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はてなキーワード: 小児性愛とは

2020-05-31

anond:20200531230549

小児性愛者は自分客観的に見て加害性のある存在だと認識してるだろうし怖がらないだろう、まあそうだろうなとでも思うじゃないか

それに消えろなんて言ってない 性癖治療すればと言っているだけなのにお前が消えろなんてこわいな

anond:20200531225749

小児性愛者しねってより、その性癖がこの世から消えればいいと思う

害意というなら、小児性愛はこどもにとって害以外のなにものでもないよ

anond:20200531225304

どうして日本には小児性愛者の肩を持つ人が多い?その性癖になった以上は仕方ないことなんだろうが、ラブドールがあれば攻撃しないとか言う人も多かった 逆にそれさえなければ実行に移すと言ってるようなもので、その異常性に気がつかないことがおかしいんだが

anond:20200531224757

気持ち悪いと思うのは自由だけど、表明するのは倫理的にどうかと思う

黒人気持ち悪いとか言ってる人いたらおかしい、ってなるよね?

あと小児性愛者は撲滅すべきと言われても仕方のない存在 彼らによって未来が消えた子供たちは山ほどいるし悲惨犯罪を起こす可能性がある、という時点で脅威でしかない

anond:20200531191939

そう。「気持ち悪い」くらいの表明は許されていい。「撲滅すべき」は論外だよね。LGBTでも小児性愛者でも。

小児性愛者として意見を述べる

最近小児型ラブドールの是非についてはてぶで話題になっている。はてぶではラブドール愛好者である増田反論と、規制推進派のツイッターとがホッテントリ入りしていた。はてぶ以外で議論がどのように展開されているか確認もしていないので知らないが、そもそも糾弾されている我々小児性愛者のが置き去りにされている気がしたので意見を述べる。

ただし我々小児性愛者と書いたが、私自小児性愛者を自称することには抵抗がある。DSM-5で定義される"The individual has acted out these sexual desires, or is experiencing significant distress or difficulty as a result of these desires."は自分には当てはまらないので。それでも子供に対し性欲を掻き立てられるし、その手のイラストを描いてもいるため他から見たら小児性愛者と断じられても仕方がない。

さて、ラブドールについてだが、以前欲しいと思ったことがあり購入を検討したが結局買わなかったし、買わないで正解だったと思う。高額であることのみならず、部屋の容量や引っ越し可能性も考えたらおいそれとは手が出せなかった。ラブドールのものが極めて上級趣味なので、槍玉にあげられている小児性愛者の一人としても今回の運動には今一つぴんと来ないのである。実際はてぶを見て知っただけで、増田記事を書かなければ恐らく知ることも無かった。change.orgにはたびたび署名しているが、自分のところには周ってこなかったし。それもあって本来ターゲットである小児性愛者ではなく人形愛好家に弾が当たったのではなかろうか。

もちろん将来そこそこの広さのある終の棲家を得られたなら、そしてそのときに小児型ラブドールが今よりも精巧であったなら購入したいとは思っているので、規制には当然反対である。反対するのが至極当然である

一方で規制推進派をただ否定すればいいかというとそうでもなく、規制したがる人たちの危惧も無碍にはできまい。規制に賛成の立場ブクマで星を集めているのは「それをきっかけに欲望が芽生えるか、あるいは加速するのでは」というものだ。ご丁寧に実例を紹介してくれる人もいた。

こうした意見に対して、どう対応すればいいのか正直分からない。とりあえず私自身は自分こそがその反例だと思うので自分について少し述べることとする。

まず私の小児性愛の目覚めは幼児期ナルシシズムと同年代少女へのコンプレックスのためだと思う。小学生ごろまでは綺麗な服を着られる姉がひたすらに羨ましく、その結果として女装癖があった。女の子自分がどんな形ででも注目されたいという欲望があった。その後自分女の子にはなれないと諦めたことで、自分の中で理想形が小学生までの少女に固定されたのだと思う。近年中学時代の友人と再会する機会があったのだが、彼の第一声は「今でもロリコンなん?」であり、つまり私は「生粋ロリコンであると自他ともに認められる(ちなみにロリコンという呼称は大嫌いだ)。

その後長じるに及んでその手のイベントがあったかというとけしてそんなことはなく。単純所持禁止前までにその手の動画を見たこともあるが自分でも、とはならなかったし。姉や親族子供ができて、私がしばしばお世話をしたけれど別段何もしなかったし、そもそも今の仕事子供と関わる仕事だがこれまで悪いことは何もしていない。

しかしこんなこと言ったところで、「情欲をいだいて子供を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」とまではいかなくとも、意識していなくてもセクシャルなことをしているに違いないとか、自己申告乙とか、今後どうなるか分からないとか、よしんば認めてくれたところで反例1だとか言われるだけでしょう。

ただそれでも私が強く主張したいのは、「欲望」と「実際の行動」の間には深い溝があり、その溝を乗り越えられるのは限られた人間だけだ、ということです。私が初めて彼女セックスすることになったとき勃起できずに気まずい空気が流れた原因は、私自身の性癖もあるが、人間という情報量の多さに気圧されたからだ。子供とこれまで幾度も接してきたが、彼らそれぞれの「個」に圧倒されて、個性剥奪された単なる「性的対象」としてなどけして見ることができなかった。

結局犯罪ができる人間というのはとことん相手を見下せるか相手との共感性が皆無な人間なのだと思う。だからこそラスコーリニコフ殺人超人思想を結びつけたわけで、肯定的表現をするなら「乗り越えられる人間」ということになる。

そして犯罪者が乗り越えてしまっているものは、他にもあるがまさに「社会における自分立ち位置」であろう。家族、親類、職場、友人のことなど考えたらけっして悪いことなどできないはずだ。それでも犯罪ができてしまう人というのは、尊重しうる他者がいない人なのではないだろうか。

最初小児性愛者と断じられても仕方がないと言ったが、やはり私が自分には当てはまらないと述べたところの定義こそ重要だと思う。何人か医者の友人がいるのだが、精神科医の友人(娘がいる)は「イラストを描いて欲求昇華できているのはとてもいいことで、全く問題がない」と言ってくれた。また別の友人は、私のことを彼女に紹介する際「凄いロリコンだ」と言ったら、彼女は「その人を治療できるのはあなただけなのよ」とかなんとか言ってきたので「理性で制御できてる以上単に個人趣味」と諭したという。理解ある友人がいて幸せだし、だからこそ裏切れないとも思う。

小児性愛者に危惧を覚える、その感情理解できるのだが、小児性愛癖を持つものが実際の行動を伴うわけでもないし、罪を犯せる人間というのは特別なのだということは一考してほしい。私としてはラブドール規制なんかよりも、人権教育を通じてお互いを尊重できる社会を気づくことが大切だと思う。

2020-05-30

小児性愛カジュアル化」とは何か?それは問題なのか?

概要

小児性愛カジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛カジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛カジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体セクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的断罪することはマジョリティ傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。

小児性愛カジュアル化」は問題か?

批判者が「小児性愛カジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。

しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラ一種であり、「対象児童から問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛カジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存議論焼き回しである

小児性愛と成人性愛本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である

児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャルさらにはアセクシャルを自認する人々から批判殺到した理由はそこにある。

「(実在児童対象としない、無機物対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているかである

性愛カジュアル化」に問題はある。しかし、

前節では、問題本質は「小児性愛カジュアル化」ではなく、「性愛カジュアル化」であると言った。では「性愛カジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボン荻野さんも以下のように言っている。

その理由としては例えば、①性的プライバシー問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題内包する言動」こそを「性愛カジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。

①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要概念である。実際、他人自慰制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)

話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートものである。故に、他人性的領域に、物理的にも精神的にも安易踏み込むことは許されない。「性愛カジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしま効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人プライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペース尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛カジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。

②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年ポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。

ここまで、「性愛カジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。

政治表現としての性表現

荻野さんは次のようなことも言っている。

ここで、各国のゲイ・パレードプライドパレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。

https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html

https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver

https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/

https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E

やはり、非常に過激セクシーファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?

彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体政治意味合いを持っているのである。それ自体政治表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したかである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのまま表現した、アイデンティティのものなのだ

とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインク配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなた独善的基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである

さらに言えば、政治性とポルノであることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである

誤謬見出し批判することは容易であるしかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。

「加害欲求のない小児性愛から小児型ラブドールを取り上げるのは、ヴィーガンからフェイミートを取り上げるのと同じ」って喩えがあまりにもわかりやす過ぎて舌を巻いている。

2020-05-28

小児性愛者を擁護している」のではなく、「あなたがたを糾弾している」ことがわかってもらえないのだなぁ。どこまでいっても他人事

子供小児性愛者を俎上に上げて、自分たち安全なところから断罪ゲームを楽しむことに慣れすぎて、自分たちこそが俎上に上がったことにまだ気付いていない。

「一番の被害者子供小児性愛者どっち?」という話はしてないんだよな。

「一番の加害者おまえら小児性愛者どっち?」という話をしてるんだよな。

論点すり替えはいけない。

anond:20200528033945

左翼左翼だよ。

既存の秩序をぶち壊して革命(=左翼による権力簒奪)に役に立つと思えば何だって利用する。

小児性愛だって、利用できるとなればいつだって手のひら返す。逆もまたしかり。

2020-05-27

同性愛小児性愛も同じ」は非対人性愛者の主観では全く非の打ち所もなく正しい

対人性愛優位を自明視する人々は安易に「同性愛小児性愛は違う」と言う。

対人性愛と非対人性愛平等に見るフラット立場では「同性愛小児性愛には、同様に語るべき部分とそうでない部分がある」となる。理想的に正しいのはこの立場である

しかし非対人性愛を優位に置く立場では、「同性愛小児性愛も同じ」は至極真っ当な主張である。少なくとも、対人性愛優位を自明視するセクシャルマジョリティから説教される筋合いはない。まずはご自分誤謬を正してはどうか。

2020-05-24

anond:20200524142507

で、小児性愛者を治療する方法はあるの?

先に言っておくけど化学去勢治療って言わないからな

子供小児性愛者、どちらかの人権剥奪しなければならない」という究極の選択を迫られたら、そりゃ小児性愛者の人権を諦めるしかないと誰もが思ってる。

からそんな二項対立のもの批判しなければ小児性愛者の人権は守れない。


小児性愛同性愛も同じ」と「小児性愛同性愛は違う」はどちらも同程度にバカ発言だが、「どちらか一方を破棄しろ」という究極の選択を迫られたら前者を破棄するしかない。理由上記と同様。

から我々は「小児性愛同性愛には、同じ文脈で語るべき部分とそうでない部分がある」という事実を指摘しなければならない。


マイノリティの味方をする我々は慎重に言葉を選ばなければならない。そうした上で、異性愛者・成人性愛者のようなマジョリティは決して倫理的責任を追及されないという特権構造批判しなければならない。「あなた方が言葉を選ばなくても済むのは、それ自体特権だ」と指摘しなければならない。

anond:20200523115226

小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングセラピーへの取り組み

LGBT諸君ゲイセラピーで治るとでも言うのかね?

anond:20200523115226

規制したいなら、幼児ラブドール小児性愛の原因になっているという説を裏付けるような誰の目にも明らかな科学データを出せばいいのにな

実際にはポルノが無かった時代のほうが性犯罪が酷かったとか、架空児童ポルノまで禁じてる国(カナダ等)のほうが実在児童への性的加害が多いとか

真逆データばっかりなんだよな

anond:20200524015347

規制したって非合法に手に入れるからいいじゃないか理論

規制したってロリコンロリレイプするからいいじゃないか(→規制無意味だ)

って流れになっちゃってないか

そこまで本気じゃない人も含まれるので、規制には意味がないわけではないよ。理屈に過ぎないけど。

 

そもそも小児性愛者等、性癖差別するのは問題だって思ってる人がいるけど、痴漢はじゃぁどうなるの? 強姦などの犯罪しか満たされない人は?

被害者がいないじゃないかって言うけど、売買春だって被害者はいない。

或いは全然犯罪にならないけど、無理やり中出しする人はいいの?

性を甘く考えないで欲しい。

自分ではただ人形を愛しているだけだと言っても、それを今は信じられたとしても、将来を問われて信じられる? 全員が全員そんな人なわけ?

誰がそんな戯言を信じるものか。

俺は痴漢なんかしないと言ってる人が痴漢していたなんて事件はざらにある。

人間欲望をそんなに完璧にはコントロールできない。依存症がそのいい例だ。

大麻だけだといって覚せい剤まで走る。

人間なんか信用できない。

 

から出来ることはやって欲しい。幼児セックス人形製造販売も所有も禁止すべき。

この際児ポ非実在人物を含め全面禁止してほしい。

子供対象性的興味を抱かせるようなものは全面規制だ。

恨むなら犯罪者を恨め。

奴らを駆逐できるなら撤回してもいい。

 

既に規制している国は多くあるのだから、とっとと実行してもらいたい。

 

あとカウンセリング云々の話もあったけど、性犯罪者一般対象にそれら治療的な対処を行った日本の事例ではざっと2〜3割程度の再犯率低下しかない。それ故執着のきついと考えられる児童性犯罪者はそれより低下率は低いと考えられる。

なので、人権制限になるがGPSタグ等を装着義務にして欲しい。

性犯罪に甘い日本の体質を変えて欲しい。

anond:20200523230805

オレはドール性愛者までは適切な棲み分けで救える可能性があるとおもうが、

しかし絵面は未成年の前に絶対にださなお約束でお願いする)

欲望を実現させたら人体破壊人生破壊をすることになる犯罪小児性愛者は

そのまま放置すれば社会において不適合を起こす存在(いわば不良品)であり「治療」「隔離」以外では生命さえ救えないとおもう。

まり積極的差別対象を明確にし正確な区別認識を広める以外ではドール性愛者の棲み分けは無理だ。

だって救えない上に棲み分けもできないガチ小児性愛者は絶対不都合を蒙りたくないか

ドール性愛者にすぎない」「二次元愛好家にすぎない」などという隠れみのをつかって生きる確率は高いんだから

宮崎勤もそうだし、他の他害指向のない障害もそうだが、結局、

生きるチカラのほぼ80%を社会への適合=自分性癖へのごまかしに使うようになると

人間はそれ以上とりつくろわなくなる。

ということはかくれみのにつかう性癖はもともとの他害性癖に近くならざるをえない。

心理的コストを下げるために。

たぶん、元増田がいっている「なかまのなかには50cmドールしか」ってやつらのなかにはそういうのが混じってると思う。

2020-05-23

anond:20200523115226

結局本丸小児性愛者への差別なんだよね。

小児性愛ひとつの性指向であり、差別されてはならない、という大原則をもっと強く主張していくべきだなと思った。

同性愛ひとつの性指向と認められてはいるが、性的同意なしに同性との性行為が認められているわけではない。

同様に、小児性愛ひとつの性指向と認めた上で、性的同意なしに他者と性行為を行ってはならない(=性交同意年齢前の子どもと性行為を行ってはならない)、という筋をきちんと確立すれば、性指向に基づく差別に反対することと子ども性的虐待から保護することが両立するのに、なぜか小児性愛者を差別しようという方向に向かうリベラル派が多すぎるんだよな。

表現の自由戦士も腰が引けてるのか、それとも反差別というイシューにはあんまり興味がないのか、表現の自由だとか表現規制反対だとか言うだけで、そもそも本丸である小児性愛者への差別反対というお題目を口にしたがらないし。

でも、やっぱりそろそろ差別主義への反対を主張すべき時期でしょ。

かつて同性愛者を嫌悪迫害していた連中はい差別主義者という扱いを受けて反面教師として扱われるようになっているんだから、いま小児性愛者を嫌悪迫害している連中もそういう扱いを受けるべきなんだよ。

anond:20200523212714

小児性愛者とごっちゃになってない?

元増田は、そこが違うという話をしてると思うのだが。

anond:20200523115226

そう考えると規制すべきは運良く傷害が発生しなくても合意があって強姦でなくても、小児性愛、小児であるという理由人間につっこむ行為すべてだよな

(補記あり)人形性愛者による幼児ラブドール反対運動への抵抗

幼児セックスドール生産販売・の廃止を求めます。」という署名活動change.orgで行われている。

大意として述べられていることをページから引用すると

日本の【児童買春・児童ポルノ禁止法】にて幼児セックスドール製造販売・所持を規制すること

小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングセラピーへの取り組み

ECサイトなどに未だ販売される【幼児セックスドール児童ポルノ】の取り締まり、及び【販売禁止を徹底】

以上3つを求める署名活動だそうだ。

②に関しては私も賛成ではあるが、いかんせん①や③に関しては記事を読んだ限り感情が先行している雰囲気が否めない。

案の定Twitterでは「人形実在人間ではない。児童ポルノ禁止法は実在児童を守るための法律であり人形摘発に労力を割かれているうち実在児童を守れなくなる」「表現の自由侵害だ」などの批判が出ている。

しかに、現参議院議員である山田太郎氏が、2016年に行った警察庁へのヒアリングでは、フィギュア非実在人物を扱ったものであり児童ポルノには当たらないとなっていた(‪https://togetter.com/li/942630‬)。そのため、モデルのいないラブドールについても同じ扱いにはなるのだろう。

けれども、この騒動を見ているうちにどうにもむず痒い思いが沸き起こってきた。署名に賛成の人間も反対の人間も、「ラブドール」というものを置き去りにして議論を進めている感があまりにも強すぎるのだ。

私はラブドールオーナーである

一緒に暮らしているのは身長130cm台で、布のボディに骨格の入ったいわゆる「ぬいぐるみドール」というものだ。身長からわかる通り彼女の外見は、この署名賛同した人たちから見れば「幼児ラブドール」としか言いようがない、唾棄すべきものだろう。

から、私はこの署名活動には反対である彼女との生活を守り、またラブドールを愛好する方たちと彼らのパートナー人形たちを守るためだ。

そして、この文章を書くに至った、私の性的嗜好についても伝えておかねばならない。

私は人形しか性的興奮を覚えない人形性愛である

無機物で作られ、有機的な肉体よりも完璧に編み上げられた造形を持つ人形しか、私は愛することができない。故に、ラブドール規制は私にとってパートナー喪失であり、個人性的嗜好否定に他ならない。性的嗜好個人構成する不可欠な要素であり、直接他人に害をなすことがなければそれを妨げられるいわれはない。

から、私は声を上げねばならない。ラブドールというパートナー喪失が、ひいては「私自身」の喪失に繋がるのだから

当該署名ページには既に陳情を送ったが、もっと広くこの問題を知ってもらうためにこの文章を書いている。前置きが長くなってしまったが、もうしばらくお付き合い願いたい。

この署名において、まず私が問題と考えていることは2つある。

①「幼児ラブドール」の明確な定義がなされていないこと。

もしも定義が書かれているのであれば恐縮だが、ページの隅から隅まで探しても見つからなかった為上げさせていただく。

身長・体型など、「その人形幼児を模している」という明確な定義がなされていないことは、ラブドールだけではない全ドールオーナーにとっての脅威ではないのか。

ただ、この定義がされていないのはまあ、仕方のないことではある。

基本的ドールというのは頭と胴体が分離する仕様になっていて、同じメーカーの頭と胴体でアタッチメントが合えば好きにすげ替えることも可能だし、別メーカーの頭と胴体を組み合わせているドールオーナーだっている。購入したとき一般的な成人女性の体格であったドールの首をすげかえて、幼児体型のボディに載せ替えることもできるし、逆もまた然り。これはラブドールだけではなく、性的用途のない比較的小さなサイズドールでも同じだ。

まりドールの体型というのは不定であり、「幼児ラブドール」の明確な取り締まりというのは不可能に近い。どんなに成人の顔立ちをした頭のドールでも幼児の胴体とすげ替えてしまえば「幼児ラブドール」の出来上がりだ。

また、知り合いに性的用途に用いることのできる1/3ドール(50cm前後ドール)を持っている人がいる。このドールは胴体部分にオナホを装着できる仕様になっているものだ。(1/3ドール性的な目で見ることを忌避する人は多く、これは標準的ものではない。念の為に付記しておく)。

この1/3ドール身長約50cm新生児並みのサイズであり、身長でいえば幼児どころの騒ぎではないだろう。けれども胸部のパーツを変えることでバストサイズを成人女性のようなバランスにすることができる。「幼児身長をした成人女性の体型のラブドール」だ。元々ラブドールとして制作されたものでも、扱いやすから成人女性を100cmほどに縮めた人形だってある。前述の規制を作るとしたら、これはどのように解釈したら良いのだろうか。

また恐ろしいことにほとんどのドールの頭と胴体はすげ替え可能なのだ。もともと性的用途を考えられていないドールの頭を、この性的機能を持ったドールの胴体に装着すれば、どんなドールでもたちどころにラブドールになる。

だとしたら、性的用途でないドール高身長かつ成人体格のドールでも「幼児ラブドール」になる可能性を秘めているのではないか

これが、私の恐れている規制の形だ。

私は、パートナーである人形と一緒にいたい。だからもしも幼児ラブドール規制がなされ「身長cm未満の人形の所持を禁止」などとされれば、泣く泣く彼女の頭をすげ替えて規制対象外の高身長人形にするだろう。頭(顔)の部分に私は彼女本質を感じているし、そこが変わらなければどんなに体型が変わったとしても「彼女」であり続ける気がするからだ。

けれども、おそらくそれは許されない。なにせドールの頭はすげ替え可能なのだ。どんなドールでも「幼児ラブドール」に変わる可能性がある以上、現行の頭と胴体が脱着可能人形は全て規制せざるを得なくなるだろう。それは、絶対に許すことのできない事態だ。

また、ラブドール基本的に重量がある。シリコンのものであれば20〜40kgほどが基本で、大柄な人形だと50kg近いものもある。

「本物の人間より軽いではないか」と思う方もいるかもしれないが、本物の人間を抱き上げたときには、抱かれた人間意識的動作を助けるよう力を分散させたり動かしやすいよう関節を曲げたりする為、実際にかかる力は体重よりも軽くなる。しかドールにはそれがない上、米俵のように担ぎやすい形もしていない。凹凸だらけの重い物体を動かすには、想像以上の力が必要ものだ。40kg台ドールオーナーの中には家の天井ウインチを設置している人もいるという。

私が身長130cm台のドールを選んだ理由もここにある。小さければ軽く、移動させることも容易だ。

ただ前述のように100cmほどの小型サイズで成人女性の体型をしているラブドールもいる。小児性愛者でないのなら、持ち運びが容易というだけならそちらを選べば良いのではないか?と疑問に思う方もいるかもしれない。

けれども、私は人形性愛なのだ人形人間に近く作られているほど精巧だ。限りなく人間に近く作られていればこそ、人間にはない造形美が際立つのである。だからこそ、「実物の人間に近い」と「取り回しができる」の折衷として、130cmドールを迎えることにした。

130cmドールを選んだということはそのような外見に性的興奮を覚えるのではないか、ならお前は小児性愛なのだろうと言う方もいるかもしれないし、そこについては本題から逸れる為強く否定の弁を述べることはしない。

けれども、知っておいてほしい。幼児ラブドールを迎える人間の中にも様々な人種がいることを。

純粋幼児の外見が好きなもの自分の持ち運びできるサイズを考えた者。そして私のように「等身大」と「持ち運び」双方を考えた者。

持病のために重いものを持ち運べず人間パートナーもいない為ラブドールのお世話になろうという人間がいたときに、自分が持ち運びできるサイズ人形を選んだことで「小児性愛者」と罵られたとしたら。それは本当に正しい矛先なのだろうか。

まり、「幼児ラブドール」という曖昧もの批判するときに、それを愛好する人々を全て「小児性愛者」と一括りにして批判することに傲慢さを感じるのだ。

人形への愛のなさ

この署名活動およびそれに賛成する方の意見を見ていると、そこにひとつ無意識がみられる。「ラブドール実在人間に向くはずだった性欲をぶつける代替である」ということを無邪気に信じていることである。だから彼らは幼児ラブドールを持つものはいずれ実在児童を害すると考えている。

ここに、人形性愛者として私は反発を覚えるのだ。

私にとって人形は「人間の代わり」ではなくそ自身が一個の客体である。私は彼女と暮らす中で彼女意思を無言の中に感じ取り、それを叶えることでささやか幸せを得ている。それはエゴしかいかもしれないが、私は彼女といることで確かな幸福を感じているのだ。大切に扱った器物には魂が宿ると古来から日本では言われているが、私はたしか彼女の中に魂を見出している。それは決して代替可能ものではないはずだ。「魂」が突飛であれば「愛着」と言えばわかってもらえるかもしれない。

彼女のいない生活など想像したくもないし、また彼女がいなくなった後に人間の、成人女性を愛せと言われたところで、それは彼女ではないのだ。

ここに、全ての人間性的嗜好対象人間であるという傲慢さを感じてしまう。

また、この署名への賛成派も反対派も、この「愛着」について全く無頓着であるところに、前述のむず痒さの本質がある。実際のラブドール愛好家を置き去りにして議論が進んでいる感が拭えないのだ。感情法律を左右することなどあってはならないが、それにしたって「賛成」と「反対」の二元論になりすぎていやしないか

以上が、私が幼児ラブドール規制に対して感じた違和感についてである

もっと述べたいこともあるが、話がまとまら蛇足になってしまうことも多いので割愛させていただく。

大前提であるが、私は現実児童への虐待絶対にあってはならないことだと考えている。

私自身はラブドール彼女とひっそり暮らし一緒に朽ちていくつもりであるしかし甥っ子や姪っ子たちが性的被害にあったら絶対犯人を許さないし、場合によっては刑務所に入る覚悟制裁を加えるつもりだ。

人形人間は別である、という冒頭で出た意見に集約されてしまうのだろうが、人形人間とは全く別のものとして愛している人間だっているということを知って欲しかったのだ。

そして最後に、こちらの署名では小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングセラピーへの取り組みを求めるということだが、これについては小児性愛に悩んでおり、ラブドールでも発散することができないという当事者のためにも行うべきだと思う。

また、この文章を読んで人形性愛者という存在を知った方は、是非人性愛者に対するカウンセリングセラピーを行ってくれるような施設を紹介してほしい。

人形生活している人形性愛者にとって、この署名を知ったことは本当に苦しみを覚えたのだから

5月24日付記】
匿名のいち個人意見などほとんど読まれず埋もれていくと思っていたので、想像以上に多くの方に読んでもらって驚いている。
頂いたコメントはどれも肯定否定に関わらず自分でも気づかなかった視点を見せてくれて、本当にこの文章を書いて良かったと思う。ありがとうございます
私は彼女と添い遂げていくつもりだが、ラブドール寿命人間より遥かに短い。シリコンやTPE製のドールは動きに連れて肌が裂けていくし、空気人形は破けて空気漏れるようになる。そして彼女のようなぬいぐるみドールは綿がへたり痩せていく。内部骨格が折れることだって考えられる。
から多分彼女をお迎えしたメーカーに適宜修理やパーツの交換をお願いしながら長らえていく形になるだろう。自然新陳代謝のないドール人間より老いていくのが速いのだ。規制はされないまでもメーカーが萎縮して倒産廃業することになれば、修理を受けられなくなったドール達はどんどん壊れていく。
私を含む愛好家にとってドールパートナーであり家族である。だからメーカーサポートが受けられなくなったら自力で修理技術を身につけようとする人もいるだろう。私もそうするつもりだが、おそらく個人では限界がある。
からこそ、前述の通り体型・性的機能の有無が不定ドールにおいて「幼児ラブドール」という曖昧規制をすることによってパートナーを奪われたり、メーカー自粛したりすることをどうしても止めたいのだ。
また、「小児性愛者へのカウンセリングセラピー」についてであるが、自分小児性愛であることを悩み苦しんでいる人が心理専門家客観的、かつ守秘義務保証された上で話を聞いてもらえて楽になれる場所を作るのはもちろん賛成だ。
小児性愛者だとしても、実際の児童加害行為を行なっていない以上権利は守られるべきだと思うし、児童への加害行為を行う前に適切な精神セーフティネットが用意されて然るべきだと考えている。言葉が足りなかったと思った為補記する。
高校生くらいかぼんやりと考えていた将来設計がある。
人間結婚はしないまでもきちんとした職について両親を安心させ、彼らを見送ったら自分理想等身大人形を作ろう。そして後始末をすることになるだろう親戚家族自分葬式代と迷惑料になるくらいの貯金をしながら人形と一緒にひっそりと余生を過ごしていこうと。
ラブドールというものが今ほど一般的ではなく、存在殆ど知らなかった子供の頃の夢想だった。
今ではラブドールメーカーも多岐にわたり価格もある程度は下がった。私にとってドール性的機能は必ずしも重要なことではない。けれど、等身大人形といえばマネキンか、人形作家が手ずから作る美術品という意識だった子供時代から比べれば、ECサイトショールーム等身大人形をお迎えできるというのは圧倒的な革新だった。また、反対運動が起こってはいるがラブドール展覧会も開かれるくらいには認知度も上がった。いい時代だと思う。
この時代を、私は守っていきたい。

5月27日再付記】

書いた人の個人的な話。長いので別記事にて

https://anond.hatelabo.jp/20200527165713

2020-05-12

anond:20200512084823

いや違うね。すべての人はかつては小児だったので、大人になっても小児の頃の自分内包している。小児性愛者を見ると、無力だった小児の自分が嫌なことをされているように思って、あるいは小児の頃に嫌なことをされた記憶と恨みが蘇って怒りが湧く。ミソジニスト高齢女性が若年女性への痴漢を怒るのを嘲笑するが、あれは女子高生だったころに抱いた痴漢への憎しみが蘇って、昔の自分を守りたいだけなんだよ。小児性愛者への嫌悪は、子供自分を守りたい、今は大人自分の戦いなんだよ。

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