はてなキーワード: 乳房とは
レイヤーって言っても全部網羅できているわけじゃないからそこは勘弁してくれ。
1. 性違和: 強い↔弱い
4. パス度: 高い↔低い
5. 手術への希望度: 受けたい/た↔受けたくない
8. 子供: 欲しい↔いらない
13. 周囲の理解: ある↔ない
まだまだ色々レイヤーはあるけど、これだけでも内部で喧嘩しあって、馴れ合って、同族嫌悪しあっている連中を一括りにまとめて語ろうとするのがまず間違ってんだよ。
その上で、じゃあパス度が高いMtFやFtMは風呂はともかく、トイレも身体性に合わせるべきか考えてみろよ。
本人にある程度社会性あってパス度があれば、普通は友人にそっちいっちゃ駄目だよと諭されるて連れションするハメになるんだよ。
どう考えたってそれするほうが異常者だわw
パス度が低い、高くても生活に慣れてとどうなるかっていうと、身体性を使うか障害者用トイレを使っている人が9割9部なんですわ。
誰だって、まともな感性がありゃ警察呼ばれたくないって思うじゃん。
じゃあ風呂はどうかって話をしようか。
パス度が高ければ手術後はまず入れるだろう。多少身長が高かろう/低いかろうが裸になったってバレやしない。
世間の殆どはトランスジェンダーを血眼になってリードしようとしてないからな。
手術前に性自認側に入っている人も一人だけ知っている。正直オイオイとなったしはっきり言って白い目で見られていたよ。
あ、パス度低かったり不審行動起こしてらお縄だから残念だね。パス度上げて出直そう。
ちなみにパス度が高いのに手術前だからと身体の性のお風呂に入るとどうなるか。
俺は実際に試したことあるけど、脱衣所にいると入ってきた人が一旦外の暖簾を確認しに戻る。人によっては声上げるくらいに驚く。
風呂場だと湯気でバレにくいけど、入口付近にいるとやっぱりみんなびっくりする。
純粋に迷惑だからやめよう。警察沙汰になったら面倒だし。手術前の俺等にゃ個室温泉以外の選択肢はない。
ちなみに「女装した男性が女子風呂に/女子トイレに」というニュースが流れるたびに「ワタシワオンナダー」と揶揄が飛び交って、パス度と社会性の低い当事者が揶揄にキレているのはもはや様式美。
手術の話をしようか。
手術を希望しててもその妨げになっている原因はなにかというと
①本人のパス度
②金銭的側面(FtMの場合乳房切除込みで100〜200万、陰茎形成は更に200万(結構微妙なのにね)、MtFは130〜250万、整形は別)
が2大筆頭だろう。
①に関して言えば分かりやすいだろう。
内心を置いておいて、社会生活を送る上で見た目と書類上の性別が一致していたほうがいいのは当たり前だよね。
MtFに特に多いけど、結局パス度が高くないからと手術を受けなかったり、性転換そのものを諦めたり、生きることを諦めたりする。
FtMはそれなりに若ければホルモン治療受けてりゃパスするようになる。
②に関しては、学生のうちに親の理解があって金銭的に恵まれていればお金を出してくれるだろう。
じゃあそうじゃない人はどうするかって?
若いうちに身体売って金稼いで手術後は何食わぬ顔で生きるか、元の性別として就業して歳が上がってからキャリアを捨てて手術を受けるか、就活でにカミングアウトして色んな企業から拾ってもらえず惨めな思いをするかだ。
身体売って儲かるくらいに顔がいいんだったらまだラッキー、キャリア形成も出来るしだいぶ恵まれているね。
まあ親金で手術してパス度も十分高いのに自殺した人もいたけど。
この国の保険は厚いって?ほぼ誰も利用できないように制度設計されているんですわ。保険適用して手術受けた人はツチノコ。
俺は同性愛者寄りのバイだから今入っている浴場は天国か、なんて言ったらそんなことはない。
むしろ気まずさのほうが大きい。まだ元の性別の人と入っている方が俺は楽だ。
つーか、お前らだって性的対象外だが性的対象となる性別の人と一緒の人と入ったとして、見られるのが嫌だという感情を除けば興奮を覚えるの??
ちげーだろ。
あと話した限りだと同/両性愛者のシス女性も同じ感情を抱いている人が大半なんですわ。
結局、同/両性愛者のシスジェンダーを排除しろとならない時点で、お前らのその感情は藁人形を相手にしたスティグマなんだよ。
切除しないのって言ってた増田やTERFな人々の疑問に答えられたかな。
への返事だけど、そりゃお前みたいな差別したい感情を隠さない人にまともに付き合うほうがバカバカしいからだよ。
特に手術を終えてクローズドで生きている俺らからしたらそうだ。
つーかまじでお前ら当事者抜きで議論すんじゃねえよ。スティグマにまみれた藁人形論法披露して、私は反差別ですみたいな顔しているんじゃねえよ。
内輪揉めしてお互いにお互いをパス度やどこまでステップを進めたかでマウント取りして差別しあっている当事者のように差別者のツラしろや。
レイヤーって言っても全部網羅できているわけじゃないからそこは勘弁してくれ。
1. 性違和: 強い↔弱い
4. パス度: 高い↔低い
5. 手術への希望度: 受けたい/た↔受けたくない
8. 子供: 欲しい↔いらない
13. 周囲の理解: ある↔ない
まだまだ色々レイヤーはあるけど、これだけでも内部で喧嘩しあって、馴れ合って、同族嫌悪しあっている連中を一括りにまとめて語ろうとするのがまず間違ってんだよ。
その上で、じゃあパス度が高いMtFやFtMは風呂はともかく、トイレも身体性に合わせるべきか考えてみろよ。
本人にある程度社会性あってパス度があれば、普通は友人にそっちいっちゃ駄目だよと諭されるて連れションするハメになるんだよ。
どう考えたってそれするほうが異常者だわw
パス度が低い、高くても生活に慣れてとどうなるかっていうと、身体性を使うか障害者用トイレを使っている人が9割9部なんですわ。
誰だって、まともな感性がありゃ警察呼ばれたくないって思うじゃん。
じゃあ風呂はどうかって話をしようか。
パス度が高ければ手術後はまず入れるだろう。多少身長が高かろう/低いかろうが裸になったってバレやしない。
世間の殆どはトランスジェンダーを血眼になってリードしようとしてないからな。
手術前に性自認側に入っている人も一人だけ知っている。正直オイオイとなったしはっきり言って白い目で見られていたよ。
あ、パス度低かったり不審行動起こしてらお縄だから残念だね。パス度上げて出直そう。
ちなみにパス度が高いのに手術前だからと身体の性のお風呂に入るとどうなるか。
俺は実際に試したことあるけど、脱衣所にいると入ってきた人が一旦外の暖簾を確認しに戻る。人によっては声上げるくらいに驚く。
風呂場だと湯気でバレにくいけど、入口付近にいるとやっぱりみんなびっくりする。
純粋に迷惑だからやめよう。警察沙汰になったら面倒だし。手術前の俺等にゃ個室温泉以外の選択肢はない。
ちなみに「女装した男性が女子風呂に/女子トイレに」というニュースが流れるたびに「ワタシワオンナダー」と揶揄が飛び交って、パス度と社会性の低い当事者が揶揄にキレているのはもはや様式美。
手術の話をしようか。
手術を希望しててもその妨げになっている原因はなにかというと
①本人のパス度
②金銭的側面(FtMの場合乳房切除込みで100〜200万、陰茎形成は更に200万(結構微妙なのにね)、MtFは130〜250万、整形は別)
が2大筆頭だろう。
①に関して言えば分かりやすいだろう。
内心を置いておいて、社会生活を送る上で見た目と書類上の性別が一致していたほうがいいのは当たり前だよね。
MtFに特に多いけど、結局パス度が高くないからと手術を受けなかったり、性転換そのものを諦めたり、生きることを諦めたりする。
FtMはそれなりに若ければホルモン治療受けてりゃパスするようになる。
②に関しては、学生のうちに親の理解があって金銭的に恵まれていればお金を出してくれるだろう。
じゃあそうじゃない人はどうするかって?
若いうちに身体売って金稼いで手術後は何食わぬ顔で生きるか、元の性別として就業して歳が上がってからキャリアを捨てて手術を受けるか、就活でにカミングアウトして色んな企業から拾ってもらえず惨めな思いをするかだ。
身体売って儲かるくらいに顔がいいんだったらまだラッキー、キャリア形成も出来るしだいぶ恵まれているね。
まあ親金で手術してパス度も十分高いのに自殺した人もいたけど。
この国の保険は厚いって?ほぼ誰も利用できないように制度設計されているんですわ。保険適用して手術受けた人はツチノコ。
俺は同性愛者寄りのバイだから今入っている浴場は天国か、なんて言ったらそんなことはない。
むしろ気まずさのほうが大きい。まだ元の性別の人と入っている方が俺は楽だ。
つーか、お前らだって性的対象外だが性的対象となる性別の人と一緒の人と入ったとして、見られるのが嫌だという感情を除けば興奮を覚えるの??
ちげーだろ。
あと話した限りだと同/両性愛者のシス女性も同じ感情を抱いている人が大半なんですわ。
結局、同/両性愛者のシスジェンダーを排除しろとならない時点で、お前らのその感情は藁人形を相手にしたスティグマなんだよ。
切除しないのって言ってた増田やTERFな人々の疑問に答えられたかな。
>>なんで説明できないの?説明して理解してもらおうとしないの?<<
への返事だけど、そりゃお前みたいな差別したい感情を隠さない人にまともに付き合うほうがバカバカしいからだよ。
特に手術を終えてクローズドで生きている俺らからしたらそうだ。
つーかまじでお前ら当事者抜きで議論すんじゃねえよ。スティグマにまみれた藁人形論法披露して、私は反差別ですみたいな顔しているんじゃねえよ。
内輪揉めしてお互いにお互いをパス度やどこまでステップを進めたかでマウント取りして差別しあっている当事者のように差別者のツラしろや。
頭のおかしくない大半の人達は性同一性障害であったことも手術を受けて戸籍上の性別を変更したことも一々公言しないんですよ。ただちょっと小さいオッサンとして、あるいはデカいお姉さんとして、社会の中に馴染んで消えていく人達がほとんどです。敢えてそうせずに、女になったのにわざわざ「私は元男(女)だった!これだけ頑張って女(男)になった!社会のサポートが全然足りてない!」みたいに騒ぎ続ける人というのはかなり特殊な存在です。
彼らは物心ついた頃から自分の性別に違和感を抱き、着替えのたびに、あるいは風呂で自分の裸体を見るたびに「なんで自分の身体はこうなのか」と苦悩しながら生きています。彼らの望むことは自身の抱える身体への違和感を解消して、本人が自認した性で生きることです。
ではなぜ社会に物申したり反社会的な行為をひけらかしたりして、とにかく目立とうとする人が出てくるかというと、平たく言えば絶望から目を背けるためです。
彼らは物心ついた頃からずっと果てしない闘いの中を生きることを余儀なくされます。そのゴールが性適合手術と戸籍上の性の変更なのですが、そのゴールをもってしても、彼らが「本来自分はこうあるはずだった」と信じるもののほとんどは手に入りません。例えば男性器を女性器に作り替えて乳房を作って戸籍上女になっても妊娠は絶対にできないし生理も来ない。女性器を取り除いて男性器を作っても朝勃ちもしなければ射精もできず性行為による子作りも出来ない。書面上の性が変更できて見た目をそれなりに自分の信ずる自分の性に近付ける事はできるけど、それだけなんです。そして、性適合手術を受けた以上、性同一性障害の治療はほとんどアガりで、それ以上すべきこともできることもほとんど残っていない。それなのに「さああなたの戦いは終わりました!あなたらしく生きましょう!」と社会に放り出される。これが性同一性障害の人達の多くが共通して抱える絶望です。性同一性障害を抱える人は、性適合手術を受けた後に燃え尽きて自死する人が多いといいます。その戦いが終わった後の絶望とひたすら向き合い続けるのが、生きる限り続きます。そこから目を逸らす方法が、戦い目立つことを日常にするという選択です。
また、彼らが望むように手術後の性で社会に溶け込もうとした時、彼らはあらゆる過去を捨てざるを得ないという事情もあります。元の性を秘匿して生きるには、学生の頃の話だとか幼馴染との思い出とか、そういう物を全部捨てて無難で退屈なそれらしいストーリーを用意するしかない。つまり、過去を全て失うわけです。それを避けるには元の性を明かし、特殊な立ち位置となることを選ぶしかないのです。
さらに言えば、彼らは迫害を逃れるために小さな嘘をつきながら生きることを余儀なくされます。良心の呵責に苛まれながら人に小さな嘘をついたり事実の一部への言及を避けたりしながら生き続けるストレスというのは、想像を絶するものです。使いもしない生理用品をトイレのそれらしい場所に置いたり、男性らしさのためだけにTENGAを部屋に置いたり、そんなことしなくても誰も気にしないようなことまで細かく嘘を吐き、自分の平穏を守るしかないのです。
若い頃の大半をひたすら肉体に対する違和感の解消のために消費せざるを得ず、出来ることを全部やっても手に入るのは不完全な肉体でしかなく、将来の夢もどんなふうに生きたいというビジョンも育む余裕のないままいきなり人生が大人から始まる。それでも彼らの殆どは手に入ったものを出来るだけ守り穏やかに暮らそうと必死に社会へ溶け込もうとして、出来るだけ目立たぬように生きているのです。
世間の抱く性同一性障害の人に対するイメージは、ごく少数の敢えて過去を開示して戦い続け目立ち続けることを生きがいに選んだ人達からくるものです。そして戦い続け目立ち続けると人はおかしくなります。ほとんどの人は誰にも気取られないよう、最も違和感を与えない振る舞いはどうかとびくびくしながら選び、透明になろうとしているのです。
ふと知ってほしくなって思うままに描きました。
その猫は何処にでもいるような猫で、何処にでも存在するような猫だった。
白猫と出会った日、僕は酷く忙しくて帰宅したのは22時過ぎだった。
家に入ると猫がいた。
それが白猫。
何処からか僕のアパートに入り込んだようで、しかしその猫を追い出すには僕は疲れ過ぎていた。
猫をそのままに眠り、翌朝にも白猫がいた。
最初は幻覚のようなものかと思っていたが、どうやら夢ではなかったらしい。
白猫は僕と目が合っても逃げる気配を見せず、悠々と前足をぺろぺろと舐めはじめた。
朝食はいつも外で済ませるので冷蔵庫を見ても中にあるのは干乾びたたまねぎぐらいで、あとは消費期限の切れた牛乳と半分のバター。
小皿にバターを乗せて猫の前に置くと、白猫はくんくんとバターのにおいを嗅いだ。
そのあとすぐに家を出た。
帰宅するとバターはなくなっていた。代わりに黒猫がいた。黒猫は朝に白猫がいた場所に座っており、寝室で白猫を見つけた。
ベッドの上で寝ており、頭を触ろうとしたところで目を開けた。
白猫は僕と目を合わせながらも何もいわず、ただじっと僕を見つめてきた。
僕と白猫と黒猫との奇妙な共同生活は、このようにして始まった。
「それからどうなったの?」
ベッドから彼女が起き上がるのを背中で感じ取りながら、僕は答えた。
「でも今は見当たらないじゃない」
「ああ、それはそうなんだ。だって彼らは消えてしまったのだし、本当は元々いなかったのかもしれないのだからね」
「どういう意味?」
「二匹の猫はつがいだったみたいでね。一ヶ月もすると、白根の方が妊娠したんだ」
「去勢はしなかったの?」
「ああ。というか、そんなことにまで気が回らなかったといったほうが正しい。そのころの僕はとにかく忙しすぎたんだ」
「放置しておくのは感心できないけど」
「僕も白猫の妊娠が分かったときには、それでも動揺したんだ。里親を探すにしても、そんな知り合いに心当たりはなかったしね」
僕も起き上がってタバコを吸い、冷蔵庫からビールを取って戻ると一つを彼女に渡した。
「気になったこと?」
彼女は既に着替えを済ませていて、ここに来たときの格好のまま僕のベッドに腰掛けていた。
「親猫は白猫と黒猫。じゃあ生まれる猫は何色になるんだろうってね」
「白か黒か、ぶち模様なんじゃないかしら」
彼女は僕から渡されたビールをおちょこのように軽く一口飲み、それから言った。
「僕もそう思ったんだ。けど違った」
僕は窓から未だ明け切らない外を、真っ暗な世界を見つめながら言葉を続ける。
「何が言いたいの?」
彼女は痺れを切らしたように組んだ足の方を少し揺らし、ぴんと綺麗に整えられた眉毛の隙間を僅かに狭めた。
「白猫と黒猫から生まれた子猫はいなかったんだ。でも子猫は存在していた」
僕の言葉に彼女は一瞬、呆けた顔を見せた。それから組んだ足を解き、僅かに前のめりとなってタバコの煙を僕に当てる。
「で?」
「白猫は確かに授乳していた。それは確かなんだ。白猫はずっとゴロゴロと喉を鳴らしていたし、乳房のところは上下に揺れていた。けれど子猫の姿はない。どこにも見えなかったんだ」
「気のせいだったのよ」
「そうは思えないな。いや、僕の言い方が間違っていたのかもしれない。白猫が生んだのは子猫じゃない。別のものだったんだ」
「じゃあ何だっていうの?」
僕の答えに彼女はふっと笑い、それから立ち上がると僕に手を差し出す。
「ちょっと多くない?」
「話を聞いてもらった分だよ」
「そう」と彼女は拒否することなく僕からお金を受け取ると財布に仕舞い、パチンと音の鳴るバッグにしまうと背を向けた。
「その白猫と黒猫は今どこに?」
玄関の方へ歩み出す前に彼女は一度だけ振りかって、僕にそう尋ねた。
「闇の中じゃないかな」
そういって僕はタバコで窓の外を指し、彼女は曖昧に微笑むと玄関に向けて歩き出した。
ベッドに座ったまま彼女が出ていくのを聞き、僕は枕の傍にある虚空をなでようと右手を動かした。
「にゃあ」と一度だけ猫の声が聞こえた気がした。
フェミニストで「お兄ちゃんはおしまい」は原作で読んでいる派です。
あなたの提示した問題点は、現在の社会が、少なくともはてなブックマークが、私が、受け入れられる限界ポイントを凌駕しているので、何も軽々には応えられない、という結論になってしまいました。
今のところの考察では、「女性は安全よりも安心を求めている、だから二次性徴前の性欲がないはずの男児さえ女子風呂で忌避される」「レズビアンを女子風呂に入れるな、という声はゼロ」「女性VTuber同士で乳房を揉んだりセクハラしたりイチャイチャしてもリスナーは問題視しないのに、男性VTuberが絡むと嫉妬する。レズビアンやトランスジェンダーの可能性を考慮しないで、男女接触にだけ嫉妬するVTuberリスナーは最新のモラル感覚を持ってるはずの若者さえ、数百万人レベルでLGBTフォビア」——…のような多岐に渡る問題に接続していて、頭がグシャグシャです。
長年デカくて悩んでいた胸を小さくする手術を受けるために整形外科でカウンセリングを受け、見積もりを取ってきた。インターネットに星の数ほどある整形レポートのなかでも乳房縮小術の症例はとても少ない。あっても整形外科医院のサイト内に内容と手術法および画像数枚が簡潔にまとめられている程度。FtM の方のブログも読んだが、そうではないケースで手術をしたという国内の症例や個人の記録は少なかった。まだ手術を受ける前の内容ではあるが、ここまでの経緯を記録したいと思い筆?をとった。
増田は30女、カップサイズFかG75、既婚、子なし、共働き、会社員、都内在住、やや低身長、標準体重。
胸が大きいと気づいたのは高校に進学し最初の体育の授業でクラスメイトにいじられたことが最初だった。増田の家庭は若干放任と毒親気味でブラを買ってもらえなかった。生活に不便だったのでコンビニ振り込みで下着をネット通販したのを覚えている。その後胸は私の意思に反してどんどん巨大化し、部活や文化祭等で揃いのユニフォームなどを着用する際に目立つようになった。その間進学から就職、今に至るまで典型的ないじられ方(見せびらかすなとかエロいとか羨ましいとか頭が悪いとか何カップとか)やセクハラをされ続けた。いじられた時、何か言い返すことで胸が大きいことを自慢しているような構図になり嫌なやつだと思われたり、褒めているつもりだと主張する人の前で変な空気になるのが嫌だったから愛想笑いで誤魔化しながら20数年やり過ごした。切になんとかならない体型いじりは社会から無くなって欲しい。
もともと増田はモードな雰囲気が好きだがその方向性は諦め、下着はサイズがないので高額で購入し、日常的にコスプレ用のさらしで胸を潰していた。スポーツや式典は胸周りをガッチリとテーピングした。物理的に息苦しい思いをするので、毎度イベントで体調が悪くならないかハラハラした。それでも人に指をさされるこの体型が本当に本当に嫌だった。「私は胸が小さくて悩んでいるのになにを謙遜しているのか」と逆ギレする女性などもいるのだが、お互いコントロールできないことなのだし、別にこちらとしても小さくはできないので、勝手に敵対視しないで欲しい。一時、ダイエットで美容体重まで減量した際も胸だけが残り絶望感でいっぱいだった。
自分の胸が嫌だという話が長くなってしまったがなんだかんだダボダボの服を着ながら日常生活をやり過ごしていた。そんなある日、海外のスポーツ選手がパフォーマンス向上のために乳房縮小術を受けたという記事を読んだ。こんな方法があるのかと、興味本位で日本で施術ができるのか、金銭的にはいくらでできるかと思いネットで調べた。そこで冒頭に述べた通りFtMの方の体験談、そして施術可能な整形外科のページや評判をいくつか見比べ、さっそく二つの院に予約をとった。
いままで胸が大きくて悩んでいると人に言うと「贅沢な悩み」だと一蹴されてきたので、受診するのはとても緊張した。顔面を含めそもそも整形自体初めてだった。全国展開の整形外科でも乳房縮小術はレアケースなので執刀医が少ないらしく、一つは自宅から40分もかかる院だった。
真剣に悩んでいることを整形外科医とスタッフに打ち明けたところ、ちゃんと話を聞いてくれて、正直涙が出そうなくらい嬉しかった(高額な施術を控える客だからかもしれないが…)。
どちらの院もだいたい同じ流れで、医師と女性スタッフの二人体制で
・どのぐらいサイズダウンを目指すか
・ダウンタイム
・手術痕
・金額
について説明を受けた。
まず胸を小さくする方法は、脂肪吸引もしくは乳腺切除、また著しく胸が垂れている場合は釣り上げ術というものを適用するのが主流だそうだ。増田のケースは乳腺が発達してしまっている胸のタイプで、脂肪吸引だけでは理想のサイズダウンは望めないため、乳腺切除が必要だと分かった。ダイエットしても胸が小さくならないということが受診によってわかり納得感があった。
また、胸の中身を出して小さくしても乳首の位置や皮膚がそのままだと見た目がおかしいので、周辺の整形手術を行う必要がある。施術は乳輪の下から縦に皮膚を切り裂き、胸の外周を半周切り取って乳腺切除をするため、そこそこ大掛かりな手術となるとのことだった。多少の傷跡が残ること、完成までのダウンタイムが回復が早くても半年ほどかかることも伝えられた。
結論、経産婦ではない場合は乳腺切除は後戻りできないのでよく考えてから決めてくださいとのことでカウンセリングは終了した。やはり出産前に施術を受ける人は少なく、子育てを終えた人がアンチエイジングとして釣り上げ術と同時に縮小術を受けるケースがほとんどらしい。個人的にはそこまで子供が欲しいわけではないし、さらに胸が大きくなった自分の妊娠中や授乳姿を想像するのもやや気分が悪くなるが、ちょうど30代に差し掛かる年齢ということもあり、別にセックスレスというわけでもないので、やはり後戻りできない施術とダウンタイム6ヶ月を考えるとやや怯んでいる。
病気ではないので、健康保険は適用されないため支払いは全額自由診療の料金になる。いくつかの院で見積もりをもらったところ、麻酔代などを含め日帰り手術130〜150万円前後が相場で、脂肪吸引のみで済む人だと80〜100万円弱ほどになるらしい。都内なのと、ある程度名の知れている整形外科を中心に見積もりをとったからこの金額になるのかもしれないので、地方の個人院や美容先進国の韓国ではどうなのかはまだわからない。またモニターといって、症例写真を提供すると2〜3割ほど金額から引かれるようだった。100万超の手術費用の捻出は私にとって大金だが、20数年間胸がデカいことに起因する嫌な出来事を考えると、金さえあればこんな思いをしなくて済んだのかと思う。その期間、無駄な飲み会などに多額を費やしたであろうことを反省するし、なんなら若くて回復が早くスケジュールに余裕のあった学生時代に施術を受ければ進学就職でいちいち嫌な思いをしなくて済んだのだろうか。
ここまでなんとなく、カウンセリングを受けてきたことを夫に話せていない。増田夫は体型などになにかを言ってきたことは今まで一度もなく、財布も別だし、増田の行動にもあまり干渉しないタイプだ。決意はだいたい固まっているのだが、まずは夫にどう切り出そうと考えながら、整形外科からもらった見積書とパンフレットをこっそりカバンから出して眺めている。
自分の持ち物である身体の整形手術なのに、まだ予定のない子供(≒妊娠出産)とパートナーのことが頭によぎるなんて、一体この胸は誰のものなんだろうか。
981年10月8日から1983年10月6日まで毎週木曜日の19時30分から20時までの時間帯(改編期や年末年始はスペシャルなどで変則あり)にテレビ東京ほかで放送された。全95話。1983年7月28日から10月6日までは再放送。
オープニングも含めて毎回乳房の露出があるという性質上PTAなどからの苦情が多く、1982年には京都で「マチコ先生に抗議する会」が結成されるほどだった[2]。えびはらは後に「友情の大切さを描いたつもりだったが、PTAに理解してもらうことは難しかった」と語っている。
マチコ先生に抗議する会結成と同時期に、近畿地方の放送局が広域放送局の読売テレビからテレビ大阪(大阪府域局)と奈良テレビ(奈良県域局)に放映権が移行したため、滋賀・京都・和歌山・兵庫の4府県では事実上放送が打ち切られた[注釈 1]。
このような中、同作に対する抗議行動として学研が発行していた全ての学習誌不買運動に発展、これを受け学研は『チャレンジ』での連載打ち切りを決断した。この打ち切りに伴い当初は講談社への移籍が検討されていたが、学研側からの慰留により見送られ『アニメディア』、『中2コース』での連載が開始している[3]。
マンガやアニメで、女性の体をことさらにエロく表現するのを、全年齢向けや公共の場ではなく、18禁の隠れた場所でやってほしいということだ。
乳揺れも、乳房ハイライトも、イラストの乳首の膨らみも、スカートの股の不自然なシワも、性被害を受けても怒らない女性も。
全年齢の場所で堂々とやるのはやめてほしいんだ。
マチコ先生の表現に迷惑被った世代が、タイムスリップして現代に来たとでも思ってんの?
現代のマンガやアニメのエロ表現は、昔からの女性蔑視の価値観によって地続きなんだよ。
むしろ乳揺れだの乳房にハイライト入れる表現だののエロ向け表現が全年齢向けにまで進出していて悪化している部分まである。
いつまで、どこまで女性を「女体」としてモノ扱いすれば気が済むんだ。
人間としての女性に向き合わず、乳房や膣を持った見てくれを愛でられる女体だけに価値を見出す、そういう価値観を維持拡大再生産するような表現をやめてほしい、見たくない、多くの人や子供の目に入るところでするのはやめてほしい、どうしてもやりたいならマニアだけが見るところで隠れてコソコソやってくれ。
もうこれ以上女性をモノとして扱う価値観による被害を受けたくないし、若い世代に引き継がれるのも避けたい。そういう願いがどうして人権抑圧扱いされなきゃいけないんだ。むしろ女性に対する人権抑圧してるのは「自由にエロ表現させろ」というお前らだろうに。
「性的消費とはなにか、何を消費してるのか」——…
およそ10年増田とはてブにとぐろを巻き、性的消費を研究しているものです。
答えは女性の尊厳です。尊厳とはこの場合、パブリックイメージを意味します。
女性全体のイメージが削られ、すり減らされ、人としてマトモな有様から遠く離れていく様子を、性的消費と称してるのです。
近年タクシーの運転手が女性客に対してだけ横柄な態度を取るって話が話題になりました。あの話もまた、女性のパブリックイメージ(=女性性)が軽んじられている証拠のひとつです。
男性が自分の行為がセクハラかどうかを自分で判定するときに「女性を男性上司の娘に置き換えて考えてみろ」というアドバイスがあります。この助言もまた男性上司の威光の下にある子どもと一般女性の人間としての重みの落差を前提にしています。もし元々女性の同僚と男性上司の娘を同じレベルの人間性を持つ人間と考えて丁重に扱っているのならば、セクハラは起こらないのです。
女性とは粗末に扱いすり減らしてよいもの、という認識が女性自身に移ったとき、それは自尊心の低さに変わります。自分を傷つけるモラハラ男性に魅力を感じてしまい、性的合意を欠いた一方的な要求に屈するようになってしまうのです。
推理小説のネタとは違い、女性性は消費されても簡単に利用不可になって枯渇する怖れを感じたりはしません。だから消費の感覚は薄いものです。しかしもしフェミニズムが忌避され忘れ去られてクレームの声を上げる誰かの勇気も消え、女性の性がぞんざいに扱われるのが当然のようになれば、女性は女性であるだけで、自分自身を大切に捉えて、自分の人生に意味を持とうとする主体性を持てなくなってしまうでしょう。
絵を性的に消費しない態度を取ることは、消費者側の男性でも出来ます。性的に興奮しなければ良いのです。絵の美しさや面白さ、楽しさ、そういった部分に目を向けて、性的にまなざすのを止めればいい。長年の習慣で自動的にセクシャルな部分に目がいくように刷り込まれていると難しいですが、意志の力であらがうのは可能です。出版する側もまた、性的消費をなるべく誘わないような描写をすることが可能です。注意すべきは、厳密には性的消費をする責任は出版社ではなく消費者側にあることです。というのも、出版社の善意の工夫が逆に性的消費になってしまう場合があるのです。広告塔として採用し女性がたまたま乳房が大きかった場合を考えてみてください。彼女を拒否して乳房のサイズの小さいアイドルに置き換えたり、服を工夫して乳房の見え方を調整したりするのは、むしろ彼女を、ひいては女性一般の態度を萎縮させる結果に繋がるでしょう。それゆえに男性オタクが声を揃えて「別にエロくないが?」と言うのは意味があるのですが、一般の女性が信じない場合には意味がありません。ただ男性オタクの評判を下げるだけです。女性性を、女性のパブリックイメージを傷つけうる表現をやんわりと差し戻して、消費者が公式(運営)と共に、キャラクターの魅力とコンテンツの面白さにスポットを当ててそれを楽しめるようにシフトしていくのがベターな態度だと思います。目指す未来では、大きな乳房も見えてしまったお尻も、障がい者の体の一部と同じように、ただの身体的な個性のひとつになり、特に注目を集めることも腫れ物のように注意深く扱う必要もなくなるでしょう。
私は、かつて性的消費に反発しフェミニズムを鬱陶しく思っていた男性オタク増田でした。しかし内省を重ねた果て、現時点までに、このように考えるに至っています。