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はてなキーワード: 中学生とは

2022-04-17

中学生の教え子から告白された

数年前の話だ。

当時大学生で塾講のバイトをやっていたのだが、受け持っていた中1の子から告白された。

からの子のことはかわいいと思っていたので、

その気持ちは嬉しかったのだが、やはり未成年に手を出すのはだめだろうと思い受けることはできなかった。

「もし18になっても気持ちが変わらなかったら付き合うよ」

と答えたら目を輝かせながら

「待っててください!」

力強く決意の言葉を返してきた。

それから1年ほど経った頃その子に同じ学年の彼氏ができたと聞いた。

ちょっとしかったが中学生なんてそんなもんだろう

こっちもあの後すぐに彼氏ができて同棲を考えているところだ。

春になるとふと想い出す懐かしい記憶だ。

2022-04-16

anond:20220415215353

「3人で生きていきたい」という文字があったので自分からアドバイス


ウチには発達障害と診断された子供が3人いる。

怒鳴るような喧嘩毎日だし殴ったろうかと思ったことも何度もあるけど(自分人生暴力を一度も振るったことのないヒョロい人間です)、それでも多分ウチは軽い方なんだと思う。

の子中学生になったしある程度未来が見えてきた。

最初は大変だった。

発達障害に対する偏見自分の中にもあったしどう付き合っていけばいいのかひたすら悩んだ。

でも日々疲弊していく妻を見てこれはいかん、打開策を考えねばと気持ちを切り替えた。

で、こういうでかい問題が起きた場合、受容できるかどうかが全てってことに行きついた。

家族/夫婦/子育てetc

子供は〇歳になったらこれが出来て当然、夫婦はこんな関係性が当然、家族はこうあるべし。

ウチの奥さんの怒りや無力感はいろんな「普通」に縛られて、その枠から外れる不安から発生してた。

健常児でも発達障碍児でも千差万別で正解なんてないのにね。

からその枠を壊す話し合いを徹底的にやった。

子供を立派に育てなくてもいい

別居してもいい

籍を抜いて同居してもいい

落ち着いたらまた結婚してもいい

役割を全うしなくてもいい

子供行政に預けてもいい

何年後には解散するチームと捉えてもいいし、子育てお金がかかる趣味と割り切ってもいい

愛情をかけてもいい、かけなくてもいい

発達は遅くてもいい

どれも一家無理心中よりはまだいい。

ここまで壊して、それでもこのメンバー家族を続けたいかって考えて、夫婦ともに同じ方向を向けたから今も家族でいられてる。

無意識自分が当然と思っている思考の枠から離れてゼロベース未来を考えられるか。

それが受容するってことかなと今は思ってます

奥さんもいろんな「普通」をそぎ落としてそれでも「3人で」って考えられるなら、きっと再構築できるよ。



ちょっと抽象概念に飛び過ぎた。

増田奥さんカウンセリングは受けれてる?

吐き出す場所がないとしんどいよ。

公的カウンセリング大事だけどウチで一番効果があったのは似たようなレベル発達障害の子供の親との愚痴の言い合いをする場。できれば酒ありで。

精神デトックス半端ない

みんな苦労してるし、3年、5年先はこうなるって実体験で言ってもらえるのがすっごく助かった。

「ウチもそれで悩んでたけど高学年になったらおさまった」って言葉に心底救われた(実際そうだった)。

なにより奥さんの顔が明るくなった。

ウチは療育グループでそうなれたけど探せばきっとあるはず。

でも変な宗教は気を付けて。はまりやす精神状態だと思うし。

話し合いは大事だけどタイミングは気を付けて。

余裕がない時はあらぬ結論に行きついてしまう。

できるだけフラット状態で話し合えたらいいね


とにかく増田奥さんも大変なのはめちゃくちゃわかるけどどうせ100年後は全員死んでるんだしさ、なるようになるさ。

山一證券破綻って今で例えるとどこの会社破綻

当時田舎中学生破綻してから山一證券知ったか

いまいちピンと来ないんだよね。

Iカップいかにも大人しそうな女子中学生がいたら、うわっデカいなって思うじゃん。

隣を歩いてた友人が思わず「でか!」と口にしてじろじろ胸を見たとして、それに気づいた女子中学生の顔が真っ赤になったとして、友人に対して確かにデカいから仕方ないと思いこそすれ本気で怒ったり引いたりはしないだろう。

口では「やめろよ」と笑いながら言ったとしても、男なら気持ちはわかる。たとえば通りすがりにその爆乳に肘が当たったことを自慢されても気持ちはわかる。楽しく遊んでいる最中に本気で咎め空気を悪くはできない。

男なら仕方ない。爆乳なら仕方ない。女の子別に嫌そうな顔はしてなかった、と思うだろう。

Iカップ女子中学生だった私自身もそう思っていた。

小学生の頃から通りがかりに卑猥言葉を投げつけられたり偶然を装って胸を触られたり教師にニヤニヤしながら凝視されたり同級生男子にふざけて羽交い絞めにされたり、そういうことがしょっちゅうあったけど中学生しからぬ巨乳女子中学生から仕方ない。

「やめてほしい」と本気で言うと、誤魔化すように笑うか空気を読めよとキレられる。巨乳のくせに本気で怒る私のほうが間違っているかのような雰囲気

顔色を変えず上手く躱すようになることが大人の女性の本当の賢さだと社会は言っていた。ほんの十年前まで、たわわな女子中学生高校生性的存在として扱われるのは当然だと社会のさまざまな場所広告されていた。

建前上はやってはいけないことだが、実際にそれが行われたのを見た大人の男は「気持ちはわかる」「男の本能から仕方ない」と言う。この苦しさは、ずっと欲情させる身体に生まれてきた自分が招いたことだと信じていた。

この巨乳はあまりにも人目を引き、これまで接した男性たちに「この女は性的存在として嘲笑していい」というメッセージを送り続けた。

私に大小の性的接触をしてきた人々は決して低能でも粗暴でもなく、普段は人のいい友人たちだ。ごく普通の善良な男性性的欲情を起こさせ、ラインを超える言動をさせるのは、私の身体だ。

私自身は重度のオタクだし、自由主義者であり性的表現規制には慎重な考え方だ。

だが同時に、私が子供の頃から好んで読んだり見たりしてきたメディアで示された性的表現自分が影響されてきたことも知っている。

周囲に溢れるバラエティドラマ漫画アニメによる刷り込みで、コミュニティの中で性的アイコンとして振舞うように求められるのは当然だと学習してきた。

辛いと感じるのは私が弱く、大人スキルをもっていないからだと思っていた。

大学ジェンダー論に触れ、あるいはいくつかのフェミニズム論に触れて初めて私は怒ってよいのだと言ってもらえたとき目からうろこが落ちたようだった。

それまでずっと私が受けた性被害は性被害ではなく、それは私自身が招いたもので、受け流せない自分が悪いと思っていた。

私の身体は私のものだと言ってはいけないと思い込んでいた。私の身体のせいではない、社会が間違っている。この社会を変えられると言ってもらって、涙が出た。

漫画アニメが実際の性犯罪惹起する確率は低い、というのは理解している。

だが私は漫画アニメから性的存在として振舞うのが正しいあり方です」というメッセージを受けとって成長してきた。

データを示せと言われたら困る。私は持っていないのでこれはn=1のただのお気持ち表明だ。

これから被害を受けるかもしれない子供たちに、それを肯定するような表現を見せたくない。あなた身体あなた自身のもので、踏みにじられそうになったら本気で怒っていい。あなた以上にあなたの周囲の大人たちも怒ってあげると言ってあげたい。

私が公的場所での性的表現をやめてほしい理由はこういうことです。性犯罪を誘発しかねないという理由性的表現批判していることについては否定的に見ています

中学生の不良が抗争して殺し合う講談社漫画内閣府タイアップにも駆り出されてるのに

2022-04-15

田舎の塾に小学校から高校まで通ってた

田舎民間の塾で小学生の時は週3で国語算数の日、国語パソコンの日、算数英語の日みたいな感じだったな

小学校の時は大体月一万(送迎バスが別途料金)とかそんなもん

こんなに安いのはこの先の中学生向けのクラスがメインだったから囲い込み的な意味もあったのかも

中学生向けだと月2万とかで、入塾試験も月次テスト別のクラス分けとかもあって、3クラス中1クラス地元最優秀高、残り2クラスが2番手高校に受かるみたいな感じ

自体地元中学校より人数多いくらい通ってたか全然違う校区なのに小学校から顔馴染みがたくさんいる状態高校入れて友達も早めに確保できて助かってた

高校から予備校とかもたくさんあるし、地元国立なら学校の授業だけで受かる子も多かったから塾の人数は減ってたか

自分が通ってる間に通信制高校とかも開校してて地元じゃ手広くやってる老舗塾って感じだったけど、ど田舎だとこういう塾わりとよくあるみたいで他県の人とも地元の老舗塾の話で盛り上がったことある

横浜にいるけど都会の学習塾事情とか進学事情が分からいか子供の進学時にどうすんのか戦々恐々としてる

anond:20220415142613

マクロンフランス大統領中学生の時、教師ブリジット(のちの妻)は、マクロン演劇指導につき合わせた。

ブリジット銀行マン結婚しており、私立校教師として働いていた頃、当時15歳の生徒、エマニュエル・マクロン出会った。二人の関係教師と生徒(40歳と15歳)、さらに同じクラスにはマクロンと同い年の娘が在籍していた。

ブリジット・バルドー風のファッションに身を包んだ彼女は、ラテン語フランス語、そして演劇を教えていたが、神童とも呼べる優秀さを示していたマクロンからリクエストで毎週金曜日個人指導が始まり、「そんなもん疑いなしに、先生生徒の関係を超えてムニャムニャなことになったに

先生趣味につきあわされたことあるエピソード教えて

中学生とき理科先生映画が好きで、なんか授業のコマを使ってみんなで「ゼイリブ」を見たことをふと思い出した。

今思うと完全に先生趣味だったんだけど、あれはあれで楽しかったので良い思い出。

英語時間には、別の先生だけど、英語ヒアリングだとかなんとかこじつけスタローンの「ロックアップ」を見たんだけど、今思うと題材的に英語発音的にも適していたのかは謎(たぶん適してない)。

なんかそういうのみんなの体験あれば教えて下さい。

※できれば、そういうのがあってクソだった!というテイストよりは、未知のもの出会うチャンスが合ったみたいなののほうが読んでて楽しいけど、どちらでも。

2022-04-14

近所のおばさんがやってる個人の塾

今日はてなブックマークで盛り上がっていた、笑い飯哲夫の塾の記事を読んでいて、ふと思い出したから書き留めておく。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0ebb8f0cfa9377ae6d317df08076ee6809847ddd

>>それともう1つ、僕が小学生ときに通っていた近所の塾が原点になっています。塾代が月3000円くらいで近所のおばあちゃん先生が教えてくれて、授業をするというよりは分からないところを教えてくれる場所でした。そういう地域密着型で、料金が安くて、「勉強の仕方」を教えてくれる塾ができたらいいなという思いがありました。<<


うちの近所にもこういうのあって、通ってたよ。懐かしい。

もともとは近所のおばさんがやってたそろばん塾で、月謝3000円で週3回、1回1時間という今思うとハチャメチャな値段だった。

そのおばさんの家をそのまま使っていて、たぶん30人くらいは通ってたな。別に週3回開かれてるのを必ず参加しなければならないってわけじゃなかったけど、まあやることもなかったかキッチリ通ってた。

ほとんどの人は小学校そろばん塾を辞めるから、そこで終わらせるのは……とおばさんが思ったのか知らないけど、いつの間にか中学生向けの数学塾も開かれるようになり、要望もあって英語塾も合わせて開かれた。

その数学塾と英語塾はそれぞれ週1回ずつで1コマ1時間半ずつ。数学そろばんのおばさんが講師をする場合もあったけど、手が回らないから、おばさんの娘(高校生or大学生)や、その友人が講師をやってた。月謝は6000円だったな。

自分一般的な塾に通ったことはなかったから、どういうところかは知らないが、この塾は上の哲夫の話にあるような復習がメインのような塾とは違って、予習がメインとなっている塾だった。基本的学校教科書を使って、少し学校より先回りで教えてくれるスタイルだった。だから学校の授業ではすでに分かっている状態だったから、問題無双できたときもあったし、ちょっと鼻が高かった。今思うと、そういうドヤ顔できることで勉強面白さを伝えてくれるところだったのかも、と思い返している。

この塾そのもの中学校までで高校まではなかった。

で、この塾を卒業した人が、高校になった後、講師バイトしてスカウトするという面白い循環システム確立されていたのをしばらくしてから聞いて、なるほどなとちょっと思った。確かに講師役のおばさんの娘が社会人になった後はどうするんだろと思ってから

自分は塾はここしか知らないし、ゆるい空気だったのも好きだったし、月謝6000円くらいが相場なんだろうと勝手に思っていたけども、塾ってめちゃくちゃ高いと知ったのはかなり後の話。

自慢するわけではないけど、自分落ちこぼれではなかったし、だからと言って向上心があったわけでもないから、高校の3年間は塾に通いたいとは全く考えずに、中堅どころの私立大学も独学だけで合格した。今思うと、親もお金の掛からない子供だと安心していただろう、たぶん。子供の為とはいえ、食べざかりの子供がいる状態で、毎月数万追加で飛んでいくのって、かなりエグそうだしな……。

笑い飯 哲夫経営する“激安の学習塾“とは「学力差が家庭環境によって起こるのはおかしい」

https://news.yahoo.co.jp/articles/0ebb8f0cfa9377ae6d317df08076ee6809847ddd

小学生の週2コースが月5500円からで、中学生の週3コースが月1万円です。毎日通えるコースもあります基本的に1万6千円は超えないように決めています。」

見たけど、月5500万円からならそこまでめちゃくちゃ激安って訳でもないなと思ってしまった。

今ってほんと教育費が爆上がりしてんだな。

神真都Qが滅び、全てが忘れ去られた頃に

神真都Qをテーマにしたラノベを作りたい。設定がいいかんじの中学生感あっていい。いまは被害を受けた当事者がいるし傷つけてはいけないから、人類が滅びたあたりで書こうと思ってる。それまでに不老不死にならなければならない。

ストーリーは神真都Qに所属する主人公宇宙人ヒロイン(大臣の娘として人間擬態しているゴム人間)が禁断の恋愛をするストーリー

そのためには不老不死にならなければいけない。月の都に行って薬を強奪してくる。そして、月の都を支配する。もしも読みたいなら一緒に不老不死になろうぜ。

2022-04-13

ホットエントリにきてる、中学生からアイドルやって人生を棒に振るみたいな記事

まあでも子供芸能活動やらせる親とか、芸能界に入らなくても勉強がんばらせていい学校いかせるみたいな感じじゃないだろうしな。

さよなら絵梨の論点を整理したい

追記:整理と言いながら大分とっちらかってしまったので要約。

・少なくとも、スマホ主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈余地あり

・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。

・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。

■本作は五重構造になっている

母親最期を看取る主人公

②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジ映画作る主人公

③の出来事を振り返る中年主人公

④に爆破オチを追加した主人公

⑤という映画体裁にしたマンガ

あとは無数の映画オマージュそれから作者の過去作や実体験も重なってくる。

■どこまでが虚構でどこから現実か?

身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチ現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやす表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。

■①

最初主観視点スマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?

18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます

P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。

■②

P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホ隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用

★"母親の死を冒とく"”あん映像流して母親申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"

続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムスマホで撮った映像と、後撮りした映像シームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。

P39、作中で言及されている通り本来眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像ソフト編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生技術力を考えるとBかC。

P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブファイトクラブは、本作のどこまでが現実空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにメタ構造ネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。

★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。

P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身過去編集と似たようなやりとりしてたことを過去インタビューで語っていた。

★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機主人公の口から言語化されている。

★P82で、作品テーマである"ファンタジーひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。

P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写編集ウソが混ざっていることが明示される。

★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画バカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼死ぬシーンの説明

P87で絵梨が意味深沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86過去回想シーンのため、編集

P90~P93もそう。意図的沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやす表現で、電子掲載特性が生かされていて良い。

★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分面白いと思って作った作品馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。

前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。

P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的ネタにしてアピールすることで、ネタマジレスを防ぐと同時に、この作品テーマの一つである虚構現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。

★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"

ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。

P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。

P108。最初出会い病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。

P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。

P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。

★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"

ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。

P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。

P133廃墟主観視点でないので、後撮り。

■③

P151にて場面転換。

P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。

P164、ここから主人公モノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらいかカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像流れるのかな?

P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。

■④

P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作現実メタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。

★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。

映画タイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス定番ネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。

★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーひとつまみ足りないんじゃない?"

恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。

★P191、最期作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"

作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。

P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。

すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体作品にしてやろうというところなのではないか脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。

2022-04-12

中学生からアイドルをやり社会人の年齢で卒業すると、学歴もなく社会経験もない人が生まれ問題真剣に考えるべきではないか

https://togetter.com/li/1871958

まともな親なら子供が血迷ってアイドルやりたいとか言っても認めないわな。

アイドルとか、家庭環境からしてサッシって感じだわ。

ジュニアアイドルでも早慶合格してアナウンサーになるような人がごく僅かだけどいる

のだから

中学生からアイドルをやり社会人の年齢で卒業すると、学歴もなく社会経験もない人が生まれ問題真剣に考えるべきではないか

結局は本人と親の問題なのだと思った

剽窃擁護トップブコメ 

皇族剽窃作文を擁護してる人が多くて驚いている

剽窃はやっちゃいけないことだけど、中学生男の子のことを週刊誌がわざわざ記事にするかね…。普通の子なら家庭や学校で注意されて終わるものだろうに。不憫でならない

↑250以上スターが付いて断トツトップ

読んだ感じだと、パクリだらけってわけじゃないんだな。落ち着いた筆致で読みやすい、出来の良い作文って感じ。中学生なら上出来じゃないの。

↑内容が良ければ剽窃の有無は関係ないとでも言うのであろうか。

もう中国の事批判できないね日本の象徴になる人が剽窃してもオッケー👌なんだから

すごいね

落ちぶれたのは経済だけじゃなくて徳も遵法精神も無くなったんだ。

anond:20220411135216

Twitterで<レイフォース>@rayforcegameって人がよくつぶやいてるので引用しよう。

十三機兵防衛圏」についてはこのツイート。つまりどういうことかというと、原作日本語では「女装している男」だったキャラが、英語版では「自分は男でも女でもない」と考えるキャラに改変されているということ。

https://twitter.com/rayforcegame/status/1309518272266600449

どうもアトラスの『十三機兵防衛圏』の一場面らしいんですが、この画像が本当に正しければ不正確な翻訳ですね。「都合がいいんだ」が「binaries work for me」になっているようですが、この場合2進法ではなく、性別意味合いをこめていますよね?そういう意味原作にあるんでしょうか?

https://twitter.com/rayforcegame/status/1309520824294989825

この記事に載っている場面が正しいとすると、これもポリコレ案件日本語版では明確に”男の僕”と述べています

一方で英語版では性別を明確にしていない。他の場面でbinariesとわざわざ変えていることを考えると、”女装している男”という存在ゲームから消そうとしている?



すばらしきこのせかい」についてはこんなかんじ。

https://twitter.com/rayforcegame/status/1412019431912345600

うーん、この翻訳は確かに可笑しいと思う。「すばらしきこのせかい」の翻訳だそうですが

1、「資本主義を美化しない」なる、元の日本語にない部分を追加

2,「競争社会」を何故か「資本主義」と訳している

これは思想翻訳を曲げた例臭いなぁ。ごく稀にですが、この手のケース見かけるんですよね。

https://twitter.com/rayforcegame/status/1423946836428029955

すばらしきこのせかい」の英語版、どうも翻訳者の思想性がねじまれてる形跡が度々指摘されますね。今回は

1,「カレーは本物か?」を「文化盗用」とポリコレな意訳にする

2,「中学生高校生」という単語を消して”年上・年下”で言い換え

3,「3回男にナンパされた」を「3回Missと呼ばれた」など。



他にも、「小林さんちのメイドラゴン」、「無職転生」(これはアニメじゃなくて小説のほう)、「SK∞ エスケーエイト」でも翻訳が改変されてるそうだ。

https://twitter.com/rayforcegame/status/1358375571479097346

エロ規制特にロリ規制)・アイデンティティーポリティクスがらみ(LGBTを入れねばならぬ、みたいなやつ)と並んで翻訳炎上やすネタです。悪名高いのをいくつか紹介。メイドラゴンで、原作に無い家父長制批判メッセージを入れ込んだケース。

https://twitter.com/rayforcegame/status/1362125050514534403

しか翻訳時の原作改変って、ラノベでも横行しているのね。たとえば無職転生で「胸をまさぐる」「パンツ脱がす」シーンを、風邪を引かないようにシャツを引っ張る、に変えたり、過去レイプへの言及をぼかしたり・・。アニメ原作に忠実なために気がつかれた模様。他タイトルでも多数あるそうです。

https://twitter.com/rayforcegame/status/1381731065857859584

これはアニメ、「SK∞ エスケーエイト」の吹替で、原作に無い性別で呼びかけているケースですね。

原作スケートを愛する、愚か者達よ!

吹替:''hey bitches and bros, and non binary hoes''

  (ビッチ兄弟、そしてノンバイナリーのヤリマン

ノンバイナリーは男でも女でも無い性自認のはず。

2022-04-11

つうか皆タツキの話理解できたんだ

俺は理解できねえ

どこまでが劇中映画?どこまでが作中キャストにとっての現実

まずここがわからない。

最初に断っておくがこれは「漫画なんだから全部フィクションだろwwww」で終わる話じゃない。

「作中のキャストが実際に体験したこと映像化した部分が何割含まれいるか」という話であり、逆の言い方をすれば「両親や同級生も全部俳優で、中学生主人公オッサン主人公は別の俳優がやっている」という解釈が正しい可能性も考慮するということだ。

ありがちなパターンで「4コマ漫画になっているページは映画」だと考えると母親病院を爆破したのが現実になってしまう。

逆に「4コマじゃないページは映画」だと考えてもいいがこれだと現実部分がコリジョンを起こし始める。

全てのページが映画であり映画の中で映画を何回も作るという『カメラを止めるな』方式なのだと考えるとハッキリするが、その場合この話は「作中のキャストにとってもフィクション」となるのだろうか?

この入れ子構造は作中で何度もループがされており、主人公文化祭でクソ映画を上映したことけが真実だったり、逆に文化祭でクソ映画を上映することはなくいきなり泣かせる映画だけ上映していた可能性もあるのだ。

難しい。

とっかかりがない。

それこそ「あの世界には本当に吸血鬼がいて、主人公吸血鬼を爆破して去っていった」という仮説さえもオッズこそ凄いことになってしまうが完全に死んでいないのではとさえ思えてくる。

ファンタジーは1つだけ」というルール

映画考察で時折耳にする実に鬱陶しい謎のルールだ。

「大きな嘘は作中に1つまで」という映画論もあるし、また「作中に1つだけ論理破綻を残して受けての考察を深める」という意味不明理屈もある。

後者理屈は往々にして映画解説者のどちらかの頭が破綻しているのを必死になって誤魔化そうとする場合に使われがちだ。

たいていこの「1つだけ論理破綻が残されている」の理屈安易に振り回す考察者はのちにスタッフインタビューが出てきたときに大恥をかいて「でも映画を見ただけだと読み取れなかったんだからしょうがないじゃん」と慌てふためくものである最初から無理に決めつけて格好つけなければいいだけだったのに……という話であることは伝わってるよね?

さて今回もそこに気をつけていきたいのだが、気をつけようとすると一気に手詰まりに近くなる。

いや答えは見えてる。

映画の完成にはファンタジーが1つ必要であり、吸血鬼というファンタジーを入れても映画は完成しなかった。爆発というファンタジーを入れて映画が完成した。つまり吸血鬼ファンタジーだった」

これでいいはずなんだ。

いいはずなんだが、誘導されている気がしてならない。

のちにタツキが編集者インタビューをするときに畳をひっくり返されて顔を真赤にさせられる気がしてならないほどに誘導させられている。

だがそれを恐れて別の考察を始めさせようという悪意さえ感じる。

まるでギャンブル漫画の「蛇でありがとう」の世界だ。

とりあえずテーマはなんだ?

「振り返ったとき気持ち自分で決められるのは凄いことだ」

これがまず思いつく。

前作ルックバックを知っていれば思わずコレに飛びつきそうになる。

でも本当にそうなのか?

カメラは作り手が切り取りたいように世界を切り取ってくることが殊更に強調されていく作品の中で、カメラが切り取ってきたものをそのまま受け取って良いのか?

素直に受け取れという作品で良いのか?

映画ってマジで面白いよな。映画好きの美少女吸血鬼かいたら最高じゃね?ついでに失恋するとき相手病死したら文学的で二重にいいね」とかそういう話でしかないのを必死意味見出している我々をタツキが掌に乗っけって笑ってるんじゃないのか?

「爆発オチは最低なのか」という映画にも思えるし「俳優って役作ってるだけなんだよな」って話なのかも知れないし、答えを一つに絞れるのか本当に?

からねえ。

難しいぞ。


で?お前らこれが理解できたんだよな?

理解できてるからなんか偉そうに「いやー素晴らしい作品だった。これはこういう作品だったわけだが、なるほどなるほどだね」ってコメントしてるんだよな?

俺はもう「分かんねえ……むっず……ところでチッスはしてるけどエッチもしてるんすか?」ぐらいしか言えることねえぞ?

やっぱはてなーって頭いいんだな

2022-04-10

初めてここに来た

なんか素晴らしい気分。

中学生に上がったとき、初めて校区の外に出た気分に似ている。

まあうちの近所はこんな風に荒れてなかったけどね。

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