はてなキーワード: 卑下とは
「小児性愛のカジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛のカジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛のカジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体がセクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的に断罪することはマジョリティの傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。
批判者が「小児性愛のカジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。
「娘の成長を見てくれ」と言って筐体で遊ぶ小さい娘さんの写真を2枚貼ったツイートにも、リプ欄で「えっちです」ってのがあったんだけど、こういうコメントを気軽に送れちゃうのも社会で小児性愛がカジュアルになりすぎた結果だと思うんだけど— E (@nice_comp_net) May 29, 2020
しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラの一種であり、「対象が児童だから」問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛のカジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛を批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存の議論焼き回しである。
小児性愛と成人性愛の本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代の倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である。児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義と児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である。
「児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値な命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャル、さらにはアセクシャルを自認する人々からも批判が殺到した理由はそこにある。
「(実在児童を対象としない、無機物を対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているからである。
前節では、問題の本質は「小児性愛のカジュアル化」ではなく、「性愛のカジュアル化」であると言った。では「性愛のカジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボンの荻野さんも以下のように言っている。
逆に、実質、ポルノとしてマーケティングするものであるのなら、18禁でなくとも、広告だけでなく、表紙の陳列やらまで含めて、賢明にどんどんゾーニングして頂くというのが、多分最適解なんだけどねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) November 13, 2019
その理由としては例えば、①性的プライバシーの問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題を内包する言動」こそを「性愛のカジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。
①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要な概念である。実際、他人の自慰を制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)
「男女を問わず、自慰は最も内密の行為である。誰の権利も侵害せず、自分の性的趣向と欲望を満足させる行為であり、性的自己決定権の領域に入っている。女性を卑下するという理由で自慰道具を禁ずるとしたら、女性を卑下せずに可能な自慰行為とは何なのか?」 pic.twitter.com/3lyXymSaF0— NPOうぐいすリボン / Uguisu Ribbon Campaign (@jfsribbon) May 29, 2020
話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートなものである。故に、他人の性的領域に、物理的にも精神的にも安易に踏み込むことは許されない。「性愛のカジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしまう効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人のプライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体が話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別は曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペースを尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛のカジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。
②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年にポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。
ここまで、「性愛のカジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易に断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。
荻野さんは次のようなことも言っている。
いわゆる2次元系の性表現が、本当に純粋に「ポルノ消費」されてるだけなら、こんなには揉めてないんだよね、というところを、表象を批判する側だけでなく、擁護する側もなかなか自覚できないというのが、この話の味噌なんじゃないかねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) October 22, 2019
ここで、各国のゲイ・パレード、プライド・パレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。
https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html
https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver
https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/
https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E
やはり、非常に過激でセクシーなファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?
彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体が政治的意味合いを持っているのである。それ自体が政治的表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したからである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのままに表現した、アイデンティティそのものなのだ。
とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインクの配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなたが独善的な基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである。
さらに言えば、政治性とポルノ的であることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別は不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである。
誤謬を見出して批判することは容易である。しかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。
ここ数年、博士号を取得中とか、その後のテニュアのポジションが取れなかったとかで
いかに博士課程に進んでアカポスに進むのが最低最悪かというエントリをよく見かける気がする。
確かに、若手研究者の現状は前よりも悪くなっているんじゃないかとは思う。
自分は博士号取得後に任期付きアカポスになり、無事テニュアのアカポスになった。
周囲の教員や研究者は、みな人柄もよく頭もよく、話していて面白い人ばかりだ。
これまでは研究ばかりが重要だと思っていたけど、教育へのやり甲斐も実感した。
アカデミアは、働き方も自由、PIになればこれをやれと仕事を命令されることもない。
大学事務が非効率と感じることもあるけど、お互い仕事でやってるんだから仕方ないなと思ってる。
何よりも、自分の好きな研究を自分の好きなようにできる自由がある
給与はそりゃ自慢できるほどいいわけじゃないが、卑下するほども悪くない。副業もできる。
うちはダブルインカムで配偶者も稼いでるので、家計は余裕がある。
結婚できない、という説もみかけるけど、
知り合いのアカデミアの同世代の中で結婚していないほうが珍しい。
自分が優秀だったからこういう環境にいるといいたいわけじゃない。
素晴らしい職業なのに、最近あまりも夢がないエントリばかりだなと思ったから。
自分のまわりでは、研究者としての能力が足切りレベルだったか、
競争社会には向かない性格だったか、ないしは単に人間として付き合いにくい奴がいなくなったと思う。
業績があっても付き合いにくかったら、当たり前だけど長く付き合う同僚や部下としては願い下げだろう。
でも教育者に向かない嫌味なやつは選ばれない。
目を引くような業績がたとえなくても、
同僚や共同研究者としてやっていきたいと思う楽しい人や、研究テーマに引きがある人は残ってると思う。
もちろん他にやりたいことがあってアカデミアを去った人もいると思う。
そういう人は新しい道を気持ちよく進んでほしいし、
自分ができなかったことをやってくれていると応援したい気持ちがある。
辛く悔しい思いをしたという人がいるのは間違いない。
子供が博士課程に進学したいと言ったら応援できるのか、と書いてあったとある投稿を見るまで、
アカポスは最高だなと思いながら、こういうことを書くなんて思いもしてなかった。
嫌味だと受け取られるかもしれないし。
伝えたいことは、学級の道は楽しい。向いている人には楽園だと思う。
少なくとも自分のまわりは、文理問わず任期なしの職に転換した人の方が多いです。
自分の子供の職業選択についてああだこうだ言うつもりはないが、
もし、子供が将来学者になりたいと言ったら、もちろん応援します。
今日昼食後の皿洗いしながら、ひ○おびっていう番組でMCの人が、
「頭いいのに!いい学校でて、難しい試験も合格できるのに、なんでこういう事やっちゃいけないっていう問題は解けないの?」
「高卒の俺でもわかるよ!」と顔真っ赤にして言ってるのを見た。
このMCは、いい学校に入る時も(出るのは簡単)、難しい試験合格するのも、どちらの試験も全ての問いに想定解ってものがあり、それさえ答えることができれば合格できてしまうということを知らないのだろうか。性格がいいかとか、理性的かどうか、犯罪を犯さないかどうか、等ということは一切審査されないことを知らないのだろうか。知らないか。高卒だから。
あと、高卒の俺でも、とか自分から言いだしちゃうところを見ると、学歴にコンプレックス持ってると思うんだけど、公共の電波で恥ずかしくないのかな。恥ずかしくないか。そういう姿見せて大金もらってるし。
でも、高卒の俺でも、とこのMCが卑下する事によって「高卒は卑しい」っていうメッセージが公共に流れるわけだけど、そこんところはどう考えてるのか。考えてないか。
自粛でストレス溜まっている人も多いようだけど、だからとって今の生活をあまりに卑下されると思う所はある。
自分にはこれが日常で10代の頃からこんな感じで生きていて、変化は外に出るときにマスクをつけるようになったくらいなので。
元々、先行きの不安、将来の不安などは山積みで不確実性の中で生きていくことに慣れているからかもしれない。
不便なことにしてもちょっと病状が悪化すれば不便になることなんてしょっちゅうで、自宅の中だけでも自由に動ければ御の字というか。
いや、まぁ、普通の人はもっと楽しい人生を送っていることはわかっていたけど、改めて突き付けられたというか実感したというか。
もともと受かる自信がないのにそこに追い討ちをかけるかのように、自分が選んだゼミの志望者が定員より6人オーバーしている。気持ちとしてはとても不安。
少数制の授業なので人を選別するというのは仕方ないことではあるが、高い学費を払っているのに希望する所属先や先生の元で学べないというのは非常に悲しいことだと思いませんか。さらに、選考に落ちたことで認めてもらえなかったんだと自分を責めることにもなりかねない。
自分なんて…と卑下してしまうことも多いけれども、やっぱり希望通り進みたい。第一希望のゼミに所属できることが今の私の願い。
502 Bad Gateway ―アクセスが集中したサイト(1999~2020)
いつもなら私はこれはスパムかなと思って通報するのですが通報しないでください。
私はスパムではありません。そこに眠ってなんかいません。せんの風に。線。
しょうもねぇ。擬態していきたかったのに俺は。生きたかった。活きたかった。逝きたかった。日活ポルノ劇場。ポルノハブ。
透明人間になりたかったのに、社会に出た瞬間存在をはっきりとさせなければならなくなる。
何者にもなれない人間は透明人間になるしかなくて、透明人間になりたくないのに、透明人間になりたがる。
社会の歯車になりてぇよ。私は御社の潤滑油になりたいよ。なりたかったのにね~。
潤滑油どころか、お前がなれたのはなんだよ。錆だよ錆。
ガチギギチイtギイチイギチと社会を止めたのはお前だよ。小さな政府。小さな社会。
バカだね~。お前は本当にバカだよ。そういう風に自己卑下してればだれか救ってくれると思ったか?
頑張れ頑張れできるできる自分なら絶対できる自己正当化しなさい。そんなブランドあったなそういえば。
私は透明人間になりたかっただけなのに。バカだね~;;本当にバカ。
結局風俗って嬢にズルッズルにやさしくしておかないと
逃げられたらそれまでだから
やさしくやさしく檻に入れて買うんだよね
でも結局どの女もいつかはおばあさんになるわけで
そうしたらそういう甘い方法じゃなきゃ受け入れられないっていう
そうなるように飼殺されてるんだからあたりまえなんだけどさ
絶対に「わかるわかる」ってだけいって余計なこと、逃げられそうなことは知らせない
辞めた子が幸せになったとはいわないで不幸になってそうだけど大丈夫かなっていう
お金かせげばいいよねっていう方向だけみせる
シャドーロールつけた馬みたいに走らせておく
でもね、意外と普通にやさしいよ、みんな
市役所いってごらんよ
もう長年甘いものをやり取りして生きることになじんで
粗食に絶対耐えられないおばあさん
はたからみたら身ぎれいできらびやかだけどそれがなんの意味もないおばあさんになるまえに
いったほうがいいんだとおもうよ
アラサー女。男性とはお付き合いしたことはあるが,手を繋ぐ以上のことはしたことない。
ある日突然,「私と同世代の人は,えっちなこと普通にしてるんじゃないか?じゃぁ私もしていいんじゃないか?!」と思ってレズビアン風俗を予約した。
くたびれた下着しかもっていなかったので,下着屋に新しいのを買いに行った。ちょっと大人っぽいのを店員さんに選んでもらった。はぁ~この下着が見られちゃうのかぁ~って思ったらめちゃくちゃドキドキした。同世代の人はこんな楽しいこと前から知ってるのか~!とうらやましくなった。
予約した日になった。私が持ってる服の中で1番かわいい服を着て出発。電車に乗りながら,これから知らない世界が開けるのか~どんなんだろう~と,ワクワクしたようなドキドキしたような気持ちで移動した。
ホテル街の近くで待ち合わせして,一緒にホテルに向かう形式だった。来たのは小さくてかわいい大学生ぐらいの年頃の女の子だった。風俗に勤めてる人はみんなケバケバしてるという偏見があったけど,どこにでもいる大学生みたいな子だった。
その子に連れられてラブホテルへ向かう。初めて入ったラブホテル。話や映像としては知っていたけれど,実際に入るとはぁ~これがラブホテルなのかぁ~と思った。ビジネスホテルと比べて,ベットが大きくてリアルだった。
お部屋に入って,荷物と上着置いた。レズビアン風俗は初めてであることを伝えたら,「最近レズビアン風俗は人気で,初めて使う人が多いんだよ」と言われた。男性女性問わず性体験が初めてであることを伝えたら「責任重大だねw」と言われた。重くてごめんね……
予約の際に「レズビアン風俗は初めてなので,リードして欲しい」と伝えていた。だからその子はこれから何をすればいいか丁寧に教えてくれた。歯を磨いて,うがいするんだよ。その後に服を脱ぐんだよ。シャワーするんだよ。髪が濡れるから髪ゴムを貸すね。体洗って欲しい?自分で洗う?洗って欲しいんだね,一緒に入ろうね。体を洗われるの時なんとも言えない感触に緊張して黙ってしまった時,あえてそこには触れないのが優しいなと思った。
体を拭いて,ついにベットに。どうすれば分からないのを分かってくれて,「うつ伏せになって寝てね」と言われた。そして背中を撫でられて,ちゅっちゅされた。舐められた。ウワァァァァァなんだこれは!知らんぞ!背中に唇で触れられて,舐められるだけでこんなに気持ちいいなんて知らなかった。初めてのことなのに気持ちいいと感じるのは何故だ?!人体の不思議。
その子の体が触れる。柔らかいよ~,お肌すべすべだよ~,温かいよ~,女の子の体最高。でも男性のしっかりした大きい手に支えられたり,体を包まれたりしたら,それもそれで最高だ~ってなるんだろうなと思った。
ちゅーもした。その子の口元のうぶげが触った感じがした。普通に会話してる距離だとうぶげが生えてるのは見えなかったから,それが分かるほど接近してるんだ!と実感した。ちゅー続けていたら,唾液の匂いがして,私は今すんごい生々しいことをしてるんじゃ?と思った。
その後いろんなところ触られたり,舐められたりして,私はめちゃくちゃ声が出て,めちゃくちゃ体が動いてしまって,とにかくウワァァァァァとなって時間が過ぎていった。気持ち良すぎると手先が痺れることを初めて知った。初対面の人でこれなら,関係を深め合た愛しい人としたら,どれだけ幸せで気持ちいいことなんだろうかと思った。
あっという間に時間は過ぎて,終了時間なった。体に力が入らなくてしばらく立てなかった。ようやく立てるようになってから,一緒にシャワーを浴びた。最初にシャワーに入った時とは違って緊張は解けて会話ができた。「めちゃくちゃ気持ちよかったよ」と伝えたら,「私実はレズビアン風俗始めてまだ日が浅いから気持ち良くなってくれてるか不安だった。だからそう言ってもらえてうれしいよ」と言われた。私があんなに声が出て,あんなに体も動いていたのに,私が気持ちいいと感じているか不安だったんだ!私がどう感じているかは言葉にしないと伝わらないのだなぁ,とびっくりした。
服を着た。そのスカートかわいいね!バックかわいいね!と褒めてもらえた。そこに気づいてくれるって女の子最高!精一杯おしゃれしてきてよかったと思った。
部屋を出る前に「ギューってしていい?」と聞いた。「いいよ」と言ってくれたので,その子の小さい体をギューと抱きしめた。甘えることができてめちゃくちゃ心が満たされた。
駅近くまで見送ってもらって別れた。その後3日間ぐらいずっとなんか地に足つかない気持ちだった。レアな体験ができたな,いい体験したなと思った。
→私はめちゃくちゃ気持ちよかったのに,その子は私が気持ちいいと思っているか不安になっていたように,気持ちは言葉にしないと伝わらないんだなと思った。それはきっと日常生活も同じなんだと気づいた。うれしい,楽しい,ありがたいと思っているならどんどん伝えていこうと思った。そして実際伝えるようになった。自分の気持ちを伝えるようになったら,日常生活でも前より素直になれた。
②みんながやってることを私もやっていいじゃん!って思えるようになった。
→自分を卑下して,こんな私はこんなことしちゃダメだ……と思ってできなかったことを,していいんだ!と思えるようになった。例えば,今まで私はかわいいものを身につけちゃダメだと思ってた。でもしていいんだ!と思えたら,かわいい服を買うようになったし,コスメもいろいろ増やしたし,かわいい小物も増やした。自分がいいと思ったものを身につけられている楽しさを知った。日々の楽しいことが増えた。(そして出費も増えました)
③知らないことにエネルギーを割かなくなった
→私はどうせえっちなことは知らないですよー!そしてどうせ一生知らないままですよー!という負のエネルギーがなくなった。めちゃくちゃコンプレックってわけじゃないけど,なんとなく知らないことは怖いこと,知らないことはダメなことと思っていた。でも知ってしまえばそれに割くエネルギーが必要なくなった。
④総じて前向きになった,明るくなった
→①②③を経て,総じて明るく,前向きになった。自分を必要以上に卑下しないようになって,生きるのが楽になった。今までいろんなことしてきたけど,こうはならなかった。長年変わらず,長年苦しかった。でもそれがたった2時間の体験で変わった。すごい!生きるのが楽ってすごく楽ですね。
レズビアン風俗体験記を読みたかっただけの人は以下は読む必要ないです。
私がなぜレズビアン風俗に行ったか。「私と同世代の人は,えっちなこと普通にしてるんじゃないか?じゃぁ私もしていいんじゃないか?!」というのがきっかけのというのは本当だ。でもそれはきっかけであって,本当の目的は生々しいこと,つまりセックスなことをすることで,私の消したい気持ちが消えるんじゃないかと思ったからだ。(触られたり舐められたりするだけをセックスと言っていいかは分からないけれどここでは議論しないこととする)
私はいい歳して王子様を求めています。ここでいう王子様とは何か。私の辛さを,痛みを100%理解してくれて,嘘ばかりのこの世界から連れ去ってくれる人のことです。
女の子だから,男の子だから,そういう理由で選んで欲しいのではない。この世界から私をたった一人見つけだして欲しい。選びとって欲しい。私の痛みや辛さに気付いてくれて,大丈夫だよ,ありのままの君でいいんだよ,と言って欲しい。そうやって闇の世界から救ってくれる,そんな人とリレーションシップを結びたいのです。
でも私もアラサーです。そんな人は現実にいないことを知っています。分かっています。だから早く現実を見て,そんな人がいないことを受け入れなければなりません。でも私はそれができません。闇の世界から,私をたった一人見つけだしてくれる,選び取ってれる王子様を求めてしまうのです。
年齢を重ねると,人は完全に分かり合うことはできないと気づき,それを受け入れていくと思います。
100%分かり合うことはできないけれど,60%分かるところがあれば上出来。残りの40%が分からないのはあたりまえ。分かり合えない部分は,相手に合わせて自分を飾ったり,自分を曲げたり,偽ったりして付き合っていくのでしょう。
そうすることで誰かと人生を紡いでいくことができるのでしょう。
でも私はそれが嫌なんです。100%分かって欲しい。飾らない私を,曲げてない私を,偽っていない私を,ありのまま愛して欲しい。
それはただのわがままです。大人になれないという欠陥です。夢みがちな甘えです。都合のいい妄想です。
王子様はいないんです。ないものを求めているから,私は誰ともリレーションシップを結べないまま,生きていくのでしょう。
我ながらめちゃくちゃな理論ですが,セックスが気持ち良ければそれをしたくなる→そのためには誰かとリレーションを結ぶ必要がある→リレーションを結ぶために消したい気持ちを消すことができる→現実を見ることができるようになる,と思ったのです。でもそんなことなかった。
セックスは劇的に何かを変える。でもセックスは全てを変えられるわけではない。
セックスをしていい方向に変わることがたくさんあった。私は明るくなって,前向きになって,生きるのが楽になりました。長年変わらなかったことが,たった2時間で変わった。だからセックスしてよかったと思う。セックスをしなければ,ずっと変わらないままだったと思う。でも一番の目的である,消したい気持ちを消すことはできなかった。いい方向に変わることがたくさんあったのに,消したい気持ちは変わらなかった。
レズビアン風俗を予約した時に「セックスしても消したい気持ちが消えなかったらどうしよう」と少し不安でしたが,見事そうなりました。
でも消した気持ちが消えなかったことで,私が王子様を求めてしまうことは,腰掛けの気の迷い,いつか目覚める一過性の夢ではなく,根っからそう思っているんだということが分かりました。どうしようもなく変えられない自分の性質だと分かりました。自分の中にあるリアルな気持ちだと分かりました。
こんな気持ちを持っている自分が大嫌いだ。いい歳こいて,わがままで,大人になれないという欠陥を持ってて,都合のいい夢がちな甘えた妄想している,現実が見えていない自分が大嫌い。情けないし,みじめだ。でも残念ながらこれが自分だった。これが自分の程度の低さだった。王子様を求めてしまう心を消したくて消したくてたまらないのに,どうしても消せない,それはどうしようもなく変えられない自分の性質だった。ついに認めざるを得なくなった。そして,それを認め,受け入れる覚悟ができました。
この世に王子様いないけれど,一人が寂しいから,老後が心配だからと,現実を見て婚活をするという手もあるかもしれません。でもそれはしません。だって最初は自分の気持ちを偽ってリレーションシップを結べるかもしれないけれど,途中で本当の気持ちが出てきてしまうに違いない。消したいのに消えない気持ちが出てきてしまうに違いない。その後に待っているのは破滅です。
一人は寂しいです。でも消した気持ちが自然と消えてくれない限り,私は一人でいることにします。
さらに先ほどから私は「誰かに何かしてもらいたい」ということばかり言っています(分かって欲しいと言ってばかりで,私も分かりたいとは言ってないもんね)。他人に何かして欲しいくせに,何かしてあげたいとは思わない最低ないやつは誰かとリレーションシップを結ぶ資格はないと思います。
私はずっと独身でしょう。だから私に必要なのは,これからずっと働き続けられるように健康でいること,ずっと働いて自分の生活を支えるだけの給与をもらえるように仕事のスキルを磨くことだなと思いました。あとは健康な体。仕事と体力作りを頑張ります。
私は腐女子の文字書きです。いまのジャンルにきて何冊か同人誌も出しててイベントもでてる。
いまのジャンル同人活動このジャンルが初めてという方が多く、そのせいかイベントにでる、という発想がない人が多い。
前のジャンルは同人誌を作り慣れてる方が多くて、アンソロ企画とかもたくさんあった。でも、いまのジャンルはネットで満足終わり〜って感じ。
若い子が多いからかなあ?(しらんけど自撮りあげてる子が多いから、若い子が多いと勝手に思ってます)
私は本作るの好きだし、イベントっていう雰囲気が好きなのでみんなもイベントでて本出してほしいな〜って思う。
でもそんなん個人の勝手だし、イベントにでるのってお金かかかるし本作るのたいただではないし気安く参加できるものでもないってのもわかる。地方の方は遠征するだけで大変だし。私も地方組なので遠征費にはいつも苦しい思いしてますし。
でも、イベントでないけど本作って通販だけやります〜とかなんか違くない??と思ってしまう。こういう思考がもう古い?
あとそれが成り立つのって人気がある人だからなんだよなぁ。人気がない目立ってない文字書きがイベントでもなくBOOTHで本だしたってまず売れない。
通販だけでしかもそれで本が売れるってのは人気があるからできることなんだよ。それを自覚してるのかしてないのか。人気ある目立つ人がそういうことするから他の人もイベント出ないで通販だけでいっかーってなってる。
人気の人がイベント出てくれるとその方目当てのサークル参加と一般参加が増えてにぎわうんですよね。だから出てほしい。
私が、あなたがイベント出るから私もでようって思いました!って言われるくらい神作家になれればいいんですがね。全然だめ。
私がなんでイベントでるかってのは、まず第一に欲しい本があるから。締切がないと自分の本を出せないからイベント申し込んで退路をふさぐ。あとは実際に自分の本を手に取ってくれる方見れるの嬉しいし、隣のサークルさんと仲良くなったりできるから。
でもさーいまはもうツイッターで友達できてていまさら輪に入れないんだよねぇ。イベントで出会いを求めるのは間違ってるのか?
ツイッターだと相手の顔見えないからどんなトーンで話せばいいか、距離の詰め方とかわかんない。SNS弱者。だからこそ作品で勝負!ていうか、こんな素敵なの書いてる人と仲良くなりたいって思ってほしい。いやここまで自分で書いててわがまますぎて笑える。自分はなにもしないでまわりから話しかけられたい褒められたいってどんだけ受け身だよって話ですね。
前置きが長すぎた。
嫌いな人の話。嫌いっていうか嫉しすぎる人。
その人はめっちゃうまい小説書く(しかも友達も多い)が、「もっと感想欲しい」「みんなお世辞だと思ってる」「自分の小説はだめだ。下手」「うまい文字書き摂取したい」みたいな自分の小説を卑下するようなこと言う。じゃあそれ以下の評価しかされてない私は一体なんなんだ!?って鬱ってしまう。感想だってめっちゃもらってるのにそういうこと言うの感想送った人にたいして失礼じゃない?自分の書いたものを正当に評価できないのはわかるけどいいねとかブクマとか数値化されて目に見えて評価されてるんだからそういうこと言わんでもよくない!?嫉妬に狂って毒マシュマロ送ってしまいそうだよ。
その人さ言葉のセンスがすごくて私がじゃ絶対に思いつかないような表現で殴ってくる。すごい。でも書いては消すっていうか、ちょっと書いてみた〜ってツイッターにあげてみんなに褒めてもらって、でも続きは思いつかないから書かないって平気で言う。私だったらちょっと反応もらえたら嬉しくて何がなんでも無理してでも書き上げようって思うのに。
書き上げてアップするとか、本にしてイベントで売るっていう発想もないらしい。感想欲しいってことは承認欲求はあると思うんだけど。本出せばいくらでも感想もらえるだろうに……。なんでそこでやめれるんだろう。
私が彼女くらいの表現力、言葉のセンスがあればイベントでて本にしてみんなに褒めてもらって、また調子乗って本出すよ。
書けば絶対に感想もらえるのに書かないで、ちょっと書いて褒められて、でも書かなくて。みんなが本出してくれること期待してる人が書かなくて、誰も待ってない私が命削って本だしてるのなんかたまに馬鹿らしくなる。私の印刷代全部上げるから本だしてくださいって土下座したいくらい。そのほうがみんな喜ぶのは目に見えてるし。
でない神本より、でたくそ本っていうけど、でもでた神本だったらそっちのがいいわけじゃん?
まあその人はどんなに魅力的な文章が書けても小説を最後まで書き上げる能力、本にする能力がないってことで、その点においては本出した私すごいじゃんって慰めてる。逆に誰も待ってないのに命削って本出すってドMじゃん。感想フォームのQRコード載せても感想来ないのに本出し続けてるってある意味才能じゃん?
他にもツイッターでSS書いてるいいねたくさんもらう人いるけど、本だしたいって口ばかりでだしたことない人多い。
実際本を出してる分、その点においては私のほうが優れてるって自分を慰めてるけど、そもそもそんなとこで勝手に優劣つけてなんとか相手を下に見ようとしてる私ってレベル低いな……。性格悪い?っていうかなんかもうダメ人間すぎて自己嫌悪の嵐。なんかもっと素直な人間になりたい。同人って趣味だし、楽しいから書く!本をだす!以上!!って感じで生きたい。
同人活動ってか、ツイッターで交流しようとするのがむいてない〜〜〜〜!!!!
承認欲求ありありのくせに、そこまで上手な小説も書けず、でもプライドだけ人一倍の人ってどうやって自分納得させて生きてる????そんな人間私だけなのか……。