はてなキーワード: 建設とは
この元記事を書いた者です。
「築53年超の団地型マンションが外断熱改修、補助金で費用をまるごと賄う」
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00154/01378/
今までは古い団地は諦めて建て替える傾向にあった気がします。ちなみに、赤羽団地を建て替えたヌーヴェル赤羽台は省エネルギー等級4なので悪くない気はします。その他の環境性能も比較的良いと思われます(ちなみに、この建て替えを設計した渡辺真理さんの他の住宅にも住んだことがあります)。
https://www7.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/building/detail/080065_011_c.html
個人的には、社会主義国家にあるような団地を魔改造しつつ、適度に建て替えされたら良いのではと思います。ちなみに、新規建設は「東雲キャナルコート CODAN」以来停止中のようです。民業圧迫が理由らしいですが、社会主義国家にあるような団地も「東雲キャナルコート CODAN」みたいなカッコイイ集合住宅も民間のデベロッパーには作れないと思いますね。
「東雲キャナルコート CODAN」の1街区を設計した山本理顕さんの熊本県営保田窪第一団地にも住んでみたい。。。熊本。。。
薬局に勤めるしがないおっさんだけど、マイナンバー化のメリットが全く見えないんだけど、教えてもらえるだろうか。
これに関してわかる唯一のメリットかな。
保険の請求というのは、いまでも窓口でレセコン(たぶんレセプト処理用コンピュータみたいなもの)に打ち込むと患者さん用の請求書が出てくるほかに保険者に請求する用のデータが作成されて月一のバッチ処理で専用回線でレセプト(請求書)データが送られ、3か月ぐらいすると保険からお金が振り込まれるようになっている。ここで、このレセプトの分は払えないよ、と差し戻されるのが「返戻」。なかには湿布たくさん出して普段使いするみたいな不正請求がはねられる(病気に対して使っていい薬とその量はきっちり決まっていて、怪しまれると個別指導が来る)というのもあるけど、あるあるなのが、そんな加入者いない、という保険番号の誤り。世の中には夏は農業で国保、冬は建設会社で社保みたいな人が結構いて、頻繁に保険を切り替えるため間違って古い保険証をもってきてしまったりする。そこで、患者さんに確認して正しい保険番号をゲットして請求しなおすというのがあるけど、正直、大した量の事務ではない。
で、すでにレセコンあるのに、それとは別回線用意して、別PC用意して、特に連携もなしで、何が事務処理の効率化なの?
このデータはすべて保険者が持っているわけで、そちらにマイナンバーで請求できるようにすればいいだけだよね?各医療機関にデータ置いとく意味ないよね?現状保険が複数ある以上(国保や弱小社保救済のため統合しようという話はある)保険番号がマイナンバー以外に存在することは変わらないし。
現状すぐできるわけではないし将来的にの話としても。問診票書いてもらう手間は減るかもだけど、ボトルネックはそこじゃないので待ち時間は変わらない。そして、データは全開示か全否定くらいしかできない。自分の必要な情報だけ「私は糖尿病の治療中で低血糖の可能性があります」みたいなカードを持っていたほうが意識がなくても開示できて便利な気もする。災害対応という意味でも、電子化されても紙のお薬手帳は持っておいたほうがいいと思う。
受益者負担でお願いしたい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221010151042
→ スタバが大衆居酒屋以上だと思ったことないし、言うてショッピングモールやろとは思うが、
こういうDQNたちが、制御の効かない重度の知的障害・自閉症の人たちを
自然に受け入れる人たちならフーンって思うけど、
まぁそうじゃなくていつでも自分の都合だけを通したいだけだからな
なお、こういう障害を持つ方たちは大きな声とか音とか苦手なケースは多いです
フツーに一般就業出来るレベルの方でも音に過敏な特性を持つ方たちはたくさんいます
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220529201646
→ しつけは虐待だそうな
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220920093835
→ 絶対に家賃はケチるべきではない、貧困層とそれ以外が分かれて暮らすのは合理的というのがわかる話
まぁ正確には貧困層(INが少ない人)ではなく、DQN親・生きづらいちゃんくんな親ですけどね
なお、ブクマカが大好きな欧米では、『DQNです!なにか?』と開き直っている方々以外はいつでもどこでも好き放題叫ばしてはいないと思います
フィンランドの静かな子供たち
保育士は、多少の歓声はそのままにしておくが、耳をつんざくような大声は、「叫ばないで!Älä kilju(アラキリユ)」と言って止めさせている。長男が保育園に通い始めた時、初めてこう光景を見て驚いていたら、「ああいう声は嫌よねぇ、耳がキーンとなるもの」と保育士が眉をしかめて寄ってきた。近所迷惑を配慮してというより、一緒にいる保育士の耳に耐えない声を出すのはやめさせているらしい。
「子供はうるさいもの」という既成概念が共生を邪魔する?
日本の保育園建設の反対運動は、「子供はうるさいもの」という既成概念がベースになっているようだが、この問題を巡って、日本は今改めて子供達を取り巻く周囲の環境や、大人と子供の共存のありかたを考え直すチャンスを得たのではないだろうか。
子供は、その子らしく育っていくのが一番だ。ただ、子供はうるさくなくてはならないのか? うるさくしなくても、子供が楽しくできることは何だろうか? 保育園だけに限らず家庭でも、大人も子供も快適に暮らすために、ライフスタイルの見直してみることも有効かもしれない。
というか、日本でも所得の高い地域では心配になるくらい子ども静かですし、
別に所得が高くない地域でも、親からまともな教育を受けている子たちはテンションが上がり過ぎたら注意し合います
テンション上がって声が大きくなると『シーッ』ってやって周囲に気を使う子どもと、
そういう風に周りに気を使うように育ててるんだなって言う親御さん(ちゃんと注意する)と、
https://anond.hatelabo.jp/20221011023110#
https://anond.hatelabo.jp/20221016032412#
→親の責任だからね。性教育は。社会に放り投げずご自宅で話し合いましょう
https://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2022/10/12/165927
ブログでコメントしようかなとも思ったけど、増田の方が多くの人に読まれそうだなと思ったのでこっちで書く
なお、俺は
ので、野次馬の一人
沖縄の基地問題そのものについてはやぶ蛇な気がするんで一切話しません
辺野古での座り込み抗議活動の現状をこの目で見たけど、座り込みという言葉から一般的に受けるイメージ(≒辞書の定義)と事実が大きくかけ離れているから、「座り込み○○日」という看板の表現を訂正した方が良いのでは
最初は誰でも野次馬だけど、野次馬の意見で世の中が動く以上、野次馬からどう見られるかは意識しなければいけない。ただしひろゆきさんの行動も、あの場所でああいう写真とってあの文言でアップしたら見てる人から反発受けるのは当然。つまり、『どう見られるか意識して行動しなければいけない』という意味においてどっちもどっち
どちらの言い分も、主張を字面で・単体で見れば、「まあそうかもな」ってなるんだけど
ひろゆき氏が「一般的に受けるイメージ」を元に主張をするのはすごく違和感がある
だって、ひろゆき氏本人が「野次馬からどう見られるか、とか全然気にならないタイプだよね」と一般的に受け入れられてるでしょ?
ひろゆき氏は自分が楽しく生きたいだけで、それを前提とした慈善活動とかすることはあっても、「民意を得たい」とか「信頼されたい」とかは全く思ってないでしょ
ひろゆき氏のことはたまにTwitterでバズってるのを眺めるくらいで、長いこと喋ってるのを見るのは例の番組が初めてなんだけど、そんな俺でもあの態度見たらそう思うよ
だから、『どう見られるか意識して行動しなければいけない』ってのは、そりゃあ基地反対派に言うと「こうかはばつぐんだ!」ってなるかもしれないけど、ひろゆき氏に言っても「こうかがないみたいだ…」ってなる
つまるところ、ヨッピー氏の言う「どっちもどっち」は、議論する上で同じ土俵に立ってもらえてないのでフェアじゃないんじゃないの?
と、野次馬の一人として思う
暴力について言い出したら、色んな人が色んなことに暴力を見出すし、今まで認知されてなかった暴力が発見されることもある
それこそ、ひろゆき氏の0日ツイートだって暴力に感じる人がいたんじゃないの?
なのにひろゆき氏は「事実を知って、良かれと思って助言してるだけなんですけど?」ってなったわけで
いや言ってることはまあ分かるよ、でも言い方ってものがあるじゃん、って追及しても彼は「事実をそのまま伝えただけですよ?」みたいなこと言ってたぶん認めないでしょ
野次馬の俺が例の番組をちょっとしか見られなかったのは、「もう最初から議論成立してないじゃん、つら」と思ったから
さっきからすげえ失礼なこと言っててそろそろ名誉毀損で訴えられそうで怖いけど、ひろゆき氏はもう、言い方とあの態度が一種の暴力装置なんですよ
前触れなくやってきてその地に被害だけ残して去っていく自然災害みたいなもんですよ
正直、今回みたいな論争の火種?は沖縄の基地問題でなくてもひろゆき氏はどこかで起こしただろうし、その度に野次馬でない当事者の人たちが矢面に立たされるのは見ていられない
今回の騒動で唯一良かったことは、沖縄の基地問題についてn回目のクローズアップの機会が与えられたこと
ひろゆき氏と議論するなんて無邪気な暴力に語りかけるみたいなもんでひたすら不毛なんで、クローズアップされた機会をただ粛々と活かした方が建設的ですよ
俺は番組内の「3人の反対派が暴力を否定しなかったシーン」を見てないんだけど(マジでごめん)、番組内で咄嗟に否定できなかった原因の一つとして「ひろゆき氏の暴力的な言動」もあるのかもしれない
3人ともカッカしてたのが落ち着いてきて、ヨッピー氏のようにそれぞれで自身の主張をまとめてる最中かもしれんし、その辺は斟酌したって
また追記:
加害者の立場から被害者に対して「まず最初に」これを確認することは、ケースバイケースだけど、一般にとても難しいことだと思う
なぜなら被害者側には「先に加害者から何かしらの暴力を受けた」という実感があるから
暴力をしてきた当の相手から開口一番「暴力はなんであれよくない」と言われても受け入れがたいだろうし、場合によってはその言葉すら暴力や脅迫ととらえられかねない
自らを加害者となんとなくでも自覚していて、被害者と議論をしたいのであれば、彼らと同じ土俵に上がらなきゃいけない
その意味で、「まず最初に」加害者がするべきことは、ただただシンプルに謝って、その態度を被害者に認めてもらうことだと俺は思う
そういう態度がひろゆき氏に見られないから、あの番組ははじめからカッカしてロクな議論にならなかった
価値観を本当の意味で共有できるのは、くどいけど、同じ土俵に立っている時だけ
書いたの↓
外国人工作員が沖縄の基地問題の反対運動に混じってる事を知った上でひろゆきは言ってると思うんだよね。
差別的だ!って話のツッコミが一通り出きって広まったタイミングでこの話を出して反対運動を潰しに来ると思うよ。
ボギーてどこん(浦添新基地建設見直し協議会)@fm21wannuumui
以前、山城博治が防衛局員に「連れ込むぞ」と脅迫をした高江の国有地に造られた違法テントの内部の様子。
これを見て、沖縄の反基地運動は純然たる住民運動だと思いますか?
https://twitter.com/fm21wannuumui/status/1579284724463579137
建設的コメント順位付けモデルAPIがはてブに導入されるようになってから、元記事読んで、人気コメントだけを読むということが無くなった
新着コメント、というかすべてのブコメをわりと読むようになった
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221010163416
たとえばこのブクマの現時点での人気コメントだけ読むと、賛否両論がどうというより煽りが前面に出てるブコメが多くて、個人的に建設的とは全く思えない
劣化ひろゆきに劣化ひろゆきが群がってる地獄絵図(煽り)ってのが最近のブコメに感じている個人的な印象なんだけど、人気コメントにはそれを煮詰めて呪詛として固めたような胡散臭さがある(煽り)
断っておくけど、ひろゆきを礼賛するつもりはない、むしろ恐らく多くのブクマカと同様に唾棄すべき存在と思っている
ひろゆきを唾棄すべき存在としながら自身は劣化ひろゆきに成り下がっているのだなという嘲りである(煽り)
同じ無敵の人でも、顔出しして現地で、リアルタイムでやり取りして矢面に立つ行動力があるぶん、断腸の思いながら辛うじて、ひろゆきは劣化ひろゆきたちよりはマシである
閑話休題、要は人気コメントだけ読むと、元記事に対する感想が過激で偏ったものになってしまいそうで怖い
だから、人気コメントを読んで「ふーんえっちじゃん」ってなった後、新着コメントを読んで「ふーん、、、、、、えっちじゃん」となるのが通例である
例に挙げたブクマは「お気持ち表明」が大元なのであまりやらないけど、元記事によってはブコメの主張に対して自分なりにファクトチェックすることももちろんある
そうやってひっそりと、決してブコメはせず、自らが劣化ひろゆきであることをひた隠し、自分の中で現時点での主張を固めていく、あるいは保留にする
そういう意味では、APIが導入されてから個人的なブコメとの向き合い方は随分建設的になったわけだけども(?)
ところで、この建設的コメント順位付けモデルAPIとやら、無償提供ではあってもオープンソースではないのか、ソースコードが見つからない
ここで建設的な何かが出来ると思うなクソ真面目やろうが👺
空が、晴れていました。
雲ひとつない、青い空。
今すぐにでも、窓から飛び出したい気分。
けれど、ダメなのです。
無理なのです。
それに、今は目の前の作業に集中したくて、一心不乱に手を動かしています。
昼休みからコツコツと建造してきた私のお城を完成させなければならないのです。
硬くて、壊れにくい素材です。
おじいちゃんとおばあちゃんとひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの合計四人にねだって、普通のおうちセットを合計四つ買ってもらいました。
老人のくそつまらない話に相槌を打っておねだりをするのは子供の私にとって拷問に近い所業でしたが、ママの財布からお金を抜いて後で物干し竿に吊るされるよりはマシだと判断しました。結果土日と引き換えに普通のおうちセットが合計四つ手に入ったので良しとしましょう。
しんと静まり返った教室で私は黙々とブロックを積み上げていきます。
これくらい空気が張りつめていた方が作業が捗るというものです。
残すは外壁の建設のみ。
煉瓦造りにするか。
どちらも魅力的な提案でしたが、昨日見たドラえもんの映画を思い出したので普通の石垣を作ることにしました。
「もうちょっとだ」
朝はランドセル一杯に詰まっていたレゴブロックも今や半分以下。
この分だと帰りの会でみんなに自慢できそうです。
きっと万の言葉を用いて私を褒めそやしてくれることでしょう。
そんな空想に耽っていた時でした。
がしゃああああん。
はじめ、何が起きたのか分かりませんでした。
視界の外から勢いよく何かが振り下ろされたかと思うと、私のおうちは粉砕されていました。
「……っ」
体からすーっと血の気が引いていきます。うんていから手を滑らせて後頭部から落下した時のように、視点が定まらず世界はぐわんぐわんと回っていました。
「あ、あ……」
おそるおそる視線を上げるとまきこ先生がしかめつらでこちらを睨んでいます。
「何か言いたい事があるようだな」
重く冷たい声色に少しおしっこを漏らしそうになりましたが、私は勇気を振り絞って立ち向かいます。
「……あの、おうち!」
私の訴えに先生の表情は微動だにしません。それがどうした、と言わんばかりです。
「壊れちゃったんですけど……」
おののき、震え(主に膀胱が)、尻すぼみになりながらも私は抗議の意を表し続けます。しかし、鷹のごとき双眸は依然として私のこめかみを射抜いているようでした。
「その、保険とかってききませんよね……」
パァン、と軽快な破裂音が響きます。
揉み手をしてはにかむ私の頭に、丸めた教科書が振り下ろされました。
「……あうぅ」
「片づけとけよ」
心無い笑い声に包まれる中、私は一人お城の破片を拾い集めていました。
小さな私の手ではそう多くのブロックを拾うことはできません。また、隣の席のタカユキくんが足でブロックを散らしてきたりするので、私はなかなか片付けられずにいました。
粉砕されたおうちが頭の中で何度もフラッシュバックしています。
何も完成間近のものを壊さずとも、私がレゴブロックを机に出した時点で注意すればよいはずです。
それなのに、わざわざ私が一番悲しむタイミングでおうちを壊したのです。
ストレスが、たまっていたのかもしれません。おおかた、彼氏とうまくいってないのでしょう。適齢期を過ぎて後のない先生が性急に入籍を迫ったことで時間をかけて育んでいた関係に亀裂が入ったに違いありません。きっとそうです。
幸せの象徴であるマイホームに鬱積した気持ちをぶつけたくなるのも無理からぬ話でしょう。
だからといって、許されることではありません。
悲しみを怒りに変えて誰かにぶつければ、それはまた別の新たな悲しみを生むことになるのです。
まして、いい大人が、立場の弱い子供に、あてつけのように暴力をふるうなど、あってはならないことです。
怒りが、ふつふつと沸いてきました。
私はかがんだまま教壇の方を見やります。ころすぞって気持ちを込めて、きっ、と目を見開いて。
しかし、先生が気付くことはありません。淡々と分数の問題の解説を進めています。まるで私など、歯牙にもかけないと言わんばかりに。
「くそっ……!」
やけくそになって手元のブロックを投擲してやろうと思いました。
体が、震えていました。
先生には勝てないという本能の働きに屈する自分が情けなくて、目頭が熱くなりました。
「いつまでやってんだよブス!」
タカユキくんが冗談交じりに私の背中を蹴りました。冗談とはいえ、サッカークラブの脚力です。とても痛いです。一瞬、呼吸ができなくなります。
体の痛みと心の痛みが合わさって、一層惨めな気持ちを助長しました。
どうして。
私ばかりがどうしてこんな目に遭うのでしょう。
天を仰ぐと、どこからか声が聞こえてきます。それは聖母のような声でした。
痛みは、分かち合うもの。
天の声の励ましを受けて立ち上がった私は、タカユキくんの方へ歩いていきます。
授業中だというのに、腹を抱え机をバンバン叩いているタカユキくん。
「うわっ、なんだよこいつ」
タカユキくんはとっさに手を振り払おうとしてきますが、放しません。
私は動揺するタカユキくんの手のひらを少しずつほどいていき、そっと机の表面に添えてあげます。
「ねえ、知ってる?」
「……な、何を?」
「神様が、言ってたんだよ」
「は? 神様?」
私は隣の席にある筆箱からからプリキュアの鉛筆を取り出すとタカユキくんの指の間に挟みました。
鉛筆を挟んだタカユキくんの手の甲へ、ひと思いに体重をかけました。
「痛ってぇぇ!!!!」
タカユキくんは大声を上げて痛がっています。しかし、タカユキくんは嘘つきです。こないだもサンタさんがいないなんて嘘をついて私を虚仮にしてくれました。そんなタカユキくんのことですから、きっとこれも演技なんです。第一、私はまだ体重の半分もかけていないのに、そんなに痛いはずがありません。
レゴブロックを蹴散らすタカユキくんにも物を大切にする心があったなんて……。
でも、どうせこれも嘘です。
「これは、蹴りの分」
「はぅあっ! おいてめえこのブス! 痛いっつってんだろうが!」
「これはブスって言った分」
「じ、事実だろうがああああ!」
「これは、おうちの分」
※
タカユキくんはさめざめと涙を流し、やめてよう、やめてよう、と言うだけの生き物になりました。教室は何やらざわついているようでしたが、先生は何も注意しなかったので、きっと問題ないはずです。
痛み、十分に分かち合えたと思います。
心なしか晴れやかな気分です。
さっきまでの怒りが嘘のように体が軽いです。
これが痛みを分かち合うってことなのでしょうか。
だとすればこんなに素晴らしいことはありません。
この行いが広がれば、世の中から争いが消える日は近いでしょう。
今にして思えば、先生は私にこのことを伝えたかったんじゃないかって気がしています。
すると、今度は目が合いました。やりました。心、つながりました。
「小梅、あとで職員室な」
元増田ではない。
【すべてが半世紀前と異なっている】
市中での犯罪はもちろん騒音や有害物質やら、県民を守るものは何もなかった。
だって被占領地だぞ。琉球政府が存在すると言っても力関係的に無理だろ。
だから反米・反基地・共産主義への傾倒という土壌が必然的に醸成された。
じゃあ本土復帰後はどうかというと、事件事故は減りまくっている。
米軍側が地元の反米感情に危機感を持って統制に努めた結果もあるだろうし
騒音等々の基地被害だって現に普天間基地の近所に住んでる俺が大したものだとは思っていない。
米軍負担が結構減ったにも関わらず、県民に世論調査で選挙の争点とかを聞くと必ず基地問題がトップに来る。
これさ、地元マスコミはもうほんと執拗に毎日毎日反基地の記事をほとんどのページに載せてくる結果に過ぎないわけよ。
政治というものは経済とか医療とかいろんな分野があるわけで、地元ごとに更に具体的な課題がたくさんあるわけよ。
毎日の新聞やテレビラジオの報道の大半が基地問題で塗りたくられててそれ以外のトピックスが脇に寄ってるようじゃ、
「あ、基地問題が大変なんだね」って思っちゃうじゃない。現に沖縄で生活している人間ですら。
基地がほぼ無い那覇市や周辺市町村では基地被害なんて感じようがないぐらいだぞ。
それでも基地問題が最大のトピックになって反基地勢力ワッショイしちゃうのは、実態にそぐわない。
が、ふんわりしたワッショイとはいえ第一トピックなので県民も本土の奴も沖縄=基地問題という認識になってしまう。
普天間基地なら滑走路の延長線上、嘉手納基地ならジェット機が主な関係で嘉手納町全域はマジの騒音被害を被っている。
あと沖縄戦経験者な。これは理屈抜きで強固な反米感情を抱くのも仕方がない。
このへんの補償は防衛施設周辺交付金とかで手当てはされてるけど市町村役場向けのものだったりで補償を受けてる感は薄いと思う。
あと最近ではヘリからの落下。小学校にヘリのドアガラスが落ちたのは映像が残っていて明白。
こういう事故は実際に存在するんだから、住宅街の真ん中にある普天間基地を辺野古なり馬毛島に移転するのは妥当ではあるわけ。
イデオロギーで反基地やってる勢力が目立つせいで、政府も米軍も基地被害自体に懐疑的で、基地に対する反感は全てイデオロギーに基づくものと勘違いしている節がある。
実はそうじゃない。ここのズレが政府の沖縄対応の下手糞さの根っこになってる。
ケアすべきものもケアしてないんだから、沖縄で本来大多数を占めるであろう基地問題中立派を味方にできていない。
【実情は化石化した反基地勢力vsふんわりした政府のだらしない社会資本の浪費】
反基地勢力の言う「軍備があるから戦争が起きる」的などうしようもない主張はどうしようもない。放っておくしかない。
でもな、「基地は違憲」とか「体を張って基地建設を阻止」とかいうアレには政府としてちゃんと対応できるはずなんだよ。
今まで何度も何度も在沖米軍基地は裁判で争われてきて、騒音被害について賠償を認めた例はあるものの
基地の存続や辺野古移設については最高裁も認めている状況じゃない。
ならば粛々と進めるのが法治主義国家として当たり前のことだろう?
なんで数々の明らかな実力での建設妨害活動を検挙しないかっていうと、
「辺野古建設が延びても普天間基地の移設が伸びるだけなんで、成田闘争みたいになるリスクを冒してまで事を進めるメリットが無い」だけだろう。
今までも沖縄県知事選挙や名護市長選挙で基地賛成派が勝ったことは何度もあるぜ?
だけど地元メディアは
基地容認派が当選→今回は基地問題は争点にならなかったので基地反対が民意だ!
という具合なのでどうしようもない。こいつらと話をしても意味がない。
【でもそろそろ中国ヤバくない?】
沖縄は必然的に巻き込まれるわけだけど、地元メディアも玉城デニーを頂く革新勢力はほんとにもう心からピュアに「話せばわかる。米軍は悪。」の精神なのでどうしようもない。
自由主義国家の一員である台湾が一党独裁国家の中国に占領されて甚だしい人権侵害が生じる事態を容認するんですか
とか訊いても「そうならないようにするのが政治の責任です^^」「沖縄と先島に米軍がいるから悪いんです^^」とかマジで回答する連中だからね。
いざ台湾で事が起きたら地元自治体がこんな状態で政府も米軍も対応できるのか。
マジで自衛隊や米軍の足を引っ張る連中がいるし、このままじゃ中立派の県民もそれに影響されるぞ。
それなのにこないだの知事選なんだあれ。
元宜野湾市長のあの人ってカリスマ性とか全然なくて選挙に勝てる人間じゃないって。絶対。
もっと手を打て。考えろ。
俺も増田と同じ意見だったけど、この記事読んだら考え変わって、自分の浅はかさを恥じた
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/diamond.jp/articles/-/310908
辺野古で活動している人がやっている「座り込み」は座り込みと形容していい行動だと思う
ゲート前で工事車両を一時的にでも止めるために文字通り座り込んでいるので、
「座り込みじゃないじゃん」と言い張る方が、今では奇異に映る
ここの基地のガードマンでさえ「え、あの座り込みは座り込みじゃないのか?」と考えてると思う
「ひろゆきの統一叩きに賛同したのなら、反基地叩きにも賛同しろよ、節操ないな」ってこと?
よく分からないけど、特定の人物を是々非々で評価することを「党派性に縛られてる」とは言わないと思う
これはブーメランだと思う
新基地建設に賛成なのか反対なのか不明だし、ただのチンピラでしかない
ひろゆきを擁護した自分の不明さを認識するか、引き続き言葉遊びに興じるのか
増田の誠実さが問われている
お粗末な科学リテラシーでコロナが、ワクチンが、マスクが、と叫ぶアホが増えた。
政治の話題でお世辞にも建設的とは言えない感情論で気持ち悪い発言をごく平然と書く輩が増えた。
「あなた、ガンですよね」
とか言っちゃダメだろ。
0日に直した方がいいですよね」
まあひろゆきは建設的な話し合いなんか興味なくて煽りたいだけなんで、
ひろゆき的にはOKなんだろうけど、周りの人間はそれに同調しちゃダメだよ。
話し方ってものがあるんだから、まずは丁寧に挨拶して、ある程度会話して打ち解けてから
無視?
ちげぇよ、基地賛成だ
原発、火力発電所、ダム、ごみ集積所、空港、火葬場、幼稚園や小学校、公園
本当に公共負担となるものは、補助金なりなんなり出るはずだよなぁ
ダム反対もいいさ、火葬場建設反対だってやってる、幼稚園に反対する住民もいるな
米軍基地を「特別な問題」の様に感じてる人は、左翼思想に毒されすぎ
それぞれに思いを馳せて、反対としてののぼりを掲げ、国家へ抗議したのか?
してねぇだろ?
沖縄問題だけ、特別な無法で、全国民が意識高く反対しなければならないとか
馬鹿じゃねぇかと思うんだよ
原子力発電の建設に反対している人達がいて、「座り込み」活動をしていたとする。
そこに東京からやってきた人間が、「24時間座り込んでないので、「座り込み」ではないですよね?」と言ってきたら、どう思う。
「3000日じゃなくて、0日に直した方がいいんじゃないですか?」と言ってきたら、どう思う。
俺は怒りを覚えるだろう。なんなんやこの都会の人間、ふざけてんのか、となるだろう。
その反応に対し、「対応として0点」と評価する構図。地獄絵図である。
増田が言語化してくれているように、基地反対の人たちの間違いを認めない狭量さに若干引いてしまったのだ。
しかし冒頭で示したように、原子力発電所に反対する人たちの話へと置き換えると、こちら側の異常さに気づく。
ひろゆきや増田や俺は、田舎に負担を押し付けておいて涼しい顔をしているだけの人間なんだよ。
なぜ我々はこういう錯誤に陥っているのだろうか。
もしかしたら「反基地の活動家はどこかおかしい」というバイアスを持っているのかもしれない。