はてなキーワード: 標記とは
標記の通り。
主語が大きくなったが、国家公務員もしらないし議員もしらない。
すべてが個人の感想です。
以下ひどいと思ったこと。
・土日祝日に祭りの交通整理だとか色々な理由で駆り出される。手当がつくときもある。
・災害警報(ウェザーニュースとかので一定レベルの警報)が出ると参集させられる。
夜中呼び出されても手当なし。翌日眠い。ついでに土日に訓練もある。
定時後にしかできない業務(システムのバックアップ等)担当でも、課長が良しとしないとその業務では残業代つかないとかも普通。
予算が年度の初めに決まっているため、残業の頻発する部署だと12月ごろには上限に達し、ただ働きになる。
・繁忙期には午前様どころか家に帰れない(祭りとか観光とか)課も当然ある。
・毎日朝7時夜23時みたいな勤務してる課もある(国保とか生保とか)
・規定には非常にうるさいのに、変なところで緩い。
・稟議書回さないと何もできない。数字が半角か全角かでも差し戻されるたりする。
・私のいたところは教育委員会および学校の先生のPCスキルが死ぬほど低い。
・コネ入庁できるかどうかはその時の人事を持つ人次第(事務部長とか)。
・謎の手当てなんかない。
・新卒の子たちは優秀な子が多いのに、年を重ねるほど優秀でなくなっていく不思議。
以下よかったところ。
・市内のことが嫌でも詳しくなれる。
・各市区町村で受けられるサービスや職員の給与なんかはけっこう違う。
・市や業務をよくしようという気持ちを持っている職員は意外といる。
・事務用品の購入とか厳密。
・辞める人もそこそこいる。
・転職者にそこそこいる。
公務員ってだけで叩かれることがあるけど、(私の知ってる)一般企業とあんまり変わらないなーって印象。
(社員数10数人の会社とかクソブラックな会社には務めたことないから分からないので除く)
ひどいと思ったことってどこの会社にも少なからずあるだろうし。
役所は給料や手当、福利厚生なんかはある程度のラインでありますが、きちんとした一般企業の方がよっぽど充実してる。
融通が利かないなぁと思うことがあるけど、何かで融通利かせると結局全部ってなって
何かあったときに規程違反だってなるから仕方ない。そのあたりは担当者次第なところもあるけど。
今の会社が嫌で、まったり働きたいって人で公務員への転職を考える人(自分のことでもある)が多いみたいだけど
部署によってはまったりできないし、(営業とはことなるけど)数字を求められることもある。
自分の裁量でなんて仕事できないことの方が多いし、コンプライアンスもこれからもっと厳しくなると思う。
災害があったら仕事に出ないわけにはいかないし、よそへ応援にいくとかもある。
基本市内だから転勤はないから家を買うとかはいいと思う。でも最近は市外に買う人もいる。
つぶれないってなってるけど、市役所よりは世間の風当たりを考えると優良な中小企業行ったほうが幸せだと思う。
いけるなら大企業に勤めるのがやっぱり楽ではあるんじゃないだろうか。
お給料いっぱいもらう激務を求めてもいいし、スタートアップで自分で作っていく楽しみを求めてもいいし。
国家公務員のキャリアでスケールの大きさにやりがいを見出してもいい。
何をもって幸せとするかだけど、私にとって市役所は夢みたいなところではなかったです。
楽しく働いている同期も多かったです。
会社によってルールや規定が違うように市役所によってルールや雰囲気は大きく違うと思います。
法律や政令に従い、市民のために働くってところが共通なだけです。
個人としては、
どんな企業であっても何の業種であっても、全く働きたくないです。
一切の労働をしたくないです。
ここ3年くらい標記の症状が出ていなくて、なんでなんだろうって思ったんだけど一つありそうな仮説を発見した。
前までの俺は小学校の頃学校で漏らしたこととか、中学の部活で凡ミスして周りから呆れた目で見られたこととか、そういう昔の出来事を思い出して悶えていたんだけど。
けっこう2chとか見てるとおんなじ症状に陥っている人がいて、「あ、俺だけじゃないんだ」って安心してたりして。
最近、といっても社会人になってからだからもう何年か経つんだけど、ヴアーッてなることが全くなくなっていることに気づいた。
たぶん、社会人になってから次々とヴアーエピソードが襲い掛かってくるようになって、そのせいで昔のことをフラッシュバックするだけの余裕がないのが原因だと思うんだよね。
ヴアーな出来事が矢継ぎ早に現れてきて、いちいちそれに反応する時間がない→そのうち耐性が出来てくるみたいなループに入っているんだと思う。
だから、ヴアーな想起がある人っていうのは現在に新たな出来事がなかなかない人(暇な大学生とかニートとか)で、忙しくて新しい環境に自分を置けば、ヴアーなインシデントは起きないよね。
どうだろうかこの仮説。
6月の初めに就職内定貰って、あとは中間発表と論文書きあげるのを終わらせれば晴れて社会人なんだけど、
別に今もコアタイムあって時間に拘束されてるし、なんなら土曜日も当番で登校するから体力的にはむしろ楽になるくらいなんだけど。
ただ、小学校から大学院まで基本的に狭いコミュニティで暮らしてきたから、いきなり大企業の中に放り込まれるのが苦痛。
内輪ネタで朝までげらげら笑いながら研究室や部室や友達の下宿で酒飲んだり、そういう少人数ゆえの距離の近さみたいなのが取っ払われて、
全員が出世の競争相手な中で一日の大半を過ごすのしんどそう過ぎ。
みんなどうやって40年近くこの苦しみを耐え忍んでいるんだ。
少しばかりボーダー気味です。特に見捨てられ不安で振られる時にどうしようもないくらいに執着してしまいます。テンプレな行動起こします。とにかく、相手をこき下ろすようなメールを連投します。ブチ切れられて暴力振るわれても尚執着します。
親との関係性が根本的な原因だと思うのですが、標記の本を読んだ人に、トラウマなどは存在せずに、自分が不幸になりたくて、自ら不幸への選択をしていると言われました。そうすることで、お前は興奮してるんだろとさえ言われました。
自ら不幸になりたい人などいないと思いますし、自分ではどうしようもできない事があると思うのですが、全く聞き入れてくれませんでした。
これからどうすればいいんでしょうか。
自分一人で解決できるものなのでしょうか。気の持ちようで、片付く問題なんでしょうか。
そういう行動を起こさないためには、誰とも深く関わる事をやめれば済む話なのかもしれないですが、それはすごくつまらない人生のように思います。
本当に苦しい。
生きるのが辛い。
ずーっともやもやしていることなのだが、「デザイン」という言葉は、日本語だと、
グラフィックデザインなどの意味で使われることが多いが、
英語だと、設計の意味で見かけることが多いため、単に「デザイン」と標記されると、
どちらのことかわかりづらく、文中での用語の使い方も含め、いつももやもやする。
例えば、今朝目についた記事では下記。
記事を開くまで、何の話が展開されるのか、私にはわからなかった。
また、少し読みはじめて、「デザインマネージャー」、「サービスデザイン責任者」、「デザイン責任者」などの用語が出て来る。
尚、上記はたまたま今日目についたので挙げただけであり、それ以上の意味はないです。
(楽しく読ませていただきました)
送り仮名の付け方については、今のところ内閣府がその規準を示しているので、一応これが基本とされる。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19730618001/k19730618001.html
でもって、例外規定の中に「短」はないので、一応「活用語尾を送る」規則により「短い」が標準標記となる。「短(か)い」が推奨されたり許容されたりする余地は、ルール上はない。ここまでが基本。
ただし、これについては以前から議論がある。誤読の恐れがないとはいえ、たとえば「てみじか」と言った複合語を標記する場合、「手短にお願いします」といった文章を見るとどうしても「し、しゅたん…に……?」と誤読を誘う感じがするのだ。「手短かにお願いします」と書けば誤読の可能性はゼロになるが(実際、青空文庫など過去の作家の文章を見るとこちらの用例の方が多いくらいだ)現代の送り仮名の付け方ルールからは逸脱する。ルール上はあってはならないのだが、あった方が便利だという、なかなか悩ましい「か」なのである。
なお、「預かる」の場合は「預ける」という語との誤読を防ぐため「か」や「け」は送る必要があるが、「預り金(あずかりきん)」のように誤読の恐れがなく慣例として通用しているケースにおいては「か」を省くことができると先のルールにおいて許容されている(通則6の「許容」)。
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65890848.html
リンク先ではアカウント毎と書かれているが、テーブル操作をパーソナライズするのは、リスクが高すぎるし、実装もユーザ個別に動作を変える大掛かりなものになるしで、普通はやらないと考えて良いと思う。
が、実際には、今回の話、「アカウント毎」ではなく「ログイン毎」らしい。
そうなると話は変わってきて、事前に用意したテーブルを特定条件で変えるだけで良く、実装はさほど大変ではない。
確率表記についても、確率計算含め、動的にリストを出すのはままある話で、その時点のテーブルを元にリスト出していても違和感ない。
その時点のテーブルを元にリスト出したとしても、今回みたいなことありえる?という疑問については、確かに、1つガチャマスタを作って、それに対して複数のパターンの歩合 (=ガチャテーブル) を設定できるような設計で、ガチャマスタをリストとして出す実装ならこんなことにならないだろう。
が、ガチャマスタと歩合が完全にセットな設計で、ガチャマスタ (=ガチャテーブル) を複数作る、といった (往々にしてある力技の) 運用だったとすると、確率0だから、ガチャマスタにアイテム自体入れなかった、結果、確率リストにも出てこなかった、という今回の事象に合致するリアリティのあるシナリオが浮かんでくる。
http://qiita.com/secret_hamuhamu/items/718924867ff3ed11d6b9
http://b.hatena.ne.jp/entry/qiita.com/secret_hamuhamu/items/718924867ff3ed11d6b9
を読んで,少し暗澹たる気分になったので書く。
元記事の「起票(運用)」に書かれているのは,人に仕事を依頼する上では割と当たり前のことだと思う。
例えば,「背景」がなければ,なぜその問い合わせが発生したのか/なぜ回答しなければいけないのかがわからない。自分は特に「理由」厨なので,「なぜ」がわからないのは論外だと思っている。自分でチケット切って自分で作業する時ですら「背景」は書く。そうしないと,チームの他の人がチケットを見た時「こいつ何でこんなことやってるんだ(この忙しい時に)」と思われる可能性だってある。背景を書くことで,自分の中の優先順位を確認することもできる。
「リスク」は,なぜこのチケットを処理しなければいけないか/どれくらい優先してやるべきかという価値を共有するための一つの手段だろう。背景だけだと認識ズレがおきる可能性があるので,それを避けるためのものだ。認識合わせためのコミュニケーションのきっかけくらいの位置づけだと思うので,その見積もりが間違ってても(非常識なものでない限り)責められることはないだろう。
次の「事象の確認&再現手順」は,障害対応やったことのある人ならほぼ必須であることはわかるだろうと思うので以下略。
「すぐに対応可能できるか」は,個人的には「リスク」とまとめてもいい気がするが,このチームでは優先順位と緊急度を分けて考えているのだろうという理解はできる。
「過去の同様チケットへの参照」は,optionalだが,書いておけば双方にメリットがあるのだから,思い当たる節があれば書けばいい。Optionalなのだから書かなくても責められない。
「背景」を書く=コンテキストの共有 である。チームで仕事を進めるにあたって,コンテキストの共有が極めて重要であることは,それができていないお偉いさんに仕事をぶち壊された経験がある人なら,よくわかるだろう。
先にも書いた通り,自分は理由厨なので,「背景」のないチケットなどあり得ないと考えている。むしろそんなチケット今までどうやって処理してたのだろうと疑問に思うくらいだ。
「背景」の記述がなければ,このチケットがどれくらい重要なのかわからない。
「背景」が書いてあれば,例えば,
【背景】
顧客の□□社から,標題の件で問い合わせがありました。社内体制の変更により,△△が必要になりそうなので,可否を至急教えて欲しいとのことです。
というのと,
【背景】
1つは,これが「お客様神様主義」の変形ではないかと感じたからだ。
いわゆるIT業界では,よく「要件定義のできないクライアント」が批判される。そして,そんな顧客の曖昧な要求に対してナァナァで対応する営業や管理職が批判される。
運用から開発への問い合わせチケットも,仕事の依頼という点では同じである。
顧客は仕事の依頼と引き換えに金を払っているし,ITに関しては(他社に依頼するくらいだから)ある程度素人だが,運用から開発であれば,たいていの場合は同一社内で金が動くわけでもないし,しかも双方プロなんだから,むしろもっと厳しくてもいいくらいだと思う。
なのに http://qiita.com/secret_hamuhamu/items/718924867ff3ed11d6b9 程度のルールを作っただけで批判するのは,要件定義のできないクライアントを擁護するのと同じではないかと思う。
ブコメに多い(しかもスターを集めている)のが,この種のルールによって「チケットの数が減る」「Redmineが使われなくなる」という声だ。
だが考えてみてほしい。Redmineを使うことが目的なのではない。Redmineを使って仕事を効率的に進めるのが目的なのだ。仕事が効率化するなら,チケットが減ろうがRedmineの使用頻度が落ちようが本質的には問題ではない。
(もちろん,Redmineが全く使われなくなってしまうのであれば本末転倒だが。)
そもそも実際にチケットが減ったりRedmineの使用頻度が落ちたりしたのかは元記事には書いていないので,事実はわからない。もしかしたら,この施策によって,運用側でもチケット化するメリットがはっきりして,今までチケットを使ってなかった人(実際元記事には「Redmine使いにくい」という声が書かれていた)が使うようになった可能性だってある。
何か「Redmineでチケット管理」というとそれ自体を目的にしたようなコメントが(この記事以外でも)しばしば見られるような印象があるので気になった。
「問い合わせの削減」というと,サポートやったことがある人ならわかると思うが,ドキュメント,特にFAQの充実が定番である。
今回の記事のチームでも,当然そういう努力は別途行うべきだろう。
(その辺を全く書いていなかったのが,ブコメでの批判につながった可能性はありそう。)
しかし,チケットを使って問い合わせを行うのは仕事の効率化が目的であり,そのためには(依頼する側もプロなんだから)ある程度仕事の依頼=チケットの起票をルールに則ってやることはごく当たり前のことだと思う。
私もブロガーの端くれの時期があって、こういうタイトル書きは斬新だなと感心していた。何と言っても、何が書いてあるのかタイトルを見ただけで分かる。
けれども、最近はこういうタイトルを使ったエントリは珍しくもないし、読んでも内容がサッパリ分からないことが多い。
たった1つのことなのに、やたら長文だったりすると、もう見る気もしない。覚えておくべきnつのこと、なんて論外。
こういう記事に限ってスタバでドヤ顔しながら書いたんじゃないかってくらい、ナルシストな雰囲気がプンプンする。人目を憚らず鼻クソの除去に余念がない私のような人間には、どうも響かない。
PV数伸ばすためにとりあえずクリックさせたいのかな。とにかく個性が無い。じゃあお前が書いてみろよとか言われそうだけど、ブログ書く時間があったら本でも読んでる方がよっぽど有意義だと思ってるので御免蒙ります。
家庭内とか狭いコミュニティのことを言い出せば、ママ友関係とか嫁姑の確執とか役に立たねー亭主とか色々要因はあるだろうけれど、もっと外からの話ね。
何はともあれ、これに尽きる。母親が日々育児をしても称賛されることはぜんぜんないが、一つでも粗相をすれば世間のおばちゃん(おっちゃん)からの非難の目に晒される。母親が育児するのは当然だと認識されてるから、ひたすら減点法で評価されるわけだ。逆に、父親はたまの休みに子供を連れ出すだけで「あら、立派なパパさんねニコニコ」という目で見てもらえるし、何か失敗しても「あらあら、パパさんじゃ仕方がないわねニコニコ」。今日び休日の公園なんてパパ率8割超えてるんだけど、それでも日本社会では父親が育児するのは当然だと認識されてないようで、父親の育児は加点法で評価してもらえる……これ人生イージーモードすぎる。
言い方は悪いけど、端的に言うとこんな感じ。育児してるとプレママ・プレパパ教室とか○歳検診とか何かと標記のような「専門家」の指導を仰ぐ機会があるわけだけど、彼らはどうも意識的にか無意識にか「母親の方が知的レベルが低い」と考えている節がある。母親が「先生は○○とおっしゃいますけど、こないだネットで××という情報を見たのですが」と言えば「あのね、おかーさんwww(“ネットで見た”とか情弱プゲラ)」という態度に出る医師も、相手が父親だと紳士的に何とか筋の通った説明をしようとしてくる。(※ちなみに医師はともかく保健師、栄養士、保育士あたりは医学論文はおろか○○医学会の公式サイトに載ってるような見解も知らずに仕事してる人をしばしば見かけるんだけど、ああいう人は何を根拠に「指導」してるんだろう。)
――何が言いたいかというと、単に作業量を見て「公平」に育児を分担したのでは、実際にはぜんぜん公平ではない可能性があるってことです。イクメンの人はそのへんのことも気にして下さいよ。そんじゃーね。
2013年8月14日付け標記要望において、映画「風立ちぬ」なかでのタバコの描写について苦言を頂戴しました。ご指摘のとおり、現在、我が国を含む177か国以上が批准している「タバコ規制枠組み条約」の13条であらゆるメディアによるタバコ広告・宣伝を禁止しています。しかし、参照を指示された別冊を拝見する限り、この条項はタバコ販売の広告・宣伝を禁止しているのみで、本作品が条約違反ということには到底なりえません。
上記文書では、教室での喫煙場面、職場で上司を含め職員の多くが喫煙している場面、高級リゾートホテルのレストラン内での喫煙場面など、こと細かに列挙していただいております。
特に、肺結核で伏している妻の手を握りながらの喫煙描写を問題視しておられます。しかし、夫婦間の、それも特に妻の心理を描写する目的で、この場面でタバコが使うか使わないかについては、表現の自由にかかわる問題であり、集団的な圧力を製作者にかけることの問題点を学会が十分認識されているのかはなはだ疑問です。
また「学生が『タバコくれ』と友人にタバコをもらう場面などは未成年者の喫煙を助長し、国内法の『未成年者喫煙禁止法』にも抵触するおそれがあります。事実、公開中のこの映画には小学生も含む多くの子どもたちが映画館に足を運んでいます。過去の出来事とはいえ、さまざまな場面での喫煙シーンがこども達に与える影響は無視できません。」というご指摘については、「言葉狩り」ならぬ「表現狩り」に近く、NHK-BS等での過去の実写映画の再放映についても逐一喫煙シーンをカットすべしというような、現代の映像版焚書坑儒につながりかねません。
誰もが知らない無名の学会ではありながら、有名医師や弁護士が名を連ねている貴学会が表現の自由の重要性を無視することはいかがなものでしょうか。研究者や法律家の社会的責任がいろいろな場面で取りざたされている昨今、貴学会におきましてもぜひ基本的人権の尊重をした学会活動をお願いいたします。
なお、このお願いは貴学会を誹謗中傷する目的は一切なく、貴学会がますます繁栄し今後とも非喫煙者が生活しやすい社会の構築に関わられることを心から希望しております。
どうぞその旨をご理解いただき、学会活動にあたっては表現の自由の扱いについて、特段の留意をされますことを心より要望いたします。
標記に関して、どのような関係にあるのだろうか(あるいは関係がないのか、あるいは「モテない不細工が世間に抵抗するための武器としてフェミニズムを標榜するのだ」というまことしやかに直球勝負な結論となるのか)。そうしたことに言及している社会科学の本とかないのだろうか。
フェミニズムが持つ、近代社会で措定された様々な仕組みを克服せんとすテーマはわかる。また世の中にはいわゆる「腐フェミ」と呼ばれる人々がいてフジョシたちが対象とする作品世界への解釈の手助けのため、またフジョシのオタク世界や実世界において置かれる環境のブラッシュアップのためそうした思想に理解を深めるのも、(ちょっと引っかかるのだが)まぁわかる。
しかしそこに、モテルモテナイ、「非モテ」という観念が入ってくると私にはさっぱりわからない。フェミニズムについての文章を読んでみてもモテルモテナイに関してはとたんに歯切れが悪くなるような気がする。しかしモテルモテナイは、フェミニズムや「腐フェミ」の世界と非常に近いところで語られている言語に思うのだ。具体的に言うと、大学の後輩たちがそういう話をよくしているわけだな。
どうしてフェミニズムとモテの間に違和感を持つのか。フェミニズムはいちおう思想として存在しているのに対して、モテルモテナイというのがかなり非科学的な語られ方をするからなのではないか、と思うのだが、よくわからない。モテとどうなるのか、もてないとどうなのか。こういうのは科学的に解明されていない(あるいは科学にそぐわない)のか。わからないから、後輩たちの話がよくわからないことがあるのだ。フェミニズムを語るときにモテルモテナイを持ち出されやすいのは何故か。両者はもっとわけられないのか。とかいつも考えてる。
>全てひらがなにするわけじゃない。漢字でいい場合が大半だろう。
>そこまで酷い事態にはならないと予想する。
だから、具体的にどこからどこまでが「ひらがなでよく」「漢字でいい」場合だって言うんだよ?
少なくとも保険や免許やパスポートといった大金が絡むとか犯罪に対しての責任や保証に関係する部類は戸籍が漢字ならそれに従うのでひらがな表記はありえない。最悪偽名を名乗ったということで身分詐称とか詐欺として扱われる可能性がある。
そしてそれらの身分証明書を本人確認に用いるほぼ全ての機関は、取り違えを避けるために戸籍標記を優先したがるだろう。ひらがなにすることのメリットが機関側には全く無い。
マジでひらがな表記の出番なんて無いよ。学校のテストの記名ぐらいはその気になれば教育機関側の温情ってことで何とかなるかも知れんけど、そんなとこ何とかしてどうすんだって感じだし。
自分の名前もろくに書けない子どもに育て上げたい親がいますか?
DQN化と他の問題を分けて考えようとする理由は?