はてなキーワード: 質疑応答とは
ほとんどの学会はオンライン開催からオンサイト開催に戻ってしまった。ポスター発表が盛り上がるような良いシステムがないので得るものが減るし学生の未来がひいては学問の未来がヤバイのが理由である。
「学会も全部オンライン開催でよかったのにみんなオンサイトに戻った」のを不満に思っているのを確かGW前の増田で見た気がする。
まあ学問を仕事にしている人ならわかっているが、私は仕事にしている人ではないし、ここは増田なので書いておく必要があるかもしれない。付録にして後ろに置きたいが先に書いてしまおう。
コミックマーケット準備会とコミックマーケットに対応しているようなものだ。コミケットを開きたいから準備会を設立する必要があったんですね。
ただ、両方を指して学会って言ってるようなもんでなんでそんなめんどくさいことになってるのかは私の分野ではないので知らない。日本語関連の先生に聞いてください。
新型コロナウイルスcovid-19が流行り始めて対処も良くわからない時期があった。今なら換気してマスクしてワクチン打って手洗いうがいをすればかなり抑えられることがわかっているが、2020年、ダイヤモンドプリンセス号が魔界の船のような雰囲気を出していた時点ではそうもいかなかった。
というわけで現地開催が無理になり、急遽学会中止にしたり、スポーツで言う無観客開催のように予稿集に載ったことで発表したことにするね!現地には来ないでね!といった対応をとったりした。全部未発表扱いにした学会はあったのかな。私は知らない。
病気への対処は全然わからない時点でも、学会を開催する側は来年の開催を考える必要が出てくる。学会の準備って9か月前ぐらいからやってるんで。なんなら会場の予約は1年前にしとかないといけないんで。
そこで注目されたのがオンラインである。結構昔からオンラインで会議できることは知られていたしZoomは急速に普及した。それにyoutubeの動画でイベントや講義の動画を発表したりするのは以前よりよくやられていたから当然の帰結である。
vimeo使ってもいいし、youtube使える場合だってあるし(学会計画時点でだれでもyoutubeliveできたのに計画中にチャンネル登録が一定以上じゃないとできなくなって慌てて違うのを探したという事件を聞いた)、ニコニコだっていい(参加有料の学会をニコ生でやったのは知らない。一般向けの講演ならやってるのは見た)そもそも動画とっといてUPしてもらえば何とでもなる。
そんなわけで2021年から既存の学会がたくさん、オンラインにいったん移行した。
これはある程度うまくいった。講演や口頭発表のように、広い会場で一人が発表して、司会がほんの少しの質疑応答を仕切るスタイルだと、質疑応答がオンサイトよりやや盛り上がらないぐらいでほとんど問題にならなかったのである。なんなら質問はテキストでのみ受け付けて司会が代読するスタイルにすると演説始めるような変な質問者をはじけて最高。それに住んでいる地方に関係なく参加が簡単だし、おまけに講演者に外国で活躍している人を旅費なしで直接呼べちゃう。さっきまで動画でしっかり講演してた先生がリアルタイムの質疑応答になったらコロナで息も絶え絶え熱が下がんねえよって言いながら回答してたのは不謹慎ながら未来を感じたりした。
ところが大きな問題があった。懇親会とポスターセッションである。
あんなん飲み会じゃんと思う人がいるかもしれないが、基調講演するような偉い先生に対して講演の質問をできる機会というのは貴重である。懇親会に出てくれるから細かい質問は後にしろって講演の時に質問ぶった切られたりするしね。それができないんなら全部質問させろってことになりかねない。
それにそういう質疑のサブセットがフラクタル状に起きてるのが懇親会なのである。
でもまあ非常時だから仕方ないよね疫病だもんねっていうのでまあ納得できるぐらいのダメージではあった。
ポスターセッションというのは、会場に模造紙サイズのでかい紙を貼れる板を何十枚か用意して、そこに研究の成果を貼って、来た人に研究の説明をして、来た人の質問をもとに議論するっていうセッションである。
すげえよな2024年なのに板に紙貼ってるんだぜ紙。布もあるけど。私は全ポスターがモニターやプロジェクターになった学会は見たことない。多分お金と土地と電力が足りないんだと思う。
オンライン学会のポスターセッションではいわゆるZOOM/WebEX/Teamsみたいな会議ツールがよく使われた。Zoomのブレイクアウトルームでよく参加したなあ。わーい紙じゃない未来が来たぞ。
これの問題としては
などがある。
あとはoViceみたいなオンラインオフィス系統もあった。オンライン会議に比べると比較的質疑し易くはあるんだけど、一方これだけで学会しようとするとこの形式は講演がやりづらいとか資料が見づらいという問題がある。
どのシステムでも質疑応答が盛り上がらないし、質問する方は回れるポスターが減る、質問される方は場数が踏めないし、質疑応答から生まれる新しい発想なんてのも生まれてこない。
結局、多人数が発表していてさらに多人数が質問するけど質問者は発表者一人一人の声がクリアに聞こえなくちゃいけなくて、なおかつ空いた発表がどこなのかわかりやすいツールはまだ出てきてない。
そりゃVRChatの部屋みたいなところでポスターセッションできればいいと思うよ。でも同時に2百人とか3百人とかは入れないじゃん。3百人いて発表者30人ぐらいをさばけるシステムがないんだ。どうしても時間あたりに議論に参加できるポスターの本数が減っちゃうんだよな。
学生さんが充分な質疑応答の経験を積めないということは、学者としての経験値が不足するということだ。ということは学生さんの成長がヤバイ。学生さんが成長しないということはその学問の分野の未来がヤバイ。なんのために学会やってるんだっけってなる。
そんなわけで、covid-19の対策が進んだことにより学会はオンサイトに戻っていった。
オンラインだけだと不都合があるのは分かった。じゃあハイブリッドにしてオンサイトオンリーはやめてほしい。
うんわかる。参加者からそう言いたいのは分かる。特に参加費より旅費交通費が大きい民は特にそう思うと思う。わかるんだけど、発表者にオンサイトポスター見ながらオンライン会議の質疑応答もやれっていうのは負担が普通に倍なんで無理です。学生さんだぞ。ネットでレスバしながらゼミ受けろってのと変わらん。何の拷問ですか。
あとな、オンライン学会のシステム利用費、なんかリアル会場に引けを取らないぐらい高い。運営したらわかる。ピッタリ一緒じゃないけど、10分の1で済むとかそういう感じにはならない。桁がおんなじ感じ。
つまりフルにハイブリッドでやるとお値段がだいたい倍かかるんだ。参加者が倍になってくれないと割が合わないよな。で、倍にならなかったんです。
結局、いままだハイブリッドやってるとかは相応に頑張ってるので応援してあげてほしい。あとポスター少なくて口頭発表と講演中心の学会であればオンラインも十分やっていけると思う。そういう学会を自分でやるしかないんじゃないかなあ。
学会がオンラインだけに戻るのはポスターが盛り上がる発表システムがないと無理。そうじゃないと学生と学問の未来がヤバイ。オンライン学会向けの発表システムについては今後の課題である。
ずーっと昔になんかのCM(HALだかモード学園とかだったような)で、謎の物体がガチャガチャ動いているのを見た記憶があったので、ちょっと興味が湧いて観てきた。
とは言え、「動いてナンボのもんなのに、置いてあるのを観るだけで面白いわけないだろ」とあまり期待せずに入館した。
館内に実物の、ガチャガチャ動く、謎の物体(ストランドビースト)達が展示されている。
間近で観ると、ペットボトルやらチューブやら、子汚いプラゴミの集まりとしか言えない。正直、入ったことを後悔した。この時点では。
ふと脇を観ると「リ・アニメーションの予定スケジュール」が掲示されている。
リ・アニメーションとは要するにストランドビーストを実際に動かす実演ショーらしい。
つまり、置いてあるだけじゃありませんでした。舐めてました。すいませんでした。そりゃそうよね。
実演ショーは1時間に1回程度で、あと10分ほど待てば開催する様子だった。
待つ間、暇なので常設のロダン館を観ていく。前にも観たことがあるので、ざっと眺めるだけにする。
実演の時間になったので、展示室に移動。
作品の説明が流れ、飼育員さん(専属のスタッフの人をこう呼ぶらしい)がコンプレッサーとビーストを接続しガチャガチャやっている。
「スマホのお持ちの方は撮影どうぞ」的なことを言っていたので自分もスマホをかざして準備する。
で、ついに動き出すビースト。おーーー テレビで見たヤツだ。よし、それなりに満足だ。
「実際に作ってみたい方のために、ミニチュアのキットを販売中です!」と宣伝していた。しっかりしている。
拍手とともに実演が終わり、散っていく観客たち。
と思ったら、飼育員さんを捕まえて質問を浴びせている人たちがいた。「なんで飼育員さんになろうと思ったんですか?」みたいなことを聞いているようだ。
答えが気になるが、あからさまに立ち聞きもできず立ち去る。実演ショーの一部に質疑応答を組み込んでくれ。
その後、インタビュー映像とか年表とか観て回る。インタビュー映像は「フリーズしたのか?」と思えるほど、静止する時間が長かった。
テオ・ヤンセンがなんでビーストたちを作ってるのか、色々説明されていたようだが、腑に落ちなかった。
あんなプラゴミを量産しといて(他にも、生産終了が決まったケーブルを50km買い占める、とかも)「SDGsと共鳴するものがある」は無理があるだろう。
要するに「デカくてガチャガチャするものが風だけで動いたら面白いんじゃない?」ってことじゃないのか?認めろヤンセン。
一通り観終わり、物販コーナーで件のミニチュアを確認する。3000円くらいだ。まぁ妥当な値段か。
組み立て済みのものを実際に動かして遊べる(?)コーナーがあった。
ちびっ子たちに混ざって自分もウチワであおいでみる。動いた。すぐ飽きる。やっぱこれに3000円は高いな。
ミニチュアだけではなく、本物のストランドビーストのパーツも額装されて売られていた。見間違いでなければ、10万円を超えていたようだけど、売れるんだろうか。
どうでもいいけど、館内の表記はすべて「ストランドビースト」で統一されていて、「ビーチアニマル」の表記は見つからなかった。
自分は「ビーチアニマル」だと思っていたから、記憶違いか?と思ったけれど、間違いではないらしい。公式には「ストランドビースト」のようだ。本当にどうでもいいけど。
生徒の「ここが分かりませーん」という質問に対してテンプレの回答を続けるだけの教師なんて必要ないだろ。
教科書をただ音読するだけ、生徒は黒板を書き写すだけ、成績の良し悪しは家の勉強時間で決まっていて、授業をマジメに聞いてるだけで満足してる奴ほどテストの点数はゴミ。
もう全部自習でいいよ。
自習で分からない所があったら教師に聞きに行くってシステムでいい。
テストやってあまりにも点数が低い奴がいたらそいつらだけは基本から口頭で質疑応答を交えながら教え直そうぜ。
あと体育の授業も座学を交えた体の動かし方講座でいいだろ。
ドリブルさえ出来ない人間とサッカー部を同じ空間で試合させるのはマジでお互いに時間の無駄だろ。
マジさ、「教室に集めて講義を口頭で行う」ってシステムはもう無意味だろ。
口頭伝達に対して全幅の信頼をおいてるのはなんで?
識字障害がある?それならなおさら中途半端に黒板や教科書を併用している授業より、それ専門の通信教育させた方がいいよね?
マジでムダじゃね?
普段の言動にも色々言いたい事や思う事は多いが、一番駄目なのは今のご時世に圧迫面接をする所。
例えば面接で「あなたは1億円をもらったら片腕を切り落とせますか?」
みたいな意地の悪い質問を平気でする。
応募者が「それは無理です」って答えたら
「あなたの片腕は1億分の働きをしているとでも言うのですか?思い上がりですねw」で不採用。
答えられず考え込んでしまうと
「話になりませんね。質疑応答は社会人として最低限の常識なので社会人未満の人材はいりませんのでお帰り下さいw」
と返して不採用。
こんな圧迫面接で、同席した同僚は流石に絶句して止めに入ったという。
このせいで、ただでさえ応募者が減っているにもかかわらず、まともに新人や中途が入ってこない。
一次面接は現場の人間でやっているからちゃんとしてそうな人も応募してくれているのに、こちらが選んだ人はほぼ全員不採用。
現場の人間が良いねと思った人が全然入社して来なくなって頭を抱えている。
人事の馬鹿女いわく
「ストレス耐性や応用力を試しているだけ。他意はございません」
というが、面接時に意地悪質問や圧迫面接やっている時は常にニヤニヤ楽しそうにしているという証言はいくらでもあるので
何度もクレームは上げているが、彼女は上層部のお気に入りらしく
逆に文句を言った方の立場が悪くなるので、余計に人事の馬鹿はやりたい放題だ。
「とりあえず日本語喋れて無断欠勤しなかったら誰でも良い」レベルで人が足りていないのに
どちらかと言えば隠れホワイト的な会社だったので応募者自体はこのご時世でもそこまで少なくはなかったんだけど、悪評が祟っているのかここ1、2年はかなり減っている。
ハロワやリクルーターどころか近場の大学の就職課からもクレームが入っているという。
ネットで見れば面接の結構な悪口が口コミで書かれていたりするが、気がつくと消えているので、色々手を回して消させている様だ。
馬鹿人事の素敵(笑)な面接を突破した肝心の「ストレス耐性や応用力の高い優れた人材」も、正直色々厳しい。
ストレス耐性が高いだけでも適正が無いとか、単に面接を突破する能力が高い口先マンとか、そんなのばっか。
それでも何とか使える人になってもらえる様に頑張ってフォローしているけど、始めから現場が選んだ人ならこんな苦労しないのにっていつも思う。
何で同業他社で経験あって資格も持ってる人や有名大学の熱意も高くてインターンでも評価高かった新卒の子を落として
口先だけは立派な実務を覚える気まったくなく「何故管理職の仕事をやらせて貰えず現場仕事をやらされるのか」ってキレる様な馬鹿を雇うのか。
本当に理解出来ない。見る目無いというか自分と同じ様なタイプを好んで雇っているとしか思えない。
就職難だったリーマンとかの時代でも圧迫面接だって叩かれているレベルだと思うんだけど
今のご時世にこんな事やって、悪評だけは増えていくだけで何の意味も無い。
もし同業他社の嫌がらせで送り込まれたとしたらこれ程までに有能なクラッシャーは無い。
人手不足でどんどん現場の人間は疲弊してるしブラックになりかけているもの。
多分先は長く無い。自分もどっかで見切りつけて転職予定だけど、会社の要を担っている人間が馬鹿だと
その会議の取り回しの能力は研究者の立場だとしてどの場面で必要になるの?専門的な勉強は基本独学だからそんな能力はいらない。研究も頭がいい人間のワンマンプレーでするならいらない。
じゃあ学会ぐらいか?でもそれだって査読が通った時点で正しいのであり学会でまで無理にわからせる必要なく質疑応答にも「わからないのが悪い」で一蹴しても自由だろ。
新たな事実の証明という成果さえ出してくれればコミュ力は不要でないのと高卒は思う
ついでにいうなら数学以外の学問における新事実の発見は(特に生物や化学のような薬剤の配合ありきの場で顕著だろうが)運に左右さてる部分も大きいという。
でもだから頭がよくても有利にならないって言いたいならその理屈は成り立たないよね。「運なる」ものの個々の学者に与えられてる期待値は数学者になるれるようなひとだろうがそれ以外だろうが変わらないはずだから。
それなら運以外の、頭がいいことに由来するひらめきが起こる確率は頭がいいほど高いのだからやっぱ数学者が有利なんではねーの。
https://twitter.com/amneris84/status/1733481036632445171
安倍さんの街頭演説会でのヤジについて、「迷惑」「不愉快」だからと、警察官の排除を容認する方もいますが、自分が望ましいと思うのとは全く違う政権ができた時に、異を唱えたら力づくで排除される、という状況を想像してみるといいと思います。具体的には今の香港でしょうか。
そう言う人らも自分の話がひたすら茶化されたり、文句ばかりで話聞かないような状況だったら結局怒るんじゃないの?
人と人が『話し合う』社会にしてもヤジなんて邪魔でしかないと思うんだけど。
また、今は子供のヤジをひろゆき論法とか言って問題視されてるけど、ああ言う面も子供って昔からあるだろ。どの世代でも。
それも気に食わないわ。大人だと言うなら“ひろゆき”個人のせいにするような小賢しいネーミングで誤魔化して逃げてないで、ヤジを禁じるか許可するかどっちかにしろよ。
そこが理路整然と子供から大人まで納得できるよう説明されない限り『ヤジは表現の自由』『ひろゆき論法は悪』『子供は話を最後まで聞け』なんてのはバカのダブスタでしかないだろう。そんな説明出来るとも思わんけどね。
私は本当に人と人が『話し合う』事は大切な事だと思うから、ヤジは社会的に不要だと思ってるよ。
当たり前の大前提だが、元文のデモとヤジを混同して『異を唱えたら排除』と香港をダシにしてる部分がおかしいのは皆わかってるよな。
政府含め何かに異を唱える自由は当然あるべきものであって、話を妨害するだけのヤジとは全くの別物。
私が言ってるのは反政府演説やらでもヤジなんて妨害行為せずに大人しく話を聞けって事だ。属性如何じゃない。
グダグダと妨害で話の腰を折るだけの無駄な時間を無くして円滑なコミュニケーションを取る社会にしたいの。
子供に正常なコミュニケーションを取ってもらえるような社会にしたいの。
何の法的根拠もない公権力での排除はダメとして、これはそれ以上に、主権者として社会的に不要と言う主張だ。
追記2
私は子供に遺したい社会に主軸を置いてるんだが、今のところヤジを擁するコメントに『子供に向けた在り方』を含めたものは見当たらないな。
皆子供に話を聞くように言うのではなく、嫌な話は茶化したり聞かなかったりでOKって事かな。
人の話をちゃんと聞いて異を唱えたり質問するのはOKだ。それは立派なコミュニケーションだから。
演説なんかでも主張だけでなく質問タイムやらあるなら為政者も有意義なことだろう。
基本に立ち返って、挙手して当てられたら質問もありだと思う。
ただその順序を守らず、人の話を中断させるような妨害行為を批判している。
惰性でヤジなんて野蛮なものを許容せず、コミュニケーションとして有意義な形へ変えていく事を考えても良いんじゃないか?
追記3
ヤジられたくないなら不特定多数の前で演説なんかするなと思うけどな。じゃあ一方的に質疑応答禁止とされたら、どうやって自分の意見を通すの?
演説は一方的な意見表明を行わず、それ用の時間を用意する等、質疑応答に応じるよう立法してやれば良いんじゃないか?
そのための法だろ。
属性如何ではないと言っての通り、与党が野党がと言う話でなければ政治家に限った話でもなく、公権力による排除如何でもなく、シンプルにコミュニケーションとして人の話を遮る行為をやめないかと言う主張なんだが、正に人の話を聞かないヤジが多い事で。
まあ、はてならしいっちゃらしいが。
令和の虎、面白い。ほぼ全部見てる。見すぎて、自分なりの解釈が固まったので書いてみようと思う。
令和の虎の構図:
中小企業の経営者である虎5人と志願者と主宰がいる。志願者は新しいビジネス企画についてプレゼンし、虎・主宰との質疑応答を経て、出資されるか否かがその場で決まる。
視聴者は、その中の誰の目線に立って見てるのだろうか。おそらく大半は、虎、である。
もしも、ポンコツな志願者に自身を重ねる人がいれば、始終”口撃”されるのだから見るに耐えないからだ。
口撃、と書いたが、ここで重要なことは、虎と主宰は、本気で志願者のためを思って助言したり、投資を決めたりしている、ということだ。そうでないと、ただ単にポンコツな志願者に説教してスカッとしたいだけの輩になってしまうからだ。虎が言うことは常に正しい、という前提がある。だから虎と視聴者から見れば口撃ではなく、助言だ。
なぜ、虎は常に正しいのか?それは、志願者よりも稼いでいるからである。ビジネスの世界ではお金をたくさん稼いだ実績の持っている方が正しい。もちろん、理念も大事だが、それは利益を生み出していることが前提にある。
令和の虎を運営している方々は、おそらく、このエンターテイメントの構図を熟知していると思う。だから定期的にポンコツと呼ばれる志願者が出る。
毎回ポンコツだと、視聴者にとってみると、ただのイジメに感じてしまうから、出しすぎないようにするのがミソだ。
人間は何かを攻撃するを見るのが本当に好きな生き物だ。令和の虎の構成は、狙っているのかわからないが、この攻撃性を巧みに利用していると思う。以上。
ジャニーズのNGリストや短い時間での質疑応答や、一部の記者の暴走もダメだしまとめて全部だめってだけでわ。
なんか2者対立でどっちがいい、どっちがわるいみたいな構図に捕らわれすぎてメタに見るのが難しいのはわかるが。
そもそもジャニー喜多川の児童虐待・性犯罪とマスメディアの圧力や忖度どっちもだめなわけで。
見てて思うが、芸能事務所もマスメディアもこういうなんらかのやらかしの際の対応フローは全く決まってないし、個人の経験値も全く足りてないね。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231004/k10014215471000.html
関係者によりますと、リストには質疑応答の際に手を挙げても指名しないようにする新聞社の記者やフリージャーナリストなどが掲載され、座席の位置なども確認していたということです。
ジャニーズ事務所 NHKのNG記者リスト報道に「弊社の関係者は誰も関与しておりません」
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310040001361.html
会見前々日の会議で、本件について打ち合わせが行われた際、媒体リストを持ってこられて、そこにNGと書いてあったので井ノ原(快彦)が、「これどういう意味ですか?絶対当てないとダメですよ」と言いました。 するとPR会社が では前半ではなく後半で当てるようにします。と答えました。 そのやりとりをその場にいた役員全員が聞いております。 今回流出した資料は、弊社の関係者は誰も関与しておりません。 見てもおりません。
今回に始まった話では全く無いのだろうけど、中立~対立側の立場の人間から自分の行動がどう見えるか、どう言われるか、という外面の部分を考えられてなさすぎる。
今回の件が社会的に許されざる問題で十分に追求される必要があるのも全く同意するし、その前提を踏まえて1メディア1質問というルール自体に疑義があるのもまあわかる。
わかるのだが、現実問題として会見場や関係者の持ち時間、あの場に集ったメディアの数、諸々加味して考えれば現実的にそれぐらいの制限をつけざるを得ないのは納得できる範疇の話でしかない。
そこを忖度してやる義理はない、最大限時間を確保するべきだと言いたいにしても、それは後から記事や報道の中で指摘するとか、それと合わせて追加で質問状を送ったり追加取材に行くなりして継続的に問い詰め続ければいい話であって。
少なくとも、同じ場に集った上で、場の状況を乱さず時間を無駄にせず、まともに質疑応答に参加していた他メディアや、それを通して会見を見ていた多くの視聴者の時間を奪うような形にしてまで自分ルールで動いていい……ということにはならない。
周囲との扱いの平等性とか対応する側のリソースとか、そういうことを一切考えず最大限のサービスを一方的に要求しているあたり、クレーマー気質の動き過ぎて、普段の生活で遭遇するその手の輩と被って印象が悪い……と感じる人、結構多いと思うよ。
まして、今回の件は被害者・加害者の構造がかなり入り組んだ問題だし、直接の加害者(=絶対的な悪)はもう死んでるし、その後継者は不出席な上、追加情報で被害者性を強調することに成功した直後だった(こういう言い方も嫌だが)。
総合的に考えて、今回の会見における記者側は「社会悪を攻撃する正義の記者としてズバズバ突っ込んで拍手喝采」……というような形を一方的に取れるようなポジションでは明らかになかった。
そこを無理押しした挙げ句、結果的には「ルールを破る記者」対「上手く受け流して場を収めた現ジャニーズ側」の構図で報道されるような形にハメ込まれて、というか自らハマりに行って、自分の印象をますます落とすような形に持ち込まれた。
本人の指摘している内容とか主張がどうとか以前の問題として、一般人の目線なんて主張の内容よりはまず「印象」が先にあるわけで、その点で例の記者は自分の「印象」を把握したり演出したりするのが下手すぎる。
あの場でああいう立ち回りを取ることで、自分がどう見られるか、どういう報道のタネにされどういう印象がつくか、それを通して自分の記事や報道内容がどう見られるか……を考えられていない、というのが記者として一番深刻な問題じゃないかと思う。