「小児性愛」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 小児性愛とは

2020-06-09

anond:20200609071250

同性愛は対称的であり両者の合意のもとに成立しうるけど、小児性愛は年齢の非対称性がありまともに成立し得ないんだよなあ

2020-06-08

anond:20200608172040

↑の、日本アニメ性差別小児性愛にゆるゆるコンテンツってのは悲しいけどほぼ定説なので絶対アニメのことは口にしない、そういう話題にならないように気を付けてるくらいにはそういうことを言われた経験がある

anond:20200608171657

日本アニメノットフォーミーだな。あん小児性愛者みたいな性差別的な...云々...みたいな感じでいかに嫌ってるかの頭で使うから別に全然お行儀良くないよ

例えば「公衆の浴場やトイレで、生物学性別区分けを守らないトランスセクシャル性犯罪者」というレッテルは最低の侮辱だし、当然に批判されるべきだろう。一方で、「ここの浴場・トイレは心の性別に従ってくれればいいよ!」と安易に言われても、トランスの方々が「やったー!私達の権利が認められて嬉しー!」となるわけではないという現実もあるだろうし、実際のところ「俺トランスだし女湯入るわw」と嘯く「覗き」が大量に出るだけかもしれない。(解決策としては水着着用を義務付けるなどあるが、論点がずれるので略。)

可哀想から治療しよう」という差別主義者が大勢いて、それらは批判される必要がある一方で、適切な「治療」という選択肢当事者の元へ開かれていることも大切だろう。

小児性愛権利」というのも、同性愛比較するよりは、こういう場面の方がよほど多いだろうな。

そして「児童型だろうがなんだろうが、ラブドール自由製造売買する権利」というのは、そういう類の話"ですらない"んだな。そもそも誰の権利ともバッティングしてないのだから

例えば漫画でも、一部の作品を読めば、これは決してフィクトセクシャルではなく「小児性愛者」に向けて描いているのであろうなという作品はあって。その意味で、決して(性的接触求めない)小児性愛を「仲間外れ」にするつもりもない。それを以って「ドールからではなく、一般的な話で」と強弁し続けることはできる。しかし、批判対象漫画だった時、自分は同じような論理展開をしただろうか?と問われると……

まずそもそも、そこに「小児性愛者」がどれほどいるのだ?という視点は、かなり初期から提示され続けていたにも関わらず、無視してしまっていた自分のことは反省する必要があるな。

ドラァグクイーンを守ろうと言う時に、申し訳程度にゲイ言及し、延々と「トランスセクシャル権利を!」と繰り返していたら、やはりおかしい。

自分漫画とかイラスト文化圏人間から、表面的に共感することはできても、根本的な知識不足精神論では埋められない。勉強していくしかない。

2020-06-07

そもそも小児性愛」というマイノリティ擁護するために比較すべき対象あくまマジョリティであって、その対象が「同性愛」になることはあり得ないんだよ。

同性愛」を引き合いに出して許されるのはあくまで、「同性愛だって異性愛と同じ、という論理妥当性を議論してきた歴史に倣う」という目的のためであって、「小児性愛同性愛も同じ」と主張するためではない。その辺り、手段目的がごっちゃになっている人が多い印象がある。

anond:20200607183504

児童と、小児性愛者と、同性愛者と、そういった当事者から解放された特権階級

ヘテロの成人男女ってことですかね…

小児性愛だって(文脈次第で)同性愛と同じ」は同性愛差別ではない。

同性愛だって小児性愛と同じ」は同性愛差別である

まあ個別としてはそう(言おうと思えば)言えるのだが、何でもかんでも「同性愛と同じ」と引き合いに出し続けるのはもはや差別と言われても仕方ないだろう。理屈が正しいか、正しくないか以上に、代理戦争の真っ只中に立たされ、否応無く巻き込まれること自体差別構造でもある。


言語化責任は常にマイノリティ押し付けられる。

小児性愛についての言語化責任をあまりにも高く設定するのはそれ自体差別ではあるが、そうやって免罪するなら、その未熟な議論を覗いた同性愛者が傷つくことも思いやらねばならないし、彼らから理解してもらえないことは批判できることじゃない。

同性愛も同じく、言語化責任を常に押し付けられてきたマイノリティなのだから

児童と、小児性愛者と、同性愛者と、そういった当事者から解放された特権階級にいるのは誰か?そこを批判しなければ何もかも意味がない。たとえ部分的には論理立てに成功したとしても、それは空虚説得力のない言葉遊びしかならない。

2020-06-06

フェミは未だこの時期にセックスドール規制を言っているのか…

しかし未だフェミニスト児童ポルノにかこつけてこの手の規制を叫んでいるのだから呆れ果てるよね。

JRの一件と言い、コロナ禍以降でもこいつらつくづく空気読めていないよね。

何故世間的に反対されているかはっきり言えば、それこそ児童保護に役に立たないばかりか、逆に犯罪悪化を招きかねないのは一部の創作物規制実施した国で実証されているのと何よりこの人達フェミニスト児童ポルノ子供権利悪用して、自分達の気に入らないモノを潰す為だけに規制を行おうとしている事が世間的にバレているからだよ。

実際これを許す事になればそれこそまた創作物規制を行おうとしてくるのは過去の動きを見れば判る事だし、それこそ創作物規制やこの手の関係ない代物の規制推し進めていた連中こそ、実際は実在児童に対する性犯罪者であった事例も多々あり、創作物規制などを行う事によって捜査の手を割こうとしている様な憶測も昨今では言われる位には酷い事態になったりもしているからね。

何にしても特定思想による規制なのは事実であり、児童保護に一切役に立たないからこそ、昨今ではこの手の規制問題視されているし、フェミニスト自体未だこの手の規制をこの手の理由を言えば何をしても許されると思い込んで、先鋭化しているからこそ世の中もフェミニスト自体危険認識しだしているんだよ。

実際に赤十字JAの一件以降フェミは急速に反社扱いされ出したのは事実からね。

ももオタクけがフェミ危険視しているのではないよ。

当時はロリコン、今は小児性愛者と言うレッテル貼りをすればこの手の反論を封じこめられると未だに思っているのだから頭が痛いよね。

実際この手の人達自身の思惑で関係ない所への規制にこの手の権利を使ったせいで、逆に実在児童保護に関しては予算すらつかないとかの実害が出ていたりするから、本気でこの手の方々の行動こそ今では児童保護への弊害と化しているんだわ。

はっきり言って今やフェミニスト等のこの手の主張をする人達こそ害悪であると断言してもいいよ。

しか漫画家オタク共が著作権ダウンロード違法化拡大と言う世間で嫌われている法案を寄りにもよってこの最悪なタイミングやらかして、空気の読めない発言までしていて、どう考えても今後落ち目に入るのは確実なのに野党と手を組んでいるフェミニスト共は同じタイミングでこの手の事をしでかすのだから呆れ果てるしかないよね。

まぁ、あれに関しては野党も全会一致で可決したと言う空気の読めなさだしどの道野党野党落ち目なのは変わりないけど。

でも誰もかしこ自身権利自由は主張をする癖に他人を短絡的な綺麗事での規制による抑圧や弾圧したい奴等ばかりなのはこう言うのを見ても判るよね。

いい加減世間は誰であれこの手の屁理屈による規制自体うんざりしているのにそれすら気づいていない人が多いのも色々末期だなと思う。

そのコロナ案の定またくすぶり始めて経済的医療衛生的な援助こそ現在優先すべき時なのに右も左もその手の事をおなざりにして、この手の規制を優先するのだから空気が読めていないとしか言いようがないよね。

緊急事態は解除されてもう平時だと思い込んでいるみたいだけど、実際世間認識は未だコロナは脅威であるのは事実であり、現状着実に経済的にも悪化しており、学生も退学せざる得ない等の事態に追い込まれる等、現実的には色々な意味平時ではないのだから、今のやらかしについては右も左も後々自身に跳ね返ってくる事をいい加減認識すべきだと思うよ。

イライラしていて精神的に余裕がないのは事実からね。

しか規制は反対しにくい所から徐々に拡大していくと言うのをこの20特に強く感じるね。

2000年台に入ってから特に規制規制厳罰化ばかりで世の中逆にギスギスして住みにくくなったのは事実

2020-06-05

小児性愛も、動物性愛も、死体性愛も、誰にも迷惑をかけない限り普通の人と変わらない。LGBT排除してきた歴史を繰り返してはいけない」という言明は時に必要だろう。人間歴史から学ぶことができるのだから、何も0から理論組み立て始める必要はなく、類似した歴史に習うのは人間として当たり前の営みだ。そこにLGBTを持ち出したからと言って、決してLGBT差別にはならない。

しかし「LGBTなんて、小児性愛とか、動物性愛とか、死体性愛と変わらないだろう」という言明は、ただのLGBT差別しかない。これを否定することは、決して小児性愛や、動物性愛や、死体性愛差別することにはならない。形式的論理構造が同じでも、「それによって言いたいこと」がまるで違う。そこに載せようとしている社会文脈がまるで違う。

一部の人々の間で、小児性愛動物性愛、死体性愛をまとめて「PZN」と呼ぶことが流行っているらしいが、それは全く推奨できない。「PZNだってLGBTと同じだ」という言明は、一見すると前者のようにも見えるが、これははっきりと後者からだ。なぜなら、「LGBTPZN」という言葉のものが、LGBT排除のための長い歴史の中で生み出された「人工的な差別用語」だからだ。これの恐ろしいところは、「元からあった言葉が、差別的に使われ始めた」用語ではないという点にある。この言葉は「LGBT排除する」というただ一点に特化した言葉であり、100%差別意識の塊だ。このような文脈を持つ言葉擁護することはできないし、知らなかったでは済まされない。

LGBTPZN」という言葉肯定的に使われる場面があるとすれば、それはLGBT側の当事者によって積極的に使われる時以外にないだろう。LGBT立場から、「LGBTなんてPZNと同じだって?いいじゃないか!PZNだって俺たちの仲間だよ」のように言明して見せるのは、時に政治的有効なこともあるだろう。そのような場面が、将来的にないとは言わないが、今のところ私は観測したことがない。それを以って被差別立場であるLGBTを責めることもできないだろう。

マイノリティ権利を主張する時に、戦うべき相手マジョリティだ。別のマイノリティではない。むしろマイノリティマイノリティ同士団結しなければ、マジョリティには勝てない。マイノリティ同士で喧嘩したり、「あいつらはいいのに俺らはダメなのか」と、くだらない嫉妬心を燃やしている場合ではない。

2020-06-04

これはミラーリングなんですが、セックス実践主義者のみなさんも真面目な小児性愛者の方々を見習って、実在他者との性的接触はやめるべきだと思う。性というのは他の誰でもなく自分だけのものなのに、それを誰かと共有しなければ気が済まないなんて野蛮ですよね。「合意があれば」と言い訳する人も多いけど、真に客観的合意なんて存在しないし、それを許すことで異常な犯罪者は「如何にして合意捏造するか」に精を出すようになるだけ。そういうことは実際に起こってる。

まともな価値観を持った人ならラブドールで満足できるはずなんですよ。生きた人間身体を擦り合わせなければ性的に満足できないなんて、野蛮な風習過去のものとすべき。それをやめることで、少しでも性犯罪が減るなら、直ちにやめるのが社会構成員としての責任だと思う。

小児性愛者は決して強姦を望んでいるわけではない」という主張は、ラブドールの是非という論点からはズレているし、言葉足らずではあるものの、その主張そのもの正当性がないわけではない。「強姦欲求の実行は当然社会的に許されてはいけない」と「性交欲求の実行は、児童保護観点から言って、許されてはいけない」では、その言葉の重みが違うのは明らかだろう。

そもそも批判者側の主張が「児童強姦を許すな!」一辺倒だったのだから、そのように論点がズレていった責任および言葉が足りない責任擁護者側に全て負わせるのはあまりにも卑怯ではないか

言語化責任は、マイノリティが常に負わされる。それこそが批判すべき差別構造の一つでもある。

2020-06-03

小児性愛だって(文脈次第で)同性愛と同じ」は時に必要な主張なんだけど、セクシャルマジョリティと戦わなきゃいけないって時に「同性愛はいいのに小児性愛ダメなのか?」みたいな敵対姿勢は(同性愛差別ではないとしても)自殺行為ではあるんだよな。「自殺行為」と言えるのも「同性愛差別ではない」と言えるのも「当事者が言うなら」という話であって、非当事者が言ってるならもはや小児性愛同性愛両方の差別に加担する言葉ですらある。意図的に分断を生み出して分割統治でもしようとしてるんですかね。

初めは「セックスドール規制を求める署名」の是非の話であったのに、アンテナの低い人たちが「強姦被害の身代わりを建てることの是非」に話をすり替え、今となっては「小児性愛の是非」に話がすり替わってるらしい。

小児性愛」という言葉を「(実在児童との)性的接触行為」の意味で使ってるならそりゃ「小児性愛同性愛は違う」よ。でも今はそういう話をしてるんじゃないんだよね。

anond:20200603053544

小児性愛者を治療するなら同性愛者も治療するべき。

子孫を残さな性愛治療対象ということで。

害悪になっているかエビデンスがないのはどちらも同じ。

人口の9割以上がアセクシュアルだったら性愛感情はすべて異常

とか思った。体外受精普通になったり、なんか社会の変化で感覚が変わってきたら絶対にありえないことではないような気がする。

小児性愛の話を見かけると小4くらいの時に中2くらいの男子に性行為を迫られたことを思い出す。結局何もなかったし名前も顔も忘れたけど。

まだ言葉意味が分からないながらに年齢差について言及し、20歳24歳なら問題ないじゃん?と言われ妙に納得したのだけぼんやりと印象に残っている。

好きな相手がまだ幼いのと特定の年齢層だけが対象なのは違うと思うのだけれど、前者の場合何歳くらいまで待てばいいのだろう。後者はその時期を過ぎた相手に対してどうするのだろう。

同性愛なんて小児性愛と同じ」は同性愛差別であって、それを同性愛差別と指摘することは別に小児性愛差別ではないんだけど。

小児性愛も(文脈によっては)同性愛と同じ」は同性愛差別ではないし、それを否定することは小児性愛差別になるんだよな。

数学的には同じ論理を表していても、文脈言い回しによって言葉意味は変わる。

小児性愛治療」というのは、まあ例の件に絡んで「治療できるようにすべき」と言ってる連中の大半は「私は差別主義者ではない」というエクスキューズのために当事者不在で勝手なこと言ってるだけだから肯定はできないんだけどね。それこそ彼らの言葉は「同性愛治療」と同じ意味になってるわけで。

しかし「小児性愛治療」という言葉だけに条件反射で拒絶してる人も少なくないように見えて、それは違うでしょと。

そこは「同性愛」よりも、トランスセクシャル辺りと比較して考えるべき話だと思うよ。

治療」を勧めるにしろ否定するにしろ、「治療」という言葉が何を指すのかを、きちんと整理して語っている人が(全くいなくはないが)とても少なく見える。

2020-06-02

anond:20191117202519

そんな俺が今までで一番気持ちが悪かったことは小学1年生の時に、お菓子をあげるから40代くらいの

ババアにうっかりついていってしまい、目隠しされた後に股の辺りを舐めさせられた時だった。

最低最悪な出来事だった。

明らかにそれがトラウマの原因じゃねーか

女でもそんな変態小児性愛者がいるんだな

わかってしまうのが辛い。だからこそ小児性愛者に味方したいとは思うけど、一方で、LGBT系の人々が「小児性愛者と一緒にされたくない」と言ってしまうことも責められないだろうとも思うんだよな。まあ歴史を見ると名誉白人とかカポーとか、そういう分断統治虐待悪化させた事例は少なくないが、LGBT系の人々が「他のマジョリティ以上に」小児性愛者を差別しているような実態は少なくとも今のところ見たことはない。マイノリティ同士で争ってる場合じゃないだろう。異性愛批判しよう。成人性愛批判しよう。

2020-06-01

男が被害者になるリベンジポルノって

やっぱゲイだと勝手カミングアウトされるとかかな。成宮くんみたいにさ。あとは小児性愛SMやスカオロなど変態性癖カムアウトされる。

成宮戻ってこねえかなあ。俺あい結構好きだったんだよ

anond:20200531225124

おいおい。小児性愛者と小児性犯罪者区別しとらんのかい

杜撰すぎるだろ。

anond:20200601000649

黒人はその属性ってだけで加害性ある?

LGBTもそう、でも小児性愛者は同意が取れないでしょ

LGBT好きな人とやりたいと思っても別に普通だけど、小児性愛者が子供とやりたいと思うことは加害性があるでしょ 絶対に実現できないじゃんしたら犯罪

から仕方無いことなんだよもう

2020-05-31

anond:20200531233225

小児性愛に反対する者を怖がることと、その者の発言によって傷つくことは違うと思った

別に怖がりはしないだろうと ダメージは知らないけど

anond:20200531231542

彼らにダメージ受けられてもこまるな

子供や親にとっては小児性愛者がどこかにいるかもしれないという事実ダメージであり、また、彼らの人権保障され、それは正しいことであるが、必要以上に「実際に犯罪を起こさない者が多い」などと肩を持つ人がいることもダメージである

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