標記に関して、どのような関係にあるのだろうか(あるいは関係がないのか、あるいは「モテない不細工が世間に抵抗するための武器としてフェミニズムを標榜するのだ」というまことしやかに直球勝負な結論となるのか)。そうしたことに言及している社会科学の本とかないのだろうか。
フェミニズムが持つ、近代社会で措定された様々な仕組みを克服せんとすテーマはわかる。また世の中にはいわゆる「腐フェミ」と呼ばれる人々がいてフジョシたちが対象とする作品世界への解釈の手助けのため、またフジョシのオタク世界や実世界において置かれる環境のブラッシュアップのためそうした思想に理解を深めるのも、(ちょっと引っかかるのだが)まぁわかる。
しかしそこに、モテルモテナイ、「非モテ」という観念が入ってくると私にはさっぱりわからない。フェミニズムについての文章を読んでみてもモテルモテナイに関してはとたんに歯切れが悪くなるような気がする。しかしモテルモテナイは、フェミニズムや「腐フェミ」の世界と非常に近いところで語られている言語に思うのだ。具体的に言うと、大学の後輩たちがそういう話をよくしているわけだな。
どうしてフェミニズムとモテの間に違和感を持つのか。フェミニズムはいちおう思想として存在しているのに対して、モテルモテナイというのがかなり非科学的な語られ方をするからなのではないか、と思うのだが、よくわからない。モテとどうなるのか、もてないとどうなのか。こういうのは科学的に解明されていない(あるいは科学にそぐわない)のか。わからないから、後輩たちの話がよくわからないことがあるのだ。フェミニズムを語るときにモテルモテナイを持ち出されやすいのは何故か。両者はもっとわけられないのか。とかいつも考えてる。
モテナイ女とフェミニズムの関係は、イメージや先入観の問題だと思うけど。 男女雇用機会均等法以前の、フェミニズム的な感じの女性って、表舞台でも化粧っけ皆無だったり、男と...