はてなキーワード: 眼鏡とは
カラオケでリライトしまくった世代にとってナンバーガールの名前は「あの伝説のバンドね」という印象だろう。
この世代で楽器を持ったことがある奴なら、聴いたことはなくても名前は知っているはずという存在だ。
当時は飾り気のない、そこらへんのお兄さんが楽器を構えているようなバンドが人気を集めていた。
今考えるとそれはAIR JAM世代やモンパチ、HYといった沖縄出身バンドの躍進でインディーズレーベルの存在感が増したことや、
ヴィジュアル系ブームに代表されるオーバープロデュース気味だった90年代からの反動があったんだろうと思う。
ELLEGARDENやバンプ、ベボベはまだしも、アジカンやフジファブリックの志村は飾り気のないというラインを超えて、モッサい予備校生にしか見えない出で立ちだった。
思えば一世を風靡したオレンジレンジも全身スウェットでMステに出たりしていたな。
というのが中高生にとってのカウンターカルチャーになっていた。
アジカンやくるりはメガネロックという雑な括りでメディアに取り上げられることもあった。
当時はバンドのフロントマンが公務員のような銀縁眼鏡をかけているというだけでも斬新に映ったのだ。
そのメガネロックのはしりとして紹介されていたのが、僕がナンバーガール、通称ナンバガを知るきっかけなのである。
当時既にYouTubeやWikiが浸透していたので、聞きなれないバンド名を見聞きしたら僕はすぐにググっていた。
ヒットしたサイトからアーティスト写真と簡単なプロフィールを見るところでは、
華奢な女性がギター、アンガールズ風のきのこ頭がドラムらしい。かっこいいと思った。
僕が思い出す限りではWikiを見ると
「eastern youthやbloodthirsty buchersらと並び、ピクシーズなどに代表されるオルタナティブロックを日本でいち早く取り入れた」とか
「向井のシャウトは『喉を切り裂いたようだ』と評された」とか、
「くるり、スーパーカー、中村一義と共に97年世代と呼ばれた」など、
よく知らないアーティスト名ばかりでいまいちピンとこなかったが伝説ぽいフレーズのオンパレードで胸が高まった。
そしてつべで「透明少女」「Omoide in my head」の動画を見てみたのだがその時はあまり良いと思えなかった。
理由は単純で「School Girl Bye Bye」「School Girl Distotional addict」収録の曲はどれも構造が複雑なのである。
AメロBメロサビというポップスに慣れきった中学生にとって「透明少女」はアブノーマル過ぎた。
ボーカルにまで楽器用マイクを使い、福岡にある馴染みの貸しスタジオで録ったローファイな音もとっつきづらかったのかもしれない。
終始キメキメな「U-REI」
無闇矢鱈にソリッドな「鉄風、鋭くなって」
アルバム「SAPPUKEI」は特に何回も何回も聴いたお気に入りである。
無論他のアルバムもZAZENもToddleもVolaもよく聴いたが。
イントロがいい。
すごくいい。ギターの響き?専門的なことはわからないけど、そこはかとないエモを感じる。演奏から滲み出る哀愁というか、明るさというよりはがむしゃらさ。
それは向井の「俺押さえ」と、ジャムセッションをする上での向井とギターのひさ子のコンビネーションによるところだ。
ナンバガにおいて向井はローポジでコードをカッティングしていることが多いが、
理論上ではジャズで用いられるセブンスコードと似た響きを持つこれらのフォームは「俺押さえ」と呼ばれている。
その「俺押さえ」にジャムセッションを重ねていく過程で、ひさ子がギターの音を補完すべくハイポジで弾きまくるわけだが、
何せ向井オリジナルのコードに絶対音感があるわけでもないひさ子が勘で合わせていくので結果的に分数コードになっているときもある。
複雑でごちゃつきながらも何故かスムーズに聞こえる、そんな奥行きのある響きを作り出せる。
つまりナンバガはバッキング主体で深いディストーショントーンという疾走感あるオルタナのスタイルにのっとりながら、
なんとなくわかる。
BLUE ENCOUNTや04 Limited Sazabysとか
Mrs. Green Appleとか何かみてくれいいもんな。
確かにかっこいいんだけど。
すごい。すごいぞナンバーガール。
この時代に改めてナンバガを褒めちぎられているの、すごくテンション上がった。
現役高校生だとするならば、一昔前の、
元増田です。
「名詞(化学用語)を改変するのはまだしも、動詞(一般用語)まで改変するのはやりすぎでは?」
といった意見をいただいた。
確かにその通りで、「専門用語は理解できないが一般的な語彙はある」のと「一般的な語彙すらない」のとでは次元が全然違うので、そこを区別せず一緒くたにしてしまったのは乱暴だったと反省している。
また、それに関連して「形が違う」を「塔匿が目む」に置き換えてしまうとそもそも問題が成立しないのでは? という指摘があった。
これについて説明をしておくと、「違う」という言葉は使わなくても、きちんと意味の通る文章にはなる。
理解しやすいようにサンサンポではなくアイマスを使った例文にしてみよう。
あなたは天才理系アイドルの池袋晶葉にコチョモンプするが、同じ天才理系アイドルでも眼鏡をかけていない一ノ瀬志希はコチョモンプできない。
これは、次の文とほぼ同じ内容である。
あなたは天才理系アイドルの池袋晶葉にコチョモンプするが、同じ天才理系アイドルでも眼鏡の有無が違う一ノ瀬志希はコチョモンプできない。
このように、「違う」という言葉は使わなくても、池袋晶葉と一ノ瀬志希の違い(デンプンとセルロースの違い、モロロとサンサンマーロの違い)は問題なく表現できる。
しかし、今回の問題文は「セルロースは( )と形が違う」というものであった。
これを置き換えて「一ノ瀬志希は( )と眼鏡をかけていない」とすると、残念ながら日本語として破綻してしまう。
つまり「同じ茫便から絆めていても、塔匿が目むサンサンマーロはコチョモンプできない」という文自体は成立しうるが、「サンサンマーロは( )と塔匿が目む」という問いは日本語としておそらく成り立たない。
(「目む」が、「異なる」のように「違う」の類語であるなら問いの文も成立する)
http://www.asahi.com/sp/articles/ASK9W4FHVK9WPTIL00M.html
失望しているし、国の司法に憤りを覚えている。上告するようだから、世論の良心に期待するしかない。
これは迫害だ。例えるなら、痴漢予備軍だから男性を隔離しろとか、エレキギターを持っているから反社会的思想の持ち主だとか、眼鏡をかけているからインテリだとか、そういうレベルの非論理的な迫害だ。
朝日の記事に書いてある文字列だけを読んでいては背景にある差別意識を読めないだろうけど、切込隊長の能●●●(規制されました)に関する言説と同じ論理筋で、実質的な文化迫害だ。
これまでの日本文化史の中で、刺青を施した任侠やヤクザが与えた社会的悪影響があるのは承知の上で、規制するべきは脅迫、暴力であり、刺青文化ではないと断言する。
もちろん、施術に関する衛生管理や規制は必要だが、医師法を濫用してまで違法化するのはバカげている。
判決を擁護する方々はご自身が文化的ポルポトになっていることに気付いていただき、判決に対する批判の声を上げていただきたい。
”Eカップ以上しか来店しない”服屋が池袋にオープン 「助かる」「巨乳が見放題!?」
https://togetter.com/li/1153098
巨乳の女と言っても、夫や子どもがいる、60歳以上、ドブス、胸も出てるが腹も出ている、などさまざまな人がいて
男性の目の保養になったりナンパに応じてくれるような人は本当にごくわずかだと思うのだが、胸の大きな人向けの服専門店ができました、と聞いて
「うひょー!ここで張っておけば巨乳美女見放題というわけだな!巨乳天国!行くっきゃないぜ!!」という発想が一番先に出てくるところがなんというか呆れるというか感心するというか……
オープン後は「どうせ見ただけで痴漢扱いされて逮捕されるから行かない!」と言って実際に店に冷やかしに訪れる奴はほぼいないだろうが、皆無ではないだろう。そして実際に行った男性が
「ブスとババアばっかりじゃないか!せっかく巨乳だらけの店だって言うから来たのに!詐欺だ!ふざけるなよ!チェンジチェンジ!!」と心の中で毒づいたりネットに書いたりするのだろうか
例えば、
サイズ、デザイン共に男性向けを意識した眼鏡の専門店がオープンしたとして
「きゃーっ!ここに行けば素敵な眼鏡男子に出会えるのね!アタシ逆ナンしに行こうかな!」と女がその店の周りをうろつくようになり、しかしすぐ「キモヲタっぽい不細工と年寄りばっかり!まともなのは彼女連れか結婚指輪してる!詐欺!」と喚いて出て行ったとしたら
その店を訪れた男性は『合コン会場じゃねえんだぞ、モテのために眼鏡かけてんじゃねえ、好きで眼鏡かけてんじゃねえ、視力が悪くて生活に必要だから買ってんだよ、何でナンパ待ちのイケメンが大勢来ると思うんだよバカか』などとツッコミを入れるのではないか
足のサイズがとても大きいので、欧米人向けのサイズの大きい海外ブランド靴を探さなければならない
アンガールズのような高身長ヒョロ長体型で服を試着したらだいたい八分丈になってしまう
体型のせいでサイズの合う服が見つかりにくい人たちのために服を開発して、その人たちのために売り出す。対象者はやっとサイズの合う服が見つかったと喜ぶ。それだけのことがなぜあのような流れになってしまうのか
もうひとつ気になることがあるのだが、
「差別だって言う人が出てくる!!」という意見。いったい何の差別なんだ。あれこれ考えたがよく分からなかった。貧乳の女性が
「キーッ!何よ!巨乳だけ専門店なんて作ってもらっちゃって!貧乳専門店も作りなさいよ!!貧乳出入り禁止だなんて差別よーっ!!」と言うとでも思っているのだろうか
リアルの服には乳袋がないので、巨乳の女性がワイシャツを着たら胸の部分だけボタンが留まらなかったり、留まってもボタンとボタンの間に隙間ができて横から肌着が見えてしまうという問題がある。これが“巨乳は服のサイズが合わない問題”だ
これは『ズボンのお尻部分が破れていてパンツが見えている』『ジーンズを履いたまましゃがんだらお尻の割れ目が見えるくらい肌が露出してしまう』という状態と似たようなものであり、
よっぽどの美女が相手なら「おっ、ラッキー!」と思うかもしれないが、たいていは見苦しく、みっともなく、日常ではただちに対処しなければならないことである
性を売りにする職業ならともかく、スーパーのレジのおばちゃんだとか、清掃のおばちゃんだとか、役所の窓口に立つおばちゃんがワイシャツの隙間からババシャツやベージュのブラが見えたまま客前に出てはいけないのだ
なので胸の部分がぱつぱつにならない服を選ぶと、全体的にだぼっとしてしまいそれはそれでみっともないしサイズを優先すると選択肢が狭まるので好きなデザインの服を選ぶのが難しい
巨乳の女性は長年それに悩まされてきた。それが解決しそうなことの何が差別だ
貧乳は胸のせいで着る服に困る問題が発生しないので、貧乳専門店は必要ないし、貧乳の人もそのような店は求めていないと思うのだが……
ところで現在、togetterまとめには「性差別」「まなざし村」「フェミ」のタグが付いている
エロいものぶらさげて下着なんてエッロイものを買いに行くなんて痴女だ!煽情的!狙ってやってるんだろ!男をたぶらかすエロ女のくせに性的な目で見られることを拒否するなんておかしいんじゃない?ダブスタだ!まなざし村案件!とでも言いたいんだろうか
巨乳は好きで巨乳に生まれたわけではない。巨乳は痴女ではない。巨乳はみな風俗店に勤務しているわけではない。
巨乳巨乳連呼しているが、言うほど大きく見えないDやEカップでもサイズの合わない問題は発生するので胸のことで男性にちやほやされる経験をしたことがないのに服選びに苦労している人も大勢いる
あれこれ書いたがとにかく三次の巨乳女=男性を喜ばせるためのコンテンツではない。デブスやババアも大勢いる。あの店に行って女の容姿ヲチなどは本当にやめてくれ。あと切実にサイズが合わなくて困っているから利用するのであってステータスのために行くのではない
私は東京からは遠く離れたところに住んでいるので当分行く機会はないと思うが、二号店三号店と展開していってほしいので問題が起こらず繁盛することを祈っている
もしかしたらシリ構成の大河内一楼氏が万策尽きたのかもしれないだろ!
業務も調整してもらっているし、以前と違って睡眠も取れているし(ここすごい重要)体調も回復していると実感がある。
そんな中、休職前から心配してくれていた会社の先輩と同僚が、復職のお祝いのような会を開いてくれた。
「私も病気になって会社を休みたい。そんでもって部署を異動したい。」
お酒の席での話しだし、たかだかそんな事でと一般的には思うのかもしれないが、病気で休んでしまった私にとっては、傷つくまでいかなくても、聞いていて不愉快な言葉だった。
上手く流せばよいのかもしれないが、ボディブローのように重く感じた。
こんな言葉くらいで傷つくなんて、だから精神的な症状で休んだ人は面倒くさいんだよと言われるのが目に見えているので、もちろん現実世界で言うことはない。
それこそ、その飲み会の帰りに電車に飛び込んでしまおうかと思うくらい。
体調が良くなったのは、本当に運が良かったとしか言いようがないけど、それでも復職のためにリワークに通ったり、その中ですんごく体調が悪くても通った実績が無いと復職できないので、自分なりに一生懸命(それこそ、猛烈な吐き気と倦怠感に襲われながら)通所したり、夜は早くから布団に入って、働いていた時には考えられない時間から寝る準備をしたり、
服薬だけでなく、良いとされる食べ物の摂取、マッサージ、針、ツボ押し、アロマ、ストレッチ等々、試せるものは全部した。
他の人からのアドバイスも全部した。でも、私は症状がなかなか回復せず、特に眠ることができず、お医者さんからも他者からも「何で症状が回復しないんだろうね」と言われた。
そんなの、私が一番知りたいわ!!
一生懸命という言葉はふさわしくないかもしれないが、自分ができうることは一生懸命試して回復に努めた。
そして、世間には症状が回復できない人もいる中で、私は何とか会社への復職という道を得ることができた。
仕事も調整してもらっているとはいえ、お休みして迷惑かけた分、自分の出来る限りで、できることを粛々としている。
力を入れすぎると、周りからとやかく言われるので、あくまでも力まないように調整しながら復職した。
でも、本当にどうでも良くなった。
復職しても、もう以前のようには戻れない。
好きで病気になった訳では無いのに、もう病気をする前の私には、どうやったって戻れない。
でも、病気にならない人で、恐らく自分はこの病とは無関係の人は、この疾患にかかって休みたいらしい。
(たしか、私も病気になりたいわっ!て言った人がいて、周りの人も拍手喝采で賛同したとか何とかだったと思う)
現実で言い返せば、この手の人たちは「だからこういう人達は面倒くさいんだよ」と、私の病気という属性に紐づけて、切り捨てられるのがオチだろう。
会社だけが人生ではないというけれど、生活のためには糧を得なければいけないので、無職になることはできない。
でも、病気になりたい発言とか、その他もろもろを聞いていると、もうこのまま生きていてもしょうがない気もしている。
どうやったって、もう元には戻れないし、積み上げたものも全て失ってしまったのだから。
なんなんだかなぁ。
「けど、ご主人様は「周りの人」が自分のご主人様になってまうでしょう?」
「鳥取様が「チョコのご主人様」でいようとする事で自分を下に置こうとするのをやめてくれはったら」
「そのうちに役割なんてのうなっても平気になるって…その位仲良うなれたらとおもうてたんやけど…」
「けどあかんかった」
「うちが思うよりずっと鳥取様は自身がなくて…うちといると自分をいじめていってしまう」
「うちの思うてへんことでどんどん自分を嫌いになってしまうんです」
「だからもう」
「一緒にいてはいけないんやと思いました」
「……は?」
「この間の千代子の元「ご主人様」としゃべってる時も思ったけど」
「まるで壁に話しかけてるみたいだ」
「俺はお前に話してるのに」
「お前はお前と話してるんだよ」
「……ちゃんと会話してるじゃないか?」
「ははは」
「お前は結局 俺のことも」
「いや」
「史子の事も好きじゃない」
このスレをみて思ったことをつらつらと
このスレでは、>>1がセックス中に相手にどう思われているかを酷く気にしている
1風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:42:02.62ID:YiEaxTy6a
「(ワイの息臭くないかなぁ)」
「(目の前にワイの顔あって嫌やろうなぁ)」
「(オナニーしてた方がええなぁ)」
20風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:47:34.13ID:YiEaxTy6a
ホンマは腕枕嫌なんちゃうかなぁ
ワイの体熱くて寝苦しくないかなぁ
とかもある
そして、それは「罪悪感」という形で表現される
9風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:44:39.65ID:YiEaxTy6a
罪悪感半端ねーわ
34風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:51:25.04ID:YiEaxTy6a
そして、セックスを避けられない関係そのものへの拒絶・回避へと繋がる
33風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:51:18.67ID:MbSdzbYz0
自分の嫌な所我慢してくれるような子とエッチできるって素敵やん
45風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:52:42.83ID:YiEaxTy6a
≫33
すぐフラれるんやろなぁ
ならこっちからフるのが最善やろなぁ
って感じですぐ別れる模様
この一連の流れに、見に覚えのある人間は多いのではないだろうかと感じてしまう
↓
「嫌われている、疎まれているに違いない」
「やっぱり何もやらなければよかった」
↓
「そんな感情を持たなければよかった」
「そもそも、他人と関わろうとするから相手に不快感を与えてしまうのだ」
良くて、「当たり障りのない事」ばかりを言い、相手への影響力や干渉を極力薄めようとする
何らかの拍子に人間関係上で自尊心が傷ついた場合は「関わろうとしたこと」それ自体を失敗だったと判断し始める
違う人格同士が関係を持つ時、お互いに多少の不快感や嫌悪感を覚える
関係の中で生じるそうした摩擦を「全て自分へ原因帰属」すること
そう、この心理状態にあたっては、もはや“相手がどうこう”ではないのだ
“関係”という言葉が“相互作用”と同義である場合、もはやこのループにおいて関係性は希薄である
こうした、自分の事しか見えていないような“近視的”な対人認知を持つ者は多いのだろうか
多かれ、少なかれ
(視力の悪さを示す眼鏡が時として嫌悪されるのは、近視的対人認知を連想させるからではという邪推はさておき)
そして、近視的な対人認知が生み出す罪悪感は
時として自分への攻撃性だけではその甲斐性を果たせず、「逆ギレ」という形で相手への攻撃となる
「あなたが○○したから、私が☓☓してしまったんじゃないか。私は悪くない」といった風に
あなたの周りに、やたらと攻撃的で、嫌味ったらしく、皮肉屋な人間はいないだろうか
まるで、「関係そのものを拒否しようとしている」かのような振る舞いをする人は
自分の自信の無さから、相手への干渉(不快感提示)に罪悪感を感じるわけだが
その呵責に耐えられなくなると、今度は相手への干渉をむしろ積極的に行っていくこととなる
「自他へ攻撃性を向けてしまうこと」とは、このように生じる場合もある
以前の増田で書いたように
罪を許されること、情けをかけられる事の方を疎む
「許し」では「罪悪感」は晴れないのだ
それは、結局は「その赦しが本心でないとしたら?」という恐れを持つからだ
自分に自信がなく、相手の言葉にも信頼を置くことができない結果
人は対人関係から退却し、回避し、時として攻撃性を以って拒絶する
結論:
二次元におけるバブみにおける絶対的信頼・信用と圧倒的かつ究極的な許しが
したがって、「もっと私に頼っていいのよ」は福音(エヴァンゲリオン)である
俺も悪くない、悪いのは社会だ