はてなキーワード: 死ぬかと思ったとは
だからずっと皮オナしてた。
とはいえ、たまーにお風呂入ってる時に頑張って剥いてチンカス掃除したりはしてた程度の包茎だった。
包茎には詳しくないのでそれがどの程度かは分からない。でも勃起してるときは絶対剥けなかった。痛いし、まず出口が狭すぎて。
しかし大学に入ったあたりでこれはいかんという気持ちが湧いてきて、2ヶ月ある夏休みを利用して、家に引きこもっている間はずっと寝る時も頑張って剥いたまま生活するというのを始めてみた。
それがもう10年くらい前の事になるからあまり詳しく覚えてないけれど、最初の一週間くらいが地獄で、ちんちんめっちゃ痛くて死ぬかと思った。
皮の出口が狭いのでおしっこもしづらかったし。でもその期間も過ぎてくるとだんだん皮は拡張されてなんとかズボンを穿いて社会的活動も出来るように一ヶ月くらいでなってきたように思う。
んで夏休み明ける頃にはまぁ剥きっぱなしでも生活できるようになっていて、そこからはずっとズル剥けライフだ。
そうやって時間をかけられない事情がある人は手術とかして治すのかもしれないけど、学生とかニートは割と自力でなんとかなるんじゃないかなと。がんばってみてほしい。
あと余談だけど、20歳くらいまでずっと皮オナだった俺が、皮を剥いた状態でオナニーできるようになった時の一回目のオナニーが人生の中で一番気持ちいい射精が出来た。
あの気持ちよさを再度味わいたい。
数年前から、1ヶ月に1回程度、頭が痛くて、気分が悪くなって吐く。ということがあった。
よく仕事の休憩中とかに、吐いたり、昼飯抜いたりしてた。
それが、1ヶ月に2~3回とか、年数を追うごとに、頻度が増えていき、5年位が経ったくらいからは、毎日のように頭が痛くて、よく吐いていた。
酷い日は、一日中、吐いても吐いても吐き足らないというような状態だった。
それでも、運動不足のせいだろうと思って、ここまで病院には行ってなかった。派遣社員だったので、健康診断なんてものもなかった。
それに、平日も休めないし土曜も出勤の場合が多く、なかなか病院に行くことが出来ないというのもあった。
で、入院2ヶ月前くらいから、血尿が出始めたが、よく吐いていたこともあり、胃が悪いと思っていたので、胃炎で血尿が出る場合があるということだったので薬局で胃薬買ってきて飲んでた。
最初に買った胃薬を全部飲みきった頃になっても、一向に症状は改善しなかったので、別の胃薬を買って飲んだりしてた。
血尿は、最初は2~3日出て止まる、という感じで、出たり出なかったりだったが、出始めてから、2か月後の入院直前の頃には、血尿が出るのは当たり前になっていた。
最初は驚いたが、後半は、「あ~、今日もおしっこ赤いな~」って思う程度になってた。
まあ、おしっこする時は、血尿を見られないように立ち小便用便器は使わず必ず、個室に入るようにしてたけど。
それと、頭痛くて吐くのとは別に、入院1ヶ月くらい前からは、食べて30分後くらいに全部食べたものを吐いてしまうようになってた。それで胃が悪いと思ってたというのもある。
だから、その頃は、仕事中に吐きそうにならないように昼飯も殆ど食べてなかった。
でまあ、そんなある日、仕事から帰りお風呂に入っていたら、急に胸が苦しくなってきたので、急いで風呂から出てベットに横になったが、どんどん胸が苦しくなっていって死ぬかと思ったが、翌朝目が覚めたら何ともなかったので、仕事へ行った。
で、仕事から帰って来て、昨晩、風呂入ったら胸が苦しくなったので、その日はシャワーだけ浴びて寝ることにしたんだが、上手く説明出来ないが、胸が苦しくて咳が止まらなくなって、翌朝まで殆ど寝れなかった。それでもいつの間にか眠ってしまっていて目を覚ました頃には何ともなかったので、仕事へ行った。
自転車通勤だったが、いくらペダルをこいでも自転車が進まず、普段通りの時間に出たのに少し遅刻してしまった。
それで一日何とか仕事して帰って来て、食べると気持ち悪くなるから、おかゆを食べてみたけど、一口食べたら気持ち悪くなってしまって、それで夕食を終わらせてシャワー浴びて寝たら、また前日のように咳が止まらなくて眠れない。
もうこれは駄目だなと思って、ようやく翌日、朝一で地元の総合病院へ行ったら、「一応検査してみましょう。検査の結果は一週間後にまた来てください」ってなって、各検査室回って検査受けて、薬も何ももらえず帰らされた。
納得行かなかったので、別の開業医へ行ったら、レントゲンと脈拍測って「これは危険な状態だから、紹介状書くから、総合病位へ行ってくれ」って言われたから「朝、総合病院行ったけど検査だけして帰らされた」って言ったら、「今度は紹介状書くから大丈夫だと思いますよ」って言われて、開業医が総合病院に電話したら、「検査結果が悪くて呼び戻す電話を自宅にしてたけど連絡付かなくて困ってた」と言われたらしい。それで、病院戻ったら午前中の検査結果が全部出ていて、「全ての臓器に障害がでてて、普通歩けないはずだ」と言われた
「うちでは手に負えないので、もっと高度な病院に転送します」と言われ待たされたけど、結局受け入れ先の病院が見つからずその病院に入院した。
病名は、腎不全で、即日、人工透析をした。胸が苦しくなったのは、胸に水が溜まっていたからだそうだ。横になると、胃が上に持ち上がるらしく、間に水がたまっていたので、胸が押しつぶされた状態になり苦しくなってたらしい。
血圧は200を超え、体中内出血してて、体のあちこちにアザのような半纏が出来てた。
そこから1ヶ月半入院して、当初は一生透析生活になると言われてたけど、完全に腎機能が回復したわけじゃないし、将来透析になる可能性はあるみたいだけど、3ヶ月に1度通院して、毎日薬飲まないといけないし、食事療法しないといけないけど、今のところは、透析が必要ない生活が送れてる。
最終的に言いたいことは、健康診断は受けた方がいいよってこと。僕の場合、腎不全の原因は高血圧で、高血圧の原因は不明らしいけど、今は血圧下げる薬あるからもっと早く病院行ってたら腎不全にならずに済んでたらしい。病状が悪化すると医療費も高くつくしいいことないよ。
なにかの毒の入った餌を喰ったか、もしくは殺鼠剤や枯葉剤のかけられた雑草を喰ったか。
三ヶ月ごとに一匹死んだ。
二日ほど姿がみえないと思ったら、体中にゴミや枯葉をつけて、口から涎をダラダラ流して戻ってきた。
小屋の中の寝床に寝せておいたが、もう今日で死ぬかと思ったあたりになると、力を振り絞って畑の上の茂みの方に這っていって藪の中で隠れるようにして息耐えた。
三匹目の猫は、毛玉取りの雑草を餌を喰ったすぐあとに喰い、せっかく与えた餌をゲーゲー吐く吐き癖がついていたせいか、他の猫よりも数日持ったが逆に言えば苦しみが長引いただけだ。
許せん。
許せない。
怒りに震えて血圧が上がりすぎて気分が悪くなり寝込むことも初めて経験した。
誰だ。
飛行機が嫌い。
中学生の頃まで家族旅行で海外によく行っていて、そのたびに飛行機に乗っていたけれど、今じゃ考えられない。
特に怖かった記憶はないのに、ほんの1年前に10年ぶりくらいに乗ったら怖くて怖くて泣きそうで死ぬかと思った。
少し揺れるだけでも体が緊張で強張り、常にジェットコースターに乗っている気分だった。もちろん絶叫マシンは大嫌い。離陸も怖い。
高速道路が嫌い。
山形に住んでいて、実家が宮城なので、帰省したり買い物に行くときは高速道路を使わないと行けない。
仙山線はしょっちゅう止まるから使わない。一度冬場に乗って、山寺駅で雪により止まった時は大変な思いをした。
高速バスは安全運転しているか確認したいから一番前の席にしか座れない。座れないときは次のバスまで待つ。
でも高速道路は怖い。高速道路を運転できないからいつも旦那に連れて行って貰うんだが、速度計は見れない。
トラックを追い越したり追い越されたりすると心臓がドキドキする。事故を想像してしまう。
軽自動車で高速道路運転してる人は自殺願望が強いのかなと思う。
お金溜まったら丈夫な車が欲しい。ジープとかベンツとか。半端な知識しかないから次買うときは車好きな友人にアドバイス貰おう。
嫌い嫌いというけれど、できればこの苦手意識なくしたい。
特に飛行機が嫌いだと旅行いけない。高速道路の嫌いさは我慢できるレベルだけれど、飛行機は我慢できない。
飛行機の離陸音を聞いただけで具合悪くなるのはせめてやめてほしいんだが。
生きにくい。
先日、かかりつけの精神科医に初めて「死にたい?」と尋ねられた。
答えは「はい」だけど、今は死ぬしか無いと追い詰められた状態よりも、もう疲れたからどうでもいいや、という気分のほうが近い。
数カ月前から急激に痩せて、眠れなくなって、身体が痛くてとうとうベッドから出られなくなって今に至る。
それでも多少は良くなったのだろう。こうしてPCの前に座ってキーボードを叩けるので。
世の中にありふれた話だろうけれども、私は子供の頃から親のいうことをすべて聞かなければならなかった。成人した後もなかなか実家から出ることを許してもらえなかった。
「お前なんか何をやってもだめだ」
「うちはよそからは立派な家に見えてるんだよ」
「お前のせいでこれだけ金がかかった」
「お前がいなければ離婚できる」
「あんたの悪いところはお父さんそっくり」
「お前の怒り方は母さんそっくりだ」
「子供を産むんじゃなかった、産むにしても一人にしておけばよかった」
母の愚痴を聞き、父の愚痴を聞き、学校では良い成績でいなければならなかった。
対称的に、弟は跡継ぎだからととても甘やかされて育った。
そんな風に子供を育てながら、私の両親は夫婦げんかで毎日騒いでいた。
父親が母親の頭をつかんでガラスで割ったり、母親は包丁を持ち出したりした。
ある夜中に、父親が救急車を呼ばなければいけないような腹痛を訴えてのたうちまわっていても、母親は「知らない」といって起きてこなかった。
家族旅行に行くと言って車に皆で乗ってから、運転席と助手席で殴り合い、結局帰ってくることもよくあった。未だに車の中が苦手だ。
こんなに仲が悪い夫婦なのになぜ離婚しなかったのかわからない。
実家に居た頃は、体調を崩すと親に怒られた。
手洗いうがいをし、規則正しく生活しても、風邪を引いて寝こむと怒られた。
咳風邪を引いた時は「咳がうるさい」と怒鳴られた。
なぜか謝っても許してもらえなかった。
そんな自分の家庭がどうやら変だなと気づいたのは高校生の頃だった。
大学進学をきっかけに家を出たいと両親に申し出たが、当然却下された。
「お前に一人暮らしなんかできるわけがない。お前にかける金はない」
これが親の言い分だった。
これだけ束縛を好む両親から逃れられたのは、弟が家族に暴力をふるうようになったからだ。
弟も疲れたのかもしれない。精神科に連れて行かれて、聞いたことのない病名をつけられていた。
両親とも、弟に殴られ、骨折し、アザだらけになった。
私は何度か警察を呼ぼうとしたけれども、父親が断固として呼ばせなかった。
不思議と弟は私だけは殴らなかった。
でもある日、弟の立てる騒音に我慢ができなくて、私が注意すると、弟は激昂して馬乗りになって殴りかかってきた。冗談ではなく本当に死ぬかと思った。
助けてと叫んでも、母親は前に父親が腹痛で苦しんでいたときのように、起きてこなかった。
父親が制止したが、後から「弟を怒らせたお前が悪い」と言われた。
ここで糸が切れたのだと思う。
友人の家に泊めてもらいながら、警察に行かせないのなら私を一人暮らしさせてくれ、と頼み込んだ。
奇跡的にその要求は受け入れられて、念願の一人暮らしを開始した。
お前に一人暮らしなんかできるはずがないという親の言葉など、嘘だった。
洗濯は洗濯機がしてくれるし、食事も面倒なら買ってこればいい。
親は暴れる弟の相手で必死だったから、今までに比べれば私には干渉が及ばなかった。
そのまま大学を卒業して、就職して、しばらくしてから休職中の今も一人で過ごしている。
弟は閉鎖病棟に入院してから随分と経つ。恐らくもう社会復帰はできないと親は嘆いていた。
それでまた、親の目が私に向いた。
「休んでこれからどうするんだ、弱い」と勝手にアパートに来ては騒いで帰っていく。
弱いのは否定できないが、それでも私なりに、まっとうに生きてきたつもりなのだが。
進路も職業も親の望みをかなえた。
好きなこともやりたいことも欲しいものもなくて、私はただ、安心して眠れる場所が欲しかったんだなと気づいた。
気づいてから、ああもういいから、疲れた、どうでもいいなとしか思わない。
世の中にはもっととんでもない毒親や家庭がたくさんあることだろう。
でも私にはここまでが限界だった。
もう、何もしたくない。
なあちょっと聞いてくれよ。 まあそんな大した話じゃないんだけどさ。
先日、はてなにちょっとした不具合報告をしたんですよええ。要件は、
“macbookAirでchromeを使用していると、はてなブックマークでのみ入力欄で変換候補が表示されない(変換しようとスペースを1回押すと文字表示が消える)”
というもの。はてなの他のサービスではそんな現象は起こらず、同じパソコンを使って他の事をしてても起こらない。windowsではてブを使っても起こらない、safariでも起こらない、何故かmacbookAirとchromeの時だけ起こる。IMEとかFlashとか怪しそうなのはひと通り改善を試したけど治らなかったので打つ手が無くなり、しかしながら日頃から熱いぶコメを打ち込むのを生きがいとしている俺にとっては大変不便で困った状態だったので、まあ聞いてみっかなと軽い気持ちではてなブックマークのお問い合わせフォームから送ってみたんですよ。
http://www.hatena.ne.jp/faq/q/bookmark
ここね。で、気分的には、この症状が俺の環境で固有のものだったら黙殺されるだろうし、既知の問題だったらどこかでレスポンスがあればいいな程度に考えていたので無記名でフォームを送ることにしたんです。黙殺されたらまあいつもどおり「クソappleにはよくある事」としていつも通り泣きながら寝ているうちにいつの間にか治っている事を願いながらぶコメ書くしか無いかな、程度に考えてた。(ちなみに俺は長年macを使い現行のmacbookAir使用者でありながらアップルという会社自体は大嫌いだ)
おっといけない、話が逸れた。ほんとappleはクソだな。 そんでね、見ての通りフォームの項目は “必須” では無いっぽいので、アカウント名もメアドも記入せずに送ったんですよ。
そしたらね、その日の晩にはもう返信が俺のメールに届いたんだよ。すごいね、はてな。さすがおれたちのはてな。スムース。極めてスムース&エレガント。レスポンスの内容は「その問題は把握しており、改善するよう努力してまっすちょっと待ってね」というもの。ほう。なるほど、そういうことだったらいくらでも待ちますよ了解。さすがだね、はてなは……。
とね、なんでもないように見えるこの件なんですが。
俺はね、普段、はてなブックマークをなかなかヘビーに利用してる人間でね。もう毎日、がんがんうんことか手斧とか花束とかを投げまくってるわけですよ。もちろん匿名アカウント。匿名でできるだけ本心を書いてるわけです。いや、最低限のラインは分かってるつもりなのでそのラインを越えないように、でもできるだけわんぱくにうんこ投げてるわけです。そんなだからね、もし身バレしたらもうね、大変なことになるわけです。一応、普通に社会生活を営んでいる一般人なわけです。はてブであんなうんこを投げてても、実社会ではまあ普通の人なんです。だから、絶対に身バレしないように心がけ、実名の方とは交わらないように普段から気をつけてるわけです。いつ不具合あるか分からないからサブアカすら信用せず、本アカとサブアカで匿名実名分けるみたいな事すらしてないんです。実名の方は別メアドでアカウント作ってる。余りにも良い記事をシェアする時は、ぶコメを付けてからすぐ実名SNSでシェアしてしまうとバレるかもとビビって時間差を設けてるくらいには気をつけてるんです。まあそのくらいの現実的な範囲で気をつけてるんです。身バレだけは困る、つうか身バレなんかしたら恥ずかしくて生きていけない。もともと個人攻撃は、みんなの集まりでいきなりプロポーズするような人でなければあんまり興味なくて、つまんない記事につまんねーぞ!とヤジってる程度なんですけど、それでも身バレは絶対に避けたい。そんな思いで匿名アカウントとして張り切ってはてなブックマークしてるんです。
だから、先のお問い合わせフォームでもそんな気持ちで、別に返事無くてもいいわ くらいの軽い気持ちで送ったんです。俺はネット上の無数の匿名の中の1人であり、ネット上では吹けば飛ぶようなチリのひとつでありたいわけです。その為の匿名アカウントなわけです。
ところが。
ところが、あろうことかはてなお問い合わせ窓口は、サクっと俺にメールを送って来やがったんです。無記名にしたのに。せっかく、アカウント名もメアドも未入力で送ったのに。
さらに悪いことに、俺はこの匿名アカウントをGmailで登録してしまっている事の重大さをここで知りました。スマホandroidを使っていて、googleサービスのヘビーユーザーの人なら分かると思うけど、もはやgoogleアカウント、gmailアドレスってほぼ身分証と同等のものなんですよね。もう、すべてが俺のgoogleアカウントに紐付いている。もちろんgoogleアカウントは実名だし、仕事でもガンガンgmailを使っている。google+も登録してるからプロフィール写真もメールにくっついているし、もう完全にパブリックなアカウントなんです。
そのgmailに、はてなのお問い合わせ窓口が問い合わせの返事メールを送って来やがった! あれだけ匿名と実名が繋がらないように気をつけていたのに、匿名のアカウントが送信した問い合わせの返事が、俺のプロフ写真がばっちりくっついてるgmailアドレスに飛んできたんだ!なってこった!!!しかも、はてなのメールには普通に担当者さんの名前が記入されてたりして、もうこれ完全に実名社会人としてのやり取りになってしまっているではないか!あああああああ!どうしよう恥ずかしい!!毎日うんこ投げてるアカウントなのに!!gmailにくっついてるプロフ写真、めっちゃすまし顔なのに!!!恥ずかしくて死ぬ!!
つうわけで、はてなの中の人がこれ読んだら完全に「あ、アイツだ」と分かってしまうだろうけど、まじで内緒にしておいて下さい。何卒、宜しくお願い致します。
http://anond.hatelabo.jp/20140710201624
http://anond.hatelabo.jp/20140713223836 へ。
子宮頸がんの検査で引っかかって、ガンの前段階だったけど手術したよ。
何かのお役に立てればいいと思って書いておく。
2年に1度の検診で引っかかって要検査のお知らせが来たので産婦人科へ行って、詳しい検査(パッチンってやられるやつ・コルポ診)をした。
検診の通知に子宮頸がんの前段階「異形成」が見つかったとあったので、この再検査で進行度がわかるよと言われた。
ちなみに異形成の段階ではまだガンではない。だから転移もないし抗がん剤も必要ない。
検査1週間待ちならまだ異形成なんじゃないかと…思う。
異形成も低・中・高とあって、中と高の境目で手術の要不要が決まる。
無料検診本当にありがたいと思う。無料じゃなかったら多分行かなかったな。
ちなみに異形成のランクにもよるけど、中度までなら一年に1回くらいの検査で済むはず。
それくらい進行の遅いもので、低レベルなら結構な確率で進行しないそうだ。
だが1回引っかかるとその後は無料にならないという罠。
そんで、1週間後にと言われたけれど4日目で電話がかかってきてビビった。
マジかーガンかー!と世界が終わった気がしたよ。
ここから手術して、切り取った全ての細胞を検査してもらうまで生きた心地はしなかった。
だってまだ20代なんだよ。
祖父母揃って全員ガン、母親は乳がん(現在術後五年目)、親戚は半分ガン、ガンだらけの筋金入りのガン家系なので覚悟してたけど、マジで、って。もうそれしか出ない。
母の闘病中ずっと側にいて、理解していたつもりが全く解っていなかった。
すんごい絶望。ただただ怖い、恐ろしい。
自分の周りが暗い。
外が明るすぎて、ここだけが暗い。
母ごめん、と思った。こんなの抱えてあんた笑って生きてるのか。
私はその苦しみを少しも解っていなかった。
結果は「高度」異形成。
ガンになる手前、半分くらいはガンにならない。でも半分ぐらいはガンになる。
だが私は20代後半で、既婚者・妊娠希望だったのでこのまま放置はできないし、翌週手術になった。
(高度異形成なら二ヶ月に一度の進行チェックが必要になるし、妊娠中に発覚するとそこで手術の為早産の危険がある。
コルポ診ではパチっと肉片を切り取ってその細胞を見るのだが、そこ以外の箇所がガン化していないとも限らない)
術式はレーザーによる円錐切除術。
2泊3日の入院で、痛みは・・・・・・・・・・・まあ痛み止めが切れたら痛かったよ。フツーに痛かったよ!
術後2週間は大量出血の恐れがあるので緊急の電話番号も渡された。
どこまで脅すんだ本当。
術後一週間後、検診ついでの検査結果は、all高度異形成(Ⅲb)。
ふにゃふにゃに力が抜けた。
本当にここまで、再検査の紙を受け取って3週間、生きた心地がしなかった。
今までで一番長い3週間だった。ガンだったらこれが死ぬまで続くなんて、そんなの耐えられないくらいの恐ろしさ。
怖かった。
怖すぎて、夫に話しても全然不安が拭えなくて、変な話だけど生き死にってやっぱり1人なんだなって思った。
親には言えなかった。
ただでさえ母親は乳がんの抗がん剤治療が終わったところだし、その上娘にガンの疑いとか言えなかった。
まだ言えてないしこの先も言うつもりはない。
それでもきっと私は夫がいるだけ良かった。
今あなたには話す相手もいないなら、さぞ怖いだろうと思う。
それで今、毎年検査を受けながら3年目。
毎回早く子供作れと言われるのは切り取ってもまたできる可能性が高いから。
その異形成を作ったヒトパピローマウイルスは依然体内にいるわけだし仕方ない。
そんなこと言ったってできないもんはできないし。夫は年の半分日本にいない。
再発したらまたケイカンが短くなって早産の危険が高まるんだろうなーと思いながら今日も基礎体温をつける日々。
あなたの再検査結果が誤りか、異形成止まりであることを心から祈ってる。
なんか聞きたいことあったら答えるよ。
今は見る気なんかしないと思うけど、自分が参考になったサイトのURL貼っておくね。
子宮頚癌(子宮頚がん)と異形成 http://indivi.net/index.html
余談だけど、ヒトパピローマウィルスは誰でも持ってるし、誰にでも感染の可能性がある。
そのウィルスには型が色々あって、たまたまガン化するウィルスに運悪く感染した人が低確率で発症する。
それを防ぐワクチンは実はある。でもこないだまで中学生女子に接種する補助とかあったんだけど、副反応の問題で現在は希望制になっているらしい。(*)
正直、自分が経験したこの一連の流れの中の「実際にガンになった(なってないけど)怖さ」は、想像していたよりもっと、はるかに恐ろしいものだった。
白髪がドバっと増えて、食べる物も食べられない。万が一の為に荷物を片付けながら泣いた。何も残せない自分が辛かった。ただひたすら毎日死について考えていた。
あんな恐ろしい思いは二度としたくないし、誰にもさせたくない。
(*)接種勧奨の差し控えhttp://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou28/qa_hpv.htmlのようです。
ご指摘ありがとうございました。
25歳、女。
会社の健康診断で子宮頸がん検査でひっかかって、あれよあれよという間に病人になってしまいそうだ。
検査結果を土曜に聞きに行く。不安だから寝てしまいたいけど眠れなくてこれを書いている。
ここ一ヶ月、ずっともうすぐ死ぬかもってことを考えていた。
それなら痛み止めだけもらって大人しく死のうだとか、
そういうことを誰にも言わずずっと考えていた。保険はあるし正社員だけど、
バイトみたいな誰でもできるような仕事しかしてないし、仕事も新卒3年目にしては動けるって程度。
そしたら「あれ、わたし、生きていたくない?」って気がついた。
生きてることよりも死ぬことよりも、お金がかかることが怖い。稼げなくなることが怖い。
実家はお金あるけど、あまり個人として尊重されないから関わりたくない。
仕事も趣味も楽しい。でも何か、自分を生に縛り付けておくものが欲しい。
百万二百万かかっても生きていたいと思えるような、そういう何かが欲しい。
私は死にたくないと思えるのか。お金かかるなら死んでもいいや、は、あまりにも惨めだ。
何か、この世に、未練が、欲しい。
続き もしかしたらガンかもしれない2
http://anond.hatelabo.jp/touch/20140713223836
http://anond.hatelabo.jp/20140714200210
仕事サボってはてなに来たら自分のエントリがなんかトップに来てたのと、その後はてなのパスワード忘れたから報告ができなかった。
三ヵ月後の検査の結果、なんともなかったときは検査した病院から田町の駅までスキップして帰った。
ごめんうそついた。途中で力尽きた。
なんともなかったよ。
やった!!!
やさしい増田と、冷静かつやさしいブコメのおかげで、すごく怖かったけど検査にいけたよ。
誰にも言えなかったんだ。友達にも同僚にも。がんばれたよ。本当に助かった。
あのままだったら怖くて検査に行かず、一人でメソメソしてた。
最初にブコメとか、くわしくて優しい増田読んだときは一人でサイゼでぼろぼろ涙流してた。
どこのだれとも知らない人たちが声をかけてくれて、本当にうれしかった。ありがとう。ありがとう。今も思い出し嬉し泣きしてる。
http://anond.hatelabo.jp/20140714033402
あなたに助けられました。あなたのおかげでがんばれた部分が大きいです。
声をかけてくれたネットのむこうの知らない人たちの幸せと、長寿と繁栄を。
それが贅沢なら、せめて明日500円玉を拾うぐらいのラッキーを。
こう言っても何もお返しできないので、
せめて職場の女子に「去年子宮頸がん検診うけて引っかかって死ぬかと思ったけど、後になんともなかったよ」って広めてきた。
私もそうだったけど「引っかかる=死もしくは赤ちゃん産めない」だと思ってるぽかったから
すこしは感謝を前に送れてるかな。
最近まで4年付き合ってた彼氏がいたんだけど、浮気が発覚して別れた。
彼氏がうちで寝てるとき、彼氏の携帯がしばらく鳴ってて誰からだろって画面見たら
共通の友達も多いし、過去に何度か浮気していたのでそれが浮気相手だろうとわかって
思い切って折り返しの電話をした。
そしたら頭の悪そうな喋り方をした女の子が出て、(その子を芹那とする)
状況がつかめていないみたいだった。
芹那『え?え?どういうことですか?』
このやり取りを5回くらい繰り返したあと、芹那が彼女いるなんて知らなかったと言い出した。
あー、彼氏最低だ、芹那ごめんって思ってそこからはお互い謝る感じになった。
芹那ちゃんはごめんなさい知らなかったんです、と言いながら自慢なのか挑戦状なのか
彼氏といつから何して遊んでどういう関係なのかを説明してくれた。
大体想像通りだったので、すべて落ち着いて相槌をうって聞いてた。
最終的に芹那がすみませんでしたって電話を切ったので、これからどうしようかなって考えてた。
テーブルには彼氏と一緒に食べようと思って作った料理があったけど
10分くらいしたら彼氏が起きてきて、おもむろに携帯を確認したら私が電話したのがわかったらしく
「携帯みた?」って聞いてきた。
「女の子から電話があったよ」って答えて、そのあとに変な間があって
「でたの?」
「出てはいないよ。折り返しの電話をしたんだ」って言ったら青ざめてた。
謝るのかとおもいきや、そこから彼氏が切れだして何話したのかすごい剣幕で聞いてきた。
「なんでそっちが怒るの?」ってこっちも切れて話した内容を伝えた。
そしたら、
「彼女いるって言ったのかよ。ふざけんな。。俺たちの関係壊しやがって、、ころす」
って言って襲いかかってきた。
いくら年下といっても立派な大人なわけで、押し倒されて首占められて死ぬかと思った。
怖すぎて泣き怒りながら股間蹴ったり手を噛んだらなんとか離れてくれた。
そこからは私もすごい勢いで泣きながら言葉で責めてしまったけど、
あっちは全く反省なんてしてなくて、最終的に今までの写真とか交換日記とか全部破って投げつけた。
正直にそうだよ。って吐き捨てるように言われてとても悲しかった。
彼氏が出て行ったあと、気持ちのやり場がなくて彼氏のお姉さんに連絡した。
彼氏の家族とはとても仲良かったから、お姉さんに敢えて今まで有難うございましたメールを送った。
今まで本当に仲良くしていただいて有難うございました。
これからも遊んだりできるのを楽しみにしてたのですが、彼の浮気でそれは叶わなくなりました、と。
お姉さんやお母さんはとても驚いたあと悲しんでくれて、そのあとお母さんお姉さんから彼氏に何か言ったのか
数時間したら夜中に彼氏から電話がきて泣きながら謝られた。今からもう一度会いたいと。
私の首絞めたあげくに芹那に連絡しておいて、よく言えるなって思った。
結局その一週間後に1時間だけ会って話して別れた。
話し合ったとき、会えない一週間の間に、交換日記に毎日日記書いてたから受け取って欲しいって言われた。
そんなので許せないし受け取れないって言ったら泣いてた。
泣きたいのはこっちだよ。それからは連絡とっていない。
それから一週間後、趣味友のオフ会に参加したらある人と出会い、時々その人とデートしてる。
だけどその人彼女持ち。私なにしてるんだろ。
彼氏に浮気された自分が、別の男性の浮気相手になってるなんて、どういう精神状態なんだろ?
好きって言われて少し浮かれてるのかな。私も芹那とおんなじ。私も頭がわるいってことなんだよね。
行かなくなってたジムに最近通いだしたら、早速トレーナーの人に彼氏いるかとか飲み行きましょうとか言われて
どんだけセックスしたいんだよって思ってしまった。私の考えはスれてるのかな。
多分当たっているよね。
世の中セックス目的ばかりですか。そんなにセックスがしたいですか。
でも大切にしてくれないのはとても悲しいよ。
上手だったら素直に「よかった。」って答えれば良いけど。
一番嫌なのが下手糞なのにこういう質問する奴なんだよね。
返答しやすいんだけど。
この前付き合った男は最悪だった。
そろそろ私も年だしこいつで手を打つかって考えてた男。
5回目のデートだったし、私もそろそろ良いかなって思ってた時。
どうやら男もそろそろって考えてたようで
「この後、海際のホテルのバーで飲み直さない?」って言われた。
「どうしよっかな」とはいったけど
もちろんこちらもその気満々デス。
というか非常に痛い。こちらの準備がまったく整わなくて
入れられたくないけど、入れないとこの愛撫(というか拷問?)が
終わらないと言うダブルバインド
仕方なく「ゆっくり入れてね」ってお願いしたのに
奥まで一気に入れる。本当に死ぬかと思った。
そのあと「優しく動いてね」って言ってるのに
私が感じてると勘違いしたらしく、腰を激しく振って遂にいった。
実質20分ぐらいだったと思う。
痛くて痛くて泣いていたら、そいつが
「泣く程よかったの?」って聞いて来た。
男に殺意を覚えたのはこれが始めて。
って言って引き止める男をホテルにおいて帰った。
って思ったらこういう事だったんだね。
忘れようと思う。
どこかに、年収400万ぐらいの、見た目普通以上で、上手な男、居ないかな?
もう26だしそろそろ落ち着きたい。
5年間ニートをしていた。
大学時代もニートのようなものだったから実質10年くらいニートだった。
父が定年退職し、介護が必要となった祖母を自宅に招き、僕は実家から居場所をなくした。
初めて家を出て自分の力で働いてお金を稼ぎ、その苦労を知った。
自分の部屋に引きこもっていた頃、僕は自分が世界で一番不幸な人間だと信じていた。
それは境遇や生い立ちにおいてもある程度はそうであったけれど、何よりも僕には幸福なことを幸福なこととして感じる回路が欠落しており
今後僕の人生において何が起ころうと、それは絶望や苦悩という尺度でしか僕には認識できないんだと、本気でそう思っていた。
毎日、アニメを見ながら2chに書き込み、漫画を読み耽りながらポテチの塩を指にべったりと付け
たまに思い出したように「若きウェルテルの悩み」や「車輪の下」を本棚から取り出してきては主人公に自分を重ねて自分は何と不幸なんだろうと嘆いた。
TVの画面を通して見る同年代の子らがなぜあんなにも楽しそうなのか、自分がそちらの世界に行けなかった不幸を呪った。
2chで時折起こる若者の炎上騒ぎを閲覧しながら、本当に罰を受けるべきなのは自分なのだと、そう思いながら騒ぎに便乗した。
日常系と呼ばれるアニメを見ながら、日常の意味について考え、キャラクターのボケとツッコミに笑った。
面白い事は面白いと感じ、笑える出来事があれば素直に笑ったが、それでも僕は本質的に自分が不幸な人間であり
不幸であるから不幸なのだという迷宮から抜け出せない限り、永遠に、おそらく自分が死ぬまでそれは続くのだと信じていた。
父が退職し、家を追い出された。
お金がなかった。
就職した。
クソ怒られた。
不幸とかどうでもよかった。
ニートをしていた頃
働いている人間(社畜共)はなぜあんなにもつまらない人生に我慢できるのか?
人生の意味や、幸福とは何かについて思い悩み、苦悩することはないのか?
正直、低能だと思っていた。
働いて分かった。
そんな時間ない。
つかそんなことどうでもいい。
金だ。
金がいる。
とにかく生きるのにも悩むのにも金がいる。
毎日アホみたいに使っていた電気も、用意されていたご飯も、好きなときに飲んでいた飲み物も全部タダではなかった。
いや、それくらい理解していた。
自分が恵まれた環境にいること、ニートがある種の特権階級であることも理解していた。
働くの辛すぎ。
生きるの辛すぎ。
時間無さ過ぎ。
働かず生きていけるニート、やりたい事で稼いでる奴ら、資産家、エリート共、羨ましすぎ。
初めて笑った。
クソワロタ。