はてなキーワード: 快楽主義とは
私は、還暦過ぎなので、ぜひ、回答させて下さい。
この話は、「スポーツ力学」ではなくて、「老化の問題」として考えてみて下さい。
「骨を鍛える」と言う意味は、骨芽細胞への適度な刺激(適度な衝撃、圧迫)と、姿勢の維持、矯正、免疫強化と言う意味です。
いわゆる、筋肉の特定部位を鍛えるための筋力トレーニングは、50歳以上はしない方が良いというのは、私の実体験上も、正しい気がします。
(高齢でも、若い頃からスポーツや肉体労働を続けている人は、その筋力の維持と言う観点で、論外としますが。)
実は、私も50歳頃から、スポーツ器具を使った筋力トレーニングをしていました。
鉄アレーやら、ウォームレスト等、筋力強化器具を付けてのトレーニングでした。
が、55歳を越えた頃から、それを続けていて、どうも、様々な、痛みや体の不調があるなあと、少しづつ感じはじめていました。
当時は、その不調の原因が判らなかったのと、「死ぬまで筋力をつけるべし」的な神話を信じていたのは確かです。
ところが、その神話が崩れたのは、2つのできごとがあってからでした。
一つ目のできごと。
階段の途中で、足をよじってしまい、パソコンをかばって、腕でそれを支えたまま、倒れてしまい、肩、背、股関節回りの筋をひどく痛めてしまいました。
捻挫した部分や、ぶつけた部分は、一ヶ月ぐらいで治り、その他の部分も痛みが消えたのですが、
しばらく後(数カ月後)、突然、異なる体のあちこちの部位に痛みがでるようになり、酷い時は、座布団に座った状態から、立ち上がるのも苦痛になってしまいました。
その後、整形外科に行ったのですが、そこの高齢医師に言われた原因は、「筋力不足」でした。「え?」って驚きました。
私は、「自分は、普段から筋トレもして、筋力には気を付けていたのですがね」と言うと、高齢医師は、「バカモン。そんな筋トレ、やめてしまえ!」と言います。
「なんで?」と思ったのですが。
自分の体重と年齢と体格を正しく見て、不必要な筋肉をつけるのはやめるべき、ということでした。
日常生活の動作で使わない筋肉ならば、ちょっとトレーニングをやめれば、すぐになくなる。そういう筋力は不要だ。
年寄りは、生活する上で使う、重要な筋肉をバランス良く鍛えねばならないのであって、スポーツ選手になるのでないなら、日常で使わない無駄な筋力を鍛えたりしてはいけない。
そんな特定の部位の筋力をつけたら、生活で必要な体の筋力のバランスが崩れて、転倒した時なんかに、あちこちの細かい筋が切れたり、炎症を起こしたり、一部の弱い筋肉部位に無理なしわ寄せが来て、姿勢まで壊れてしまう。
歳をとった体を、舐めちゃいかん!!
お前は新人だから(年寄りの新人?)、自分が老化した経験がないから、判っとらんのじゃ!!!勉強せい!!
そんなことより、自分の姿勢を正し、日常的に内臓を守ったり、危険から避けるための体の中の筋肉とか、嚥下能力とか、目の筋力とか、姿勢を維持するために必要な筋肉とかを、バランス良く鍛えるべし!!
ということで、私は、器具を使った筋トレをやめて、その後、ヨガを毎日30分するようになりましたが、これ、結構、気が付かない、体中の細かい筋力が付くことが判りました。
自分の姿勢を維持するために必要な筋力というのは、筋トレでつけるような筋力とは異なるのですね。
これで、私は筋トレを完全にやめ、より有益な(筋力を鍛える)ヨガのポーズを研究するようになりました。
2つ目の出来事は、
階段や坂道を上り下りすると、左や右の膝が痛くなり、2時間も散歩すると、腰がバキバキになるのです。
「ばかもん。足を見ろ足を」
と言われ、自分の歩く姿勢を見ていて、足先が、左右に大きく開き(がに股歩き)、姿勢が、前のめりになっていました。
「街を歩いている老人を見てみろ、歩けなくなり杖を付いているやつは、大抵、足先が、Vの字になって歩いている。靴底は、両サイドばかり、片減りしているだろう。それが、どんどん進み、腰が回り、いかにも老人という姿勢になる。お前が、膝が痛く、腰が痛いのは、その姿勢で歩いたり走ったりするからだ。長時間の散歩はやめろ!!」
調べると、歩く姿勢に関する色んな文献がでていて、
ガニ股や前かがみの姿勢を続けると、姿勢を維持する筋力がどんどん弱くなり、骨も関節も曲がり、膝や腰に無理な負担がかかる。
若い人間は、それでも普通に暮らせるが、高齢者は、負担のかかった所から、老化が一気に進んで、最後は寝たきりだ。とのこと。
ゾッとした私は、以降、散歩の時間を半分に短縮し、代わりに、歩き方を矯正し続けるようにしたのです。すると、様々な部分の筋肉が痛みました。
要するに、姿勢を矯正して歩くことを維持すると、普段、使っていなかった(本来、使うべき)筋肉部位に負担がかかったのです。
半年ぐらいで、それらの姿勢維持のための筋力が付いてきたようで、痛みはなくなり、膝の痛みも、腰の痛みも、すっかりなくってしまいました!!(ラッキー)
やっぱり、歳をとった体を、舐めちゃいかん!!ということです。
今では、散歩中は、瞑想をし、大きなガラスの前を通る時は、自分の歩く姿勢をチェックし、足先ができるだけ平行になるように常に意識して歩くようにしています。
1年間ぐらい、歩き方を調整すると、靴の底の片減りがなくなりました。!!!!
私の体験からは、確かに、50歳からは「不必要な」「体の筋力のバランスを壊すような」筋トレはしてはいけないということです。
まず、大切なのは、歳をとった自分の体をしっかり観察することです。
「死ぬまで働かせ」「死ぬまで走らせ、食わせ、消費させ」、お国や企業のお役に立てる人間にし、そして、年金を受け取らずに、早く死なせるための「筋力トレーニング本」なんて、騙しです(年寄りには)、そんなもの読まずに、まずは、徐々に老いていく、自分の体をしっかり、正しく、理解し、労ることです。
なお、減量ダイエットのために筋力を付ける人がいますが、一言言わせて下さい。
あなたは、「減量ダイエットするために食べ、食べるために減量ダイエットをしてやいませんか?」
筋力トレーニングや、運動でダイエットする前に、生活習慣、食習慣を治し、健康に気を付けて下さい。(特に中高年以降の人)
再び、「死ぬまで働き、食って、消費して、早く死ね。」の戦略に乗せられているだけです。「俺は、経済拡大のために金を使って、太く短く生きたいのだ」等と考えているなら、それは自己責任で、それでいいのですが・・・・(笑)
男がどうして生でやりたがるかって?
どうして生でやっちゃうかって?
ちゃんと育てる気でやってるか、これは万一できても逃げられるなと思ってやってんだよ。
でもどうして女は生でやっちゃうの?
マジもんの抵抗完全不可のレイプだったり、子どもを望んでる状況だったらわかるよ?
でもできたら困る状況でどうして生でやっちゃうの?
結局自分も生でやるのが気持ちいいからやってるだけでしょ。ただの快楽主義者ですよ。
なんで妊娠リスクを背負ってまで生セックスやろうとするのかわからない。
ちゃんと避妊してるかアフターピル飲むか堕胎覚悟で腹くくってるなら大したもんだ。
できて困った後で男が責任取ってくれないとかピーピー言ってるのはただのバカ。
自分にとって生セックスがどれだけリスキーなことか全く理解できてないだけ。
妊娠リスクが女だけに降りかかってくることは中学生でも知ってるよ。
うーむ、まぁそうなるか。
何というか同意なんだけど、なんか割り切れなさが残る(そこで共産主義だ!とかは言わないよ)。
愛すべき人たちとの生活のために、愛していない人から搾取をするゲームみたいな気がしているのだが、そのゲーム参加時の搾取メンタリティ&競争疲弊が愛すべき人たちとの生活にも影響し、質をとても落とすのではないか?というのがスーパー虚無ポイントだ。
ナイーブが過ぎるのは自覚してるんだけど、競争時は無慈悲に搾取し、家に帰ったら愛しまくる、とか可能なのだろうか?
私達の欲望が引き起こす問題について禁欲的であれば解決できるとする思想の持ち主たち。
それは掲示板などの荒らし行為や、ランキングの不正操作、怒れるユーザーによる誹謗中傷。
自己顕示欲、承認欲求、性欲や本能的な部分などその問題となっていることがどのような欲望において実施されているのか。
どんなに気が狂っていても、むしろ気が狂っていれば理性的ではないため欲望で動いていることが分かってしまう。
ウイルスなどをばらまく人間は快楽主義者だろうし、荒らしをする人間も快楽主義者だ。
ホッテントリに入るなどをしたい人間ははてブを操作することが合理的であったりするだろう。
そんな人間は自己顕示欲にまみれているし、欲望を捨てるようにすすめるのだ。
私達はなぜ禁欲をするのか?
大抵の場合はうまく答えられないと思っている。
欲望がある程度普遍性を持っていたとしても、環境や時代が違えば変わってくるからだ。
なぜいっときの欲に溺れた人間に合わせなければならないのか?などと質問が止まらなくなるし、明確なことは言えなくなるだろう。
ランキングを不正操作するのが問題なのであれば、そのシステムが端的に言って悪い。
システムは不正を試みる人間がいれば必ずいたちごっこになるだろう。
もちろん多層的に考えるのであれば、ユーザー層は禁欲的であることが答えになるだろうが
千田有紀はかなりシステム的な考えをしていたが、インターネットの禁欲主義者が捉え直せば
電車の痴漢問題もインターネットの禁欲主義者によれば、男の性欲の話になるが
満員電車になってしまうシステムが悪いし、そういう風に捉えれば女性専用の電車は鉄道会社が実施しなければならない当然のこととなるだろう。
一時の感情で高校は辞めないほうがいいと思う。何か目的があって辞めるのならいいのだが、中卒の90%以上は将来に対して何も考えていないだろう。今が楽しければいい、面倒なことから逃げ出したい。中卒とは刹那主義者、快楽主義者の集まりだ。そういった人間に世間は怠惰な人という烙印を押す。就職しようにも、条件に高卒以上というところが余りにも多すぎる。アルバイトですら高卒以上のところが多い。仕方ないから今は日雇いの肉体労働をしている。頭を使わず、誰にでもできる仕事をしながら時間をお金に換えていく。子供の頃、自分には何か特別な才能だったり、能力があるのだと信じていた。大人になってみると自分はただの凡人、いや凡人にすらなれていない。落伍者になっていた。現場の休憩時間にタバコを吸いながら、40代50代の人と喋るが、ぼくもあと20年後くらいにはさえないおじさんになっているのだろうか。そうはなりたくなかった。
そこのおじさんたちが若いっていいなあと言う。若さは金じゃ買えないから大切にしろと。
ぼくは急に思い立って、10万円の電子ピアノを買った。楽譜も読めないし、ピアノに触れたことすらなかった。今では毎晩ピアノを弾くことが楽しい。いつか綺麗にピアノを弾くことができたらと思う。
何かをはじめることはすごく力がいることだ。続けていくことも大変だ。でも何もせずに終わっていく人生なのだから、何かをはじめたほうがいいのではないか。自分が思いついたことを行動に移していくことでも人生は大きく変わっていく。とにかく行動をすることが大切なんだ。
ぼくが好きなカップラーメンにはこう書いてある。
「辛さの中に旨みあり」
吾輩は猫ですか?
恥の多い生涯を送って来ましたか?
長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出しましたか?
ロリータ?
(ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』)
本を書く人なら誰でも、読者が自分の本から得た知識をどんな場面で活用するのか、頭の中に思い描いていますか?
(ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』)
われわれの誰もが知っているように、人類社会の歴史は世界のさまざまな場所でそれぞれに異なった発展をとげてきましたか?
(ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』)
国語教師の平塚静は額に青筋を立てながら、俺の作文を大声で読み上げましたか?
葉、茎あるいは根の中に貯水組織が発達して多肉化した植物を総称して多肉植物と呼びますが、園芸界では、同様の特性をもちながらサボテン科に属する約5,000種(含園芸品種)の植物を「サボテン」と呼び、サボテン以外の種類を「多肉植物」と呼んで明確に区別していますか?
【追記】
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………って何ですか?
ダンボールの空き箱は、縦、横、それぞれ1メートル、高さ、1メートル30前後のものであれば、どんなものでも構いませんか?
ある灰色にくもった日のことですか?
本書を手にとってくださり、ありがとうございます。メンタリストDaiGoですか?
(メンタリストDaiGo『人を操る禁断の文章術』)
概ねどの記事でもそうだが、「この世は弱肉強食である」とか書くと「適応云々~」だの「人間社会はああだこうだ~」というマウンティングをよく見かける(本人はこれで論破した気になってるのでマウンティングということにしておく)
しかし、現今社会、アベ政治であろうがミンス政治であろうが、そこにあるのは強きものが弱きものを搾取して成立する社会であり、これを弱肉強食と言わないでなんと呼べばよいのか、低偏差値の私にはわからぬ。
そもそもの話、所得層のピラミッドを建てれば少なき富裕層が多き貧困層から回収するシステムで経済システムは出来上がっており、これ自身が既に格差社会や弱肉強食を産まんとする力学が働くだろう。
そうでないとして、これを上流から下流へ流さんとする力は明らかに弱い。なぜか。
企業の内部留保はよく批判されるが、これは言ってしまえば企業の貯金である。
これを切り崩すなり他からなんとかするとして個人に分配するとしよう。個人は消費するだろうか?
消費せず、貯蓄するのは想像に難くない。
結局、法人対個人という枠で、どっちが貯金するんですか、というのが今の働き方改革含めての日本社会の問題なのだ。
では新たな問題だが、バランスのよい(良さは解釈によるが)社会に弱肉強食は成立し得ないのか。
これは世界的な食糧問題とも直結するが、総量の少ない中でバランスを求めてもそこにあるのは全貧困という絶望だけである。
倹しい暮らしなどと綺麗事はいくらでも吐けよう。しかし我々は、我々自身が、資本主義の門弟であり、快楽主義の権化であり、自由主義の体現である。
これを否定して誰が満足しようか。しない。
満足を求めて、争う未来が待っている。
総量を増やさぬ未来に平等な、あるいはそれに近しい幸福などありえない。
では総量を増やすにはどうすればよいのか?
コレを否定するならば、たとえば一極に富を集めるなどして集積することで、見かけ上の平等を実現するのが適当であろう。
「昔はワルだった」「あの頃はバカやってた」
こんな文句で自分の過去の快楽主義、享楽主義、刹那主義を振り返る人、物語、たくさんありますよね、だいたい最後には説教混じりの美談で終わるんですが。
「人は顔じゃない、本当に心が通じる人をパートナーにしなさい」みたいな
それ言ってるあなた、若い頃の自分に言えるかな?そしてそれを本気で説得できると思えるかな?
本当に心を通わせられる人と付き合うこと、素晴らしいことだと思うよ、ホント。心の底からそう思う。
でもね、自分の性衝動にくる女の子と一緒にいることと、そうありたいと思うエネルギーって半端ないんだよ。自分を取り巻く環境、自然が美しく見えてくるんだ。
その一方で「昔はバカやってたけどやっぱり中身で人を選ぶべき」みたいな物語に深く感動してる自分もいて、もうめちゃくちゃだよ。
何も知らない状態で快楽主義を経て、今、理性的に美しい状態に落ち着いてるあなたたちが僕は堪らなく羨ましい。
だって知らないならしょうがないもの、本能が先にきたんだから。
でも僕は違う、あなた達が実際に生きて、編んできた美しいストーリーに深く感動しているから。それに感動していながらそれに反することは罪だから。美しい日常に戻ることができなくなってしまうから。僕の未来には「馬鹿をしてそれに反省し美しい心を持つ」ストーリーなんてない。それをやった所で悲しい自作自演になってしまう。
ポリコレという概念は人権保護やら道徳やらとだいたい同じでありまして、本来ポリコレは異性愛者男性キモオタのことも守ってくれるのだ、というのは全く正しい。
オタクだって人間だもの。貧しい人や学のない人も人間だもの。人権やポリコレはあまねく守ってくださる。本当なら。
しかし現状を見ると、ペドフィリアをセクシャルマイノリティに含めてくれという論の旗色の悪さとか、メンズリブやマスキュリズムの低調さが象徴するように、今のところオタクはポリコレを積極的に利用しづらい。
ポリコレはいわばオタクも装備できる武器であり防具なはずなのだが、どこで失敗したのか、オタクの手には馴染まないようにチューニングされてしまっている。
全く使えないとは言わない。ポリコレによる恩恵を一切受けていないとは思わない。たとえば「ポリコレってオタクジャンルに対して妙に厳しすぎるだろ」という反論は、オタク側が「不当な差別はよくない」というポリコレを使っている例だ。
しかしどうも効果はいまひとつで、このポリコレってのを自分たちのために利用しきれてないんだよなという感じが漂う。
理想的解決策としては、オタクもポリコレ肯定を前提とした議論に参加し、ポリコレの用いられ方を自分たちも使いやすいように改善していけばよいのだろう。
だが、建設的議論というのは多くの人にとって負担でとても面倒なものであり、まして既にアウェー状態なリングに上がるほどの意欲を持てというのは困難な話だ。
「話し合いましょう、根気強く丁寧に、色々調べて、難しいことを悩んで、広く長い視野を持って、傷つくこともあるだろうけど我慢して、感情的不快感などは冷静さのフィルターを通して、ひとつずつ物事を善くするため考えていきましょう」
そんな誘い、よっぽど能力や気力や体力や適性や時間や意欲のある人間しか応じない。
そこまでして、ポリコレという手に馴染まない装備を自分も使えるようチューニングしたがるオタクはあんまりいない。
それはまあ、ポリコレを使いこなせるようになればとても便利で強力であろう。
だから長期的な視点で見れば、苦労しつつもポリコレ議論に向き合い、オタクの立場を守るポリコレの運用方法を確立させるのが良手だ。
でもやらねえ! めんどいから! 長期的な視点より今の快楽を貪ることで精いっぱいだよ! おれっちバカだから!
自分は使いこなせないのに他グループが活用する装備なんだったら、ポリコレなんてまるきり否定してやるぜ!
もしも将来ポリコレが本当になくなったらオタクも困るんだろうな。
でも知らねえ! おれっちバカだから! 将来のことを考えるなんてダルいぜ!
生きるってのはだいたいの人間にとってストレスまみれでいっぱいいっぱいだから、その上に正しさを気にしろ、将来にも目を向けろなんてのは要求しすぎだ。それでも正しさに殉じられる人たちがいるのは不思議なことだが、誰もがそれをするのはムリ。
求めているのは正しさなんかじゃない、今の苦痛を一瞬でも誤魔化す気持ちよさ。
なのに正しさで説得しようとされても耳を傾ける気にはならない。気持ちよくしてくれなきゃ。
刹那快楽主義の未来は暗いとは思うけど他に憂き世に効く麻酔がないからしゃーない。
ポリコレは原理的には異性愛者男性オタクも守るものだけど、実際は異性愛者男性オタクが援用しづらい状態になっている。
しかしポリコレ用法を改善していく面倒な議論に参加するモチベーションは抱きづらいので、ポリコレ自体を攻撃する動きが大きくなるのも仕方がない。
ちなみに
異性愛者男性オタク、キモオタ、オタク、などの言葉が混在してるけど、明確な使い分けをしているわけではない。
女オタや同性愛者オタクでもポリコレの加護の薄さに悩んでいる人もいるだろうなと思う反面、「オタク」と呼ぶとポリコレの加護を実感している人も含んでしまいそうだと考えたので、複数の呼び方をしてお茶を濁しただけ。なんならオタクである必要もないので、ポリコレの恩恵が薄いと感じている人は自分を当てはめてください。