はてなキーワード: 通貨供給量とは
生産性の低さ、実質金利の低さ、多額の公的債務に行き詰まっている経済をどう刺激するかについて様々な議論がある。最新ぶっているが、実は老害の古臭い考え方「MMT」の支持者は、中央銀行が大量の国際を買い入れて通貨供給量を増やせば問題解決になると、頭の悪いことを言っている。これは典型的な「フリーランチ」である。
フリーランチは政策議論において長い伝統がある。政治的に人気があり、20世紀以前に何度も馬鹿のように繰り返された。MMT愛好家が提案した特定のフリーランチを受け入れたすべての経済圏の経験的事実として、持続不能な圧力が最終的に悲惨な結果を引き起こす可能性があることも判明している。
MMTが常にハイパーインフレ・大規模な社会的経済的破壊などをもたらし、その後やはり従来どおりにすべきだと言って元の経済政策が課されるのである。
今日のベネズエラ、2008年のジンバブエ、1994年のユーゴスラビア、1946年のハンガリー、1944年のギリシャ、1923年のドイツが、多額のコストがかかることをすでに証明してしまった。
既存経済学が何かを見落としていて、MMTが正しいことなどあり得るだろうか。
政府が生み出す歳入を上回る支出を刷る場合、通常国際発行で赤字を賄う。負債は将来のある時点で、例えば収入に比べて支出を削減する、または支出に比べて収入を増やすことによって貸し手に返済するという約束である。
政府が典型的債務を返済するために使用する所得税などのほとんどの税金は透明性がある。
対象的に、持続不能な赤字と爆発的に増大する政府債務の財源となる「税」はインフレ税、つまり人々が保有する貨幣の量よりも早く物価が上昇した場合に生じる、国民が保有する貨幣価値の実質的低下である。インフレは、追加の財を生産するために経済の供給側の能力を超えて中央銀行が大量の通貨を印刷した場合にも起こる。
インフレ2%になる(近く)までは幾らでも国債買うぞとも取れる発言を日銀総裁がしている
黒田総裁は「指摘の通り現在は金本位制を採用しておらず通貨供給量などは日銀の保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀が国債を買い入れる量を適切に調整する」と述べ
https://www.newsweekjapan.jp/amp/headlines/business/2020/04/269838.php?page=1
「MMT」は暴論にあらず 消費増税は凍結せよ!(西田 昌司 氏 自民党参議院議員)
「財務真理教」のプロパガンダ
――財務省は財政制度等審議会に62ページに及ぶ反論資料を提出し、「異端」の理論として切り捨てようとしています。
西田 MMTは異端でも暴論でもない。ガリレオが唱えた「地動説」のように、やがて目から鱗が落ちる日が来るでしょう。アベノミクスによる「異次元の金融緩和」は、本来、民間企業の投資拡大が目的だったが、政府が国家の長期ビジョンと、それを実現するための財政出動を怠ったため、民間には国の先行きが見えず、投資をためらっている。そもそもデフレ危機からの脱出には、政府の財政出動による民間需要の創造が不可欠なのに、財政再建しか頭にない財務官僚は「これ以上国債の発行残高が増えると、いずれ返済不能になり財政破綻する」と言い続けてきた。特に問題なのは、国家の財政問題を家計にたとえて危機を煽る手法です。収入以上の生活を続けた家計が破綻するように国家も破綻すると、財務省は言うが、税収以上の予算を使っても、国家は決して破綻しない。なぜなら政府には、国家の経済状況に合わせて通貨を発行したり、租税を徴収したりする超越的な権限があるからです。一方、国家から通貨発行権を保証された日銀も、いくら国債を買っても、破綻することはない。要するに、通貨発行権を持つ主権国家が、自国建ての国債を発行し過ぎて返済不能に陥ることなどあり得ないのです。それを、いつの日か国家財政が破綻し、国債が暴落すると喧伝するのは、国家と一般家庭を混同させる詐欺的プロパガンダと言わざるを得ない。財政再建至上主義の財務省は、国民経済を無視する本末転倒の過ちを犯している。私は「財務真理教」と呼ぶが、マスコミや識者の中にも、何と信者が多いことか(笑)。
――財務省の反論資料には諸外国における財政危機の事例が縷々紹介されています。ハイパーインフレになりませんか。
西田 予算が伸びる一方で税収が伸びず、その差が広がっていく折れ線グラフを、財務省は「ワニの口」と呼び、このまま「ワニの口」が広がると、財政が破綻すると警告する。さらに国債を発行し過ぎて国債の信認が失われると、円レートが暴落し、エネルギーや食糧を海外に依存する日本国内の生活必需品が暴騰し、ハイパーインフレに陥ると、真顔で脅すのです。仮に国債が投げ売りされても、通貨発行権を持つ日銀が買い支える限り、国債暴落などあり得ない。だいたい中央銀行に対して、円建ての国債を売り浴びせることなど、誰が想像できますか。
第2次安倍政権の発足当時から、私は京大の藤井聡教授と評論家の中野剛志さんと3人で総理を囲み、政策提言をしてきました。我々が申し上げたことは、まず公共事業費などデフレ脱却のために必要な予算を国債発行で賄うこと。日銀が政府と協力して、市場から購入する国債を増やせば、民間投資を市場から締め出すクラウディングアウトに陥ることなく、民間投資を増やすことができ、短期間でデフレから脱却できると訴えてきた。
アベノミクスは、新自由主義に基づくマネタリズム論に依拠するものでしたが、我々の主張は、政府の需要創造が民間投資を呼び起こし、それが通貨発生量を増やすことになるという、似て非なるものでした。金利がゼロでも融資が伸びない状況は、銀行の収益力を極端に悪化させ、この状態が続けば、金融破綻が続出するハメになる。間違いなく危機が迫っています。そうならないためにもアベノミクスは進化しなければならない。
「MMT」は暴論にあらず 消費増税は凍結せよ!(西田 昌司 氏 自民党参議院議員)
「財務真理教」のプロパガンダ
――財務省は財政制度等審議会に62ページに及ぶ反論資料を提出し、「異端」の理論として切り捨てようとしています。
西田 MMTは異端でも暴論でもない。ガリレオが唱えた「地動説」のように、やがて目から鱗が落ちる日が来るでしょう。アベノミクスによる「異次元の金融緩和」は、本来、民間企業の投資拡大が目的だったが、政府が国家の長期ビジョンと、それを実現するための財政出動を怠ったため、民間には国の先行きが見えず、投資をためらっている。そもそもデフレ危機からの脱出には、政府の財政出動による民間需要の創造が不可欠なのに、財政再建しか頭にない財務官僚は「これ以上国債の発行残高が増えると、いずれ返済不能になり財政破綻する」と言い続けてきた。特に問題なのは、国家の財政問題を家計にたとえて危機を煽る手法です。収入以上の生活を続けた家計が破綻するように国家も破綻すると、財務省は言うが、税収以上の予算を使っても、国家は決して破綻しない。なぜなら政府には、国家の経済状況に合わせて通貨を発行したり、租税を徴収したりする超越的な権限があるからです。一方、国家から通貨発行権を保証された日銀も、いくら国債を買っても、破綻することはない。要するに、通貨発行権を持つ主権国家が、自国建ての国債を発行し過ぎて返済不能に陥ることなどあり得ないのです。それを、いつの日か国家財政が破綻し、国債が暴落すると喧伝するのは、国家と一般家庭を混同させる詐欺的プロパガンダと言わざるを得ない。財政再建至上主義の財務省は、国民経済を無視する本末転倒の過ちを犯している。私は「財務真理教」と呼ぶが、マスコミや識者の中にも、何と信者が多いことか(笑)。
――財務省の反論資料には諸外国における財政危機の事例が縷々紹介されています。ハイパーインフレになりませんか。
西田 予算が伸びる一方で税収が伸びず、その差が広がっていく折れ線グラフを、財務省は「ワニの口」と呼び、このまま「ワニの口」が広がると、財政が破綻すると警告する。さらに国債を発行し過ぎて国債の信認が失われると、円レートが暴落し、エネルギーや食糧を海外に依存する日本国内の生活必需品が暴騰し、ハイパーインフレに陥ると、真顔で脅すのです。仮に国債が投げ売りされても、通貨発行権を持つ日銀が買い支える限り、国債暴落などあり得ない。だいたい中央銀行に対して、円建ての国債を売り浴びせることなど、誰が想像できますか。
第2次安倍政権の発足当時から、私は京大の藤井聡教授と評論家の中野剛志さんと3人で総理を囲み、政策提言をしてきました。我々が申し上げたことは、まず公共事業費などデフレ脱却のために必要な予算を国債発行で賄うこと。日銀が政府と協力して、市場から購入する国債を増やせば、民間投資を市場から締め出すクラウディングアウトに陥ることなく、民間投資を増やすことができ、短期間でデフレから脱却できると訴えてきた。
アベノミクスは、新自由主義に基づくマネタリズム論に依拠するものでしたが、我々の主張は、政府の需要創造が民間投資を呼び起こし、それが通貨発生量を増やすことになるという、似て非なるものでした。金利がゼロでも融資が伸びない状況は、銀行の収益力を極端に悪化させ、この状態が続けば、金融破綻が続出するハメになる。間違いなく危機が迫っています。そうならないためにもアベノミクスは進化しなければならない。
インフレ2%になる(近く)までは幾らでも国債買うぞとも取れる発言を日銀総裁がしている
黒田総裁は「指摘の通り現在は金本位制を採用しておらず通貨供給量などは日銀の保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀が国債を買い入れる量を適切に調整する」と述べ
https://www.newsweekjapan.jp/amp/headlines/business/2020/04/269838.php?page=1
安倍前首相は次のような内容を述べていた。
「『国債発行は子供たちの世代にツケを回す』という批判があるが、その批判は正しくはないんです。なぜかというと(略)政府日本銀行は連合軍でやっていますから政府が発行する国債は 日本銀行がほぼ全部買い取ってくれています。皆さん、どうやって日本銀行が、この政府の出す巨大な国債を買うと思います?どこからかお金を借りてくると思っているんです。それは違います。紙とインクでお札を刷るんですよ。20円で1万円札ができるんですから」。
あと左?の分類でいいかはよくわからないがとりあえず野党なら山本太郎はMMT賛成派だぞ
古賀茂明「山本太郎の『MMT』理論はアベノミクスと本質は同じ」
株価が落ちない。さすがアベノミクスは、ご本尊が息絶え絶えでも健在だ。というわけではなく、皆が買っているから株価が上がる。シンプル。
なぜ、株に投資をするのか? 常識で考えたらおかしい。コロナのおかげで生産は落ち込んでいる。経済指標は最悪だ。ふつう、業績が落ち込んだ会社は株価が下がる。価値がなくなってしまっては元も子もないから、売り込まれる。安くなっても倒産してゼロになるよりはマシだとばかりに、株価は下がる。コロナ需要で潤った少数の企業を除けば、多くの企業が業績を悪化させている。だったら株価は下がりそうなもんだ。けれど、株価はついにコロナ以前を回復した。
実際、コロナ騒動が持ち上がったとき、多くのひとがそう考えて株を売った。どうせ下がるから、いまのうちに売ってしまえとばかりに売り急いだ。結果、株価は大暴落した。とはいえ、企業の価値がなくなるわけではない。騒動の中でも人間は生きていくのだし、そのためには一定の企業活動は続くし、経済も動く。だからそこそこのところで値頃感、割安感が出て、暴落は止まる。今回の特徴は、暴落が止まるとともに一気に株価が上昇を始めたことだ。二番底らしい落ち込みもなく、ほぼ右肩上がりに株価は回復した。いったいどういうことかと、皆首をひねりながら、買い続けた。
なぜ不思議に思いながらでも買い続けるのかというと、それは株価が上がるからだ。株価が上がるから人々は買い、人々が買うから、株価が上がる。とはいえ、これでは理由にならない。理由は、買わなければ損をするからだ。株が上がるとき、株をもたないことはリスクになる。
いや、資金がなければ、リスクもへったくれもない。株どころか、何も買えない。ところが運用しなければならない資金は、どういうわけか手元にある。自分の手元にあるだけではなく、他の投資家の手元にはもっとたくさんあることがわかっている。機関投資家や公的な基金にも潤沢に資金がある。なぜなら、各国政府がコロナでの景気落ち込みを防ぐために、市場に大量の資金を投入している。これは秘密でも何でもない。もちろんコロナ関係予算の多くは株式市場買い支えのものではない。けれど、困窮した現場にピンポイントに必要十分の資金が行き渡るはずもなく、その多くは避けることのできないロスとなって、市中に流れ込む。たとえば一律の現金支給は、それを必要とする困窮者には絶対的に必要で、効率的にそこに行き渡らせるためにはやむを得ない政策であるけれど、一定水準以上の所得が確保できた大多数の人々にとっては単に余剰の現金を増やすだけになる。そういった現金は、まわりまわって投資市場に流れ込まざるを得ない。なぜならこの不安の時代であり自粛の時代であるコロナ下においては、余分な現金は消費に回されるよりも備蓄に回されるからだ。それが投資資金として集められ、市場をちょっとしたインフレ状態にしている。ちょっとしたどころか、相当なインフレ状態にしている。
それがはっきりとわかるときに、もしも手持ち資金があったらどうだろう。仮に10万円の資金があるとする。10万円の価値はいつでも10万円だろうか。インフレ時にはそうではない。つい数日前に10万円で買えたものが気がつけば15万円出さなければ買えなくなってしまう。放っておけば実質価値が失われるのだ。だから、市場にカネがだぶついているとわかっているときに株価が上がるのなら、手持ち資金を現金で置いていてはいけない。それははっきりと損失を生む。だから投資家は、市場への通貨供給量を察知して、買いに走る。実体経済なんかはクソ喰らえ、損を出してはいけないから、みんなが買うならビッグウェーブに乗らないわけにいかない。だから株価は上がる。半信半疑、薄氷を踏むような気持ちで、あるいは首をひねりながら、とにかく買い続ける。その行動原理においては、投資家は決してバカではない。
ただ、問題は、これがそれだけでは終わらないことだ。
コロナはやがて終息する。それはもう、はっきりしている。人間は、いつまでも厳戒態勢を続けられない。医学的に解決するかどうかにかかわらず、遠くないうちにコロナ問題は過去のものになる。確かにwithコロナの時代になって日常が大きく変化するのかもしれないが、それでも日常は日常だ。人々はそれなりの日常をとりもどす。自粛ムードは批判され、やがて過去のものになる。消費は回復する。
本当のインフレが一気にやってくるのはそのときだ。いま、インフレ状態は投資市場の内部だけでおさまっている。それは、人々の心が消費に向かわないからだ。けれど、自粛ムードが去り、緊張状態がほどけたらどうか。人々はいまよりももっと消費に向かうだろう。そして、その消費を支えるだけのカネはある。貯蓄や投資に回したコロナ時代の資金が、バブルで膨れるだけ膨れている。そこからちょっとぐらいの贅沢にカネを回してもバチは当たらないだろうと、人々はモノを買いはじめる。健全な経済が戻ってきたと喜ぶべきだろうか。いや、政策的に膨張してしまった投資市場の勢いは、そこでとどまらせてくれないだろう。投資市場からカネが流れ込むせいで、実体経済の部分まで、通貨供給量が過剰になる。ブレーキは効かない。そしてインフレが起こる。
身も蓋もない話をしよう。インフレだろうがデフレだろうが、基本的に多くのひとは困らない。なぜなら、通貨とモノの交換比率が変化するだけで、日常の消耗品の売買はふつうに行われるからだ。けれど、インフレやデフレで大きな影響を受ける人々も存在する。それは両極端の人々だ。一方の極にいるのは資産家で、資産が目減りしたり、評価額が上がってもちきれなくなったりするだろう。だが、そういうのは放っておけばいい。本当に困るのはもう一方の極にいる人々だ。ロクに収入が増えないのに、物価がどんどん上昇する。当然、食えなくなる。命に関わる。
投資家たちは、実体経済がインフレになり、その反動が株式市場を直撃すれば、必ず大きな打撃を受けるだろう。だが、そんなことははっきり言ってどうでもいいことだ。株で失敗して首をくくるなら、それは自業自得というものだ。本人だって、それを知った上でバクチに参加している。同情はしない
コロナが終わり、インフレがやってきて、そういった社会問題が深刻化するのは、かなりの確率で避けられない。ただ、問題は、それがいつ来るかを誰も知らないことだ。いつ起こるのかを言わなければ、多くの予言はあたる。「あなたは死ぬだろう」という予言は、100%当たるのだ。だから、こんな話には意味はない。意味はないから、ここに垂れ流しておく。
アメリカは下手したら300兆以上の金を使う事になるかもしれない
でもそんな金はご存知の通りいくら何でも無い
なのでここで問いたいのはMMTがどうこうでは無いんだわ
なお、イデオロギー大好きっ子のために補足しておくと
黒田総裁は「指摘の通り現在は金本位制を採用しておらず通貨供給量などは日銀の保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀が国債を買い入れる量を適切に調整する
『自国通貨を発行できる先進国の政府は、いくら借金しても(自国通貨建てで国債を新規発行している限り)破綻しない』ってやつ
なぜいまその話なのかというと、アメリカがコロナの対策で200兆円以上の予算を立てているのよね
でもこの額でも足りず更にガンガン長期的にブチ込む必要があるが、
で、日本はどうなの?って言うと、
インフレ2%まではガンガン ブチ込むぞとも取れる発言を日銀の黒田総裁がしたわけ
さぁ、日本は再びの世界大恐慌を前にしてちゃんと200兆以上の大規模の予算(MMT)をブチかますか?!
なお、イデオロギー大好きっ子のために補足しておくと
黒田総裁は「指摘の通り現在は金本位制を採用しておらず通貨供給量などは日銀の保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀が国債を買い入れる量を適切に調整する
米国は1兆ドルから2.5兆ドルは対策で使う予定みたいなのでほぼ確実にMMTすると思うが
日本はすると思う?
インフレ2%になる(近く)までは幾らでも国債買うぞとも取れる発言してるのだが?
黒田総裁は「指摘の通り現在は金本位制を採用しておらず通貨供給量などは日銀の保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀が国債を買い入れる量を適切に調整する」と述べ
https://www.newsweekjapan.jp/amp/headlines/business/2020/04/269838.php?page=1
米国は1兆ドルから2.5兆ドルは対策で使う予定みたいなのでほぼ確実にMMTすると思うが
日本はすると思う?
インフレ2%になる(近く)までは幾らでも国債買うぞとも取れる発言してるのだが?
黒田総裁は「指摘の通り現在は金本位制を採用しておらず通貨供給量などは日銀の保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀が国債を買い入れる量を適切に調整する」と述べ
https://www.newsweekjapan.jp/amp/headlines/business/2020/04/269838.php?page=1
米国は1兆ドルから2.5兆ドルは対策で使う予定みたいなのでほぼ確実にMMTすると思うが
日本はすると思う?
インフレ2%になる(近く)までは幾らでも国債買うぞとも取れる発言してるのだが?
黒田総裁は「指摘の通り現在は金本位制を採用しておらず通貨供給量などは日銀の保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀が国債を買い入れる量を適切に調整する」と述べ
https://www.newsweekjapan.jp/amp/headlines/business/2020/04/269838.php?page=1
円高で輸出産業が稼げなくて日本困ったぜーという話ですが,円高って円の価値が上がることですよね.
円をたくさん持っているのって個人資産1400兆円とかいう日本国民ですよね.
円高で物を売って銭稼ぐのが大変なら,価値が高くなった円を売って銭を稼げばいいのでは.
確認なのだが,外貨預金というのは円を売って外貨を買っていることになるのだろうか.
だとしたら,例えば個人資産1000兆円が外貨定期預金に切り替えたら,
日銀の40兆円介入なんてくらべものにならないくらいの破壊力があるのでは.
誰が1000兆円も外貨預金するねんって話はあるけど,
1000兆円つっこめばほぼ確実に円安ドル高になるだろうから,外貨預金の利回りは高いよね.
エコポイントみたいに外貨預金すれば手数料無料とか1%還元とかすれば,
金利が皆無の預金より魅力的な金融商品と思ってもらえるのでは.
まぁそうはいっても(自分も含めて)一般の人が外貨預金のリスク勘定をするのは難しいだろうから,
銀行に補助金つける形でやるとか.そうすりゃ営業担当が頑張ってご老人の預金を外貨にしてくれるかも.
金融知識があんまりないので,つっこみ求む.
<参考資料>
■個人金融資産の各国比較 /投資十八番 (2008/10/11)
http://stockkabusiki.blog90.fc2.com/blog-entry-184.html
■ Aggregate Reserves of Depository Institutions and the Monetary Base
http://www.federalreserve.gov/releases/h3/hist/h3hist1.htm
FRBの通貨供給量.2008年以降のあがりっぷりが見事.これで通貨安競争するなよとかいうんだからすごい.
■ アメリカが日本に米国債を買わせる仕組み ~為替介入編~ (2008/01/22)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=169482
経済学にはとんと疎い素人だけど、最近はてな界隈で盛り上がっているリフレ論争はなかなか面白い。
難しいところはぜんぜん判らないし、いくつか論点があるような気がするけど、要するにお金がどうやったら廻るようなるのか、という話だよね。
リフレ派の人は、日銀が国債を買ったり、インフレターゲットを宣言することで、みんなに将来的にインフレになると予想させればお金が廻るようになると考える。インフレだと現金を持ってても価値が目減りしていくからね。構造改革の必要性を否定するものでは必ずしもないけど、いまはそのタイミングじゃない。リフレ派とされるエコノミストの言葉を借りれば、風邪を引いてるときにわざわざ体力つけるためにトレーニングをするのはイクナイ、みたいな感じだろうか。
他方で、反リフレ派の人によれば、いまの不況は日銀がお金を刷れば解決なんて単純な話ではなくて、日本の産業構造(たとえば解雇規制とか)にそもそもの元凶がある。だから、規制緩和によって企業が余剰労働力を放出しやすくして体力を回復させ、イノベーションの創出を通じて新しい需要を生み出すことが必要だと考える。日銀が通貨供給量を増やしても、どうせ銀行に貯まるだけの話でインフレにはならない。それでも無理に流通させようとすれば、国債が暴落したり、ハイパーインフレを生じさせる可能性がある。
ここからさらに憶測交じりのいい加減な話をしてみたい。
リフレ派的な視点からすると、2000年代前半のシバキアゲ型の景気回復は、輸出産業にはよかったかもしれない。けど、国内はずっとデフレ基調だったわけで、派遣労働者やバイトを増やすことで表面的には失業率を低く抑えていたかもしれないものの、平均所得はどんどん下がっていった。そりゃ、みんなお金使わなくなるよね。
ところが、それでも日本の国内市場の規模は実はかなり大きく、本当ならそれほど輸出に依存する必要はない。だから、とにかく国内市場の需要の回復が必要だという話になる。そのためにはみんなが気持ちよくお金を使うことが必要だから、気持ち的にもハッピーなほうがいい。解雇規制の緩和とか今やれば、雇用も促進されるかもしれないけど、むしろ正社員やそれに依存するパートタイマーの人たちなんかがみんな不安になって需要が一層冷え込んじゃうかも。要は、国民を「甘やかす」ことが大事だという話。バブルアゲイン、プリーズ。てか、バブルなんてはじけてみないとバブルだったかどうかなんてわからね~んだよ、みたいな。
ところがどっこい、反リフレ派からすれば、そんな甘いこと言ってんじゃないよという話になる。労働力の安価な途上国がどんどん伸びている以上、国内のデフレは不可避なのだ。比較優位なんて幻想。だから、生産性が低くて人口が減っていく日本には、国民を甘やかしている余裕はない。みんなで希望を捨てて、突然の解雇にもめげないメンタリティを獲得し、生活水準の低下も耐え忍びつつ、生産性を上げて衰退のペースをゆるやかなものにする以外にない。そのためには、非効率的な富の再分配とか論外だし、地方なんぞ切り捨てて効率のよい東京にみんなで住もうとかいう話にもなる。だから、反リフレ派の人の話を聞いていると、だんだんと暗い気持ちになる。
「国民に甘言ばかり弄するのはポピュリストで、たとえ嫌われても厳しい正論を告げるのが真の知識人」なんていう発想からすれば、反リフレ派の人はなかなかカッコいいような感じもする。
でも、超個人的な話をすれば、1歳のうちの子どもなんて「つねに希望をもって生きていきますように」という発想から名前をつけたわけだが、希望を捨てろとか言われたら、いったいどうすれば…orz
それは措くとしても、「個人の悪徳は公共の利益」とか、「合成の誤謬」なんて言葉もあるし、みんなが希望を捨てて、厳しい将来に備えちゃったら、それこそお先真っ暗じゃないかと思うんだけど、どうなんでしょうかね。果てしない縮小均衡が続いて、結局のところ、本当にみんなが貧乏になるんじゃないだろうか。社会学的に言えば「予言の自己成就」というやつだ。
あと、反リフレ派の人は「物が売れないのは、みんながもう物を持っているからだ」とか「若い人がブランドの服よりもユニクロを買うようになった」からイノベーションが必要だって言うけど、本当にそうなのかな。みんな本当はいろいろと買いたいと思ってるけど、懐が寂しいし、将来が不安だから、財布の紐を締めてるだけなんじゃないのかな。少なくともうちはブルーレイが欲しいし、新しいPCも欲しい。VAIO-Xとかいいよね。ディズニーランドももっと遊びに行けるといいんだけど、高いよね~。
それとも、そういう個人消費の話ではなくて、投資やマーケットの話になるとやっぱり変わってくるのだろうか。そこら辺、ぜんぜんわからないんだけども。
上の理解はたぶん間違いだらけなんだろうけど、どこが間違えてるのか教えてもらえると嬉しいなあ。
ケインズ学派から「構造改革」派が議論を横取り? 不況政局に利用
それが政府紙幣発行をめぐる賛否両論、とくに自民党内に議員研究会が設立されると、こんどは旧小泉スクールにも飛び火し、竹中ブレーンの一人と言われた高橋洋一(東洋大学教授)が、突如、政府紙幣発行の旗振り役を演じだした。
もともと丹羽理論を応用するかのようにノーベル経済学賞の二人が新政府発行論を揚言した。スティグリッツとクルーグマンだ。とくに後者は政局の変動にカメレオンのごとく説を曲げる、変える、豹変する。ところがクルーグマン信者が日本のエコノミストに多いから始末に負えないのだ。
日銀の08年末の資金供給量は101兆2610億円。3年ぶりに100兆円の大台を超えている。これは金融機関などの資金繰りを支える目的で、とくに年末資金を供給した。量的緩和政策である。
具体的には金融機関の日銀当座預金の残高と、紙幣や貨幣の残高の合計が通貨供給量。 日銀は2008年11月から当座預金の一部に0.1%の金利を付けている。当座預金に金利がつくというのは異常事態である。(或る意味で、この措置は政府紙幣発行が別のかたちの国債発行であるとすれば、同様な効果がある)
そもそもの政府紙幣発行とは、太政官札による幕末維新の藩札の統一が近代日本では嚆矢であり、江戸の金銀小判の流通がやんで、紙幣経済が日本に落ち着いた。日銀はまだ無かった。
丹羽説は総需要喚起、あまっている生産体制を稼働させ、実効需要を増やせとするケインズ理論の延長にあり、純粋に学問的仮説なのである。
ところが、これまで顧みられなかったこの議論、クルーグマンのインフレ目標値などの珍説とともに米国内の議論をみて、あわてて飛びついてきた経済学者、エコノミスト、ジャーナリストらの大合唱が巻き起こり、状況が激変したのだ。
政府紙幣発行議論は自民党内で白熱し、細田博之幹事長は記者会見で「そんなことができるなら毎年30兆円ずつ発行し、(国・地方の)800兆円の借金を全額返したらどうか。空理空論で意味がない」と否定的態度を表す(2月2日)。
一方、前向きなのは菅義偉・選挙対策副委員長ら。「これだけの危機の中、政治主導でいろんなことがあってもいい」と含みを持たせた。
こうした政府紙幣発行議論に対して日銀の白川方明総裁は否定的。
「通貨に対する信認が害される恐れがある」と強調したうえ、「政府の債務返済能力への疑念から「長期金利の上昇を招く」とむしろ副作用の危険性を指摘した。
▲日銀は当惑どころか明らかに反対
白川総裁は政府紙幣が市中で流通した後、日銀に戻ってきた紙幣を(1)政府が回収する場合、(2)そのまま日銀が引き受ける場合があり、それぞれ問題があるとした。
現在、10円、50円、100円、500円などの硬貨はまぎれもなく「政府紙幣」であり、日銀に還流してきた硬貨の一部は政府が日銀から回収している。
政府が日銀に回収分と同額の財源を渡しているが、政府紙幣も同じ仕組みになると、「(発行額に見合った)資金調達が必要になるという意味で国債の発行と実体的に変わらない」(白川総裁)
財務省の杉本和行次官は「政府紙幣は財政規律との関係から慎重な検討が必要。発行には法改正もいる」と官僚らしく面倒臭そう。また財政法に抵触する可能性があり、貨幣法の改正が必要だろうと手続きが輻輳する可能性にも言及した。
私見を述べれば、アカデミックな議論が、突如、政局に利用されている感じが否めない。もともと丹羽春樹教授の「政府貨幣発行による打ち出の小槌」は、学説であり、政治のレベルに降りるときは必ずしも学説通りに実行されない。与野党の妥協の結果、かえって中途半端な実行がなされると(まさに高橋洋一説は丹羽説の歪曲)、景気回復に繋がらない可能性も出る。
丹羽春喜教授の仮説は、そのまま実施される可能性がないゆえに、かえって危ない。
ちょうどドル円固定相場の復活論に似ている。つまり固定相場制というのは、理論的に正しく、しかし運用されると猛烈な投機がおこる。人民元相場がまさしく、その犠牲であり、固定の枠内で投機筋は通貨を商品と変える“商機”をそこに見いだすからである。
インフレターゲットは導入すべきでない
多くの国の中央銀行が導入しているインフレターゲットを日本も導入するべきだという声が一部にはある。
中央銀行制度は宗教のようなものだ。ほとんどの国の中央銀行が熱烈に報じているいくつかの信条があり、
彼らはそれを確信を持って唱え、その論理の進め方にはまるで判で押したような画一化が見られる。
しかもこれらの信条には往々にして、それを裏付ける科学的証拠がほとんどないのである。そのため、
彼らのご託宣はえてして間違っており、彼らの政策は予想された結果や望ましい結果をもたらさないことが多い。
一九八〇年代にミルトン・フリードマンの感化を受けて、世界中の中央銀行がマネタリズム、すなわち中央銀行のなすべきことは マネーサプライ(通貨供給量)をコントロールすることだけだ、という信条を採用した。通貨供給量を厳しくコントロールすれば、低く安定したインフレ率に導くことができ、それによって安定した高成長を実現できる、という考えである。
改めて言うが、マネタリズムを裏づける理論は存在せず、限られた実証分析結果があるだけだった。
実際、マネタリズムは機能しなかったし、いくつかの点では完全な失敗だった。今日では、
事実上すべての中央銀行がこの信条を捨て去っている。(この破棄された信条の名残りとして、
アメリカが、そして世界が、一九八〇年代に経験した経済的苦難の多くは、マネタリズムに対する
盲目的な信仰にその原因があった。中央銀行が通貨供給量のコントロールに関心を集中したことは
未曾有の高金利を招き、短期で借り入れて長期で貸し付けていた金融機関―――とりわけ
何百万人ものアメリカ人に住宅ローンを提供していた貯蓄貸付組合(S&L)―――は、一夜にして
事実上、破綻した。レーガン大統領の規制緩和―――そのおかげでこれらの金融機関は高リスク、
高リターンのローンに乗り出すことができた―――と、いくつかの会計上のトリックによって
崩壊は先送りされたが、それは必ず訪れる報いの日が来た時、納税者が負担するコストが
さらに大きくなるということだった。この救済事件のあと融資基準は当然引き締められたが、
今度はそれが、一九九一-九三年の景気後退の一因となった。
アメリカにはこの嵐を比較的楽に切り抜けるだけの資源があった。(もっとも一九八〇年代
初めの景気後退は、巨額の財政出動にもかかわらず大恐慌以来の厳しいものになったのではあるが。)
だが、マネタリズムが発展途上国に及ぼした影響は悲惨だった。金利の上昇は、
ラテンアメリカ諸国が一九七〇年代の石油価格ショックを切り抜けるために借り入れていた債務が、
突如として背負いきれないほどの額に膨らんだということだった。ラテンアメリカ諸国は相次いで
デフォルト(債務不履行)を起こし、この地域は一〇年にわたる停滞―――いわゆる「失われた一〇年」―――に陥ったのである。
中央銀行はいつも単純なルールを求めており、今日の単純なルールは「インフレターゲット
(目標インフレ率)」である。目標インフレ率を設定して、インフレ率がその目標より低ければ金利を下げ、
高ければ金利を上げろ、というわけだ。インフレ率の変化を生んだショックが
どこから来たのかも、失業率や為替レートがどうなるかも気にする必要はない。その論旨はこうだ。
インフレ抑制に専念することが「信頼性」を生み、その信頼性こそが、経済がショックに対して
より効果的に反応することを可能にする。石油価格が上昇するときは、インフレ率は(一九七〇年代のようには)
上昇しない。中央銀行が素早く行動してそれを抑え込むことを
市場参加者が知っているからだ。インフレ率が将来上昇しないことがわかっているということは、
世界の大部分でインフレ率がこれほど低く抑えられてきたことには、もちろん別の理由がある。
グローバリゼーション全般、そしてとりわけ中国である。海外からの低価格の財が
供給されることで、国内の物価が抑制されてきたわけだ。貿易財は多くの非貿易材の優れた
代替財となる。グローバリゼーションは製造業分野(および他の貿易財分野)の賃金に下降圧力をかけ、
それが経済全体の賃金に下降圧力をかけてきた。市場に十分な競争がある限り、これは
とりもなおさず物価はどの国でも安定を保つということだ。
インフレターゲット論は、少なくとも短期的にはマネタリズムより害の少ない宗教である。
それは一九八〇年代初めのアメリカの異常な高金利のような極端な振る舞いには、概して繋がらない。
しかし、長期的には、ヨーロッパが実証してきたように、景気の悪化を招くことがある。
高レベルの失業にもっと関心が払われていたら、ヨーロッパの金利はもっと低く
抑えられていたはずだ。
高金利は投資を抑制してきただけでなく、為替レートの上昇ももたらし、
それがヨーロッパの景気を低迷させてきたのである。
日本の場合には、インフレターゲット論はデフレ対策として唱えられてきた。
デフレが問題なのは、一つには名目金利がゼロであっても(デフレを考慮すると)実質金利はプラスになる
からだ。デフレが続く限り政府は金利を低く抑え続けるとわかっていれば、市場参加者は、
長期実質金利がやがて低下することを確信して、消費や投資にもっとカネを使う気になるだろうと、
インフレターゲット論者は主張する。日本の場合のインフレターゲット論の問題点は、それが
短期的に間違った変数に着目することにあり、インフレターゲット政策への
コミットメントが信用できるものだとすれば、そのために金融当局は間違った戦略を長期にわたって
推進することになる。
金融政策は実質金利(インフレターゲット論者はこれに着目する)よりも、むしろ
信用のアベイラビリティ(可用性)を通じて景気に影響を及ぼすのである。金融当局が景気をどの程度刺激しているかは、今現在の実質金利(あるいは長期実質金利)よりも信用供給の拡大に注目
した方が正しく測定できる。金融当局が信用のアベイラビリティに影響を及ぼす方法は
いくつもあり、これらの方法が金融政策の中心に据えられるべきである。
さらに、金融当局が長期実質金利に影響を及ぼすことを望んだとしても、それを達成するには
インフレターゲットの導入よりも効果的な方法がある(インフレターゲットの効果は、
せいぜいよくて不確実といったところだ)。一例を挙げると、短期国債と長期国債の相対的な
供給量を変えることによって、これらの資産の相対的な価格に影響を及ぼし、それによって
長期実質金利に影響を及ぼすことができる。