はてなキーワード: 部活とは
こんにちは。スティーヴィー・ワンダーです。嘘です。
先日買ったアダルトVR作品に、見覚えのないかわいい子が出演していたんです。
なんていう名前の子だろう。かわいい。そう思って、その子に注目しながら見ていました。
その作品は「転校生である自分がさまざまな部活に所属する10人ほどのJKたちからクラブに勧誘される」というストーリーのハーレムもので、その勧誘の手段がいろいろエッチなわけです。
で、私が注目した見覚えのないその女優さんは、あたしがあたしがとぐいぐい前に出てくるほかの女優さんたちとは違って、ひとりだけちょっと遠慮がち、というか消極的でした。
ははあ、わかったよワトソンくん(声:露口茂)。彼女は新人だ。まだ現場に慣れていないんだろう。その初々しさがまたいいじゃないか。さあ続きを見よう。
ハーレムもののようにひとりで複数名を相手にする作品には、独特の秩序があります。
おちんちんは一本だけなので、女優さんどうしでそれの奪い合いになったり、一度もそれに関与できない女優さんが出たりしないように、とても平等かつ公平にローテーションが組まれています。
また、VR作品は固定された主観カメラ1台だけですから、ひとりひとりの位置取りもきっと重要で、常に全員の姿がよく観察できるようなフォーメーションがあると思います。
そして、そうした秩序や配慮があることを鑑賞者に意識させないように、自然な演技の中でスムーズに選手交代したり配置換えしたりしなければいけません。
こういう場合、ひとりひとりのプレイヤーに求められるのは、全体の進行を把握すること、現在の状況を把握すること、自分のタスクを確実にこなしながら、ほかのプレイヤーたちと意思疎通することです。
すごいですよね。大まかな段取りを示した台本やカメラの裏からのこっそりした指示はあると思いますが、細かな演技の大半は演者たちのアドリブで行われているはずです。プロですね。
当然、新人ちゃんは動きが鈍くなります。そうだよなあ、難しいよなあ、がんばれがんばれ、と内心で応援しながら見ていました。
その時です。
先輩の女優さんたちが、要所要所でそれとなく新人ちゃんを気遣い、目立たぬようにそっとサポートをしているのです。
新人ちゃんがたどたどしくセリフを言っている時に、さりげなく肩に手を置いていてあげたり。
順番が回って来れば「ほら、〇〇ちゃんの番だよ」と促したり。
タスクを終えれば「よかったね、できたね!」と褒めたり。
しかも、作品の進行上違和感がないように、作品世界の中の言葉とちゃんと解釈できる範囲内で、新人ちゃんを導き、励ましているのです。
なんというやさしい世界……。
もちろんそこには、「いい作品を作るためにできることは何でもする」というプロ意識もあるのでしょう。
その「何でも」の中に、「思いやり」がきちんと含まれていることに、私は深い感動をおぼえました。
アダルトVRは、従来の2DのAVとは根本的に異なる体験です。
出演者は画面の向こうにいるのではなく、今まさに自分の目の前で生きて動いているかのように知覚されます。
表情の変化や目線の動き、細かな所作のひとつひとつが意味を持って脳に飛び込んできます。
その結果、出演者どうしの関係性や意思疎通のプロセス、つまり「気持ちのやりとり」が、2Dとは比べ物にならない生々しさで観察されるのです。
その時の話を書く。
学生寮と言っても人数が少なく、小さい4階建ての建物の2階が男子寮、3階と4階が女子寮、1階は教員や食堂のおじちゃんの部屋と自習室、それから男子の大浴場があった。
私は実家の都合で1年の後期くらいで入寮したのだけど、入寮すると同級生からまず、うちの寮は出るから!と体験談を聞かされた。
私は霊感とかもないし、今までそういった類の体験もサラサラないので先輩から吹き込まれた同級生の思い込みだろう。と流して聞いて終わった。
私が3年になった時、同学年の入寮者が私ともう1人しかいないため自然に寮生活の時間の長い同級生が寮長、私が副寮長となった。
部屋は一人部屋で私が4階、同級生が3階で私の真下の部屋だった。
ある日、消灯前に寝ていた時、同級生が私を起こしに来た。
上からの足音がうるさいからなんとかしてくれ!と言いに来たが私は爆睡しており怖くなって起こしたらしい。
古い建物だからネズミだよ〜と笑って終わったが、次の日同じ部活の仲の良い男子の後輩から、上の部屋で走り回ってる音がうるさいので注意してくれと連絡が来た。
部屋の場所を聞くと、その部屋は空き部屋で鍵がかかっていた。
寮監の先生にも報告して念の為中を確認したがもちろん誰もいなかった。
はじめはからかわれているのかと思ったが、その後輩と同級生に接点がないためそれもない。
翌日に同級生にこの話をすると、今まではあまり意識をしていなかっただけなのでは?と言われた。
確かに今まで夜中にドアをノックされドアを開けると誰もいなかったり、廊下から足音がしたりすることは多々あった。
そんなもの人が出せる音だし、誰かがイタズラしてるんだろうくらいで済ませていたが、本当はそういうものがいたのかも…と思うと怖くなり、しばらくはあまり寝れなかった。
それからもちょくちょくおかしいことはあったが、怖いと思うのが嫌で見て見ぬふりを貫き通した。
今、その寮に住んでいる寮監とたまに連絡をとっているが、未だにおかしいことがあるらしい。
当時の先輩曰く、あそこは墓を崩した所に建ってるらしいが、本当はどうなんだろうか?
学問以外への業務拡張は、部活から始まったように思います。授業についてこられない生徒に活躍の場を、と言って中堅校以下でブラック部活的(スクール・ウォーズ的)に始まり、その有り様が全国化していったような。
1960年代に校内暴力が頻発したのは、様々な理由はあろうかと思いますが、一つの理由としては、戦争PTSDを抱えた養育者(が作った社会)によって育てられた次世代が愛着障害に近い状態になっていたのではないかと思っています。
ブラック部活は、愛着障害の治療の集団療法という側面があったのだろうと思います。愛着障害が存在している状態での授業は困難を極めます。授業を成立させ、生徒に学問を修めさせるために、教員は意図せず心理療法を施していたのだろうと思います。各種行事もそうですね。
そのあたりから、学校に福祉的機能が入ってきて、今は学校によっては福祉機能のほうが学問機能よりも大きくなっているかもしれません。障害を持つ生徒への合理的配慮、個別の支援計画、外部機関との連携。部活動。
教員は、授業を成立させるために、福祉的業務をやむなくやっていたのですが、文部科学省がこれを正式に業務にしてしまうのです。
ただし、それに対する予算措置もなければ、人員の補充もない。専門家集団を校内に組織することもない。外部機関との連携とか、非常勤カウンセラーやスクールソーシャルワーカーの配置はしますが、外部機関だったり非常勤なのでお客さんです。彼らは責任は取れません。
以下は、『身体はトラウマを記録する』という本の抜粋群なのですが、
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太古の昔から、人間は自分の中の非常に強く恐ろしい感情に対処するのに、集団で行なう儀式を用いてきた。古代ギリシアの演劇の内、文字による記憶が残っている最古の物は、踊り、歌、神話の再現を含む宗教的儀式から発達したと思われる。ギリシア演劇は、戦争帰還兵にとっては再統合の儀式だったのかもしれない。
演劇を通してトラウマを治療する。愛と憎しみ、攻撃と幸福、忠誠と裏切りは演劇の本質であると同時に、トラウマの本質でもある。トラウマを負った人は深く感じることを心底恐れている。一方、演劇は情動を身体化し、それに声を与え、リズミカルに場面に関わり、それを体現する。
学校からは、能力と集団の絆をはぐくむために、昔から大事に受け継がれてきた、音楽、演劇、美術、スポーツがどんどん姿を消している。
見捨てられる経験をすると、人を信頼できなくなります。そして、里子は見捨てられるというのがどういうことなのか身をもって知っています。彼らに信頼されるまでは、何一つ影響を与えることはできません。
筋肉を動かすこと、意識の集中が必要な作業をしたりすることは、喪失体験に対抗する大いなる助けである。
教師達は最初、「もしソーシャルワーカーになりたかったら、ソーシャルワークの学校に行っていたでしょう。でも私は、教師になるためにここに来たのです。」といった類いの反応を示すことが良くある。とはいえ彼らの多くは、頭の中で警報ベルがひっきりなしになっている生徒で教室が埋まっていたら教えようがないことを、すでに身にしみて知っている。どれほど熱心な教師や学校システムでさえも、子ども達のあまりに多くが深刻なトラウマを負っていて学習できないために、しばしば苛立ち、無力感を味わう。試験の得点を上げることだけを主眼としていても、教師達がそれらの生徒の行動面での問題に効果的に取り組めなければ、成果は上がらない。
規則を平然と無視する生徒は、アメリカの学校で広く行なわれているように、譴責しても、停学処分にしてさえも、考えを改める可能性は低い。
他者の言葉をしっかり聞き、自分の言葉もしっかり他者に聞いてもらう。他者に本当に目を向け、他者にも本当に目を向けてもらう。
教師が怒鳴ったりする代わりに、子どもが経験していることを言葉で表したり、選択肢を与えたり、自分の感情を説明する言葉を見つけさせ、思いを表現し始めさせたりするようにするべきだ。安全の経験を学ばせるのだ。
(しかし)学校はトラウマを誘発する更なるトリガーとなってしまいがちだ。
トラウマに敏感な教師なら、手に負えない生徒の親に電話をして状況を説明すれば、子どもが殴打され、さらに深いトラウマを負う可能性が高いことに、程なく気づく。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 べッセル・ヴァン・デア・コーク https://www.amazon.co.jp/dp/4314011408/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mpGTEb5V1TPY4 @amazonJPさんから
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いわゆる教育困難校と呼ばれる学校はこうした子どもたちが非常に多いです。進学校であればこうした子どもは少ないかもしれません。少ないですが確かにいます。教員は守秘義務があるので、他の生徒に知られないようにこれに対応しています。個人情報なのでメディアにも明かされません。
日本の福祉政策の不備を、教員が無償労働で払っているように思えてなりません。でも、そうした子どもを学校が福祉的にケアすることを国民は望みます。学校の教育機関としてのリソースがそちらに持っていかれてしまっているように思います。まあ、そういうことを言うと、福祉的ケアを導入した教育の方が教育効果が高いと言われて、口を封じられるのですが。十分なリソースがあれば効果は高いでしょう。しかし、リソース不足でこれをやれと言われれば機能不全に陥りますね。実際、陥っているように思われます。
学校始まるの虚無だし教授からのメールは英語で泣くしパソコンは届かないし入学式はないし単位落とす気しかしないし文書けないし家にいるの苦痛だし勉強してないし絵の練習してないし鬱だよ むり 新歓ないし でもオンラインで外出なくて良いのは良いけどサークルzoomでやるの話しかけるタイミングわかんないし全員に声伝わるからはなしたいひとだけには話せない!!!!!!!!!!!部活の後輩同じ大学志望するかなって思ってたけどずっとTwitterに入り浸っててウケる真面目な子だったのにかわってしまったね…………Twitterでは年齢隠してやってたから今更大学生とか言えなくて辛いだってみんな年上だし年上の人好きだから中高Twitterで年齢言ってこなかった 今更言えなくて辛い 年下のツイートって年下のものとしか見れないんだよ だから年齢言いたくない でも大学生って言いたい
小中学生のときは部活の友達と仲良くしていた。クラスにも一応居場所はあった。
高校生のときは、スクールカースト一軍グループに所属してムードメーカー的立ち位置にいた。
大学生のときは、学校で授業を受けるときはいつも一人だったが、学校外のアルバイトや趣味の友達はいてよく飲みに行ったりした。
コロナの影響で、自粛生活になり、外出ができない分オンライン飲み会が流行している。
この1ヶ月間一度もオンライン飲み会に誘われなかった。自分からも誰を誘っていいか分からなかった。
そもそも、オンライン飲み会ってどういう流れで始まるの?どういうきっかけ?
大人になってから友達は数より質が大事だから、数少ない友達を大切にしようと思っていた。
思いは一方通行だったのか。
今まで学生生活に仲良くしていたと思っていたけれども、相手はその場限りの友達だと思っていたのか。
はたまた、私自身が友達付き合いを疎かにしていたツケが回ってきたのか。
ほんとうは、私が誰のことも友達だと思っていなかったのか。
思い返してみれば、飲み会の約束も自分からしたことほとんどなかったな。誰かからの誘い待ち。
だって、飲み会に誘って断られるの怖いじゃん。話も面白くないし。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200503121929
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4685036249471717698/comment/kotobuki_84
これ要するに、「新入生に部活での振る舞い方を教えてやってるだけなのに、なんで俺の方が反省しなきゃならねーんだ、俺は教える側なんだよ。人が気持ちよく説教してるとこに水差すなぁぁぁぁぁぁぁ」って言い出す典型的下級生いじめ先輩しぐさなのよな
いや、ないでしょ。
せいぜい二か月休校になっているだけでしょ?
九月入学なんて学校にも保護者にも、何なら学生自身にも負担でしょ?
夏休みをなくすだけで対応できるのに、どうしてそんな大掛かりなことをやらせるの?
たかだか二か月で勉強が遅れるとぎゃあぎゃあ騒ぐ人たちは何なの?
うちの子は電子塾を使わせているからそういったことは全然ないですけど。
今時ネットでの学習教材やら塾でのプリントやらはいっぱいあると思うんですが、違いますか?
というかですね、私に言わせれば日ごろから要領を超えた「勉強貯蓄」を作っていない方が悪いですよ。
このご時世、二学年、三学年先の勉強は当たり前。ちゃんと我が子にもそのようにさせています、不自由のないように。
インターハイ?冬の大会の方に参加すればいいじゃん。受験との兼ね合い?自己判断でしょ。
というか部活やサークルなんてただの娯楽でしょう?そんなものにかまけていて大会に出れなくてぴーぴー泣くなんて。
どうでも良いでしょう?なくたって生きてけますし、学校生活には何ら影響ないでしょう?アメリカじゃあるまいし。
演劇だって映画だって中止になっているんですから、貴方方のちゃちな思い出作りに支援する必要なんてないと思うんですけど。
就活に受験?現社会で適合できなかったのは社会性がない学生たちの実力そのものじゃないの?
一言でいうなら、さぼり。自己研鑽をしてこなかったツケですよ。
受験で二次が受けられず入れなかったのは、センターを軽視していたあなたの責任です。
もし貴方が浪人していたなら、なおのこと貴方の責任です。一発で受かれば十分だった話でしょう?
時流を見る目がない放蕩学生を雇い入れるところなんてあるものですか。
簡単にまとめると、今子供たちに支援する必要はまったくありません。だって必要ありませんから。
苦しんでる?いえ、苦しむべきです。若いころの苦労は買ってでもしろっていうじゃないですか。
それが今無償で支給されてるんですよ。貴方達の好きなログインボーナスです。良かったですね。
○ご飯
朝食:チャーハン。(玉ねぎ、ウインナー、たまご)昼食:冷やしラーメン。夕食:人参と玉ねぎとカニカマのスープ。納豆。間食:チーズ、チョコ。飴。
○調子
むきゅーはややー。仕事はおやすみん。ジャッジメント7しかしてない。ようやくクリアしたので感想を書きます。
○JUDGEMENT 7 俺達の世界わ終っている。(スイッチ)
愛すべきバカ達の集団ものってジャンルがあると思うんですよね。
「愛すべきバカ達を好きになる物語」とでもいうんでしょうか、これって物語のベタ、王道も王道ですよね。
同じADVってジャンルだけでも、ひぐらしの部活とか、リトルバスターズのリトルバスターズとか、シュタインズゲートのラボメンとか、クロスチャンネルの放送部とか。
(挙げた作品にその構造だけじゃないある共通項があるけど、たまたまです)
このジャッジメント7も、作品名と同名のジャッジメント7というゲーム会社が登場して、その構成員の面々の愛すべきバカさが表現されたのちに、シリアスになっていく展開です。
ただ、ちょっとこの作品は先に挙げた作品達とはちょっと違うなと思ったのが、作品の中盤物語の転となるタイミングから、このジャッジメント7のメンバーじゃないキャラクタが話の軸になっていくんですね。
ジャッジメント7を好きだからこその自己犠牲であるとか、彼らにかける言葉の一つ一つがおもくて、だけどその好きがとても伝わってくるものばかりで。
そのキャラの好きを好きになるんです。
声優の黒沢ともよさんの熱演と相待って、そのキャラのシーンはどこを切り取っても名シーンばかりの、この作品を加点方式で採点していくと、きっとそのキャラにまつわる点数だけで百点満点になってしまう。
それぐらい魅力的なんですが、そのキャラは、ジャッジメント7のメンバーのみんなが大好きなのに、ジャッジメント7ではくて、作品の一番滾ると思われる「名乗り」シーンにもそのキャラはいないし、最後の最後でもそのキャラはジャッジメント7にはいないんです。
バカたちを「バカだなあ」とプレイヤーが愛して好きになる作品はたくさんありましたけど、
そこから一つ階を上って「バカたちを『バカだなあ』とあるキャラが愛して好きになるさま」をプレイヤーが愛して好きになる作品なんですよ、このジャッジメント7は。
こうやって、一つフィルターを挟んでいることで、より一層ジャッジメント7が、これは作中のその集団のことでもあり、その作品そのもののことでもあり、をますます好きになっていく。
人の好きを好きになれる、そんな素敵な作品でした。
ガチで怖がっているやつは、あと何年も自宅で引きこもってろ。
社会のためだと思って自粛しているやつは、外に出よう。日本の場合は、数ヶ月程度、ゆるゆる自粛をしても対して変わらないぞ。自粛が社会のためじゃなくて、社会に悪影響になるのが分からないのだろうか。
あと数年自粛するつもりがあるなら、stay homeしてもいいけどそんな気がないなら、外に出よう。今出来ることで、人生を楽しもう。人生を楽しもう。
ライブは行けないし、スポーツは見れないし、イベントはないし、風俗もパチンコも行けないし、学校もないし部活もないが、楽しめることはそれなりにあるだろう。
営業している店でランチを食べよう、カフェでコーヒーを飲もう、4時から居酒屋で酒飲もう。
ドライブしよう、海へ行こう、日帰りで山に行こう、ランニングしよう、サイクリングしよう、バーベキューしよう。DIYしよう。あとなんだろうか。
賛同してくれる人は、外にでよう。合言葉「No Stay Home。あなたが人生を楽しむことで、救われる命がある。救われる会社がある。救われる従業員がいる。救われる従業員の家族がいる。」
シフト減→解雇だから、休業補償よこせやってのと、会社都合だよな、ってとこ確認中。
30台のパートのおばさん。
業種はコロナの影響まるかぶりなとこあるから覚悟してたけどさ、なんというか経営者の「この状況だから仕方ないよね?補償は専門機関と確認してからね」って態度が腹立つの通り越して呆れですよ。
そりゃあなたも大変でしょうけど、そこで「がんばったんだけど、申し訳ない、補償に関してはできる限り」とか、口先だけでも言えないのかね?最後っ屁かよ。
もともとこの経営者とすごく気が合わなくてさ、沸点低くてモラハラで、お客さんにはいい顔するけど電話切ったら悪口だし、機嫌悪いと嫌味、毎回言ってること違うし、それ指摘するとキレるし。
だから辞められてよかったとも思うんだけど、何があれって、私こういう経営者に当たるの2回目なのよ。
前の会社の経営者も全く同じ。正社員だったから余計あたりがキツくて、毎日顔色伺って、でも何やってもなじられて、帰ったら今日あったこと思い出して「うわぁぁぁ」って叫んでた。最後は適応障害で辞めた。正直今もフラッシュバックして「うわぁぁぁ」ってなることがある。
面接で「この人なら大丈夫」って思った。やっと落ち着いて働けると思った。
なのにまたモラハラ。
前の経営者も、今回の経営者も、面接まではすごい人当たりがいいんだよ。入ってからもしばらくは。
でもしばらくしたら「あれ?」って。その「あれ?」が日に日に増えてって、ひとつの「あれ?」につまづいてる間に次の「あれ?」が増えて、そうすっと怖くなってきて、ずっと顔色伺っちゃうの。でもそれでもうまくいかないの。
他の人もそれなりに嫌な思いしてるんだけど、どうも見てると、私ってそういう人に嫌われやすいというか、ターゲットにされやすいみたいなんだよね。
周りの人から気遣われることもしばしばあった。でも、みんな、経営者の手前かばうようなことはなくて、まぁ、そこは仕方ないんだけど。
私の見る目がないのかな?
ちなみに学生時代いじめられたことはない。カースト的には最下層の微オタク。部活はゆる文化系。
父親も経営者で、若い頃は正直モラハラだった。誰のおかげでメシが食えてんだとか。直接的な暴力はないけど。
それに対して萎縮しちゃうところもあるし、勝気な性格だからか「え、何言ってんの、おかしいんじゃないの?」って空気読めずに言っちゃうとこもあって、そこらへんが嫌われるところなんじゃないかと分析してる。
ちなみに父親とは現在適度な距離で付き合ってる。じいさんになってしょぼくれちゃったしね。持病があるからコロナ心配。
前の会社で適応障害になった時、カウンセリングを受けたんだけど、やっぱり父親とか家族の関係で生じた認知の歪みが、モラハラ経営者の餌食になりやすい原因だと言われて、現在もカウンセリング中。
幸いずっと働いてたおかげで失業手当が長くもらえるから、コロナが鎮まるまでおとなしく自粛生活しながらオンラインでカウンセリング受け続けようと思う。
でも、コロナがおさまったらまた働かなきゃいけなくて、その時の職選びどうしよう…って不安。
35も過ぎたおばさんだから、コロナ後は職選びなんてできないかもしれないけどさ。
できたら経営者とか上司より、そこら辺のパートさん捕まえて「どうっすか、この会社」って聞きたい。
おしえて、諸先輩方!
むしろさ、小、中、高校の先生の雑用を増やしすぎた結果に思えるんだが。
やんちゃな子供の面倒ばかりで、真面目で自己主張できないが勉強もできないような子供が勉強においていかれてる。
真面目な時点で一つ一つ何に躓いているか紐どいていけば勉強できるようになるんだが、親も忙しくて貧乏、よって塾にも行かせられない。
躓いたら躓いたままどうしようもなく、わからない授業を聞いているだけ。
やんちゃな子供やらの面倒だとか部活とかは全部よそに預けて、わからない子供のわからないことを紐どいていかないとならない。
結局はきちんと金と時間をかけることが必要なんだが、新自由主義のもと、先に法人税や所得税を下げるのに使われるし、バックマージンや票を集められるものじゃないから、政治家も動かない。