はてなキーワード: プラットフォームとは
・最新の3D技術を駆使してモーションが破綻しない3Dライブ配信を毎日実施
・手厚い運営体制により普通のVTuberでは実現できないことまでやり、ファンサービスが充実
・キャラクターを重視しており、中の人らしい話は行われず、バーチャルな存在のキャラクター性が損なわれない
だいたいはてなーが期待していた理想のVTuber像()はこんな感じだろうが、実現してしまっているサービスがある
それが「ユージェネ」だ
実態はとてつもなくコストをかけて実現しているVTuberがメインコンテンツのサービスだ。知らんかったでしょ。
ソシャゲメーカーが作っているのでゲーム部分もあるが、内容自体はつまらなんの割愛する。
無課金でもスパチャの代わりになるVTuberを応援するアプリ内資産が稼ぐことが可能だ。
そして、メインコンテンツが毎日21時に開催されるライブ配信で、最初に書いたようにとてつもなくカネをかけた放送を行っている。
ちなみに放送の視聴にはライブ等のコンテンツによってはアプリ内資産が必要だ。
ライブは3D配信が行われており、キャラクターが動きながら様々な放送を行っている。
技術的には、モーションを送信してアプリ内で再現する電話の通話のような方式に加えて、技術的な工夫が行われているのか、モーションが破綻しない
他所のプラットフォームで動画配信しかできないVTuber事務所ではなかなか出来ない方式だ。
ライブの内容も、にじさんじやホロライブなどにありがちな中の人自身のリアルの話は行わず、キャラクターの設定を維持している。
そんなことしたら話す内容がすぐ無くなると思われるが、そこを解決する手段がユーザー参加型の配信だ。
キャラクターの設定も別世界から現実世界を知りたいという設定でもあるので、ユーザーのことを自然に聞きに行くということができる。
ユーザー参加型で、リアルタイムに反応があるので、キャラクター性は維持しつつもフィードバックが行われており、
例えば歌声はもっと低くしてほしいといったコメントが多ければ次回には修正して反映してくる。
単純なコメント読み上げではなく、ユーザーの反応を見ながらまとめあげるスタッフが存在していないと不可能なことを行ってくる。
その実例として、ユーザーはキャラクターから音声メッセージをもらうことがあるのだが、その際にはプレイヤーが過去に投稿したコメント内容に合わせたものになっていたりする。
これは音声メッセージ対象となった人の投稿データを参照した上でセリフを合わせて作っているのだ。労力が半端ない。
というか常識的に考えたら重課金ユーザーへの特典くらいでしか適用不可能だ。
だが、無課金ユーザーにもメッセージが届くチャンスはありとんでもないサービスをしている。
そしてこのとんでもないコンテンツだが、財政的破綻は目に見えている。
毎日の3D配信をはじめとしてランニングコストはバカ高い上に各種人力で頑張るサービスまで存在しており、100%赤字だ。
キンコン西野、東京五輪を一度も見てない 唯一の思い出は…「今のところ名古屋市長しかない」
お笑いコンビ「キングコング」の西野亮廣(41)が6日に音声プラットフォーム「Voicy(ボイシー)」を更新し、東京オリンピックについてコメントした。
西野は「これを言うと非国民のように扱われるし『逆張りするな』って言われるので、あまり言いたくないんですけど、一回も五輪を見ていないんですよ。選手の皆様には『頑張れ!』って思っているんですけど、いつ何をやってるか知らなくて。本当に疎くて、誰がメダルを取ったとかも知らないんですよ。少数派だと思うんですけど、こういう人は必ずいるんですよ」と、語る。
また「今回の五輪でメダルをかけている日本人を見たのは、名古屋市長だけなんですよね」と、河村たかし市長の“メダルかじり”騒動に言及。
「本当にこれがイヤなんですけどね。何十年ぶりかの東京五輪の思い出が、今のところ名古屋市長しかないんですよ」と、嘆いていた。
市長の謝罪会見も見たそうで「女性の私物を唾液だらけにして、怒られて、ふてくされていて。とんでもねぇやつだなと思ったんですよ。すごい変態行為を働いて、謝罪文を読まされているというね。五輪の思い出がそれしかない」と、悔しがっていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9546da6e69db70a7dc6dc264503fcecd77a6ef93
これに対して元増田は「たし🦀」とだけ答えており、
『他人と何かを分ける』という概念自体が欠落しているパターン。
こわい。
一般的に目にする『ケーキ』はこれなため、そもそもケーキは切り分けられているものだと考えており、それをさらに切り分けるってなんだ?と困惑しているパターン。
3.順番に好きなだけ取っていくもんじゃないんすか?
強固な序列社会で生きてきたので、まず上の人間が好きなだけ取る。下の人間はそのおこぼれを待つという発想しかないパターン。
4.ねだるな勝ち取れさすれば与えられん
欲しい奴が欲しいだけ取ればいい、足りないなら奪い取れ。生きるとはそういうことだパターン。
5.単なるアスペ
ケーキをどうやって三等分するかという質問の意図が純粋に理解できないパターン。
『仮に』ということをうまく飲み込めない人は一定数いる。
増田にもいっぱいいる。
この読み方が正しいと俺も思う。
追加するなら
転売屋がいない代わりに,最終消費者同士で転売できる状況を考える 14).ここで価格調整が働かず, 市場に超過需要が発生していたとしよう.もし最終消費者がランダムに購入すると,期待総余剰は図6 のように表せる.このとき同図 GFP0 の期待死荷重が発生する.
だがここで,市場参加者間に超過需要が発生していることが周知されており,最終消費者は財を消費 する前に転売できるかもしれないと期待を抱くものとしよう.このとき最終消費者間で取引が行われる と,実現する死荷重は図6の三角形 MWN になり,実現する消費者余剰は四角形 GMNP0 になる.こ れは超過需要発生時の最善の結果と等しい.ゆえに最終消費者間だけで転売を行うと,転売を行わない ときよりも経済厚生は改善されるということがわかる.
(p22)
転売によって経済厚生が改善することはここでも述べられている。
最終消費者間の転売を良しとして転売屋の介入を良しとしない理由について
転売屋がいると同じ結果をより多 くの資源を割いて行うことになるため
(略)
それにかかる取引回数に大きな違いが生まれるからだ.もし取引費用をわずかでも考慮すると,効率性の 損失は無視できない違いになるだろう.
(p22)
と述べているが、
①ネットで個人間取引のプラットフォームが確立しており盛んに取引が行われている現状で、最終消費者間だけで取引する状態とそこに転売屋が加わった状態で取引回数やコストに大きな違いが生じるとは考えづらい
②仮に転売屋の存在で経済厚生にマイナスが生じるとしても、転売屋がいることによる厚生マイナスと転売行為の全面規制(※誰が転売屋で誰が最終消費者なのかは判別しようがないので、現実的には全面規制しかない)による厚生マイナスで前者が大きいことは自明ではない
理想的にはプラットフォーム側対応(マイナンバー登録義務、希望小売価格以上の新製品販売の不利な扱い(出品禁止、手数料増大、デフォルト表示されない等)だけど、それはあまり期待できないので、当面は転売ヘイトを高めていくしかないだろうな。
転売ヤーだとバレたら何をされるかわからないぐらいの不安が高まれば、法的には悪いことをしていないのに、相手は合理性を飛び越えた報復をしてくる、ぐらいのところでニワカ撤退を促すしかなかろう。
ここら辺のネタ元はこちら:https://www.eco.nihon-u.ac.jp/about/magazine/shushi/pdf/90_02/90_02_02.pdf
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PS5やプラモみたいに、時間経過とともに供給量が増加していくものの転売と、公演チケットや数量限定販売商品みたいに供給量自体が制約されてるものの転売では、その構造も対策も違うと思うんだけど、主に前者について。
人気があって定価販売の商品は、供給当初は需要が供給を大幅に上回っていて「財の希少性」が高い。市場理論的には本来もっと高く売ってもいい(売るべき)商品を、本来の実需との均衡価格に見合わない安い価格で販売しているから、結果的に転売益を取る余地が生まれる。需要者の効用(買うために出せる金額)がメーカーの標準小売価格を上回っている間は、その差額分の転売益を期待できるので、どうしても転売屋・転売行為は発生する。今はメルカリその他の古物販売プラットフォームもあって、参入障壁がとても低く、誰でも転売屋になれる。極端な話、普通のエンドユーザーがその商品をどうにか入手できて「さあ遊ぼうか」というタイミングで一応メルカリ見て、差益が2万円も出せることを知って、「なら遊ぶのはしばらく待ってもいいかな」と心変わりして転売する、なんてことも普通にありえる。いくら倫理で批判しても、転売益という実利がある以上は、転売行為を撲滅するのは難しい。
だったら、転売益という実利自体をなくしてしまおう。転売屋は市場の仕組みを利用しているのだから、メーカーも同じことをすればいい。新発売から一定期間(より受け入れられやすい表現で言えば「事前販売期間」)は、メーカー自身が自社サイトでネットオークション形式で売るのだ。サイトで一番高値をつけた人たちに順に商品を販売していく。こうすると、転売屋はその商品に手出しができなくなる。
ちなみにオークションといっても1台ずつオークションにかけて1台ずつ落札する必要はない。ヤフオク・モバオクなどでも実装されている複数出品オークション方式を取れば、たとえば初期ロットとして5000台を出品し、それを同時に多数の購入希望者が値付けして、入札額が上位のユーザーから5000人が落札する、ということができる。
なぜこれで転売問題が解決するか。具体的にはこういうことだ。転売屋は3万円で商品を買って、「5万円でも欲しい」という一般エンドユーザーに5万円で売り捌くから、2万円の利益を出せる。でも、メーカーが供給当初にオークション形式で商品を販売すれば、その「5万円出してでも欲しいエンドユーザー」達は、5万円を出してその商品をメーカーから直接購入する。彼らはその時点での本人の主観的効用に見合った金額を払って購入しているので、一切〈損〉はしていない。さらに時間経過とともに生産・供給が進むことで、より高い値段で値付けする「その値段でも買いたいユーザー」から順にどんどん商品を入手してゆき、実需がしだいに満たされ、オークションの約定価格は下がっていく。全てのユーザーは、約定価格が「この値段なら欲しい」と思える値段まで下がった時点で、その商品を入手可能になる。これは市場の仕組みそのものだ。
一方で、転売屋も一般エンドユーザーと同様、メーカーの公式オークションで、たとえばある時点では5万円を出してその商品を買うことはできる。それなら結局、オークション出品分も転売屋が買い占めて転売してしまうのでは?と思う人がいるかもしれないが、そうはならない。考えてみてほしい。オークション実施時の市場の需給均衡価格は5万円なので、転売屋が入手後すぐに転売しても、そのときに期待できる転売益は0円なのだ。
さらに時間経過によって、商品の市場供給の総量は確実に増え、財の希少性が解消されていくので、仮に転売屋が在庫を抱え込んだとしても、それは必ず不良在庫になっていく(時間が経つごとに、入手価格と再販価格の差損(逆ザヤ)が大きくなっていく)。これにより、原理的に転売屋による商品抱え込みが発生しない。
転売屋による買い占め・抱え込みが起こらないということは、オークションで販売される商品が確実に実需を満たしていくということでもある。これにより、発売初期の供給難は、(転売屋の介入余地がある)通常価格での販売よりも、オークション販売の方がずっと速く解消されていく。これも市場の仕組みだ。
オークション形式を取ることで、メーカー側は想定小売価格を超える超過利益が出る。その超過利益は、初期にプレミアム価格で買ってくれたユーザーに、購入時の登録アカウントと紐づけ、特別なバッジやゲーム内決済クレジット付加などゲーム体験に関わる形で(≒転売屋が転売時に付加価値化しにくい形で)還元すれば、ユーザーの満足度も更に高まるだろう。あるいは何か慈善的活動に寄付するでもいい。超過利益を何らかの形でユーザー自身あるいは社会に還元するというポーズを取ることで、メーカーは「強欲」という批判を回避できる。そもそも超過利益を生むことがオークションの目的ではなく、転売行為を抑制して流通上の目詰まりを早期に解消できればそれでいいのだ。
そしてオークション販売サイトでの平均約定価格が本来の想定小売価格に近づいた時点で、メーカーはオークション形式を辞めて通常流通に切り替えればいい。その頃には、その商品の転売行為で利ざやを取れると期待する転売屋は誰もいなくなっているはずだ。
オークション販売はネット通販でないと難しいから、小売店など既存の流通チャネルはどうすんだというのが課題になるが、本体そのものではなく購入権やアクティベーション権だけをオークション販売する、などの迂回策は取れなくもない。転売屋の跋扈を倫理ではなくシステム的に抑え込むという点では、これが一番効果的な対策のひとつだと思う。転売屋の意見を聞いてみたい。
オリンピックが始まり、意外と国民はオリンピックを楽しんでいることが可視化された
昨日のTwitterは試合の動向を見守るツイートであふれ、トレンドはサッカー予選一色になった
はてブでは親の仇が如くオリンピックが嫌われているのに・・・と思ったが
よく考えたら、このサイトって数百ブクマ程度でトップを取れるほどの弱小プラットフォームなんだよな
たとえば、この前、はてブでは珍しく数千ブクマ取った「ルックバック」
YouTubeの急上昇も、明確な基準は公開されていない&純粋横比較は難しいとはいえ、最低数十万回再生されるコンテンツでないと入れない
一方、数百でトップ取れるくせに世論代表みたいな顔してのさばるブクマカたち(笑)
イキるのもさすがに大概にしたほうがいいんじゃないか??
現状では問題だらけに見える東京五輪だが、明日の開会式で一気に潮目は変わって大成功で幕を閉じることはほぼ間違いないだろう。
7月24日にこの投稿をもう一度読んでほしい。それくらい自信がある。
日本人の(いい意味でも悪い意味でも)忘れっぽさは尋常ではない。今までの騒動をすべて忘れて、テレビが流すメダリストたちのパーソナルヒストリーに感動し、涙する国民が続出する。
オリンピック後に小山田氏や小林氏の騒動を持ち出す人は空気が読めない人扱いされるだろう。
また、報道によれば、開会式はドローン等を効果的に用いて演出がなされるほか、日本のサブカルチャー要素をふんだんに用いる見込みだということ。
このサブカルチャー要素がミソであり、ゲーム、アニメ、漫画等のキャラクターや演出(ネタ)を取り込めば、(タレントがオタクアピールするとすぐに引っかかる)ネット民は大喜びして、開会式の演出について語るだろうし、使われるテクノロジーによっては、それに詳しい界隈も参戦して、開会式の演出の「元ネタ」「裏ネタ」で一種のネットジャックの様相を見せるだろう。
断言するが、明日の開会式後はの開会式の演出についての話題がテレビはもちろんのこと、Twitter、はてブ、ヤフーニュース、すべてのプラットフォームをジャックして、五輪一色になる。
サブカルに偏った演出だと、ネット民やサブカル好き以外はついてこれないのではないか、という疑問が生じるだろうが、この層はもともとネットを見ずにテレビで情報収集しているので、全力でオリンピック盛り上げるマスメディアに乗せられて、オリンピック選手や競技にまつわる話題を一生懸命フォローするだろう。
おっと最初に言っておくぜ
じゃあ本題だ。
まずこれだ。
データがテキストファイル形式でも貰えると更に自由度は広がる。
紙の本は読み方を出版社が決めるが、電子書籍は読み手が決められる。
これは案外大事な話で、人によっては視線移動やスクロールのクセから縦読みか横読みのどっちかじゃないとちょっとねって人もいるわけだ。
紙の本は殿様商売だから「知らんわ?お前が勝手に頑張れば(は~なく~そほ~じほ~じ~)」だ。
次にこれだ。
紙の本の場合はカラーページとモノクロページが印刷の都合で分けられがちだが、電子書籍の場合は自由自在だ。
掲載する図面を気軽にカラーにも出来るし、漫画で突然カラー見開きを持ってきて読者を驚かせることだって出来る。
紙の本は装丁という部分では電子書籍より強いのかも知れない(IRとかガンガン使われるようになったら追い抜かれそうだが)が、中身については電子書籍の方が自由度が高い。
まあ紙の場合は臭いや質感を組み込めるのでどっちが上かは作品次第だ。
ただ言えるのは、そういった部分において紙は優れていて電子書籍は劣っているかのように語る輩の話は耳に入れる価値がないということだ。
得意分野が違うだけだからな。
電子書籍最大の強みはやはりここだ。
確り(しっかり)
漸く(ようやく)
徐に(おもむろに)
齎す(もたらす)
みたいな奴は、これを常用してる人が書いてるとは思えない作品に出てくるから、漢字変換の弊害だよな
あれ、でもそうすると、なろう系作家は60以上のオッサン率が高く、引退後の趣味発表だったりするのかしら?
それでも、「もたらす」は変換しないよな、普通
追記:2021-07-18 08:00
ブコメがすごくなっててびっくりした
どこ経由なんだろ
一瞬、脳が止まるんだよね
動画が読み込み不良で止まったような、唐突で書き手が想定したわけではない「間」が生じてさ
①調べるか、②適当に補完して読み進めるか、③無視するかを迫られるんだけど
大抵、②か③を選んじゃう
この時、③はまだいい方で、②を選んだのに文意と違ってた場合、読者は全然違う世界を見てる
小説(純文学)で許されてるのは、上と一緒で、読者からそれが求めらr・・・・
あぁ、読者から求められる側面もあるのかね
そういう文化圏
とすると、同じプラットフォームに並んでいるからと読んでしまった私の方が異物という事か
「確り」に違和感を感じたら「not for me」
うーん・・・それも理解できるが・・・面白い小説でそこだけ躓くと「勿体無い」って思ってしまうんだよなぁ
あったんですよ20年ぐらい前
ネットで有名というと、みんなエロゲーやってて、エロゲーレビューサイトが大人気だった頃
需要もすごくありました
需要がすごかった理由は、「まともにプレイできないゲームがすごく多かったから」でした
シナリオがクソつまらない、シナリオがめちゃくちゃ手抜き、グラフィックがひどくてエロに使えないとかもあるけど、
それ以前の問題で、バグで先に進めないとか、インストーラーが使い物にならないとか、はなはだしきはPC内のデータ全消去とかあって、
「8800円で本物のゴミや地雷を踏まないため」にレビューサイトの需要がまずあった
しかも、レビューサイトや情報サイトが充実してくると、発売後の修正パッチの配布をそうしたサイト経由で配布するのが常態化して、
まずどのエロゲーも購入後にやることはネットで修正パッチの確認をすることが当たり前になってました
(ネット接続できない人はエロゲー情報誌に付属しているDVDで修正パッチを探す)
レビューサイトをチェックしてないとそもそも遊べなかったんですよね
消費者保護の観点として、当時、エロゲーレビューは必要不可欠でした
現代だとSNSやプラットフォームでの評価がなんとなくレビューサイトを代替してますけども、
それでも「遊べる以前の地雷」がなくなったわけではないし、ソシャゲのガチャを巡る不正とかの話題も途切れないし、
それでいてプラットフォームでの評価はどうしても評価操作やデマの可能性は消えないし、
なので、内容が面白いかどうかなんて批評は不可能だろというレベルでゲーム批評は不可能なんていうのは、恵まれた環境しか知らないんだなと思います
一方でエロゲーの批評が盛んだったころは、内容の良し悪しも突っ込んで話されてましたけども、
そちらについては昔、「ゲームは1本あたりのプレイ時間が長すぎる」という指摘はありました
映画1本で長くて2時間30分、TVアニメ1クールで5時間30分、マンガ10冊でじっくり読んだとしても5時間弱などと比較して
ゲームはプレイ速度が速い人でも10時間、しばしば20時間以上が当たり前です
そうなると、レビュアーが触れられる本数は当然ながら限られてくるので、他メディアと比較して、突っ込んだ批評を行うのは困難だという話です