はてなキーワード: ポピュリストとは
普通に考えれば、不倫自体が悪い。誰がやっても悪い。当たり前だ。
しかし、ゲス以降の騒動を鑑みるに、どうも不倫した人間が「優等生ポジションの芸能人」だったり、
「わざわざ育児休暇を取るような意識高い系議員」だったから、余計に叩かれた印象がある。
どうも、運動部の奴らが好き勝手するのはしょうがないけど、陰キャラが同じことをするのは許されない、
ベッキーはあれから番組下ろされたり、違約金を払うハメになったり散々らしいが、
例えばプロ野球の監督があれだけ不倫しといて、そのせいで辞めることになった人は何人いただろうか。
角界や梨園なんかその辺乱れに乱れまくっていると聞くが、みんな見てないふりをしている。
育児休暇を取った議員が辞める一方、どこぞのコスプレポピュリストは涼しい顔だった。
サラリーマンなら、不倫が社長にばれれば降格や退職といった罰は免れないだろうが、
不倫の社会的制裁というのは思った以上にガバガバである。一部の世界(の男)に甘すぎる。
ちなみに乙武氏については、叩きたい人は普通の人みたいに叩いていいんじゃないかと思う。
というのも、そもそも彼は「障碍者だからといって固定観念で見てほしくない」という主義でデビューしている。
むしろ望むところだろう。
いろいろ考えられるだろうが、とりあえず最大公約数的に言えるのは、夫が妻子を平気で捨てたり、
誰が親かもわからない子がそこら中にあふれたりという環境は、大多数の人間にとって望ましくないと思われる。
かつての武士階級では、不貞がわかれば重ねて四つに斬るという時代もあったらしいし、
近代までは姦通罪というものもあったが、現代の日本では民法上のみ制裁の対象となる。
ただ、慰謝料の相場は、ケースにもよるが数百万円というのが大半だと聞く。
上で挙げたように、ある程度収入のある立場の人間には、むしろ社会的制裁の方が痛い。
ただ、社会的制裁はどうも命中率が悪いし、かといって金は今の相場だと払える奴にはそこまで痛くない。
それ以外、何に頼って不倫が抑止できるのだろう。そもそも、そこまでしてでも抑止すべきという合意があるのか。
殺されるまでもない、刑法で罰するまでもないから、そういう決まりはなくなったのではないか。
なんだかわからなくなってきた。
今はてブトップの保育園落ちたが共産党のやらせだったって言うの見て。
基本的に党派性関係なく意見が一致できそうな話題なのに、共産党のやらせだからダメだそうな。(いや、やらせの是非について言ってるんじゃないですよ勿論)
今こういう人たちってネット上に結構入るけどもしかしてこの流れってまずいんじゃないかなぁ。
トランプは言っていることは過激だけど、TPP脱退、累進課税の強化等々経済政策に関してはサンダースさんと似通ったところがあるらしいそうな。
ただ、以前はそうではなかったらしいとの情報もあり、明確なことはいえない。
でも、そのように考えると、トランプの言動には明確な方向性があって、それはアメリカの労働者層や下流中間層の気持ちを代弁するポピュリストであるという点なんだよね。
上記の左派的な経済政策や移民・難民排斥、日中への口撃や、世界の警察の役割をやめるという発言やメキシコに壁を云々は、実際イスラム過激派のテロも多発していると考えるなら、やはりいってしまえば内向きの、アメリカにもともと住んでいた特に労働者の気持ちを代弁していると考えるべきだよね
そこにはポピュリズムはあるがイデオロギー的なものは存在しないと思う。
そのように考えるなら、日本でトランプに相当するのは同じくポピュリストの橋下さんといえると思う。橋下さんはトランプみたいに差別発言はしないから橋下さんには失礼だけど
彼がいつも言ってるのは既得権益の打破で、トランプもイラク戦争を明確に批判しててそんなのに金をかけずにインフラ整備とかやるべきだったと言ってて従来のエスタブリッシュメント層の政策への批判という点では一致している。(だから従来の共和党支持者からは受けが良くないらしい)
翻って安倍さんだけど彼の経済政策って別に左派的じゃないよね?
それなのにとても富裕層とは言えない、彼の政策で首が絞めれるかもしれない人たちが彼を支持してて、彼を批判する野党やメディアを叩いて回ってる。
なんかこの紅衛兵とかナチスの親衛隊みたいに取り巻きが血眼になって反対者を攻撃する感じ?
いや、こういうのがこのくらいで収まればいいんだけどたまーに現実世界に影響与えちゃうこともあるじゃん
あまり言いたくないけどこういう日本みたいな首相への個人崇拝みたいなのって、他の民主主義の先進国でも見られることなのかな
見られないとしたらほんとに怖いなぁ
こういう話が盛り上がる様は知性の堕落だ。きのこたけのこ論争や犬派猫派なんかと同じだ。一見ファイティングポーズを取っているようでいて、その内実は当たり障りのないどうでもいい事だ。みな「そんなの勝手でしょ」で消化できることが暗に分かっているから、空気を読んで安易にノってしまう。そんなぬるま湯に浸かる姿勢は、はてな匿名ダイアリーを愚弄している。もっと人間の心の闇、ネットの闇に切り込む鮮烈な一閃のようなエントリを書くべく、みなが知恵熱を出すべきだ。角が立つような物言いもするだろう。そのための匿名なのだ。その思想を茶化してスカしてみせるような、日和ったネタ、短文のイチャモン、それらは存在してもいいがメインになるべき器ではない。
増田は遊びではない。仕事につかれた人間が息抜きにやるしょうもない作業ゲーの如きものに成り果ててはならない。試行錯誤を繰り返し最適パターンを見いだし、体に刻みこむような、そんな本格的ゲームのように、どっしり腰を据えて、マジになって、世の中や人間に対して、怒りや憎しみや不満を大いにぶちまけてほしい。別に議論にしなくていい。建設的でなくてもいい。狭窄で偏屈な主張でいいから、ただただ本気の筆致を感じる文章を読みたいし、書きたい。少なくとも自分にとって、心に残った増田はすべて本気の熱を感じるものだった。
この論にべつに共感してくれなくてもいい。どうせこのエントリはブクマもトラバも0だ。あってせいぜい「キモっ」だ。そもそも長文で、しかもトラバである時点でまともに読まない人間が多いだろう。暇を持て余したニートが何かほざいてる、とでも察されて、「触れちゃいけない人」感を全員が感じ取り、協調するように何事も起きないままネットの海に埋もれていくのだ。そういう孤立的な状態や無反応を極度に恐れる空気があるから、くだらなくても何か盛り上がるネタや、他人をひっかけるレス乞食のような物言いをする人ばかりになっていく。そして自分の尖った体系的な意見を表に出せる人が極端に少なくなる。言えてせいぜい、感情的な短文の罵倒だ。twitterを想像してもらうといい。これが現代のコミュニケーションの病理であり、他愛無い話がぐんぐん伸びて幅を利かせる理由だ。たまに飛び出る長文ブログがやたらと炎上する理由でもある。だからあえて今ここで、孤独に醜態を晒す。「空気を読まない」を実践する。そんな訓練ができる場が、ここなのだ。
実際この論がかなり偏屈で、他人に無茶を求めていることは自覚している。けれど、世の中にあふれる偏屈を見て見ぬふりして、なあなあにしていると、気づくと自分も何らかの偏屈な思想を一部取り込んでいるものだ。そしてそれに無自覚でいる人が多くなると、ついにはヒトラーやトランプ氏のようなポピュリストの主張が支配的になるような事態に結びつく。だから自分の中の偏屈の種をさらけ出し、また他人がひり出した偏屈の種に向き合って、大真面目に思いを馳せ、「我がふりなおす」時間が大切なのだ。実は、そんな意識は誰しも持っている。誰もが日常のなかで他人の偏った主義主張に触れ、無意識のうちにメタな視点を持っている。だから、他人の考え方につっかかって、自分の中で醸成されたバランス感覚を披露したくなる欲求は常にあるのだ。
元増田も、そういう欲求から生まれたものだ。けれど、下手だ。欲求の発散のさせ方が下手。いや、逆に上手すぎる、適応しすぎているのか。当たり障りなく、適当に手短に欲求を発散させ、かつ反応を引き出しやすいやり方を心得ている。それでもやはり、欲求を満たす機会と時間を、こんなチャチなテーマで消費してしまうのは実にもったいない。「いいや、どんなテーマでも大真面目に普遍化して思考訓練の材料にすることは可能だ」という向きもあろう。でもエビ嫌いdisとカキ嫌いageというテーマで本気になれる人がどれだけいるだろう。それを配慮すると、やはり最初からハードコアな話題を振ったほうが良い。でも大仰なことを書こうとするほど、言い出しっぺにかかる期待と責任は増していく。ここが難しいところだ。本気の増田が求められるほどに束縛感が増して、萎縮を招く。でもある程度そういう風でいいと思うのだ。緊張感が大事だ。
不愉快な正論やご大層な暴論の刃をぶつけあう、殺伐とした場になれるポテンシャルがある。2chよりも。それが増田だ。増田には半匿名のtwitterに馴染めなかった人の受け皿としての側面があるのも分かるが、せっかくダイアリーという形で長文が書けるのだから、たまにはあなたにもこういうクソみたいな長文を書いてほしい。この文章のように、推敲もされておらず、同じことを言い続けた挙句言い逃げする時間泥棒のような文章で構わない。私は読んであげないけどね。
やはりというか最後の2センテンスが理解されなかったようなので、ロックじゃないけど言っておく。文章の中段で書いたように、他人に反応してもらうためではなく、まず自分のために書いてほしいんだ。だから、読者への配慮すらも気にせず、拙い文章でもがむしゃらに書いてほしい。私は読んであげないというのはツンデレのようなもので、誰かに読まれることを期待するような媚びた精神を振り払うための呪文だ。内なる情動から湧いてくる言葉をガーッと綴るときに、自分がどう思われるか、誰に読んでもらえるか、なんて視点は一旦置いておかねばならん。エクスキューズやポリティカル・コレクトネスを脇における機動性が匿名の良さなんだから。それこそ、真意を伝えるためには自分が憎まれるような言い方だってできる。それが、最後の皮肉の意味だ。
「改行くらいしないか」と言われているので前々から思っていたことを書く。増田における改行はpタグの挿入を意味する。つまりパラグラフを区切りたい時に改行するのが正しい。二言三言の簡潔な文章のエントリなら1センテンスごとに改行…という名の段落分けしたほうが見やすいだろうが、このくらいの長文になるとパラグラフごとに改行すべきだ。個別ページでみれば、ちゃんとパラグラフごとに字下げと適切なマージンが取られているのが分かる。これなら一般の書籍と似たスタイルで、読みにくいとは思わないはずだ。ただ、トラバの吊り下げリストを展開した表示だと字下げもマージンも取られずに見づらくなる。それは承知しているが、それははてな側の問題であって、HTML上妥当な書き方をしておいたほうがベターだし保守性もいいだろうという判断でこうしている。だから現状、トラバが長文だと思ったら個別ページを開いて読んでもらうのがいい。
「最後はうんこ漏らした話で締めるのが美学」? それは、このエントリで表現を変えながら主張してきた内容に反する。本当に読まれたのだろうか。まあそれに憤る気はない。私の技量の問題でもあり、読み手にとって巡りあう時ではない文章だったという事もあろう。いずれにしろ主張は変わらない。そうやって読者受けを狙って媚びたおちゃらけで締める事こそ、惰弱な精神の象徴。そういう内輪ノリみたいな軟派なコミュニケーション欲求を排して、最初から最後まで舌鋒鋭く自分の言葉で斬りつける。それが私の思う美学だ。ブコメに応えている時点でそれも揺らいでいるが、コミュニケーションを第一目的とするわけではないからあえてidコールもしていない。書くことで自分を研ぎ澄ませるのが目的だから、本来は「伝わらなかった」ことに苦慮する必要もないのだ。ならローカルのメモ帳でいいという批判もあるだろう。だが、あえて直接的に反応を見ない等と決めていても、自分の残したミームの一部がどこかに化学反応を起こしたら、と考えるとワクワクするだろう。それを物書きの動機付けにする程度なら、良いことだと思う。
なぜそこまでコミュニケーションを、他人の反応を忌避するのかと思うかもしれない。その理由は、効率が悪いからだ。ネット上の他人は年齢も育ちも見識も人格もあまりにも多様すぎて、その差異をカバーすることに労力を使っているとアウトプットの量も質も落ちるからだ。とかく我々は、相手も自分と同じような能力や規範を持っていると勘違いしやすい。だからいちいち説教して回りたくなるものだが、その欲求のために個別に相手をしていたらすぐに人生を使いきってしまう。だから、言いたいことがあったら、このエントリで述べてきたように、増田を利用した放言スタイルで重量級のをカマしてみてはどうか、という話だ。
橋・松「はいどーも〜」
橋「いやー今日もたくさんのお客さんに来ていただいて」
松「はい」
橋「最前列のお客さんなんかもう端から口パク口パク一人飛ばして口パクと」
松「いやいや」
松「よしなさい」
橋「まあ僕らこうして漫才してるわけですが」
松「ええ」
橋「まだまだ支持率が低いんでね」
松「そらまあしゃあないがな」
松「ええですな」
橋「まずはこの僕の隣に立ってる人、最高の相方ですわ」
松「いやいや照れるがな」
松「松?」
松「松?」
橋「ほんで僕の名前は橋に下と書いて」
橋「誰がやねんまだ誰も殺してへんわ」
橋「そのうちね。言うてる場合か。まあホンマ頑張っていかなあかんなー言うてるんですけど」
松「ええ」
橋「まだまだこの国は変えなあかんことが多い」
松「そうですなあ」
橋「たとえば少子化ね」
松「あーこれ深刻やがな」
松「愛人囲ったりね」
橋「多少疲れててもあの手この手で興奮して頑張るべきなんです」
橋「ってワシやないかい! でもまあ子供が増えるだけでもあかんのですわ」
松「教育をせんとね」
橋「これからは知識よりも日本の伝統と文化、まずこれを教えるべきやと」
松「そらええことですわ」
橋「それワシやないかい! まあそんなこんなで大阪も荒みまくって犯罪が多い」
松「これホンマ大変ですわ」
橋「なかでも多いのが詐欺ね」
松「ああ〜けしからん!」
橋「って全部ワシやないかい! きみホンマに僕のこと尊敬してる?」
松「当たり前やがな。一生ついて行きますがな」
橋「ほならええけどやな」
松「その代わり出世の方、頼むで」
橋「まかしとき。まあそのうち国政を牛耳ってやな」
松「うんうん」
橋「僕がキングメーカーになるわけや」
松「そしたら僕を総理大臣にしてや」
橋「お安い御用やがな。ほなちょっと指名の練習でもしよか」
松「ええなええな」
橋「内閣総理大臣」
松「はい!」
橋「松あきら君!」
橋・松「どうも、ありがとうございました〜」
見識は高いのに、2ちゃん脳の残念な人。
彼や、ネトウヨっぽい事をしてる人の大半は、保守や右翼ではない。
正義感や劣等感をこじらせて未熟な他人を攻撃することで快感を得るようになった変態的側面が強い
(攻撃の根拠としてモラルや伝統、慣習といった保守的な観念が利用されやすいというだけ)。
やまもと氏はそういった変態的性癖を披露することを売りに、記事を書くお仕事もされているので、目に入ってしまうと普通の感覚では気持ち悪いが、大衆受けはするのでいいのだろう。
平均的なネトウヨの思想傾向は、実際にはゆるいポピュリスト相当だろう。
やまもと氏の思想傾向は、頭がいいぶん、そこから自由寄りに行って、経済的自由も社会的自由もある程度尊重しているように見える。
頭おかしい。その主張が正しいか間違ってるかということと、その主張が通るか通らないか、ということとは別問題だろう。
この筆者は、意見が通りそうであれば自分の主張をし、通りそうに無ければ自分の主張を変えるないし、主張しないのだろうか。これは典型的なポピュリストであり、私はそういった政治家や人間は絶対に信頼しない。どうしてかというとそういう人間は、多数派が変わるたびに意見をコロコロ変えるからだ。
またこの筆者は、国際社会において自国の主張を通せないという日本の政治力のなさ、無力さを棚に上げ、「社会性を身に付け」「現実的な身の振り方」を覚えろという。
どうして、政治力を身につけ国際的な場で自分たちの意見をきちんと述べられる国にしようと思わないのかが、全く理解ができない。
自分の意見より、相手がどう思ってるかを常に念頭に置き、相手が受け入れられる主張しかしない。正しいか間違ってるかのは二の次。そしてあろうことかそれを、自分は「社会性を身につけた」「現実的な身振り方を覚えた」など勘違いしているクソ野郎なのだ。
不況だと「得するための努力」よりも「損しないための努力」の方が重要になってくるし、
全体のパイが縮んでいく状況だと「自分は損をせずに他人に損をさせる努力」が重要になる。
もっと儲けようという努力よりも、他人の足を引っ張ってでも今の利益を確保するための努力。
デフレと労働力人口減少が進む中では、社会全体がゼロサムかマイナスサムにしかならないから、
行政にしても、税収減の中で増税するか社会福祉を削るかの選択を迫られてるわけで、
「誰に利益を分配するか」という発想しか持っていない既存政党が有効な政策を打ち出せず、
特定の階層や集団を叩くポピュリストが大多数から支持を集めるのも当然だろう。
反橋下が「マイノリティを見捨てるな」と言ったのは致命的な戦略ミスで、
大衆はまさに「マイノリティを見捨てる」ことを望んでるんだから、
最初から選挙で勝てる見込みはなかったんだろうし、仮に橋下が負ける時が来ても、
社会全体が縮小していく状況が続く限り、第2第3の橋下が出てくる。
この期に及んで「俺の言ってることが分からん奴は馬鹿だ!愚民だ!破滅しろ!!」
と言ってる人たちも、いい加減に今までやってきた事の内容と結果を省みる時だと思う。
ポピュリストが出てきたなら、自陣営でもポピュリストを作ればいいじゃないか。
組織票固めるだけで勝てるようなご時世じゃないってことは嫌になるほど分かってるだろ。
有権者が政策の中身まで見てくれるような期待をする方が間違いだ。
どうせテレビで投票決めるんだから、テレビ映りのいい奴を連れてこいよ。
相手が自分らを攻撃するからって、同じ土俵でネガキャンやってどうするの。
「そこまで必死になるほど既得権手放したくないのか」って思われて終わりだよ。
特に新潮・文春はゲスいネガキャンしてたけど、ああいうの一般有権者ドン引きだから。
あと、共産系の支援団体が平松の応援してたみたいだけど、完全に逆効果だ。
今回の民主党代表選だが、なんと3人も日本新党出身の政治家がいる。
90年代の「新党バブル」の頃に熊本県知事だった細川護煕によって立ち上げられた政党。当時は自民党・社会党などの既存政党に対する不信感が強く(今と変わらない)、選挙の度に勢力を拡大(まるでどこかの党みたいだ)。宮澤内閣の「嘘つき解散」により実施された第40回総選挙では35議席を獲得。武村正義の新党さきがけとともにキャスティングボートを握り、当初は分派により党制退潮した自民党と連立する予定だったが、細川が小沢一郎により総理大臣に担ぎ出され非自民非共産連立政権が誕生することとなる。
争点だった小選挙区比例代表並立制を実現させると、政権は目標を失い突如として「消費税を廃止し国民福祉税7%を導入」を連立与党の合意を得ないままぶち上げる。これにより連求心力を失い、更に細川の佐川急便からの借入金問題や、小沢一郎と武村正義の対立などもあり連立与党は分裂。263日で細川内閣は総辞職することとなる。
つまり政権ブン投げの元祖は、17年前の日本新党細川護煕首相が元祖というわけだ。
ご存知「政界渡り鳥」。所属政党の数では鳩山邦夫に及ばないものの、日本新党、新進党、自由党、保守党、自民党と「その時に調子がいい政党」を渡り歩き、細川護熙、小沢一郎、二階俊博、小泉純一郎、安倍晋三、中川秀直とその時の調子がいい権力者に取り入る。2009年の総選挙では幸福実現党/幸福の科学に選挙応援を依頼するも小選挙区落選。twitterでの発言がすごい。国会議員というよりもネット右翼のような発言。
名古屋市長。2009年に衆院議員を辞し名古屋市長選へ。住民税10%減税などをぶち上げるも、市議会と対立しさらには民主党とも対立するようになる。「市民に是非を問う」との理由で任期途中で市長を辞し、自らが先導した市議会リコール選挙に合わせて市長選に再び立候補し当選。その後リコールされた市議選にも自ら率いる「減税日本」から41名擁立し28名当選する。第一党はとれたものの過半数に届かず、自ら仕掛けた政局騒動により民主党とも対立している。更にほとんど政治経験のない「素人集団」の減税日本もまともな政党として機能していない状態である。「中京都構想」「減税」「議員定数削減・議員定数カット」「歳出改革」など派手に政策をアピールするが具体性はなく、市役所に丸投げ状態である。
元横浜市長。高秀秀信4選を阻止し市政の若返りをアピールし衆院議員を辞して市長選立候補。当初は箱物行政の転換、市立大学改革、住基ネットの任意参加など「改革派」のイメージで無難に市政を回していたが、2期目に「横浜開国博」を開くも入場者は伸び悩み巨額の負債をかかえて失敗、任期途中で市政を投げ出す形で辞任。市長辞任後は新党ブームにのり「日本創新党」を結成し参院選に立候補するも落選。近年は産経新聞への国防関連の寄稿など右旋回しつつ有る。また、高岡蒼甫の韓流にかんする発言に同調するなどしている。
元杉並区長。杉並区長時代は石原伸晃を支援する。2010年に中田宏と共に日本創新党を結成し参院選に出馬するも落選。区長時代からチャンネル桜に番組を持っており、維新政党・新風から推薦も受けている。
目立つ政治家だけ並べてみたが、この他にも荒井聡(キャミソール)、小沢鋭仁(中韓から電力輸入発言)、渡辺浩一郎(会派離脱騒動)など、とにかくひどい政治家ばかりだ。共通する特徴として
やはり、新党バブルに出てきたということでその程度なのだろう。そんな人達を総理大臣にしてはいけない。
枝野幸男という大物を忘れてたが、上に上げた面々と比べるとはるかにまともに見えるのは気のせいだろうか。
さきがけは…
うーん、鳩菅があんまりにも目立ちすぎて結構地味な印象。途中で新党日本から先に上げた前原・枝野・キャミソール荒井・電力輸入小沢が合流。
さらに首長は共産党以外の全政党が相乗りでオール与党と化しているような所って、
で、住民は内心これではいけないと思いつつも、自分が立候補するわけにもいかず、
誰かがこの状況を変えてくれないか、とずっと前から思っていた、としよう。
そんなところにポピュリストが颯爽と現れて、議会も役所も全部ぶっ壊す、とアジったら、
そりゃみんな引っかかるだろうし、それを衆愚だと言っても仕方ないんじゃないか。
というか、議会側を積極的に支持してる奴が正しい訳でもなかろう。
積極的に民主主義を機能不全にしてるんだから、そいつらも「肉屋を支持する豚」の一種でしかない。
議会が正確に民意を反映するのは十分な数の候補者がいるときに限られるし、
外国人、少数民族、女性、被差別部落、障害者、貧困者(ホームレス・労務者)等の属性に当てはまったら、
社民・共産とかリベラル左翼な人たちが立場を代弁してくれたり、生活を支援してくれたりする。
農家や経営者だったら自民党が、大企業のサラリーマンや公務員だったら民主党が、
その人達の利益に沿うような政策を掲げて、政権を取ったら政策を実現してくれる。
ところが、普通の日本人男性で、労組もないような中小企業のサラリーマンの俺は、
どこに行っても利益を代弁してくれる人がいない。
俺のような日本社会でのマジョリティは、必然的に無党派にならざるを得ない。
「自分で労組作れよ」とか「自分で選挙に立候補しろ」ってのは、全く非現実的だ。
そんなことする労力の余裕なんかあるわけ無いし、労働運動して会社に睨まれたり、
立候補して落選したあとの生活を考えたら、とてもそんなことできない。
今のところ、マジョリティの利益を代弁してるのは、河村たかしみたいなポピュリストか、
「日本民族の利益」を代弁してる在特会あたりのネトウヨくらいしかない。
在特会は、暴力と無根拠な陰謀論があまりにもアレすぎて支持できないけど、
ポピュリストに減税を掲げられると、自分の利益を考えれば支持せざるをえない。
「皆さんの税金をマイノリティに分配するくらいなら、給付を削って財政再建します」って政策のほうが、
「マイノリティを助けるために増税します」よりも受けがいいのは当たり前だ。
「自分たち」が「彼ら」のような境遇になる可能性を考えて、「彼ら」のためにお金を使うのは、
それだけの余裕が「自分たち」にある時でなければ、到底無理な話だ。
今まさに生活水準が下がっているのに、他者を思うような余裕などありはしない。
「彼ら」のためではなく、「自分たち」のために分配してくれ!というのがマジョリティの本音だろう。
その本音を、政治の場で代弁してくれる人はいるのか?
リベラルはマジョリティを救わない、リバタリアニズムもマジョリティを救わない、
じゃあ結局、ナショナリズムしかないんじゃないか?
経済学にはとんと疎い素人だけど、最近はてな界隈で盛り上がっているリフレ論争はなかなか面白い。
難しいところはぜんぜん判らないし、いくつか論点があるような気がするけど、要するにお金がどうやったら廻るようなるのか、という話だよね。
リフレ派の人は、日銀が国債を買ったり、インフレターゲットを宣言することで、みんなに将来的にインフレになると予想させればお金が廻るようになると考える。インフレだと現金を持ってても価値が目減りしていくからね。構造改革の必要性を否定するものでは必ずしもないけど、いまはそのタイミングじゃない。リフレ派とされるエコノミストの言葉を借りれば、風邪を引いてるときにわざわざ体力つけるためにトレーニングをするのはイクナイ、みたいな感じだろうか。
他方で、反リフレ派の人によれば、いまの不況は日銀がお金を刷れば解決なんて単純な話ではなくて、日本の産業構造(たとえば解雇規制とか)にそもそもの元凶がある。だから、規制緩和によって企業が余剰労働力を放出しやすくして体力を回復させ、イノベーションの創出を通じて新しい需要を生み出すことが必要だと考える。日銀が通貨供給量を増やしても、どうせ銀行に貯まるだけの話でインフレにはならない。それでも無理に流通させようとすれば、国債が暴落したり、ハイパーインフレを生じさせる可能性がある。
ここからさらに憶測交じりのいい加減な話をしてみたい。
リフレ派的な視点からすると、2000年代前半のシバキアゲ型の景気回復は、輸出産業にはよかったかもしれない。けど、国内はずっとデフレ基調だったわけで、派遣労働者やバイトを増やすことで表面的には失業率を低く抑えていたかもしれないものの、平均所得はどんどん下がっていった。そりゃ、みんなお金使わなくなるよね。
ところが、それでも日本の国内市場の規模は実はかなり大きく、本当ならそれほど輸出に依存する必要はない。だから、とにかく国内市場の需要の回復が必要だという話になる。そのためにはみんなが気持ちよくお金を使うことが必要だから、気持ち的にもハッピーなほうがいい。解雇規制の緩和とか今やれば、雇用も促進されるかもしれないけど、むしろ正社員やそれに依存するパートタイマーの人たちなんかがみんな不安になって需要が一層冷え込んじゃうかも。要は、国民を「甘やかす」ことが大事だという話。バブルアゲイン、プリーズ。てか、バブルなんてはじけてみないとバブルだったかどうかなんてわからね~んだよ、みたいな。
ところがどっこい、反リフレ派からすれば、そんな甘いこと言ってんじゃないよという話になる。労働力の安価な途上国がどんどん伸びている以上、国内のデフレは不可避なのだ。比較優位なんて幻想。だから、生産性が低くて人口が減っていく日本には、国民を甘やかしている余裕はない。みんなで希望を捨てて、突然の解雇にもめげないメンタリティを獲得し、生活水準の低下も耐え忍びつつ、生産性を上げて衰退のペースをゆるやかなものにする以外にない。そのためには、非効率的な富の再分配とか論外だし、地方なんぞ切り捨てて効率のよい東京にみんなで住もうとかいう話にもなる。だから、反リフレ派の人の話を聞いていると、だんだんと暗い気持ちになる。
「国民に甘言ばかり弄するのはポピュリストで、たとえ嫌われても厳しい正論を告げるのが真の知識人」なんていう発想からすれば、反リフレ派の人はなかなかカッコいいような感じもする。
でも、超個人的な話をすれば、1歳のうちの子どもなんて「つねに希望をもって生きていきますように」という発想から名前をつけたわけだが、希望を捨てろとか言われたら、いったいどうすれば…orz
それは措くとしても、「個人の悪徳は公共の利益」とか、「合成の誤謬」なんて言葉もあるし、みんなが希望を捨てて、厳しい将来に備えちゃったら、それこそお先真っ暗じゃないかと思うんだけど、どうなんでしょうかね。果てしない縮小均衡が続いて、結局のところ、本当にみんなが貧乏になるんじゃないだろうか。社会学的に言えば「予言の自己成就」というやつだ。
あと、反リフレ派の人は「物が売れないのは、みんながもう物を持っているからだ」とか「若い人がブランドの服よりもユニクロを買うようになった」からイノベーションが必要だって言うけど、本当にそうなのかな。みんな本当はいろいろと買いたいと思ってるけど、懐が寂しいし、将来が不安だから、財布の紐を締めてるだけなんじゃないのかな。少なくともうちはブルーレイが欲しいし、新しいPCも欲しい。VAIO-Xとかいいよね。ディズニーランドももっと遊びに行けるといいんだけど、高いよね~。
それとも、そういう個人消費の話ではなくて、投資やマーケットの話になるとやっぱり変わってくるのだろうか。そこら辺、ぜんぜんわからないんだけども。
上の理解はたぶん間違いだらけなんだろうけど、どこが間違えてるのか教えてもらえると嬉しいなあ。