「病棟」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 病棟とは

2020-08-10

新型コロナウイルス感染症について

今までコロナウイルスについて考えをまとめるために記す。匿名ダイアリーを用いるのは、所属する組織に何らかの影響を与えることを懸念して(別に過激思想ではないと思うけれども)。

中堅小児科医。専門医取得済み。いわゆる第一波の時は院内に小児患者はいなかった。東京でも都立総合に3,4人程度、いずれも家庭内感染だったそうだ。成人の救急先生重症患者にECMOを回し忙しそうにしているのを横目に眺め、ガラガラ外来病棟で暇を持て余していた。全国のPICUネットワークでも、重症患者はおらず、基礎疾患のある児が関西地方入院しているのみと聞いた。山梨大学乳児CPAの例ではコロナウイルスPCR検査が陽性とのことだったが、続報がなく、個人的には偽陽性であったのではないかと考えている。事前確率が低ければ、検査陽性でも陽性適中率が低くなるからだ。

第二波では、小児の患者も何人か。いずれも症状はほとんどなく、あっても鼻汁程度。成人のCOVIDでは鼻汁やくしゃみは少ないという話ではあったが。家族が陽性→保健所から要請PCR検査を行い、二類感染症として入院という流れ。入院中もほとんど診察はせず、full PPEの看護師さんがバイタルをチェックし、両親に様子を伺い、退院していく。医者がやることは電子カルテ上のオーダーくらい。ホテルもすでに準備され、軽症者は順次ホテルに移っていくだろう。

第一波の時は未知のウイルスであり、 影響が測りきれない部分もあった。緊急事態宣言は、小児医療に関わるものとしては、適切なタイミング・適切な程度で出されたのではないかと考えている。

今回、患者数が再び増え、医療経済とのバランスの中で、どのように今後の方針を決めていくかについて、様々な意見があると感じている。小児科医として、何点か述べたい。

・成人を守るために、子供権利侵害していないか

緊急事態宣言後、公園遊具ロープで縛られ、動物園水族館テーマパークなども軒並み休業した。学校休校となり、大学などは現在でもオンライン授業が続いていると聞く。甲子園も開催されなくなった。スポーツ大会などでは、開催されないことで将来が大きく変化する児童も多くいることだろう。子供の1年、若者の1年の重みは、成人の1年とは異なる。小児がコロナウイルス感染に対して、vulnerableと考えるのであれば、学校休校スポーツ大会の休止は子供を守るためにやむを得ないが、重症化のリスクが低いと見積もれるのであれば、果たして必要措置なのだろうか。重症リスクが高い層を守るのが目的であれば、外出自粛すべきなのは子供大学生ではなく、高齢者になるのではないか。そういった意味では、「旅行は良いが、里帰りは控える」といった経済担当相の発言は、色々叩かれているが、一つの真理を含有している気がする。なお、自粛により家庭に閉じ込められた小児に対して、家庭内暴力や望まない妊娠が増えていることは世界的な事実であることを付け加えておく。

・適切な免疫を獲得する機会を奪っていないのか

静岡厚生病院小児科田中医師がidatenメーリングリストで述べていたことの受け売りではあるが。小児は感染を繰り返しながら、免疫を獲得していく。手足口病や伝染性単核症などは、両親や同世代の間で不顕感染や軽症状を経て、獲得免疫形成される。vaccine preventableでないこれらの疾患は成人発症場合重症化する可能性が高い。「新しい生活様式」を真面目に守れば守るほど、将来プール熱りんご病で思いも寄らない合併症に苦しむ患者を産む結果につながらないのだろうか。

感染症、特にウイルス感染症は「100%絶対にかからないこと」を目標としてはならない。インフルエンザワクチン効果についても然り。接種することで、重篤合併症が防げれば、それは見えづらいが大きな成果である感染 = 悪というデジタル二元論ではなく、ウイルスがそこにある状態で、どうやって生活していくのかを考える必要がある。

新型コロナウイルス感染症については、そもそも感染しても、あるいはワクチンができてそれを接種したとしても、終生免疫が獲得されるのかどうか、という問題もあるが。

議論が恐怖でなく、根拠に基づいて行われているのか

昨年、RSウイルスが大流行した。小児で心肺停止に至る症例もあった。集約施設では毎日のようにハイフローネーザルカニューレが必要症例入院してきたし、気管挿管例も多くいた。

また、インフルエンザによる脳症で、後遺症を残す例も毎年いる。米国では毎年それこそ数万人といった単位インフルエンザによる死亡が見られる。ウイルス感染症は一定確率重篤後遺症を残しうるし、成人でも命を失う方はたくさんいる。このことは、自分の知りうる限り大きくは報道されていないし、「乳児へのRSウイルス感染を防ぐためにマスクの着用を」「インフルエンザ流行しているから外出を控え自粛しましょう」という議論にはならなかった。

RSウイルス感染症は、現時点で有効ワクチン存在せず(パリビズマブはワクチンではなく、適応はいくつか条件がある)、治療薬も存在しない。乳児では重症化のリスクも高いにも関わらず、成人では重症化しないという点で、放置された訳だ。

インフルエンザ治療薬もあり、新型コロナウイルスとは違う」という発言も頻繁に目にするが、オセルタミビルですらWHO必須薬ではない。本邦での使用が大半だと考えられるラニナミビルについては、欧米での治験が中止されるくらい、有効性についてのエビデンスは乏しい。ノイラミニダーゼ阻害薬について、エビデンスがあるのは、一部の薬において、発熱期間を有意に短縮するという点のみだ。

ワクチン接種云々によらず、ウイルス感染症で重症化した患者に対して、できることはとても少ない。抗ウイルス薬を投与した場合でも、重症肺炎脳炎髄膜炎などは、急激に回復が望めるわけではない。それこそ今新型コロナウイルス感染症に対して現在行われているように、ステロイド免疫グロブリン投与など、感染に対して過剰に活発化した免疫を抑えるよりほかない。

恐怖を煽りRSウイルスインフルエンザ対応しろと言っているのではない。新型コロナウイルスはただの風邪とも言わない。新型コロナウイルスについて、「何もわからない」状態から少しずつ情報が集まりデータに基づいた議論可能になりつつある。軽症や無症状も多く含まれ感染者数を毎日発表しつづけることは、果たして有意義なことなのか、発表が徒に恐怖を煽っているだけではないのか、現時点でも封じ込みを目的としてPCR検査を行い、二類感染症として隔離入院を続けるべきなのか。立ち止まって考える時期ではないか

子供権利の話ともつながるが、新型コロナウイルスに関して、「自分死ぬかもしれない中高齢者」の恐怖が、議論を歪め、RSウイルスインフルエンザ感染症などその他ウイルス感染症への対応と比べた時、歪な方針となっていないか

PCR検査について

一般臨床医にとって、ウイルス検査とはあくまで実臨床上補助となるものしかない。発熱咽頭痛、眼球結膜充血を主訴に来院し、周囲で咽頭結膜熱の流行があり、飲水ができず入院必要そう。その場合あくまで診断の裏付けとしてアデノウイルス迅速検査を提出する。出さなくても方針には変わりない。インフルエンザ迅速検査しろ、迅速が陰性であっても病歴から事前確率が十分に高いと判断できれば、ノイラミニダーゼ阻害薬の使用考慮する(必ず投与するわけではない)。医者インフルエンザと診断し、病名をつければ、その患者インフルエンザなのだ

PCR検査陽性の場合、ただ一つ正しい言明とは、「咽頭ウイルス存在する」ことのみだ。インフルエンザ迅速検査陽性で、発熱があっても、咽頭発赤がまったくなく、結果として尿路感染症であった小児などいくらでもいる。主訴がまずあり、病歴・身体所見に矛盾しない。そのうえで検査が陽性である場合治療が正しいものである可能性が高くなる。

検査結果が出るのに月単位時間がかかる感染症もある。例えば猫ひっかき病の原因であるBartonella henselaeは国外しか検査を行えず、結果が帰ってくるまでに患者の症状が消失していることも多い。それでも、臨床的に病名をつけて、治療を行うしかない場面も多々ある。逆に、検査結果がすぐ出て、感染証明されても、何も行わない場面もある。アデノウイルス感染症もそうだが、対症療法しかない感染症もいくらでもある。症状の強弱はあれど、世の中治せる病気ばかりではない。自然に治っていくものの方が多い。

無症状の接触者に対しても積極的PCR検査を行い、診断・隔離を行うという政策(これはもはや医療ではなく、「政策」であろう)は、臨床医として、完全に間違っていると考えている。一部の県では軽症者が増えすぎ、ベッド数が逼迫しており、無症状のものには検査を行わないことにしたそうだ。今後、広がっていくことだろう。

報道のあり方

ティッシュペーパーの買い占め、マスク転売赤の他人自粛強要する一般市民。これらの事象において、報道の影響は看過できない不安や恐怖を煽り、一体何がしたいのだろうか。最低だと思っていた機関の、より最低な姿を見せつけられ、もはや残念とすら思えない。


コロナウイルスの完全な消失、あるいは治療薬・ワクチンの完成を望んでいるとしたら、おそらくそれを実現するのには途方も無い時間を要するだろう。経済活動、あるいはこどもの権利(もちろん病気で亡くならない権利も含めて)を守るためには、ウイルス根絶を目指すのではなく、我々自身の考え方を変えるよりほかない。

2020-08-07

anond:20200807085304

こうやって気軽に検査すすめるの、軽症者で病棟埋めて医療崩壊を促進させてるテロリストから

ちょっとおかしいだけなら家にこもってセルフ対処すれば9割は症状収まるんだから

2020-08-03

anond:20200803151735

例えば全国で見ると、7月10日の時点で重症者は33人、8月1日で83人、その間の死者が30人、つまりは最低でも3週間で100人新規重症者。もちろん最近のほうが増え方は加速していってます

回復した人数はわからいから正確な新規重症者の数字はわかりません。しかし、重症者数ってのは個別の人数を数えているわけではなく、現在使用中のICUや人工呼吸器の数です。極論、ICUから一般病棟に移った人が20人、亡くなった人30人、新規ICU入った人が51人だったら重症者数は+1です。当たり前すぎることを偉そうに説明してすみません。でもわかってない人も多いので一応。



他のなぜ増えないかは、まぁいろんな先生がたがいろんな考察をしているので、僕みたいな一般人が語っても仕方ないかと。実際いろんな理由があると思います。あえてひとつだけ上げるとすれば、早期発見早期治療重症化はある程度防げるという話なので、PCR検査保健所の追跡が追えなくなってきたり、病院の手が追いつかなくなってくると、急激に増加する可能性もあります。つまり最前線で戦っている人たちのリソースが、重症者や死者を減らしていると。そして彼らは今疲弊しきっていて、壊れかけのダムです。ヒビ入ってます新宿区保健所職員は、3月から終電前で帰れることもなく、乗り過ごしても宿泊費、タクシー代は自腹で、しかも非協力的な人も多く、なんかもうなんかもう、、、みたいな内容をバブ先生宛に送ってたり。その辺のリソースの拡充こそ大事だと思うのですが、行政もそこまでバカじゃないので、何かしら複雑な要因もからんでるんでしょうか。謎ですが。


話を元に戻しますが、経済ももちろん大切ですが、コロナが大したことないように見えているのは保健所医療従事者のおかげであり、彼らに感謝リスペクトを持った上で、彼らの迷惑にならない経済活動の仕方を考え実行していくのが良いと思います

2020-07-29

anond:20200729105410

ずれるけど精神科入院病棟なんかは美男美女ばっかりらしいよね

美男美女のほうが精神にも良いに決まってる

2020-07-26

anond:20200723212750

という訳で、「なぜ赤字問題」の対処方法には

1)保険点数を上げる(ゼロから付与するも含む)

2)補助金を投入する

(3)なにもしない)

があるわけですが、なかなか難しい面があります


感染症病棟で、医療用のマスクガウン手袋、消毒液が必要です。

マスクガウン、購入価格が1000☆円だとしましょう。使えば使うほど病院支出は増えます

病院赤字圧力です。なるべく使用枚数を減らすためか、新型コロナウィルス病棟で8時間連続勤務のあいだ、一つの医療マスクを使っているという報道がありました。

これらを保険償還の対象にして、1枚使ったら2000円の収入が発生するようにしたらどうなるでしょうか。

汚染エリアから出たら使い捨てにして、次に入るときに新品にする。安全ですね。

しかし、これを行うと、儲けのために大量消費するインセンティブが発生します。

マスク手袋ガウンの枯渇を早めることになります。 マスクガウン足りなかったですよね?

一部のマスクは増産が追いつきましたからまだましですが、ガウン手袋など今後どうなるかわかりません。

しかも、日本国内での取り合いだけならともかく、アメリカが買い占めに入るわけです。

そうすると、今度は上記の前提の購入価格☆が1000円から5000円になるかもしれません。


マスクガウン使用量が天井知らずに増えていかないのは、病院経営者良識とか遠慮だけではありません。

新型コロナウィルス感染患者をみたら、やった処置に応じていくら払いますよ、というサービス料が決まっているからです。

同じ収入なら、使うコストが安い方がいいですよね。

500円でしか売れない決まりとんかつ定食漬物食べ放題無しはもちろん、割りばし・味噌汁ソース別売りにしたいくらい。

なぜ強制500円/食の赤字とんかつで店がなりたっていたかというと、牛かつ5000円の分の黒字があったから。

ところがコロナブタ仕入れ価格が上がり、同時に牛かつを売ることもできなくなった・・・

とんかつ定食を1000円で売ってもいいよ、というのまでは決まったようですが、まだとんかつ定食一人前売るたびに1000円の赤字が発生している。



なぜ店がとんかつを揚げ続けるのか。

ここまでくるとわかりません。 意地でしょうか? 好きでやってるのか。

遅かれ早かれとんかつをやめるしかないような気がします。

2020-07-24

死ねないだけで生きてきた

初めて死にたいと思ったのは小学2年生の頃だった。

家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。

死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足学校に行って、

眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。

そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、

ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。 

次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。

高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身無力感に苛まれていた。

次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、

たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちから厄介者のような扱いを受けていた。

そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、

「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。

どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、

それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。

暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。

翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。

遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、

拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。

まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。

かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。

冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、

しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。

結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。

 

次に死にたくなったのは22歳、大学留年した時だった。

真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。

一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学一人ぼっちになってしまったのだ。

そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。

最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。 

あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。

私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、

そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった

素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚けが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。

路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。

裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。

 一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。

離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。

ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学卒業することができた。

真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟入院していると風のうわさで聞いた。

 

気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。

私は死ねなかった、自分長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。

それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。

ただそれでも「死にたい」という心の底に燻る感情は、初めて認識した時から今のこの時まで片時も消えてはいなかった。

から私は今夜も、精一杯長く息を止め続ける、「一度ぐらい上手くいきますように」と願って。

死ねないだけで生きてきた

初めて死にたいと思ったのは小学2年生の頃だった。

家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。

死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足学校に行って、

眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。

そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、

ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。 

次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。

高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身無力感に苛まれていた。

次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、

たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちから厄介者のような扱いを受けていた。

そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、

「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。

どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、

それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。

暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。

翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。

遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、

拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。

まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。

かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。

冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、

しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。

結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。

 

次に死にたくなったのは22歳、大学留年した時だった。

真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。

一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学一人ぼっちになってしまったのだ。

そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。

最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。 

あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。

私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、

そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった

素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚けが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。

路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。

裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。

 一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。

離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。

ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学卒業することができた。

真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟入院していると風のうわさで聞いた。

 

気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。

私は死ねなかった、自分長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。

それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。

ただそれでも「死にたい」という心の底に燻る感情は、初めて認識した時から今のこの時まで片時も消えてはいなかった。

から私は今夜も、精一杯長く息を止め続ける、「一度ぐらい上手くいきますように」と願って。

anond:20200724123022

呼吸器内科病棟がやたら増える状態になるんじゃないかなと思う。

それから健康診断としてコロナPCR検査が組み込まれる。

重篤化が少ないというのはひょっとしたら検査をさかのぼってするようになって軽症、無症状で隔離療養に入ったから、休みを取れて、免疫が働いて重篤化を抑えてるからかもしれない。

無論これは追跡してエビデンスを取らないとならない。この考えが正しいか間違いか、いつかエビデンスが取れるとは思う。

軽症、無症状で療養に入れば重篤化しないというのが明らかになればとにかく早期発見に勤めるようになると思うし、それは網羅的な検査をしていくということだ。

医療容量が足りていればただの風邪というのは一聴には値するとは思う。医療容量が足りなければ一気に死者が増えるが。

から呼吸器内科病棟がやたら増えるというのも一つあるけど、コロナPCR検査健康診断化も起きるのではないかと。

2020-07-23

anond:20200723203244

必要な「穴掘って埋める」こそが検査体制医療体制を作ることだよ。

荒療治だが、感染蔓延しきった際に生じる中症重症患者を受け入れる設備があれば経済を動かせるんだ。確かに経済やばいというのは聞く価値がある。

から感染蔓延しきった際に必要なだけの数の中症重症病棟をできるだけ早く作ること、またそのために時間を稼ぐことが対策だと思う。

無論金だけじゃなくて場所や人手も必要だけどな。その時間稼ぎのために検査での早期隔離と軽症隔離施設必要。軽症隔離施設ホテルをどんどん借り上げればいいだろう。

加えてコロナ蔓延したときしかそこまで大多数の設備必要ない。だから中症重症を受け入れる設備は本当にコロナのためにしか使わない。だからその分補填必要だ。

設備の増強はどんどん下までおろしていけばマスク医療ガウンや人工呼吸器やエクモ生産だ。そしてそれを作る工場労働者必要だ。

また軽症隔離施設スタッフ必要だ。

anond:20200712225042

病院赤字問題

"まず根本的な知識として知っておくべきなのは保険医療機関収入の大半はサービスを受ける人から払われるのではない、という原則です。"

大半以外は何かと言うと

1)医業外の収入入院してテレビを見るのにプリペイドカードを購入させられた人もいらっしゃるでしょう。コインランドリーもありますし、また、病衣のレンタルなども広く行われています

  内部にコンビニがある病院は ロ○ソンに支出すると同時にロ○ソンからガリを受け取ることになります

2)補助金公的病院補助金が払われているのは当たり前じゃないかと思われるでしょうが私立病院にも補助金が投入されています

  地域医療構想 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000080850.html というものがあって、この地域ではこんな医療Xをやったらイイナ!と思ったら、Xをやったら補助金を付ける、という形で誘導するのです。

  たとえば

  https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/smph/iryo/jigyo/h_gaiyou/index.html 回復リハビリテーション病棟及び地域包括ケア病棟又は地域包括ケア病床なんかを作るならお金を出してあげるよ~と言うのがわかります

  病床数を削減するとお金を上げるよ、というのもできます

      

2020-07-18

だんだん人がいなくなっていく。理由はたぶんない。

実は東京郊外の500床ぐらいの救急病院に勤めている。救急車は年間3〜4000台ぐらい受け入れている。

しか話題コロナはあまり来ない。ジャニーズからマスクは来るけどコロナ世間が考えているほどは来ない。

しかPCR外来もあるからコロナ疑いの人は一応くるし、その中にはコロナ陽性の患者もいる。

でも、こののほほんな土地柄なのか陽性の患者も呑気で、患者どうしで仲良くなって、コロナ病棟のデイルームでみんなで軽装で集まってラジオ体操していたりする。その姿を、私たちは予防衣フル装備で見ている。なんだか矛盾した光景だ。

テレビでの医療現場ニュース悲惨すぎるのが信じられない。やっぱり都心は3密だからね〜と、少し別世界に感じている。

しかし、この状況が長期化してきている。

今はどんな病気でも、基本、発熱があったら即コロナ疑いの発熱病棟に突っ込まれる。たとえ今までだったら違う病気じゃね?と思っても、PCR否定されなきゃそれ以上はコマを進めない。

そんな中、夜中に発熱病棟に呼ばれ、急いで行ってみたら、病室で患者さんが吐血して床に倒れていた。そばには若手の看護師発熱病棟は最小限の人数で回しているため、他の看護師は他に呼ばれていたら行かなくてはならないため、経験の浅い若手看護師は1人ではこうなったらどうしていいかからヘルプしてきたらしい。

とりあえず患者をベッドに戻さなきゃならない…と2人でやってたら、突然若手看護師の手が止まった。

最近みんな辞めちゃうんです。Yさん(私)は辞めませんよね?!」

何言ってるの!今は患者さないと!!!と怒鳴りたかったけど、私には予防衣の下で泣く彼女に何も言えなかった。

当院は今話題病院に比べたらまだマシな方だ。ボーナスも去年より少ないけど出たし、コロナ手当も他院に比べたら破格に出ている。

コロナ対応も、患者はほぼ自立しているし、呼吸器つけている患者も1人か2人ぐらいしかいない。一般病棟に比べたらめちゃくちゃ暇かもしれない。

地域での感染者が少ないため、職員特に医療従事差別も受けず暮らしている。

でもみんな辞めていく。ICU尊敬していた先輩の姿も最近見ない。

来月はコロナ病棟夜勤者が足りなくて救急外来からヘルプを出すことになっている。私の夜勤は9回で、それでも人が足りなくなっていっている。私には理由はわからない。

自死遺族として

俳優三浦春馬さんの訃報を知った。

三浦さんのファンだったわけではないけれど、ドラマに出ていればかっこいいなあと素直に思うくらいには好きだった。

訃報を知って泣くくらいには好きだった。

三浦さんではないけれど、自分にも好きな俳優さんはいるので、三浦さんのファンの方の悲しみは計り知れない。

ただただ、三浦さんのご冥福をお祈りします




本題。

私は資格のための勉強をしていた。

しかし、不意にやってくる、数年前に亡くなった妹関連で未だに怒りが湧いてきて、どうにか発散しようとネットを開いたところに、三浦さんの訃報を目にして心が完全にひしゃげた。

もう今日は使い物にならないだろう。

妹は数年前に自殺した。

一人暮らしアパートで死んだ。

なんとなく、確証もなく老後2人で縁側に座って話してるのかと思ってた。けどそんなことなかった。

殺人事故だったら殺した犯人を憎めたけど、自殺は殺した犯人被害者も同一人物から憎しみも悲しみもごちゃ混ぜになる。

今でも妹のことを思って泣くことはあるし、体がだるくて動けなくなる。

その他色々、本当に色々、大袈裟にではなく、自殺の前と後では生活性格人生の全てが変わる。

私は妹が死ぬ前の生き方をほぼ覚えていない。

本当に自殺は最悪だ。

序盤に書いたが、妹の自殺について、私にとって悲しみよりもずっと残るのは憎しみだ。

ずっと妹のことを思って泣いていたかった。

けど、醜く心に残ったのは怒りの方が強かった。

悲しみも怒りも、何気なく生活する中で不意に思い出される。

そして怒りの感情の方が長く残る。

死んだ妹に対して怒りはない。

自殺なので遺書もまああったが、正直なところどう思ってたのかなんて、誰にも分からない。

何故死んだのか、何故私に言ってくれなかったのか、とかはもういない人間に対して怒るのは疲れた

から、私が憎しみの感情を向けるのは生きた人間だ。

私が憎い相手は2人いる。

1人目。妹の友人。

妹は母親が嫌いだった。

私は特に好きでも嫌いでもなかった。

なので妹の意見には同調できなかったが、妹の友人(Aとする)はそんな妹の気持ちをわかってやれたらしい。

葬式の前、Aからメールを貰った。

妹が母親を嫌っていたのでAも母親が憎く思ってるようだった。

それでもこのメールは見せないでくださいとか、私だけが妹のことをわかってる、みたいなそんな内容だった。

葬式にもAは来た。

私は受付をしていて、両親が参列者の相手をしていた。

気がつくと母親がAから手紙を読んでいた。

妹に対しての、学生時代の旧友がくれた手紙などはあったけど、母親に対しての手紙

嫌な予感がして母親から取り上げると、妹が母親を嫌っていたことがつらつらと書かれていた。

メールでは言うつもりはないと言っていたのに。

注釈しておくと、妹は母親を嫌っていたが、母親は妹のことを格別嫌っていたわけではなかった。

なので、妹の死に対して本当に母親は悲しんでいた。

私は親元を離れて暮らしていたので話に聞く程度だったが、会えばいつも泣いていたし、葬式でもずっと泣いていた。

そんな母親に対して「あなたの娘さんはあなたのこと嫌ってましたよ」なんて手紙を渡すか?

かに妹の自殺の原因に母親が関与していたとは思う。

けど、母親は妹の母親であると共に、私の母親でもある。

妹は嫌いだったかもしれないけど、私はそんなに嫌いでもない母親だ。

妹の遺品を整理して、妹の葬式の準備をして、毎日妹の死に触れて、妹が二度と帰ってくることのない実家暮らしている母親に対して、葬式に来ただけの人間がそんなことするか?

本当に腹立たしかった。

手紙を渡すだけ渡してAはさっさと式場を出たらしい。

本当に憎らしかった。

後日、AのTwitterを見つけてしまった。

妹の葬式に行くこと、母親手紙を渡そうとしてることなツイートされていて、憎しみが重なるばかりだった。

憎ければ見なきゃいいといえば本当にその通りだ。

けど、人間そんなに単純じゃないしそんなに理性的でもない。

本当に本当に憎い。

Aは愛しき友人のために、憎き母親へ一矢報いていい気分だっただろう。

Aにとって母親は、死んだ妹の仇敵だったけど、母親は私の母親でもある。

恨みつらみの手紙を送られて、精神に異常でも来たして後遺症でも残したらどうするつもりだったのだろう。

老いていく母親の面倒を誰が見ると思っているのだろう。

フィクションなら友人の復讐を遂げられて良かったかもしれない。

けれどここは現実だ。

Aにとっては自身物語重要登場人物だった妹の仇をとって満足だっただろうが、モブの私や母親にも物語がある。

モブだと見なされた人間ちゃんと生きて家族がいて仕事があって人生がある。

妹が死んだ後のエピローグは最悪だ。

2人目。自殺未遂者。

名前も顔ももう朧気だけど、憎しみだけはずっと消えない。

私が学生の頃、医療施設見学救急病棟に行った。

そこで昨晩運ばれてきた、自殺未遂患者に会いに行った。

その患者は妹が亡くなったのとほぼ同じ年齢だった。

それだけでうわっと思ってた。嫌だなと思ってた。

カーテンを開けると、その患者はもりもりとご飯を口いっぱいに含ませ食べていた。

はあ?と思った。

これは理不尽な怒りだと思う。自分でもわかる。

けれど、それだけで、ふつふつと怒りが湧いてきた。

指導者が話しているのを横で聞いていただけだったが、ずっと私はその患者が憎くて睨んでいた。

なんで妹は死んだのに、お前は元気に生きて飯食べてるの?

別に妹のことは直接関係はない。本当に理不尽だし、本当は生きてて良かったと思うべきである

しかし私は今でもあの女がもりもりと飯を食べている姿が脳裏に焼き付いて憎い。

私はそんなに人を憎まない性格だった。と思う。

Aと比べて、私や家族が何かされたわけではない。

ただ自殺未遂人間出会っただけだ。

けれど妹が死んで、生きている人間が不意に憎たらしく思うことが増えた。

認知の歪みだと思う。

自分でも理不尽だとわかっているけど、感情がそう思ってしまうのだから、どうしようもないのだ。

妹は見つけた時もう死んでいたのに?

妹は初めての自殺行為だったのに?

妹は死にかけた朝にご飯を食べることもなかったのに?

何故この人間未遂で済んだ?

考え出すとぐるぐると、どうしようもない。

認知の歪みがわかっていても矯正することもできず、顔も覚えていない相手今日まで怒りを抱いてしまう私がいる。

自殺は全てを狂わす。

長くなったが、結論としてとにかく自殺は最悪だ。

不幸の行き着いた先の選択だ。

死んだ人間のみならず周りの人間を不幸にする。

深く関わりがない、知っているだけの人間ももれなく全員不幸へ道連れにする最悪の選択だ。

負の感情がどこまでも蔓延していく。

お願いだから人間自殺はしないでほしい。

そして自殺により不幸になっている人間、今すぐにとはいかないが、頑張ってほしい。

頼むから自殺だけはしないでくれ。

anond:20200718150442

ソーシャルディスタンス取ったりマスクしたりは感染拡大を遅らせるだけで、感染を縮小にまではできません。

竹槍でアメリカ軍が襲ってくるのを多少遅らせることができるが、アメリカ軍の量と質が大きければ素人の竹槍では役に立たないのと同じ。

百歩譲って、中症重症病棟を大量に空振覚悟補填付きで用意して、どれだけ感染が広がっても受け止められるって状態を作ったあとだな。GoToキャンペーンは。

2020-07-17

anond:20200717134306

感染の早い段階、そのままで自然治癒したコロナ感染者を隔離している。感染の早い段階で補足しているがために重症化には時間がかかる。自然治癒するがゆえに当人そのままでも治るがために重症化の比率ではたしかに減る。

その人から感染拡大を遅らせることができる。

ただ今のはあくま感染拡大を遅らせるということで時間稼ぎ以外の何物でもないんだよね。

そこで時間稼ぎを無にするのがGoToキャンペーン

どのみち検査では漏れることがあるから、最終的には感染者が多数発生してもしても耐えられるほどの中症重症病棟人口1%ぐらい作るしか無いとおもうわ。

検査時間稼ぎをするというのは、あくま時間稼ぎであって、フルに経済は動かせないものワクチン治療薬は開発はまだまだ遠いし、できないかもしれない。

anond:20200717132046

俺は検査体制医療容量を増やすべきって立場だが。それも人口の1%ぐらいの中症重症病棟な。

医療容量が足りていて、そのぐらいの備えがあればコロナはただの風邪と言えよう。

今はすぐに重症病棟が一杯になって死者が増える未来しか見えない。

anond:20200717124029

は?中症重症病棟病院契約たからと言って増やせないけど。人員と機材と場所必要なんだから

百歩譲ってイベント会場に病床を連ねるというのなら話はわかるがな。

思いつきで言うのやめなよネトサポくん。

anond:20200717123917

実際すぐ再契約出来てるわけで別にいいんじゃね?

使わない部屋に無駄税金払い続ける必要なくね?アホなの?

中症重症病棟もも病院契約して準備してるぞ?

anond:20200717123718

そこが甘いんだよ。

経済重視ということは感染拡大を許容するということなんだから解約なんかしちゃだめなの。

ましてや軽症病棟ホテルの部屋借りるだけで住むが、中症重症病棟は本当に設備スタッフを確保しないと作れない。時間とカネがかかる。

ただし中症重症病棟が十二分にある状態ではコロナはただの風邪という話は聞く余地がある。

anond:20200717123330

で、スペイン風邪見たく2年間で全人口の1/4が感染する。うち2割は重症病床がないとまじで死ぬ。まあ1/4のうちいつかかるというラグがある。そのぐらいの数が足りてんの?

そこまで金かけて準備してるのならともかく医療機関がヒーヒー言ってるニュースが流れてくるぐらいの状態では足りてないでしょ。

軽症ホテル病棟も解約しちゃったし。

anond:20200717123031

春と比べたら遥かに対応病床増えてるんだがそれも知らんのか

そりゃ最初は従来の一種二種病棟だけで対応しようとしてたから足りないのが当たり前

実際首都圏はDP号だけで埋まったわけだし

anond:20200717122749

春の時点では病棟が足りないって大騒ぎだったが。まあ春は軽症者も病院に入れていたという問題はあるが。

今は傾斜はホテル隔離をするようになったので一歩前進だ。それでも中症重症病棟はさほど数がないということには変わりがない。

anond:20200717121140

第一波で中症重症病棟が足りないと医療危機に面していたの忘れたのか?

感染拡大と経済を選ぶので、経済を重視するというのならそれも一つだが、とすると感染拡大しても足りるぐらいの中症重症病棟必要

anond:20200717120645

感染は一気に増えるときと、増える速度が遅いときとがある。一気に増えることを見越して1/5ぐらいかという想定だな。

とにかくいずれにしてもGoToは中症重症病棟とその人材を大量に確保した後ではあるわ。ついでに隔離用の継承ホテルな。

今は全く増やす気も準備する気もないだろ。甘い見通しで後の大災厄を招くというのは第二次大戦といいインパール作戦といい日本お家芸というべきか。

anond:20200717120106

1/5が同時感染1920年代スペイン風邪が2年で世界を席巻したことからすればそう多くない。

2割重症化はコロナの今までの積み重ねから総間違いない。

GoToやりたいのならそれぐらい重症病棟を設けてからだぞ。

景気のために金を打ち込むならそちらに金を使え。そうすれば勝手旅行に行けるようになる。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん