はてなキーワード: ボコとは
というかすでに表面化してないでありそう。
読み専のオタクです。私は諸事情あってイベントに参加する事&同人誌を手元に置いておく事ができないので、
二次創作はもっぱらtwitterとpixivで楽しませてもらっていた。
ある女性向けジャンルで熱烈にハマりこんだ大好きな作家さんがいて、
作品をupされる度に感想を送りつけて、ちょっとだけ交流もさせてもらった。
ある時作家さんが「同人誌作ってみたかったから」と初めてオフ活動をされて
イベントでも通販でも即完売していく様を、何で自分はそれが読めないんだろうと気が狂いそうになりながら
●●さんがまたオフ本出されてたらその時は絶対に買いに行きます
ってDMを送ったら
と返信があった。
ダウンロード販売は特に女性向けジャンルで忌避されてるのを知ってたからちょっと焦った。
好きな作家に危ない橋を渡らせるのは嫌なので、その事を伝えたら
「紙はファン活動の範疇だからOK、ダウンロードは営利目的になるからNGって風潮がよくわからない
紙で儲けてる人もいるしダウンロードでもコストは掛かってるのに」
って返事が返ってきて、その後に
「私は全部自己責任でやればいいと思ってるし、○○さんにも新刊読んでいただきたいので、やってみますね!」
と一言書き添えられていて、ご本人の判断でダウンロード販売を始めていただける事になった。
結果、ボコボコに叩かれてその作家さんは居なくなってしまった。
害悪だのゴミだのお前がいるせいでジャンル全体に迷惑がかかるだの
しまいには「権利元の会社にお前の同人誌を送りつけて潰してもらう」だのDMが押し寄せ、
すごい村に囲まれて、燃やされた。
「私が新刊欲しいとか言い出した所為でごめんなさい」と何度も謝って、作家さんは
「すごい感じになってますね~(苦笑)気にしないでいいですよ」
って言ってくれたけど、数週間も立たないうちに
コロナが始まるずっと前の話です。
この前のインテも過疎りまくってて、「このままじゃ同人誌売ったり買ったりが出来なくて辛い」って議論されてる所を見かけて、ふいにこの時の記憶がぶり返してうわーってなった。
フェミニストにも話せばわかってもらえるよ!みたいなこと言ってるやついるけどアホちゃう?
いやまーじでそれ無駄やろ、一生言い続けることになるぞ、話せばわかってもらえるって。
そもそもフェミニストはガチで「問題が存在し、それを解決したい」なんて思ってないのもう皆わかってるやろ
「力もしくは理が自分になくて反撃できない、でもムカつく」
ってなってるフラストレーションたまったブスが
ネットで別のヤツを殴ることで
「自分は反撃できた、戦ってる」
っていう、実感と充実を得てストレス解消するための行動でしかない。
つまるところ、殴ることそのものがブスの望んでることなんだよ、すでに被害は「現実の自分の生活で受けた」から「攻撃(反撃)をしない」という選択肢はない。
女の会話の多くは中身はどうでもよくて、会話を継続してるっていう部分で安心感を得たりつながりを感じて楽しい気分になる所がある
だからフェミも殴るという行動で楽しむ発言を繰り返してる、そこに理はない。
こんなフェミ相手に「君の言動は間違ってるよ、理論に適ってないよ」なんて言って聞くわけねーだろ
ムカつく現実の誰かの代わりにお前らを殴るのが目的なんだから、どんないちゃもんつけたって殴るわ
だから自分と同じ様に殴る意見があれば、中身なんか見ずにイイネする
「現実で勝てない相手にボコられたから、私はもっと社会的に弱いものを殴って自分が最底辺出ないことを感じたいしスッキリしたい」
高校生にカツアゲくらってムカついた中学生が小学生の財布強奪すんのと一緒。
会話は成り立たない。意味もない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200824123957
思想や行動が合わなくて友人関係を見直すというのは一般的なことなので
けどさ、いつも思ってるけどさ、ヴィーガニズムの話題になった途端に「思想の押し付けは良くない」ってコメントするブクマカ多すぎない?
普段みんなフェミニズムとか表現の自由とかの時は「私と同じ思想になってほしい」みたいな風にでコメントしてるじゃん
友だちがワクチン接種推進動画を拡散!押し付けだ!もう友だちやめる!とか増田に書いた日にはブコメでボコボコにされて魚拓まで取られるじゃん
ねえなんでヴィーガニズムの話題だとスッと冷静に「やっぱり押し付けはダメだよね」みたいな顔になるの?(一応、私は全部肯定してます)
そんなのとヴィーガニズム/表現の自由/現代医学を一緒にするな、っていうかもしれないけど、
前提としてヴィーガニズムは現代倫理学でも肯定的に扱われているし、一部ブコメのようなちゃちい反論もどきでは到底崩せるようなものではない、
というのは倫理学をちょっとでも勉強したことがある人なら知っているはず
少なくともヴィーガニズムは疑似科学やカルトのような、現代的な倫理観や科学的知見に反する非論理的なトンデモさんではないのですよ
もちろん、学術的に確立されてる思想なら押し付けて良い、ということには必ずしもならないけど
繰り返すけど、押し付けだと思ったから友人関係を見直す、というのは理解できる
けど、みんなヴィーガンの「私と同じ思想になってほしい」にだけ異様に厳しくない?なんなの?食べ物の恨みは恐ろしいってやつなの?
あとさ、食べ物の恨みならしょうがないとしてもさ、せめて「肉を食べないと怒りっぽくなる」とか「ヴィーガンはカルト」とかみたいなデマを流すのは止めない?
落ち込んでることについてあれこれ考えて眠れないって人も多いだろうけど、自分はちょっとつらいことがあるとすぐ過呼吸になったりお腹痛くなったりして身体に色々出てきてかなり苦しくなるタイプで、生きるのがつらくなって頭の回転も鈍くなって身体を動かすのも嫌になって結果的にめちゃくちゃよく寝れる。
最近そのことを利用して、寝る前に自分の超苦手なとある1on1の対戦ゲームを数試合やって、ボッコボコに何連敗もして吐くほどつらい気持ちになって半泣きの状態でベッドに入ることによって睡眠の質を高めることに成功している。
ちなみにチームで戦うゲームは負けても味方のせいにしてしまいがちで、落ち込むというよりはイライラするので睡眠には逆効果だった。加えると、寝る前にはできれば非アクションゲームの方が良いかもしれない。
今回朝倉未来はゲーム実況のサワヤンゲームズとコラボし、ボコボコにされた後、瓦割りでも挑戦的な態度を取られ、YouTubeとはいえ忖度なしでムカついてる様子だった。
結果的に彼が取った選択はサワヤン兄弟を呼び出して総合格闘技ルールで「ボコにする」というもの。これがまた陰惨な内容。サワヤンは演出的にイキってるとはいえ、たかがキックの初心者に過ぎない。そこにスパーと称した朝倉の左ロングフックがガンガン決まって、得意のカウンターまで決まり始める。兄弟の兄貴は鼻血を出して倒れ込み、弟もフルスイングの餌食になった。
朝倉選手はコラボ動画でスパーこそ毎回するとは言え、全く力を入れないマススパーが多かった。K-1王者の安保瑠輝也選手とコラボした時もかなり肩の力が抜けていた。ところが今回は、目つきが門下の練習生に向けるマジ目線だ。体格差もあるとは言え、本気10割として6割以上のパンチを放っているように見えた。流石にパウンドはかなり力を抜いたものだったが、立技はほぼ試合のノリでやっていたように見えた。左フックのカウンターが芯に決まった際の"ゴッ"という当たり方はかなりエグいものだった。
要するにこれは何かといえば、ヤンキーが調子に乗ったYouTuberを"シメた"動画でしかない。だから朝倉の目線も試合か喧嘩のノリで眼の奥が笑っていなかったし、フックもまるで容赦がなかった。結果的に普通の試合よりリンチ感が出てしまい、動画から嫌な空気が漂うことになってしまった。
増田的にはだいぶ大人げないという所感を持たざるを得なかった。無冠とは言え王者に近い男だ。運営側のスターを守る気風があるとは言え、一般選手以上には強い。それが素人キック練習生を6~7割のガチカウンター込みのパンチでボコボコだ。もはや体重差があるから、などという理屈は通用しない。スタンド状態でKOがあってもおかしくなかったし、半分試合でスパーとは言えない状態だった。
この人は結局王者でいることより街の喧嘩師でいることを選ぶのだろうか? 確かにスパーという名目でお互い口約束で同意した場合、事故があっても大きな責任には問えない。
木村拓哉主演で映画化されたことは知っていた東野圭吾の「マスカレード・ホテル」を図書館で見つけたので今更読んだ。
連続殺人事件の次の事件現場と目される東京の一流ホテルに警察が極秘で潜入し、犯人逮捕を目指す話であった。
その序盤、ホテルマンの振りをして警戒にあたる刑事の指導をしてほしいと上司から頼まれたホテル従業員の女性の台詞に引っかかった。
(略)でも、なぜ私なんですか?(略)それに捜査員というのは男性の刑事さんでしょう?女性から指導されるのは、先方としても抵抗があると思うんですけど
女性からの発言ではあるが、例えば今ツイッターで男性が「女性から指導受けるの抵抗あるわ〜」とかつぶやいたらおそらくボコボコにされるだろう。
女性管理職の苦労、苦悩みたいな話は今もフィクションでよく見るけれど(逃げ恥のゆりちゃんとかMIU404の桔梗さんとか)、今の私の感覚だと、男性刑事が女性ホテルマンからホテル業務を教わるのに抵抗を感じるかも、という想定にはすごく違和感がある。
(その後指導される当該男性刑事は女性から指導されることについて特に何も抵抗は無さそうなんだけど)
でもこの小説の初出は2008年からの連載で、私も10年くらい前だと同じような感覚を少しは持っていたような気がする。
なんで女から指導されるのが嫌かというと、女は常に目下の者だと思ってるからだよね。
今でもそんな風に思ってる人は特に年配の男性にはいると思うけど、最近のフィクション作品だとそういった描写は控えられているんじゃないかな、と思った。
と言っておけば完封できるしな
今のフェミニズムって男性嫌悪・性嫌悪の女性がメシ食う手段になりつつあるよね。
作家・ライター業で過激なこと書いて絶対反撃してこないオタクをボコるだけで、金は稼げるし世の中はチヤホヤしてくれるんだから最高でしょうね。
ツイッターで知らない人の子供の無邪気な笑顔のアイコンを見つけたらイラッとしていつのまにかその顔面をボコボコに叩いている自分がいた。いつから私はこんな最悪な人間になってしまったんだろう。
「どうして子供を欲しいと思うのか。子供を産んでる人は人間性に自信があるのか」っていうツイートが炎上して、呟いた人は鍵垢になってしまった。
それに対して「自分が子供を欲しくないと思うのは勝手だけど、他人sageするな」「これは嫌味じゃないけどって前置きしてるけどどう読んでも嫌味」「子持ちクラスタに喧嘩売ってる」って袋叩きにされてるけど、そんなにボコボコにするような発言じゃないのでは?
もとの発言は
・なぜ子供が欲しいと思うのか
・子供を産んだ人は子供を育てるという重い責任を負う決断ができるような自信があるのか
って言ってる。
元のツイートを何回か読んだけど、本当に分からなくて呟いただけのように感じた。
ただ、「子供を産んだ人は自分の人間性に自信があるから子供を持つという選択をした」という発言の前提は間違ってると思う。
この部分が「お前ら大した人間性でもねーのに子供産んだの?すげーなwww」みたいに捉えられて怒りを買ったということなのかな?
それにしてもキレすぎだろ子持ちクラスタ。と思いました。
まあ子育てが大変で、余裕のないところに燃料を投げ込まれた感じなのかもしれない。
そしてキレてるツイートしかTLに流れてこなくてしんどい。フォロワーの多数が元ツイに嫌味を言われていると感じているという事実がしんどい。
ちなみに私もその疑問全部思ったことがある。
①自分のような人間に育てられた子供は性格が歪んで幸せな人生を歩めないと思うから
②自分の人生だけでも精いっぱいなのに、子供の人生まで責任を負うのは過大な負担だと思うから
(③あとほかにもいっぱいある)
①の悩みがないという状態がどういう感じなのか分からないから、私も子供産みたいと思える人の内面は分からない。
色々考えた結果、特に悩まず当たり前のこととして子供を産む方針を採った人が多いようなので、今は彼らは違う人種なんだろうなと思っている。
弱者とされる人たちが「私たちは不遇です。助けてください。」って言う事は色んな例があると思うのね。
障害者とか。セクシャルマイノリティとか。貧困層とか。非モテとか。フェミの言う「女」とか。
でもそれって社会制度の整備や、世間的な偏見の撤廃に対する叫び声だと思うのね。
もっとこういう人たちでも生きやすい世の中にしてください。政府は法を整備してください。国民は偏見を少し和らげてください。という。
で、タイトルに戻るんだけど、ネット上で「字書きは不遇です」っていうのあるじゃん。
これがわっかんねえんだよ。だって社会制度を整備してほしい訳でも、偏見がある訳でもないじゃん。
むしろ世間的には漫画やアニメみたいなオタク文化()より、小説の方が高尚で偉大なものみたいな風潮すらある。
ネットでも実際面白いものは「なろう」とかで流行ってボコスカ漫画化だのアニメ化だのしてる。
相性が悪そうなSNSでも、ツイッター小説がバズっているのをしばしば見かける。
でも何故字書きは不遇なのかというと、あえて言うと単にクリエイターとしての質が低いだけ。
例えばTwitterで「私たち字書きは不遇」的なことを言ってるアカウントがあるだろう。
本当にダメなやつはまずプロフィールに投稿サイトのURLが載ってない。
どこにあるかもわからないお前の小説を見れるわけがないだろ。で、URLはない代わりにマシュマロなんか設置されてる。
載ってたとして見に行っても、だいたい、とりあえず日本語の文法上は正しいかな、みたいな文章がそこにある。
ちっとも没入感はないし、全部「~だった」で終わってるし。「違和感を感じた」とか平気で書いちゃうし。
字書きにも凄い人、"神"は時々いるが、平均クオリティは正直低い。"神"を探すのはなかなか根気のいる宝探しだ。
だから「字書きは不遇だから反応がない」とか言っちゃう奴って、字書きを盾にしすぎじゃね?と思う。
自分のクオリティが低くて反応されていないのを、字書きそのものに責任転嫁してない?
あとそんなに絵師に対してのコンプレックスが強いなら絵描けばいいのにってなる。いいじゃん、字だって大して上手くないんだし。
少なくとも「字書きは不遇です、助けてください。」なんて言われても、つまんないものしか作れない人間に差し伸べる手が一体どこにあるのだ。
"神"の字書きなら今でも適切にちやほやされてるし。
俺の父親は凄まじいDV夫で俺は物心ついた時から母親がぼろ雑巾みたいに扱われる様を間近で見てきた
父親のDVはマジで手加減無用って感じで、気絶するまで殴ることもあった
星一徹じゃないけどマジで何が親父の怒りのスイッチを押すかわからなくて怖かった
俺は身長が180近くあるのだけど俺より頭1つ小さい男性に対して膝が震えてくる時がある
小学生の頃に母と父が別れて(簡単には別れられなくて色々あったけど割愛)俺は母に引き連れられて母子家庭になった
喋ろうと思っても何も喋れない
でも家に帰るとすらすらと会話することができる
今ならそれが場面緘黙症という症状だと理解できるけど、当時の俺は本当に自分が情けなかった
またその頃の俺は自分の髪の毛を抜く癖があった
それも今では抜毛症という症状だと理解できるが当時はそんなことわからなかった
余談だがそのせいで中高時代は髪の毛のボリュームについて悩んだりした
クラスメイトの前でズボンを下げられたり、単純にタコ殴りにされたり、私物を破壊されたり窃盗されたりもう滅茶苦茶だった
男も女も関係ない
というより人間が社会的動物だから俺みたいな不安分子が標的に遭うのか
そんなこと考えたって何の解決にもならないけど
情けない話だけど、中学の時なんて自分より20センチは小さい同級生にされるがままだった
俺はあのDV親父の息子なのにどうして殴られても殴りかえせないんだって自分でも不思議だった
俺は特段優しい人間などではないと思う
人並みに昆虫とか殺してきたし、GTAで市民を虐殺したりして遊んでたし
でもどうしてか人間を殴ることはできなかった
殴られても殴られても俺は殴り返せなかった
強さに憧れてブルース・リーやジャッキー・チェンの映画を見て身体を鍛えたりして、中学の頃なんか腹筋がハッキリ割れて見えるくらい筋トレしたのに実戦では殴られてばかりだった
まあそんなこんなで陰惨な思春期を過ごして大人になった俺は、今でも人と接する時は挙動不審になる
そんな折に育ちの良い奴最強!みたいな話題に触れてしまったのでマジで心抉られてる
本当。アトピーを治せ、とかやれるならやってるクソボケアホバイスや、整形しろ、みたいなゴミバイスが具体的なアドバイスと言うのならば。
半分本当。半数以上の人が、このあたりをやってないと「清潔感がない」という評価になる。嘘部分は、各種やっても出ないやつは本当に出ない。アトピー跡の残る私なんか人の10倍は肌荒れ気にしてても清潔感がない。くるくる系の天パも清潔感がない扱いされやすい。顔が良い人は無精髭でも清潔感がある評価されがち。
具体的な定義はない。各々が好き勝手に「清潔感」って呼んでる評価軸がある。各々の持ってる評価軸の共通点が「清潔」に近いところにあるから「清潔感」と呼ばれているだけ。よく「清潔感が無いは生理的に無理の言い換え」と言われるが、ほぼそのとおり。「清潔感がない人は生理的に無理」と言ったことがある人は、生理的に嫌だから生理的に嫌というトートロジーを言っているにすぎないと自覚したほうが良い。自分が感じた生理的嫌悪=不快感を「清潔感が無い」と言ってる。結局、個人の「快・不快」という2歳児レベルの二元論で、快なら清潔感がある、不快なら清潔感が無いと言っているにすぎない。
その不快感とは何かと言うと、情報量だ。くしゃくしゃヨレヨレの服よりもアイロンがかかったきれいな服のほうが、ボコボコガサガサな荒れ肌よりもつるっとした肌のほうがポリゴン数少ないだろ。伸びっぱなしボサボサ頭やくるっくるの天パよりも、ツーブロックなりアップバングなりできっちりまとまってたほうが絵に書きやすいだろ。ヒゲも、無精髭はNGでも整ってればOKだったりする。ニオイも、タバコ臭い汗臭い香水もつけ過ぎりゃ臭い。一番好まれやすいのは情報量のない「無臭」だ。勿論”この人の”汗の香りが好き、みたいな個々人のフェチズムはある。それはピカソのキュビズムな絵が好きとかそういった方向性なので別の話。今は写実的な絵の方がうまく見えやすい、という話をしてる。
鼻毛も飛び出てたらそこばっかり気になっちゃって、初対面の人だったら顔関係なく「あの鼻毛出てた人」っていう扱いになるよな?あれは鼻毛の情報量が多いからだ。マスクしてると顔が整って見えやすいのも、マスクの情報量が人間の鼻口まわりよりも圧倒的に低いから。顔を隠せ。男がシャツ着てて乳首が浮いてるのも清潔とは一切関係がないのに「清潔感がない」とされるだろ、あれも乳首の情報量が多いからだ。体型を隠せ。坊主がNGくらいやすい理由も同じだ。頭の形が小峠より綺麗な奴なんてそうそういない。頭の形も隠していけ。顔周りを隠す、体型を隠すことで情報量が一気に削減される。ゲレンデマジックなんて言葉もあるくらいだ。情報量が多い=認識負荷が高い、人に負荷を強いることになり、得も言われぬ不快感が出る。それこそが生理的嫌悪であり、清潔感がないと言われるものだ。
さらに言えば、顔の情報量が元々低ければ、何はなくとも「清潔感がある」とされやすい。顔の情報量が元々高ければ、無精髭が生えてるとかデキモノがあるとかの1点でも「清潔感がない」とされやすい。筆者の言われたことがある「顔に清潔感がない」は「お前の顔情報量多いんだよ」であり、「顔が個性的すぎる」なのだ。私の顔の情報を好意的に受け取ってくれる人は少ない、それ即ち”不細工”である。婉曲表現。顔の認識負荷が高くない、顔が個性的じゃない、つまりは不細工じゃないのが最大の清潔感。
ここまで清潔感とは情報量の少なさである、と持論極論を展開したが、それが周知されたところで
衝動的に手持ちの物を売り払う癖がある。
両親共働きで鍵っ子、家に誰もいない中私の遊び相手になってくれたのはゲームだった。
スイミングクラブの上級試験に受かったご褒美に買ってもらったマゼンタのゲームボーイカラーと、ポケットモンスター銀。
近所の金持ちにいちゃんが貸してくれたゲーム機が自分の家にあって、しかも自分の持ち物になるなんて!箱から出したてピカピカのランドセルを背負った時と同じくらい嬉しかったものだ。
それから「いつかは卒業するだろう」と思いつつ中学ではファイアーエムブレムやMOTHER1+2に出会い、高校では星のカービィUSDXのタイムアタックに熱を上げ、大学でポケモンXYに出戻りし……
現在も私はswitchとスマホを握り締めてゲームと向き合っている。
むしろアダルトゲームができるようになると名作ADVを男女BLの境なくやりまくったし、今はSteamやらDLsiteでプロ・アマチュアの垣根なく無限に面白いゲームを購入することができるのだ。
幼い頃のように没頭できる時間はなくなったけれど、購入本数は増えたと思う。
しかし、先述した通り私には売却癖?がある。
高校の時だ。私は手持ちのゲームをポケモン銀とプラチナを残しすべて売ってしまった。
きっかけは正直思い出せない。ただ、私の高校生活はお世辞にも楽しいものとは言い難い。
友人とは一度も同じクラスになれないのに、とんでもない女(教師にカマキリをくっつけておおはしゃぎする等)とは二年同クラスな上修学旅行の班も同じ。
本命に落ちて来た学校だったので授業のモチベも終わっていて、ついでに入学時両親が離婚した。
そしてゲームをすることもやめた。親が禁じた訳でもなく、ほかに趣味がある訳でもない。受験勉強に打ち込むでもなく、高校生活を惰性で消費していった。
そして大学、私はふとゲームをやりたいという感覚に襲われた。高校から抜け出したことでメンタルに余裕ができたのだろう。
衝動的におもちゃ箱(というかゲーム箱だが)を漁って手にしたのは、折りたたみ式のゲームボーイアドバンスSP。早速何かやろうとカセットを入れていた巾着をひっくり返した。出てきたのは、ポケットモンスター銀。それだけ。
そこからはもう怒涛だった。
「お母さん!ポケモンの古いゲーム捨てた!?」「アンタが売って良いっていったんでしょ!?」とかいう迷惑極まりないやりとりをして私は中古屋に走り、探していたものを見つけた。
ポケットモンスターサファイア、不思議のダンジョン青の救助隊、闇の探検隊、ポケモンコロシアム、ポケモンチャンネル………それからカービィ鏡の大迷宮にUSDX、MOTHER1+2、トマトアドベンチャー。ここに書ききれないくらいの私の思い出は、そこにあった。
けれど悲しいかな、大1でバイトもろくに始めていない私には全てを買い戻すことはできなかった。いつか絶対買い戻そう、そう胸に誓って500円箱なしのトマトアドベンチャーだけを手に私は店を出た。
帰ってきてすぐ、私はポケットモンスタープラチナを起動した。本当はサファイアをやりたかったのだが、私が手元に残しデータが飛んでいないソフトはそれだけだった。
すごく、面白かった。何をして良いのかわからず各街に飛んで聞くBGMも、適当に組んだパーティでレベル80代のライバルにボコボコにされたことも。
あの時得た端金で買った名前も知らないスナック菓子にかえていいものじゃなかった。何年越し、何十回目の殿堂入りを果たした時、私は泣いた。
人生初のアルバイトは苦痛の方が多かったが、おかげでソフトのほとんどは一年以内に買い集めることができた。FE系のソフトと一部のハードが大学生の懐には痛かったけど、ようやく自分を取り戻せたような気がした。
……自分を取り戻せたような気がした?
ここに来て私はゲームに相当な依存心を持っていることに気がついたのだった。
職場でゲーム趣味について弄られると「まあゲームに育てられたようなもんなんで!w」と冗談で返したことはあったが、どうやら真実(マジ)らしい。