はてなキーワード: プライバシーとは
Suicaの事例NC特集 - 「Suica履歴販売」は何を誤ったのか:ITproやJRの顔識別実験顔認識を使って人物を追跡する実験、大阪駅の駅ビルで4月よりスタート | スラッシュドット・ジャパン YROへの反応からも分かるように近年行動履歴界隈が大変騒がしくまた盛況な様子です。
そして出てきた Yahoo! 別所氏の発言がなかなかかぐわしい香りを放っており各所から鬨の声が上がっております。(やまもといちろうのマネ)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/21/bigdata-yahoo_n_4635623.html
http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2014_0219.html
『企業は利用者のことを、いちばん真剣に考えている主体です。』
に至ってはナニ寝言抜かしてんねん意外に言うことはないわけですが。
という発言から分かる通り、利活用を求める人々はデータ収集に反対する人々の『気持ち悪い』という感情をあたかも身勝手で不当なものであるかのようにとらえているようです。
んで学部生レベルの半可通な状態だけれども、誰も言わないからこの辺に書いておく
なぜ”気持ち悪い”か
率直に言えば、他人に自分の情報を与えることは、ほとんどの場合不利益にしかならないから。
まず個人対個人の場合
PASMO のデータを用いて社員がストーカー行為を働いていた例がある
http://matome.naver.jp/odai/2133463494276014401
法律や職務規定でくぎを刺しておくべきものなのだが、データを渡さなければ職務規定が本当に機能しているかどうかを気にする必要もないわけで、データを渡すことは”見込みの不利益”を増大させることでしかない。
ここからはもう想像するしかないのだけれども(企業も情報出すの嫌いだよね)、Amazon は在庫数や閲覧数でもって値段を調節していると言われている。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20130307/1047958/
ここで”Web 閲覧履歴、購買履歴、アクセス履歴から、ある人がある商品をとても欲しがっていることを判定し、その人がアクセスした場合、100円高く値段を表示する”ことは可能か不可能か。
ポイントカードの情報を用いて、この地域では雨の日に XX を買う人は少々高くても XX を購入する。雨が降ったら XX の価格を上げよう。という戦略は可能か。
ビッグデータに未来を感じている人ほど可能と考えるはずだし、実際可能な筈で既にやられているかもしれない。
そして今、通常価格より高く商品を買った人がいたとして、このシステムは利益だろうか不利益だろうか。
(こういうことを言うと必ず「自分が100円多く払うことでお気に入りの通販サイトや店が維持できるのだから利益になると思います^^」と言う天邪鬼がいるけれども言ってて空しくなんないのか。そんなに利他的な聖人様は稼いだ金は生活に必要な分だけ残して全部 Wikipedia かどっか好きなところに寄付したらいいと思うよ。)
以上のように自分の情報を与えることは本人にとって不利益にしかならない。
これは人間が人間となる以前からの真理であったので(体調が悪いという時にその情報を隠さないサルのボスと隠すサルのボス、どっちが地位を追われやすいか、と考えたら自明だよね)、遺伝子のレベルで刷り込まれてしまっている。
例えるならば、腐ったもの(自分にとって不利益となるもの)の臭いを不快に感じるのと同じことであり
”情報をとられて「気持ち悪い」なんて感情的な問題で嫌がるな”という主張は”ウンコを鼻先に突き付けられて「クサい」と言うな”という主張と同質なわけだ。
ところで法的には”理不尽であったとしても認められるべきこと”がある。
例えば生活保護。ここで侵されるのは社会全体のリソースで、対するのは生活保護受給者の生存権になる。生存権は日本国でも最も重要な権利の一つとされており、守ることが人類や国家全体の利益になると考えられている。だから生活保護は維持される。
さて”企業が個人の行動履歴をとり利用すること”が侵すものは何だろうか。
平穏に生活する権利、通信の自由、移動の自由といったところだろうか。
対するのは企業の”経済活動の自由”。近代国家では前者の方がおそらく優先されされるだろう。
言いたいことは以上なんだけども、履歴利活用推進派の人たちには”当然に気持ち悪い”、という認識でいろいろ語っていただけたらいいなと思う。
ネットの実名・匿名の問題は、長年にわたって政治論争がなされている。ただ、これはあくまで「べき論」だから、絶対的な答えのある話でもないし、その問題自体にはあまり興味がない(が、政治から無縁な人間などいないし、自分の立場を聞かれれば、はてな匿名ダイアリーの精神にのっとり、匿名支持派と答えるけれど)。
私が興味を持つのは、ネットがどうあるべきかを考えるとき、現実の社会生活から考える思考経路。すなわち、現実の生活は実名なのか匿名なのか。
ある人が会社や学校に行くとき、その人は当然ながら名前や立場は周囲に知られている。実名支持派のもっとも素朴な根拠はこういう感覚だろう。しかし、ある人が道を歩くとき、コンビニで飲み物を買うとき、名前や立場は知られていない。匿名支持派はこのように考えるわけで、これはプライバシーにもつながる感覚とも言える。
そこで中間的というわけでもないが、実名・匿名に対して、顕名というスタンスもある。現実の生活はいつも名札をつけてるわけではないし、状況に応じて立場は変化するが、それでもたえず身体や人格の時空的連続性はある、という発想と言える。実際にネットでも、みんな何かしらのIDを取得するし、そもそもIPアドレスだってある。つまり、どのような社会空間であれ、個々人の時空的連続性が切断されてしまうのはおかしい、ということ。これは名のあり方以前にもっともで、自然な話と言えそうだ。
では、ネット実顔主義というのはどうだろう。現実の生活では、まずなによりも顔を隠していないし、状況に応じて立場は変化するにしても、顔は変わらない。そして覆面をかぶって行動する状況なんてまずない。たとえポルノを購入するときだって、名前や立場は隠せても、ふつう顔は隠せないし、隠さない。コンビニだって匿名で利用しているが、フルフェイスのヘルメットをかぶって利用はできない。であるならば、ネットもそうあるべきなのではないか。これは少なくともネット実名よりも強く現実生活にリンクした考え方だと思うが、なぜか主張する人はいない。ネットの実名支持派はネット全体のFacebook化を支持するだろうけど、それよりもっと現実生活の実態に則したFacenet化を先に求めるべきじゃないのかな(いわばアバター画像を認めない「※ただしイケメンに限る」の全面空間化)。
もちろん現実など一切気にせず、ネットはこうあるべきだと考えることもできる。が、ともかく匿名でも顕名でもなく、あくまでも現実とリンクした実名のネットを推進したい人は、結局のところ、現実の社会的立場をネットで(またネットの社会的立場を現実で)活用にしたいのだろう、そのメリットを享受したいのだろう、と考えざるをえない。きっとアバターじゃなく実顔のネットを推進したいのが、私を含む美男美女たちであるように。
結論。私はネット匿名支持者(非・実名支持者)で、かつネット実顔支持者(非・匿顔支持者)、つまり「名前隠して顔隠さず」を目指す者であるからして、はてな匿名ダイアリーのみなさんとはおそらく半分しか仲良くできない気がする。まったくもって残念。
なんかさ、卒業アルバムって、残ってるとろくな使われ方しないから(この場合はどうかと思うけど)
作っちゃダメなんじゃね?
クラスメイトとはいえ、自分の過去の写真をや文集を 勝手に売られるとかどうかとおもうわ。
卒業アルバムは、載ってる人が偉人になった場合に、プライバシーの暴露に使われる可能性が大きいから、廃止すベきじゃね。
とりあえず、過去を知るためには卒業アルバムっていうのが業界の定説らしいから、卒業アルバムを廃止する以外プライバシーを守れないだろコレ
親友じゃない、ただのクラスメイトが自分の過去の写真や文集を持っているという状態が問題なんだろ。その中に1人不心得者がいるだけで、問題が起きる。
STAP細胞を発見した女性研究者、30歳でノーベル賞級、本当に素晴らしいですね。
部屋の壁の色だの、どんな服を着て研究しているだの、
机の上にキャラクターものを置いていて「『女子』の側面をのぞかせる」だの、
関係無いじゃないか。
確かにユニークな方だが、なんだか不必要な情報がやたら多くないか?
しかもネットを見れば、容姿に関する意見も多い。(確かに綺麗な方だけども)
msn産経ニュースは案の定、最も酷い。
ここが特に気になった。研究者の時は男子的とでも言いたいのかよ。
海外のニュースも調べてみた。英語ではCNN, BBCを、ドイツ語ではSPIEGELを、
フランス語ではAgence France-Press, Notre Temps, L'Express, la Croixを片っ端から読んだが、
『冤罪による合法的な被害者の不満に対する解消法』という、長ったらしい俗称のアカウントがある。
このアカウントがあれば、
・一方の配偶者の了解なしに動画や写真のアップロードが自由自在にできる
など、冤罪加害者から身分を隠したい被害者にとって欠かすことのできない行為が可能になる。
しかしこの『アカウント』、冤罪加害者にとってきわめて使いやすいシステムにもなっている。
これを作成するのは裁判所でも警察署でもなく、一般ネットサービスプロバイダ。
一般ネットサービスプロバイダは、冤罪被害者(と自称する者)が相談に来たら、いともたやすく『アカウント』を発行する。
さすがにハンドル名だけではダメという決まりになっているが、逆に言えば、メールを登録さえすれば『手段』を得られるのだ。
しかも、証拠調べなど一切無しに。
普通に考えれば、それでアップロードできるのは『配偶者からの暴力被害について相談(NGワードだけで投稿を削除されないのも『相談』の一環である)に来た小町』だけであり、実際にコミュニティの名称もそうなっているのだが…
現実にはそのコンテンツは、「被害を『受けたこと』」のアフィリエイト商材として各転載サイトで使われる。
企画会社が発行するアダルトコンテンツと同様の取扱をすることになっているからだ。
そして、ほぼ全部のSNSサイトには、このアカウントを持っている人間の言い分を些かも信じてはならない旨の常識が行き届いている。
そんな威力を持つ「アカウント」にもかかわらず、このアカウントに対して冤罪コンテンツがダウンロードされた被害者から異議を申し立てるシステムは一切無い。
削除システムもない。
そのあとの実際の被害者側の悲嘆などを詳しく知りたい人は「リベンジポルノ」「セクスティング」などでググってみてほしい。
そして、損害を被るのは実際の被害者だけではない。現実に起きているのは、これを利用した動画配信者によるアフィリエイト収入やネット募金の不正受給だ。
2ショットチャットやリアルタイム配信(家に居ながらの撮影も可能)で諸費用を勝ち取ったとしよう。
アフィリエイト広告料は本来、クリックをされていない表示の間(紹介成立前)には支給されない。
しかし例外として、一般ユーザーと称してチャット相手をすることを職業としている場合には支給対象となる。
そこで、閲覧されている証拠として、それを配信している自分のIPと異なる表示履歴の一覧をネットサービス側に見せる。
それだけで、ただのおしゃべりにも(クリック報酬と並行して)不正に収益を受け取れる。
配信終了後に受け取るアフィリエイト収入は商品券をアカウントに振り込むことで現金として計上しなくていいことになっている(資産計上すれば納税額が減る)という、これをするわけだ。
それだけで月額4万円ほどの不正受給ができる。
この手口はサービスプロバイダも把握していて、なんとシングルマザーはだいたいも出演している。
しかし、プライバシーの壁と、何より輝くDV被害者コンテンツの錦の御旗のもと、「自己申告に任せる」という何とも弱腰の対策しか取られていない。
生活保護も同様に、養育費を受け取っている銀行口座を世間の目から隠すだけだ。
これらをフルに受け取れば、養育費や婚姻費用と【別に】、月200万程度が働かずに一般男性から入ってくる。
年収400万くらいの夫で小さい子がひとりなら、婚姻費用は月額8万程度。離婚成立後の養育費も月5万円程度だ。
これを合わせると、手取り月額350~400万円の「生活の苦しい母子家庭」の完成である。
裁判や調停で子供の面会を義務づけられてもいくらでも逃げようがあるという話は有名だから省く。
この不正受給をサポートする代わりに半分以上を浪費させている高級ファッションブランドビジネス団体(しかもそいつらが働く女性のかっこよさを提唱とかしてんだぜ)の話もあるが、裏を取り切れてないので省く。
ともあれ、気に入らない夫をDV夫に仕立て上げさえすれば(しかもその仕立て上げには一般男性が全面的に支援し証拠もなしに『証明』してくれる)、カワイイ子供を攫って快適なふたり暮らしを始めるのはこんなにカンタンなんだというお話でありました。
※追記(2014年1月25日12:55) 続き、書きました。 http://anond.hatelabo.jp/20140125125450
『配偶者からの暴力の被害者の保護に関する証明書』という、長ったらしい名称の証明書がある。
この証明書があれば、
・一方の配偶者の了解なしに健康保険の脱退や加入が自由自在にできる
など、DV加害者から身を隠したい被害者にとって欠かすことのできない手続きが可能になる。
しかしこの『証明書』、DV冤罪加害者にとってきわめて使いやすいシステムにもなっている。
婦人相談所は、DV被害者(と自称する者)が相談に来たら、いともたやすく『証明書』を発行する。
さすがに電話相談だけではダメという決まりになっているが、逆に言えば、足を運びさえすれば『証明』を得られるのだ。
しかも、証拠調べなど一切無しに。
普通に考えれば、それで証明できるのは『配偶者からの暴力被害について保護(相談に応じるのも『保護』の一環である)に来たこと』だけであり、実際に書面の名称もそうなっているのだが…
現実にはその書面は、「被害を『受けたこと』」の証明として各省庁で使われる。
裁判所が発行する保護命令と同様の取扱をすることになっているからだ。
そして、ほぼ全部の官庁窓口には、この証明を持っている女性の言い分を些かも疑ってはならない旨の通達が届いている。
そんな威力を持つ「証明」にもかかわらず、この証明に対してDV冤罪被害者から異議を申し立てるシステムは一切無い。
救済システムもない。
そのあとの夫側の悲嘆などを詳しく知りたい人は「DV冤罪」「父子引き剥がし」などでググってみてほしい。
そして、損害を被るのは冤罪被害者だけではない。現実に起きているのは、これを利用した母子家庭による児童扶養手当や生活保護の不正受給だ。
調停や裁判(DVシェルターに入ったまま起こすこともできる)で婚姻費用を勝ち取ったとしよう。
児童扶養手当は本来、婚姻費用を受け取っている間(婚姻成立前)には支給されない。
しかし例外として、非同居親から1年以上遺棄されている場合には支給対象となる。
そこで、遺棄されている証拠として、それを受け取る銀行口座と異なる銀行口座の通帳を年金事務所に見せる。
それだけで、離婚成立前にも(婚姻費用と並行して)不正に児童扶養手当を受け取れる。
離婚後に受け取る養育費は8割を妻の収入として算入することになっている(算入すれば支給額が減る)が、これを隠すわけだ。
それだけで月額4万円ほどの不正受給ができる。
この手口は年金事務所も把握していて、なんとシングルマザー支援団体自身も認めている。
しかし、プライバシーの壁と、何より輝くDV被害者証明の錦の御旗のもと、「自己申告に任せる」という何とも弱腰の対策しか取られていない。
生活保護も同様に、養育費を受け取っている銀行口座を福祉事務所の目から隠すだけだ。
これらをフルに受け取れば、養育費や婚姻費用と【別に】、月20万程度が働かずに国から入ってくる。
年収1000万くらいの夫で小さい子がひとりなら、婚姻費用は月額20万近い。離婚成立後の養育費も月15万円程度だ。
これを合わせると、手取り月額35~40万円の「生活の苦しい母子家庭」の完成である。
裁判や調停で子供の面会を義務づけられてもいくらでも逃げようがあるという話は有名だから省く。
この不正受給をサポートする代わりに半分くらいをピンハネしているフェミ貧困ビジネス団体(しかもそいつらが自治体から委託を受けて「相談センター」やってんだぜ)の話もあるが、裏を取り切れてないので省く。
ともあれ、気に入らない夫をDV夫に仕立て上げさえすれば(しかもその仕立て上げには国が全面的に支援し証拠もなしに『証明』してくれる)、カワイイ子供を攫って快適なふたり暮らしを始めるのはこんなにカンタンなんだというお話でありました。
思いのほか反応があったので、真面目に応えようと思う。
いずれ続き(コメントやトラックバックへの返答、元記事を書いた背景など)を上げてこちらにリンクを貼ります。
続き、書きました。 http://anond.hatelabo.jp/20140125125450
世の中、なにも悪いことをしていなくてもイジメられることが多い。人間というやつはそういうものなんだと思う。穢いし哀しいことだけど。
悪いことどころか、なにもしていなくても、いるだけでイジメられる。
世の中にイジメられたときに、逃げ場は必要だ。逃げ場がないと死ぬしか無い。
逃げ場というのは、その性質上で当然に、世の中から目立たないようにしている。そうでないと逃げ場の意味がないし、目立ってしまうとまた加害されるかもしれないからだ。
そういうシェルターなのに、ずけずけと土足で入り込んで踏みにじるなんて、してはいけないことなのだ。
たとえ良かれと思っていても、それさえも迷惑なことが多い。
ましてや、外野がメシのネタにしに来たとしか思えないような場合には非難されて当然だろう。
そして、シェルターの当事者ならばまだしも、被害者の立場もわからない人間に、そのネタの弁護をする資格はない。
世の中には、知らないでいるべきこともある。
そういうところにずけずけと入り込んでネタにするというのは、それこそ、TPOをわきまえていない、空気読めない、情緒が欠落している、人生経験が足りない、ガキだと思われてもしかたあるまい。
良く知らないんだけど、シェアハウスってどの程度プライバシーあるの?
いや、セックスどうすんだろ、と思っただけだけど。
いちいちホテル行くのかな…?
書く場所に困ってここを使うだけで、
人物記事で本人が自分の記事に誤りを見つけた時 - あんまり使い道のない日記 - Wikipediaグループ 2013/1/15
に自分で書いた「グループプライベート設定日記」のほぼ転載です。それ以外の方にも読めるようにしたためにここ使いました。
基本的にwikipediaに関心のある人向けですが、ここに書く以上はそれ以外の方からも含めて好き勝手な反応が返ってくることもまぁあるでしょう。
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近年ja(に限らず)wikipediaの執筆注意事項系の記事まともによんでないのであれだけど、「人物記事で本人が自分の記事に誤りを見つけた時の対処法」がわかりにくいという話を、少なくともわたしよりは近年の執筆注意系を読んでいる人が言っていたのを聞いて、まぁ各種執筆注意系の記事を全部読めばわかるはずだけどあまりに普段自分で執筆・修正をする意図のない人には負担が重すぎるので一カ所にまとまっているといいなぁ、とは思いますよね。既にあったらごめんなさい。
こんな感じになるのかしら。(つっこみ歓迎、というか改善すればよりましになるなら、以下の文章の権利は主張しませんのでどなたか引き継いで流用の上やっていただいてかまいません)。少なくとも、以下の文章の中で関連する執筆注意系記事へのリンクは随時入れた方がいいとは思います。
・申し立てが本人であることが確実に伝わるメディアで表明しないとなかなか対応されない
・現状の記述の「問題」が、確かに「問題」であることが第三者検証容易な資料を提示するとベター
・ボランティア作業であることとウィキペディアの方針の関係でなかなか対応されないことはあるが、黙っているよりは表明する方が改善される可能性が上がる
最低減やった方がよいのは「記事が誤っていることについて、本人であることが確実に証明できるメディアで表明する」ことです。
これは「インターネット上で第三者確認が容易なメディア(公式ブログ、公式ウェブページのリリース記事等)」が理想ですが、「疑うなら事務所に電話して確認してください」とかそういうのでもしないよりは良いのですが、確認する執筆者が出てこないと記事に反映される可能性が下がってしまうと思われます。これは書き換えるのも無償で人間がやることなのでなかなか難しいです。
最も理想的な形は
「本人であることが確実に証明でき、かつインターネット上で第三者確認が容易なメディア(公式ブログ、公式ウェブページのリリース記事、公式認定されたツイッター等)、に誤っている旨と正しいとされる内容を記述した上で、それを信頼できると思われる第三者がその内容に同意したことを示す出典でインターネット上で第三者確認が容易なもの(ウェブで閲覧無料で可能な新聞記事等、他人が関わった事実関係なら関係者の証言)へのリンクを示すなどする。(その上で当該記事のノートページにそこへのリンクを書き込むとなお良いです)」
ことです。
しかし、これはこれで本人にかなり負担が高いと思われます。また該当する出典がそもそも存在しない可能性もあります。なので、「第三者による出典」は「ウェブで誰でも確認できるものがなければ、図書館等で閲覧可能な書籍」等でも本来は良いのですが、記述を変更する人間が確認作業がなかなか行われずに記述の修正がなかなかなされない恐れがありますが、何も出典を書かないよりましです(これは人間がやることなので、どうにかなりづらくても難しいというしかありません)。
そもそも本人がそう主張するという以上に出典までを示すこと自体が「wikipediaに執筆なんかしたくはないんだ」という本人にとっては負担で、時に理不尽ですらあるのは間違いないので、しないならしないでも、止むを得ないとは思いますが、その場合「と本人が主張している」的な記述に修正されてしまう可能性があります。第三者による出典がそもそも存在しない場合も少なくないと思いますが、これはいかんともしがたいです(本人の主張する事実と矛盾する出典がそもそもどこにも存在してない場合であれば、結果的に本人主張をもとに記事が修正されることは現実問題としてしばしばあると思いますので必ずしも無駄ではありません)
注意点としては、「矛盾する資料が一般的に信頼できる資料として既に公表されている」場合は両論併記になったり修正されなかったりする可能性がありますが、これも、それはwikipediaの性質上、回避することがなかなか難しいです。既に公表された側が誤りで有ることが第三者にわかる証拠を示すことで修正される可能性はあがるのですが、wikipediaの方針としては取り入れられるとは限らないです。
更に言えば、「単なる事実と多くの人に思われているタイプの事象」、例えば何年にどこの機関に所属していた、といったことに比べて「第三者の評価に関わることや、主観が混じると思われがちなこと」、例えば「××として評価されている」等は本人主張で誤りというだけではなかなか修正されない傾向がありますが、wikipediaはそういうものと思っていただくのがよいです。(特に研究者がそのように評価し何かに執筆して公開している場合などは、特に修正は難しいです)。
もちろん、本人が特定の内容を「掲載して欲しくない」と主張することは自由ですが、反映されづらいのはそういうものかと思います。ただし、これが法に触れる場合(名誉棄損等)や、プライバシーの侵害につながる場合はその旨主張する権利は当然あります。違法の恐れが高ければ原則として対応されますし、違法でなくてもプライバシー問題はwikipediaの既存の基準にしたがって検討されるもので、一般的に守られて然るべきと思われがちなものは対応される可能性が比較的高いと思われます ※この辺の対応ルールを簡潔かつ正確に書くのは結構難しい気がする。
「今wikipediaに書かれていることは誤りであるが、それが誤りであることを示すのに未公表のプライバシーを明かさざるを得なくなるので証拠を出せない」等複雑な事情がある場合は、修正されづらいのはなかなか難しいものです。強いて言えば、信頼できる情報源とされるような第三者(マスコミ、研究者、業界関係者)にのみそれを伝えて誤っている旨同意公表してもらうと少しは対応の可能性が上がるかも知れません。
と書いてみて、上記の内容だと、wikipediaの方針よりも、既存の方針や実態を利用したテクニックやノウハウの領域に
なってしまっていて、wikipedia内に記事を立てるのが不適な内容になってしまっている気もしますが(つまり、それがwikipediaの方針と主張するのは適切ではないが、wikipediaの方針を利用した使い方として第三者が別の所で表明するのが間違いとは言えない的な意味で)。
注意事項ですが、上記記事はろくに推敲も現状の記事wikipedia確認もせずにささっと今書き上げたものなので、上記記事はそのまま鵜呑みにして第三者拡散はしない方がよいと思います(最新の方針に熟知された現役のウィキペディアンで、大して問題がないと思われる方がいらっしゃるのならばそれは拡散なさってもよいと思いますが)
あと、あまりよくないのは「自分で記事を修正してしまう」ことです。wikipediaの他の記事を触る意思のない人にとっては理不尽かもしれませんが、wikipediaの方針上、自分で書き換えたものは勝手に書き戻されるリスク、編集合戦になるリスクがあります。せめて、ノートページに書く方がよいです。その場合も、本人がそれを書いたことがわかるように冒頭に書いたように、「記事が誤っていることについて(それをノートに書いたことについて)、本人であることが確実に証明できるメディアで表明する」ことで改善の余地が増えますが確実とまでは言えません。
※もしかすると私の気分次第で後ほど上記を推敲してもう少しはましに修正するかもしれません。
※1/16若干加筆と誤字修正しました。 1/16中に二度目の校正。 1/16中に三度目の修正。
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20年前に建てた家に致命的な欠陥が発見されて1年、設計&建築元の住友林業が対応したのが半年前。
住友林業が検討しますといって3か月音沙汰がなく、唐突に数日後一度家を見ると言ったのが2か月前。
工事しないと駄目ですね、弊社が全面的に悪いのですぐに工事に取り掛からせて頂きます。
その見積りに来たのが某日。
ここまではまあいい。
しかしだ、人の私室に入るなり「机の上に食べ物が食い散らかされてて漫画類がゴタゴタ(全部片してるのにも拘らず)してますね、パソコンも点けっぱなしだし。ここの住人はどこですか?」と言いやがった。
これは余計なお世話だし、酷く言えばプライバシーの侵害だよ。因みに仕事行ってたよ。
住友林業はてめえのブランドを信頼して頼んだのに、最初から手抜き工事で既にその信頼を裏切っていたにも拘らず、またしても上から目線ですか、そうですか。
息子を一人の男として扱って下さい。
あなたの息子さん、せっかく食事を作ったのに食べずに、コンビニで買ったおにぎりで夕食を済ませたりしていませんか?
なぜそんなことをするか理解できないことでしょう。
男は思春期以降、自分の意思で物事を決定したい、という欲求が出てきます。
支配されたくないのです。
あなたは息子が何歳になったところで、息子は自分のお腹を痛めて産んだ子供、自分の一部だと思っているでしょう。
息子さんはもはやあなたの所有物ではありません。
一人の人間として扱ってあげて下さい。
程度としては、義父と同程度の距離感を心がけて下さい。
命令はせずに提案し、交渉して許可を取り、プライバシーを尊重してあげて下さい。
http://anond.hatelabo.jp/20131119111319
言ってることとの成否と人格を分けろというのなら、言ってることの成否に関わらず、人格攻撃をしていいという事にはならない。
しかし、言ってることが正しいという事理由に人格攻撃をする人は後を絶たない。
はてなに於いてはモヒカン宣言みたいなのを勝手に誤用してるんだとおもう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%B3%E6%97%8F_(%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E7%94%A8%E8%AA%9E)
モヒカン宣言 掟 どんな努力をしても絶対に覆せない事柄を根拠にするな。「差別」という外道に堕ちる。 宣言 発言者の社会的地位を気にせず、言説だけに注目する 事実のやりとりに、余計な装飾語はいらない 間違いは、きちんと認めて修正すればいい モヒカン族5つの価値 校正 間違いを訂正してくれる人を我々は尊敬して評価します。よけいな裏読みをして「人格攻撃している」とは思いません。 共有 アイディアに校正の機会を与えることが生みの親の義務です。「理由が無いけど、これはこれでいいんだ」というエレガントではない開き直りはくだらない。 ツッコミビリティ 校正、反論しやすいエレガントな言説が価値ある言説です。その為には、冗長にならない範囲で、ソースと推論過程を明確化し他へ示します。 全体最適化 たくさんの人がハッピーになれるエレガントな方法を見つけた時、我々は最もハッピーになります。 差異 お互いの違いを確認することで、我々はつながります。「自分らにとって良いから他の人にも良いはずだ」とは思いません
間違いを指摘する事を人格攻撃と思ってはならないと書かれているものの、
もちろん「間違った相手を馬鹿にしろ」とか「言い分が正しければ叩いていい」などと一言も書いてない。
それどころか「余計な装飾語はいらない」とある不必要な人格攻撃もこれに入るだろう。
相手を集団で罵倒するモヒカンと思われている人物に高木浩光氏がいるが、彼はmala氏からのその攻撃的な態度を次のように苦言を呈されている。
http://d.hatena.ne.jp/mala/20120830/
ここまで高圧的に堂々と言われたら「あれちょっと変だな」と思っていても、指摘できなくなってしまう。誰でも簡単に検証できることを、実際に検証する人が全然いない。
恐れ多くて誰も口に出せない、絡んでも得をしない。目立ちたくない。いわゆる高木信者と呼ばれるような人たちから、こいつはプライバシーを軽視する人間に違いないとレッテルを貼られ、集中砲火を浴び、そうやって当事者や中の人が情報発信できなくなってしまう。情報発信がされないことで、より一層、技術を理解する人と理解しない人の間での認識にズレが生じて、悪循環になってしまっている。
人格攻撃を行う事によって議論が歪んでしまうことの問題点が書かれている。彼とその支持者が人格攻撃を行う事によって、間違った事を言っても、人格攻撃をされたくないために訂正されずに拡散されてしまうのだ。
敵対者に人格攻撃を行うと言うのは橋下市長や石原知事などがよく行っているが、人格攻撃を行う事によってアレな支持者が喜び、「素晴らしい」と応援し、反対者が批判することにより外部に敵を作って強固な支持母体となるのだ。その結果まっているのは支持者の精鋭化と中心人物の老害化だ。
自分の衣類は自分で管理している夫なのだが、ここしばらくは手が回らないらしく、タンスと衣装ケースの中身が両方ともぐちゃぐちゃだった。
タンスの前で夫がため息をつき、「あーこのぐちゃぐちゃ状態で過ごすのやだなー」と言っていたのを聞いた一週間前の私は、夫の留守中にタンスの整理を済ませておいた。
と感謝されたのが嬉しかったので、今日も衣装ケースの整理をしておくことにした。ていうかさっきまでしてた。
そしたらなんか古いプレイボーイとDVDがばらばらと服の間から出てきて、プレイボーイは綾瀬はるかが表紙で、DVDは巨乳とか中出しとかモロ見えとか、その手の単語がでかでかと印刷されていた。
あとエロゲもあった。知っているタイトルはTo Heart2くらいしかなかった。1はないんだろうか。
あーなるほどだから今まで服の管理は自分でしてたんだ、ここに隠してたんだね、と納得したんだけれども、どうしようこれから。
エロコレクションからうかがえる夫の嗜好はわりと一般的なものだから、全然不問でいい。隠し持っていたことも問題ない。私はBカップなので夫の巨乳好みに添うてやれないのが残念だが、夫婦は乳のみにて成り立ってるものでないだろうか、まあいいんじゃないでしょうか。そのあたりのことはすべて問題ではない。
問題なのは、私が夫のプライバシー侵害をしてしまったことである。やっぱりこういうの、見られちゃった側はいやでしょう。悪いことをした。
見なかったことにしようと最初に思ったんだけど、既に衣装ケースの整理はほとんど終わっていて、この状態で何も見てないってのは無理がある。
衣装ケースを元の状態に戻す? それでは忙しい夫が服の整理できなくて苦しんでる問題が解決しない。大体元の状態がどうぐちゃぐちゃだったか思い出せないから、ちゃんと戻せない。
整理した衣類の間に、整理したアダルト物品を戻す。どうだろう、これがベストなんだろうか。なんかそれはそれで冷ややかなかんじがしないか大丈夫か。
アダルト物品を全部引っ張りだして、テーブルの上に積み「見つけちゃったごめんね」と謝る、これがベストか? でもそれって「夫婦はオープン、エロもオープン」的な価値観の押し付けぽいような気もしてきた。オープンにしたくないから夫は隠していたんだと思うし。
謝るにしても謝り方が難しい。
真剣に謝ると、それはそれで向こうは居心地が悪そうだし、かといって茶化しつつ謝るのはなんか失礼であろう。謝らないで無言でスルーが大人のような気もする。あーわからん。
わからなすぎてつい衣類整理を中断して増田に書いちゃった。何やってんだ自分。夫が帰ってくるまでに方針を固めねば。
アンサイクロペディアの「エクストリーム・エロ本隠し」の項目を再読すれば何かつかめるだろうか。