少し先の将来について人と話すと、ちょっと後ろめたい。
結婚してる想像はつかないけど結局してるかもしれないし、子供を育てることはできないと思いつつも、自分も母親になるんだろうと小学生頃から漠然と思ってたから、その感覚が完全に拭えたわけではない。
大学を卒業して、とりあえず就職しようとは思えず、フリーターでも良いと思った時期もあったけど、自分だけのために生きるのは限界があるな、と思った。だから就活した。
自分の好きなことをたくさんして、未来のことをあまり考えず今だけを楽しんで、余暇 の時間が多ければ多いほど、「なんで生きてるんだろ?死ぬことがこの状況だったら一番の娯楽というか最良の道だ」と考えるようになると思って、人並みに働くことを選んだ。
誰かのために責任を負わなくてはならない状況に身を置きたかった。
こんな感じで、結婚とか子育てとか、一般的な人生設計って、私みたいな、絶対に譲れない思想がない人が生きていくために、先人が一人一人考えて選んできた道なのかもしれない。
自分が一番大事だということ(どんな自分でも良いからこれは思想と呼べるものではないと思う)だけが譲れない部分だから、どんな将来も本気で約束できない。それが後ろめたい。
そんなフワッとした舐めた態度でも結婚出来るのが現代の女の特権で先人は遥かに過酷な人生を送ってます モラトリアムだねえ
考える余地もない時代のほうが楽ではあったと思うのは若過ぎてイタイか
若すぎて痛いじゃなくて人間として痛いし想像力もないし端的に言って殴りたいクソガキ
想像できないんだ本当に。でも年齢で片付けず人として痛いのは良かった