今回に始まった話では全く無いのだろうけど、中立~対立側の立場の人間から自分の行動がどう見えるか、どう言われるか、という外面の部分を考えられてなさすぎる。
今回の件が社会的に許されざる問題で十分に追求される必要があるのも全く同意するし、その前提を踏まえて1メディア1質問というルール自体に疑義があるのもまあわかる。
わかるのだが、現実問題として会見場や関係者の持ち時間、あの場に集ったメディアの数、諸々加味して考えれば現実的にそれぐらいの制限をつけざるを得ないのは納得できる範疇の話でしかない。
そこを忖度してやる義理はない、最大限時間を確保するべきだと言いたいにしても、それは後から記事や報道の中で指摘するとか、それと合わせて追加で質問状を送ったり追加取材に行くなりして継続的に問い詰め続ければいい話であって。
少なくとも、同じ場に集った上で、場の状況を乱さず時間を無駄にせず、まともに質疑応答に参加していた他メディアや、それを通して会見を見ていた多くの視聴者の時間を奪うような形にしてまで自分ルールで動いていい……ということにはならない。
周囲との扱いの平等性とか対応する側のリソースとか、そういうことを一切考えず最大限のサービスを一方的に要求しているあたり、クレーマー気質の動き過ぎて、普段の生活で遭遇するその手の輩と被って印象が悪い……と感じる人、結構多いと思うよ。
まして、今回の件は被害者・加害者の構造がかなり入り組んだ問題だし、直接の加害者(=絶対的な悪)はもう死んでるし、その後継者は不出席な上、追加情報で被害者性を強調することに成功した直後だった(こういう言い方も嫌だが)。
総合的に考えて、今回の会見における記者側は「社会悪を攻撃する正義の記者としてズバズバ突っ込んで拍手喝采」……というような形を一方的に取れるようなポジションでは明らかになかった。
そこを無理押しした挙げ句、結果的には「ルールを破る記者」対「上手く受け流して場を収めた現ジャニーズ側」の構図で報道されるような形にハメ込まれて、というか自らハマりに行って、自分の印象をますます落とすような形に持ち込まれた。
本人の指摘している内容とか主張がどうとか以前の問題として、一般人の目線なんて主張の内容よりはまず「印象」が先にあるわけで、その点で例の記者は自分の「印象」を把握したり演出したりするのが下手すぎる。
あの場でああいう立ち回りを取ることで、自分がどう見られるか、どういう報道のタネにされどういう印象がつくか、それを通して自分の記事や報道内容がどう見られるか……を考えられていない、というのが記者として一番深刻な問題じゃないかと思う。