はてなキーワード: ボコとは
売りはじめた土地に人を座らせておけば直ちに誰かが現れて買ってくれるわけでもなさそうなのだが、とりあえず人を置いて「現地販売中」の赤旗なども立ててしまうのが弊社である。
古い木造の平屋に暮らしていたおばあさんが介護サービス付きの老人ホームに入るということで、土地を買い受けた途端に更地にしたのが弊社である。
まだショベルカーのキャタピラの跡が残る泥の上に「初売り出し」と書いた看板を突き刺し、アウトドア用のタープを設営し、キャンプ用のテーブルと折り畳み椅子を置いて座ったのが私である。
日中の気温が37度に達すると予報が出ている東京で、もちろんこのような布の屋根は、あってもなくてもたいして変わらない。テーブルに置いた麦茶のペットボトルが火にかけた薬缶のように熱い。
テーブルにはいろいろな家のイラストも重ねて置いてある。今は茶色いだけで何もない更地ですけど、弊社契約の業者を使って家を建てるとこんなに素敵になるんですよ、と説明する使命を帯びて、画像データをファミマで今朝印刷して持ってきたのだが、もう私の汗を吸ってボコボコと汚らしく波打つだけの紙の束になってしまった。
日が暮れるまでこの土地に陣取って「販売業務」に従事しなければならない。買い手が来ても来なくても、雲ひとつない8月の空の下、タープの布屋根一枚で直射日光を防ぎつつ座っていなくてはならない。東京の住宅街に突如出現した空き地の値段は、不動産会社の従業員一人の人件費よりもずっと高い。ひょっとすると命よりも。
そんなことを考えていてもまったく時間が経ってくれない。さっき近くのローソンから買ってきたガリガリ君は一瞬のうちになくなってしまった。これからは何を糧に生き延びればよいのか。
熱中症になるのが怖くて、自分の手首を掴んで脈を測ってみる。いつもより弱々しい気がする。黒い革靴に包まれた足がジュクジュクと蒸れて、沸かしたての風呂に入っているように熱い。たまらず靴も靴下も脱いで、椅子に座ったまま裸足を前に突き出し、風を待つがそよとも吹かない。日傘を差した女がこちらを二度三度チラ見しながら通り過ぎて行く。
もはや暑いのかどうかもわからず、ただ息苦しく、マスクを片耳からぶら下げ、意識が朦朧とした状態で椅子にひっくり返っていると、ようやく日が傾いてくる。焦点が合わない視界に、ひょろ長い人影が映る。黒いTシャツを着たマッシュルームカットの青年が、不安そうにこちらを見つめている。彼が連れている小さなパグがちゃむ、ちゃむと吠える。
「あの……ウラサワ君?」
なぜ彼は私の名前を知っているか。椅子に座り直してその顔を見る。彼がマスクを取る。
「メヒコ君?」
髪型が変わっていて、顔は大人になっていたが、わりとすぐに分かった。メヒコ君の本名はたしかヨモギダだったはずだが、中学のクラスではみんな彼をメヒコと呼んでいた。家庭の都合でメキシコシティから突然転校してきて、メキシコのことを「メヒコ」と発音する彼は、無知な中学生達にある種の衝撃を与えた。
ここでなにをしているの、土地を売っているんだ(自分の土地じゃないけど)、どうしてここにいるの、近所に住んでいるんだ、というやりとりを経て、仕事が終わったら一緒に晩ご飯に行くことになった。というか、今日はもう撤退することにした。
犬を家に置いて戻ってきたメヒコ君と歩きながら話を聞く。学校を出た後はスペイン語と英語を活かして国際線のフライトアテンダントをしていたが、どうしても時差のある生活に身体が慣れなくて2年でやめたらしい。何か接客業を続けようと思ってヒルトンのバーで修行した後、ちょっとしたメキシコ料理とテキーラを出すバーを高円寺に出したところ、けっこう繁盛した。2号店を出そうかと下北沢あたりで物件を探しはじめた頃、コロナが来た。
「バーをやってると、お客さんがいない時間は結構よくあるんだけど、あの時に誰かがドアを開けて入ってきてくれるまで待っている時間の重さは、それまでと何か違うものだったんだ。店を開けてることも、生きてること自体も、何から何まで否定されながら、それでも誰かを待っていなきゃいけないみたいな」
運転資金が残っていて少しでも退職金にあてられるうちに、メヒコ君は2人のスタッフと話し合って店を畳んだ。それまでは店の奥にある倉庫で寝起きしていたので住む所もなくなり、今は大叔母さんの家に居候しているらしい。
「自分のペースで店を作っていくのは楽しいから、また機会があればやりたいね。いつになるかはわからないけど」
夕闇に信号機が点滅する横断歩道を並んで渡りながら、私はなにも言えなかった。
ラーメンでいいかな、と彼が立ち止まった先にあるのは住宅街の古い一軒家だった。看板もなにも出ていない。ああ、うん、と思わず答える。メヒコ君がためらわず玄関のチャイムを鳴らすと、インターフォンから返事が聞こえる。「二人なんですけど」というが早いか、ドアが静かに開き、白髪の薄くなったおじさんが出迎える。メヒコ君とは知り合いらしく、久しぶりなどとひとしきり話してから、私にも入るように促す。
案内された先はどう見ても普通の家のダイニングで、エアコンが効いていて涼しかった。つながっている居間には大きなテレビがあり、NHKのニュースが流れていた。ソファーの上には茶トラの猫が寝ていた。
「あったかいのと冷やしとどっちがいい?」 ダイニングテーブルについた私たちにおじさんが訊く。
「じゃあ、冷やしください」と私が答えると、「冷やし二つおねがいします」とメヒコ君がいう。
キッチンでおじさんが調理しているあいだ、私たちはテレビで関東地方の気象情報を眺めた。おじさんの方を振り返ると、冷凍庫から赤いコーラのペットボトルを取り出すところだった。料理しながら自分で飲むのかなと思って私はテレビの画面に視線を戻した。
出てきた冷やしラーメンは、家庭料理にどこか似つかわしくない端正なものだった。ガラスの鉢に黒いスープが入っていて、そこにひたされた金色の麺の島には、糸のように細かく切ったハムと白髪葱が載っていた。一口食べると、氷水からたった今引き出したような麺の冷たさに驚く。スープは甘辛く、どこかで味わった覚えのある下味を感じたが、はっきりとはわからず、謎めいた調和のうちにいそいそと箸を進めずにはいられない旨味があった。
食べ終えて外に出る頃には、昼間から感じていたどうしようもない倦怠感は消えて、全身が軽く感じた。地下鉄の駅に向かうため、メヒコ君と交差点で別れた。今度は何か冷たい差し入れを持っていくよと彼は笑っていた。明日の最高気温は何度だろう。さっきテレビで見たはずだが、よく思い出せなかった。
何より下手だし、中途半端な丸文字とミミズ文字のミックスみたいな感じで大変見苦しいと思う。自分でも読めない時がある。
今までも、「自分の字って子供っぽくてカッコ悪いな〜」と思ってたけど、昨日何気なく、Tカードの裏に書いてある自分の署名と、店員さんが書いた有効期限の文字を見比べて、すごいガッカリした。自分の字きったねぇ〜!ヘタクソ!
なんかこう、何気ないメモとか板書したノートとかでも、キッチリ整ったきれいな字の人いるじゃん。ササーっと書いてるのに整っている。すごい。
私は罫線のない紙に横書きしたら文字の中心が揃わずにデコボコするし、縦書きだとどんどん斜めになっていく。
「さ」とか「き」は繋げて書いてしまうし、「す」「お」「む」は横線を書いた後に一筆で縦の線も書く。分かりづらいけど伝わってくれ。
多分私の字の汚さの原因は小学生の時まで遡る。私の母や先生は、漢字ドリルのやり方にとても厳しかった。ドリルに書いてある熟語とかをノートに写す時、なんかもうまどろっこしいほどゆっくり丁寧に書かされた。(大人のせいだと言いたい訳ではなく、私がせっかちすぎてそう感じていただけである)
それがもう、当時小学生の私にはとても苦痛だった。たかが漢字2文字書くのに時間かけて、お手本通り書けなければやり直し、書き順間違えてもやり直し。
そこで、根性や忍耐力が身について「字を書く時は丁寧に!」という心が芽生えれば違う人生を歩んでいたのかもしれないが、私は基本的にせっかちで飽きっぽい性格だったので、次第に適当に、なんなら字を書くのも嫌いになっていった。
そして、漢字ドリル提出のたびに、習字の授業のたびに、夏休み冬休みの習字の課題のたびに、周りと比べて字が下手なのを実感してさらに字を書くのが嫌いになるという悪循環。
ちゃんと丁寧に習った漢字を練習して、根気強く書く習慣をつけていればこのようなコンプレックスを抱くこともなかったのだろうが、無理だった。漢字練習よりも読書がしたかった。
一応美的センスはある(つもり)なので、レタリングの技法を使えば美しい字は書ける。でも日常生活で字を書くのにいちいちそんなことやってられん。だいいちそれは私の字ではなく明朝体とかゴシック体だ。
まとまりなく、ダラダラ書く。
私の日記なので。
「そうめんは手抜きと言ったら配偶者が発狂した、それは嫌な事ですよね?」
増田のことなのか、増田が見たそうめんのツイートなり記事なりにでてきた夫婦のことなのか。それとも話題になった餃子のツイートから敷衍して増田が考えた思考実験?の夫婦の事なのか…?
発狂とはなにか?私はそうめんの記事は何も読んだことないから、餃子のツイートのことを記憶で書く。
「冷凍餃子を出したら子供が美味しいと言い、夫がそれについて『これは手抜き、れいとう』と教えた。そのツイートに対して怒りのリプライが多数付いた」というものだったけれど、怒りは発狂なのか?
その怒りは、「手抜きを手抜きと言われたが手抜きと認めたくない事の表出」であったのか??
(私には、夫は言語化していないが「手抜きは無価値」という意見だと受け取り、美味しいと言う子供に「その食物は無価値」と教えること、他者が提供したものをたとえ真実でも一般的に低評価の表現である「手抜き」と評価することへの怒りであると感じられた。もちろん増田がどう感じようと、何も感じなかろうと自由)
あと、わからないのは、そうめんが手抜きだと言われて、確かに手抜きだ、と認めたら、発狂はしないものなのか?
「そうだよ、手抜きだよ!うるせえ今日は疲れてて手抜きしないとやってられないんだよ!このクソ暑いのにガスつけて大鍋でそうめん5束もゆでて、お湯大量にガロンガロン沸かして吹きこぼれないようにつきっきりでまぜて、タイマーかけてゆだったら間髪入れずに流しで湯切りして、流しベコボコ言わしてそれから流水でしめるんだよ最初はあっちいんだようっかり素手突っ込んだら火傷だよ!そんで伸びないうちに出すんだが、あらかじめ薬味とめんつゆと器と氷を用意しとくわけだ、人数分な!ああ、そうめんなんかすぐ食べ終わっちゃうから、お代わり用にもう一回大鍋で湯を沸かし始めないとな!あー疲れた疲れた!手抜きだよ!天ぷらよりは遥かに手抜き!悪かったな!その手抜きでもしんどいんだよ!!」って私、発狂しちゃうけど、手抜きだよ?
他のおかずも出すからめんどくさいけど、そうめん自体は簡単。ご飯のほうが炊飯器が炊いてくれるからもっと簡単ではあるけど。
発狂されたら嫌なのはわかるよ、書いてて自分嫌な女〜と思ったもん。でもそうめんが手抜きかどうかの同意と発狂はあんま関係ない気がするよ…。
そうめんが手抜きという認識(増田の認識)に発狂されたらいやだから、結婚なんてするもんじゃねえ、というのはつまり、結婚というものをしたら、増田の認識に対して発狂されることが頻発すると推測できる、という事かな?あるいは一度でも増田の認識に発狂されるようなことがあるなら、それは耐え難いということか…?
うーん、そういう面もあるだろうけど、手抜きという言葉のネガティブ性を軽く見積もってる気がするなあ。
そうめんは細い、というのとそうめんは手抜き、というのではついでに伝わってしまう意味が違うというか…。
手抜きという言葉にはネガティブ性はない、とは言えないと思うんだけど…。
増田は「手抜きという言葉にはネガティブな意味はないのに、勝手にネガティブに受け取って発狂されたら嫌だ」と言ってるように見えるけど、老若男女問わず「手抜き」と言われてフラットな受け取り方をするのは、場合を選ぶか少数派かではなかろうか?
フラットでない、ネガティブな意味を込めた「手抜き」の使用例の方が多いと思うし。どうしてもネガティブな意味がついでに伝わりがち…。
増田が、手抜きと言われてもそれに同意する場合は発狂(不快の表明?)しないひとなら、それは得難い美質だと思う。でも世の中たぶん、老若男女そんな人格者ばかりじゃないよね。
中国の写真サイトを見ていると、20代くらいの若い人でも高層マンションに住んでいて、フェラーリなど数車持っていたりする。
これが1人とかじゃない。
一方で、地方らしき駅の周りを写した写真だと、社会主義っぽさから変わってない。
日本にいる人の意見が人によって違うのは、切り取る部分によって違うからだろう。
コロナ、要するに病気の内容そのものは「めちゃくちゃキツい風邪」、「インフルエンザが悪化したらこんな感じ」ってものだ
そう書くとショボく見えるかもしれない(実際にはこじれた風邪もインフルエンザが一番辛い時期も死ぬほどキツいので絶対に罹りたくないけども)
でもこの病気の本当に怖いところは、感染者に対し「国やその国に暮らす人の悪癖が発動する」事
日本という国の場合は「異物排除」「多数派が正義」「村八分」がそれだ
ただでさえ苦しい病気で死ぬような思い(なんなら本当に死ぬかもしれない!)してる上で、「汚物は消毒」「汚らわしい感染者を晒し上げよ」「どうせ国の忠告無視して遊んでたんだろ自業自得」「死ねw」と誹謗中傷を受け
Twitterだの2ちゃんねるだのFacebookだの爆サイ.comだの、もちろんはてな匿名ダイアリーでも、感染者の個人情報が晒し上げられ殴られる
ああ、「密」な場所で遊んでいたり、不要不急の外出して罹ったのならそりゃ非はあるかもしれない、手洗いうがいマスクを徹底してなかったのもいけないかもしれない、でも病気に罹って苦しい思いしてるならそれで禊は済んでるだろう?
ましてや、なんの非もないのに罹った人(人と関わる仕事、仕方なく出勤する人、ほんの数分程度の買い出しがきっかけで感染)まで同じ様に顔のないやつらにボコスカ殴られ個人情報をフリー素材にされるんだ、狂っていないか?
そして殴ってた連中の中に感染者が出たらそいつも同じ様に差別対象の仲間入り、とにかく「感染者」という悪を殴って殴って動かなくなるまで痛めつけようとする
遊びや外出を抑圧されて溜まったストレスを、遊びや外出が出来ずに辛かった上にコロナに罹ってしまい肉体的にも辛い人へぶつける
コロナはその国ならではの「病巣」と「疾病」を明るみに出す病気だ
自粛警察、マスク警察、こういう戦時中並の監視と足並み崩したヤツをボコボコにする風潮も、コロナであぶり出された日本人が抱える疾病の一つ
病なんかよりも、よっぽど人が恐ろしいよ
そしてこう言えば「でも感染者が悪いだろ」「実際罹ったやつは軽率な事してたくせに」「パンティー」「ネットリンチの何が悪いの?」「うんち」「日本を批判するパヨクおはようw」とか思考停止で返ってくる
そういうとこだぞ
真ん中の段についてのみ。
そのパートナーがいないと生きてる意味がないというほどの執着ってどういう意味があるのかな?
若い日の花火としてあとあと懐かしく思い出し人生を豊かにする効能くらいはあるわな。
自分や自分のプライドが大切でたまらないから、何かの事情で自分の一部・自分の延長みたいに錯覚した相手のことを
いわば自分のウデがもげるのがイヤだレベルで大事に思うんだろ。
何かの事情というのは例えば小説にもあったが、クラスで二人だけの「カルト信仰の家の子」で、世界中で味方はお互いだけみたいとかそんな状態。
大人になってそういう事情から解放されてから、相手を同じ熱量で見れるかな?
過剰な愛って
そういう穴ボコに落ちなかったら貧しいとか損してるってわけじゃないと思う
シャイニングウィザードを放ってきたので、私は足を掴んですかさずサソリ固め。
上司はタップせずフォールギリギリでブリッジして返す。湧き上がるオフィス。
私はロープの上に乗って片手でお経を唱えると、メキシコ仕込みのルチャリブレで上司にボディプレスをかました。これが決まりてとなり上司はフォール。そのまま私の勝ちが決まった。
ところが上司は負けたくせに記者会見で偉そうにふんぞり返っていたので、前田日明を見習って椅子でボコボコにしたあとストンピングで泣きが入るまで蹴り倒しました。
後悔はしていません。
若者より代謝は落ちてるはずなのに。痩せたおじさんはひょろひょろが多い。肌は緩んでお爺さんみたいになってる。ほとんどのおじさんの髪は薄い。顔の毛穴はボコボコ。脇毛とか、全く処理しないから汚いよね
ある程度まともなおっさんは普通、けっこうな社会的責任を追うような立場まで出世するけど
おっさんはそんなの望んじゃいないんだよ
だから、小娘の前で醜態を晒してブヒィブヒィ鳴きにくるんだよね
おっさんは惨めで気持ち悪いけど、それを受け入れきれてないんだよね
わからせてあげるために働いてるよ
女性で、ムカつく上司に耐えられない人なんかはこっちに来たらいいよ
性的興奮を伴わなくても
向こうも楽しみに来てるしね
キモいけどね
まあ一度体験してみたらいい
これ読んで、ついたブコメも見て
女っていいよなーって思う
アラサーになる今でも女に対する憎しみや恐怖が消えねーよ
女同士がヒソヒソ話してるのが聞こえると(それが自分のことじゃないかもしれないのに)胸が苦しくなる
趣味や仕事も自分の興味や関心よりも「女が少ないか」という基準が優先される
俺に対するいじめが始まったきっかけが、ありがちなんだけど席替えで俺の隣になった女子が泣き出したことだったから、女の隣になるのが今でもトラウマだ
でも俺の女に対する憎しみや恐怖は
「男らしくない」とか「被害妄想」だとか「いつまで学生時代のこと引きずってんの」だとか「女に責任転嫁するな」とか切り捨てられてきた
それどころか「お前の様な奴がいるから女性差別がなくならない」みたいな加害者扱いしてくる奴まで結構いる
痴漢を受けた被害者に「お前にも原因がある」とかセカンドレイプしてくる人間は2020年現在ではボコボコに叩かれる
居酒屋やインターネットでならまだしも公の場で堂々とそんなこと言って叩かれない人間はだいぶ少ないだろう
でも、俺に「女に責任転嫁するな」とか言葉を浴びせてくる連中は、大手を振って「私は正しい人間です」みたいな顔してやがるし、そう扱われてる
逆に俺の苦しみを理解して、寄り添ってくれる人間は周囲からは差別主義者のミソジニストと悪人扱いされてる連中だ
もうしょうがねえんだろうけどさ
逆に男は常に加害者で悪
だから女から男への憎しみや恐怖は正当なものだけど、男から女への憎しみや恐怖は不当なもの
そういう世の中だもんな
でもやっぱこういうのみちゃうとなんか女ってズリーよなーと思っちゃうんだよな
※追記
このトラバの人が言ってることがほぼ俺の言いたかったことと同じ
この投稿は過去の周囲の扱いに対する愚痴であって、今ここで同情を求めるものじゃない
昔虐めてきた奴らが大人にって「あんときは悪かったな」みたいな自己満足の謝罪されるような気持ち悪さを感じる
あとブコメに対して2つほど
まずトップブコメの「痴漢との差はあるけど」って、「痴漢との差」ってなに?
心身に深刻な傷を負ったという意味では一緒だろ?
俺はどんないじめを受けたかなんてほとんど語ってないのになんで「差」があるって言い切れるんだ?
もしそういう意味でいってんならお前まさに「そういうとこ」だぞ
次に「いじめた人間が悪いんであって女が悪いわけじゃない」とか「被害を受けてる女も批判されてる」みたいなこと言う奴な
前者については、お前は男性から性的暴行受けたので男が怖いし憎いですって言ってる女に
「あくまでその個人が悪いだけであって男全体を憎むのは間違いだ」って言うんか?言わねーだろ
後者についても、仮に
のどちらかを、職場などの公の場で言わない殺されるとなったとき殆どの人間が②を選ぶだろ
かっこつけなくていいよ、俺だってそーする
ま、例えは極端だけどそういうことだよ