http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20131118/1384775000
人を傷つけ不幸にして誰かの溜飲を下げるだけの風刺サイトなんか誰も求めてねえんだよ。 え? 求めてる人もいるって? 馬鹿野郎、そういうのはヒトデナシってんだ。よく覚えとけ。
これみて驚愕した。彼は自分のサイトを公正明大な立場から批判を行う正義サイトとでも思っていたのか?
彼のサイトをちょっと見れば分かるが「アホ」とか「馬鹿」とか見るに耐えない直接的な罵倒だらけの(と言うかそれしかない)コンテンツなのだ。
自分の気に入らない対象を叩いて支援者と一緒に悦に浸るのは、はっきりいって「虚構新聞」と何の違いもない。違いといえば虚構新聞は作り話で当て擦るが「今日も得る物なし」というサイトは直接、アホ馬鹿いって直接叩くのが違いだ。
上記の発言をみて今までその自覚がなかったのかと愕然とした。
自分も虚構新聞は不快だし、クソだとおもう。ただそれはアホ馬鹿いってる「今日も得る物なし」も見ると不快になる。どっちかのサイトを褒めてる人間はどうかしてるとも思う。
それから「今日も得る物なし」では自分が不快と感じるものに対しては平気でやめろとか言ってるので驚く。自分のサイトにあるアホとかバカという言葉が不快な人間がいないと思っているいるのだろうか?
自分が人にとって不快な事を書くのは言論の自由に保証されたことで問題ないが、自分が不快に感じるものは言論の自由に当たらないのでなくなるべきとか本気でかんがえてるのだろうか?
もし、誰かにとって不快な表現が含まれるならば、削除すべきと考えているならば、「今日も得る物なし」は罵倒表現だらけで不快なので削除すべきである。少なくとも私は不快だ。
だが私は削除すべきであるとは思わない。自分の言論の自由を訴えるには他人の言論の自由を認める必要があると思うからだ。
そもそも、私は万人にとって不快でない表現は存在しないと思っている。たとえば世の中には「子供が生まれた」という表現すら不快に思う人物が存在するのだ。
自分の不快という感覚が他の人感覚より優先されるとは私は思わないのだが、「今日も得る物なし」の作者は自分のコンテンツは削除されるべきではなく、自分の不快という感覚は他人の権利よりも無条件で優先されるべきだと本気で思っているのだろうか?だとしたら恐ろしく傲慢だと思うのだが。
全ての人間の権利が平等であると考えるのならば、自分が自由に表現を行う事を肯定するためには、自分にとって不快な表現を受け入れなければならない。
なぜなら、万人とって不快でない表現が出来無い以上、不快であるという表明で表現が出来なくならば、全ての表現はできない。
「虚構新聞」は建前上、虚構つまりフィクションだから、一応アニメや小説と同じ部類にはいる。この削除という表現規制の前例を認めるのなら、「今日も得る物なし」の作者はユニセフはアニメ・ゲーム表現規制に賛成するのだろうか?ユニセフの表現規制はゾーニングすればOKという話ではないようだが。
もっともこの作者はアニメ・ゲームが大好きで規制しようとするのは白痴みたいなこというのだが。(ちなみに白痴という単語は出版社の自主規制で出版物には使用できない)
あと、大衆を愚民だと思ってよくわからない選民を抱いているの一緒だ。「虚構新聞」は騙される人間を「釣ってる」事で間接的に馬鹿にしてる。
「今日も得る物なし」というサイトはやっぱり直接的にアホ馬鹿言ってるんだけど、このあたり同属嫌悪のように見える。
P.S
ブクマコメント一同おまえら三行以上本文読まずにタイトルぐらいしか見てないだろ。
文章の扱ってるテーマは3つくらいにわかれているがみんな最初のテーマにしか反応しない。
あと、彼自身が人を傷つける事を文章で批判しているのに、彼がそのような言動を行うの許容するのはダブルスタンダードにみえる。
内容の正しさと人格批判はわけて考えるべきというのはたしかにそう。だからこそ、内容が正しいからといって人格批判を行って意味なく傷つけていいとは思わない。内容が正しいという事はエクスキューズにはならない。
http://anond.hatelabo.jp/20131119111319 これって本当ネットのだめなところだと思う。 言ってることとの成否と人格を分けろというのなら、言ってることの成否に関わらず、人格攻撃をしていい...