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はてなキーワード: お笑い芸人とは

2024-06-15

漫画8000冊読んだお笑い芸人漫画大好き芸人名乗ってるからさ、漫画10000冊以上読んだワイは漫画大好き増田名乗っていい?

グラビア評論家問題、非同意いじり規制するしかいね

いじりはちゃんと事前に同意契約書を交わさないと違法にしてしましかない。

ただし規制対象お笑い芸人テレビ局新聞社が一次的に提供する表現限定する

そうすれば漫画同人誌二次創作表現アニメ化風刺表現は守られる

結構いい案じゃない?

2024-06-14

anond:20240614142911

 特にイケメンチューバーの中には、女レイプして殺した経験もあるくさいヤクザまでいる。

 女は、その性奴隷みたいな奴らが混じってる。

 女子高生コンクリート詰め殺人事件犯人は、今人気声優で、人気イケメンチューバーやってるって噂まであるよ。

 お笑い芸人からそっち移ったらしい。

 マスゴミは、こういう奴らを、性奴隷脅迫に利用するのが大好きだから

 警察に噂になってバラされたから、マスゴミは、スマイリーキクチ事件とか捏造して、ネット民を罠にかけたんだろうね。

 実際にお笑い芸人として重用されてたから。

 具体的に○○とか言い出す奴らは、マスゴミ工作員の罠の可能性が高い。

 まあ、バラした刑事からして、タレント刑事で、テレビに引っ張りダコだったわけで、ひょっとするとそこから共犯だったかも。

 お笑い芸人なんてのは、ヤクザ工作員として、脅迫に利用するために、マスゴミが飼ってるポジション

 それで、今はイケメンチューバーやってる奴が沢山いるらしい

2024-06-13

https://anond.hatelabo.jp/20240613063142

バンドマンお笑い芸人も別の星の住人レベルモテるやんけ

あれは年収低くても、一般人枠ではない。場を支配してるアルファオスですよ。

anond:20240613015840

年収100万くらいの、バンドマンや、お笑い芸人なんかと結婚している正社員女性は、結構いるぞ?

首都圏京阪神くらいにしか居ない気はするが、それはそれとして。

anond:20240613015840

年収100万くらいの、バンドマンや、お笑い芸人なんかと結婚している正社員女性は、結構いるぞ?

首都圏京阪神くらいにしか居ない気はするが、それはそれとして。

2024-06-12

師弟関係でもないのにお笑い芸人を「師匠」とか言っちゃう奴w

イキってる感があってすこ

2024-06-11

anond:20240611133540

こんばんは。こちらを書いた増田さんにとても興味が湧きました。追記も含めて読んだところ、おそらく増田さんもある程度自分のような人間に興味を持っていただけるのではと思い、増田さんの婚活相手立候補します。下記を読んでいただきもしご興味あれば rikyakyo318 [アットマーク] digdig.org までご連絡ください。

良いご縁になればとても嬉しいですし、そうでない場合6人目として皆さんにご紹介いただければ。

私のこと

anond:20240318165802

昔「VTuberって何が面白いんだろう?」と思って切り抜きを片っ端から見たときに思ったことを編集してここに書いてみる。

VTuberというキャラクター

多くのVTuberキャラクター性を完全に個人のもの昇華しており、VTuber活動用のバーチャル人格形成している。

基本的ベースとなるキャラ設定を使って配信をしているが、思考性格各自の素なので(たぶん)、ボロが出るのは年齢や職業等の設定ぐらいのものになっている。

(わかりやすい例で言えば、高校生設定なのに「昔テレビナースのお仕事やってたじゃん」などといえば、お前今何歳やねんとなるが。リスナーも心得たものでそれで何か大きな問題が起こるわけでもない。)

これはつまりVTuberというのは単に顔出しの変わりにキャライラストを出して、キャラ付けの設定を守りつつ配信をしているというだけで、人間としてはそこまで特殊人達ではないということだ。

ネット上の性格リアルでの性格ちょっと違う人なんてのは無数にいるのでそれと大差ない。

「どうしてちょっと動くだけのキャライラストを設置する必要があるのか」と思うかもしれないが、何かの物体現象名称があると有用なのと同じように、ネット上の人格キャライラストを持たせることは様々な面で有用なのだ

主には実在性。名前だけでなく公式キャラクターイラストがあるということは頭の中で名前と顔が一致するようになる。

声があって、顔があって、キャラ配信者の動きに合わせてちょっとだけ動いていて、日常ちょっとした話に共感できる。それはもう実際に存在する人と変わらない。

ファンアートを書くのにだって便利だし、ファングッズを作るのにも便利だ。

ちなみに、これも特別なことではない。

例えばX(旧Twitter)では、ディスプレイネームアイコンを設定できるが、これと大差ない。

多くの人は無意識ディスプレイネーム(文字列)ではなく、アイコン(絵)でフォロワー判断している。

たまにアイコンを変更されると「誰だこれ?」となる現象は、そのアイコン(絵)でその存在認識しているからだ。



何を楽しむのか

基本的には“友達の家で何かをしているのを同じ部屋でガヤを入れている”と言うのと同じ感覚で楽しめると思う。

経験がある人とない人でくっきり分かれるだろうが、俺はそれが一番近いと感じた。

小学生の頃、近所の友達の家に遊びに行って友達が一人用のファイナルファンタジープレイしているのを見ながら横で話をしていただけで楽しかったアレだ。

これはVTuberに限った話ではなく、ストリーマーの配信を楽しむときは全部これだと思う。

喋りが上手い人ならラジオ代わりにすることもできる。

一昔前にスパチャが飛び交うことを揶揄してバーチャルキャバクラ(だったけ?正確な単語忘れた)と表現されたこともあったが、これは“そうしたい視聴者”がそうしているだけだ。

キャバクラホストに行く人でも、貢ぐ人と貢がない人がいるのと一緒で、貢ぐ人のほうが圧倒的に少ないのと変わらない。

実際に一人用のゲームプレイしている友達と一緒にいることが楽しいと感じられるかどうかは、波長が合うかどうかが重要だ。

例えば今回増田が見た、宝鐘マリン(ホロライブ所属)で言えば、ホロライブ基本的キャラクター性がかなり強めに出している(語尾/声色/設定など)

俺は基本的に見たホロライバーは見事に全員合わないなと感じたので、切り抜きを見ていてもヒット率が低い。

また、この人は喋りが面白いという評判の高いVTuberを見ても全然面白くなかったりするので、相性が良くなければどれだけ配信や切り抜きを見たってまた見たいとか応援したいとかい気持ちにはならない。

反対に、波長が合うVTuberを見つけられたら、気軽に友達の家に遊びにいけなくなった人間でも配信されていればすぐに遊びに行けるようになる。




応援したいという気持ち

俺はVTuberを見ていても別に応援したくはならないし、スパチャもしないし、チャンネル登録して配信があれば毎回見に行くような熱心な視聴者でもない。

興味があれば見に行くし、無ければたまに流れてくる切り抜きをたまに見るぐらいの人間だ。

ただ、応援したくなるという気持ちもわからなくはない。

俺にはハマっているゲーム配信者がいる(VTuberではない。)

チャンネル登録しているし、配信があれば見に行くし、極稀にスパチャもする。

これはVTuberかどうかではなく、単に“ハマっている”からだ。

容姿特別良いわけでもなく、声も可愛かったり、カッコよかったりするわけでもない。

ただ、とことん自分と波長が合う。

雑談を聞いていると落ち着くし、ゲーム実況をしていれば面白い

応援したいという気持ちは、毎日自分を楽しませてくれるそれを長く続けてほしいと思うからだ。

「そんなよくわからない個人にハマることなんてあるか?」と思うかも知れないが、これを芸能人(お笑い芸人アイドル)に置き換えてもいいし、野球サッカープロチームファンに置き換えてもいい。

俺も一時期プロ野球にハマったことがあるが、その規模を小さく自分スマホサイズ(PCサイズ)にしていくと、配信者(VTuber)を応援する視聴者になる。

そうすると応援したいという気持ちお金を払う先があれば、お金を払ってしまいたくなる気持ちになるものだ。

から告知をリポストするしいいねもするし、なんかお祝い事があればスパチャで祝ったりもする。

大手になればファングッズを買ったりファンクラブ(メンバーシップ)に入ったりだってするだろう。



VTuberを楽しめるかどうか

VTuberを楽しめるかどうかは才能がいる。

ここまで書いてきたように、VTuberは絵が配信をやっているわけではなく、ただの人間が絵をバーチャル人格(目印)として配信をやっているだけなので、まずその人格を認められるかどうかが重要になる。

これは中の人などいないという過激派になれという意味ではなく、表も裏もあって、同時にどちらも生きているんだなというグレーを認められるということだ。

イラストキャラ3次元実在しているわけではないが、その人は確かに存在しており、バーチャル人格通りに配信上で実在している。

次に、知らねーヤツに興味を持つ才能。

さっき友達の家に遊びに行く感覚に似ているというようなことを書いたが、実際には友達ではなく知らねーヤツなので、自分から勝手友達になりに行く必要がある。

その入口として、キャラクタービジュアルがあったり、歌ってみた動画があったり、切り抜きがあったりする。

VTuber別に好きになる必要もないと思うが、否定する必要があるようなコンテンツでもない。

陰謀論迷惑YouTuberに比べて遥かに健全な娯楽を提供しているので、知ってみたいと思うならまず再生数の多い切り抜きを見るだけでいい。

それだけでソイツの強みがわかる。たぶん。




最後についでに書いておくと、話題が行ったり来たりするような配信は、だいたい惰性でやっている系のゲームか、雑談配信なのでそういうのはだいたい面白くない。

中には口が上手い人の雑談は本当に腹痛くなるぐらい笑って楽しめるが、そうでない限りはよほどその配信者にハマっていないと楽しめることは少ない。

話を合わせるだけなら、とにかく切り抜きだけ見て有名な面白シーンだけを知ってればいいと思う。

2024-06-05

anond:20240605024647

起こってるよ

起こってるけど、女→男の場合は力の関係とか体の構造低リスク)もあって大きく問題になりにくいんだよ

バンドマンとかお笑い芸人とかなぜか持てる業種の人に聞いてみ?

友達だと思ってた女が急にまんこ開いてきて嫌だったって話は、結構あるあるだよ

2024-05-30

anond:20240530192431

その割にしょうもない男に自分から近寄っていって遊ばれる女多過ぎない?

お笑い芸人YouTuberアイドルホスト配信者、インフルエンサー

これらの底辺にまで群がって遊ばれた挙げ句被害者面する女たくさんいるじゃん

その癖ナンパだけはうざいってあんまり説得力ないんよ

2024-05-28

お笑い芸人今くるよさんが27日、膵がんのため、大阪市内病院で亡くなった。28日、所属吉本興業より発表された。

お笑い芸人の真似する人が苦手

とはいえお笑い芸人とか詳しくないので、なんか妙な言葉遣いとかする人になんだこいつ?みたいな反応してたらあとで調べたらお笑い芸人のなんかネタというかそういうのだったみたいなのがあって、うーんと。

サービス精神からやってるのはわかるんだけどなかなか難しいよな。

俺は今はダジャレおじさんとかは平気どころかありがたいっておもうくらいだけど、結局の所その人が好きかどうかなのかもな。

2024-05-22

anond:20240522233925

女体は好きだけど女は嫌い

お笑い芸人が言ってたけど、セックス終わったら逆バンジーみたいにビョーンって遠くに飛んで行ってほしいわ

2024-05-19

[]空車満車ゲーム

もう中学生というお笑い芸人シュールリズムギャグ

車のイラストを手に持ち、駐車場イラストの空いているところと駐車場の外を3回のリズム適当に指し示しながら、

空車状態なら くう

満車状態なら まん

というだけのネタ

くう くう くう

まん まん まん

という感じで。

ガクテンソクが優勝したらしい

何年か前、明石家さんまクリスマス特番で、彼女AV女優との浮気バラされてたよね。(背の高い方)

それ以来ずっと嫌い。

俺は浮気不倫をする人間が心底嫌いで、軽蔑している。

芸能人特にお笑い芸人浮気不倫を隠そうともしない人が多くいて、本当に気持ち悪いと思っている。

今人気の千鳥なんかも、「そういうキャラ」として許されている空気が本当に気持ち悪い。

妻がどう思っているかはともかく、子どももいるのに、浮気して平気な顔でテレビに出ているの、マジで怖すぎる。

ずっとお笑いが好きだったけど、もうほとんどテレビを見られなくなってしまった。

今は教育番組見る時だけテレビつけてる。

子供のためにアンパンマン見ることはあるけど、カバオの声の人のことも嫌いだし、この嫌悪感はどうすりゃいいんだろうね。

2024-05-15

anond:20221223000503

これは俺も不思議に思っていた。

よりにもよってフェミニズムから一番遠いジャンル敬愛してそのうえでたまに発狂したようにそれらを否定しだすのマジで意味わからん

お笑い芸人なんてだいたいみんな(特に関西芸人クラスカーストトップかつ女を見下したミソジニー集団でそれをわかったうえで推してると思ったら、何かの拍子でいきなりドカギレしだすしマジでなんもわからん

もうちょっと高尚な文学かにしとけよ

anond:20221223000503

これは俺も不思議に思っていた。

よりにもよってフェミニズムから一番遠いジャンル敬愛してそのうえでたまに発狂したようにそれらを否定しだすのマジで意味わからん

お笑い芸人なんてだいたいみんな(特に関西芸人クラスカーストトップかつ女を見下したミソジニー集団でそれをわかったうえで推してると思ったら、何かの拍子でいきなりドカギレしだすしマジでなんもわからん

もうちょっと高尚な文学かにしとけよ

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-10

看護学生無視するもの

という奇習があるんだと。

世の中の変化は跛行的に進行する。

お笑い芸人が一斉にブスいじりをやめたかと思えば、田舎零細企業では便所掃除はブスの担当普通にまかり通ってる。

「こんなところに昭和がゴッソリ塊で残ってたよ」という例が、たとえば役者世界であり共産党であり宝塚である

男女対立脳で脳が茹で上がってるバカしかいないところでこれ言うのも....なんだけど

看護世界文化的化石っぷりって

基本「女の世界」なことに深く起因してるんじゃねえのという気がする。

女だけで完結してる女の園からというより

医療という男性優位社会の女セクションという特殊条件が壁を高く強固にしてるんじゃないか

2024-05-01

anond:20240501141537

自衛隊レンジャーお笑い芸人の人が言ってたんだけど、実弾を使った射撃訓練ときはあまり強い言葉を使って怒らないようにするんだって

撃たれた上官とか過去いるからだろうな。

山本太郎ってお笑い芸人すぎない?

れい新撰組について調べてたらこんな記事

「食料安全保障を「最重要事項」とし、食料自給率目標は「100%」に据える。その実現に向け、農業だけでなく全ての第1次産業就業者への戸別所補償を主張する。夢のような政策も並ぶが、政権批判の舌鋒はどの政党よりも鋭い。国会での農政論戦でも“台風の目”となるか注目だ。

 れいわは、安倍政権下で成立した法律国会承認された条約を「トンデモ法」と批判し、その「一括見直し廃止」を主張する。その対象として環太平洋連携協定(TPP)の他、都道府県に稲や麦などの種子供給義務付けていた種子法の廃止法や漁業法国家戦略特区法など農業関連の法案も多く挙げる。」

読んでて笑いを堪えるのが大変だったわ

何がトンデモ法だよ

お前の存在トンデモワンダーズだわ

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