はてなキーワード: 北側とは
盛岡八幡宮境内にある Ingress の Mission 「盛岡八幡宮クイズ」(初級、中級、上級)は境内にあったクイズの答えが書いてあった由来書きがなくなっていたりネットで検索しても出てこなくて答えが分からなくなっているのでメモとしてここに残しておきます。
https://intel.ingress.com/mission/4886164f3a5d45f5b24029ed8d21b4f9.1c
Q、盛岡の総鎮守とされるこの盛岡八幡宮ですが、この盛岡八幡宮のシンボルともなっている社号標にはなんと記されているでしょうか?
Q、五臓の神、癌神、中風神、健康神、生命神、薬神など、健康にまつわる神々が祀られている健康神社ですが、神社横にある案内に記されている人生において「悪である」ものは
A、病気
Q、この高部神社と包丁塚ですが、高倍神社に祀られているのは何の守り神?(二文字)
A、料理
Q、この八幡宮の例大祭は毎年9月に何日間開催されるでしょうか?(数字一文字)
A、4
https://intel.ingress.com/mission/26bab5647322429aac96812e08b96b57.1c
Q、この大鳥居の横にある八幡宮社号標ですが、この社号標を書いたのは誰?
A、わらじ
A、6月15日
Q、この八幡宮前の広場ですが、流鏑馬奉納の為北側大鳥居から大鳥居までかなり長く広い敷地が用意されています。さてこの長辺の長さはおよそ何間
A、220
https://intel.ingress.com/mission/26bab5647322429aac96812e08b96b57.1c
Q、この大鳥居の横にある社号標ですが、書いたの方は、皇太子妃雅子さまのどの続柄にあたる方でしょうか?
Q、この健康神社には様々なけんこうにまつわる神々が祀られていますが、五臓の神、肺神、肝神、腎神、心神あと一柱は?
A、脾神(ひしん ひぞう)
Q、毎年開催される例大祭で奉納される包丁式では、調理人は、魚に手を直接触れず、何をかけない?
A、息
街に外食が牛丼チェーンしかなかったら、つまりは女性向けの外食がなかったら、差別なんだろうか? 差別的なんだろうか? という思考実験をしてる。
ある男性主導の文化を持つ社会において、「女性は外食をすべきではない(はしたないとか、まあ思考実験なので適当な理由で)」みたいな行動規範があって、女性はそれに反抗しても変更不可能なら、それは差別に当たるんだろう。
一方で、そういう行動規範は別にないんだけど、ただなんとなくないだけなら差別じゃないよなな?(自信ない) でもそういう場合は、女性顧客の潜在ニーズがあるから、ビジネスとしてはブルーオーシャンになって誰かがコメダ珈琲をつくるように思える。
ただ、後者の社会においても、女性の収入が男性の1/10みたいな状況があったとして、その場合女性の消費力は男性の1/10なのだから顧客としては魅力的ではない。結果として女性向けの商品開発(とか店舗展開とか)が遅れることはあり得るだろう。
日本の近代史において女性はやっぱり男性より(1/10ってほど大げさではないけれど)収入が低い。それでもマーケティングは女性をねらえ! とばかりの風潮だったのは、理由としてふたつあると思う。①可処分所得は相対的に男性より低いんだけどそれ以前と比べれば格段に伸びてきていたので、女性向け商売は昭和以降「新しい市場」だった。②女性の可処分所得とは無関係に、男性の可処分所得の消費先決定権を女性が持っていた(デートやら家計やらで)。
最近は②が後退中に見えるので、市場における女性マネーのインパクトは低下していくんじゃなかろうか。つまりは牛丼Win。いや、女性の一人牛丼は美しいと個人的に思ってるけど(そこは本筋じゃない)。
なんでこんな思考実験をしているのかって言うと、例のアレのアレの影響は確実にあって、それについて考える仮定で、「女性は恐怖を感じてるんじゃなかろうか?」と思ったからだ。それは彼女らがいうような「男性は全部性の獣でわたしらを狙ってる」みたいな意見ではなく、もっとべつの、つまり「女性はこの社会の中でマーケットカラーの意思決定者という地位から追い落とされるのではないか?」とか、もう一段階抽象化すると「女性の意見が通らない社会になるんではないか?」みたいな。
その恐怖に対する抵抗とか、自分たちの「パワー」の確認のために、NHKに抗議入れようずとかラノベを撤去させようず、ってのは、もちろん頭がすごく悪いと思うのだけど、一方でその背景にある「社会において無視されるグループになってしまうのではないか?」という恐怖は、想像できなくもない。いっぽうで、オタクサイドもその恐怖(歴史的に見て無視され権利を踏みにじられて北側なので)があって、つまりは恐怖バトルになってたってのも、まあ分かる。
別に落ちはないんだけどね。あと、地方都市の話で言うと、牛丼チェーンのない街(っていうか駅前)って割と多くあると思うけれど、ファミレスのない地域って殆ど無いわけだから、心配無用だと思った。つまり未だにマジョリティは家族連れなんだね。ファミレスは家族連れという目的をわすれずに、なおかつ営業途中のぐったりサラリーマン(単独行動)や、早朝モーニングに集う近所の老人会朝会議や、幼稚園のこどもを連れたママ友会とか、あきらかに試験前の付け焼き刃勉強をする学生グループや、怪しげな不動産や暗号通貨の勧誘トークをする個人事業者などを受け入れる、懐の深い業態だということだ。最近擬似居酒屋みたいにアルコールメニュー増えたしね。
でもなあ、ラディカルなひとたちってファミレス行かなそうだしなあ。いいとこなんだけどなあ。
論理ベースの意思決定でわからん殺しされるのもいるだろ。優生保護法で去勢された人とか。
確かにこの点は認める。
ここは逆で近似値にしかならないと思うけどね。誰か一人の意志がテレパス的に他人の意志を押さえつけるってことは不可能なわけで。誰か一人の意志に沿っているように見えても、その他大勢がその一人に従おうと思っているからそんな風に見えるだけ。すれ違ったり勘違いだったりするのはそこから外れてしまった人な。
で、本題。
でも、その共通ルールの論理が理解できない人はどうすんの?って話なんだけど、まぁ個別にルールの外でフォローしてあげるしか無いのかなぁというのが別ツリーで話して出た見解。
一方補足。
感情には共感という能力があり、厳密な共有はできなくても近似値ぐらいまでならいけるでしょう。そして、意思決定のための共有であるなら近似値でも十分。
それで爪はじきにされる奴がいる、理解すらできない分からん殺しになるってのは「共感」が不完全だということだろ。
厳密な共有ができないから明文化もできず閾値が常に変化し続け安定など望めない。
しかも論理と違って文化の影響をもろに受けるから集団VS集団を解決できない。
何より危険なのは「近似値である」ということを証明できないってこと。
感情は共通ルール化できないが、論理はできる。この一点だけ見ても論理を尊重するべき。
ここで、感情ベースの何かをもっと尊重するべきじゃ無いかって話。アメリカでトランプ大統領が勝ったのも、理性の側が感情ベースの何かを甘くみすぎたのが遠因だと思ってるんだよ。
これは違うと思う。
環島っていうのはこれ↓
https://taiwanisshu.asia/taiwanisshu-web/
環島用のルートが制定されていることもあって、日本からの観光客もやっている人が多いが
本やブログでは「自分頑張った!」的な内容ばかりで、よくわからないことだらけだったので参考になればいいなと思いメモ。
ちなみに行ったのは先月。
トラブル等もあったので8日間くらいかけて踏破(ただし、2日間は電車になってしまった)
あと、個人の感想なので、信用しすぎないでほしい。
なんだかんだでものすごく悩まされたのが天気。
現地のテレビの天気予報を見ても、晴れと曇りと雨と雷のマークが1カ所の中に全部出ているなんてこともあり全部役に立たない。
対処方法としては、「朝早くスタートして、夕方前にはゴールしている」ようなスケジューリングを組むこと。
朝は比較的天気が安定しているけど、夕方になると毎日のように激しい夕立がある。
暗くて大雨よりは明るくて小雨の方がまだマシ。
自転車道といっても車道のサイドに自転車専用レーンがついているだけなので、夜の雨は怖すぎる(そして気分も落ちる)。
ブログとか読んでいると「毎日快適に走れました!」みたいなことを書いているけど、思ったより…
台湾の北側は台北、新竹、台中、高雄など大都市が集中しているので、信号が多い。
自転車用の停止線はあるけど、原付も共用だから原付に思いっきり囲まれる。
台北から反時計回りで出発したんだけど、初めは川沿いの完全な自転車道だったから快適だった。
その自転車道を出た後はなかなかひどい。
環島用の道路は基本的には標識があるので迷うことはないんだけど、ごく稀に工事をしていて通れない。
そして、回り道がどこなのかが書いていないことが多い。
(書いてあるのかもしれないけど、地図はなく文字だけなのでわからない)
また、三貂角灯塔近辺の道は環島用の標識のとおりに行くと、漁村へ寄り道するだけなので
線路を跨がなければいけないところは立体交差になっていることが多く無駄な坂が発生。
荷物をいっぱい積んで走っている身としては辛い。
毎日毎日、セブンイレブンかファミリーマートかハイライフ(台湾のコンビニチェーン)にお世話になっていた。
トイレも貸してくれるし、疲れたならアミノバイタルを買えばいい。
塩分のタブレットも売ってたし、場所によっては空気入れを貸してくれる。
何よりいいのが、コンビニは基本的にはガラス張りなので自転車の盗難を見張れること。
町の食堂は「台湾きたな!」っていう気分にはなるけど、牛肉麺ばかりなので飽きる(偏見かも)。
これ以外だと50嵐やCOCO都可のようなドリンクスタンドにもお世話になっていた。
環島の自転車道と並行して電車が走っているので、どうしても疲れるようであれば電車に乗ればいい。
輪行バッグなしでも電車に入れられるけど、対応している電車が日に数本しかないので事前に調べておいた方がいい。
(ググれば詳しく書いてあるブログに行き着くはず)
自転車留めが車両の中にあるタイプ、自転車を詰める貨物車があるタイプ、一般車両にそのまま入れるタイプ(自転車留めはない)など様々。
予約時に自転車があることを事前に言えればいいが、言えなかった場合でもどうにかなった。
環島用道路近辺のホテルは自転車の扱いに慣れているのか、みんな室内に停めさせてくれた。
長期で行っていると、汚れ物がたまる。
(雨でぐしょぐしょになっていることも多いし)
それなりに大きな都市は24時間営業のコインランドリーがあるから、そこまで衣類の予備は必要ない。
環島用道路を大荷物乗せて走っていると声をかけられることがある。
ただ、日本人だと思われていないので、魔法の言葉「我是日本人(Wǒ shì rìběn rén)=私は日本人です」を唱えるといい。
また、対向車などに「加油(Jiāyóu)=ファイト!」と言われたり、サムアップされたりする。
台湾の方々はとても人懐っこく、親切。
ものすごく助けられた。
個人旅行で行っていたのだが、某G社がサポートする環島用のツアーに参加している人とかち合うことが多かった。
傍目から見て、「とても甘やかされていて、こんなので1周したと言えるのか…?」といった様相。
まず、彼らは荷物を持たない。
着替えなどはサポートカーに積んでいるし、そもそも自転車のリペアグッズとは無縁。
大雨が降れば、自転車に乗らずサポートカーが適度な位置まで運んでくれる。
疲れた時も同様、運んでもらって進めばいいじゃない!という感じ。
ある程度のロングライドができる体力があり、パンク交換などリペアの最低限の知識があるのであればツアーでなくても問題なし。
宿はBookingなどで予約すればいいし、地図は標識とgoogleマップでどうにかなる。
致し方ない車体トラブルが起きれば駅まで徒歩で行き、電車に乗って大都市の自転車屋さんに行けば済む。
ツアーは体力がない、ウェブリテラシーがない、だけど「環島したよ!」って自慢したい人が参加するものだと思う。
ちなみに、ツアーに参加すると太るらしい。
1日8時間自転車に乗ると約2000kcal、基礎代謝が1500kcalだとすると1日3500kcal以上摂取してやっと太ることになるのだが…察してほしい
日本の学者や専門家もまさかこんな事になるとは予想していなかっただろう。
金正恩は正男を暗殺したり叔父を処刑したり非常な人間だと思われがちだが、そもそも金正恩が今まで処刑してきた人達って前最高指導者の金正日から側近的な事をやっている人達なんだよね。
息子が世襲して国を変えたいと思っていても旧世代の人達が国の重要部にいる限り無理なんだよ。
先進国みたいに選挙があるわけでもないから国を変えたいと思ったらそういう人達を消すしかないのよ。
舐められないように核を保有してかつ改革(処刑)を行い結果今回の南北首脳会議が出来るまでに整えたんだよ。
文在寅韓国大統領が軍事境界線で「私はいつ北に行けるのか?」と言った時に金正恩は「今でしょ!」といい手を繋いで二人で北側へ行ったんだよ。
神戸のクリスマスツリーの件で思い出したことをダラダラと書き殴っていく。
当時自分は専門学校生。高円寺のとある商店街の飲食店でアルバイトをしていた。
クリスマスシーズンに店長は1~1.5mくらいのなにかの針葉樹の鉢植えを買ってきて、ツリーの飾り付けをした。営業中の店内は暖房で乾燥しタバコの煙も充満。
植木には過酷な環境だった。水やりをするくらいしか世話もできなかったが、一ヶ月あまりのクリスマスシーズンをその木は枯れずに乗り切った。
クリスマスが終わると店長は飾り物をはがし、裸になった鉢植えの樹を指差し、粗大ゴミ※に出せと命じた。
は?生きてる木ですよ?なんで捨てるんですか?しかも粗大ゴミってなんなんですか?捨てるならなぜはじめから造花を買わないの?
怒りで目がグルグル回った。一通り抗議したが無駄だった。十人ほどの従業員のなかに賛同するものはなく、ただドン引きされた。
誰か別のアルバイトが街角の粗大ゴミ置き場に木を持っていった。
収集日まで数日の猶予があることを確認し、翌朝レンタカーを借り、荷台にツリーだった木を横たえ、環七、目黒通り、環八、第三京浜から横浜新道を通って、藤沢の実家までひとりで運んだ。
親に頼み込んで北側の庭に植えてもらった。幸い根付いた。強い木だった。今も生きている。立派な枝ぶりになった。垂れ下がるような茂り方なのでモミではなくトウヒのような気がする。庭木なので植木屋さんに剪定してもらっているから樹高は二階の屋根より低くなっている。あと100年生きるのだろうか。自分の死後こいつはどうなるだろう。
クリスマスが終わればゴミとして殺される木はあの頃も今も、毎年何万本も存在するのだろう。
バブルの頃から時代は流れ、サステナブルとか自然との共生とか生物多様性とか言われるようになったけど
今回の神戸のツリーのニュースを見た瞬間、あの高円寺のときと同じ怒りがふつふつと沸き上がってきた。なにも変わってないじゃん。
いやもっと悪いよ。鎮魂とか復興の象徴とか輝けいのちとか、心にもないお題目ならべてるところがね。樹の命なんて毛ほども考えてないくせに。
いっそ正直に、集金集客のため大木を引っこ抜いてツリーにするけど用が済んだらバラバラにして売るからね、樹には被災者の鎮魂のための生け贄になってもらったってことでいいよねって言ってた方がここまではムカつかなかったよ。
でもしかし割り箸だって材木だって同じことだろう?いや同じだろうか?間伐材は仕方ないよな?
食べる野菜はどうなんだ?牛や鶏は?かわいそう?矛盾してないか?
ずっとずっと、考えてきたが答えは出ない。
他の生き物の命を奪わないと生きていけないのに
時として他の生き物に愛着を持ってしまうのはなぜなのだろう?神が与えた罰なのか?
人は生きていくために樹木の命をもらってきた。雨露しのぐ快適な住居のため。暖をとる燃料のため。箸や器、さまざまな家具や道具。
集客のためという経済活動、お祭りで神に供える宗教的行為も広義では生きていくために入るのかもしれない。
イベントで巨木を抜いた。乱暴なやり方だしたぶん枯死するよ。でも経済活動のため。うん、それはわかるよ。時には仕方ないよね。
でもどうしても腹が立つんだ。理屈じゃないんだ。抑えられない怒りがこみ上げてくるんだ。DNAに刷り込まれたアニミズム、精霊信仰なんだ、きっと。
少数派か多数派かはわからない。今はネットで自分に近い意見を探せる時代だから多数派と錯覚することもできる。
古いものには霊魂が宿る。老木は神になる。長生きした猫は猫又になる。(なってほしい)うちも築100年を越え、梁に愛国婦人会って金属のステッカーが貼ってあるけどなんなのこれ。よくわからないけどこわくて剥がせない。
栗の柱は黒くてつやつや。100年前にうちを建てるために先祖が殺してごめんなさい。これからも大事に住むから許してください。
クリスマスツリープロジェクト反対署名のサイトも見た。7千人以上集まってるじゃないか。すげえ。
結構いるんだ。自分だけが頭おかしい人なのかとずっと思ってたよ。
経済学者が、コピーライターが、役人が何を言っても変えられないよ。
土着信仰だ。原始人だ。老害だ。田舎者だ。うん、その通りだね。嗤いたければどうぞ嗤って。
店長は売り上げをちょろまかしていたことがオーナーにバレて闇社会の人に追われていると聞いた。
そのオーナー自身も千葉でのゴルフ場開発にからんだ揉め事で商店街のビルを手放すことになった。
糸井重里はバブルのころからあんなだったし、自分も上で書いた通りあの頃と同じだ。
時代が変わって糸井のやり方は受け入れられなくなってきたのだろうか?
もう少し推移を見守ろう。
※当時はごみの分別は今よりずっとゆるかったし粗大ゴミも申し込み制ではなかった。確か。(あるいは資源ゴミだったか記憶が定かではない)
11/30追記 署名8500人越え。樹木の一部を使ったバングルを販売する予定だったフェリシモは、販売中止を発表。主催者は後出しでいろいろ発表。当初は「植樹」と言っておきながら「移植は無理だった」ウソつきか。知ってた。あと、樹木の命について考えるきっかけを与えてやった、みたいなことを言ってやがるのも腹立つ。こちとら1970年代から今日まで考えてるわ。答えは出ないがな。
12/1追記 「嫌なら見に来るな」あ?公園に晒しといて何いってんの?・・・急に署名が増えて1万人越えに…まとめサイトおそるべし
12/2追記 1万5千人