2018-09-15

ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。

https://mainichi.jp/articles/20180914/mog/00m/050/004000c

 さらに同紙は11日付運動面で、20年間セリーナ試合を見てきたという黒人男性記者が「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別性差別と受け取られないか心配してしまう」と告白した。

 このあたりが多くの米国人本音だと思う。セリーナ審判感情を爆発させるのを過去にも見てきた者たちは「またか」と思った。しかし、米国では、テニス界の性差別人種差別に対して声をあげてきたセリーナ批判することは、「PCポリティカルコレクトネス)」に反するのだ。PCとは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動だ。他国米国PCコードを共有しないので、セリーナ批判やすかったのだろう。

 スポーツだけでなく、社会でも規則は強い者が作り、適用する。マイノリティーが不当だとして抗議すべき時もある。でも今回は私もセリーナがっかりした。特に彼女審判に「私はずるはしない。娘がいるから間違ったことはしない」という内容の発言をした時だ。ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。

自分属性をフル活用してクロでもシロにしようとするヤカラがいたという話で、そういうヤカラは「人の親」という属性もフル活用する。

  • 薄汚い女

  • 毎日新聞にこの記事が載ること自体驚きというか、それほどまでに深刻な事態がアメリカで進行しているんだなと思った。 毎日なら「なんでママを叩くの?根深い○○差別」みたいな見...

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