最弱無敗の神装機竜みながら
「あの乳の下にある青い布はなんなんすかね?」
「腹巻?」
「あれアンダーバストから巻いてあってウエストらへんにベルトしてるけど、ベルトより上がぺろーんてなんないのかね?」
「コルセットみたいに爪でみっちり締め付けてあるんじゃない?」
「太ったり痩せたりしたら着れなさそうなのって成長期の女子に向いてない制服だよね。いやわかるよ乳を強調したいからアンダーバストから下のシャツを抑えたかったんでしょ。でもさーそれだったらもうちょっとやりようがあったのではないか。ベストにするとか」
「アーハイハイ」
「その点35試験小隊はホルスターの革紐みたいなん乳の下に巻いてて必然性があって良かった。乳の間に布が挟まってるのはいただけなかったけど」
「もうさー乳袋については諦めよ?」
「乳を強調したいならちゃんと布を描いて欲しいんだよねー。いやアレはそういう立体裁断されたシャツだと思おうとしたよ?でも落第騎士の英雄譚で姫がシャツ脱いだら胸の部分が全然立体的じゃなかったんだもん!乳を包んでた布どこいった!」
「わかった、わかったから」
まとめブログの影響力はネット上においてマスコミより強い影響力を持つことがある。特にサブカルチャー関連はテレビや新聞などで重点的に取り上げられることが少ない為、特定分野に関してはマスコミより強い影響力を持つことは間違いないだろう。
少し話を変えて、マスコミにせよまとめブログにせよ何らかの形で事実を婉曲して伝えることはよくある。例えば慰安婦や南京虐殺は朝日新聞による情報婉曲の例であるし、他には毎日新聞の変態記事などもこれにあたる。まとめブログの場合、元ソースが何らかのマスコミのネットニュースであることが多いため、既に引用元のニュースがマスコミによって婉曲されている可能性があるのに更にまとめブログ側が記事作者にとって都合の良い文面やtwitter、2chなどの意見を抽出し、更に歪んだ状態で配信する。
タイトルのはちま、JIN115はそういった問題行動の常習犯(他にはやらおん、ハムスター速報などが該当)である上にマスコミでもそうそうやらないであろう「twitterや海外サイトなどで拡散した真偽不明の情報をあたかも事実であるかのように伝え、間違いであれば口だけ謝罪する(ひどい場合は謝罪・訂正すら無し)」といった行動を何度も繰り返している。またそういうデマ情報は高確率で管理人の思想を後押しするもの、タイトルのブログで言えば特定のゲーム会社を必要以上に詰るものである。
・・・世界に対して日本という国の評価を下げるような蛮行を行った朝日新聞や毎日新聞と比べれば、特定の企業に対して親を殺されたかの如く批判的な記事を書いたり、デマにしても世界的にではなく、あくまで国内の一部コミュニティから評価を下げるに留まる記事を挙げるまとめブログはそれらの新聞社と比べれば可愛いものだ。しかし、特定の物を陥れようとする悪意の強さに関しては、新聞記者と悪質まとめブログ管理人、双方とも互角であると私は確信している。
朝日新聞「日本を陥れるために慰安婦や南京虐殺をでっち上げよう」
JIN115「任天堂を陥れるために(真偽不明の)情報を拡散したりネガキャンを誇張しよう」
表現こそ違えど、完全に嘘の情報を事実であるかのように伝えたり、事実かもしれないが必要以上に誇張した内容を自身の主張を通すために世間へと配信するその様はとても似ている。そして、極めて悪質だ。
この日記を見た人は、これからでもいい、悪質なまとめブログは「見ない、信じない、広めない」この三原則を徹底すべきである。twitterを利用している人はフォローを解除し、RTもしないべきである。気になったタイトルを見つけたなら、それに関連したワードを調べれば良い。情報の新鮮さが求められるまとめブログの記事であるなら、調べれば直ぐに元の情報が出るだろう。悪質なまとめブログに餌を与える必要はない。
※タイムスリップ仗助説とは幼い日に仗助を助けたリーゼント男が実は未来から来た仗助自身だったという一部の人に信じられてる珍説です
http://anond.hatelabo.jp/20160408000358
お前のこだわりを押し付けんな
仗助タイムスリップ説は荒木先生によって明確に否定されています
http://www.nicovideo.jp/watch/sm23997261 (12:45頃からリーゼント男について)
北久保「ちらっとフリが有ったじゃないですか。仗助が過去の自分に会うとか」
荒 木「ああ、あれは関係ないです」
荒 木「あれはただの仗助の思い出ですよ」
このように荒木先生はリーゼント男が伏線などではなく単なる仗助の思い出だと断言しています
伏線だったけど回収を忘れたんじゃね?
そもそも、名もなき不良が何の見返りもなく子供を助けてクールに去ったからこそ良い話なのに
実は単に過去の自分の命がヤバそうだったから必死になって助けただけで
自分の勲章の学ランをためらいもなく車輪の下に敷いてズタズタにしたのも
もちろん、こんな原作者に否定されている同人ネタを公式コンテンツがやる心配なんて普通はしないんですが
こんな原作者に否定されている同人ネタを公式小説書に輸入した自称ジョジョ好き作家が過去にいたんですよ
別にファンが同人小説とかでタイムスリップ仗助ネタを書くとかなら全然かまわないのですが
公式コンテンツが原作者に否定されている同人ネタを公式に逆輸入とかやっちゃダメです
アニメは漫画と違って声とか出るので、原作者の意向に沿ってちゃんリーゼント男と仗助がはっきり別人わかる描写がされると良いな
どんなに夢や目的を持って前向きに努力していても男と恋愛するとそれだけで自立してなくて、
逆にただ流されるだけでも男と恋愛さえしなければそれだけで「自立した女性を描いている!新しい!」とマンセーしてもらえるらしい
夢を持って頑張ってやがて王子様と結婚する、プリンセスと魔法のキスのティアナ→異性愛至上主義だ!ロマンティックラブイデオロギーだ!
王家に生まれてただ何となく後を継いだだけの、アナと雪の女王のエルサ→男に依存していなくて自立した女性像だ!
もっと前のムーランやジャスミンやポカホンタスだって自分で未来を切り開こうとしてたしさ
アナ雪ってそんなに目新しくもないのに異性愛がメインじゃないという『だけ』でこんなに持ち上げられるのは異常だ
男が女に奢ってやってまで飲みに行くのは、0.1%でもヤレルかも知れないという可能性のため。
本当に会話を楽しもうと思うならわざわざ女と行かずに男同士で飲みに行く。
仏教系だか儒教系だか、詳しくはないんだけどそういう方面の事のはずだよ。
北枕はダメとか畳のヘリを踏むなとか、理由がわからない禁止事項ってあるじゃん。ああいうのと根っこはたぶん同じ。まあ元をたどればちゃんと理由はあるんだけど、いずれにせよ宗教系の決まり事だね。
というわけで、この国にはその古い決まり事に縛られてる人とそうでない人がいる。で、縛られてる人の前でそのルールを破っちゃうと、もちろん法律違反なんかじゃないけどすごいイメージダウンになるよ、という程度のこと。
「去った者の事を悪く言うな」っていう漠然とした雰囲気?も、むしろこの「死者は仏様」ルールから派生したもののような気がする。
うちの会社が投資ファンドからTOBされて上場廃止されることになったんだけど、
上場企業じゃ無くなるし。
これらの審査って、上場企業勤務の方がスコア高いから今後は厳しくなる。
というデメリットは分かるけど。
結婚生活5年目。
付き合ってからの年月は7年になる。
結婚するまでは親に遊びの金を借りてまで、
「いまここ」の遊び(飲み)に浪費をしていた嫁。
ただそれなりに裕福な家庭で育ったからか、
ただ、それはいい。
百歩譲ってそれはわかっていて一緒になったんだから。
少なくて週2、多いと週4とか飲みにいっている。
ただ、ただの飲みならいい。
余裕でぶっちぎるし、夜中の3時に朝帰りの旨連絡があるし、
セーフティーネットをはって
俺から「そろそろ帰路につかないと約束の時間すぎますよ」と連絡しても、
そんな事が月に1度の頻度であり、
都度都度「俺はこのストレスに耐えられない」と言い、
嫁もその時点では涙を流して反省しているのだが、
結局それが繰り返される。
嫁は子どもが欲しいという。
無理だ。この状況では無理すぎる。
そんな生活が始まった当初は
本気で嫁がよりよく充実して生きられるように、
ただ結局、俺は嫁を受け入れるだけのその器になかった男なんだと、
いまは猛烈に虚しく、悲しくなってくる。
けなすわけでもないのにさー
もうadbkmとdl-xvideoを交互に見るのは飽きた。
そこであるところで聞いた話を思い出した。
アノンドハテァボ.jpというところで悩みを吐くと人知れずありがたいお言葉を残してもらえるそうだ。
私は一筋の光を頼ることにした。
ダメだ耐えらんねぇ。
おい、オマエの為だけに絶対やるまいと思ってた増田にとうとう初投稿だ。
いいか? ホリ電子じゃなくて"ホリ電気"な? ついでに言うと16年前に社名変更して今は『株式会社HORI』だ。
アーケードスティックって名前で家庭用に出してても、実際にゲーセンの部品作ってるって話は聞いた覚えがない。
アップライト筐体って意味分かってるか? もう小一時間問い詰めたいわ。(笑)
※04/11 00:36 訂正です。
申し訳ありません。三和精密ではなくセイミツ工業さんの間違いです。芝商事ってのもあるんですね…。
80年台は今より一回り小さいボタンで、反発の強い緩い凹面のボタントップを作っていたメーカーが有りました。
どなたか教えて頂けるとありがたいです。
「日本映画が面白くない」のは、観客を育てなかった当然の帰結 - あざなえるなわのごとし
こういう義心溢れるジャンルファンを装ったオポチュニストがはてなに沸く度に吐き気を覚えるんですが、互助会云々以前にこういうのどうにかしたほうがいいですよね。
とはいえ。
俺だってあまり邦画を観るほうではない。比率で言えば海外映画10本に対して1本観てるか観てないかだと思う。その狭い視点でいえば、観るに値する邦画はやはり少ない。しかしそれがクオリティの問題だと断言するほど自分に自信はなく、単に受け手としての完成の欠如、文脈の欠落があるだけなのかもしれない。
ともかく、褒めるにしろけなすにしろ、漠然と言及するよりは対象を明確にしたほうがいくらか生産的だと思う。
そういうわけでここ二三年で面白かった新作実写邦画を十本ご紹介したい。アニメ? 2010年代最高のアニメ映画は『たまこラブストーリー』だって言わなくてもみんな知ってるだろうから別に? いいじゃん?
菅田将暉がバカかわいい弟役なのでバカかわいい弟ファン必見だ。
ここで挙げる映画としては適当ではないかもしれない。監督こそ日本人だが舞台も製作も韓国。才能ある映画人が「日本で映画を作らせてもらえない」と愚痴りながら海を渡って取り上げたクソジャップファック映画であるからだ。
とはいえ、白石晃士は『コワすぎ』シリーズでの評価の高まりもあってか、最近再び日本での仕事を、それも比較的(ハンバーガーからチーズバーガーになった程度の予算規模だが)大きな仕事を任されるようになった。良い子のみんな、『貞子 vs 伽椰子』絶対観てくれよな!!!
本作はいわゆるPOVモキュメンタリー・ホラーの一つの到達点。
『桐島、部活やめるってよ』で華々しい評価を受けた吉田大八監督の最新作。
前作で描いた思春期における漠然とした不安から一転、中年期の主婦の不安定な欲望を生々しく切り取る。
とにかく宮沢りえがエロい。相手役の池松壮亮は本作と『愛の渦』でセックス俳優キャラを確固たるものとし、最近では寺島しのぶや斎藤工なんかとラブシーンやらされてる。
綾瀬はるか・長澤まさみ・夏帆・広瀬すず、と今日本で最もアツい若手女優四人のアンサンブルがグルーヴィーな姉妹映画。
ずっと一緒に暮らしてきた上三人に、ある日とつぜん末っ子として加わることになった広瀬すず。
彼女たちの距離感と関係性、そして姉妹を取り巻く「海街」の日常が瑞々しい。是枝裕和しか、日本でしか撮りえない日本映画の最高峰。長澤まさみは直球エロくて、綾瀬はるかはにおわすエロさ。
一人で頑張って頑張って頑張ってるんだけどもうだめだよ〜
ってなってる自家中毒コミュ症は今すぐ観るべき映画。おばちゃんのがっかりおっぱいも要チェキ。
『冷たい熱帯魚』以来のエクストリームサイコジャップマスカー映画。
リリー・フランキーとピエール瀧が大量殺人鬼コンビとなって世の弱者をぶっこみまくる。
だんだんと憔悴していく記者役の山田孝之もいい味出してる。池脇千鶴は特に脱がない。
ウルトラ低予算で頑張って作ってちゃんとめちゃくちゃ面白くなった地獄コミュニーケーション映画。俳優の一人がこの前何かで逮捕されてましたね。
キョロ充の辛さや居心地の悪さが『桐島』以上のリアルさと俗悪さで浮き彫りにされている下衆の極みエンターテイメント。
「何か新しい映画を見たい」ならこれをオススメする。観てる間ずっと背中に悪寒を感じるけれども。
女子更衣室を盗撮したことがバレて地元の学校をクビになった教師が十年ぶりに故郷へ戻ってきた。
彼のビデオにたまたま今芸能人として活躍している元女生徒の百合セックスシーンが映っていたことから事態はあらぬ方向へと転がっていくノワールコメディ。
アニメじゃん? って? ちげえよ。こんなモブが背景でガチャガチャうごいてるアニメがあってたまるかよ。
岩井俊二はファッキンサブカルファシストどものキングであり、我々の永遠の敵でありますが、ナチスドイツがリーフェンシュタール『民族の祭典』を、アメリカの人種差別が『國民の創生』を生んだように、彼らもまた日本映画の傑作を生んでしまったのです。
匿名でかつ時間帯こそあるけれど、誰かは必ず見てくれて今まで1人は必ずコメントしてくれる。
[ためになる]このタグ一つで書いてよかった。と思う。
というのも、今までブログを書いていて有益な情報を発信していた。調べるのも実践するのも好きだから。
いろいろ突っ込まれることを前提でエントリをぶちまけるので、忌憚ない意見が聞けたら良いなとおもっている。
さることの昨年九月、とある財閥企業グループの子会社に転職をした。
親会社にくっついたエンジニアリング会社といえば聞こえは良いが、要するに工事会社だ。親会社が不採算で利益率の低い部門を分社化しただけのことだ。
この企業に転職して数ヶ月、起こったこととそれに対する意見をぶちまける。異論、反論、大募集だ。ただし討論に興味はない。
思ったことをぶちまける代わりに、それに対して思ったことが返ってくることを期待する。
サマリーはおおまかにいって以下にまとめることができる。
①工事会社としての技術力とは一体なんなのか、それは情報漏えいを恐れるようなレベルのものなのか
②内部の人間同士で『人間性』に言及し始めるようなら、その組織は終わってる
③ドメスティックタイプの企業における『コミュニケーション能力』という名の限界
会社に入ってきて思うのだが、いわゆる施工規準や施工方法に関するデータの流出を上層部が過度に恐れているように思える。
しかもそれは本質的な『情報漏えい』に関する健全な怖れというよりは、子会社にありがちな親会社や風評被害を怖れての脊髄反射に見える。
PCをシンクライアントにするのは良いが、いくつかのクラウドサービスをアクセス禁止にするのはいかがなものか。はてはフラッシュメモリからフリーソフトのダウンロードまで規制されている。
顧客情報流出を怖れるのは良いとして、施工規準や施工方法に関する教育データぐらいある程度コピーして弊害があるか?
原価見積りに関するデータが流出することで、利益源泉が素っ裸になってしまうリスクは分かるが、正直言って建設業関係で中小のエンジニアリング会社に、セキュリティをかけてまで守る技術などない。
とてつもない機械をどっかから買ってきて、数値を入力して、資金力にものを言わせて人を雇って、膨大な工期を費やして建築物を完成させるというだけのことだ。
だいたいエンジニアリング会社なんて、自社の技術なんてなにも持っちゃいない。
太陽光発電事業者なんかがよく自らをEPC(エンジと調達と構築をワンストップで行う事業モデル)とか言っちゃってるわけだが
要するに知識と人員と情報収集力&編集力はあるから、必要なもんは金かけて集めてきて設計して作ってやんよ、っていうだけの話だったりする。
だからエンジニアリング会社がプラントに持ってく装置や設備のほとんどは、実は盤屋に筐体だけ作らせて中身は中小メーカーやどこぞの電子メーカー製品の寄せ集めだったりする。
ぶっちゃけ施工会社としてのエンジニアリング会社はエンジニアリングっつーよりはむしろ商社に近い。投資事業モデルを使ってないだけ。
客先常駐型の派遣モデルで収益を上げているが、結局設備そのものの校正やサービスはメーカーの技術者を呼ぶわけで、ビジネスの形が顧客との利益相反になってる。
これが例えばプロパティマネジメントのように、顧客の一部となって設備投資利益の最大化を目指す形ならばいざ知らず、結局は政府の公共工事に縋る建設コンサルタント業界とほとんど変わらない。
相手がメーカーに切り替わっただけの話で、二年三年単位で作られる景気を見越した設備投資計画によって投入された予算に従うだけ&なるべくその予算を多く取るために張り切るだけのビジネスだ。
現代における技術力の意味合いはどちらかといえばもっとサイエンスであったりコンピューティングなものだと思う。
少なくとも、いくら工事会社が『我々の技術力を守る』だのと言っても、そこに書かれていることのほとんどは日本の電気事業法だの高圧ガス保安法だのに則ったものを超えられないし、そこから幾らでもリバースエンジニアリングが可能なものでしかないと思う。
つまりなにが言いたいのかというと、会社のPC持ち帰れないんだから教育資料ぐらいクラウドサーバーにアップして家でテスト受けることを許可しろ。
職場で仕事の成果物に対する評価を下すならまだしも、従業員の人間性に言及が終始するような職場は終わってる。それは単なる噂話や陰口の温床だ。上司が部下の人間性に口を出す組織も終わってる。
コミュ障やアスペ、発達障害やうつ病についての言及をするような職場、とりわけそれを「脱落者」「人として未熟」という組織も同様だ。まず間違いなく組織として終わっている。
仕事をするにしても各自に割り振られたタスクそのものがなく、社内営業や油売りによって仕事を獲得するような組織だ。
指示系統にせよ、組織でありながら組織化が徹底されてない証拠だ。
誤解を怖れずにはっきり言うが、そもそも『人間性』に着目しはじめたとき、その組織もあるいはその人間関係もある意味で終わってる。
多くのビジネス書では地図よりコンパスの方が重要だとよく言われるが、はっきり言ってそれは嘘だ。
コンパスはたしかに重要だが、それよりも地図を手に入れることの方が先決だ。
コンパスは主観だが、地図は自分がいる位置を相対化して知る事ができる唯一のツールだ。GPSがあっても上空からの映像がなければ何の役にもたたない。
人間性を期待するべき側とそうでない側がTPOで変化する。また人間性の定義もTPOで変化するし、人間性を評価する人間もまたTPOで変化する。
そして多くの場合、人間の語る評価はポジショントークで、現代人は一個人でありながら日常生活の中でさまざまなポジションに立つ(親であり上司であり母であり父であり弟であり..)から、人間性の評価軸そのものが普遍ではない。
人間関係は一元的なものではない。人は誰と対面しているかによってコロコロと相を切り替えるので、ある人間から見た印象が必ずしも別の人間から見た印象と一致するわけではない。
しかもそれは個々の人間が持つ評価軸に連動しており、その評価軸は各々の視野・視座によって変化する視点であり、複雑系で曖昧だ。
『評判』そのものに実は信頼性などなく、『何故その人はそのような評価を下したのか』に着眼し、評価を下した人間の立場や背景にまで目を広げなければ、客観的な『結論』を得ることは難しい。
facebookの『いいね』の個数は重要ではない。『どこの誰が〝いいね〟を押しているのか』が重要で、さらに言えば〝何故いいねを押したか〟の方がもっと重要だ。
その理由の如何によっては、『いいね』そのものをデータの指標として無視するという選択すら十分ありうる。
ビジネスの現場において、始末書や反省文に人間性に対する言及があってはならない。
それはなんら解決にはならない。根本的な問題が仮に人間性にあるとしても、それを逆手に取って上手に外的要因に沿って問題に取り組んでいく以外に道はない。
上司がパワハラであるからといって、我々は生計を立てることを諦めるわけにはいかないし、部下や従業員が怠惰や傲慢であるからといって、具体的な目標を立てずにビジネスが進展することはありえない。
結論を言えば、『人間性』に言及し始めることは、ビジネスにおいて必須たる〝コト〟に向かう姿勢を歪める。
それが蔓延する組織は、組織化が上手くいっていないか、もしくはそのビジネスが限界を迎えているかのどちらかだ。
(※ 筆者の場合、所属しているのは子会社タイプの工事会社なので、ビジネスそのものが危うく、社内が内向きになっているのだと考えている)
阿吽の呼吸のことを『コミュニケーション能力』と呼ぶ時代はとうに終わっている。
すべては文脈と宣言型言語によって語られ、記述と構造化が優位に立つ時代になるはずだ。
曖昧さは削られていく。
世界全体で大きなストーリーが崩壊した今、ドメスティック企業において求められていた『コミュニケーション能力』を担保にした『仕事が出来るヤツ』『仕事が出来ないヤツ』の評価軸は揺らぐだろう。
なにが言いたいのかというと、現場ごとに施工ごとに異なる大同小異の部分で小さく競い合うのは不毛だし醜くてむしろ哀しくなってくるから辞めろ。
たかだが一つの装置の細かい機能に過ぎない部分で知識自慢と知恵比べをするのは不毛だから辞めろ。
文脈レベルでの競い合いなんざ無意味だ、職人同士の張り合いは趣味でやれ。ささやかな自慢なら良いが、無駄にプライドを持つと逆に扱いづらくで邪魔だ。