はてなキーワード: タイ人とは
「んー食べませんね」
俺の上司と、タイでの半年駐在から帰国したばかりの後輩の会話だ。
「ええまあそうですね」
「タイ人は驚くでしょうね」
「ですね、ハハハハ」
同じテーブルにいる俺に聞かせるかのように。
俺はその会話を聞いて(聞かされて)上司の「底意地の悪さ」を感じた。
何故なら・・・
パクチー料理専門店へしばしば一緒に出掛けるとその上司に話したことがあるからだ。
先月か先々月だったと思う。
意外と旨いんですよなんて喋った記憶もある。
俺は思う。
タイ人にとってのパクチーと、俺らにとってのパクチーって違くないか?
あのカメムシみたいな草と初めて出会った時の衝撃、臭いによる長年の拒否の歴史があり、
ひょんなきっかけで平気になり、むしろ食味の個性に惹かれ始めた。
それ全部込みで「おや?イケるぞ?」となって
タイ料理やベトナム料理には「もっと入れて食おうぜ」になってきた。
そのうち飽きるかもしれないし、ずうっと好きかもしれない。
何かが好きになったり仲良くなったりするって、そういうことじゃねえの?
タイの人々にとって貴重ではないものを我々が珍重するのは頭がおかしいのか?
彼らが常食しないものを我々が喜んで食べること、それはバカミタイなのか?
それはどういうロジックなんだ?
馬鹿にされてイヤな気分だ。
俺まじであの上司が嫌いだ。
蛇足になりそうだがタイ語での月の略称(英語で言うところのJan.とかSep.とかいうアレ)も一覧にして出す。別にここに書かなくてもWikipediaの「タイ太陽暦」にも書いてあるんだけど、
1月 | มกรา คม | ม.ค. | モーコー |
2月 | กุมภา พันธ์ | ก.พ. | コーポー |
3月 | มีนา คม | มี.ค. | ミーコー |
4月 | เมษา ยน | เม.ย. | メーヨー |
5月 | พฤษภา คม | พ.ค. | ポーコー |
6月 | มิถุนา ยน | มิ.ย. | ミーヨー |
7月 | กรกฎา คม | ก.ค. | コーコー |
8月 | สิงหา คม | ส.ค. | ソーコー |
9月 | กันยา ยน | ก.ย. | コーヨー |
10月 | ตุลา คม | ต.ค. | トーコー |
11月 | พฤศจิกา ยน | พ.ย. | ポーヨー |
12月 | ธันวา คม | ธ.ค. | トーコー |
タイ文字の上下左右に付く小さい記号(左右はちょっとわかりにくいけど)は原則として母音だったりアクセント記号だったりするけど月の名前にはアクセント記号はほとんどない。唯一「これは読まないよ」という印が2月の一番うしろに付いてるくらい。
タイ語で略称作る時には原則として母音(と、アクセント記号)は省いて、母音がついてないときのタイ文字の原則の読み方「子音のみのときはオーで読む」を使って読むんだけど、ところが月の名前では母音含みで略称作っているのね。カタカナ表記を見ればわかると思うんだけど、マ行で始まる月が大の月小の月どっちにも複数あるから区別するために母音含みにしたみたい。
次に多いのがカ行とパ行だけど、これは大の月と小の月(もしくは2月)に分かれているので後半見れば区別が可能だから母音つけるまでもなかったみたい。右端に書いたカタカナでの読みを見る限りではタ行も10月と12月に複数あるんだけど、カタカナで区別を表記出来ない差があるのでそこは大丈夫、もしくは日本人には区別がつかないかもしれない。ていうか略称をこういう風に読んでる人を聞いたことない。本当にカタカナ表記は蛇足。現時点ではあくまで書く時限定の使い方だと思ってる。略称を読みに使ってるタイ人見かけたら教えてください。
なお、それとは別に、タイ語が面倒くさい理由の1つとして、「本当に同じ読みの別文字がいくつかある」ってことがあって、どうもそれにはインドの文字を元にタイ文字を作ったからという要因があるらしい。実はインドの方ではタイ語では同じ発音をする子音でも違う読みになることがあるんだとか。サンスクリット語あんまり詳しくない、つうかほとんど知らないのでどこまで本当かは知らないのだけど。
ブコメで「シンハーはシンハービールがあるから知られてない言葉の例外」みたいなことを書いたけど、実はシンハービールってシンハーって呼ばないの。タイ語後置修飾だからビア・シンハーかと思いきや実際にはビア・シンって言ってる。ここまではたぶんタイ料理好きな人には有名なんだけど、8月は"สิงหา คม"シンハーコムって実際に言うのになんでビアシンはシンハーにならないのかなと思ったら、ビアシンのタイ語表記はเบียร์ สิงห์ で8月のタイ語とはちょっと違う(hをあらわす文字のところに2月のところにもあった「これは読まないよ記号」が付いてる)。由来考えたら同じものなんだけど、月名が伸びるのにブランド名が黙字になるのがなぜなのかまではわからないので、先々の宿題とさせてください。サンスクリット語起源だったりすると面倒くさいなあ。
ある定時退社日の水曜日の夜、俺はタイ古式マッサージ店に行った。
ちょっと太ったタイ人のオバちゃんに、5000円を払い、60分の全身リラクコース。
言う通りうつ伏せになった。オバちゃんの足が俺の足の裏にのっかり、オバちゃんは足踏みを開始する。
オバちゃんは足踏みを終え、そう言いながら俺の肩に手を当て体重を乗せてきた。
そしてケツに硬い感触がする。膝だ。オバちゃんの両膝蓋骨が臀部をグリグリと刺激する。
この段になってようやく俺は自らの失態に気がついた。
チンポジが間違っている。
俺は普段正面を向いて右サイドを居場所としているのだが、このとき左にポジションチェンジされてしまっていた。
かつ位置は中途半端。亀頭は恥骨直上。更に悪いことに皮が剥けてしまっていて、ダイレクトに刺激が伝わる格好だ。
こんなとき包茎は無力だ。焦りは募る。オバちゃんの膝が揺れる。
痛い。しかもこの刺激で半勃ちになってきてる。余裕のない皮がさらに伸ばされる。
痛みと羞恥が俺に性的な快楽を感じさせる。やめろ。このままではいけない。
オバちゃんは背中に膝を移す。少し余裕ができた。
ポジションを修正しなければいけない。今の場所はいかにもまずい。
もっと前に沈み込みませ玉際に落ち着くか、思い切って反らすかする必要がある。
顔の両脇に置いていた手を少し下に下げる。オバちゃんがそれを阻む。
手の正しい位置は顔の脇だと元に戻す。(今直すべきは手ではないのに。)
膝が背中から腰に落ちる。腰がちょうど良い感じに押されて気持ちいい。
これはマッサージの気持ち良さなのか?それとも性的な快感なのか?
抵抗も虚しく強制的に快楽を与えられ、次第に俺は分からなくなってくる。
「アオムケナッテネ」
俺は凍りついた。なんだって?
「アオムケ」
勘弁、勘弁してくれ。勃ってんだ。勃ってるんだよ。
しかもそのポジションの悪さから、おそらく仰向けになったら丸わかりだ。
だがどうすればいい?どうしようもない。
俺は悪くない!俺が何をした?俺はただマッサージを受けに来ただけのはずだ!
犬は腹を見せることで降参と服従をアピールするという。俺の気分は、それよりも酷い。
チンポジが悪かったばっかりに。
木元選手と京之助が決まったと聞いた瞬間、私は耳を疑った。
勝てるわけがない。何を考えているんだ。
瞬間にそんな言葉が口をついてでた。
一部メディアでは京之助がまさかの敗戦などと書かれているが、相手をした木元選手はそこそこのアマエリートで6回戦でスタートをしていても全くおかしくない選手だ。
4回戦では相手が嫌がって試合を組むのも難しい、そんな選手なのだ。
亀田陣営がリサーチ不足だったのか、デビュー戦にあんな相手をあてられた京之助がまったく可哀想になる。
しかも、お得意のビックマウスプロモーションでヘイトをためつつ、貯まった分だけ視聴率をとるというイケダハヤトみたいな炎上マーケティングの路線でいって初っぱなあんな強い相手とか気の毒でしかない。
むかつくけど、強いぜ、誰かあいつをボコボコにしてくれー!というのでヘイトと注目をあつめるはずが、初戦にして皆はカタルシスを得てしまったことだろう。
ジョーブログの番組のなかでジョーがボッコボコにやられているのを見て、京之助が強いという印象を受けがちだが、多くのボクサーはそれほど実力はないというのを知っていた。
木元選手がやるという噂が流れ始めた頃、ジム内の4回戦ボクサーたちは口々に「美味しい」と羨ましがった。
京之助がまあデビュー戦にしては動ける方程度の実力ということはすでにわかっていた。こういう時、スパーをジム内のだれか、もしくはその繋がりがある人とやったという噂がジム内にはすぐにながれる。
私がいつも圧倒している後輩よりさらに弱い人が京之助とスパー経験があり、どっこいどっこいくらいの実力と聞いていたので多くのジムメイトたちは京之助がさほど強くないということを分かっていたのだ。
デビュー戦とか1勝2敗とかならちょっとビビる相手かもしれないが、2勝以上している選手たちは絶対に勝てるという確信を持っていた。さらに4回戦の実力をはるかに越える木元選手とやるとなればもう可哀想でしかない。
よく木元を選んだな、タイ人とかじゃないんだ。。と言う声を何度も聞いた。
そして結果は皆も知る通りになった。
ただ今回は初心者とエリートがやったからこういう結果になったわけで、京之助自体のポテンシャルは未知数だ。とにかくめちゃめちゃ練習をして、同じくらいの相手と戦って勝ったり負けたりして強くなっていってほしい。
木元選手の初戦も見たが、彼もやっぱ初戦は固かった。圧倒はしていたけど不意にダウンして判定負け。かなり反省していてその後めちゃくちゃ努力を重ねて今があるのを知っている。やっぱりキャリアは実力に結び付くよ。京之助にはどんどん試合をして学んで強くなっていってほしい。
ガールズバーで連れ出そうとするも、断られる。朝までガールズバーでおっぱい揉んで終了。チクショウ。
某有名サウナ。秘密のエレベーターから秘密の部屋に通される。感想特になし。
KTV。連れ出そうとするも一度お断りされる。泣く泣く近所の居酒屋で飲んでたら、連絡が来て合流。ホテル直行。
ガールズバーでお持ち帰り。一緒にCLUBに行ってからホテル誘ったら付いてきた。ひたすら可愛かった。
ガールズバーで2人お持ち帰り。同行の日本人男性と4P。バイアグラ使った。ひたすら可愛かった。
有名援交カフェでご指名。ホテル行って自分のiTunesでEDM爆音で鳴らしながら腰を振る。美人でエロかった。たまに連絡来る。
サウナ。何度もチェンジしてやっと希望の女の子にたどり着く。顔良し気立てよし。また行きたいけど用事がない地方都市。
某有名カラオケ。ジャグジーのある部屋で乱交パーティー。モデルの卵で、すげえ可愛かったけど、ひとのチ◯コはもう見たくないかな。
アジア某国でナンパ。CLUBで酒奢って仲良くなってホテルまで付いてきた。翌日昼までSEXした。この世のものとは思えないくらい可愛い。その後もちょくちょく会う。
アジア某国でナンパ。フレンチで飯食って、ルーフトップバーで口説いてホテル。
それではみなさま、良いお年を。
都会とかじゃなくても普通にいる
マナーがなってない
うるさい
くさい
街の治安が悪くなる
排斥して欲しい
少子化が加速する中この外人問題は今後大きな社会問題となっていくのはもう間違いがない
今のうちに手を打たないと手遅れになる
それと外人がはびこることでそれに合わせて日本人の賃金も下げられていく
雇用もなくなっていく
外人は最初は低姿勢だがそのうちずうずうしく権利ばかり主張してくるようになる
これは間違いがない
愛で接すれば必ず愛で返してくれるはず
とか本気で思っているお人好しばかり
今から攘夷排斥運動で外人を排除しないととんでもないことになる
しかし、これはいずれ自分もそうなるので百歩譲って目をつむったとして
あるいは態度がでかい老人
マナーがなってない老人
これがやたら多い
自分がどれだけ周りに迷惑をかけているかなんか全く考慮せず自分本位
何か注意されると逆ギレ
ありえない
こういうやつに限って身なりが汚いしみすぼらしい
ホームレスかと思うような身だしなみ
この種の癌も今後加速度的に増えていく
デリヘルで来てもらったのよ。もろもろグッドな感じの娘で、第1ラウンドも最高な感じで終えて、休憩がてらおしゃべりしたのよ。んで昨年タイの実家を新築し直したよ。ってんで、その写真を見せてもらったんだけどさ。これがさ。もうさ。すーーーんごく立派なのよ。お屋敷。日本でこんなの建てたら地方であっても相当の値段すんじゃね?ってぐらい立派。デザインもいい感じ。広過ぎて掃除が大変だからベトナム人のお手伝いさん雇うかもだって。いやいやいやいや。オレが今からどんなに頑張っても、日本に居続ける限りあんなの絶対建てらんないわ。いやー。まいった。結構まいった。んで驚いてあれこれ話しを聞いてるうちに、すっかり第2ラウンド決める時間が無くなったんだけどさ。それはまあ良いとして、なんつーか認識あらためたわ。ショックって訳じゃないんだ。話した感じしっかりしてるっぽい嬢だったから、それほど身持ちを崩さずに稼いだ分をプールしてる感じはしたし。それにしてもこれ程までにしっかりしてるとは予想外だったので結構驚いたのさ。アジアと日本の経済格差は縮まってるよ。的な話しはリクツでは理解してたつもりだったけどさ。なんかそれを超具体的に感じられた気がする。無駄使いしてる場合じゃないんかもな。本当に。
http://anond.hatelabo.jp/20170511170337
自分の背景とか前提みたいなもんなんだけど、今自分外資で働いてて、同僚に日本を案内とかしたりして結果仲良くなって外国の友達できてんだよ。アメリカ人とか、インド人とか、中国人とか、韓国人とかね。タイ人には自分の仕事分野の大家がいて、その人師匠だと思ってる。大事な友達、知り合い。だからかわからないけど日本って国にこだわりすぎるのは良くないって感じている。ピンキリあるけど、世界のいろんなところに自分より優秀な人がいたり、優しくしたい人がいっぱいいるっつうことに気付けた。
一方、日本で暮らす自分の子々孫々の繁栄を考えるんであれば、日本が国として成り立つために必要な教養レベルを保ちつつ、かつオリジナリティがある程度必要だとも感じていて、それを保ち続ける仕組みがないと、国として弱ってきて他国の後塵を拝することになるって感じている。学力で言えば東大に入るより難しい大学がタイにあるし、東南アジアの秀才たちがロボコンなんかの大会の上位にグイグイ食い込んでる。こいつらに勝たないと、子供達の財産ってどんどんなくなっていっちゃうと思うんだ。
思うんだけど、自分の係累だけ裕福になってこういう基礎教養やオリジナリティが創出し続けられる環境を作れるかっつうとそうではないんじゃないかな。ある程度日本の多くの人が教養を持ち、かつ多様な価値観を自由に持って、様々な行動を起こす環境には、ある程度、富の再分配を行う仕組みが必要なんだと思う。多様な価値観をもとに、多くの人が様々な行動を起こして、いくつかは目がでないけど、そのなかでいくつかは目が出てる。それを連綿と続けられるっつうのが大事で、その先に繁栄とか、裕福な未来っつうのがあるんじゃないかな。重ねていうけど、そういう土壌がないところは、どんどん衰退していって、結局貧しくなるんだと思う。
自分も、自分の子供大事だから財産残してやりたいって思う。そしてその子供の子供や、さらにその子供達へもね。でも、係累だけに継承させていったら、結局ジリ貧になるので、再分配になるような税金とかは積極的に払うし、払っていきたいと思う。
どうっすかね。
最初は「好きな人もいるんだろう」程度で見ていたが,いくらなんでも増えすぎだと思う.
その理由は当然だが近頃のパクチーブームにあるだろう.そもそもパクチーブームってなんだ.料理やスイーツといった人の手が加わったものがブームになるならわかるが.たかだか一食材がブームって意味わからないだろ.
百歩譲ってブームだったとしよう.ブームになったら「パクチー好き」がマジョリティになるのか?食えなくはないけど好きでもない奴が大多数なんじゃないのか?
パクチーが嫌いな俺からすれば,邪魔で仕方がない.新商品のコーナーだけでなく,カップ麺やおつまみなどのありとあらゆるコーナーがパクチー商品で汚染されている.
勿論,パクチー関連の商品でないものが店頭から消えたわけではないから,我々パクチー嫌いはそれらを気にせず好きな商品を買えばいいのかもしれない.
だが,店内のありとあらゆる什器にパクチー商品があるという光景は聊か奇妙であるし,余りにも視界に入りすぎると不快感を覚える.
そもそもパクチー好きってそんなにいるのか?パクチー商品ってそんなに売れているのか?パクチーってそんなにうまいか?
「パクチー大好き!」とほざくクソ女どもに俺は問いたい.お前は心の底からパクチーが好きなのか?「パクチー」という好みが別れる食べ物を「好きな自分」が好きなだけなんじゃないのか?
無理やり「好き」だと思い込んで食っているんじゃないのか?「えー!?パクチー好きなの??」って言われたいだけじゃないのか?「パクチー好き」というサブカル的なコミュニティに参加してパクチー嫌いを心のどこかで見下したいんじゃないのか?
俺はパクチーが嫌いだが,別に食おうと思えば食えるし,好きだと思いこんで大量に食うこともできる.「パクチー好き」を公言してるクソどもはきっとこんな奴らが大多数だろう.
「私のあこがれるあの人もパクチーが好きだから」とかそんな感じの下らない理由で食べはじめて,「別に好きじゃないけど無理やり食べてたら慣れちゃった」っていう感じなんだよ.
パクチーの入った料理を注文したら,パクチー嫌いな奴から「パクチー好きなの?すごいね」みたいなニュアンスのこと言われて調子乗っちゃったんだよ.わかるんだよ俺は.そうに決まってる.
レストランでパクチーを山盛りにしてパクチーだけを食ってる奴を見ると,本当にアホかと思う.パクチーって香辛料だろ,そのまま大量に食うもんじゃないだろ.うまいわけがないだろ.
いくらネギとかニラがうまいからって,それだけを山盛りにして食ってもすぐ飽きるだろ.
料理のトッピングで大量にパクチーを入れるのもよくわからない.もちろん多少のトッピングならアクセントとして効くかもしれないが,奴らのトッピングする量は度を越えている.下品だし.
その料理はそんな大量のパクチーで味を隠さないと食えないほどまずい料理なのか?やってることはサイ〇リヤで粉チーズを大量に入れる中学生とさほどかわんねえぞと言いたい.
最近いたるところで「パクチー」って文字を見すぎてあまりにもイライラするので書いた.
もちろん本当にパクチーが好きで,丁度いい塩梅でパクチーを食べている人がいるのもわかっている.でもそういう人たちは「パクチー大好き!」って言って大量に食ったりしないと思う.
それにしたってパクチーとかレモングラスとかその辺の香辛料って独特の臭い発しすぎだろと思う.もうちょっと食いやすくしてくれよ.タイ人ってみんなあれが普通の料理だと思って当たり前のように食べてるのか.
日本人男が白人女に興味ないってのは周知の事実だしみんな体感的に感じてるだろう。白人女とやりたいって言う日本人の男は殆どだとおもうが付き合いたいかってなると、どうでもいいやか、あっ、べつに結構です。て人が殆んどだと思う。
でもこれは日本人だけじゃなくて、アメリカの白人も黒人もインド人も中国人もタイ人も大体そう。基本的にどんな人種でも可愛ければやりたいが見た目が近いやつ以外には長期に関係を築くと言う点で興味ない。日本人の場合は大体日中韓で結婚する。韓国は文化的にめんどくさい人が多いので中国人か日本人同士ってのが多い。俺の回りも大体そう。
ハーフタレント人気だって言うけどさ、別にそんなに人気ないんじゃね?アメリカ映画に無理矢理黒人出してるのと似てる気がする。日本人と日系ハーフが人気トップに来ることってほとんどないっしょ。まだ中朝の奴の方が人気出るんじゃないの?布袋寅泰とか。
タイ人の知人は日本のお好み焼きが好きらしく、盛んに誘われるので
以前訪れた事のある広島焼き屋を訪れた。
店に入って店内を見渡すと3人組と1人で来ている人がいた。
この瞬間ちょっと嫌な感じがした。
実はこの店はそれほど広くない。
2グループがいると3グループ目の会話はどちらかに聞こえてしまう。
とりあえずメニューを見て
注文してしばらく経つと変なことが起こった。
店主のような日本人がやってきて変な会話になった。
多分店主「実は広島焼きはすごく大きくてライスまで注文すると食べきれないんです。
自分「食べきれない分は持って帰って食べるのでライスもお願いしたいです。」
多分店主「でもものすごく大きいですし、食べきれないと思いますよ。」
実は前回も同様のオーダーだったが特に何も言われなかった。
なんか変だなと思いつつ考えていると店主のような人が続ける
多分店主「実はライスを切らしてまして、買いに行かないといけないので・・」
多分店主「大一個分ならOKです。」
自分「ではそれを2個に分けてください。」
なるほど、実はライスがなくてオーダーに応じきれないものを多分色々理由をつけて
断りたかったんだなと思った。
でもタイの文化的には「材料切らしてるし今日はできません」でたいてい片付く話だし、
日本でも「材料切らしてるので、申し訳有りません。」一言ですむとおもうのだが
店主っぽい人はなぜこんな回りにくい上に嘘がバレた場合怒られる可能性もある
その後トイレに席を離れ帰ってきてからしばらく経つと隣からの会話が聞こえてきた。
集中してなかったので一部しか聞こえなかったが明らかに自分か知人、もしくは両方が
批判されてる内容の会話だ。
英語を話している人は今は他にいない。
しばらく聞き耳を立ててみるとどうやらこの批判している人物が中心人物らしく
多分ボスザル的な人で残りの2人は付き合わされている感じだろうか。
しかし隣の席から批判してくるとは非常識にもほどがあると思った。
嫌な気分になったのでそのあとしばらくして店を出た。
家に帰って考えてみると以前行った事のある沖縄料理の店は日本人だけでなく
だから「材料切らしている。ごめんなさい」の一言で済んだのかもしれないが
この広島焼き屋はいつも日本人しかいない、さらに喧嘩ふっかけてくるような日本人もいるわけだから
「材料切らしている。ごめんなさい」とは言えず、面倒な理屈を色々考えなければなかったのかもしれない。
海外で日本料理店を開くときは一定数外国人も集まるようにしないと変な日本人が
店主っぽい人が変な質問をしてきた理由はわかりモヤモヤが解消したが、
隣の席から批判してきたボスザルっぽい人に「失礼だろ。謝れ。」とでも言うべきだったのか。
日本人は、一方的な自虐史観を止めるべきである。特定の思想(自虐史観)に偏らず、事実を正しく伝えること、ひとつの物事の正解をひとつに決めてしまうのではなく多方面からの視点があること、様々な考え方があることを許容することを教えるべきである。
日本も十数年以上前までは学校で自分の先祖がどんな人だったか調べる授業があったが、特定の圧力団体に配慮して廃止してしまった。その上、自虐史観に基づいて、自分の両親や祖父くらいの年代の人たちが侵略戦争したと一方的に弾劾されてきた。
このような教育を受けていて、どうして子供が親や先祖を敬えると思えるだろうか?自分の親や先祖がどのようなことをしてきたかを知らずして、どうして先祖に感謝し、敬い、自分のアイデンティティを確立させることができるだろうか?
これが現代社会の抱える問題、核家族化、孤独死、社会的孤立化などを作った一因だと思う。
移民国家の米国では、ファミリーヒストリーといって生徒が家系図などを調べて自分の先祖がどんな人だったか、どのようにして米国に来たか、どのような生活をしていたかなどを調べるクラスがある。移民国家だろうが外国人が多かろうがどのような背景があろうが、自分の先祖の人柄や生活ぶりに触れることは情操教育、アイデンティティの確立にあたってとても大切なことだと思う。
第二次世界大戦は日本の侵略戦争と言われるが、それならなぜ、日本が占領していた台湾、パラオ、タイなどは、今でも親日国なのだろうか?
学校教育では日本は侵略戦争をしたからアジアから恨まれている、アジアには親日国など存在しないかのように教えこまれ、そこに疑問を差し挟むことは決して許されないどころか、少しでも否定しようものなら、極右、危険思想を持ちはじめた生徒として弾劾され、洗脳まがいの自虐史観に基づく教育を受けてしまう。
中国人や韓国人が70年以上経ってもまだ恨み続けるほどの残虐行為を日本人がアジア各国でしてきたのなら、前述した親日国の台湾人やパラオ人、タイ人なども中国人や韓国人のように国家ぐるみで日本を恨むのではないか。
しかし、実際には親日国の国民は、日本人に親切で、日本語を喜んで使ったり、日本を好きでいてくれている人も多い。
そして中国や韓国は未だに国家ぐるみで反日教育を続け、日本を恨み、日本で強盗などの犯罪を重ね、最近は竹島問題、尖閣諸島問題、慰安婦問題のように日本の領土を強制占領し、侵略し、世界中で慰安婦像を作ったりしている。果たして中国や韓国の主張する日本人の当時の残虐な侵略行為は事実だったのだろうかと疑問を持つのはおかしなことではないと思う。
ここで大切なのは、反日国の話だけに耳を傾けることだけではなく、反対の親日国の話も、同じくらい丁寧に耳を傾けること、そして単純な白黒判断をするのではなく、それぞれの立場について、その考え方の背景やメリットなども考えた上で、自分自身がどのように思うかである。今までの日本には、このような姿勢が全くなかった。
反日国の話は今までの日本の自虐史観のベースになっているのでこの内容について深く言及することはここではしない。他方、日本では全く触れられることのない親日国の話の中には、日本人が当時、その国のための偉業をなしてきたことを逆に教えてくれる。
例えば日本統治下の台湾で八田与一はダムを作って台湾南部の嘉南平野の農業をおおいに発展させ、今でも現地の人はこの名前をよく知っているという。ところが日本人のほとんどはこの人の名前を知ることはない。
また、近藤兵太郎が指導した嘉義農林学校は台湾の学校だが、1931年第17回の甲子園で準優勝した。現地の人たちは近藤兵太郎を今でも尊敬しているという。
八田与一、近藤兵太郎のなした偉業を知ることは、ひいては自分の先祖に対する尊敬の念を生む。自分の先祖の人柄を知ることは、家族の絆を強くしてくれることでもある。
さらに、こういった事実を知らずして外交をするのは目隠しをして挨拶するようなもので大変危険である。日本は外交オンチと言われるが、その一因はこの一方的な自虐史観に基づく洗脳まがいの教育にあると思う。
まとめるが、親、祖父母、先祖を敬うということは、先祖のしてきたことを正しく知ることが前提となる。
しかし戦後の日本の教育は、自分の親、祖父母の世代で侵略戦争という罪を重ねてきたという一方的な視点に重点をおいて教え込んできた。
自分の親や祖父母と同世代の人間が、つまり自分の親や祖父母と変わらない人間がこのような罪を重ねてきたと教えこまれて、自分の親、祖父母、先祖を敬う気持ちが育つものだろうか?
この戦後の日本の反省教育が、現代日本社会が抱える孤立化、核家族化、孤独死などの問題を作った可能性があると思う。
一方的な敗戦国としての自虐史観以外を決して許さないという考え方は改めるべきである。多種多様な視点を持ち、多種多様な考え方が自由にできるようにしなければならないと思う。