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はてなキーワード: キュビズムとは

2024-08-13

ゴールデンカムイの絵は別に上手くないだろ

あれを上手いと言ってしまう人は残念すぎる。

画面クルクル動かしても変な歪みが出てなくてちゃんと描けてるねってだけ。

漫画って基本レベルが低いから、意図してないパースの歪みとか、骨折しているとかしか言えないキュビズムとか、平気で発生しとんのな。

その低レベル世界の中ではまだ全然マシなだけで、絵の世界全体で見たらゴルカムは決して上手い方にはいらないよ。

上中下で区切って、中が良い所だね。

漫画は下の下や下の中がアホみたいに沢山いるから、中の中ぐらいでも全然上手に見えるんだろうね相対的に。

でもそれって小学生絵画コンクール入賞したみたいなもんでしかいから。

2024-07-11

anond:20240711234634

事実現代アートだのキュビズムが好きなんてヤツらは変わり者扱いされるだろ?

2024-06-07

AIだと思われて悔しい

と、お気持ちしてる絵師がいたけど

今が君の伸び代じゃないか

アニメキャラを上手く写実的に描けてフォロワーも多いけど、AIだと思われるって事はその程度なのだろう。今の絵柄だとAI代用できるって事だ。自分価値証明したいなら今の絵柄を捨ててAIマネできない絵を描くべきでは。

ピカソだって物凄く写実的に描けるのにそれを捨てキュビズムに目覚めて変な絵を描き始めたが後年に認められるようになった。

2024-03-12

AKIRA以降、明以降

AKIRA以降みたいな言葉はあった気がするが、鳥山明以降みたいな言葉はない。

ということはAKIRAの作者の方がマンガに与えた革新は大きいということなのか?

ワイドショーなんかは「鳥山明のあの少年漫画需要を満たしながら可愛い感じのデザイン革新的で若者に『こういう漫画を描きたい』という発想の地図を与えた」みたいなことを言ってたけど。

かりに明以降という言葉でっちあげるなら

AKIRA以降→写実の追求  →ルネサンス

明以降  →デフォルメの追求→キュビズム

という対応だろうか

dorawiiより(増田と呼ばれるのは嫌いだがブコメつきやすいかブログ持たず増田に書く勢)

2023-12-16

キュビズムってどこらへんがキューブなの?

新しい絵画発明したとか遠近法があーだこーだ書かれているサイトは山のようにあるけど、「この人たちがなぜキュビズムと呼ばれ、その立体派と呼ばれる名前に見合った実践をしてきたか」っていうのはどこにもないよね。

アヴィニョンの娘のどこがキュビズムなの?プレーンじゃん。

2023-08-21

anond:20230820201555

マティスいいよね。

この人はキュビズムあたり以降はだめとか言ってるけど、マティスとかなら普通に今のイラストレーター作品を見る感覚でも見れると思うしさ。

あと、マティス普通日常のゆったりした光景作品なんかも結構あるし。

2023-08-20

anond:20230820171119

マネとかクールベとかセザンヌとかの現代人に理解できる範囲でのブレイクスルーを起こした作家の絵が飾ってあると話のネタになって楽しいかなぁ

モネピカソもそうなんだけど印象派キュビズムは有名過ぎるしデュシャンは行き過ぎ

2023-07-15

昨夜、エロゲをやったら

女の子は横を向いているのに乳首が正面にあった。

これがキュビズムというやつですか?

2023-05-30

心のなかにキュビズム

俺は絵を描くのが趣味だ。独学で絵を描いている。

絵を描いていて割と最初に気がつくのは、視点を固定しなければ絵はぐちゃぐちゃになってしまうということだ。

例えば、人物の全身像を描いているとする。もしそのとき人物の顔を割と近くから真正面に見ているとしたら、その人の足は上から見下ろすように描かなくてはならない。そういうルールがある。

もっと極端なことを言うと、ある人物の左向きの横顔を書いているのなら、その人物の顔の右半分は描かない。視点は一つに固定するから、左向きの横顔が見えるとき顔の右半分が見えるわけがないのだ。

絵はこのように「どの視点から見ているのか」を気にして描くのが基本だ。視点が変われば見え方が変わるということを把握しなければならない。

視点が変われば見え方が変わるというのは価値観みたいなものもそうだと思う。

例えば「真実はいつも一つ」という言葉があるが、これは人ひとりの主観から見ればその通りだけれど、俯瞰して何人もの人を見てみると、その人の数だけ真実があり、決して一つとは言い切れない。

視点を語るとき、忘れてはならないのはピカソが創始したキュビズムと呼ばれる様式だ。

このキュビズムの何が革命だったのかというと、冒頭で述べた視点の固定をしていない絵を成立させた点にある。

左を向いた横顔と同時に顔の右半分が見える絵がキュビズムの絵だ。キュビズムの絵には、さまざまな視点が同居している。左を向いた横顔を見る視点と、顔の右半分を見る視点、それらが同居しているのである

そして人の価値観にもキュビズム必要だと思う。

神様でもなんでもいいけれど、自分の中で絶対に動かない価値観を設定し、そこから演繹するようにしてもの見方を構築していくのも悪くはないと思う。

けれども、幾つもの視点が同居していて、時にお互いが矛盾するような価値観を心に持つのも大切だと思うのだ。

2023-05-10

AI文句言ってる絵師AIに打ち勝つ方法を考えるべき

技術革新自分立場が危うくなるなんて話は昔からよくある話でさ

ピカソとかルオーとかの一見ヘタクソに見える絵、

あれキュビズムとかフォーヴィスムって言うんだが

ピカソルオーって写実的な絵を描かせたら若いから天才的なわけよ

なんだけど当時の写真技術の発展で

写実的な絵を描けるから何なんだって風潮になってきて

結果として写真とは全く異なる形で世界を捉えた絵画が登場したわけ

まあお前らがピカソルオーになれるとは思わんけども

お気持ち表明するだけじゃなく、何かあがいてみた方がいいんじゃない

2023-04-29

オタクコンテンツは終わりです、残念でした

オタクコンテンツは終わりです、残念でした…

…とだけ書いて終わるのは雑なので、個人的偏見等を込みで色々思うところを書いていく。

おそらくここで語るもの陳腐凡庸面白みのないものであろう、しかしもし興味を持っていただけたら読んでもらえると幸いである。

オタクコンテンツ一般化とその弊害

オタクコンテンツはみなさんご存知の通り一般化した、街中にはアニメVtuberなどとコラボした商品散見され、街中でアニソンが流れていたりする。

アニメ漫画の話をしても嫌がられないし、むしろそのような話を積極的にしてくる人もいる。

オタクコンテンツ一般に広まったせいで過度に一般化してしまったと私は思っている(これはあくま偏見である)

というのもまずは売れるかどうかという数値が前提にくるからである

もちろんこれらは"商品"であるため、売れるのがいいというのは間違いがないし企業としては売れなければ価値がないというのは間違いないであろう。

そこで問題にしたいのはオタクコンテンツ精神性というふわっとしたものになる。

これらコンテンツ個人的偏見等込みではあるが迫害歴史であったと私は思っている。話をすればキモがられ、売っている場所隔離されるそのようなものであった。

しかしそのような状態であってもコンテンツを作り続けた人たちがいた、彼らは自身の溢れ出るもの解放させコンテンツを作り続けた結果今のように市民権を得ることができた。

このようなコンテンツ最初はごく一部の人間が面白がり小さいコミュニティ、もしくは執着に近い発掘欲を持つ人間にの評価されていた。

また自身面白いと思うコンテンツ他者に知らせたいものでさまざまな機会で、さまざまなツール面白いと思う感情を広げていった。

そして一般層にまで広がり市民権を得たということだ。

問題はここからで私は一般層はもの評価する能力がない、もしくはあったとしてもそこまで高くないと思っている。

動物悲劇があれば泣くし、子供が頑張れば感動する。弱者サクセスストーリで涙し、悪徳企業に怒り、永遠の愛でしんみりする。

しかしわかりやすい感動にしか反応しない、もっと正確にいうならばわかりやす感情の変化にしか反応しないのだ。

感動というものはさまざまなものがあるが大きくまとめれば感情の変化であろう。

感情の変化というものは各人のセンス知識経験依存するものだ。感動するという行為にも才能と経験必要になる。

例えばよくピカソの絵を見て誰でも描けるとかこれが芸術なんだとかい人間がいる。しかピカソ写実的な絵も描くことができ、キュビズム本来なら同じ平面上に存在しないものを写実性を捨て記号化することにより同時に存在させるようにしようとした試みであることを知ればそれは難しいことがわかる。

知識がなければピカソの絵を見ても評価できないのである

コンテンツというのは歴史の流れがあり新しい評価基準表現感性を探求するという性質がある。

しかしそれらを評価するためには今までのコンテンツへの理解などが必要になる。

一般層の人間はこの知識経験がない、そのため評価基準他者依存することになるかもしくはわかりやすものしか評価できなくなる。

さてさまざまなコンテンツの多くは営利活動の結果生まれ産物である営利活動評価を行う際に基準となるもの収益であろう。

当然のことではあるが収益性のみを考えた場合、新しいコンテンツ評価するようなオタクコミュニティ(ここではこのような人やコミュニティをまとめてオタクコミュニティと呼ぶことにする)と一般層、どちらの方が人口が多いであろうか。

考えるまでもなく後者だ、そして後者はわかりやすものしか評価できない。

ではどうなるか

企業としての答えは明白だ、わかりやすものを作れば良い。

ただ、わかりやすすぎるとそれはそれで消費者が怒る。

なので1手先しか考えていないようなわかりやす一見深そうで薄いコンテンツ生産されていく。

コンテンツ生産者の話

また、クリエイター視点に立ってみよう。

間違いなくオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイター一般層に評価はされないだろう、わかりづらい作品を作るので歓迎されることはないだろう。

では誰がコンテンツを作るようになるか、これは間違いなく一般層のクリエイターになる。

というのも感情が近いので作りやすいのだ、またオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイター比較して、コンテンツ自体に執着が薄い(無いわけではないし一部の方はとても強いと理解しているが集合として見た時の話である)ので仕事と割り切れたりするという強みもある。

企業からすると一般層のクリエイター収益も産みやすく優秀な金の卵であるが、オタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイター収益を産まない腐った卵であろう。どちらが優遇されるかは明白である

このようにしてクリエイターの層が更新されていく(新陳代謝といえばそうかも知れない)

クリエイターが変わっていくとコンテンツ自体オタクコミュニティー向けのものから一般層向けのものへと大部分がシフトしていき、そのうち入れ替わる。

そうしてオタク向けのコンテンツ一般向けのコンテンツへと狂気希釈されていく。(私はこれを一般層の文化的侵略だと呼んでいる)

そのような状況であってもオタクコミュニティー向けのコンテンツを作る人は作るだろう、しか評価はされづらくなる。

もしくはそのようなクリエイター時代の変化などさまざまな要因で一般層向けのものを作ることもあるだろう、映画などにある細かいネタや裏設定はそのようなクリエイターの少しばかりの一般層への反乱ではないかと思えて仕方ない。

企業から観点を考える

さてオタク向けのコンテンツオタクコミュニティから一般層向けのコンテンツへと変わっていくという話をした。

ここで一般層の評価基軸をもう一度説明すると他社が評価しているか、わかりやすい感動かという軸で評価している。

後者と比べ前者は容易にハックすることができる評価基準である資本マーケティング勝負に落とせるからだ。

まり一般層のコンテンツは、芽が出そうなものに対して資本という栄養剤を投与することで完成する、そして一般層に収穫され消費されるのだ。

私は最近コンテンツ話題になる期間が短いのはこのような背景があるからではと思っている。短くしないと次のコンテンツを消費できなくなるからだ。

ここで一つ誤解を解く必要があるが、私はこのような企業行為に対して悪だと断罪するつもりはないし、営利活動を行う団体として収益を上げるのは正しい行為だと考えている。

ただその商品ターゲットが変わっただけである

最後

このようにしてオタクコンテンツは終わっていくし、すでにアニメ漫画などは終わっていると私は考えている。終わっていなかったとしても一般層にリーチしないのでそのようなコンテンツを知り得る人はごく僅かであろう。

これが悪いのかどうかと言われるとそうではなくただ集団の行動の結果であるしかいえない。

しかし、間違いなく言えることは一般層がオタクコンテンツに入ってきた瞬間にそれは終わるということだ。

もっと正確にいうならば物事評価できないもの多数決という言葉に負け評価基準を渡してはならない。

その先に待っているのはコンテンツ破滅であると私は考える。

ここまで長々と書いたが私の本心最後に書いておこう。

推しの子あんまりきじゃない、

2023-03-13

anond:20230308234232

キュビズム評価わからん

キュビズムが新しい価値提供したというのはその通りだと思うが、その新しい価値価値があるようには思えない

キュビズム後の世界に生きている我々ににおいては、当時の美術界を知らないと理解できないものなのだろうか

anond:20230308234232

知識としての価値理解と、感覚としての好き嫌いは別でいいと思うんだ。キュビズム美術史的な価値はよく理解したうえで、ピカソ青の時代の絵の方が好きだな、とか、キュビズム視覚的な抽象化中途半端に見えるからモンドリアンのほうがスッキリしてて好きだな、とかそういうレベルで。

2023-03-08

自由律俳句とかピカソキュビズムだとかを冗談混じりに何が良いんだか分からん!笑って言う事はあっても、マジトーンで言ったら鼻白まれるとと思う。実際よく分かっていなくても、無知無学の開き直りだと思われる事を避けて言わない人が多い。恐らく。

無知事実であったとして、「解像度」が低いんだね、可哀想……とかウエメセで言われたら腹が立つと思う。そんな仮想敵に対する反論として、そもそも知識を積んだ所で「本当の良さ」なるもの理解した事になるのかという疑問がある。

形而下において宿される美なるもの存在するかどうか、みたいな話は言葉遊び脳科学問題になるだろうし、神様しかからないので置いておく。

例に挙げたものであれば、既存様式から逸脱して新しい価値提供した、という部分による評価が大きい。多分。しかし、新しい様式提示した「から良い」というのは、「けど普通」にも「けどダメ」にも転じる恣意的結論になる気がする。理由を積み重ねても、結局一番大事物差しの部分が存在しない。

車なら速い、燃費が良い、安いだとかの評価軸がはっきりしているし、それはかなり客観的指標だと思う。むしろいから良い、オイルを撒き散らすから良いだとかいった価値の転倒もあるけれど。実用性へ逆張り無駄を愛する趣味の心か。何であれかなり曖昧恣意的な軸だ。

逸脱したもの価値に話を戻すと、恣意的とは言ったが、固有性というのは理屈抜きで人間が素朴に価値を感じる所だと思う。特別オンリーワン。そりゃ魅力的だ。

素人デタラメに描いた絵も一見固有のものに思えるけど、「素人落書き」で一括りにされてしまう。型は嵌らなければ破れない。既存様式を踏まえつつ、そこから逸脱するバランスを巧く保つの作品の良さなのかもしれない。でもそのバランスっていうのも結局個々人の感覚に頼った判断にならないだろうか。

ピカソなら本当は既存様式に則った絵も滅茶苦茶上手かったが、敢えて自分作風を追求したという話も有名だ。しかし、その背景を踏まえた上で作品を鑑賞する態度は一つに絞られる訳ではない。目につかない裏地にこだわったポールスミスジャケットを粋と思うか。「情報を食べずに目の前のものと向き合え」と思うか。

大衆娯楽を消費するような受け身ではなく、知識を詰み能動的に作品の細部を吟味した上でも、ほーん。で?となる可能性はあると思う。これこれこういう理由でこの作品特別なんだな、そりゃスゴイ。それはそれとして、私の琴線には触れない。という事はあり得るだろう。それを以て「センスが無い」とか言われたら手が出そうな気がする。

ただ、知識をつけて見え方が変わった実体験はままある。ミーハーアイテム化してるので上で挙げたものと同列に語るのもアレかもしれないが、マルジェラ足袋ブーツなんかは最たるものだ。変な靴と思っていたけど、今はかっこよく見える。見慣れただけなのか。ブランドに惑わされ、情報を貪り食っているのか。他の靴と見比べた時の逸脱した独自性や、既存のモノの組み合わせからまれる斬新さがある「から良い」と、知識が「正しく」導いたのか。あるいは、シルエットの美や服との調和といった「本当の良さ」が備わっており、色んな靴を見比べた経験によってそれを「正しく」受信する身体になったのか。そこの所ははっきり言って分からない。そういった区別について、明確な根拠は無いながらも確信を持っている(と思い込んでいる)人間こそが違いの分かる人間なのかもしれない。ただその区別言葉に起こせないのならば、解像度って何ですのという話で。

2022-12-30

名作ばかり観るか、凡作も観るか

人生は有限だし、触れる事のできるコンテンツなんて全体の中の一握りの一握り。だからこそ限られた時間の中で普遍的に好かれる、自分にとっても良いと思える可能性が高いものを選び抜かないといけない。凡作に付き合う暇などない。

名作は凡作駄作との差異によって名作たらしめられる。凡作何が悪いかを知る事で初めて名作の良さを知る事ができる。名作ばかり観ていたら、それは自分にとって普通のものになってしまう。

どちらも説得力のある意見だと思う。

良いものは良い。駄作など関係なくこの世に本質として存在する美に迫った普遍的な良さというもの存在する、という本質主義的な考えに立つか、いや本質的な価値など存在しない。実存差異によって「良いもの」が浮かび上がるのだという考えに立つかの違いなのではないか

あと、後者の方がより作り手側に立った側面が強い気がする。良いものの良い部分を取り入れようと思っても何が良いのかが分からないと無理だし、悪いお手本を見る事の大切さ、みたいなのは当事者性の強い問題だと思う。

チェンソーマンでもデンジくんに「クソ映画のある世界の方が良い」みたいな事言わせてたし、クリエイターにはそういう意識があるのかもしれない。でも悪役にこそ作者の主張が込められていて、主人公一般論良識ねじ伏せるのが定石だ、みたいな話もあるしな。

「名作」と言っても、それそものの出来の素晴らしさを讃えられたものエポックメイキング価値評価されたものがある。後者過去にない新しい価値手法を世に突きつけたという文脈があってのものだし、それはまさに「差異」が価値を生み出している訳で。何も知らない人が、絵ならキュビズムやら印象派やらの代表作を見ても、知識がなければ変な絵だとか寝ぼけた絵だとしか思わんだろうし。映画ならヒッチコックなんかを今観ても、教科書を読んでるような気分になるだろうし。新しい手法を使いつつより洗練されたフォロワー作品の方が面白いだろうし、今の人にとってはそちらの方が魅力的な訳で。

でも、教科書に載ってるような絵画を見てよくわからんけどなんかいいなーと思ったり、2001年宇宙の旅を観て退屈だけどなんか凄いっぽいと思う事もあるだろう。その「なんとなく」を説明できないのなら、それは本質的な美があるという話になるんじゃないかと思う。

まああんまり頭でっかちにならずに、自分の「好き」を大切にしたい。

2022-10-22

AIエロ絵師再現した性癖って下手くそ絵師センスなんだよね

たとえば、

・脚部の絶対領域の膨らみの差を大きくしすぎてエロさより違和感が強い

・ケツデカにしようとしすぎて奇形になっている

・振り向き構図なのに胸を強調しようとしてキュビズムになっている

チンコの向きが逆

みたいなのね。

こういったのは絵が上手くなくて性欲だったらあり余ってそうな人がよく描くんだよね。

そして面白いことに、そういった人がAI絵師転向すると今度はAIにそういった絵を描かせるようになるんだよ。

まあこっちは他人なので、これが狙って描かせた結果そうなのか、それがおかしいと認識してないから平気で投稿しているのかは切り分けられてはない。

ただ少なくとも言えるのは彼らが「これを投稿するに値する絵だ」と判断したってことだね。

そしてこれはAIを使っているかどうかを見抜くとき基準にもなる。

絵の技術はあるが、人体としてバランスおかしいという時には、大抵の場合AI製なのである

これは審美眼がなければ技術を磨くことが出来ないので、技術けがあり審美眼がないということはありえないということだ。

舌が馬鹿人間料理人として一流になれないのと同じ。

実際、ネットを見ていくと雑魚絵師からAI絵師鞍替えして急激に画力を向上させるも、構図の違和感に気づくための目が養われていないので歪んだ絵を投稿し続けているものが多くいる。

これは非常に面白いことだよ。

AIをもたせた所で、絵師の才能がない人間おかしいモノをおかしいと感じ、美しいものが何故美しいのかを理解できない人間は、3流のまま変わらないってことなんだからね。

AI絵師なんてじゅもんを唱えてガチャるだけなんだから誰がやっても同じだと思っている人も多いだろうが、それはまだこの世界が篩にかけられていないからだ。

すぐに結果が出るよ。

大多数のモノを見る目がない人間だって理屈は分からないがなんとなくこっちの方が上手いような気がするというのぐらいは感じ取るものからね。

2022-09-01

anond:20220901140045

「画風」は著作権保護されないよ

「点描」とか「キュビズム」とか真似ると逮捕されるってこと?馬鹿なのかな

2022-01-25

anond:20220124195602

画家美術史勉強すべきだよ

今更キュビズム開発して新技術!とか言ってたら恥かくし

2021-08-08

三次元で抜けなくなった

おっす俺アラサー(34)。

小学校で教わった「オナニー」という言葉意味オヤジパソコンで調べて以来かれこれ24年間ソロ活動

小学生当時の俺にとっては18歳(自称)のAV女優であっても肌のきったねえオバサンだったのでもっぱら二次元でシコった。

たまに気まぐれで三次元でシコることもあったが、基本的には二次元でシコってきた。

今までのオナニーの回数を雑に「365日*24年/2日おき」で計算すると8000~9000という所だが、そのうちチャンポンも含めて三次元でシコったのはせいぜい500。

純粋三次元だけでシコったのは200もないはずだ。

俺のチンコ二次元をシコる対象とみなし、三次元あくまで二番手とみなすように調教されてきたと言っていい。

最近性欲が衰えてきたのか、ついに三次元で全く興奮しなくなった。

素人自撮りは肌の汚さやカメラワークの雑さが見ていられないし、女優男優の演技が棒すぎるのもアニメばかり見てきて身にはキツイものがある。

特に若くて可愛いだけの三次元女優は演技を一切しなかったりやたりわざとらしかったりで股間に訴えかける物が少ない。

30すぎているような女優と比べると肌が綺麗に見えるが、二次元と比べればサメトカゲのような革っぽさすら感じてしまう。

静止画場合三次元場合は単なる写真しかなく、二次元ポルノが持つキュビズム抽象画のような時空を歪めながら性欲に訴えかけようとする趣が一切ない。

そもそも文化が違っていて、三次元エロというものはある種の盗撮趣味のような世界の上に構成されているのだろうが、私の股間はそういった覗き見だとかリアリティだとかいったものに対して興奮するようには出来ていないらしい。

結果、私は三次元で抜くことが出来なくなった。

こないだ試しにDMMで人気上位のエロ動画サンプルを順繰りに見ていったが、どれも私を興奮させることは出来ず息子は下を向いたままだった。

人生とは積み上げてきたもの、味わってきたものによって構築される。

誰が最初に言うでもなく誰もが自然と知ることになる人生本質である

これは性癖にも適用される。

二次元で抜き続けたもの二次元で抜き続ける。

慣性の法則

性欲とは刷り込みによって構築され、刷り込みによる性欲の構築こそがフェチズムの本質であるデカルトフロイトユングサドマゾ?)は言ったらしい。

まり、そういうことなんだなあ。

俺のチンコはいつの間にか三次元を「シコれないもの」として感じるようになってしまった。

2021-08-05

漫画に置いて昔の絵柄とか今の絵柄というものはあるのか。

もちろん物には順序があると言う通り、発生した順番に必然性があるものもある。

たとえば人類が松明より先に蒸気機関発明することは考えにくいだろう。

たとえばそこにはある技術がある技術の土台となっている(その土台が欠けては発生し得ない)という必然性がある。

じゃあたとえば共産主義の後に資本主義が起こったという順序には必然性があるのか。

それは微妙だと思う。共産主義を経ずに資本主義に失敗を感じた人類社会では共産主義が後から発案されるということもありえると思うから

もっと漫画に関連しそうな絵画でいうなら、フォービズムの後にキュビズムが起こったということには、この逆の順序で起こることは何らかの原理不可能というような必然性はあるか。絵画における主義思想の順序になんというか指向性というか線形性みたいなものはあるのか。

別にそういった順序はどうあってもいいと思える。いろいろ並べ替え場合であってもそれぞれにおいて起こり得る理由を後付け説明することはいくらでも可能そうだから

実際の絵画世界においてはルネサンスから抽象画に走るという、背景知識のない人には一見退化、全体的に下手になったようにさえ見える変化が起こっているわけだが、商業主義の濃い漫画においてはあえて下手になろうとすることは全体的な傾向としてはまず起こり得ないと思う。

かといって上手くなっていく、ということもあまり考えにくい気がする。

個人レベルで絵柄が変化していくのには、技量が上がった場合流行の絵柄に合わせた場合もあるだろう。

ではこれらの場合をひっくるめて絵がうまくなったとか洗練されていったということはできるか。

まり流行の絵柄に合わせれば自動的に以前よりも上手い絵を描いたことになるというのなら、漫画は全体的な傾向としても絵がうまくなっていく、そういう「方向性をもった発展」をしていることになるのだが、そうだろうか?

本宮ひろ志の絵より鬼滅の絵の方がどうしてうまいと言えようか?

蒸気機関は松明に遅れて出たみたいなことはそれを歴史的事実として知らなくても、それぞれの実物を見せてもらったり使用方法動作原理説明されればどちらが先に現れたのか見当がつくものだろう。

でも漫画において、各年代において特定作品の一コマ抽出して、これらの作品を新旧順に並べかえよと言われた場合、それを正しくでおこなえたとすればそれは、ある年代においてこの絵柄が流行ったという対応関係を知っているからであって、つまり外的なコンテクストに基づいているだけだと思う。漫画の絵柄に内的に「古さ」というもの実在しているわけではないと思う。感じたとしてもそれは歴史的事実から投射された虚像に過ぎない。

2021-07-31

あなた性的興奮はどこから

インターネットポルノ中毒 やめられない脳と中毒科学」という本の中で「超常刺激」なる概念が紹介されていた。

超常刺激とは、脳を過剰に興奮させて対象依存させるようなもの、という定義がなされている。

人間社会においては、ギャンブルポルノといったものが相当するのだが、動物世界においても超常刺激は存在するとのことである

例えば、昆虫一種であるタマムシは、茶色ビール瓶の底を性的に魅力的なととらえ、交尾を行おうとするらしい。

このことが超常刺激として作用しているとのことである

ちょうどオリンピック開会式ピクトグラムの件が盛り上がっていたのをきっかけとして、

ヒトを性的興奮させる対象実態から概念まで並べてみたのだが、その境界は明瞭でないと思われた。

行き着くところは、SFでよく出てくる管理社会象徴するギミックとしてのバーチャルセックスなのだろうか。

 

目の前の肉体そのもの

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電気的・薬物等による刺激

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