はてなキーワード: 小児性愛とは
↑の、日本アニメは性差別と小児性愛にゆるゆるコンテンツってのは悲しいけどほぼ定説なので絶対にアニメのことは口にしない、そういう話題にならないように気を付けてるくらいにはそういうことを言われた経験がある
例えば「公衆の浴場やトイレで、生物学的性別の区分けを守らないトランスセクシャルは性犯罪者」というレッテルは最低の侮辱だし、当然に批判されるべきだろう。一方で、「ここの浴場・トイレは心の性別に従ってくれればいいよ!」と安易に言われても、トランスの方々が「やったー!私達の権利が認められて嬉しー!」となるわけではないという現実もあるだろうし、実際のところ「俺トランスだし女湯入るわw」と嘯く「覗き」が大量に出るだけかもしれない。(解決策としては水着着用を義務付けるなどあるが、論点がずれるので略。)
「可哀想だから治療しよう」という差別主義者が大勢いて、それらは批判される必要がある一方で、適切な「治療」という選択肢が当事者の元へ開かれていることも大切だろう。
「小児性愛の権利」というのも、同性愛と比較するよりは、こういう場面の方がよほど多いだろうな。
そして「児童型だろうがなんだろうが、ラブドールを自由に製造売買する権利」というのは、そういう類の話"ですらない"んだな。そもそも誰の権利ともバッティングしてないのだから。
例えば漫画でも、一部の作品を読めば、これは決してフィクトセクシャルではなく「小児性愛者」に向けて描いているのであろうなという作品はあって。その意味で、決して(性的接触を求めない)小児性愛を「仲間外れ」にするつもりもない。それを以って「ドールだからではなく、一般的な話で」と強弁し続けることはできる。しかし、批判対象が漫画だった時、自分は同じような論理展開をしただろうか?と問われると……
まずそもそも、そこに「小児性愛者」がどれほどいるのだ?という視点は、かなり初期から提示され続けていたにも関わらず、無視してしまっていた自分のことは反省する必要があるな。
ドラァグクイーンを守ろうと言う時に、申し訳程度にゲイに言及し、延々と「トランスセクシャルに権利を!」と繰り返していたら、やはりおかしい。
自分は漫画とかイラスト文化圏の人間だから、表面的に共感することはできても、根本的な知識不足は精神論では埋められない。勉強していくしかない。
漫画のときと違って、表現の自由戦士だかのオタクの人たち、ドール文化のことはよく知らず、安直に小児性愛者たちに違いないと決めつけてしまった面もあるのでは?
ドール関係の人から、そうじゃないという意見表明も色々と出てるのに、そっちの声はほとんど拡散されてないの、ちょっとまずいよ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) June 7, 2020
そもそも「小児性愛」というマイノリティを擁護するために比較すべき対象はあくまでマジョリティであって、その対象が「同性愛」になることはあり得ないんだよ。
「同性愛」を引き合いに出して許されるのはあくまで、「同性愛だって異性愛と同じ、という論理の妥当性を議論してきた歴史に倣う」という目的のためであって、「小児性愛も同性愛も同じ」と主張するためではない。その辺り、手段と目的がごっちゃになっている人が多い印象がある。
「小児性愛だって(文脈次第で)同性愛と同じ」は同性愛差別ではない。
まあ個別としてはそう(言おうと思えば)言えるのだが、何でもかんでも「同性愛と同じ」と引き合いに出し続けるのはもはや差別と言われても仕方ないだろう。理屈が正しいか、正しくないか以上に、代理戦争の真っ只中に立たされ、否応無く巻き込まれること自体が差別構造でもある。
小児性愛についての言語化責任をあまりにも高く設定するのはそれ自体が差別ではあるが、そうやって免罪するなら、その未熟な議論を覗いた同性愛者が傷つくことも思いやらねばならないし、彼らから理解してもらえないことは批判できることじゃない。
同性愛も同じく、言語化の責任を常に押し付けられてきたマイノリティなのだから。
児童と、小児性愛者と、同性愛者と、そういった当事者性から解放された特権階級にいるのは誰か?そこを批判しなければ何もかも意味がない。たとえ部分的には論理立てに成功したとしても、それは空虚で説得力のない言葉遊びにしかならない。
「存在することが許容を意味する」に立っているから、話し合いができないのだろうと思う。存在から何を想像するかは内心だし、規制派は、なぜか存在そのものを小児のレイプに結びつけることを是としている。 / https://t.co/DiONltVhX7— lastline@VRオバケ (@lastline) June 1, 2020
しかし未だフェミニストは児童ポルノにかこつけてこの手の規制を叫んでいるのだから呆れ果てるよね。
JRの一件と言い、コロナ禍以降でもこいつらつくづく空気読めていないよね。
何故世間的に反対されているかはっきり言えば、それこそ児童保護に役に立たないばかりか、逆に犯罪の悪化を招きかねないのは一部の創作物規制を実施した国で実証されているのと何よりこの人達フェミニストが児童ポルノや子供の権利を悪用して、自分達の気に入らないモノを潰す為だけに規制を行おうとしている事が世間的にバレているからだよ。
実際これを許す事になればそれこそまた創作物規制を行おうとしてくるのは過去の動きを見れば判る事だし、それこそ創作物規制やこの手の関係ない代物の規制を推し進めていた連中こそ、実際は実在児童に対する性犯罪者であった事例も多々あり、創作物規制などを行う事によって捜査の手を割こうとしている様な憶測も昨今では言われる位には酷い事態になったりもしているからね。
何にしても特定の思想による規制なのは事実であり、児童保護に一切役に立たないからこそ、昨今ではこの手の規制が問題視されているし、フェミニスト自体未だこの手の規制をこの手の理由を言えば何をしても許されると思い込んで、先鋭化しているからこそ世の中もフェミニスト自体を危険と認識しだしているんだよ。
実際に赤十字やJAの一件以降フェミは急速に反社扱いされ出したのは事実だからね。
当時はロリコン、今は小児性愛者と言うレッテル貼りをすればこの手の反論を封じこめられると未だに思っているのだから頭が痛いよね。
実際この手の人達が自身の思惑で関係ない所への規制にこの手の権利を使ったせいで、逆に実在児童保護に関しては予算すらつかないとかの実害が出ていたりするから、本気でこの手の方々の行動こそ今では児童保護への弊害と化しているんだわ。
はっきり言って今やフェミニスト等のこの手の主張をする人達こそ害悪であると断言してもいいよ。
しかし漫画家やオタク共が著作権のダウンロード違法化拡大と言う世間で嫌われている法案を寄りにもよってこの最悪なタイミングでやらかして、空気の読めない発言までしていて、どう考えても今後落ち目に入るのは確実なのに野党と手を組んでいるフェミニスト共は同じタイミングでこの手の事をしでかすのだから呆れ果てるしかないよね。
まぁ、あれに関しては野党も全会一致で可決したと言う空気の読めなさだしどの道野党も野党で落ち目なのは変わりないけど。
でも誰もかしこも自身の権利や自由は主張をする癖に他人を短絡的な綺麗事での規制による抑圧や弾圧したい奴等ばかりなのはこう言うのを見ても判るよね。
いい加減世間は誰であれこの手の屁理屈による規制自体にうんざりしているのにそれすら気づいていない人が多いのも色々末期だなと思う。
そのコロナも案の定またくすぶり始めて経済的医療衛生的な援助こそ現在優先すべき時なのに右も左もその手の事をおなざりにして、この手の規制を優先するのだから空気が読めていないとしか言いようがないよね。
緊急事態は解除されてもう平時だと思い込んでいるみたいだけど、実際世間の認識は未だコロナは脅威であるのは事実であり、現状着実に経済的にも悪化しており、学生も退学せざる得ない等の事態に追い込まれる等、現実的には色々な意味で平時ではないのだから、今のやらかしについては右も左も後々自身に跳ね返ってくる事をいい加減認識すべきだと思うよ。
「小児性愛も、動物性愛も、死体性愛も、誰にも迷惑をかけない限り普通の人と変わらない。LGBTを排除してきた歴史を繰り返してはいけない」という言明は時に必要だろう。人間は歴史から学ぶことができるのだから、何も0から理論組み立て始める必要はなく、類似した歴史に習うのは人間として当たり前の営みだ。そこにLGBTを持ち出したからと言って、決してLGBT差別にはならない。
しかし「LGBTなんて、小児性愛とか、動物性愛とか、死体性愛と変わらないだろう」という言明は、ただのLGBT差別でしかない。これを否定することは、決して小児性愛や、動物性愛や、死体性愛を差別することにはならない。形式的な論理構造が同じでも、「それによって言いたいこと」がまるで違う。そこに載せようとしている社会文脈がまるで違う。
一部の人々の間で、小児性愛、動物性愛、死体性愛をまとめて「PZN」と呼ぶことが流行っているらしいが、それは全く推奨できない。「PZNだって、LGBTと同じだ」という言明は、一見すると前者のようにも見えるが、これははっきりと後者だからだ。なぜなら、「LGBTPZN」という言葉そのものが、LGBT排除のための長い歴史の中で生み出された「人工的な差別用語」だからだ。これの恐ろしいところは、「元からあった言葉が、差別的に使われ始めた」用語ではないという点にある。この言葉は「LGBTを排除する」というただ一点に特化した言葉であり、100%が差別意識の塊だ。このような文脈を持つ言葉を擁護することはできないし、知らなかったでは済まされない。
「LGBTPZN」という言葉が肯定的に使われる場面があるとすれば、それはLGBT側の当事者によって積極的に使われる時以外にないだろう。LGBTの立場から、「LGBTなんてPZNと同じだって?いいじゃないか!PZNだって俺たちの仲間だよ」のように言明して見せるのは、時に政治的に有効なこともあるだろう。そのような場面が、将来的にないとは言わないが、今のところ私は観測したことがない。それを以って被差別的立場であるLGBTを責めることもできないだろう。
マイノリティの権利を主張する時に、戦うべき相手はマジョリティだ。別のマイノリティではない。むしろ、マイノリティはマイノリティ同士団結しなければ、マジョリティには勝てない。マイノリティ同士で喧嘩したり、「あいつらはいいのに俺らはダメなのか」と、くだらない嫉妬心を燃やしている場合ではない。
これはミラーリングなんですが、セックス実践主義者のみなさんも真面目な小児性愛者の方々を見習って、実在他者との性的接触はやめるべきだと思う。性というのは他の誰でもなく自分だけのものなのに、それを誰かと共有しなければ気が済まないなんて野蛮ですよね。「合意があれば」と言い訳する人も多いけど、真に客観的な合意なんて存在しないし、それを許すことで異常な犯罪者は「如何にして合意を捏造するか」に精を出すようになるだけ。そういうことは実際に起こってる。
まともな価値観を持った人ならラブドールで満足できるはずなんですよ。生きた人間の身体を擦り合わせなければ性的に満足できないなんて、野蛮な風習は過去のものとすべき。それをやめることで、少しでも性犯罪が減るなら、直ちにやめるのが社会の構成員としての責任だと思う。
父親がこんなこと言ってたら私絶望するわ。児童を性的に見る人の価値観を通して学べとかどうかしてるで https://t.co/Sxu3glPqu2— Arata (@jbnrsk_arata) June 3, 2020
「小児性愛だって(文脈次第で)同性愛と同じ」は時に必要な主張なんだけど、セクシャルマジョリティと戦わなきゃいけないって時に「同性愛はいいのに小児性愛はダメなのか?」みたいな敵対姿勢は(同性愛差別ではないとしても)自殺行為ではあるんだよな。「自殺行為」と言えるのも「同性愛差別ではない」と言えるのも「当事者が言うなら」という話であって、非当事者が言ってるならもはや小児性愛と同性愛両方の差別に加担する言葉ですらある。意図的に分断を生み出して分割統治でもしようとしてるんですかね。
初めは「セックスドール規制を求める署名」の是非の話であったのに、アンテナの低い人たちが「強姦被害の身代わりを建てることの是非」に話をすり替え、今となっては「小児性愛の是非」に話がすり替わってるらしい。
「小児性愛」という言葉を「(実在児童との)性的接触行為」の意味で使ってるならそりゃ「小児性愛と同性愛は違う」よ。でも今はそういう話をしてるんじゃないんだよね。
とか思った。体外受精が普通になったり、なんか社会の変化で感覚が変わってきたら絶対にありえないことではないような気がする。
小児性愛の話を見かけると小4くらいの時に中2くらいの男子に性行為を迫られたことを思い出す。結局何もなかったし名前も顔も忘れたけど。
まだ言葉の意味が分からないながらに年齢差について言及し、20歳と24歳なら問題ないじゃん?と言われ妙に納得したのだけぼんやりと印象に残っている。
好きな相手がまだ幼いのと特定の年齢層だけが対象なのは違うと思うのだけれど、前者の場合何歳くらいまで待てばいいのだろう。後者はその時期を過ぎた相手に対してどうするのだろう。
「同性愛なんて小児性愛と同じ」は同性愛差別であって、それを同性愛差別と指摘することは別に小児性愛差別ではないんだけど。
「小児性愛を治療」というのは、まあ例の件に絡んで「治療できるようにすべき」と言ってる連中の大半は「私は差別主義者ではない」というエクスキューズのために当事者不在で勝手なこと言ってるだけだから肯定はできないんだけどね。それこそ彼らの言葉は「同性愛を治療」と同じ意味になってるわけで。
しかし「小児性愛を治療」という言葉だけに条件反射で拒絶してる人も少なくないように見えて、それは違うでしょと。
そこは「同性愛」よりも、トランスセクシャル辺りと比較して考えるべき話だと思うよ。
「治療」を勧めるにしろ否定するにしろ、「治療」という言葉が何を指すのかを、きちんと整理して語っている人が(全くいなくはないが)とても少なく見える。
そんな俺が今までで一番気持ちが悪かったことは小学1年生の時に、お菓子をあげるからと40代くらいの
ババアにうっかりついていってしまい、目隠しされた後に股の辺りを舐めさせられた時だった。
最低最悪な出来事だった。
わかってしまうのが辛い。だからこそ小児性愛者に味方したいとは思うけど、一方で、LGBT系の人々が「小児性愛者と一緒にされたくない」と言ってしまうことも責められないだろうとも思うんだよな。まあ歴史を見ると名誉白人とかカポーとか、そういう分断統治が虐待を悪化させた事例は少なくないが、LGBT系の人々が「他のマジョリティ以上に」小児性愛者を差別しているような実態は少なくとも今のところ見たことはない。マイノリティ同士で争ってる場合じゃないだろう。異性愛を批判しよう。成人性愛を批判しよう。
俺も小児性愛者が主人公の漫画描いた後に「まぁ俺は小児性愛者ではないですけどね」「え、普段ですか?オスの犬とかに欲情してますけど」「二次元ではロリいけますけど、いや小児性愛者ではないです」とエクスキューズ連発してたんで、小児性愛者と同一視されると社会的に困るって気持ちはわかります。— Naoya (@Naoya_Starlight) May 22, 2020