はてなキーワード: 規則とは
会社の人がいるのでtwitterでも愚痴れないのでここで愚痴らせて
隣の席の人がクチャラーでつらい
ゆるいウェブ系IT企業だからお菓子食べながら仕事するのも会社の規則的には何の問題もない
で、隣の席の人は「(朝ごはんやお昼ご飯など一定量の)食事をすると眠くなるから、こまめに食べる」と公言し、ほぼずっとお菓子を食べてる。飴とかグミとかチョコとか
で、クチャラー
飴とかグミを舐めてるときに「ちゅぱっ」って音がするのホントいらつく。なんなのばかなのしぬのこっちがしぬわばか
眠気を覚ますために伸びをする際に「うぅ〜〜〜〜〜〜ん」とか普通の声量で言う。
お菓子を食べてるせいでゲップをする。
服装が汚い。襟だるんだるんのTシャツとか着てるし、シャツもよれよれ。
姿勢が悪くて立膝をついてる。
姿勢が悪くて前傾姿勢になりがち、故に頭を支えるために頬杖をついてる。
集中しだすと独り言を言い出す。
ケータイを頻繁にいじって、いじり終わったら机に軽く放り投げるので「ガンッ」って音が響く。
貧乏ゆすりをする。ひどいときはその振動が机越しに伝わってきてこっちのディスプレイが揺れる。(私の三半規管が弱いので文字を読もうとすると酔う)
自衛策として音系はイヤホンで遮断、視界系は体の向きを変えて視界に入らないようにする(こっちの姿勢が斜めになるのでつらい)、貧乏ゆすりなどはもう離席するしかない。
メーン会場、メーンキャスターといった言葉をよく聞く気はしないか。
なんともなく間抜けな響きだ。
メインがメーンなら、ドメーンだし、チューチュートレーンだし、24時間戦うのはリゲーンだ。
これを何コレクトネスっていうのか知らないけど、浸透してる言葉を無理に直す必要はない。
なんでもかんでも統一しなくていいのよ。
客:えっと、、、10user位入れてもらって、ブーストしたいなって思いまして、、、どれ位費用が掛かるものでしょうか?
ブ:それですと、モノがよければブーストになりますが、、、失礼ですが頂いたゲラを見るに難しいかな、と思います。
客:ええっ‼丸2日かけて書いたのですが、、、、ダメですか?どのあたりがダメなんでしょう?
ブ:申し訳ございませんが、こちらはその手のコンサルはしておりません。
ただ言えることは、最後に「いかがでしたでしょうか。」が無いなど基本的な文法を踏襲されていないということです。
客:そうしますと、何userまで入れるとホッテントリに入ることができるのでしょうか。
ブ:そうですね、これは総合で入るのかジャンルで入るのかによって変わってきますが
総合の場合は投稿日中に50、ジャンル別の場合は20は最低必要ですかね。
客:けど、、、それほどの数が無言ブクマだと不審に思われませんか?
ブ:ご安心下さい。そこはバレない様、無言、テンプレコメント、不規則コメントをいい感じでブレンドします。
さらに、あえて「互助会、乙」等の攻めたコメントを入れることで、煙に巻くことも可能です。
客:なるほど!そうすると、私のネタをホッテントリ入りさせるには、お幾らくらい必要ですか?
ブ:そうですね・・・。
こうして、「日々○○するために必要なたった◆のこと」などという、糞の足しにもならないブログがホッテントリにあがっているのだ。
いい年して保守的な表現であるラノベばかり読んでるオタク=理系=ネトウヨというのはやはり文章読解力が低いのかもしれない。
物事のあるがままを捉えようという意志を持たずに簡単な図式、構造に還元するのが癖になってる。
そこが落とし穴だ。
そもそもまず簡単な文章すら正確に読解できてないのに、現実の現象そのものを正解に理解できているはずもない。しかし彼らにはそれがわからない。彼らは自分がそんなことはすべてわかりきっていると思っている。
こういう知的怠慢、知的傲慢が理系の人たちに多く見受けられるということは、理系の人たちは既存のある物語(権威的な)に無意識に従ってしまっているということなんだろう。
それがその業界の慣習だか最適化された思考様式だかなんだかは知らないが。
要は柔軟性がない。
夜寝れないと余計なことを考える。
あそこでああすれば良かったとか、何が楽しくて生きているんだろうとか。
最近は規則正しく生きている。ランニングしたりスポーツをしたりして体も動かしている。
カロリーを控えつつ、太らないような食事を心がけている。朝もダラダラ寝ず、日光を浴びて一日の目覚めとしている。
静かな水面のような心持ちで、刺激こそ少ないものの見落としていた見過ごしていたものの魅力に気づき、しばしそれについて思いを巡らす。
何だか平穏なのだが、これが続くとなると気が遠くなりそうだ。かといって安易な刺激を習慣にすると依存し、エスカレートして不安感が結局増すばかりだ。
1.常に「自分などどうなっても構わない」という感情に苛まれている。最悪死ねばいいのいつも思っている。
2.食事に気をつけなくなる。結果、体重がどんどん減っていく。(注:暴飲暴食して体重が増える自暴自棄はこれと異なり、精神的に健全な反応である)
3.体のことを一切気にせず酒を飲む、あるいはタバコを吸うようになる。
4.睡眠が極端に不規則になり、寝る時間が減って次の日のパフォーマンスが落ちても気にしなくなる。
5.享楽的、刹那的になり、体に悪いとは知っていても気にせずバイアグラなどのQOL改善薬を多用する。
6.無責任にビジネスを拡大していく。手に負えない仕事を引き受けるようになる。
7.急に人付き合いがよくなった様に見える。
周りにこんな人がいたら要注意。
最近は横暴な自転車に対する風当たりも強いし、生真面目な性格なのもあって、わたしはなるべく道交法や市の道路交通規則を守るように意識しています。
ただ、ちゃんとしたルールがまぁ一般にことごとく浸透してなかったり、守らない人が多数派になっているのが現状で、法律上正しい運転をしていると却って危ない目にあったりすることも多いです。
なので法律上正しい動きをしている「まともな自転車の動き」の中でも、特に知られていなさそうなことをざっくりとまとめてみました。
少しでも多くのドライバーさんが「そういう動きをする自転車がいる(本当はそれが多数派になるべきなのでしょうが…)」ということを気にかけてもらえたらと願っています。
※「信号を守る」とか「一時停止で止まる」とか見て当然、当たり前に分かるのようなものは省きます。
信号のない横断歩道についての停車条件は自動車と同じで、明らかに人がいない限りは減速しますし、横断しようとする人がいる場合は停止します。
わたしはふだん車道の左端を走っているので、自転車が変なところで急に止まったと思ってクラクション鳴らしながら右脇を追い抜いていく車が多いですが、
安心して渡ろうとした歩行者と接触する可能性がありますし、そもそも横断歩道前で停止している車両(自転車含む)を抜く際は一時停止する必要があります。
これはちょくちょくネットでも話題になっているのでご存知の方も多いと思います。
二段階右折するような自転車乗りは大体ちゃんと手信号を出すので、右折指示を出していたら「渡った先で止まるんだな」くらいで考えてもらえば大丈夫だと思います。
よく危険を感じるのは丁字路で「丁」の横線部から縦線部に曲がるときでしょうか。
十字路と違って待機時に退避する先がないので、後続車両との間隔と速度、手信号を理解していそうかを加味して、危険そうであれば丁字路に入る前くらいから十分に時間をかけて減速するようにしています。
また、道路の左端は信号待ちの間に自動車をすり抜けで追い抜こうとするバイクに突っ込んでくる場所でもあります。
(実際に何度か突っ込まれかけた)
横断歩道とよく一緒に設置されている自転車横断帯が交差点の付近にある場合は、そこを通るようにして交差点を直進します。
大概の自転車横断帯は少し交差点を曲がった部分に設置されているので、自動車から見れば「自転車が一瞬左に曲がったかと思ったら急に道路を横断しだした」ように見える動きになります。
わたし自身は左折する際は左折の手信号を出すようにして、なるべく直進なのか左折なのかを区別できるようにはしていますが、それでも自分が(横断帯に向かうため)左折しているところを後続の自動車が交差点内で追い越そうとしてきて、横断時に横から接触されたことが何度かあります。
そしていずれのドライバーの方も、「左折だと思っていて、急に直進するとは思わなかった」と仰っていました。
自転車は原則として最も左端のレーンを走る規定があり、レーンごとの進行表示(左折、直進など)の影響を受けません。
そのため、左折する場合、直進する場合、(二段階)右折のために直進する場合、すべて左端のレーンを走ります。
組み合わさると厄介なのが、歩道橋のある大型交差点に見られる「左折のみ信号なし交差点」や、赤信号の左折青矢印です。
自転車が走っている左端のレーンはおおむね自動車の左折レーンであることが多く、「直進したいが赤信号に従って停止する自転車」と「停止せずそのまま交差点を左折したい自動車」が同じレーンに同時に存在することになります。
わたしはなるべく路肩に寄って、後続の左折車が通れるスペースを空けるようにして停車しますが、そもそも自転車が停止することを予期していない自動車も多く、クラクションを鳴らされたり、怒ったように急加速していくのをよく見かけます。
車道を走っている自転車は基本的には車道の信号に従いますが、歩道に設置された信号に「歩行者自転車専用」の表示があるときだけ歩道のほうの信号に従います。
歩車分離信号だったり、歩道と車道の青→赤のタイムラグが大きいと、こちらも交差点で停止する自転車と、交差点を通過したい自動車の衝突するリスクがあります。
ただ、このルールはそれだけではなく「歩行者自転車専用」の表示が見にくいという致命的な欠陥があります。
多くの交差点の歩行者信号は交差点の奥まったところに配置されていて、見通しの悪い交差点は停止線近くまで来てはじめて「歩行者自転車専用」の表示が見えるようなケース、交差点の手前側角の街路樹で表示が死角になるケースなども頻繁にありますし、そもそも夜間はほぼ見えないことも多いです。
そのため普段走りなれている道ならともかく、知らない道では青信号であっても交差点手前で減速せざるを得ませんし、そのうえで停止することもあります。
代表的な「自転車の分かりにくい/ドライバーに勘違いされやすそうな動き」を紹介してみました。
ただ、だからといって「ドライバーは全員自転車に気を遣え」というつもりは毛頭ありません。
こういったイレギュラーな判断も正確に迅速に行えるような自動運転が普及してくれるのが一番の理想ではありますが、さすがにそれが実現するのはまだまだ先の話として、どちらかというと、正しい動きをする自転車乗りが増え、自然とドライバーがそれを目にして、「自転車はああいう動きをするのだな」と普通に判断できるようになるのが順序としては正しいのでしょう。
トラブル起きたら10時や12時当たり前。
翌日普通に朝6時。
休日出勤、当たり前。
部内で誰かが口にした。
ようやく俺も目が醒めた。
なんだこれ?
異常な手間暇かけては時間を何度も何度も遡る。
ちょっと待て、前にベテランがやっているのと全く同じ書式だぞ。
駄目です。
ふざけるな。
信じられるのは一体何だ?
違うんです?
違いますよ。
馬鹿言ってやがる。
基礎も知らずに前例周到、そんなのばっかで何が身につく。
信じられるのは前例だけで、それすら全く信用できず。
コンプライアンスを守った振りを続けるために、書類の改竄当たり前。
どうせファックスで流すんだから、修正液のほうが綺麗だぞ、なるほどなるほどコイツぁアカン。
誇りは持てずにホコリが積もる。
積もったホコリが心を染めた。
いよいよ俺ももう駄目だ。
せめて残業代だけでも出るのなら……。
せめて代休だけでも取れるなら。
なるほどよかった、よくねえよ。
もういい加減限界だ。
せめて何かがあるのなら。
何も無い。
ただ何もない。
なにもない。
すまん……俺……公務員試験なんて受けた俺が馬鹿だったんだ……面接が怖いからって筆記試験の勉強に逃げた俺が悪かったんだ……。
筆記試験大作なんてやってた時間で、ちゃんと業界研究してさ、面接対策もしてさ、職場のブラック度合いを窓の明かりから確かめたりしてさ、そういう事に時間使えたよな……。
下を見ればキリが無いからここでもう少し踏ん張れるか?
それともフリーターにでもなった方が時給考えればマシなのかな。
どうすりゃいいんだろうな。
ここにいる間に何か出来ることって残ってるのかね。
どうする。
少しは仕事が効率化出来るかも知れないし、次の職場に行くときに役立つかも知れないぜ。
笑えるよな。
おかしいなあ……俺一応は理系で採用されているはずなんだけどなあ。
何がどう間違ってこんな事になってるんだろうなあ。
でも求められているのは専門的な事じゃなくて満遍なく何となく知っていることなんだよな。
時々「え?公務員様なのにこの道何十年のプロ級の知識をお持ちでないので?」みたいな態度取られることはあるけど、まあそれは向こうが妙な勘違いしてるだけだしなあ。
こんなだだっ広く色々やらされているのにロクに研修も受けないで、やってる仕事はチマチマした書類を一字一句間違えないように作ってはミスをコソコソ治すのに人生かけてる連中に本格的な知識が宿るかよ。
俺は何なんだろうなあ。
少なくとも、給料がー待遇がー休みがーなんて言っているような奴が、自分の技術力を信じられたなら力づくでそれを手に入れられる場所を探すはずだ。
こんな社会主義国家にやってくるかよ。
逆機能バリバリの官僚社会にやってきた時点で技術者としては人生”完了”ですよ。
ハハハ、お後がよろしいようで。
いい意味でキャリアプランを完了させるはずだったんだろうなあ……。
就職活動で何すればいいか慌てふためいて居た頃の俺の妄想の中では。
本当、これからどうすっか考えないとなあ。
はてなではこの辺の話を全然わかってる人がいないようなので少し書こうと思う。
まぁ大した話じゃないので聞いてくれ。
EU一般データ保護規則(GDPR)やリンク税の推進など昨今EUのインターネット上における様々な法案が日本国内でも取りざたされるようになってきた。
はてブ内では批判的な論調が大勢を占めるが多くのコメントを見ていてもなかなか大局的な指摘をするコメントが少ないように見える(もちろん知っている人もいるだろうけどあえて言っていないような気がするんだけど気のせい?)
・GDPR
EU域内において個人情報を扱うモノは規則にしたがって個人情報を扱わなければならない
リンク先のサイトが著作権管理下に置かれたものだった場合、リンクを張られた側は著作権料を請求できる。
また、ここまで大きくないところでも配信事業者に一定の自国内コンテンツを流通させるようにする話も出ている。
これらの規制に関して着目すべき点は「インターネットに国境などない」という点に非常に自覚的である点だ。
特にGDPRのEU域外の企業にもEU域内のデータを扱う場合は規則を課すというのは決定的な点である。
またリンク税に関しても一定の規模以上のサイト(GAFA etc...)と限定した点からも伺える。
アメリカに端を発するWWWはあらゆる国境をなくし、自由な電子世界を標榜してきた。
こういった、カリフォルニアン・イデオロギー的な態度は現インターネット内で大いに力を奮ってきた。
世界中の人々の情報を共有し、伝達速度を限りなく0に近づけ理想的な世界を目指してまい進してきた。
しかし、近年そういったカリフォルニアン・イデオロギー、つまり新自由主義的な態度が果たしてインターネット及び現実世界によい影響を与えているのだろうか?
という疑義が巻き起こってきている。
Twitterやはてブを使っているはてな民諸氏には最早言うまでもないだろうが、インターネットは差別や罵詈雑言、他クラスタに対する憎悪を溜め、社会を徐々に分断していった。
そういった事態は徐々に現実世界も侵食し始め、極右政権の台頭やナチズムや歴史修正主義の台頭を促してしまった側面は否めない。
ガンダムいわく、誤解なく分かり合える人々として定義されたニュータイプであったが、他者の真の感情を理解してしまったニュータイプはむしろ憎悪をつのらせ戦争やプロパガンダの道具となってしまった。
インターネットはまさに同様の現象を引き起こし、共感や歓喜を生むと同時に人々を分断する道具になってしまったと言うことだ。
EUはそういった事態を認識し、今まさにインターネット上におけるカリフォルニアン・イデオロギーを破壊しようとしている。
中国の急速なAIテクノロジーの進歩と中国国民の個人情報のデータ化による社会コントロールの有様を見て最早猶予の余地はないと判断したように思える。
国境のないインターネットを介しての中国の影響力を回避しようとしたわけだ。
しかし、事ここに至っては想定しているのは最早中国だけではない。
英語圏の影響力が強すぎる日本のインターネット圏に生息している場合気づきづらいが、インターネット社会全体が明らかにアメリカ人だけの影響を異様に受けるようになりつつある。
英語圏での主義主張をネット上に拡散させ多国間でその生息域を拡大しつつある。
先日行われた全米テニス選手権における報道で気づいた方も多いと思われるが、アメリカで行われた報道に影響される日本人が増大している。
しかも事件のあらましをよく精査せずにそのままアメリカ(メディア)の思想を垂れ流していると言ってもいい。
インターネット社会は各国の事情をまったく意に介さずに全てアメリカ規準で物事を見てしまうのだ。
こういったアメリカ的思想を全て正しいものとし、全世界に拡大することを私は"アメリカンイデオロギー"あるいはより限定的に"ユナイテッド・ステーツイデオロギー"と呼ぶ。
テニス選手権の話以外にも、近年であればMeTooの事案が記憶にあたらしいだろう。
※批判を受けて一部謝罪しているが、根本のメッセージは変わっていない。
例えばヴィーガンが欧米で流行し始めているが、この思想が日本で流行した際に発生するリスクがやはりある。
日本人であれば誰でも思いつくと思うが「部落差別の復興」である。
もちろん文脈の違う部分からおこった思想であり単純に現ヴィーガンと過去の日本の思想を比較することは出来ない。
部落差別であるという批判をあっさりすり抜けて肉食業者に対する過剰な批判が巻き起こる可能性があるからだ。
現在の日本では比較的穏健なベジタリアン等が多いし、かなりのマイノリティの為に特に問題は起きていない。
しかし先日フランスで発生したヴィーガンの肉屋襲撃を見れば想定されるべき事態は深刻である。
日本では部落出身者に対する差別が横行し、戦後漸進的にそれを解消して行った。
いまだその差別は消えはしないが多少はましになったと言える。
現代日本で肉屋にテロリズムを仕掛けることなどあってはならないことだ。
アメリカのインターネット上の議論を見ても、ネイティブアメリカンと重ねあわされることが多いアイヌや米軍基地が存在し、中国と関連してくることの多い沖縄についての議論は時たま発生しているように見える。
しかし部落差別は欧州はともかくアメリカではむしろ忌避すらされているのではないかとすら思える。
ともかく我々ネット住民及び日本国民、いや世界は岐路に立たされているのだ。
EUのこれらの規制はこういったアメリカ的思想の過剰流入を食い止めようとしているように見える。
真っ先にコンテンツの規制があがるのもそういった思想を過剰に拡散されては困るからだ。
唯一そのような主張をしている人をただ一人知っているがあまり賛同は得られていないようだ。
私自身も完全にグレートファイアウォールでネットを分断しろとまで言うつもりはない。
しかし何らかの形でインターネットの構造が再考を迫られているのは確かだ。
ちなみに私は専門家でもなんでもない。
どのような行動をとるかはあなた次第だ。
https://mainichi.jp/articles/20180914/mog/00m/050/004000c
さらに同紙は11日付運動面で、20年間セリーナの試合を見てきたという黒人の男性記者が「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」と告白した。
このあたりが多くの米国人の本音だと思う。セリーナが審判に感情を爆発させるのを過去にも見てきた者たちは「またか」と思った。しかし、米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、「PC(ポリティカルコレクトネス)」に反するのだ。PCとは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動だ。他国は米国のPCコードを共有しないので、セリーナを批判しやすかったのだろう。
スポーツだけでなく、社会でも規則は強い者が作り、適用する。マイノリティーが不当だとして抗議すべき時もある。でも今回は私もセリーナにがっかりした。特に、彼女が審判に「私はずるはしない。娘がいるから間違ったことはしない」という内容の発言をした時だ。ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。
自分の属性をフル活用してクロでもシロにしようとするヤカラがいたという話で、そういうヤカラは「人の親」という属性もフル活用する。