はてなキーワード: 美辞麗句とは
父はインフラ勤め、母は専業主婦の普通の家庭に生まれた。両親はふたりとも高卒で20代後半で結婚してわたしが生まれた。
住まいは社宅から一軒家になり、リビングのある1階と寝室のある2階の家になった。
父は酒を飲み、タバコを吸う男だった。そして母は一滴も酒が飲めなかった。
父は暴力は振るうことは一度もなかったが、酒を飲むと、少し語気が荒くなった。母はそれを毎日避難し、毎日2階に逃げた。
子供の頃のわたしは、母を2階に呼びに行かなくてはならなかった。
母は常にわたしに、年をとったらわたしが母を介護するのだと毎日言い聞かせた。
子供であるわたしは、毎日父の不満しか口にしない母に媚び、慰めないといけなかった。
そしてたまに1階でわたしは父が酒を飲んでこぼす母への愚痴を聞いてあげないといけないのだ。
わたしは2階の自室で部屋のベッドで小さくなりながら布団を抱きしめて毎晩過ごした。
わたしは体が小さく、運動はできなかった、また容姿もよくなかった。しかし勉強はそれなりにできた。
わたしは近くの中学校を経て、県立の進学校に進学した。わたしは少しだけやっていたスポーツをやめ、ガリ勉になった。
わたしの学力は上がった。地元の医学部の推薦を受けることの出来る成績であったし、父はわたしに医者になってほしかったようだった。
しかしわたしは官僚になりたかった。文部科学省で、子供の未来を司る教育を作りたかった。思い返すと、子供である自分が満たされていないことの代償行為かもしれない。
慶応には受かったのでそちらに行くことにした。当時は家がおかしいとは思っていなかったが、家で浪人はできる精神状態ではなかったというのは無自覚ながらあったのかもしれない。
滑り止めは大阪大学の予定だったが受けなかった。そのとき父が単身赴任で大阪に行っていたので、やはり避けたかった思いがあったのかもしれない。
大学は刺激的だった。
わたしはいわゆる陽キャに分類されるであろうサークルに所属し、おそらく人生で一番楽しく充実した毎日を送っていたと思う。
そこにいた彼らはみな優秀で誠実で、親の愛と期待、また財力もあった。彼らのほとんどは期待と自信に満ちあふれていた。
彼らは本当に善性に満ちあふれていて、世の中を肯定的に見ることが出来るのだ。育ちが違うというのはこういう事を言うのだろう。昔話題になった低学歴の世界と高学歴の世界はまさしくこれである。
そのうち、わたしに初めての彼女ができた。今思うと浅はかな考えだが、わたしは全くもてなかった、だから当時、彼女さえいればバラ色の人生とは行かずとも人生が好転すると信じていた。
しかし、それは何も自分の渇きを癒やしてくれなかった。自分の持っている悩みは解決されないまま恋愛関係という新たな悩みをわたしにもたらした。
わたしは彼女と別れた。そして気まずくなりあまりサークルに行かなくなった。
年次が進みわたしは就活に向けて、大学向けの官僚の話を聞きに行った。そしてショックを受けた。そこに来たのはみな東大出身だった。自分の大学向けの講演であったにもかかわらずだ。少しは慶応出身のひともいるはずなのに。
わたしは後悔し、東大に行けなかった自分を恥じた。そして受ける努力もせず官僚を諦めた。
わたしは堕落し、成績はどんどん低下した。お金もなかったが留学するだけのGPAも全く確保できていなかったと思う。卒業はぎりぎりだった。
わたしはインフラ企業に就職した。安定した企業で地方転勤がない会社に入りたかった。NGだけがあってやりたいことが思いつかなかったので公益性などを考えた、いや就職のための美辞麗句として使用しただけかもしれない。自分でもわからない。なんだかんだで父を尊敬していたのかもしれない。
しかし、コンプレックスは拭えなかった。先輩方はみな電通や博報堂に入社していた。そもそもわたしは受けもしていない。
同じサークル出身でまさに文部科学省に入った同期もいた。ハンデを乗り越えて入省した彼は本当にすごいと思う。しかしわたしは怖くて彼と連絡をとることはできなかった。
わたしは会社で体育会系の部署に配属され、不眠症になった。不眠症は一項に改善されず処方される薬はどんどん増えていった。
わたしは仕事にやりがいも見いだせず、また傍目にも優秀とは言えなかった。当然ながら、出世コースに乗ることはできなかった。
他の会社は違うのかもしれないが、この会社は出世ルートから1度でも遅れたらもう二度と追いつくことはできない仕組みになっている。
しかしやる気はでなかった。そもそも出世したいかしたくないかもわからなかった。しかしお金は必要だった。
わたしはそのうち花形部署に配属された。それなりの残業代を得て、それらはすべてソーシャルゲームに消えた。
そこではわたしの評価は勝手に上がるようになった。私は上位の等級に選ばれ、少し位が上がって係長になった。同期では真ん中くらいか少し遅いほうかもしれない。
昔の部署で自分より年下の後輩が係長になっていたのを見て、ショックを受けていたわたしは少し持ち直した。
そもそもそれでショックを受けるまで出世がしたいとも思っていなかった。もはや取り返しのつかないことだが。
わたしは奨学金を借りていた。そして、借りたお金を利子がつかないよう両親が建て替えて両親に返す形になっていた。
なぜかそれが親の好意みたいな形になっていたし、そもそも払えるじゃないかとも今は思う。そして母は利子をつけない代わりに、支援機構の倍の速度での支払いを要求した。
わたしは10年かけてそれを返した。そして最後に振り込みをした日に両親と絶縁した。
わたしは外から見たら、おそらくそこそこ恵まれているように見えているのではないかと思う。
部屋は最新のガジェットとデザイナーズ家具で溢れている。椅子はアーロンだし、キーボードもRealforceだ。Alexaは一声かけるだけでシャンデリアを操作してくれる。なのに、わたしは大枚はたいた高級ベッドの上で、大の字で寝ることもできず、子供の時と変わらず隅っこで布団を抱いて眠ることしかできない。しかも大量の睡眠薬が必要だ。
わたしは人の顔を思い出すことができない。父も母も妹も昨日あった同僚でさえもゼロから顔を思い浮かべることができない。
謹んでお悔やみ申し上げる。
私は上島さんをよくテレビでお見掛けするだけの名もなき視聴者の1人である。
上島さんが織りなす芸や喋りを見るのが好きで、特に有吉弘行さんとの掛け合いは抱腹絶倒であった。
しかし、お2人の掛け合いを見ていると有吉さんの側からやや踏み込んだ発言ではないかと思うことがあった。
有吉弘行の “イジり” にダチョウ上島激高「志村さんが呼んでんじゃない?」「寂しいよって」
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3903842/
私が引っかかったのは、有吉さんの「もう呼んでんじゃないですか? 志村さん、寂しくて。『竜ちゃん寂しいよ』っておっしゃってるんじゃないですかね、天国で」である。言葉では表現できないほど大切な関係を築いた人の死を揶揄されるのは、たとえ“お笑い”であったとしても心地よくないと感じるだろう。そういえば、彼は以前児嶋さんともご自身の発言で諍いを生じさせていた。
ただ、私はここで有吉さんを批判・誹謗中傷したいわけではない。それよりも、彼の“信者”に対する怒りを吐き出したいのである。
上記の発言について、有吉さんのファンを語るネットの声を見ると、「お2人の信頼関係があるからこのような発言ができる」とか「有吉さんの愛が溢れている」といった意見を見かける。また、「お2人の関係性をよく知らないのに発言を批難するのはおかしい」との発言も見られた。
言語道断である。ファンは支持対象を無批判に受容する狂信者を意味するのだろうか。いや、違う。ファンは支持対象を尊敬しつつも、時にはその振る舞いを諫めるべきである。
先ほどの上島さんに対する発言を自分事として捉えてみよう。大事な友人が亡くなって憔悴している自分に対して、「きっとそいつもはやくこっちに来いよなんて言ってるよ」と仲の良い第三者に言われたらどうだろうか。その場では笑って済ませるかもしれないが、内面は穏やかにならないはずである。
いやいや、一般人と芸能人では立場が異なるし、ましてやラジオの掛け合いごときに目くじら立ててどうすんのよ。そう言いたい者も多いはずである。
しかし、たとえラジオであろうと、リアリティを演出している以上その表象が現実世界の価値観に影響を与える可能性はあるだろう。まさにウェルテル効果なんてその極致だろう。
心を傷つけるような発言を「愛」とか「信頼関係」といった耳触りのよい言葉でその暴力性を覆い隠そうとする態度は、ファンとして誠実と言えるだろうか。
むしろファンであるなら「いや、それは言い過ぎじゃないですか」ぐらい言わないと駄目である。好きと妄信は違う。また、個別の不作為が必ずしも全体の否定につながるわけでもない。しかも、それは支持対象を世間の批判・誹謗中傷から守る砦になるかもしれない。
繰り返すが、私は有吉さんを批判・誹謗中傷したいわけではない。また、人を傷つける笑いをなくしたいわけでもない。ただ、あまりに問題がある内容なら、世間は批判という手段を使って解決を図る。その急先鋒でなければならないファンが問題を無条件に肯定し、あまつさえその暴力性を美辞麗句で覆い隠そうとしている現状は悲惨としか言いようがない。
人間は間違える。それは仕方がない。面白いや良いと思って講じた行動が裏目にでることもよくある。世間の批難が誤っていれば、ファンがそれを糺すべきかもしれない。しかし、あまりに暴力的であれば、ファンが諫めなければならない。それを怠れば、ただの“信者”、いや“狂信者”である。
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/dl/shidou_kansa_10.pdf
「歯科 距離制限」とかで検索してみたけれど、訪問診療の場合しか出てこなかった
薬事法の距離制限については確かにおかしいと思ったし違憲判決は妥当だと思ったけどさ
それって薬局の仕事が医師の処方に従って薬を出す事や市販薬を売る事、食品や日用品など薬以外の製品を売る事という、全国何処でも等しく提供出来る業務だからだよね
まあ、値引きの有無とかで多少の違いこそあるけれど、肝心の薬の品質などに直結する訳ではない
つまり狭い範囲で薬局が濫立したとしても、薬局の経営側にとって経営難になるという不利益が生じるおそれはあるけれど顧客・患者にとっては特に不利益はない
でも歯医者の場合薬局とは違って、狭い範囲に濫立されても患者にとっては別に自由に選べる訳じゃないんだよね
だって患者からしたらより腕の良い歯医者、信頼のおける歯医者を求めているんだから
沢山あって嬉しい!好きなように選べて嬉しい!とは全くならない訳で…
より家の近くにある歯医者とちょっと遠い歯医者とで、ちょっと遠い歯医者の方が腕が良ければそっちに行くし
自由診療で値段が多少高かったとしても確実にまともな治療を受けられるならばそっちに行く
しかも問題は本当のところどっちが良いのかは分からないって事だよ、何処もWebサイトじゃ他と比較しての美辞麗句ばかり並べているし口コミだってあてにならない
歯医者の数だけ多くても患者にとっては迷うだけで何もメリットがない
何処の歯医者が良いのか確かめるために複数の歯医者に行っていたら、その分医療費も嵩んで健康保険料全体への負担も増える
結局狭い範囲に濫立しても問題がないものって、薬局やコンビニのように全国どこでも同じ内容のサービスや商品を提供出来て違いは立地と値段くらいしかないものか
日本の多くの人間がグレタ・トゥーンベリさんに対して否定的なのは
けして逆境に負けずに正しい事をする主張する人に対する疚しさなどではなくて
北欧の白人で、さらには親が大金持ちという特権階級性を振りかざす事に対する正当な反発だと思う。
ルサンチマンなのは確かだろうが、そもそも嫉妬やルサンチマンの一体何が悪いのか分からない。
こっちはアジア人として日々差別を受けている側なんだから、特権階級の白人にルサンチマンを抱く事は何も悪くないでしょ。
グレタさん信者は、まずは彼女が圧倒的な強者の立場にいるって事を認識しなよ。
グレタさんは別に誰も味方がいない逆境から立ち上がった訳でも何でもなく、大勢の支援者に助けられて権力を笠に着ている側じゃん。
それを正しく認識せず、まるで「たった一人で世界に対して環境破壊に異議申し立てをした少女」などという美辞麗句を並べ立てるおかしさを自覚しなよ。
立憲民主党の「この国に生きるすべてのあなたへ」というのが、はてブで盛り上がってるから見てみた感想
https://change2021.cdp-japan.jp/100movie/
以下、枝野議員のビデオメッセージを『』で示し、⇐で所管を書いていく。
『あなたの仕事は日本を支えていく仕事です』『官僚と政治家はパートナー』『官僚は奴隷ではありません』
⇐まぁ誰に聞いてもこう言うよね。でも、民主党議員に風が吹いてた頃、罵倒された挙げ句「悔しかったら当選してみろ」と言われたのは忘れてないよ。
⇐官僚の長時間労働の原因は国会・予算・法律なのは枝野議員なら知ってるよね。で国会対応の大変さってのは与野党問わず、①根回し、②国会答弁対応の2つに分かれる。①にしろ②にしろ、立憲民主党議員がこちらの負担に配慮してくれてると感じたことは少ないよ。個別の少数の議員は、質問通告をギリギリにしないなどしてくれるけどね。
今立憲民主党の幹部になってる議員が日曜深夜に提出した質問通告「日本の内政について」「日本の外交について」は半ば伝説になってるよ。役人は金曜から泊まり込んでこれを待ってたわけだけどずっこけたね。
民主党政権の時に「民主党に従えない官僚はクビです」って宣言してたけど撤回でいいのかな。まぁ枝野議員は「『政治主導』なんてうかつなことを言ったら大変なことになった」「与党がこんな忙しいとは思わなかった」って反省の弁を述べてたけど、党としてそういう見解なのかな。
⇐そもそも政治主導を強硬に主張してたのは旧民主党で、内閣人事局も成立は安倍内閣だけど原案は旧民主党政権時だったよね。それは間違ってたってことでいいの?
というか内閣人事局ができる前は幹部人事は大臣及び族議員の了解がないと成立しなかったってのも枝野議員なら知ってるよね?つまり、現場としては人事権が族議員から官邸に移っただけって感覚。
で、族議員によっては役所案に口をだす人も居れば善きに計らえって人もいただけの話。
全体を通して総花的で美辞麗句に彩られてるけど、「何を」「どうやって実現するのか」に欠けてる印象がある。
政策決定ってのはどうしても利害が絡んでその調整が必要なのにその難しさから逃げてるって感じ。
民主党政権時代に、民主党の連れてきた某省顧問が退任の際に「政府が動けば金も人もすぐにつくと思ってた。実際は、どの省庁もそれぞれが抱える重要な課題について優先順位を付けて動いていて、こちらの言い分(例えば生活保護の拡充とか)を通せば、一つ重要な施策(インフラの補修とか)ができなくなる。それをようやく理解できた」って言ってたけど、そこからの成長を見せて欲しい
だから美辞麗句で書けるようになりたいって話じゃないし伝わることが優先というのは俺も同じだから全然しっくり来ないけどまあ言いたいことは全部ぶちこめてるだろうって文でごり押しして投稿することあるよ(それが正しく相手に伝わってるのか謎だけど)。
このツリーでは今のところ俺の言語能力を超えてるところがないからなんとかこうやって返答できてるだけだぞ。
そもそも無から有は生まれないというのは全くオリジナルの言語を規則表を提示せずに使っても伝わらない(プログラム導入せずにそのプログラムで書かれたソフト使おうとしても起動しないのと同じで)ということを言い替えただけ、もっといえば言語の社会性というもので分かり切ったことだぞ。究極的に言えば言葉で伝えようとするかぎりは人間はありあわせの言葉を使うことでしか相手に情報を伝えることはできない。
もしくは、人に見られる二次創作に疲れた、というのがたぶん正しい。
交流が苦手なので、だれとも特に繋がらず。たまに届く感想くらいしか同ジャンルの人とやり取りする機会はなかったけど、それがちょうどよかった。
好きなものを書いて、それがだれかに届いて。そのだれかが一緒に楽しんでくれているようで嬉しかった。
けど、とあるコンテンツにハマってジャンルを移動したら、実はその当時の覇権ジャンルだったことが運の尽きだった。
しかもハマったのがかなりの人数を抱えている人気カプだったのも災いした。
で。この手の話題で、この流れだったら「見てもらえなくてシンドイ」みたいなところに着地するのが定番なんだろうけど。
残念ながらそっちじゃなかった。
自分でも意味が分かんないんだけど、読んでもらって、例のハートマークも付けてもらって。
今までなら、書いたものがだれかに届いた、そう思えてたはずなのに、そんな手応えなんて全然なかった。募っていくのは「消費されてる」ってな変な感覚だけ。
それでも最初に覚えたのはちょっとした違和感だったように思う。
なんだか変だな。そんな程度。
けど、じりじり募る居心地の悪さに、見て見ぬふりもできなくなって。やっぱり無理だ、と。そう諦めた。
私がカプ内の空気や暗黙の序列に馴染めなかったのだからしかたがない。
ねえ、二次創作にかかわる人たちに聞きたい。
野党とその支持者が「若者は自民を支持しているバカだ」みたいな論調を作ることに躍起になって
自身の政党支持率の低さには目を背けている現状に本当にうんざりする
https://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/graph_seitou.html
2009年、つまり民主党政権した頃は自民党と民主党の政党支持率は拮抗していたんだ
現政権への不信感が高まれば与党の政党支持率が下がって野党の政党支持率が上がるのは自然な流れのはず
オリンピック中止をあれだけ叫んでおきながら
いざ競技が始まったら大衆に迎合して「アスリートに罪はない、純粋に応援」と言い出す始末
そういう舌先三寸をやってる人たちに誰が投票するか、
どんなに素晴らしい公約を並べたとて所詮選挙のためだけの美辞麗句ととられて仕方ないだろう
それが総理の自己顕示欲の発露だったという批判ももっともだが、
今の政局、次の選挙、それしか見ていないような政治戦略を何年も続けてきたのが