はてなキーワード: 地球温暖化とは
社会学の功績の話するときは「統計学」の話してるけど、実際の社会学ってもっと適当だよね
社会学って統計を超えた主張とか思想とか、ざっくばらんなデータの分析とか、データを恣意的に解釈したりとか
そういう結論ありき、あるいは安易に結論を出したがるタイプのものが非常に多いじゃん
社会学がすべて、社会の問題に対する統計学的アプローチと分析のみってことなら学問として認めてやってもよいが
勝手に因果関係を作り上げたり、何かを糾弾したり、勝手な解決方法をおしつけたりするのはおかしいんじゃないか
また、反証可能性で化学や物理の話してるけど、物理の仮説は将来的には反証可能になるものとしているし
仮説は仮説として共有されていているじゃん
地球温暖化も、客観的に言えるのは「地球があったかくなっている」「温室効果ガスが排出されている」ことであって
この二つの因果関係を明確にしめすことはできない。たまたま氷河期が終わりつつあるという仮説もある。
「温室効果ガスによって地球が暖かくなっている」という仮説を組み立てた人たちが「とりあえずやってみよう」としているだけで
科学が断定しているわけではない
フェミなんかは、とくにそう。
フェミはその現象の原因を男性の性欲などに求めたり(根拠がない)、男性の悪意によるものだという考え方をする。
「女性が社会進出できていない」というのは一見客観的に見えるけど
家事も社会活動であるという考え方もできるし、看護士や介護士、パートなども社会活動だと言えるだろうから
本来言えるのは「女性は男がやるようなことをさせてもらえない」=「男女の役割には偏りがある」くらいだろう。
「男女の偏り」の中に安住できない人にとっては悪だと思うが、この偏りに問題を感じていない人もいるのだから
すべての女性にとって悪だとは言えないだろう。
(だから、悪だと認識させて味方をつけるためにフェミは学生を洗脳していくのだと思うけどね)
おそらくはボーヴォワールの実存主義的な思想にからんでるのであって、思想であり、主義であって、科学ではない。
で、他の社会学にも、そういう「主義」「思想」によってバイアスのかかった言論をする人がたくさんいる。
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例えば「どうして地球温暖化はとまらないんですかね?」と聞かれたというようなケース。質問者は地球温暖化について疑問や不信感?を持っており、その雑談のとっかかりだということは理解できるけど、一方でそれを質問として額面通りに受け取ってしまう気持ちもあり「いや、知らんし」って思ってしまう。もちろん普段は空気読んで「なんでかな?先進国のせい?」みたいに普通に続けるんだけど。
もうひとつ例をあげると、これは質問しつつも答えてほしい内容が決まっているようなパターン。「〇〇さんってどうしてゴミ箱がいっぱいになってるのに捨てないんですかね?」というようなもの。質問者は期待してるのは「私も思ってました!〇〇さん、ほんとだめですよね」みたいなものだと思うけど、こちらも一方で「いや、〇〇さんがなに考えてるかとかしらんし」と思ってしまう。
例その3は文法・文脈がおかしいパターン。これはちょっと適切な例を出すのが難しかった。文章や実際の言葉がとっちらかっており「あ~なんとなくこういうことがいいたいのかな?」ってしばらくして気づく例。
僕は理系だけど物理系の材料屋なんで環境問題とかさっぱりわからない。
血液クレンジングのときの血が鮮やかかどうかなんかを分ける理由の知識はあるけど、それだって表面的な知識だ。
そんな僕が地球温暖化なんて問題が人為的なものであるかどうかなんてどうやって判断しろっていうんだ?
でも地球温暖化を科学的に考えるためには相当の時間や労力が必要になる。
僕には国民として経済の量的緩和や、公共の場での表現の自由なんかも学ばなきゃならない。
でも地球温暖化はもし本当だとしたら取り返しがつかない問題だろう。
じゃあ、そうした場合に僕がとれる行動ってなんだろうか?
今のままが楽だからという理由でもしかしたら取り返しのつかないことをしてるかもしれないことを肯定することはできるのだろうか?
"「もう堤防には頼れない」 国頼みの防災から転換を" 日本経済新聞 2019/10/14 0:38[有料会員限定]
"堤防の増強が議論になるだろうが、公共工事の安易な積み増しは慎むべきだ。台風の強大化や豪雨の頻発は地球温暖化との関連が疑われ、堤防をかさ上げしても水害を防げる保証はない。人口減少が続くなか、費用対効果の面でも疑問が多い。西日本豪雨を受け、中央防災会議の有識者会議がまとめた報告は、行政主導の対策はハード・ソフト両面で限界があるとし、「自らの命は自ら守る意識を持つべきだ」と発想の転換を促した。"
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50958710T11C19A0MM8000/
自然災害まで自己責任となると、そもそも国家とはなんのためなのかと思いますが、その点はともかく公共事業の積み増しはそんなに悪いことでしょうか?
公共事業関係費予算は「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権が予算編成を行った平成22、23、24年度の当初予算において大幅に減少しましたが、東日本大震災の被害を受けた災害復旧対策を計上した平成23年度補正予算で大きく増えました。その後「第二の矢」として国土強靱化を含む積極的な財政政策を掲げるアベノミクスのスタートにより平成25年度予算では災害復旧以外の公共事業費も増えました。しかしながらその後は税収が順調に伸びているのに基本的に6兆円にフィックスされたままです。現在の予算規模は昭和53年、40年前と同じ規模です。私は、アベノミクスの「第二の矢」は口先だけだと思っています。令和元年からは3カ年緊急対策として上乗せ分がありますが、消費税増税を睨んだマクロ経済対策の一環でしょう。
おそらくネットでは台風19号の被害を受けて、民主党批判にからめてスーパー堤防がどうの、八ッ場ダムがどうのという議論があるのだと思いますが(確認はしていません)、私は個々の対策については効果を判断するだけの知識はないので、そこは専門家がきっちり議論してほしいと思います。問題にしたいのは、こうも災害が続くと、人の命を守るために「国土強靱化」の加速が必要なのではないか、財政再建を強調して公共事業予算を昭和50年代と同じかそれ以下に留めておくことが、財源として国債発行によるべきでないという意見が、現在のマクロ経済環境のもと相当なのかということです。
むろん、専門家の議論に基づいたワイズ・スペンディングが前提ですが、必要な対策を施さないまま大きな被害が生じれば、復旧のために予算が使われるのですから、防災対策としての公共事業費と復興のための公共事業費は、「人が死ぬ前に出すか、人が死んでから出すか」の違いでしかありません。「コンクリートから人へ」のスローガンのもと、公共事業費を当初予算で5兆円以下にまで削減した民主党政権が、東日本大震災の復興のために3兆円近くの補正予算を組んだのがその実例です。
そして公共事業によりまず恩恵を受けるのは、地方に住む高卒以下の限られた学歴しかない労働者、次いで災害の危険にさらされている地方の住民です。彼らは1997年からしつこく続くデフレ圧力のもと、もっとも大きな経済的な困難に見舞われた人たちです。
ところで、公債発行による財政支出の拡大は、そもそも何が悪いのでしょうか? 公債は、償還期限が来ても借り換えができれば問題ないので、個人の借金と異なり、国が続いている限り、返済して残高をゼロにする必要はありません。
にもかかわらず公債発行が問題になる理由は、第1に民間投資を阻害してクラウディング・アウトを生じさせることです。そのメカニズムについてはマクロ経済学の教科書でIS-LM分析をみていただきたいのですが、利子率がゼロ近辺かそれ以下に達し、LM曲線が水平に近い状況、「ゼロ金利制約」「流動性の罠」が発生しているときには、クラウディング・アウトは生じません。現在の日本はその状態にあります。
第2に大量の公債発行が続くと、財政支出に占める公債費の割合が上昇し、財政硬直化の原因になることです。しかしながら、2000年度の財政支出に占める公債費の割合は24%であったのに対して、2019年度は23.6%です。公債費の割合は近時特に上昇しているわけではありません。近年、新規国債発行額、公債依存度はいずれも低下しています。利払いは年間9兆円弱、これは昭和59年と同じ水準です。財政の健全性はフローとの比率でみるべきですが、GDPにしめる利払いの割合は史上最低レベルにあります。
第3に、負担を将来世代に転嫁して、世代間の公正を阻害することです。よく言われる「子孫に借金を残すな」というフレーズは多分これを指しています。しかしながら、国債が外国人にもたれている場合は、償還の際に外国に資産が流出しますが、日本国内に留まる場合は、仮に償還の資金を増税でファイナンスしても、税金を払うのも償還を受けるのも日本人です。利用可能な資源の総額は変わりません。現在日本の国債の90%は日本国内で保有されています。しかも半分は日銀です。さらに、防災・減災対策としての公共事業により、子孫は災害に強い社会資本を享受することができます。受益するのが子孫であれば借金を子孫に残しても不合理ではありません。
すべての政策決定には必然的にリスクがあります。確かに政府債務の増大は破綻リスクを高めます。問題は将来実現するかも知れない、実現しないかも知れないリスクを考慮して、実現し、実現しつつあるリスクに対処しないでよいのか、ということです。私は現在の環境-自然災害の多発、慢性的なデフレ圧力と需要不足、その結果としての地方の疲弊・限られた学歴の労働者の困難・超低~マイナス金利-で、国債発行による公共事業の積極的な拡大は、是非とも必要だと考えています。
「国土強靱化いつやるの?今でしょう!」どうか政治家のみなさま、よろしくお願いします。
"れいわ新選組と立憲民主党 どちらが正しいか (自民党とどちらが正しいかも追記しました) "
https://anond.hatelabo.jp/20190622204530
"金融政策はこれからもマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるのか サマーズとクルーグマンのツイートより"
https://anond.hatelabo.jp/20190824134241
(追記)
ご参考までに。
"公的債務に対するより寛容な態度を批判する人たちがまちがっている理由" オリヴィエ・ブランシャール&アンヘル・ウビデ 2019年7月15日8:00 AM
"世界経済は金融政策のブラックホールのリスクにさらされている-政府は長期停滞を食い止めるためにもっと借金を" ローレンス・サマーズ 2019年10月12日フィナンシャル・タイムズ
https://www.ft.com/content/0d585c88-ebfc-11e9-aefb-a946d2463e4b
地球温暖化とかゴミ問題とか森林破壊とかそのへんの問題もぜんぜんヤバイんだけど、そのうちすごいブレイクスルーがあって案外なんとかなるかもしれないという思いが少しはある。
でも(少なくとも日本の)少子化問題が将来なんとかなりそうな気がぜんぜんしないんだよな。金がないのがよくないって言うけど、金があっても子供3人以上もつのはしんどいって人が大多数なのではと思う。例えば国民全員に月40万のベーシックインカム!ってなったら(経済が破綻するというのは置いておいて)働く必要もないし子供持ったらむしろ収支プラスになるくらいだけど、そうなってもじゃあ子供たくさん作ろうとはならない気がする。なんていうか「子作りはダサい」みたいな風潮ができてしまっているような。
俺は反出生主義だからすごい嬉しいんだけど、一方で釈然としない感じもするんだよな。基本厭世的な人が多いツイッターとかですら反出生とかチャイルドフリー思想はクズ・過激・負け組の論理・うつ病みたいな扱いなのに実際にはそういう方向に社会が向かってる気がする。
ていうか全世界的にCO2こそ地球温暖化の原因と前提された上で、環境サミットやらグレタ少女騒動やら勃発してるが、CO2が犯人説→化石燃料電力犯人→原子力発電への転換促進への再チャンス到来 てな
影で喜ぶ奴らの、どす黒い笑顔が見え隠れしてるのは俺だけ?
地球温暖化や気候問題に対する彼女の主張に反論するつもりはまったくないし、彼女の行動にも文句はない。
学校を休んで活動をすることに目くじらを立てる人もいるかもしれないが、それは個人の意思だし、別に周りがどうこう言う問題ではない。
16歳という若さながら、国際舞台に立って行動を起こしていること自体は本当にすごいことだと思う。
ただ、そんな彼女に対してどうしても違和感がある。Wikipediaページによると、
トゥーンベリは、彼女が8歳の2011年に気候変動について初めて聞いたと言っているが、なぜ気候変動への対策がほとんど行われていないのか理解できなかった。 3年後、彼女は落ち込んで無気力になり、会話と食事をやめ、最終的にアスペルガー症候群 [12] 、強迫性障害 (OCD) および選択的無言症と診断された。 [13] その診断は「以前は私を制限していた」ことを認めながら、彼女はアスペルガーを病気とは見なさず、代わりに「スーパーパワー」と呼んでいる。
とある。アスペルガー症候群は近年、発達障害が一般にもよく知られるようになってきたことから、耳にしたことがある人も多いだろう。また、強迫性障害もアスペルガー症候群ほどではないが知名度はあるように思える。しかし選択的無言症はどうか。これは場面緘黙症とも言われる疾患であり、詳しくは[wikipedia:場面緘黙症]を見てほしいが、アスペルガーほど知られた疾患ではないと思う。上記にもあるように、彼女はアスペルガーに関しては「スーパーパワー」として肯定的にとらえているが、場面緘黙症については、
So when I was 11, I became ill. I fell into depression, I stopped talking, and I stopped eating. In two months, I lost about 10 kilos of weight. Later on, I was diagnosed with Asperger syndrome, OCD and selective mutism. That basically means I only speak when I think it's necessary - now is one of those moments.
とhttps://www.ted.com/talks/greta_thunberg_the_disarming_case_to_act_right_now_on_climate]において発言している。
これがどうも腑に落ちない。これは場面緘黙なのだろうか。急に話さなくなったり、必要だと思う時にしか話さないという彼女自身の説明には疑問が残る。
もちろん、当時の彼女を診断した医師がそう判断し、彼女はこのスピーチの中でそれを話しただけかもしれないし、時間の都合上分かりやすい表現としてこのような表現になっただけなのかもしれない。
しかし、意地悪な見方をすると、これは場面緘黙症という疾患を利用しているのではないかとも思う。場面緘黙症自体があまり馴染みのない疾患であることから、多くの人はその疾患について「話すことが困難なんだな」程度の認識だろうし、そのような人々がこの話を聞いたとき、彼女に対して「そのようなハンデを持ちながらも環境のために声を上げた16歳の少女」のイメージを強く抱くであろうことは容易に想像できる。場面緘黙だけでなく、アスペルガーや強迫性障害についてもそうだ。
これが可能なのはそれが見えない症状だからだ。身体的なハンディキャップがある人とは異なり、アスペルガーや場面緘黙症は一見しただけでは当人がそういった疾患を持っていることがわかりにくい。しかし逆もまた然りだ。自称しているだけだとしてもそれを見ぬくことは難しい。
グレタさんに関してはいろいろな意見が出ており、親に利用されているだとか、誰かがバックにいるとか、陰謀論じみたものまで出ている。実際のところどうなのかはわからない。
結果的に多くの人々に気候問題を考える機会を与えたことは良いことだと思うが、場面緘黙症についての発言だけは、どうしても違和感をぬぐえない。