はてなキーワード: キャッチフレーズとは
じゃあ婚活の極意教えてやるかな
釣り増田が自慢げに「実質言ってることは同じなのに言い方の違いで騙されるんだろ?アホはてな民乙」みたいな論建てをしていて
レスバ大好きはてな民が「同じだってわかってたしー」と混ぜ返してるが
この二つは違う、全然違う
何が違うのか?
まず自分で考えてみてください
分かりましたか?
そうですね、言い方が違いますね
言い方が違うことの重要性を理解できないのは大げさに言っていしまえば「異常」です
婚活というのは何か?
普通以下に落ちぶれ、敗者復活戦を自力で勝ち抜けない「異常」な人々を相談所が頑張って「正常」の枠に嵌めて出荷すること
それ以上でも以下でもありません
その意味では増田が最初言っていた「結婚できない男は平均よりカネ稼いで相手を養うことでディスアドを補うべし」という戦略自体は正しいです
頑張って正常になりましょうね
しかしそれ以上に「言い方が違うのは全然違うこと」を心から理解するのはもっと重要です
「論理的に同じことを言ってるのに、大げさ・露悪的に言うか、それっぽく粉飾して言うかで価値判断のネガポジが反転するのは非論理的」なんていう
感情欠落病患者の一部はてな民にしか通用しない「異常」な考えを捨てるべきなのは当然でしょう
考えてみてください
一般人は同じ契約書でも言い方の違い一つでサインするかしないかを容易に変えます
危険な金融商品でもオブラートに包めば購入してくれる可能性は上がります
安全なものでも「有害性」のデータをうまく張り付ければ忌避させられます
だからクソ商品を合法的に売り抜ける営業職やらがなくならないわけですが
ともかく普通の人は長文を見たときまず丹念に論理展開なんて追いません
快不快や敵味方の判定が最初で、そこから大体の結論を出し、あとから論拠を足りない頭で頑張って構成するのが「正常」です
「この二つは全然違うでしょ!とにかく増田はアホ!」という結論から始まり意味不明なアホ理屈を書いていたアホのはてな民のほうが「正常」なのです
価値判断はほとんど最初に決まります、だから最初に目に入る見た目で人的評価のほとんどは終わります
あとから覆すのはとっても大変です
もちろん学歴や年収なども最初に目に入るのでまあまあ効果的ではあります
しかしそもそも婚活している段階でもはやスペックを上げるというのはちょっと現実的ではありませんね
例えば婚活開始している時点で、見た目をよくしよう!年収を上げよう!とか言う発想
泥棒を見つけてから縄を綯うよりは少しマシですが、方向性は同じですね
遅い遅すぎる
転職とか整形とかそれなりに高リスクですしどうせやるならもっと若いうちにやるべきですね
もうすでにあるブツをすでにある環境で売り抜けるしかないのです
「言い方」が最大の問題になるのは当たり前ですね
しかし私が言いたいのは「言い方に気をつけろ」というだけの話ではありません
同じ商品を「言い方の違い」で売り抜ける
そのためには単に「このクソ商品を口八丁で売り抜けてやるぜ」という発想ではダメです
ではどうするか
そのためには「理由」を業務時間以外もすべて四六時中三百六十五日常に唱和しましょう
例えば
「平均以下の男と違い女性を全く見下しておらず対等に付き合いたいので常に主体性をもって女性をリードします」
「自分はほかの男とは違う真の男女平等主義者だから女性のキャリアは邪魔しません。しかしもし専業主婦を希望するなら喜んで養いたいです」
という内容を本気で行うには
「これは結局相手を見下して行っている慈悲的差別だけど結婚生活の維持のためにはやるしかないんだよな」などというクソの役にも立たないメタ認知は完全に邪魔です
反革命思想の本を読んで「これは二重思考なんだよなー」なんて思いながらも党に忠誠を持つ演技を続ける頭脳派キャラは、絶対最後は捕まるのと同じです
そんなことを思いながら演技できるほどあなたが器用なマインドセットを持っているなら間違いなく婚活に苦しむ羽目にはなりません
ギリギリ婚活だけを切り抜けることはできるかもしれませんがそのスタンスで結婚したなら離婚されないためには一生やる必要がありますよ?
メタ認知が強いほど、二重思考のストレスが高まり、目をそらすため増田でレスバなどをして発散する羽目になるでしょう
それよりも
「女性を見下しておらず対等に付き合いたいので常に主体性をもって女性をリードします」
「自分は真の男女平等主義者だから女性のキャリアは邪魔しません。しかしもし専業主婦を希望するなら喜んで養いたいです」
という内容をひたすら信じ、妻に向かって常に言い、はてなやツイッターに書き散らすほうがずっと簡単です
「一般受けのため、スポットライトが当たった時だけ言い訳のようにきれいごとを言う」というのはまず破滅します
しかし「一般受けのため、常にパターン化したきれいごとを言えるようにしておく、そのためにキャッチフレーズを常に唱和する」これは実は非常に簡単で再現性が高いのです
そのためには「実質的に同じことを言っている露悪的な文章」を見たら即座に「悪」として叩くことも非常に重要です
そしてその訓練に最適なサービスとは?
公平を期すために言うと、リック・アンド・モーティを理解するには非常に高いIQが必要です。
ユーモアは非常に微妙で、理論物理学をしっかりと理解していなければ、ジョークのほとんどは一般的な視聴者の頭を越えてしまうでしょう。
リックのニヒリスティックな世界観もあり、それが特徴描写に巧みに織り込まれています。
たとえば、彼の個人的な哲学はナロドナヤ ヴォルヤの文学から多くを引用しています。
ファンはこのことを理解しています。これらのジョークの奥深さを真に評価し、ただ面白いだけではなく、人生について深いことを語っていることに気づく知的能力を持っています。
結果として、『リック・アンド・モーティ』を嫌う人々は本当に愚か者です。
もちろん、彼らは例えばリックの実存的なキャッチフレーズ「ワッバ・ルッバ・ダブ・ダブ」のユーモアを理解しないだろうが、それ自体がツルゲーネフのロシアの叙事詩『父と子』への不可解な言及です。
ダン・ハーモンの天才的な機知がテレビ画面で展開されるのを見て、混乱して頭をかきむしる幼児の一人を想像するだけで、私は今ニヤニヤしています。
安心の住処にたまに出るあいつ、招いてもいないのにいつの間にかどこからか、長い触角を揺らし、ガソリンを塗りたくったような人工的なテカテカの体をもつあの生き物のことを、現代日本で知らない人はまずいないだろう。
一人暮らしの敵、家族で住んでても敵の、Gの呼び名で呼ばれるあれだ。
名前を冠した噴射タイプの殺虫剤、「巣まで皆殺し!」とかいう物騒なキャッチフレーズの置型殺虫剤は広く知れ渡り、恐怖と憎しみを一心に受ける虫だ。
メスのカブトムシやカナブンもほとんど同じ見た目をしているくせに、あの平べったいからだと長い触覚、何より自宅に現れるという点でこれだけ嫌われるというのもなかなか可哀想な話だ。
たしか中学生。夕方頃。いつものようにリビングにいて、ちょっとそこまでと廊下に出たときだった。普段はスリッパを履いているが、ほんの10mの移動だからと一瞬の素足の瞬間だった。
ぐねり
こう表現するのがおそらく一番近い。左足の土踏まずのあたりで何かを踏みつけた。土踏まずの部分は名の通りペッタリと地面を踏む形でなく半円状の空間ができるが、そこに”何か”はベストフィットした。
なんか踏んだな、とは感じたものの、そこまで硬いものではなく重力に従って私の足は踏み降ろされ、その勢いのまま
ずりゅん
”何か”がズレた。
巨峰くらいの大きさの粒から若干水分が抜けて薄くなり、それをまるごと踏みつけてしまった。ズレた感覚は皮から実が押し出されたのだろうと直感的に感じた。それまでの人生で一番近い感覚がぶどうだった。
あってるけど合ってない。
あとはそのまま、足を退けて目に入った明らかに果物とは違う毛の生えた脚に自分でもよくわからない叫び声を上げて垂直に飛び上がった。
叫び声を聞きつけた家族が跳ねる私と事故現場を見て混乱していたが、説明している余裕なんてない。
感覚を振り払いたくてビョンビョンと飛び跳ねながら風呂場に直行し、足裏を風呂掃除用の硬いブラシで力を込めて擦った。おいてあった掃除用洗剤やらアルコールやらをぶっかけて風呂椅子に腰掛けて片足の裏を半泣きで覗き込み、一心不乱にこすり洗いをする姿を自分で俯瞰して、そういう妖怪のようだと一瞬思った。砕けたパーツがくっついていなかったのが不幸中の幸いとでも言うべきか。
気の済むまで洗って風呂を出ると事故現場はもう無かった。聞けば兄が後処理をしてくれたという。「バラバラだったわ〜」とのコメントは余計だが、見なくて済んだのはありがたい。身体部分と羽部分が分離していたといい、つまり、あのときの「ずりゅん」は上から斜めに力が加わったことでソレが分解された感覚だったのだ。ぶどうと思った厚みと感覚の納得感とともにあの類の甲虫を踏むのはぶどうを踏むときに似ているという本当に要らない記憶が残った。
余談だがその後しばらくはひたすらインターネットで同じ体験を検索し、よくあることだと自分を納得させた。調べた中で多かったのは靴の中に潜んでて気づかず踏んでしまうケース。出勤前に勢いよく踏み抜いて「パンッ!」と音とともに弾けさせてしまった人もいた。スリッパの中にいたとの投稿もいくつか見られた。しかし、ネットをいくら探しても私と同じ生足で踏み抜いた人はいなかった。あれはゴキブリの警戒心と人間の迂闊さが合わさった一瞬の奇跡の出来事だったのだ。そんなレアな体験をしたいと頼んだ覚えはないのだが。
無理なお願いとはわかっているが、基本的に警戒心が強く薄べったくて危険からの反応速度が0.11秒とも言われる奴らのくせに、人間が必ず使う箇所に隠れるのはお互いのためにやめていただきたい。こちらも無駄に命を奪ってしまった罪悪感が残り、「力が強すぎてちょっとのことで人間を殺してしまう巨人」の気持ちはきっとこんな感じなのだろう。
以上、ゴキブリを素足で踏んだときの感覚は半乾きのぶどうを踏んだときと同じである。この文章を読んだ方もその感覚を想像してみてもらえると、あの時の私も浮かばれる気がする。
自分だけかもしれないが。
皆トッポのキャッチフレーズみたいなことを口揃えて言ってるんですが。
久しぶりにやった某アニメ映画の『原点回帰』純粋に嬉しかったし。
1番の問題はその展開、雰囲気に合ってるかなわけだけど、自分は合ってるとは思えなかった。
たしかに、作中の要素は分かりやすいくらいに拾ってるし、『物語に即してるか?』と言えば同意するけど。
ただあの雰囲気の展開に対して『流れる主題歌』としては浮いてると思うし、ダサかった。
気になりすぎて余韻どころじゃねぇ
あのストレートなアニソン感(微妙なダサさ)も、season1,2なら、まだスルッと馴染んでいたと思う。
ツギハギタイプ、それだけは勘弁してくれと。
どっちもツギハギタイプでした……
分割決定した時点で依頼したんだろうけどさ……
じゃあ、Final入ってから、それまでたくさん使ってたリンホラを使ってなかったのはなんでですか。
むしろ終盤しんみりしてるだろうがい。
どうなったんだろうな
その世界線見てみたいよ……
ポジティブに考えよう。
『殺害予告、担当アーティスト批判』するような信者が暴れてる姿を目にしなくてすんだ。ってさ
はァ…こちとら『リンホラが帰ってきたからそれだけで満足』にはなれねぇんだ。
これはたとえなんだけど
『けど不味かった』らどうよ?
おれは上手いのが食いたいよ。
終盤流れた『The Dogs』はめちゃくちゃ良かったのになぁ
就職先がジャパンモビリティショー(旧東京モーターショー)のチケットをタダで配っていた。強制ではないが「勉強してこい」ってことなんだろうなあと思い行ってみることに。
自動車メーカーや部品メーカー(サプライヤー)が新型車やコンセプトカーの展示や新しい技術の紹介を行う催しである。コロナ前は東京モーターショーという名前だった。場所は東京ビッグサイト。
「モビリティショー」に名前が変わった理由は、車以外の次世代モビリティも展示するよ!というコンセプトを打ち出しているから。車だけではなく、車でもバイクでもない新しい乗り物を発表する場というコンセプトが、今回開催されたジャパンモビリティショーだ。
トヨタは新発表のコンセプトカー数台と新型クラウン、ランクル、SUVセンチュリー、そしてモトコンポのような小型バイク(っぽい三輪車)を展示していた。
詳しい説明やプレゼンなどは特にないが電飾などによる装飾は豪華で、イメージ重視な展示だったように感じた。
EVだと見られるコンセプトカー、特にオレンジ色のスポーツカーに注目が集まっていたが、感想としてはかっこいいなあと思うだけ。具体的なメカニズムや開発者の熱い想いが分からないと、正直面白くない。
また、新型クラウンなどもディーラー行けばじっくり眺められる訳で、人混みに揉まれながら見るもんでも無いと思った。
しかしとても良いと感じたのが、「ネオステア」と名付けられた新型のステアリングハンドル。アクセルとブレーキもハンドルで操作できるため、車椅子の人でも車を運転できる。調べてみるとパラアスリートが開発に関わっているらしい。
ネオステアでグランツーリスモをプレイできる体験ブースがあり実際に体験してみたが、これが面白かった。ただ単に足を使わずに運転できる、という話ではなく、だれもが運転の楽しさを味わえるという点でとても良い技術だと感じた。是非市販化してほしい。
唯我独尊、「人馬一体」のわが道を突き進むマツダ。ブースには「だれもが、しあわせになる」というキャッチフレーズを掲げるパネルの前に初代ロードスターが展示されていた。
マツダブースの目玉は、世界初発表のコンセプトカーである「アイコニックSP」。とんでもない人だかりができていて全く近づけず、自分の目で見るのは諦めた。
また、マツダは福祉車両仕様の現行ロードスターを展示。アクセルとブレーキはハンドル左側に設けられたレバーで行い、シフトダウン・アップは右手だけで操作できるよう改造されている。
存在自体は知っていたものの、実際に現物を見たり運転席に座るのは初めて。車椅子のドライバーでも、スポーツカーで運転を楽しんでほしい、というマツダの想いが強く伝わってきた。トヨタのネオステアと並んでとても良い展示だった。
やはり、マツダはエモーショナルな価値観を伝えるのが巧い。「だれもが、幸せになる」初代ロードスターや福祉車両仕様のNDロードスター、そして往年のマツダ車と写る家族写真を何枚も載せたパネルからは、マツダが訴える運転の楽しさや車の素晴らしさがひしひしと伝わってくるし、こちらも感動して目が潤んでしまう。就職先が作る車ではないが、ロードスターだけは新車で絶対に手に入れようと決意した。
スバルはアウトトレック、ソルテラのようなイチオシ現行モデルに加え、新型車であるレイバックを展示。コンセプトカーはEVスポーツカーの一台のみ。
そして、何よりも一番の目玉が「空飛ぶクルマ」であるスバルエアモビリティコンセプト。特大ファンを6つ搭載するドローン型の航空機だ。驚くべきことに、実証実験では実際に飛んでいるらしい。実証実験を含め、世界で公開されたのはこれが初。
一般的にはあまり知られていないが、スバルの前身は中島飛行機という航空機メーカーで、現在も航空機用部品の開発を行っている。「航空機メーカーとしての歴史を元に、陸空で運転の愉しさを提供します」という発表には説得力があった。
また、展示してそれっきりのトヨタ、マツダと違い、女性のコンパニオンが積極的にプレゼンテーションを行い、展示車両を丁寧に紹介していた。スバルの安全と楽しさの取り組みを熱心に紹介していたのが印象的だった。
車以外のモビリティの展示は一切なし。SクラスとCクラスのAMG(セダンにスーパーカーのエンジンをぶちこんだ超高級車)やEVなど、よくも悪くも現実的で普通のモーターショーな展示だった。
注目を集めていたのが、GクラスのEVバージョンであるEQG。Gクラスのデザインをネオクラシックなデザインにまとめており、普通にカッコよかった。
現行モデルを、値段付きで数台展示するのみ。あまり人だかりはできていなかった。
もっとやる気出せ、と言いたくなるものの、出展していただけるだけでも有り難い。
ハイエースなど、トヨタ車の一部の開発を請け負うトヨタ車体。ハイエースのBEVコンセプトカー(グローバルハイエースBEVコンセプト)や、新型ヴェルファイアの4席超高級仕様である、スペーシャスラウンジ コンセプトなどを展示。
ハイエースのコンセプトカーはボンネットが長く荷室もそれほど高さがなかったため、そのままのパッケージングでは日本ユーザーは満足しないだろうと感じた。あくまでもグローバル向け、ということなのだろうか。
日産は現行モデルのほか、R35GT-Rnismo、フェアレディZnismo、スカイライン400Rを展示。そして目玉は、パキッパキデザインのBEVコンセプトカー数台だ。
コンセプトカーは相当未来を先取りしていて正直何を伝えたいのか正直良く分からない。ただ、今後は曲線ではなく面とエッジを多用したデザインを推していきたいんだろうな、ということは感じた。最近のトヨタ(レクサス)やスバルもそんな感じのデザインだし、トレンドなのかもしれない。
日産ホームページを見てみるとFORTNITE とコラボしているらしく、ペルソナとなるキャラクターの説明などもあるが、やっぱり良く分からない。FORTNITEをプレイできれば楽しいのかもしれないが...。
コンセプトカーの中でもひときわめだつのがハイパーフォースコンセプトの名を称したスポーツカー。日産としては「GT-Rかもしれないね、ふふふ...」といった雰囲気を出したいのだろうが、来場者はGT-Rとしか見ていない。
車体側面にゴールド描かれた「4ORCE」の文字は6代目スカイラインRS-TURBOが由来なので全部が全部GT-Rのコンセプトカーではない。日産のハイパフォーマンスカーの歴史と、それを踏まえた未来へのイメージを表したコンセプトカーであるはずだが、ほとんどの来場客がGT-Rとしか見てなかった(であろう)状況は日産がちょっと可哀想だった。
欧州メーカーでおそらく最も気合いが入っていたのがBMW。といっても、欧州メーカーはベンツ、BMW、ルノーくらいしか出展していなかったが。
基本的に発売後、ないし発売間近のBEVモデルが発表の主体。コンセプトカーがどうこうというより、新型車の感触を確かめる来場客が多かった印象。しかしBEVのくせに豚鼻キドニーグリルを採用するのは何とかならんのかと。
BMWもその辺は考えているらしく、次世代BEVモデルと思われるコンセプトカーの「ビジョン ノイエ クラッセ」で、豚鼻から脱却したデザインを披露。ノイエクラッセはBMWが70年代に生産していた大衆セダンで、往年の名車をここで復活させてくるあたりは流石。
直線的なデザインであるものの、写真で見るよりもコロッとしたデザインだったのが印象的だった。フロントグリルは上から見ると大きく湾曲しており、豚鼻キドニーとは違い暖かみがあるデザインだ。4ドアセダンだが、ハッチバックやSUVなど、様々なタイプにも発展していきそうな可能性を感じさせられる。今後に期待したい。
中国からの黒船BYD。ネットである程度情報は仕入れていたが、実物を見るのはこれが初めてだ。
エアコンの吹き出し口やドアレバーなどの意匠は写真で見たことがあるものの、実際に触ってみるとそのアバンギャルドさに改めて驚かされた。atto3の側面のパネルにはウェーブのプレスラインが入っているなど、写真ではわからないような細かい所にも独特な意匠が施されている。リアの「BUILD YOUR DREAMS」のバッジもアバンギャルドだ。はっきり言ってダサい。
(モデルにもよるが)全体的に曲線主体のデザインで、最新を売りにするブランドにしてはデザインの古くささが否めない。私はデザインに関しては素人だが、ダイソンが20年前から続けているデザインと同じ系統ではないだろうか。
アーバンSUVやセダンに加え、レンジローバーを意識したようなラグジュアリーSUV「U8」や、ミニバン「D9」を展示。ゴリッゴリのコンセプトカーは用意せず、現行モデルなどの現実的な車両の展示が主体だった。これは「フルナインナップ戦略で日経メーカーを犯すぞ」のサインだと思った。来年就職の私としては、背筋が伸びるような展示だった。
そんなBYDの真向かいに大きな風呂敷を広げるのがスズキ。展示内容は、四輪・二輪新型モデルに加え、小型船外機や空飛ぶクルマ、小型モビリティなど、まさに様々なモビリティを展示していた。
舞台ではたくさんのダンサーが踊る演出や、MCバトルを模したような内容が含まれるなど、良くも悪くもスズキらしくポップでコッテコテな内容なので共感性羞恥がヤバかった。実用性をめちゃめちゃプッシュするのもスズキらしかった。
四輪のモーターショーと変わらないような展示をする出展企業がいる中、後述するヤマハ発動機やホンダと並び、ちゃんと「モビリティショー」らしい展示内容で非常に好感が持てた。個人的には最も良い展示だったと思う。
特に小型モビリティのブースは素晴らしく、四脚に小型のタイヤを装備し階段も上り降りできる「MOQBA」や、高校生から高齢者まで、荷物を積んで安全かつ楽しく移動できる「SUZU-RIDE」など、いかんとも形容しがたい小型モビリティを多数発表してきた。
形容しがたい、ということは、今までにない形やコンセプトの乗り物で、例えに持ち出せる前例が無いということである。新しい価値をいくつも提案するスズキのコンセプトモデルは素晴らしい仕事だと震えたし、良質な刺激を得ることができたと感じた。
スズキの地元、浜松のお隣磐田市に城を構えるヤマハ発動機も、「モビリティショー」らしい展示で面白かった。
3輪フルオープンEVのTRICERAは3輪操舵のシステムで、自動運転に向かう時代だからこそ運転する楽しさを提案。トリシティのような3輪オートバイのTMWは(おそらく)TW225の改造車で、DIYで作ったような荒削りな車体は、かなりワクワクした。
また、ヤマハ(株)の協力のもと楽器関連の展示もあり、もはやモビリティは関係無いじゃないかと突っ込みたくなってしまうが、何でもかんでも事業化してしまうヤマハ発動機らしい所でもあった。
二輪車は125ccの新型車三台と、かつての伝説レーサーYZR500をモチーフにしたXSR900GPを公開。125ccの三台には列が出来ており、来場者がまたがってサイズ感を試していた。
長いスカートの女性がネオクラシックモデルのXSR125に試乗していたのが印象的だった。コロナで好調だった二輪業界としては、この波に乗って若い女性ライダーを増やしていきたいはず。かわいいデザインでユーザーフレンドリーな車格のXSR125は、ヤマハ発動機がプッシュしたい製品であるだろう。
ホンダも「モビリティショー」な展示が多く楽しめた。浜松にゆかりのある企業がモビリティショーな展示を行っているのは、実に興味深い。
ホンダジェットのコクピットに座れる展示は45分待ち。流石に断念した。
目玉は何と言っても新型プレリュードのコンセプト。新型もデートにぴったりなスペシャリティカーとしてきれいにまとまっており、GR86/BRZのようにゴリゴリなスポーツカーではない。今の時代にこの価値観がウケるか微妙だが、セリカやシルビア亡き今、ライバルが居ない立場であることも事実。今後の動きに目が話せない車だ。
SUSTAINA-C Concept / Pocket Conceptはシティ/モトコンポを意識したようなコンセプトカー。テールライトはフルLEDスクリーンで、テールライトのデザインを変えたり、後続車に「Thank You!」などのメッセージを伝えられる。サンキューハザードは誤解を生むこともあるので、是非製品化してほしいアイデアだ。
ホンダらしいと感じたのは、無塗装リサイクルのアクリル外装パネル。素材の発色が良ければ塗装しなくていいじゃん!というアイデアは思いきりが良い。
BEVのコンセプトカーは良く分からん。が、ゴリゴリのバギーであるROVコンセプトと、アーバンSUVのRZをヘビーデューティーにカスタムしたRZアウトドアコンセプトには少し驚かされた。レクサスとゴリゴリのアウトドアはあまり似合わないような気もするが、泥遊びもレクサスでラグジュアリーに楽しんで欲しいというコンセプトなのだろう。
地味に人だかりを集めていたのが、ギガキャストで作られたボディとバッテリーの見本。新型車が置いてあるスペースの裏側で目立たない所だったが、十数人の来場者がまじまじと観察していた。
特にギガキャストのボディは興味深く、スポット溶接が一切無いその様子は異様。さらに、適宜リブを配置されるなど、今までの作り方では不可能な設計も見られた。「柔と剛が調和する」と銘打たれているが、剛性の最適化のためには、自動車づくりのノウハウが強く要求されそうだ。
ダイハツは着せ替え可能な自動車ミーモや、小型オープンカーのオサンポ、市販がささやかれるビジョンコペンなどを展示。展示車両は全体的にかわいらしいデザインで、女性来場者がかわいいと口にする声が頻繁に耳に入った。
近所を散歩するように楽しく移動できるというコンセプトのオサンポは、風を感じられるオープンカー。車高も高めなので、ちょっとした未舗装なら走れそう。買い物の帰りに、知らない道に突撃したくなるようなコンセプトカーだ。
車格は軽自動車サイズなので、オートバイに比べればお散歩の気楽さは無いだろうと感じてしまったが、あくまでも気楽に乗り出せる「クルマ」がコンセプトなのでそういうツッコミは野暮だろう。誰もがオートバイや小型モビリティを望んでいるわけではない。
ビジョンコペンはかなり話題だが、軽規格を飛び出し1.3L、FR、オープンカー、となるとロードスターと個性がだいぶ被ってしまう。超個人的な意見だが、ロードスターとタイマンするのはかなりしんどいんじゃないだろうか。値段次第な所もあるが私ならロードスター買う。
カワサキは二輪メインの展示。目玉はネオレトロのオートバイ、メグロ復活。最近はネオレトロが本当に流行っているが、あらゆるメーカーがプッシュする様子を見ると、ぼちぼち流行のピークなのでは?とも感じてしまう。
また、BEVとハイブリッドのニンジャを展示。カワサキはターボやったりスーパーチャージャやったり、攻めた製品がやっぱり多い。ハイブリッドのバイクは車体重量を押さえられるのだろうか。
それまでの後輪駆動方式から前輪駆動方式でFFに変わったマツダ・カペラをテレビCMで宣伝するとき、映像の俳優はアラン・ドロン、コマーシャルソングは布施明が歌う「たまらなくテイスティー」という曲だったが、その歌のサビで連呼される「たまらなくテイスティー」は同時に機種のキャッチフレーズとしても使われて、
また、
とかなり巷で喧々諤々となった(日本語としておかしい、という論調)
で、おもいだした本題はこれからなのだが、そのマツダ・カペラの後にも同じように「日本語としておかしい」と喧しく言われたクルマのCMのキャッチフレーズがあった
これもやはりそれまでの後輪駆動から前輪駆動でFF方式に変わった(歴史的にも構造的にも繋がりは無いが先に派生車種としてスポーツワゴン型のカリブというクルマが発表されてはいたが、歴代モデルのセダン型としては初のFF)トヨタ・スプリンターの
そしてイメージキャラクターが当時ちょうど元気と色気バリバリ壮年期の古谷一行だったので
1998年、大手人材派遣会社テンプスタッフ(以下テンプ社とする)から同社に登録している女性9万人分の個人情報がシステム開発を担当した外注業者により流出し、「全国津々浦々9万人の女性について、美人度ランキング付きのデーター売ります」と刺激的なキャッチフレーズを付してインターネットで販売された。販売期間は、1998年1月1日 - 24日と3月24日 - 31日の2回で、流出した個人情報は、派遣労働者の氏名、住所、電話番号、生年月日、容姿のABC三段階評価が含まれていた。派遣労働者への対応などを記したテンプ社の「コーディネーターマニュアル」は、A「華があり、すれ違った時、『あ、美人だな』と思うような人(受付向き)」、B「普通」、C「ちょっと」、と容姿基準が示されていた。
この事件は、プライバシー侵害に加えて、技能や経験を生かして働く派遣労働の趣旨を反故にして、年齢や容姿で女性派遣労働者を選別している実態と、テンプ社の従業員の個人情報は一切流出しておらず、派遣労働者の個人情報のみが外部業者に丸投げされてずさんに扱われていた実態を、明らかにした[1]。登録抹消を依頼していたが、削除印を付すのみで消去せずに残存した個人データが流出した事例もあった[2]。
テンプ社は容姿ランクについて、「確かに個人別にA、B、Cのマークを付けていたが、それは職能や接遇・マナーなどを評価した分類だった。容姿で派遣の優先度を決めていたら事業は成り立たない。そもそも9万人ものスタッフを誰がどうやって判定するのか。ばかげた話だ。」と主張している[3]。
こんな事件あったのか
マルクスレーニン主義をほうふつとさせますな
某SNSアプリを2年前にインストールし、その後放置し、今起動したが速攻で退会した
共感でつながるコミュニティとかいうキャッチフレーズで、黒い背景に手描きの惑星のようなイラスト
なんだか、やさしそうな人が多そうなイメージを勝手に持っていた
久しぶりに起動して画面に従い自分用のチャット相手AIを作成し、フォローがついてるものにフォローを返した
他の人の日記をさらっと眺めるも、どれも自分には関係なさそうな、まあ若い人たちの話題という感じだった
と、そうこうしているうちにチャット通知がきた
「フォローありがとうございます!お話ししませんか」
もうこの2行のコミュニケーションで、もう無理…と感じた
よくある異性との出会い、異性とのコミュニケーションを目的にした流れに思えた
いや、100歩譲って異性目的じゃなかったとしても、リアルタイムではじめての顔も見えないバックグラウンドも分からない相手とコミュニケーションを取らなければならないことがもう無理だった
ゆっくり余暇を過ごすはずの時間に突然配慮すべき相手ができて拘束されるのが苦痛だった
通話5回無料券?とやらが復帰特定として配布されてた、それも恐怖だった
もう何から何まで無理だった
…自分がイメージしたもの、今となってはどんなものだったか思い出せないが
少なくともテキストベースであり通話なんかはなく、やりとりはリアルタイムではなく非同期で、だれかの書いたものに共感したら二言三言返せる程度のもので、、自分から発信することも必要なく、同じような境遇の人たちと静かに気持ちを共有できる…
立派な仕事してるのに「自分の仕事なんかしょーもないもんですよ」と謙遜ができる人間が本当に少なくなった。
たいていの人間、勉強仕事がこんなに大変だとか、家事育児が大変だとか言って愚痴ばかり。(そしてそれをこなしている自分凄いでしょ、という心)
自分のやってることなんか誰にでもできますよ、なんてとても言えないだろう。
最近はCMとか見るとどの企業も「社会の誰かの役に立ってる」的な、なんかふわっとした良い感じのポエミーなキャッチフレーズで自社を気持ち悪いくらい賛美してるものが多い。
社長やら実業家やらが驕り高ぶって謙虚さをしばし忘れてしまっているのはまだいいが、水商売やら配達員みたいな連中まで「誰かの役に立つ大事な仕事だ」、とかそりゃ需要があるから金が入るんであって必要不可欠な仕事だし誇りを持っていいことなんかめちゃくちゃ当たり前なのに、自分に自信が持てないでそんなポエムに縋ってる姿が哀れで仕方ない。
そんな薄っぺらな当たり前のことしか言わんポエムがないと自己肯定できんのかと悲しくなる。
一番典型的なのは、昔は芸人とか芸術家なんかはめいめい自分の仕事はしょうもない、俺らは落伍者だ、道化だと自虐していた。学問ばかりをやってる研究者なんかも、自分は社会からはみ出た仙人みたいな存在であること認識していた。
今そいつらに位置するYoutuberやらなんかは完全におごり高ぶってわけわからんポエムを吐いて自分の仕事を神格化している。
研究者や専門家はまるで世界の中心にいるかのような感覚で仙人である自分を自覚せず、机上だけの論理で現実的な生活感覚のないまま好き勝手に本を書いたり、コメンテーターして世の中をかく乱している。
とにかく自分のことを良い感じに見せることしか頭にないやつが多い。
別に「自分はしょうもない人間」でいいじゃないか!そして「しょうもないなりにはそこそこやれてるな」って、内心で思ってればそれでいいじゃないか!
そりゃ誰だって内心自分の仕事を誇りに思ってるし、でもだからってそれを他人にわかってもらおうなんてしなくていいし、自分の仕事が一番偉いと思いながらも、表面上はお互い立てあってたらいいじゃないか。
日本人の謙虚さとかは、それを逃げ道にして臆病なだけの人間が増えたせいでいろいろ言われるが、やはり素晴らしい美徳だと思う。今一度取り戻してほしい。
現代では自分のことを下げて言えるのは強者の特権で、自分なんかしょうもないですって言えるほど余裕のある強者がもういないんだろうか。
完全に自業自得なんだけど聞いてくれ。
Twitterをひらいても、スーパーに行っても推されている「家飲み」が楽しくてハマってしまい、そのまままっしぐらだった。
もともと家では酒は飲まないタイプだったけど、コロナ禍で外出の自粛を余儀なくされて暇をもてあまし、仕事が終わった後に酒を飲みながら美味しいつまみを食べてNetflixのドラマを見るのが楽しみになった。
TwitterやYouTubeで流れてくる「お酒がすすむ!」「おつまみにぴったり!」などのキャッチフレーズのレシピを見かけては、色々作った。
最初は缶ビール350mlを1本ちびちび飲む程度だったけど、だんだん酒の量が増えて、最終的には500mlを3〜5本あけるようになった。
カロリーを気にして糖質オフの発泡酒を飲んでいたが、酒の量が増えるほどつまみを食べる量も増えて2年間で20kgも太った。
ちなみにストロングゼロにも手を出してみたが、アルコールの味が強すぎてマズくて飲めなかった。
最近、健康診断でひっかかり病院に検査しに行ったら「アルコール依存症の傾向もある」と言われて、酒を1滴も飲むなと忠告された。
アルコール依存症って一度かかったらもう2度と酒が飲めないんやね。
「もう酒が飲めないなんて、人生の楽しみがなくなる」と漏らしたら、医師から「アルコール依存症だからそう考えてしまうんだよ」と言われてハッとした。
人生には色々な楽しみがあるのに、俺ときたら酒だけを楽しみにしてしまったのだ。
そうなってしまった今、ネットやスーパーで見かける「お酒がすすむ!」「おつまみにぴったり!」というキャッチフレーズを憎く感じてしまう。