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はてなキーワード: 快楽主義とは

2016-11-06

ネットにおける平日昼間民主主義危険性について

インターネットやばい

はてなしろ2chしろ、00年前後ははわりとぽわぽわしてて礼儀正しく、害があっても広がりにくかったし、各ポータルサイトゲスさは無かった。

2ch便所の落書きと言われてはいたが、馴れ合いによる相互承認や、情報を求める意識を持った参加者たちで良い空間を作ろうみたいな意識もあったし、クソくだらないジャーゴンオマエモナーなど)を共有して生まれるゆるい一体感もあった。

今はそうではない。

陰湿で、攻撃的で、快楽主義であり、セクト意識裏切り者を許さない)はあるけれど共同体意識助け合い相互承認)はほぼなくなった。

2chで「氏ね」ではなく普通に死ね」と使われ始めて久しい。もうみんな心のブレーキがなくなっている。

2chはてブコメント辛辣になっている。

ネットは「叩くことで上に立ったかのように振る舞う、安上がりな自己欺瞞他者へのアピール」でありふれている。

中には「叩くこと」への快楽に目覚め、それを目的化し、それを正当化するための言い訳としての「誰かの失敗」と「正論」を求める人もいるように見受けられる。

なんでこんなになっちゃったんだろう?

被害者ぶる気はない。僕も加害者の一人だからこそよくわかる。

平日昼間の言論空間ネット平和破壊したのだ。

ネットは真昼に炎上する。

00年代頃はまだ限られていたインターネット利用者だが、格安ブロードバンドで普及を見せ、その後スマホを介して国民ほとんどがネット参加者になった。

社会に出て一生懸命働いている人たちや真面目な学生は平日昼間にネットに入り浸ることは少ない。

平日昼間のネット支配しているのは、無職ニートである。その中で暗い要素を持った集団を抜き出すと「仕事にあぶれて苛立つ求職者」「世の中を諦めた世捨て人無職」「登校拒否の延長の引きこもり」「うつ病神経症統合失調症といったメンヘル」「発達障害などで社会適応できなくなった人たち」「終わらない家事と身近なストレスで心の許容量が狭くなった鬼女」「世の中舐めてる陽キャのニート」「レールからそれて戸惑っているニート」「世の中に喝を入れたいリタイア組」・・・。まあ、とにかくたくさんいるわけである

もちろん、悪意のある抽出であり、心のきれいな方々もたくさんいるのだが、悪貨は良貨を駆逐するものだ。

そういった人々は暗い感情や怒りを、炎上快楽で気晴らしするのである。いわばweb放火魔だ。

火を生み出す力の喜び、何かが燃えていく光景を見つめる陶酔、生贄を取り囲む祭りの高揚感・・・

彼らは毎日ネットに入り浸るうちに中毒になり、炎上目的化する。

また、中には承認の場をネットに求める人も出てくる。

ニコニコ黎明期のようにクリエイティブな方向で承認を求めていれば平和だったのだが、今のニコ生DQNのほうが受けやすい。

はじめしゃちょーヒカキンみたいな発想力とパフォーマンスを持っているわけでもない人たちは、過激な毒のショッキングさで目立つしかない。

これはネット言論空間にも言えることで、有吉や張本みたいに「きっつい毒舌」「鋭いお叱り」を出来る人間承認されやすい。

何かを褒めている人間承認されることはほとんどない。

熱心な語りもいらない。消化しにくいからだ。

まり、ワンフレーズで響き、嘲笑と「俺たち情強だよな」といった満足感を生むネガティブ言論をしたがり、見たがるようになっているのだ。

問題は、そういった平日昼間の言論が「ネットの声」「ネット常識」とされて一般層へ輸出され、ネット文化となり、新たな放火魔教育してしまうことだ。

本来ただの過激派愉快犯にすぎない言論が、いつの間にか「民主主義」になってしまう。

現実でも起きうる/起きているかもしれない事態が、ネットではものすごい勢いで波及している。

誰かが火を消さなければいけないのではないか、誰かが防火壁を作らなければいけないのではないか

ホッブスによれば自由とは混沌であり、万人の万人に対する闘争なのだネットはそちらに向かいつつある。

東浩紀ネットルソー社会を求めたが、あんもの絵空事である

言葉を聞かない悪意の力の前に理想は役に立たない。

悪意は急速に感染し、ネット支配する。

「私達には関係ないこと」と高みの見物を気取る人たちは、いつか自分たちが悪意の生贄にされるかもしれない未来を予期していない。

自分のところまで悪意が登ってくる可能性を考えていないのだろう。しかしすぐとなりをよく見てみると良い。

シェルターの中にいる隣人が、悪意の炎を瞳の奥に隠しているかもしれない。

こんな空間に、子どもたちを晒すことが出来るだろうか? 

大人たちが壊れてしま空間なのに、子供リテラシーかいう頼りない防御策を教えて何とかなると?

ネット治安を維持するための善意言論を発信していくべきだろう。強硬的な手段ではなく、新しいモラルを共有できる仕組みを考える段階に来ている。

それと同時に平日昼間勢の心を癒やす必要がある。彼らの本当の問題ネットではなく現実にある。現実が変わらなければ彼らは変わらないだろう。

ネット現実リンクしており、ネット日本未来実験である。このまま手をこまねいて見ていれば、現実社会も今よりさらに厳しいものになっていくだろう。

2015-11-30

処女オナニーが好きで何が悪い

匿名しか言えないことを吐露したくてこんなタイトルに。

そう、わたしは二十歳にして彼氏いない歴年齢の処女オナニストである

気持ちがいいことが好きだ、だがセックス好きな人とするものだとヤリマンの友人に諭されてから遊ぶことも視野に入れずここまで来た。いや、遊んだこともあるが正しくは挿入はされなかった、というべきだ。

今年になって初めて男性キスをした、出合い系であった人だったがキス自体女性ともしたことがあったので別にファーストキスがなんたら、てきな概念はなかった。しかし、それから私の夜のオカズに変化が起きた。

前までは俗に言う乱交モノが好きで、快楽主義の男女がただただセックスするものが好きだった。しかし、男性最近dmmなどで配信している"女性向けAV"というものにも萌えるようになった。ディープキスをしている描写だけで正直ムラムラするようになった。これが経験かと、経験すると思考が変わるということがわかった。

しか最近になって身じかに仲のいい男性が増えた、職場男性陣と飲むようになってからはもうオカズの内容が変化しまくりだ。

その中に意中の男性もいるが、それとはまた別に"抱かれたい男性"がいる。びっくりすることに意中の男性よりも妄想の中ではもう既に何か抱かれた。まぁ、妄想だけど。

すべての女の人がオナニーするかどうかは知ったことではないし正直私がおかしいんじゃないかと思う時も無きにしもあらずだけど、自分喪女であり続ける限り周りの男性オカズにし、今日オナニーをするのである

2014-12-01

たいエゴイストだ。たゞ神のみ名によるエゴイストだと、君はもう一遍、云って呉れ。さうでなくてさへ、俺の胸は裂けやうとする。

純黒 俺の胸も裂けやうとする。おゝ。町はづれのたそがれの家で、顔のまっ赤な女が、一人で、せわしく飯をかき込んだ。それから、水色の汽車の窓の所で、瘠せた旅人が、青白い苹果にパクと噛みついた。俺は一人になる。君は此処から行かないで呉れ。

蒼冷 ありがたう。判った。判ってゐるよ。けれども俺は快楽主義者だ。冷たい朝の空気製のビールを考へてゐる。枯草を詰めた木沓のダンスを懐かしく思ふのだ。

純黒 俺だって、それは、君に劣らない。あの融け残った、霧の中の青い後光を有った栗の木や、明方の雲に冷たく熟れた木莓や。それでも それでも。俺は豚の脂を食べやうと思ふ。俺の胸よ。強くなれ。お里の知れた少しの涙でしめされるな。強くなれ。

蒼冷 俺は強くならうともしない。弱くならうともしない。すべては神のなるが如くになれ。

2014-10-28

神様に殺されたい

その日もわたしは新聞の死亡者リストを長めながら、なぜこの中に私がいないのだろうと不思議がっていた。世の中の人々は今日もいっぱいしんでいる。なぜ私は選ばれなかったのだろう。コーヒー砂糖をいれながら、私は暗澹たる気分であった。世界は損をしている。他の人よりも何よりも、私は死ぬべきである自意識過剰であるということは私も分かっていた。

テレビニュースが流れている。テレビ番組というものは得てして流れているものである。一時停止ボタンで止める気にもなれず、私はじりじりとテレビを流しながら生きる。死ぬことは果てしなく難しい。痛いし怖いのは嫌なのだ。痛いし怖いであろう未来に怯えたとしても、逃げ道は必ず痛く怖いのだ。私は快楽主義である。一瞬の快楽が持続すればいいと願い、その他は恐ろしいだけだ。

横断歩道が青になるまでに切り刻まれる思いがする。

私は神がいるのなら、それが目の前に姿を表したのなら、土下座をしたい。仏でもいい。額を地面にこすりつけ、生まれてきてすいませんと喚きたい。

難しいものである。なぜ私は生まれてきたのか。前回の神経衰弱の際には縋るように考えたそれは、今回はなぜこんな愚物を生み出したのかと見下すような思いに変わっていた。

から隕石が落ちてくるのなら、どうか私が家にいる時に私の部屋に落としてくれないものか。

それでも飯を食わねばヘロヘロになって無様に生きるため、洗いきれない食器を置いて外へと出かけるわけである

醜く生きている。彗星のように死にたいものである。まだまだこれからだったのにと失われた未来過大評価してもらいたいものである死ぬならまだおおごとになっていない今のうちだ、今なら格好がつく。

はいえ、本当のことを言うとすべて言い訳に過ぎないのだ。私はあなたが考えている通りの愚痴の多いゴミに過ぎないし、努力の足りない愚か者だ。

言い訳をしながら生きている。惨めに無様に生きている。どうかここいらで誰かが殺してくれないものか。そこまで人任せでいい加減なのである

そんなことを思ったり思わなかったりしながら飯を食う。自分の作った食事のまずさにドン引きしながら食う。卵をわざわざ別の器に入れて溶くのがめんどくさいという人間が、ろくな飯を作れるはずが無いのだ。そのくせ、コンビニ弁当がまずいと思うことがある。食材も使いきれない。それで腐らせることの言い訳なのか、体感なのかは知らないが、食材を買う気にもなれない。冷蔵庫の中身が自分の内蔵であるような気がしてくる。カビらせるよりかは、空っぽの方が幾分かマシであろう。

まるで落ち込んでいないような顔をして、凹んでばかりいるから私はダメなのだ。ちぐはぐに私は生きている。ああ神様、私を楽に殺してください。

2014-09-03

過剰なアニメ規制議論が巻き起こる原因に関する一考察

なぜか”良識派”と呼ばれる人々はアニメ規制したがる。

犯罪助長うんぬんと。

表現の自由をどうこう言って反発するのもいいが、

私の意見としては子供が見てトラウマになるような映像教育に”良い”影響があると思うから規制には反対だ。

悪夢にうなされたり、エロすぎて目に焼き付いて取れなくなる経験は大人になるために絶対必要である

殴られもぜずに大人になった奴がどこにいるのか!

さて、なぜこのような暴論が幅を利かせているのか。

しかしたら、この問題を扱う新しい切り口を見つけたかもしれないので報告する。

アニメなどの表現にはある程度の規制必要だが、今のままで十分である

にも関わらず、なぜ暴力的とも言える過剰な表現規制を唱える人が出るのか。

それは、人間の心理の持つ”慣れ”という性質から来るのではないか。

人間は同じ刺激を受け続けると、徐々に慣れて何も感じなくなる。

これを心理学用語では馴化と言う。

より詳しくは以下の文献を参考にされたし。

Thompson, Richard; Spencer, William (1966). "Habituation: a model phenomenon for the study of neuronal substrates of behavior". Psychological Review. No.1 73: 16–43.

http://www.cns.nyu.edu/~david/courses/perceptionGrad/Readings/ThompsonSpencer-PsychRev1966.pdf

アニメ表現規制を唱える人々は、馴化によって現状でも十分表現規制されているという認識を持てないでいるのではないか?

おそらく、昨今のアニメ表現規制を推進したい人々は、過去にも同じように何らかの表現規制運動に参加していたはずである

そして規制強化という成果を勝ち取ってきたはずである

自分たち運動が実を結んで社会を動かしたというのは、言いようのない快感であっただろう。

おそらくは非情に強いエクスタシーを感じたはずである

さら活動を続け、さらなる規制を獲得したことだろう。

そうやって日本表現はつまらないものになり続けてきた。

だがそれも、2度、3度と繰り返す度に馴化によって何も感じなくなってしまったのではないか?

彼らは表現規制中毒となっている可能性がある。

一度オナニーを覚えたら、定期的にせずにはいられなくなるようなものだ。

努力問題を克服した時の快感は何にも代えがたい。

ダイエットという問題を克服した快感が忘れられず、ダイエット中毒になって骨と皮だけになる女子高生だっている。

同じことではないか?

彼らが理性的表現規制不要論に耳を貸さず、なんら科学的、統計的な根拠のないアニメ犯罪因果に固執する原因となってはいないだろうか?

私には彼らこそ、十分な休養を取りながら広い社会と交わり、自らの偏狭的な関心と生産性のない快楽主義を克服すべき存在に見える。

2014-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20140828143537

恋人はできるし超有名企業でも働けて、仕事も充実。収入もよし。

こんなものをうらやましがってるって?w

勝手に決めつけないでくれるかな?

まさに快楽主義者、保身思考の人間意見だな。

私の価値基準は本当に困っている人の役に立っているのか?

社会問題を解決できているか?それだけだよ。

それをしない奴にイラつくし、さら邪魔する奴が腹立たしいだけ。

金儲けのために、

本当に心を籠めてやってた人から仕事を奪って、

価値の質を悪くする。

2014-07-12

性のファンタジー

よくあんじゃん。

AVとかで、よだれ垂らしながらイキまくる、とか、エロフィクションで、「ンギモッチイイ!」とか。

あれを実生活体感したヤツってどのくらいいるんだろうね。男女ともに。

もちろん俺はそんなの体感したこともないし、あなたのじゃなきゃイケないのとか言われたことないし。

そういうの、全部フィクションだと思ってるし。

でも言われてみたいんだよ。自分のカラダでそうなる女性の姿を見てみたいんだよ。

主観として体験してみたいと常々思っている。

数日前の増田で「スポーツ選手セックスは体力があって気持ちいい」とか、女性が書いたと思われる記事があったけど。

寝取られ系の2chまとめとかで、イキまくった体験を書いているケースとかあるけど。

頭が真っ白、とか、自分自分じゃないみたいで狂いそうだった、とか書かれてるけど。

そういうの見るたび、俺にはそんな快楽女性に与える機会が訪れることはないのだな、とぼんやり諦念を感じている。

だがどこかであきらめきれない自分がいる。

まるでフィクションのようなセックスがしてみたい。

ひとりの男として、女性に最高の快楽を与えてみたい。

それはひとつファンタジー現実願望と地続きの、うす壁ひとつ隔てたファンタジー

俺も努力するから、みんなもがんばれ。

獣のようにまぐわって、キメセクさながらの快楽を与えるために、蟻の戸渡りあたりに、常日頃から力を込めるのだ。

それとも、俺が目にした数々の情報は、ただのフィクションなのか。

快楽主義者の嘘吐きなのか。

セクシャルファンタジスタなんていないのか。

だとしても、みんなに「分かる」って言ってもらいたいんだよね。

一人の快楽主義者として。フィクションに影響を受けやす愚か者として。

ではこれから、あかひげ薬局に行ってきます

追記

こんなクソ増田ブコメやらトラバやらありがとう

書き方がたいへん悪かったが、自分絶対的快楽を得たい、というのではないのだ。

自分の性技によって、女性に忘我の快楽を与えたいという願望があるけれど、

そんな状態へ導くのって、男にとってのファンタジーだよね?現実じゃそうはいかないよね?そうだと言ってよバーニィ、というのが要旨です。

しかし…


それって、現実にあるよ。フィクションじゃないよ。(中略)そういう相手に出会えるか、運だけだと思う。さいわいにも自分場合出会えた。今はもう別れてしまったけど、いまでもあのときセックスを思い出してオナニーしてる。

ライフセーバー女の子とのセックスは凄かったよ。体力あるからこっちがダメなっちゃって、

手足縛って、バイブツッコンでウィンウィンさせて放置して、自分が復帰したらはめてあげた。

完全に狂ってた。アへ顔っていうの、初めて見た。

ファンタジーじゃないよ。テクをみがけば、そういうことが可能になるよ。

童貞を奪ってくれた相手が、そのときヨダレこそないけどイキまくってたな、アニメ声で。




うそう!こういうのですよ!!こういう現実を知りたかったのですよ。

こういうリアル垣間見ると、なんか自らの未熟さを感じ、その領域に達したいと思うんですよ。

でも残念ながら俺にとってはファンタジー、っていうね。

で、そのファンタジーに毒されて自らを否定しているか、というとそうではない。

空から女の子が降ってきてないから俺の青春ダメだった、というのではなくて。

そうした性の快楽を与えることができる男たちが現実存在することを知って、それでもファンタジーだよね、と現実を否定したくて、でもどうやら現実らしくて絶望してる、という状況。

いわば、圧倒的強さを誇るサイヤ人やZ戦士(=絶倫戦士)の戦いを目の当たりにして、自爆せざるを得ないチャオズの心境だ。

さよなら…天さん」である

チンギス・ハンが広大な蒙古帝国を築いたのは、周辺国の王女を犯し孕ませる性癖があった故、という一説を耳にしたことがある。

そういうのを聴くと、自らの欲望が反応する。

支配欲なのかなあ。征服欲なのかなあ。

そうした欲望は、現実的ファンタジーで留まっていたほうが良い領域のだと思うが、せめて自分セックス範囲では実現したいと思う。

だが、自分はZ戦士の戦いに参加できないと知って、絶望している。そんな状況だ。

浅学にして、「はてなオフ会」についてはあまり知らないが、倒錯した性癖の持ち主やらZ戦士が集まる場なのだろうか。

だとしたら、俺は参加する資格はない。せめてイチジク浣腸差し入れるのが関の山だ。

精神と時の部屋修行してから臨みたい。


さよなら…所長…」(自爆

2013-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20131211162139

結婚して、相手と添い遂げてジジイババアになるまで一緒にいたいと思わないなら、それは恋愛じゃないだろ。

ただの肉欲だ。チヤホヤされたいだけじゃないか。そんなもの恋愛と呼ぶな。肉欲と呼べ。もしくは精神的な肉欲と呼べ。

 

だってジジイババアになるまで一緒にいたいと思わないんだろ。ただの快楽主義じゃねーか。肉体的か精神的かは別として。

肉欲大いに結構快楽大いに結構。だがそれを恋愛と呼ぶな。

 

男の愛というのは、こいつをどんなことが合っても守りたい。とおもう。添い遂げようと思う。それが愛だ。

口で言うのは簡単だ。だが、本当にやるのは困難だ。だから結婚する奴が減るんだよ。

2013-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20131006194353

自分」自体が評価されることを望むのなら

ただ普通に生きて、ささやか家族を作って大事な人に本当の自分を認めてもらえればそれでよかったんじゃないかって

思ったりはしませんか?

ただ評価の規模を求めていけば快楽主義パラドックスに陥ってしまう。

ちなみに、そう思うからあなたの考えを否定してるわけではないですので悪しからず

2012-11-25

エヴァQのまともな見方

ネットサーフィンしてるといやでもエヴァQの感想がめにつく。

やれループだやれ巨神兵だやれミサトさんひどいだ……。

どうしてそんな穿った見方しかできないんだろう?

とりあえずどうしてもエヴァループものにしたいやつはまどマギを楽しみにしたほうがその人のためだし、

巨神兵までエヴァの一部みたいに思っているやつは風の谷のナウシカという漫画を一度は読むべきだし、

ミサトさんひどいとかいってるやつはもうちょっと人の意図というものを読み取る訓練をしたほうがいい。

しかエヴァというのは穿った見方をさせようとするような磁場がある。

とくにテレビ版と旧劇はそういう性格が色強くでていたと思う。


けれど、新劇はまったく違うストーリーの描かれ方をしている。

新劇は、ヱヴァンゲリヲンといったっていいけれど、これは前と違って至極真っ当な物語なのだ


それは序、破ではみんなわかっていたはずで、

かつてのエヴァにくらべると真っ当だ、ということを強く認識していたはずで。

でもQの極端な急展開にめくらましを食らっている。

繰り返しになるが、僕が強く主張したいのは、新劇は、とても真っ当な物語である、ということ。

そしてどこまでも観客のために作られている作品だということ。

前置きが長くなったけれど、タイトルどおり、まともな見方を提示したいと思う。

エヴァQという作品の肝心な部分は、

碇シンジを観客のラインまで下ろしてきて、感情移入できるキャラにする、というところだ。


直行って第壱話からぼくはなんでシンジエヴァに乗ったのかわからなかった。

そりゃ綾波だとか親父だとか、そういった要素で乗ったという論理は捉えられたけれど、

その気持ちを理解できるかといえば完ぺきにノーだ。

時はたち、彼は序、破とどんどん成長していって、シンジさんなーんて呼ばれるような大人びた存在になってしまう。

そこにいるのは僕ら――この二十年近く前のアニメリメイクをよろこんでみている僕らとは、まったくかけ離れた存在だ。

あのシンジさんに感情移入できるという無自覚なリア充

どうぞエヴァQをクソつまらんといって月9ビブリア古書堂でもみてください。

もともとエヴァの、シンジの魅力というのは、どこか僕ら側にいる主人公だ、という点だったはずなんだ。

それがTV版では話が進むうちによくわからなくなっていって、

旧劇の完全に狂った彼の姿は僕らとはまったく関係ないところにあった。

それとベクトル真逆の方向を向いているけれど、破でもシンジも僕らとは関係ない存在だったわけだ。

綾波を、返せ!」というセリフをはじめて耳にしたときの印象を思い出してほしい。

僕はまったくしっくりこなかった。どこかそれは英雄じみていたから。

こんなクソみたいな生活を相変わらず続けているる僕とは似ても似つかないキャラクターだった。

でも僕は破に夢中になった。爽快だったし、ポジティブ綾波アスカ快楽主義的な立場で可愛さを感じたから。

そしてQだ。はじめて見たときは面食らった。

14年後って設定もヴンダーデザインもゲンドウのサングラスもなにもかもに。

面食らっているうちに『つづく』の文字が黒背景に浮かんでいた。

見終わったあともしばらくポカーン状態がつづいていたけれど、一日くらい経つと、何か残るものがあった。

見事なまでに、僕とシンジの心象が重なり合っていたのだ。

というより、自分映画を見ながら思ったことを、シンジが感じていたことだと考えてみると、

とてもしっくりいくことに気付いた。

起きたら14年経っていたときの驚きがまずそうだろう。

あのヴンダーだとかサングラスだとか新キャラだとかの強烈な違和感

冗談だろと思いながらも、でも14年は立ったんだ、それはまるで旧劇から今までの時間のように、という曖昧な実感。

崩壊したネルフ本部、アヤナミレイに覚えてしま嫌悪感

24話んときはどうもキモかったカヲルくんにも、妙な親近感がある。こいついいやつだな、という。

そしてサードインパクトの結果も、『急にこんなこと言われたってなあ……』という、

自分関係ないといったような無責任感情

そして、『この世界をやり直したい』という強い気持ちと、2本の槍にすがってしまう気持ち。

なにもかもが手に取るようにわかったのだ。

いままでのシンジの行動は、観客が責めることができるか、褒めることができるか、そのどちらかだった。

でもQでの彼の行動は、どこまでも理解できるものだった。

そしてシンジの行動を観客に理解できるようにするには、この構成とストーリーは、必要不可欠であるように思うのだ。

ミサトさんだって『行きなさいシンジくん、とか言ってたくせして、あなたは何もしないで、といってひどいやつ』

みたいなコメントをいくつか見かけたけれど、ちゃんと映画全部見たのか疑うレベル

もしくは親から先生からもしつけられたことのないゆとりか。14歳の感想だったらゆるせるけれど。

エヴァQをつまんなかったというひとは、ハリウッド映画みたいなのを期待しているならもう見ない方がいい。

逆に、謎の考察ばっかしてる加持リョウジじみた人は、もうちょっと主人公たる碇シンジ視点によってあげてほしい。

いまさら人類補完計画の全貌がなんだろうが、どうでもいいでしょう? ゼーレの正体とか気になる? 

いまだに本気でTV版の伏線まで回収してくれるなんて思っちゃいないよね? 先はどんなに予測しようが何の意味もないし。

伏線の回収なんかより、胸踊るサスペンスなんかより、キャラクター同士の馴れ合いなんかより、

描くべきものというのがあるはずなのだ

これは厄介なことに巻き込まれた14歳の少年ドラマだ。

そして14年前、旧劇で『現実に戻れ』とバケツ一杯の冷水を浴びせられながらも、

学びもせずまたアニメらしいアニメを期待していた僕らへの、再びのメッセージなのだ

しかし旧劇のように、庵野さんは水を浴びせるだけで済ますのではない。

観ることで自分現実にまで意識がいくように、丁寧に構成を組んだのだ。

そして、僕たちにはまだシン・エヴェンゲリオンが用意されているというではないか

なんてサービス精神の旺盛な人なんだろうか、庵野秀明という人は。

僕は、エヴァQは一つアニメ新天地を切り開いたと思っている。

あのテレビのエセ心理描写なんかじゃないほんものドラマを、

少なくとも碇シンジに関しては成立させているように感じた。

冒頭の宇宙描写の精緻さが話題になっていたけれど、それと同じように、

キャラクターの気持ちを精緻に描いてみせたのが、エヴァQなんじゃないかね。

2012-10-30

流産の手術をした

アクシデントは、誰の身にも一定割合で起こる。

それが今回わたしの場合は、流産だった。

繫留流産といって、成長が止まったまま妊娠組織が体内に留まっている状態。

いま、待合室で手術を待っている。全身麻酔だってちょっとこわい。

なんだろう、もちろん望んで妊娠したし、どういう気持ちかと言われればもちろん悲しい。

とても悲しい。

けどなんか、わあっと泣き出す感じでもない。経験したことのないできごとで、気持ちの収まりがつかない。

初診から約1カ月、ずっと心拍が確認できなくて、断続的な出血があり切迫流産との診断。

先々週くらいからおそらく無理だろうと思ってたし先生にもそう言われていた。

初診後に出血があったとき、すぐに病院に来なかった。そんなものなのかなと思って。

でももしかしたらその段階から投薬治療を受けていれば違ったのかも。

もう、それ以降にどれだけ安静にしてても、意味なかったのかも。

でも、初期流産は15%くらいの可能性で起こり、

特に30代も半ばを過ぎるとその確率も高くなってくる。

手術してその原因を突き止めようとすると数十万かかるというので

結局は分からないのだが、6-7割は”本体”、つまり胎児側の問題らしい。

今回は胎児ともいえない段階、と、女医先生は言ってくれた。

10代の頃、家でごたごたあって、精神的に危機的な状況に陥った。

まさしくどん底。毎日泣いて、毎日死にたいと思ってた。

いまは家族とも和解したけど、あの暗い冷たい孤独な状態よりもしんどいのは

もう近しい人が亡くなることくらいだろうと思ってた。

今回のできごとが、あの頃よりもつらい、とは思わない。

でも軽いわけじゃない。

あ、いってくる。


手術終わった。いま、全然なんともない。なんともなくてマックで続き書いてる。

アイスコーヒーうまい椎名林檎がかかってる。

麻酔がかかっている間、幻覚を見ていてこわかった。そうなる人が多い種類の麻酔らしい。

なんかね、自分の体が足先からほどけて、すごい数の白色のLEDパネルみたいな切片になって

それが一方向にウロコができるみたいに光速でどんどん重なって進む。ジェットコースターみたいに。

つのまにか切片のひとつひとつ自分意識になっていて、

自分という存在ってなんだっけ、いまこの瞬間はどれが自分なんだっけ、

ますごい速さでうねって進んでる意識の集合体が自分なのかな、とか思ってた。

これは覚醒する直前だったのかな、こわい、とか、せんせい、とか、うわごとを言っていた気もする。

たぶん最後麻酔を打たれたのが14:30ごろ、

酩酊状態で四角い白いのと丸い月みたいのを裸眼で認めたのが15:15。

ぐわんぐわんとなりながら、処置室に入ってきた看護師さんに時間を訊ねたので。

そのあと、さっきのは幻覚だったんだ、と思った。自分はちりぢりになってもう元には戻らないと思ってた。

いちばんに現在時刻を知りたかったので、自分現実につなぎとめられていると知りたいのだと感じた。

四角い白いのは明かり取りの天窓で、曇ってた。月は室内灯だった、消えてたけど。


”本体”はエコーで分かっていたとおり、推定7週くらいの大きさで成長を止めていて

母体は3週間ほどの投薬治療効用で準備しつつはあったけれど

このまま待っても仕方がなかった、ということだった。

この1カ月間って、いったいなんだったんだろう。

初診から今日の処置まで全部で10万円弱を費やして、三度のメシより好きなお酒をやめて、

仕事をなんとか調整して安静にし、遊びの予定もキャンセルした。

投じたもの勘定したいんじゃなくて、

快楽主義自分がそうやって、生存がわからない血のかたまりを抱えて、じーっとしていた期間が

なんだったのかなって、かきわけて、なにか手応えをつかみたい。ような気持ちがする。

にちゃんやベネッセ掲示板なんかを見ていると、

流産したらそれは「お空忘れ物をしちゃっただけ」「またすぐ戻ってくる」などと言われている。

妊娠できるよ」と教えにきてくれたんだ、とか。

最初に読んだとき、そういう考え方もあるんだと、少し救われた気にもなった。

でも自分がそれで腑に落ちたかというと、そうじゃない。

次に妊娠しても、あのときの子が・・とはむしろ思いたくない。

子、でもない。先生が言っていたように。そう強く感じるのは、自分が臆病だからなのか。

そらく、心拍が確認できてから流産のほうがつらいだろう。

比較していけば、それよりも妊娠後期で残念な結果に終わるほうがつらいだろうし、

出産前後事故だったらもっとつらい。

そのあとは、つまり子どもを亡くすことで、わたしの想像にとても及ばない。

それから不妊治療の末にというわけでもないので、その結果の流産ともまた違うだろう。

書いていけば延長線上になってしまうけど、これらのケースと今回は比較にならない。

からといって、まだまし、と思いたいわけじゃない。

発生学上、初期のfatal errorはどうしようもない。

自分のせいである可能性は拭えないけど、擬人化してごめんねと思うことにもあまり意味がない気がする。

冷たいのかな。


結婚しておよそ半年。年齢も若くないし、互いの両親も孫を待っている。

自分自身の仕事も、ぎりぎり、こうした状況でも対応できる体制を整えられるようになった。

高齢出産は当たり前になってるけど、30代の妊婦はやっぱり警戒するよ、と

初診時に先生に言われて自分の来た道を振り返ったりもしたけれども

過去を変えられるわけじゃないし、やり直したって20代仕事に費やすのだろう。

親を待たせていることについて、しかし夫は

子どもをもつのは『誰のために』っていうわけじゃないでしょ」と言った。

ほんと、そう。

強いて言えば、夫に父親の顔をもってみてほしいという気持ちはあるけれど

親はもとより自分たちのために子どもをもうけたいわけでもない。

主に仕事との両立について大きな不安はあるけど、それはおいといて

やっぱり、夫とわたしの子どもに会ってみたい。

ああ、会ってみたかった。ということなのかな。

希望をいうならば、会って一緒に生きてみたかった。

今回はただ、実現しなかった。いつの時点で実現可能性が消えたのかわからないけど

じーっと抱えていたものを排出していま「実現しなかった」という結果がある。

なんにでも結果はやってくる。

さっき、手応えをつかみたいと書いたけど

希望が叶わなかった、という結果を手にした以上でも以下でもない、たぶん。

ひとことで言えばやっぱり悲しいわけで、これから家に帰ったらわあっと泣くのかもしれない。

今日、今月、いっとき保有していたものをなくした。

この先も、そんなことあったっけ?と忘れることはないだろう。

それはそれで、それとして、

繰り返すのはこわいけど、次は会って一緒に生きられるといい。な。

2012-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20120909005103

赤の他人迷惑行為非常識行為について、制止できるものでもないのに共通点があるからといって反省を求めるのはおかしい」というのがこちらの指摘の最初からの要点なんだけど、そこは無視ですかい

アニオタ定義についてなんて話してないから、それはもう対話になってないのでなんとも言い様がない。

アニオタを批判するならアニオタ定義大事ですよ。アニオタが単純に「アニメに深く熱中・没頭する人」という意味であれば、「アニメに深く熱中・没頭する人」の中に問題行動を起こす奴が多いからって「アニオタ」全体に反省を求めるのはおかしな話からね。

ピーマンは美味しくないので絶対食べない、山には楽しくないので絶対行かない

ピーマンを美味しく感じるか感じないか」「山を楽しいと感じるか感じないか」というのは自由意志で選べない、ってのが、どうして絶対行かない絶対食べないなんて話になるんだい?

何を食べて何を食べないか、何を趣味にするかじゃなくて、何を好きになるか、何に魅力を感じるかの話をしたと思ったのだけど。

たばこや酒に税金がかかっているのは

ゲイであることに税金をかけられるなら

これは対称じゃない。「同性愛であること」に税金をかけるのに相当するのは「酒が好きであること」「タバコが好きであること」に税金をかけることだ。

同性間性行為税金をかけるなら、その合理性をきちんと政府が説明できるなら納得するしかないでしょう。性愛の対象が選べなかろうが、同性間での性行為社会不利益をもたらすなら税金をかけるのもやむなしだよね。

それで、税金をかけるかけない、自分で選べる選べないと、今回の話に何の関係が?

アニメを見る見ないは選べる、アニメを見る奴の中に非常識行為をする奴がいる、ゆえにアニメを見る奴は反省すべき」とでも?

1970~80年代アメリカゲイコミュニティ快楽主義刹那主義的でエイズ蔓延した結果として、ゲイとしてエイズ問題に向き合っていこうという動きがあったという実情の話をずっとしてるのに

んっとねえ、ちょっとこちらも感情的になっていたけれど、その話最初から論点ずれてるね。

「公共の公園トイレをハッテン場と称して乱交会場として占拠する」ことの問題って、刹那主義とか快楽主義とかエイズとかそんな話じゃないよ。全員が非感染者だったらいいとかそんなワケでもないでしょ。迷惑行為警察に見つかったらしょっ引かれるんじゃない。

その迷惑行為に対する反省を、その迷惑行為に無関係だし、止められるわけでもない同性愛者全体に反省を求められても困る、という話なんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20120909001546

アニオタ」って言葉意味もよく考えずに「アニオタ」批判してたの? ふーん。

アニオタ定義についてなんて話してないから、それはもう対話になってないのでなんとも言い様がない。

変人だな。好きになる味付けを自由意志で選択する人間なんて稀だと思うが……。何をおいしいと感じるかなんて普通自分で選ばないし、選べない。

何を楽しいと感じるか自体を自由意志で選択するというのもかなり珍奇な存在かと。楽しいと感じるいくつかの中からどれを取るか選択することはあってもね。

ピーマンは美味しくないので絶対食べない、山には楽しくないので絶対行かない、君が子供だったらそういう言い分も分かるけれども。

んで、生まれついてで変えられないことがなんでそんな重大なの? 生まれついてで変わらなかろうが、つまるところ何に魅力を感じるかというだけのことだろ。味の好みや娯楽の好みと大して変わらない。

性的指向はうまれついてで変えられないとか、そんなのはこの話に何も関係がない。

例えば、たばこや酒に税金がかかっているのはそういうものが個人の意志で止められるから認められてるんであって、じゃあゲイであることに税金をかけられるなら納得できるかい

ゲイコミュニティに生まれついて所属してる奴なんかいないよ。知ってた? どの同性愛者も普通に生まれてきて、普通に育てられて、普通に教育を受けて、普通に生活してる、ある時同性に魅力を感じることに気づいただけの、異性愛者と変わらないどこにでもいるごくごく普通人間だよ。俺個人の話じゃないない。

刹那主義に流される人は過去反省から減ってるんだろうけど、もとから"そういう考え"を持つ同性愛者なんていくらでもいたんだよ。当たり前でしょー、性的指向をなんだと思ってるか知らんけど、普通に日本に生まれてきて普通に日本教育を受けてきてるんだからさあ、そんなに違うわけないじゃん。

1970~80年代アメリカゲイコミュニティ快楽主義刹那主義的でエイズ蔓延した結果として、ゲイとしてエイズ問題に向き合っていこうという動きがあったという実情の話をずっとしてるのに、今現在日本に生まれて育った抽象的なゲイとは関係ないから、そんなことは一切なんにも関係無いようにいうあなたは、逆に聞くけど、どれくらい特別な人なの?

あ、そうそう、どうでもいいことだけど 生まれつい て な。生まれつい で じゃなくて。

そうですか、どうも。

http://anond.hatelabo.jp/20120908204812

よく知らないんでそういうのじゃないのもあるのかもしれないが

アニオタ」って言葉意味もよく考えずに「アニオタ」批判してたの? ふーん。

味付けの好みとか趣味自分で選択してるし

変人だな。好きになる味付けを自由意志で選択する人間なんて稀だと思うが……。何をおいしいと感じるかなんて普通自分で選ばないし、選べない。

何を楽しいと感じるか自体を自由意志で選択するというのもかなり珍奇な存在かと。楽しいと感じるいくつかの中からどれを取るか選択することはあってもね。

性的指向は生まれついでだし、変えられない。

んで、生まれついてで変えられないことがなんでそんな重大なの? 生まれついてで変わらなかろうが、つまるところ何に魅力を感じるかというだけのことだろ。味の好みや娯楽の好みと大して変わらない。

性的指向はうまれついてで変えられないとか、そんなのはこの話に何も関係がない。

結局、単なる特定の性質を持つ人の呼称に、その性質以上の意味ステレオタイプから付与して全体論を語るから反発されるんだよ。

同性愛者」は「同性に性的魅力を感じる人」以上の意味はないし、「アニオタ」は「アニメに深く熱中・没頭してる人」以上の意味はない。

ちょっと提供側の思惑と自分理想が違うぐらいで発狂して炎上させるのを批判したいならその連中、その行為だけを批判して、

公共の場をいかがわしい目的で占拠する集団が居るならその連中、その行為を非難すりゃいいんじゃないか。

アニメに深く熱中・没頭してる人」や「同性に性的関心を抱く人」全体を巻き込む必要がない。

組織団体法人かなにかじゃないんだからさ、赤の他人の一個人がした、自分が関わってもいない行為について「責任」とか「反省」とか求められても困るでしょー。

ホモの中に問題行動をする奴がいる→ホモ反省せよ」とか「アニメに熱中する奴の中に非常識な奴らがいる→アニメに熱中する奴は反省せよ」とか「男に痴漢行為をはたらく奴がいる→男は反省せよ」とか、頓珍漢もいいとこ。

ゲイコミュニティって歴史があるし。エイズの問題だってそうでしょ。

ゲイコミュニティに生まれついて所属してる奴なんかいないよ。知ってた? どの同性愛者も普通に生まれてきて、普通に育てられて、普通に教育を受けて、普通に生活してる、ある時同性に魅力を感じることに気づいただけの、異性愛者と変わらないどこにでもいるごくごく普通人間だよ。俺個人の話じゃないない。

刹那主義に流される人は過去反省から減ってるんだろうけど、もとから"そういう考え"を持つ同性愛者なんていくらでもいたんだよ。当たり前でしょー、性的指向をなんだと思ってるか知らんけど、普通に日本に生まれてきて普通に日本教育を受けてきてるんだからさあ、そんなに違うわけないじゃん。

それに、ああい快楽主義とか刹那主義はやっぱりいかんよな、っていう反省があったからこそそういう考えのゲイもいるってことなんじゃないか

すごい偏見だよね、"反省"とやらがないと"そういう考え"のゲイ存在し得ないと言ってるんだから

同性愛者は皆刹那主義・快楽主義で、反面教師によってようやくそから脱却するものであり、この反面教師なくして刹那主義・快楽主義に陥らない同性愛はいない、ってか。

あ、そうそう、どうでもいいことだけど 生まれつい な。生まれつい じゃなくて。

2012-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20120908181553

アニオタ」ってステレオタイプのことだったんだ。

よく知らないんでそういうのじゃないのもあるのかもしれないが、あんだけ内輪ネタばっかだと自己ステレオタイプ化しないような人が見てんのか、って気がする。

性的指向なんてそんな重大な問題じゃないよ。ただ異性に性的魅力を感じるか、同性に性的魅力を感じるかってだけ。

スポーツに魅力を感じるかアニメに魅力を感じるか、辛いものが好きか甘いものが好きかってのとそんなに違うものでもないでしょ。

いや、それは違うでしょ。味付けの好みとか趣味自分で選択してるし、好き嫌いって直せるし趣味も変えられるしな。

性的指向は生まれついでだし、変えられない。

同性愛者はもともと快楽主義刹那主義的で、後から反省によってようやく"そういう考え"を持つようになったと言いたいわけだよね。

普通に生まれてきて、普通に育てられて、普通に教育を受けて、普通に生活してる、ある時同性に魅力を感じることに気づいただけの、異性愛者と変わらないどこにでもいるごくごく普通人間だとわかってればこんな発言出てこないと思うぞ。

いや、あなた個人はそうかもしれんが、ゲイコミュニティって歴史があるし。エイズの問題だってそうでしょ。

なぜ、急に個人の話になってるの?

http://anond.hatelabo.jp/20120908155437

そんな人がどうして「アニオタ」なんてステレオタイプ自分を結びつけて語るわけ?

アニオタ」ってステレオタイプのことだったんだ。単に「アニメに深く熱中・没頭している人」のことじゃなくて

  1. アニメに深く熱中・没頭していて
  2. 会話相手の興味も考えずに一方的に自分の好きなことについてまくし立てたり
  3. 提供側の思惑と自分理想が違うぐらいで発狂して炎上させたり
  4. 最低限の身だしなみや清潔さに気を遣わず周囲を不快にさせたり
  5. ...

な人

みたいな、ステレオタイプ問題点定義に含む用語だってことなら元増田は全面的に正しいね。ごめんなさい。

あとは蛇足だけど性的指向について、

生まれついでの性的指向とただの趣味では違うでしょ

性的指向なんてそんな重大な問題じゃないよ。ただ異性に性的魅力を感じるか、同性に性的魅力を感じるかってだけ。

スポーツに魅力を感じるかアニメに魅力を感じるか、辛いものが好きか甘いものが好きかってのとそんなに違うものでもないでしょ。

それから偏見の部分ね。

あい快楽主義とか刹那主義はやっぱりいかんよな、っていう反省があったからこそそういう考えのゲイもいる

同性愛者はもともと快楽主義刹那主義的で、後から反省によってようやく"そういう考え"を持つようになったと言いたいわけだよね。

普通に生まれてきて、普通に育てられて、普通に教育を受けて、普通に生活してる、ある時同性に魅力を感じることに気づいただけの、異性愛者と変わらないどこにでもいるごくごく普通人間だとわかってればこんな発言出てこないと思うぞ。

アニメに深く熱中・没頭している人」だったものを、そういう人のステレオタイプから言葉逆輸入して、「アニオタ」を「アニメに深く熱中・没頭している人で構成される、特定の文化を共有する集団」という意味あなたが使っているだけだと思うよ。その文化を共有しないけれどもアニメに深く熱中・没頭はしている人からは反発を受けるのが普通かと。

もう全く意味が分からない。

その人はどんな声優に関するネタもどんなアニメセリフも言わないわけね?どこのだれともネットでもアニメの話題なんか共有しないわけね?

そんな人がどうして「アニオタ」なんてステレオタイプ自分を結びつけて語るわけ?

だいたいあなたゲイって話なんじゃなかった?生まれついでの性的指向とただの趣味では違うでしょ、っていう話はどこにいったの?(元の人と違うんだったらごめんなさい)

それに、ああい快楽主義とか刹那主義はやっぱりいかんよな、っていう反省があったからこそそういう考えのゲイもいるってことなんじゃないか

君が偏見の塊であることはよくわかったよ。そういう考え方をするようなら、元増田意味もよーくわかった。ネットはいろんな人がいるしね、これ以上は何も言わない。

ただ偏見だと決めつけられても、なんにも反省しようもないから、どこがどう偏見か書いて欲しいんですけど。

ゲイコミュニティエイズに対する取り組みとか素晴らしいものだと思うがな。

http://anond.hatelabo.jp/20120908144858

生まれついでの性的志向としてのアイデンティティと単なる趣味としてのステレオタイプ自認というのは違うしな。

アニメに深く熱中・没頭している人」だったものを、そういう人のステレオタイプから言葉逆輸入して、「アニオタ」を「アニメに深く熱中・没頭している人で構成される、特定の文化を共有する集団」という意味あなたが使っているだけだと思うよ。その文化を共有しないけれどもアニメに深く熱中・没頭はしている人からは反発を受けるのが普通かと。

それに、ああい快楽主義とか刹那主義はやっぱりいかんよな、っていう反省があったからこそそういう考えのゲイもいるってことなんじゃないか

君が偏見の塊であることはよくわかったよ。そういう考え方をするようなら、元増田意味もよーくわかった。ネットはいろんな人がいるしね、これ以上は何も言わない。

http://anond.hatelabo.jp/20120908101932

生まれついでの性的志向としてのアイデンティティと単なる趣味としてのステレオタイプ自認というのは違うしな。

それに、ああい快楽主義とか刹那主義はやっぱりいかんよな、っていう反省があったからこそそういう考えのゲイもいるってことなんじゃないか

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