はてなキーワード: 眼鏡とは
一般論としての恋愛結婚っていうのは、「好きになったから→結婚する」という形式です。
しかし一方で、結婚相談所に行くというのは”結婚するために恋愛しに行く”場所ではないかと思うわけです。
そりゃ昔はお見合いという形で好きでもない人と結婚して、この後に関しては幸せになったり幸せにならなかったりしたんでしょう。
これも幸せになれないんじゃ自分の人生棒に振ってるようなもん。
で、この目的ありきの出会いっていうのがどうしても信用できない。
初対面の人の大半は初対面の時点で印象を90%程度決めつけるらしいですね。
つまり、先にスペックを要請される結婚相談所は既にスペックという色眼鏡が発生していることになります。
このスペックという色眼鏡が発生した時点で、玉の輿できるだろうかといった邪念が全く存在しえないとは思えません。
そりゃ当然社会的なステータスは大事ですが、そういうことでなく、
社会的なステータスを気に入ったことで好きになったと錯覚するのではないかというのが私の不安であり、信用できない理由です。
もう一つ気になることとして、気に入る条件(スペック)だったからと、本来どうでもいい性格の相手でも媚びを売り始めるんじゃないかという不安もあります。
なんだか変な文章になってしまいましたが、つまり、試しも行動もせずにこんなことをグダグダ言ってる時点で結婚なんて夢のまた夢だな、と思う童貞の独り言でした。
個人的に大好きな作品だが、学園艦という存在に対しては未だにモヤモヤする。
どこぞの誰かが私財を投じて作ったのが始まり、くらいの設定はあったと思うが、
劇中でもそれほど細かに説明がなされていないし、予算面、技術面での話もあまりなかった。
あれを最初にみたとき、H.B.ポーラスターかよ!と思い周りにも言ったものだが、
ツッコミのネタ元が2001年ごろ発売のエロゲーで、そこまでメジャーなメーカーの作品でもなく、
あまつさえ百合・レズゲーだったため、全くピンと来てもらえなかった。
それはさておき、いち自治体をカバーできるほどのデカさの船体ってどんな技術だ!
維持費いくらだ!そんなもん大量に作った国の予算ってどうなってるんだ!
そら統廃合の話も出るわ!大洗をピンポイントで狙ったのは官僚クソ眼鏡こと辻廉太の私怨だろ!
くらいは思うものだけど、その辺に対する熱心な考察はそれほど見かけない。
もちろん設定をわざと粗くすることで、わかりやすいツッコミどころとしていたり、
あるのだけど、一度気になってしまうと明確な設定が出てこない限り、その気持ちは収まらない。
なんていうも人いるけど、んな馬鹿なと思う。
面白かろうが面白く無かろうが、気になるところは気になるっての。
恋と嘘をみて、恋愛模様と主人公勢の抱く秘密との絡み合いが面白いからって、
政府通知周りの設定について気にならないなんてことありますか!
(以下続けると長くなるので省略)
変更前
すげー!!
変更後
茨城県美浦村で平成16年、茨城大農学部2年の原田実里さんが首を絞められ殺害された事件
捜査関係者への取材から、県警がフィリピン国籍の30代男を逮捕したことがわかった
未解決事件のNaverまとめを見るとこの事件が上位の方に出ていた。
元カレの男の家で酒を飲んでたのかな?たしか。男が酒に弱くて転寝してしまった深夜
彼女だけなぜか外出した。視力が0.1くらいしかないのにコンタクトも眼鏡もせず
裸眼で外出した。これが不思議だねっていう話になっていた。置手紙もあって
「ちょっと友達のところに散歩してきます」とかそんな塩梅だったと記憶している
最初この男(転寝君)がえらい疑われたけど証拠が積み上げられなくて放免。
それでも大学を中途退学したといううわさもある。とんだ迷惑だね。
フィリピン人と殺された原田女史は面識がないということになっているから
本当にコンビニに飲み物を買いに行くとかちょっと出かけている間に
外人の餌食になったいうことやね??
女の深夜独り歩きは気をつけなあかん。
昔から、勝手に顔だけで近しさのような何とも言い難い感情を抱いてた人らが、こんなに普通の顔だったっけか、と新聞のインタビュー写真二度見してしまうようなことがここ最近立て続けにあった。
平野氏、別に島田雅彦みたいなんではないけど穏やかでとっつきやすそうな丸顔になってたし、世耕氏はどことなしすっきりしてオタク感薄れてるし、ケラ氏はアク強いカエルのイメージが優しそうなおっさんに後退トランスフォームしてた。
ベニントン訃報から久しぶりに洋楽ニュースをスクロールしてたら気のいい兄ちゃんといった風情の黒髪、誰これ?うおっピート・ウェンツぅ?フォールアウトボーイの。ゴスって絶対顔面にコンプあるよなー、デブの方はよく見りゃイケメンだもんなと失礼にも思っていた10数年前から遠くここまできて、近所の三十路の善人感をスナップされたその笑顔をしばしぼんやりと眺めてしまった(その後引っ張り出して聴いた、シュガー、ウィーアー…)。
イケメン見てあーあ!と思う怒りのないまぜになったやっかみと同様に、才能も努力もあまりに及ばないであろうこの人らに、顔面は同じようなもんなのに!という嫉妬感じてたのだろうか?いやむしろハラハラしていたんだと思う、この顔を出して、非難されないだろうかという、それこそ自分の強迫的容姿コンプの内面を勝手に投影した思いで。メディアで顔見るたびちょっとドキっとしてたもんな。
そして非難されてほしいという、再矯正か自罰みたいな気持ちもあったんだと思うわ、今にして思えば。誰も彼をも自分の中で基準を容姿だけにおいて、知らず可・不可に選り分けていたんだな。
容姿ディスが日常の親の下でだいぶん強迫観念的に自分を卑下してて、無駄に卑下してるのは分かってたけど、周りの反応見るにそれが不当なものとも思えず、鏡の前、電車の窓に映る姿でいつまでもうだうだ己の顔を眺めていた10代、20代だった。髭と眼鏡と髪型で誤魔化し隠して防御して、今じゃいつの間にか気付けば鏡を見るのは顔洗う時と歯磨く時ぐらいに減っていった。ヒゲ可の職場でよかった。
もし今自分が高校生なら年中マスクしてる自信がある。ガエル・ガルシア・ベルナルの顔に生まれたかったと今でもふと思う。
宇多丸氏の映画評論が下品で、本人ごと嫌いなタイプだったんだが、CSのミニ番組で、10代の自分について、不細工で運痴で冴えない俺は映画館に座ってこの暗闇にこのまま溶けていきたかったという回想独白してたの聞いたとたん急激に好感度が上がったし(だが評論は好かんまま)、変態仮面の人、誰だっけ、鈴木亮平か、俺は顔で勝負するタイプじゃないんだと若いころ悩んだ末に悟ったとインタビューで語ってたり(いやいや明らか男前っしょとは思うが)、こう自信ありげな人が容姿について自覚してる過去を吐露してるの見ると誰であっても切なくなってしまう。
年取るとみなよい顔になるということもあるのか?人前に出ることが多いから顔がキリッとしてくるのか?写真に写るからには美しく撮るためのお膳立てにたけた様々な人が周りにいるのか?いろいろ謎。
社会的成功も、人を魅了する才能の生んだ果実の数も、美しい伴侶(世耕氏は知らん)も自分にはないが、単に彼らも自分も同じ分だけ年をとって、努力の多寡はあるかもしれないが足掻きはして、美醜より他に考えないといかんこと山のようにあって、人生でいろんな人間の顔を見てきて、皆よい顔に見えるようなここに立っているのか?まあこんなことたらたら書いてる時点で自分はコンプ吹っ切れてはないんだが、10数年前の、今よりずっとずっと悩んでたことと、他人を無闇に顔だけでジャッジしてたことを思い出して、なんかしんみりしたので書いた。いや違うな、「思い出す」ほどには離れてたのかと思って、そこにしんみりしたんだ。
この人らの仕事も性格も知らずに顔面だけうんぬんするなとか、この人らは別に不細工ではないでしょとか、偏見内面化を上乗せしたルッキズムの極みとか、能力があれば顔は関係ないなら能力ない不細工はどうやって尊厳保ってんだよとか思われるかもしらんが、それでも持ってる自分なりの自尊心とコンプとの長い葛藤というか、言及するために挙げてしまった、許してくれ
作者は女性。
オタクの恋愛話で、ディープなオタクの生態あるあるって感じでこりゃオモロイわ、売れるわ、っていう作品で今度アニメ化するらしい。
でもね。
この作品、ヒロインというか女主人公の「男性経験が豊富」って設定だけが何巻まで読んでも気に入らない。
ていうか、メインのカップルが女に都合のいい設定すぎて気に障るんですわ。
男の方は、顔は上等で眼鏡男子。ヒロインが初恋の相手で、後はずっと二次元の世界で生きてきたオタクね。
で女の方は、オタクは隠して男は取っ替え引っ替え。眼鏡男子のことは忘れてて、最近やっと付き合い始めたっていう状態。
この舞台、このキャラ、このストーリーだと、本当に要らないと思うわけ。
なんなら「男女関係で主人子が眼鏡男子に対して上から目線でマウント取れるようにするため」だけにある設定。
ここが本当に気持ち悪い。
ちなみにサブの樺倉小柳カップルは大好きだし、個人的には最も好きな光というキャラが幸せになってほしいので単行本は買い続けます。
(なおこれ書いてからAmazonのレビュー見たら似たようなこと書いてる人が沢山いた。でも問題はほとんど主人公だけに集約されると思う)
作者は女性。
オタクの恋愛話で、ディープなオタクの生態あるあるって感じでこりゃオモロイわ、売れるわ、っていう作品で今度アニメ化するらしい。
でもね。
この作品、ヒロインというか女主人公の「男性経験が豊富」って設定だけが何巻まで読んでも気に入らない。
ていうか、メインのカップルが女に都合のいい設定すぎて気に障るんですわ。
男の方は、顔は上等で眼鏡男子。ヒロインが初恋の相手で、後はずっと二次元の世界で生きてきたオタクね。
で女の方は、オタクは隠して男は取っ替え引っ替え。眼鏡男子のことは忘れてて、最近やっと付き合い始めたっていう状態。
この舞台、このキャラ、このストーリーだと、本当に要らないと思うわけ。
なんなら「男女関係で主人子が眼鏡男子に対して上から目線でマウント取れるようにするため」だけにある設定。
ここが本当に気持ち悪い。
ちなみにサブの樺倉小柳カップルは大好きだし、個人的には最も好きな光というキャラが幸せになってほしいので単行本は買い続けます。
(なおこれ書いてからAmazonのレビュー見たら似たようなこと書いてる人が沢山いた。でも問題はほとんど主人公だけに集約されると思う)
>そもそも最初期は誰でもホモマスって呼んでました(あなたのような人が蔑称蔑称騒いでエムマスなどに変わった)。
私の周辺だと最初はタイトルそのままsideM→そのうちMマス でした。
(「ホモマス」は2chやツイッターで口の悪い人たちが使っている表現、という印象。)
>男向けだったアイドルマスターシリーズに女向けのコンテンツが投入されたら、
>そりゃあホモマス言われるのも当然でしょう。
当然とは???
下記のような考えかと推察されますが
もしこれが当たっていた場合
思考が無自覚な偏見にあふれているのでご自覚いただけると幸いです…。
そこを好んでやっているファンが沢山いるよ。
===========
あとご参考までに
自分は偏食が激しい。
詳しくは書かないが一般的な料理によく使われるような食材でも食べられないものが多い。
「食べられない」というのは飲み込もうとするとえずく、最悪後で吐いてしまうレベルの「食べられない」だ。
特にアレルギー等といった診断は受けていないが、幼少期からずっとそう。
別段甘やかされたとも厳しくされたとも思っていない。
母親は料理が好きだったので食卓に並ぶ食材のレパートリーは豊富だったし、
基本的に料理を残すのはやはりNGだったので嫌いな食材があっても頑張って食べていた。
ただ、母親の方も嫌々食べているのを見るのは辛かったらしく、
中学に上がる頃には自分の分の食事からは特定の食材だけ予め抜かれるようになった。
この時点で頑張って苦手なものを食べ続けることを辞めなければ、
ちなみに離乳食の段階で色々なものを食べさせるのが重要という説もあるが
ある時は「頑張って克服しよう」と言われ、
どうにか数ヶ月ほど食べ続けたこともあったが、全く克服出来なかったので諦めた。
色々と思い悩んでいたんだけど、最近になって、食事の好き嫌いってそこまで悪いことなんだろうか?と思う。
よく偏食の人間に対する意見として「わがまま」というのがある。
食事にありつけるのは有り難いことであるという前提がまずあって、
自分も流石に飢餓状態であれば目の前にあるのが苦手な食材であっても迷わず齧りつくと思う。
こういう都合の良さが「わがまま」なんだろうということは、理解できる。
要するに、食物に対する不誠実さ。感謝の足りなさ。
食べ物がいつでも手に入る恵まれた環境で育った生っちょろい贅沢な若者の意見だけど、
味覚って、視力とか、嗅覚とか、聴力に並ぶほど千差万別なもので、
目が悪くても、耳が悪くても「親の教育が悪い」という人は偏食に比べたらあまりいないだろう。
(たまにいるんだろうけど)
味覚に関することだけ、家庭環境の否定、人格の否定が当たり前になってくるの、結構辛いと思う。
好き嫌いのない人が羨ましい。
人が美味しいと思っているものに対して平気で
「それ嫌い」「よく食べられるね」という言葉を投げつける人が
結構いるっていうのもあると思う。
なに言っとるん?
同性同士でもパートナーとしての入居を認めるってだけのことだろ
夫婦や家族じゃないと同室への入居はルームシェア扱いになるんだよ
何が隔離だよ
と思っていたのですがね。
それは置いといて、最近って独立開発系のゲームが賑(にぎ)わってませんか?
前から面白いインディーズゲームは沢山ありましたが、質と量が加速し続けていよいよピークに到達したのが今だと思うのですよ。
娯楽の歴史から見た経験値的にここから3年ぐらいするとレッドオーシャンによる共食い現象で緩やかな衰退が始まると思われ。
おっとここで使う経験値は次のレベルになるため殺すべきスライムの数を意味する経験値ではなくて、今までの経験則から推察される値という意味の経験値ですぞ詳しくはググってくだされ。
おっと拙者としたことが話が逸れてしまったで御座(ござ)るフォカヌポウ(核爆)
昨今(さっこん)のゲーム開発はリッチになりすぎたと言いますが、面白インディーズゲーがぽこじゃか産まれている事を見るにそれは一面的な見方をしているのだと思います。
ゲームという単語の枠組みを小さく捉えすぎていると言いますか、グラフィックが綺麗でTVCMがじゃんじゃんばりばり流れているゲーム以外の存在を見落としているのではないでしょうか。
ですが、DQとFFとマリオにしか興味がない人達はそれでいいのかも知れません。
そういう世界からわざわざ出てくる必要がない……というよりもいくつもある他の世界を主に生きていてそこで別の娯楽や人生を楽しんでいるのだから、時折しかやってこないゲーム世界の事なんて詳しく知らなくてもいい……というので何の問題もないのかも知れないです。
でもそれがゲームの全てだよと教えちゃうようなニュース記事はノーサンキューですね。
そしてそういったノーサンキューな記事に踊らされておきながら俺ゲーム詳しいんだぜと思い込んじゃう大人キッズもノーサンキューであります。
何の話だったんだコレ。
雑に纏めると「ゲームの可能性を感じる道としてのフリゲは今でも健在だし、インディーズもいい感じですよ」という世界。
最後になるけど、具体的なゲーム名挙げろって定番のツッコミはあえてのスルー。
カラーっていうかこちら側の属性はこういう物だと決めつけられてしまうような色眼鏡の材料っつーか。
俺と好きなゲーム似てるからこの人はセンスいいぞー、とかそういう眼鏡をかけて読んで欲しくないのよね。
皆とつるんでハワイでサーフィン名人になると言ってる口の尖った少年、多分スネ夫なのだが、突然髪のとげとげが無くなり目の横に眼鏡のつるのような物がついている。
何でこんなにいきなり外見が変わったのか。
何が起こったのだろう。
http://fujiko-museum.com/blog/?p=12244/
この回は他にも色々奇妙な事がある、まずこれといった説明もなくドラえもんが居らず代わりにドラミちゃんが居る。
次にのび太がアクティブだ、太平洋を歩いて横断する計画を立てて、数百キロを歩き日本海溝の崖を下りていく。
不思議な回だ。
前作未プレイ、今作30時間ぐらい。今Cでうろうろしてるプレーヤーなのでガチ勢ではない。
一緒にやってる人達なんていないけど、見知らぬ仲間の足を引っ張らない程度になろうと、ヒーヒー言いながらやってる。
いまんとこナワバリだけで楽しいからガチに移行する理由がない。
ランクとかサーモンの報酬とかぜんぜん上がらないんですがどうなってんですか。
塗り残しを見つけては「もうまた手を抜いて…」とぶつぶつ文句を言いながら掃除する主婦の感覚でやっている。
他のブキをほとんど使ってないのでもったいないとは思うんだけどもう慣れちゃって。
パブロとかホクサイとかもかっこいい。
もっと対人で気楽にブキを試せる環境が欲しいなあ(ランクに影響しないナワバリフリープレイみたいな)。
プロモデラーMGのスペシャルはカーリングボムピッチャーだけど高いところから投げまくると楽しい。
あるいは坂の上に陣取る敵に向かって下から投げまくって押し上げていくのも「反攻開始!」って感じで楽しい。
アメフラシは強さとかよりせっかく綺麗に塗ったところが汚く荒らされるのがめちゃ嫌。
ジェットパック はそこまで……ガチのほうで使うと強いのかな?
見た目重視で選んでいる。着せ替えが楽しい。
細身のTシャツだと背中から腰にかけてのイカちゃんの薄い身体のラインがはっきりしてドキドキするよね。
あと帽子と眼鏡を同時に付けられないのは悲しいので「アクセサリー」枠とか欲しい。
タチウオはなんで糞なの? 他とは変わってて楽しくない?
少しだけやった感想としては、これぜんぜん別ゲーですねということ。
最初は変わらずプロモデラーMG使ってたけどあまりに勝てない&敵を殺せないのが申し訳なくて、
ちょうど入荷したばかりだったジェットスイーパーを使ってみたらそこそこ勝てるようになった。
開始直後に四人全員死亡とかがたまに発生するのが楽しい。
いや真面目に書くとカタパッド強すぎない?
あとたまにどうやっても処理できないくらいオオモノがたくさん湧いてくるの無理じゃない?
6割くらい進めたけどぜんぜん上手くなっている実感がない。
初心者にはゲーム開始直後からとにかくマシンガンみたいに撃ちまくりたいという欲求があって、
他のFPSなら敵もいないのに弾を撃つとかアホだけど、スプラだともう射撃ボタンを押しっぱなしでいいので楽しい。
効果音とかモーションとかも含めてとにかく気持ちいいってのがある。
そういう気持ち良さを味わうっていうのが、敵を倒すとかバトルに勝つとかよりも、個人的にいちばんの目的になってる気がする。
なんか燃えてるけどあのくらいの年齢の人の価値観はあんな感じだと思うんだよ
若い世代と価値観を共有できてないのは確かなんだけど、かといって「そんな事も知らないお前が悪い!」って叩くばかりじゃ回り回ってブーメランにしかならないでしょ
ああいうの年寄りから見たら小池さんのちょっとした失言を若い奴らが鬼の首取ったみたいに袋叩きにしてる様にしか見えないんじゃないかなぁ
なんでもそうだけど理解して欲しいと思うのなら断絶を深めるような事は避けた方がいいと思う
苦境に陥ってる人が居たとしても、それに気づいていない人はそういう人への配慮なんかまずできない
年配の人に今の若い人の生活が苦しいと言っても給与の額面だけ見れば自分が若かった頃よりも上がってるから「甘えんな、工夫しろ」ってなるのはしゃあないんだよ
昔みたいに家賃5000円の風呂トイレ無しアパートなんて無い、金のないときにツケで食わせてくれる食堂も無い、物価は上がり社会保障費も上がり、かといって収入が増える当ては欠片も無い
そういう現状を年寄りは知らない
仮に文字で見ても同じ状況を体験した事がないから実感はできない
自分達が生きてきた戦後のどん底まで落ちたからこその右肩上がりの時代と同じ様なものだと思ってしまう
それに若さへの羨望(嫉妬)が付加されれば色眼鏡になってしまうのは仕方がない
だんだん老眼が進んで新聞も読まなくなるから情報源はテレビだけになっていく
最近で1番感じたのが(ちょっと古い話題だけど)ピースの又吉で芥川賞取ったらみんな先生と言い出した。なにより相方が率先して(色眼鏡で見られる事を先回りしてだと思うが)先生、先生と言い出した。周りの芸人も配慮としてわざと先生と呼んで茶化していたと思うけど、それ以外で先生と呼ばれるのは本人も居心地悪そうに見えた。
又吉「先生」の場合は極端だとしても、医者、弁護士、作家、画家、漫画家、など職種で先生と呼ばれるケースはたくさんある。どんなジャンルでも一流とされる人は先生と呼ばれる事もあるかもしれないけど、それにしては先生が多すぎる気がする。
作家や画家、漫画家などはそもそもなんで先生って呼ばれるんだろうか?これってはるか昔の物書き自体が珍しかった時代とか宮廷画家がいた頃とかの名残かなにかなんだろうか?
医者や弁護士は立派な職業という事で定着してるんだろうけど、もっと普通に「〜さん」とか名前で呼んだ方が良い関係を持てるんじゃないだろうか?立場上、相手を制する必要がある場合も多いとは思うけど、それでも互いに名前で呼びあえたほうが実はよりよい信頼関係が結べるんじゃないだろうか?
個人的には最も馴染み深い学校の先生ですら、先生じゃなくて「〜さん」とかでいいんじゃないの?という気がしている。そのほうが個人として尊敬しやすい。目上は目上だし、それで舐めてかかるとかはないように思う。