理的嫌悪=不快感を「清潔感が無い」と言ってる。結局、個人の「快・不快」という2歳児レベルの二元論で、快なら清潔感がある、不快なら清潔感が無いと言っているにすぎない。
その不快感とは何かと言うと、情報量だ。くしゃくしゃヨレヨレの服よりもアイロンがかかったきれいな服のほうが、ボコボコガサガサな荒れ肌よりもつるっとした肌のほうがポリゴン数少ないだろ。伸びっぱなしボサボサ頭やくるっくるの天パよりも、ツーブロックなりアップバングなりできっちりまとまってたほうが絵に書きやすいだろ。ヒゲも、無精髭はNGでも整ってればOKだったりする。ニオイも、タバコ臭い汗臭い香水もつけ過ぎりゃ臭い。一番好まれやすいのは情報量のない「無臭」だ。勿論”この人の”汗の香りが好き、みたいな個々人のフェチズムはある。それはピカソのキュビズムな絵が好きとかそういった方向性なので別の話。今は写実的な絵の方がうまく見えやすい、という話をしてる。
鼻毛も飛び出てたらそこばっかり気になっちゃって、初対面の人だったら顔関係なく「あの鼻毛出てた人」っていう扱いになるよな?あれは鼻毛の情報量が多いからだ。マスクしてると顔が整って見えやすいのも、マスクの情報量が人間の鼻口まわりよりも圧倒的に低いから。顔を隠せ。男がシャツ着てて乳首が浮いてるのも清潔とは一切関係がないのに「清潔感がない」とされるだろ、あれも乳首の情報量が多いからだ。体型を隠せ。坊主がNGくらいやすい理由も同じだ。頭の形が小峠より綺麗な奴なんてそうそういない。頭の形も隠していけ。顔周りを隠す、体型を隠すことで情報量が一気に削減される。ゲレンデマジックなんて言葉もあるくらいだ。情報量が多い=認識負荷が高い、人に負荷を強いることになり、得も言われぬ不快感が出る。それこそが生理的嫌悪であり、清潔感がないと言われるものだ。
さらに言えば、顔の情報量が元々低ければ、何はなくとも「清潔感がある」とされやすい。顔の情報量が元々高ければ、無精髭が生えてるとかデキモノがあるとかの1点でも「清潔感がない」とされやすい。筆者の言われたことがある「顔に清潔感がない」は「お前の顔情報量多いんだよ」であり、「顔が個性的すぎる」なのだ。私の顔の情報を好意的に受け取ってくれる人は少ない、それ即ち”不細工”である。婉曲表現。顔の認識負荷が高くない、顔が個性的じゃない、つまりは不細工じゃないのが最大の清潔感。
ここまで清潔感とは情報量の少なさである、と持論極論を展開したが、それが周知されたところで
キミら増田や女増田が憎悪を向けている、一流企業の正社員で働いている恋愛市場の強者たちはなんやかんやでものごっつい努力しとるんやで
忙しい時間を割いて工夫して自分磨きをして、一流企業でクッキークリッカーの如き虚しい作業ゲーのような地道な努力と仕事をして、それでようやく1人か2人くらいのラノベやアニメや女性向け漫画みたいな華やかな恋愛と結婚ができとるんやぞ
それをITエンジニアの本質は省力化だなんだといって、骨格から復元された化石時代の類人猿みたいな顔しとる顔写真貼り付けたらキュビズムの絵画になりそうなブサイクなキミら増田は、そーいう泥臭い地道な努力を邪教のごとく嫌っとるわけや、何なん?恥も外聞も捨てて頑張って努力したら死ぬ奇病にでもかかってるのん?
これはもう、恋愛する資格どころか、仕事してる社会人として終わっとることは、キミら増田の社会を舐め腐ったその考えからもようわかるんや
努力しとる恋愛強者やエリートたちを憎み、恨み、嫉み、口を開けば不平不満、発達障害だかアスペルガーだかパニック障害だか毒親育ちだか知らんが、そんなの努力しない負け犬の言い訳にしかならんのやぞ?
こんなところで勝ち組のなりきりを空しくしたところで、人生が刻一刻と詰んでいくことにはかわらんのやぞ?わかっとるんかいキミら
戦いも努力もせず尻尾を巻いた負け犬は、負け犬らしく分際と身の程をわきまえ、石の下のダンゴムシやナメクジの如く慎ましくいきんしゃい
https://anond.hatelabo.jp/20200323025005
――ところで、わたしは昔から、最後のスタンザは少し弱いのではないかと思っていたのですが……。
( ・3・) 弱い? 「リング」と「スプリング」とで韻を踏むのはありきたりだとか?
――弱いというよりは、ピンとこないといったほうが正確かもしれません。「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」――これはどういうことなんでしょう。
( ・3・) 彼女のほうが歳上だったんじゃないか? 50歳くらい。
――それはたしかに too late な気がしますが、もし年齢が離れていることが問題なら、彼女が三月生まれであれ、七月生まれであれ、一年のうちで生まれた時期に言及する意味はないはずなんです。
( ・3・) 春に生まれようが夏に生まれようが誤差みたいなものだからな。
( ・3・) ははは、まさか。
――ここに一枚の写真があります。1975年に撮られたものです。
https://twitter.com/kedardo/status/1242030916232339458
( ・3・) ボブ・ディラン、本を読む。
――何という本ですか?
( ・3・) 『クリスタル・マジック』と書いてある。マジックのつづりが変だけど。
――目次には次のような言葉が並んでいます。「ケンタウルスが獅子を狩る」「シャンカラの理論は現実をどう捉えるか」「ハクスリーの知覚の扉」「アジュナチャクラあるいは第三の目」「カバラの諸相」
( ・3・) 神秘主義のロイヤル・ストレート・フラッシュという感じだな。
――星座が何であれば、支配星は何、エレメントは何、という表も載っています。
( ・3・) 本を読め、ただしまともな本を、と釘を刺したばかりだというのに。
――まともな本も読んでいますよ。このころディランはチェーホフやコンラッドに傾倒していたはずです。 [3] [4]
( ・3・) じゃあ『クリスタル・マジック』はたまたま手にとっただけで、内容を真に受けたとまではいえないんじゃないか?
――1974年、コンサート・ツアーを再開した理由を、ディランは次のように語っています。「わたしの惑星系 (my planetary system) において土星が障害となっていた。その状態がしばらく続いていたが、いま土星は別の場所へ移動した」 [5]
――1976年のアルバム『ディザイア』のバック・カヴァーには、タロットが描かれています。
( ・3・) タロット! イタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』は何年だっけ。ちょっと待って――第一部・第二部の合本が出たのが1973年。英訳は1977年だ。
――1978年のインタヴューでは、占星術を信じているのかと単刀直入に訊かれています。
PLAYBOY: OK, back to less worldly concerns. You don't believe in astrology, do you?
DYLAN: I don't think so.
PLAYBOY: You were quoted recently as having said something about having a Gemini nature.
DYLAN: Well, maybe there are certain characteristics of people who are born under certain signs. But I don't know, I'm not sure how relevant it is.
PLAYBOY: Could it be there's an undiscovered twin or a double to Bob Dylan?
DYLAN: Someplace on the planet, there's a double of me walking around. Could very possibly be. [6]
( ・3・) 信じているかといえば、信じてはいない。星座と人間の気質とのあいだには何か関係があるかもしれないが、どの程度なのかは分からない。――うーん、言質を取られるのを避けているみたいだ。
――もともと質問に率直に答える人ではないのですが。
( ・3・) 思い出した。昔、日本の有名な批評家がイェール大学に文学を教えに行ったんだが、向こうでは占星術が流行っていて、同僚の学者の生年月日がどうのこうのと書いていたっけ。あれも70年代半ばじゃなかったかな。
――期せずして、アメリカにおける神秘主義の流行、というテーマに足を踏み入れてしまいました。
( ・3・) ……引き返そうか。
――「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」の意味をめぐって脇道にそれてしまいましたが、実は、意外なかたちで問題が消滅します。
――いえ、問題自体が消えてなくなってしまうんです。アルバム発表から一年も経たないうちに、歌詞が書き直されて、最後のスタンザは大きく変わります。1975年のライヴ録音を聴いてみましょう。
To know too much for too long a time
She should have caught me in my prime
Instead of going off to sea
And leaving me to meditate
( ・3・) ジェミニを連想させる "she was my twin" も含めて、占星術につながりそうな表現はなくなったな。詩の問題の解決を、人は問題の消滅によってうやむやにする。
――「彼女はわたしの双子だった」も、考えてみれば謎めいた表現です。「本当の恋人だった」と「双子だった」とが置き換え可能かといえば、そうではないと思います。
( ・3・) 歌詞だけじゃなくて、コード進行も旋律も変わっているぞ。
――そうなんです。これまでわれわれが検討してきたことの少なからぬ部分が、このヴァージョンには当てはまらなくなっている。ディランにしてみれば、もう「わたしはそこにはいない」んです。
( ・3・) うなぎみたいなやつだな。
――歌詞の変更は1975年以降も続きます。「彼」と「彼女」とが入れ替わったり――
( ・3・) 体が?
――立場がです。第一スタンザで「孤独を感じ」「まっすぐに歩いていればよかった」と願い、第二スタンザで「夜の熱気に打たれるのを感じ」るのは、「彼」ではなく「彼女」になります。80年代にはさらに全面的な変更があり、90年代には――
( ・3・) もはや原形を留めなくなった?
――いえ、それが――。
( ・3・) それが?
――おおむね元のかたちに戻りました。
( ・3・) ……。
――……。
( ・3・) 「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」も?
( ・3・) 抑圧された占星術の回帰……。なくなったはずの問題の再燃……。まるで人生のようだ。
――これで「運命のひとひねり」は概観できました。全体について何かありますか?
( ・3・) 英語は易しめだったな。
( ・3・) 「彼」と「彼女」との間に何があったのか、曲のなかでは詳しく語られないけど、これは、その、いわゆる一夜の関係というやつなの? [7]
――なぜそう思ったんですか?
――ただ、それだと、彼女がいなくなったときの彼の傷心ぶりや、「指輪をなくしてしまった」のくだりはうまく説明できません。
( ・3・) そうなんだよな。じゃあ、ある程度つきあった恋人たちの最後の夜だったんだろうか。
――第一スタンザに、「体の芯に火花が走るのを感じた」とありますが、これは恋に落ちるときの表現だと思います。まあ、よく知っている相手に対して改めて火花を感じる、という可能性もゼロではありませんが。
( ・3・) すでにつきあっている恋人同士なら、見知らぬホテルの前でまごまごするのも不自然だしな。うーん、こんがらがってきた。一方では、彼と彼女とは一夜の関係に見える。ある日の夕暮れに物語が始まって、翌朝には彼女は姿を消している。その一方、物語の後半では、彼は生涯の伴侶を失った男のように見える。
――常識と観測結果とが矛盾するときは、常識を捨てなければなりません。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、と考えて矛盾が生じるのであれば、そう考えるのをやめればいいんです。
( ・3・) いや、でも、ある日の夕暮れから翌朝までじゃないの? ネオンの輝く見知らぬホテルに長期滞在して、数年後の朝に彼女はいなくなりました、なんていくらなんでも無理があるだろう。
――キュビズムの絵画では、ある対象を複数の視点から捉え、平面のキャンバスに再構成して描きます。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、という枠組みのなかに、出会いから別れまでの一切が凝縮されたかたちで描かれているとしたら?
( ・3・) 時間の流れが一律ではなかったということか?
――いいですか、時計の秒針が聞こえてくるのは、彼女がいなくなった後です。それから彼にとっての永遠の現在が始まり、彼女がいた過去は、彼の記憶のなかで遠近法的な奥行きを失うんです。
( ・3・) 時計を一種の仕掛けと見立てて、内在的に解釈するわけか。理屈は通っているかもしれないが、常識を捨てさせるには、まだ十分ではないと思うぞ。
――では、時間の流れが一律であるとは限らないという外在的な傍証を。1978年のインタヴューです。
Everybody agrees that that [Blood on the Tracks] was pretty different, and what's different about it is that there's a code in the lyrics and also there's no sense of time. There's no respect for it: you've got yesterday, today and tomorrow all in the same room, and there's very little that you can't imagine not happening. [8]
( ・3・) おい、詩に暗号が隠されていると言っているぞ。
――その点は保留にしてください。
( ・3・) 時間の意識は失われている。過去、現在、未来が同じ部屋に混在して、想像しえない出来事などほとんどない。
( ・3・) 「運命のひとひねり」の解題ではないんだな?
( ・3・) そうだな、まだ腑に落ちるとまではいかないが、時間の扱いは気に留めておいたほうがよさそうだ。
――はい。実は、キュビズムの絵画や、時間の意識をもちだしたのは、次に聴く曲「タングルド・アップ・イン・ブルー」でも同じ問題がでてくるからなんです。邦題は「ブルーにこんがらがって」。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、まず10位以内には入る。人によっては1位かもしれない。というわけで、ウォーム・アップは終了です。次は少し難しくなりますよ。
そのようにして彼らは「タングルド・アップ・イン・ブルー」を聴き、「シェルター・フロム・ザ・ストーム」を聴いた。窓のかたちをした陽だまりが床を移動し、寝ていたストラヴィンスキーの首から下が影に入ってしまった。もう次の曲に進む時間は残っていなかった。デレク・ベイリーのCDを持って帰らなければ、と彼は思った。マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスならいつでも買い直せる。しかしベイリーは品切れのまま再発されないことだってありうるのだ。
「もう帰るのか?」と上司は言った。
「はい。それで、デレク・ベ」
「おまえの家は一戸建てだったな、たしか。陽当たりと風通しは良好か?」
「陽当たり? まあ、それなりには。それで、デ」
「窓からの眺めは?」
「眺め? まあ、壁しか見えないということはありませんが。そ」
「じゃあ、決まりだな」と上司は言い、リムスキー=コルサコフの両脇を後ろから抱えると、目の高さまで持ち上げた。
「新しいパパだよ」
かくして予言は成就し、わたしは持っていったもの以上を持ち帰ることになる。小さなモフモフと、モフモフの当面の生活に必要なモフモフ用品とを。
まずはこの子に、猫としてまっとうな名前をつけよう。このままだと、もし何かの拍子に迷子にでもなったら、「リムスキー=コルサコフ! リムスキー=コルサコフ!」と大声で呼びながら近所を捜し回らなくてはならない。獣医にかかるときだって、きっと問診票に名前を書く欄があるだろう。常軌を逸した飼い主だと警戒され、信頼関係を築くのに支障をきたすかもしれない。
しかし、猫に名前をつけるのは難しい――T・S・エリオットの Old Possum's Book of Practical Cats にもそう書いてある。クラシックの作曲家では大仰すぎる。ジャズ・ミュージシャンではどうだろう。わたしはCDとレコードの棚の前に立ち、名前の候補をピック・アウトしていく。チェット。論外である。マタタビに耽溺してばかりの猫になってしまいそうだ。ドルフィー。才能も人格も申し分ないが、早世の不安がつきまとう。ベイリー。デレク・ベイリーのCDを取り戻すまで、わたしはあとどれだけの道を歩まなくてはならないのだろう。
わたしは気づく。予言は成就していない。少なくとも完全には成就していない。人知を超えた力によって予言はねじ曲げられ、わたしは持っていったもの以上ではなく、持っていったもの以外を持ち帰ったのだ。新しい家の探検を終え、お腹を上にして眠る小さなモフモフよ、おまえのしっぽが曲がっているのも、運命のひとひねりのせいなのか?
[1] 実際にはEより少し高く聴こえる(テープの再生速度を上げているため)。
[2] これ以降、歌詞の引用は2小節ごとに改行を加えている。
[3] Bob Dylan. Chronicles: Volume One. Simon and Schuster, 2004. p. 122.
[4] Sam Shepard. Rolling Thunder Logbook. Da Capo Press, 2004. p. 78.
[5] https://maureenorth.com/1974/01/dylan-rolling-again-newsweek-cover-story/
[6] Interview with Ron Rosenbaum. Playboy, March 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 236.
[7] 草稿では、第三スタンザは以下のように書かれたあと、大きなバツ印がつけられている。"She raised her weary head / And couldn't help but hate / Cashing in on a Simple Twist of Fate." 初めは娼婦として描かれていた点を重視することもできるし、その構想が放棄された点を重視することもできる。
[8] Interview with Jonathan Cott. Rolling Stone, November 16, 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 260.
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 109 | 14013 | 128.6 | 39 |
01 | 75 | 4706 | 62.7 | 25 |
02 | 16 | 1108 | 69.3 | 48 |
03 | 28 | 18467 | 659.5 | 464 |
04 | 36 | 4322 | 120.1 | 94 |
05 | 33 | 20682 | 626.7 | 371 |
06 | 24 | 13455 | 560.6 | 118.5 |
07 | 41 | 25056 | 611.1 | 194 |
08 | 116 | 8217 | 70.8 | 39.5 |
09 | 148 | 9298 | 62.8 | 30 |
10 | 164 | 14753 | 90.0 | 43 |
11 | 177 | 13540 | 76.5 | 44 |
12 | 205 | 18108 | 88.3 | 39 |
13 | 161 | 13200 | 82.0 | 44 |
14 | 183 | 10285 | 56.2 | 35 |
15 | 200 | 13849 | 69.2 | 35 |
16 | 229 | 17126 | 74.8 | 34 |
17 | 230 | 10854 | 47.2 | 30 |
18 | 172 | 15271 | 88.8 | 39.5 |
19 | 180 | 13373 | 74.3 | 29.5 |
20 | 194 | 61806 | 318.6 | 52.5 |
21 | 222 | 73403 | 330.6 | 45.5 |
22 | 213 | 12972 | 60.9 | 26 |
23 | 310 | 94443 | 304.7 | 61.5 |
1日 | 3466 | 502307 | 144.9 | 38 |
2月16日(5), デッサン(74), 牟田(3), COVID(10), 浅野いにお(3), やぶ(3), ピカソ(15), maru(3), Ika(3), パカッ(3), キュビズム(3), みかん(33), コロナ(70), コロナウイルス(30), スカート(36), ウイルス(24), 感染(45), 武漢(16), 玄関(14), 貧乳(16), 美術(12), マスク(24), 影(15), 股間(13), 萌え(16), ゾーニング(15), イラスト(25), 強調(16), 二次元(17), ポスター(36), パンツ(20), 狂っ(19), 広告(34), バランス(18), フェミニスト(33)
■宇崎ちゃんとかラブライブの擁護派 /20200217053738(26), ■見ただけでメロディーが浮かぶフレーズ /20200217151550(23), ■女のやることが予想を超える /20200216225248(23), ■シュッとした女性ボーカルの曲を教えてくれ /20190619225505(19), ■昔の電話ってなんで玄関に置いてたんだ? /20200217172441(14), ■異世界トイレ・オナニー事情 /20200217101347(11), ■なんで漫画のデジタル作画は流行らないんだろう /20200216191847(10), ■anond:20200217053738 /20200217143019(10), ■勘弁してくれよと頭を抱える。 /20200217175118(9), ■ラブライブ股を強調する必要性って何? /20200217211502(8), ■雑兵の強さ /20200214173128(8), ■除睾のススメ /20200217131323(7), ■トムと言えば? /20200217200403(7), ■コネ社会と能力・成果主義社会,本質的に何が違うのか /20200217231625(6), ■anond:20200217174700 /20200217175508(6), ■リベラルとしては貴方の意見に反対します /20200217123546(6), ■ /20200217170702(6), ■NHKの受信料制度は維持してほしい /20200217101343(6), ■ /20200217233957(5), ■ /20200216202452(5), ■anond:20200217113554 /20200217114124(5), ■事あるごとに女性化されるのが辛くなってきた /20200217152108(5), ■不可能なことを言う人の心理 /20200217154016(5), ■唯一牟田先生の発言を批判したはてなフェミさんがえらい /20200217160329(5), ■アップデートせよ。フェミニストが女性の自由を妨げている /20200217160912(5), ■哀れな増田が見たい /20200217165523(5), ■ /20200217192513(5), ■馬鹿パヨクさん東京マラソン返金なしに文句つけてしまう /20200217214424(5), ■銭湯とか温泉 /20200217224445(5)
7035625(3368)
「私の好きな作品が評価されない世界は間違っている」と言わんばかりだが、
同人女はごく狭いコミュニティの独自ルールに染まりがちである。
そのうえ「文字書き」は幼い頃から一人きりで小説を読んできているためか余計に独善的なきらいがある。
いったい何が間違っているのか?
喩えるなら「ルネサンス絵画だけが正しい絵画だ」と主張しているのが彼女らなのだ。
ゴシックもバロックもロココも印象派もキュビズムもダダイズムも
すべて「下手だ」「間違っている」「真の絵画ではない」と切り捨てながら、
「どうして漫画のようなリアリティのない白黒の絵ばかりが評価されるのだろう」と嘆いている。
「ルネサンス絵画の写実的な美しさと鮮やかな色遣いを理解できないなんて」と。
いや、絵画のことであれば、彼女らも「さまざまな評価軸があるのだ」ということを理解できるだろう。
しかし小説のことになると途端に「正しい表現」「あるべき小説」に囚われてしまう。
まずアートの定義は?昔の芸術のほとんどはデジタル化されている。
大人が一ヶ月掛かって描いた絵と子供がカメラで取った写真が同じなら。
つまり、古典アートは骨董品に成り下がったと言いたい。実用性の割り
に高価だし、感動を与えるという意味でなら映画やアニメやテレビや本
の方が優れている。つまり、インターネット以前のメディアが芸術の領
域に大きく踏み込んできた。それでも多様性や奇抜性で一日の長があっ
たがインターネットの登場でそれも無くなった。
近代芸術なりキュビズムなりは解説や訓練なしでは大衆には分かりにく
い。
3日前に佐賀県の武雄市でチームラボの展示を見てきたけど、ちょっと眩
しかったけど、なかなか良かった。3次元の芸術には一日の長があると
思う。難しくなく単純に綺麗な作品が多かった。庶民には難しい料理よ
り単純で美味しい料理が受ける。難しいことやりたいなら前菜かデザー
トでやると良いと思う。
「夢精は凄い気持ちが良い」ときくが、たいして気持ちよくはなかった。
あるのはただ「面倒なことになった。出社までパンツを洗わなければ」という嘆きだけであった。
思えば曖昧な夢の中では確かにある程度の気持ちよさはあったのだが、夢の中のボンヤリとした感覚の中で得られる快感は目を醒ましている時のソレよりもおぼろげで、朝っぱらからパンツを流しで洗い、射精後の気怠い身体で一日を始めることには見合うとは思えなかった。
だが、後悔はない。
あの夢の中で安直な濡れ場に流されることを拒絶しなかった事に後悔はない。
夢精というものを己の身体で知ることがなければ、夢精を語ることは永遠に出来まい。
私は夢精を語れぬ人生から夢精を語れる人生へと生まれ変わったのだ。
ただ粘膜を己の手やシリコンで擦る事しか知らぬ人生から卒業したのである。
夢精は突然にやってくるのだ。
夢精をする10分前、私はゾンビをリボルバーで撃ち殺し、次弾を装填するまでにかかるタイムラグに何度も命を脅かされながら廃墟を彷徨っていた。
周囲を怪物に囲まれ、もはや残りの弾数ではしのげぬと悟った私は、咄嗟に床板を拳銃で撃ち抜いて逃げ道を作っていた。
その後何が起こったのかはよく覚えていない。
実に出来の悪いシナリオと唐突な濡れ場であったことだけは覚えている。
「もしもこのまま世界が滅びるのならば、我々がアダムとイブになるしかない。我々もいつまで生き残れるのか分からないのだ。子供を作るなら早い方がよい」そんな理由でセックスが始まった。
酷い脚本だ……これが映画ならば午後ローで上映されることはあっても金ローで上映されることは永久にあるまい。
女も私もいつの間にか服を脱いでいた。
そして私は股間のマテバを彼女の股間に擦りつけていた。
擦りつけながらも指を彼女の股間に挿し込み往復させていた。
キュビズムのように、2つの事象は並行して存在し、この体には確かにその2つの体験が同時に合った。
指先はヌメリ、私のデザート・イーグルは曖昧な快感を脳に伝えてきた。
そして、10回ほどお互いの粘膜が擦れあった頃であった、突如私の前立腺がガクガクと脈動し――それは全くもって驚くべきほどに激しく私の身体を打ったように思われた。何故ならそれまでの私が感じていた全ては、夢を見ている脳が作り出した幻肢痛にも似た偽りの曖昧模糊とした感覚しかなかったのだから。そこに唐突に本物の、本当の感覚がやってきたのだ。擦れあう粘膜も、指の滑りも、硝煙の香りも、全ては思い出のパッチワークにすぎず、そこには実態が持つ強烈で絶対的なエネルギーは無かったのだ。そこに、その日の朝初めて、「実態」が私の内側から飛び出してきたのであった。――その激しさとそれまでの霞がかった感覚との差から私は自分が夢を見ていることに気づいてしまった。
そして、射精の余韻を感じる暇もなく、今日が平日であり、もしこのままノンビリとしていればカピカピとしたトランクスを洗濯カゴに放置することになり、帰ってくる頃には家中に栗の花が咲き乱れたような有り様となっているであろうことにまで思い当たったのだ。
あとは先程述べたように、私は急いでトランクスをすすぎ、洗濯機に投げ込み、そして干し、服を着替え、駅へと歩き出したのであった。